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1章
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しおりを挟む「紅凛?こんな所にいたのかい?」
その日はとても暖かく、庭に咲いた梅の花の甘い香りが心地の良い日だった。
馴染みのある声に名を呼ばれて振り返れば、久方ぶりに見る兄の姿があり、紅凛は頬を緩めた。
「まぁ、兄様!ようやくお戻りなのね?今度はどちらまでお仕事に行かれていたの?」
少し生意気な口を訊きながら、手にした梅の枝を持って、兄のいる露台まで歩く。
「ちょっと色々あってね。陛下の外遊に付き合っていたんだよ。」
ごめんごめんと、顔の前で謝る仕草をした兄は、たしかに出仕の時の格好をしている。
わずか1年ほど前、即位して数年と経っていなかった皇帝陛下が病で崩じられて、その息子である皇太子が新皇帝に即位した。
どうやら兄はもともと皇太子に仕えていたらしく、新皇帝の即位と共にとても多忙となり、家に戻らぬ日も多くなっていた。
この家にきてからと言うもの、何かと世話を焼いたり、外に連れ出してくれたりと面倒を見てくれていた順流にすっかり懐いてしまっていた紅凛にはそれが少々不満だった。
「梅の枝をどうするんだい?」
紅凛の手にしている梅の枝に視線を落として不思議そうに聞く兄に、「もう!」とむくれる。
「お義姉様のお部屋に飾るの!まだお身体の調子が良くなさそうだから、少しでも気が紛れたらと思って」
そう言って、兄に詰め寄る。
「まずお帰りになったら私ではなくてお義姉様の所に行きなさいな!どなたのお子を孕ってお辛い思いをされておられると思ってるんです?」
そう睨みを効かせれば兄は慌てた様子で、違う違うと両手を振った。
「向かっている最中にお前を見つけたから声をかけたんだよ!本当!今から向かう所だったんだって!」
そう言って「どうせお前も行くなら一緒においで」と誘われる。
しかし紅凛はそれを固辞する。
「これから、お花を活けるんですから今からはだめです!後ほど綺麗に活けたものをお持ちしますから、楽しみになさっていてくださいと、お義姉様に伝えて?」
そう言って兄の横を通り過ぎて、控えていた侍女に切った枝を手渡す。
せっかくの新婚夫婦の再会を、邪魔するわけにはいかないのだ。
そこまで分かってかどうかは知らないが、兄は少し困った表情で後頭部を掻くと、「承知したよ」と笑ってその場を立ち去った。
新皇帝の即位と時を同じくして、兄も妻を娶った。そうしてやってきた義姉はやはり良家の出身だったが、話し好きで気さくな人で紅凛は随分と懐いていた。
今は妊娠の影響で寝ついているが、それもようやく回復の兆しが見え始めて来た頃だ。
部屋へ戻ると、梅の枝と、庭で摘んできた花を活けて頃合いを見て義姉の部屋へ向かう。
その途中、なぜか裏門の方から庭園を通りこちらに戻ってくる兄の姿を見つけた。
彼がここにいると言うことは、まだ義姉の所に行っていないという事で……
軽くジト目で睨みつけていると、紅凛の存在に気づいた彼はびくりと足を止めた。
「何をなさってるのです?」
そう問えば彼は慌てたようにこちらに向かって来た。
「急な来客があってね。大した要件じゃなかったからすぐに対応して、お帰りいただいたんだよ」
最もらしい理由を笑顔で説明した兄は
「わっ!流石だな紅凛。素晴らしい出来だな」と紅凛の手の中にある作品を褒めた。
この笑顔が胡散臭いのは、ずいぶん早くから気づいている。
だいたい何故裏門から?お客様なら表門からお帰りいただけばいいのに。
何かやましい事があるに違いない。
そう思いながらも、紅凛はとりあえずこの件を見逃す事に決めた。
結局兄と二人で並んで義姉の部屋に向かう事になった。
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