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001 ライフラフトの中で

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 2021年5月23日の午前2時頃、俺の人生を一変させる大問題が発生した。

『大至急、甲板に移動して下さい』

 俺の乗っているクルーズ船の船内放送が流れたのだ。
 カリブ海クルーズの船なのに日本語の放送が流れるのは貸し切りだから。
 ただいま修学旅行の真っ只中である。

「みんな、早く甲板に避難して! 早く!」

 廊下から教員の声が響く
 その次に生徒たちの悲鳴と慌ただしい足音が聞こえた。

(なにかの事故で転覆するようだ)

 寝ぼけた頭でもそのくらいのことは分かる。
 そして、それだけ分かれば十分だった。
 このあとは救命いかだライフラフトに詰め込まれて放り出されるはずだ。

(だったら……)

 俺はバックパックを開け、冷蔵庫の飲料水をたらふく詰め込んだ。
 スナック菓子もぶち込み、代わりにスマホの充電器などを捨てる。
 最低限の着替え、食糧、あとはタオルを数点持ったら準備完了だ。
 夏用の制服なので肌寒さが感じられるけれど問題ない。
 部屋を飛び出して甲板に向かった。

「さぁ早く乗って!」

 案の定、甲板ではライフラフトによる脱出が行われていた。
 日本人のクルーや教員たちが、生徒をラフトの中に突っ込んでいく。
 満員になると、ラフトを吊るクレーンが海に垂れる。
 甲板のいたるところでこの光景が見られた。

 この船に搭載されているライフラフトは小さい。
 自動で膨らむタイプで、展開すると六角錐になる。
 4人乗りで、出入口となるドアは1箇所にしかない。

「なに突っ立ってるの! 早く乗るんだよ!」

 ラフトを眺めていると、クルーに背中から突き飛ばされた。
 浮いた体が船を越え、ラフトの中に転がり込む。

「これで4人だ! 下ろせ! 下ろせ!」

 クルーがラフトのドアを閉める。
 クレーンが下がり、俺の乗るラフトが海に放り出された。

 ◇

 絶望と歓喜の両方を同時に味わうこととなった。

 絶望したのはラフトに内蔵されている装備だ。
 飲料水と非常食、それに発煙筒しかない。
 せめてレーダー反射器と海面着色剤は欲しかった。
 ケチり倒された救命道具に命運を託すとは嘆かわしい。

 歓喜したのは同じラフトに乗るメンバーだ。
 他校にまで名を轟かせる美少女3人組である。
 当然ながらスクールカーストの最上位。
 おかげでラフト内が美少女のいい香りに包まれていた。
 それだけで白米を何杯でも食えそうだ。

「まずいっしょこれ! あたしらヤバくない?」

 まずそうな気配を感じさせずに言うのは佐川沙耶さがわさや
 赤のショートヘアが特徴的で、三人の中で最もスカートが短い。
 沙耶はこのトリオのムードメーカーだ。

「普通にヤバいよ」

 落ち着いた口調で夢野凛ゆめのりんが言った。
 沙耶とは別の意味で危機感が足りていない。

 凛が黒のミディアムヘアを掻き上げる。
 同じ高2とは思えない大人っぽさが感じられた。
 俺の視線は彼女の顔と彼女の穿く黒のハイソックスを往復する。

「本当にこのままで助かるのかな?」

 唯一まともに不安がっているのは伊織陽葵いおりひまり
 3人の中で最も背が低く、そして飛び抜けて大きな胸を持つ。
 夏用の薄い制服に備わっている貧相なボタンが今にも弾け飛びそうだ。

(俺も何か話したほうがよさそうだな)

 このような状況において無言でいるのはよろしくない。
 共に窮地を乗り切る仲間として、俺は口を開いた。

「たしかにレーダー反射器がないのは不安になるよな」

「「「えっ」」」

 俺の発言に3人が驚く。

朧月おぼろづき君が喋った!?」

「朧月って声を出すことができたんだ」

 陽葵と凛が同時に言う。
 ちなみに朧月とは俺の苗字だ。

 フルネームは朧月刹那せつな
 刹那の時を生きる俺に相応しい名だ。

「レーダー反射器ってなんぞい!?」

 沙耶だけ違うことを言っている。
 俺が声を発したことに驚かないとは。
 見かけに反してなかなかの猛者だ。

「……って、今の発言は誰!? もしかして朧月!? マジ!?」

 どうやら驚くのに遅れただけのようだ。
 猛者ではなかった。

「そうだよ、悠久の時を経て口を開かせてもらった」

 高校に入学して以来、俺は学校で無言を貫いていた。
 体育などの声を出す必要のある科目ですら声を発さなかった。
 喉に難病を患っているなどの理由で凌いできたのだ。
 もちろん実際は健康そのものであり、家では普通に喋っていた。

 声を出さなかったことに大した理由はない。
 ただミステリアスな雰囲気を演出したかったからだ。
 そう、俺は異端児である。

「悠久の時……」

 凛が複雑そうな表情で俺を見ている。
 もしかすると俺の発言を噛み締めているのかもしれない。

「ラフト内の装備が貧相である以上、俺たちにできることは何もない。食料はラフト内の非常食と俺の持ってきたスナック菓子しかない。飲料水の量もそれほど多くないし、節約する為にも寝よう。凛、陽葵、沙耶、それでいいか?」

「いきなり下の名で呼び捨てかよ!?」と驚く沙耶。

「朧月君、なんだか頼もしい」

 陽葵が安堵の笑みを浮かべる。

「私は賛成だよ。じゃ、おやすみね、刹那」

 凛は俺に賛同し、その場で横になる。
 いきなり苗字呼びをやめるとは馴れ馴れしい奴だ。
 とはいえ嫌な気はしない。
 これが陽キャ・リア充と呼ばれる人種の能力か。

「凛がそう言うなら」

「ウチらも寝るかー!」

 陽葵と沙耶も横になる。
 どうやら凛が司令塔みたいだ。

「これが神の試練か。よろしい、ならば俺はこの試練を乗り越えてみせよう。なぜなら俺は朧月せつ……」

「早く寝ろ! あんたが言い出したんでしょうが!」

 沙耶に言葉を遮られる。

「やれやれ、変わった女だ」

「あんたに言われたくないよ!」

 陽葵がクスクスと笑っている。
 俺は静かに横になった。

 その後、俺たちは無事に救助されましたとさ。
 ――とはならなかった。

「流石にレーダー反射器がないと発見されないか」

 朝になって目が覚める。
 腕時計で時間を確認するとAM5時を過ぎた頃だった。
 どうやら3時間しか眠っていないらしい。

「とりあえずどこかの島に上陸できればいいが」

 ラフトのドアを開ける。
 日の光が入ってきて、他の3人も目を覚ます。
 そして、俺たちはラフトの外を見て歓喜の声で叫んだ。

「これで助かるぞ!」

 大して遠くない距離に島が見えており、ラフトはそこへ近づいていた。
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