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037 巣の奪取

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 野外生活で拠点を構える場所を探していた時だ。
 森の中を彷徨っていて、ある物を発見した。

「あれは……」

 俺は遠くに見える1本の木に注目する。
 えらく太い木で、気になったのは幹に空いた穴だ。
 いよいよ枝分かれしようかという部分にかっぽりと空いた大きな穴。

 その穴に、ある生き物の巨大な巣があった。
 それを見た時から、ゲロマズワインを改良するならこれだ、と考えていた。

「――そんなわけで、今からあの巣を奪取する」

 巣を発見した時と同じ位置に立ち、遠くに見える巣を指しながら言う。

「いやいやいやいやいや!」

 アリシアは即座に声を荒らげ、首を横に振った。

「蜂の巣ですよ! 無理ですよ! たくさんの蜂がいますよ!」

 そう、俺が目を付けたのは蜂の巣だ。
 正確には、蜂蜜の原料でお馴染みミツバチの巣である。

「蜂は危険なんですよ! 同じ種でも個体によって毒性の差が凄くて、人によってはコロッと死んじゃうこともあるんです!」

 同じ種でも個体によって毒性に大きく差があるとは変な話だ。
 それだけの差があるならもはや別の種に違いない。
 しかし、俺にはアリシアの言っていることは理解できた。

 間違いなくアナフィラキシーショックのことを言っている。
 とはいえ、ここでそのことを説明するのは面倒だ。
 アレルギーとはなんぞや、というところから説明することになるからね。
 だから俺は、「分かっているさ」と適当に流した。

「遠目にもミツバチであることくらいは分かる。奪うのは造作もないよ」

 ひとえにミツバチと言っても種類がある。
 安物の蜂蜜で使われているのはセイヨウミツバチ。
 高価な蜂蜜で使われているのはトウヨウミツバチであることが多い。
 トウヨウミツバチとは、ニホンミツバチとも呼ばれる種のことだ。

 当然ながら種によって性格や毒性に差がある。
 だが、前方に見える巣の蜂が何ミツバチであるかは分からなかった。
 遠くてよく見えないというのもあるが、近づいてもおそらく分からない。
 パッと見て判断出来るのは養蜂家や蜂マニアくらいなものだ。

「巣を奪ってどうするのですか?」

 アリシアは幾分か冷静になっている。
 俺の落ち着いた態度が、彼女を落ち着かせていた。

「ゲロマズワインに変わる新たな酒――蜂蜜酒の材料にするのさ」

「ええええ、蜂の巣でお酒が造れるのですか!?」

 予想通りの驚き方をするアリシア。
 俺は「いや」と否定し、簡単に説明した。

「蜂の巣には大量の蜂蜜が貯まっているんだ。使うのはその蜂蜜さ」

「ほうほう……蜂蜜はどんな味がするのですか?」

「とんでもなく甘い」

「なんと!」

「レモン汁や塩と同様、調味料として使われることが多い。中には蜂の巣をバリバリ食うこともあるけどな」

「蜂の巣って食べられるのですか!?」

「食べられるよ。特にミツバチの巣は極上の美味さだ。腹の足しにはそれほどならないが、栄養価が抜群だから力が漲ってくる。日本でも蜂の巣は高級品として扱われていたよ」

「わぁー! それは食べてみたいです!」

「巣を食べるのはまた今度な――さて、雑談はこの辺にしようか」

 今はスポットの外に居る。
 地面に残った形跡を見る限り安全そうだが、それでも油断は出来ない。
 可能な限り素早く作業を済ませ、ササッと立ち去るとしよう。

「ミツバチの種によってはそのまま奪えることもあるのだが、正確な種が特定できない以上、念を入れて安全に進めていくぞ」

 ということで、俺達は風上に移動した。
 今の風向きは北風――つまり北から南に吹いている。
 だから、蜂の巣の北側に陣取った。

 蜂の巣も北向きに作られているからちょうどいい。
 もしも今が南風だったら、俺の攻撃は太い木に防がれていただろう。

「本当に大丈夫なんですか? すごくたくさんいますよ」

 巣との距離が近づいたことで、アリシアが再び不安がる。
 ミツバチの数は尋常でなく多いから、不安になるのは無理もなかった。
 俺にしたって、「刺されたらやばいなぁ」とは思っている。

「ま、大丈夫だろう。此処から仕掛けるからな」

 アリシアに背負っている竹の籠を地面に置かせた。
 籠の中をあさり、事前に用意していた道具一式を取り出す。
 火起こし関連のセットとヨモギの葉だ。

「ミツバチも蚊と同じで煙を嫌う。だからヨモギの葉を燃やしてやれば逃げていくさ」

 蜂は往々にして火と煙を嫌う。
 だからミツバチの巣を奪うなら煙をぶち込めばいい。
 ここでもヨモギの葉が活躍するというわけだ。

「よし、着火成功!」

「流石はシュウヤ君、早いですね!」

「アリシアも同じくらいの速度だろ」

「シュウヤ君に比べるとまだまだですよ」

 きりもみ式で火を起こす。
 事前に用意していた枯れ枝に火口を落とし込み、炎を生み出した。
 あとは着実に炎を大きくしていくだけだ。

「今回は大量の煙を短期間に燃やす。すると薪の組み方はどうするのがいい?」

「並列です!」

「その通りだ。ちゃんと覚えているな」

「もちろんです!」

 話しながら炎を育てた。
 最後にヨモギの葉をぶち込めば終了だ。

「そこらに落ちている葉も手当たり次第にぶっこむぞ!」

「はい!」

 まるで火事でも起きているかのような勢いで煙が出ている。
 煙は風下――つまり蜂の巣のある木へ向けて流れていく。

「シュウヤ君! 煙が邪魔で蜂の巣が見えませんよ!」

「最高じゃねぇか! もっと燃やせ! 燃やしまくれ!」

 蜂の巣に対して執拗に煙の攻撃を放つ。
 草木の燃えるバチバチ音に紛れて、蜂の怒声も聞こえてきた。
 よく見えないが混乱していることは確実だ。

「さーて、そろそろだな」

 ここで俺は秘密兵器を取り出す。
 野外生活をしていた時に欲しくて仕方なかったものだ。
 事前に工房で作ってもらっておいた。

「アリシア、俺は蜂の巣を奪ってくる。お前はここで煙を焚き続けろ!」

「分かりました! でもどうやって奪うのですか!? まさか素手で!」

「もちろん素手だ。しかし問題ない。俺にはコイツがあるからな」

 そう言ってアリシアに見せたのは秘密兵器の手袋だ。
 日本の物と違って伸縮性は微妙だが、何も着けないよりは遥かに良い。
 それを装着すると、武器である槍を手に持った。

「行ってくるぜ!」

「お気を付けて!」

 煙の中に突っ込んでいく。
 ほどなくして、槍の穂先が木に当たった。

「この木だな」

 煙の勢いは相変わらず半端ない。
 しかし、木のすぐ傍まで来ると、巣を視認することが出来た。
 手を伸ばしても届かない距離にある。

「新しく作った槍をこんな形で使うことになるとはな」

 槍を使って巣を取りだすことにした。
 穂先の石包丁を巣の外周に走らせ、穴から切り離す。
 それが済むと今度はほじくり出していく。

「クソッ、槍がもう1本あれば挟めるのに……!」

 巣を出す作業が順調に進まない。
 巣の位置が高い上に、槍が1本しかないから辛かった。
 もうそろそろ煙の威力が弱まり始める。
 早くしなければ。

「仕方ない」

 俺は槍を置き、木にしがみついた。
 かくなる上は木登りだ。

「木登りの練習をしていたのは正解だったな」

 知らない人はサバイバルと木登りが密接な関係にあると誤解しがちだ。
 しかし、実はサバイバルにおいて、木に登ることはそれほどない。
 木に登るのではなく、どうすれば登らずに済むかを考えるからだ。

 俺が木登りの練習をしていたのは、樹上で眠ってみたかったから。
 木の枝に座り、脚を伸ばし、幹に上半身をもたれさせて眠りに就く。
 そんなことをしてみたくて、木に登る練習をしていた。

「よし」

 木に登って蜂の巣を両手で掴む。
 間近で見ると凄まじい迫力に圧倒された。
 ツーンと甘い香りがするのもたまらない。
 こいつは極上だ。

「大丈夫ですかー?」

「大丈夫だ、今から戻る」

 煙で見えないが、周囲にミツバチがたくさん居るのは分かる。
 ブンブン、ブンブン、鬱陶しいくらいに喚いているからだ。
 しかしうるさいだけであり、襲ってくることはなかった。
 やはり煙がよく効いている。蜂対策は煙に限るぜ。

 蜂の巣を持ったまま地面に飛び降りる。
 その衝撃に驚いたのか、巣からミツバチが飛び出してきた。
 煙でかなりの数を減らしたが、巣の中にはまだまだ棲息している。
 想定の範囲内なので驚きはしない。

「アリシア、奪ったぜ、蜂の巣だ!」

「お疲れ様です――って、シュウヤ君、巣から蜂が出ていますよ!」

「分かってらぁ! 俺が運ぶから籠を貸せ!」

 アリシアの所へ戻ると、巣を竹の籠に放り込む。
 蜂がブンブン喚いているが無視して、籠を背負う。

「槍やら何やらは捨てておけ! ずらかるぞ!」

「はいぃぃ!」

 俺達はダッシュでその場を離脱した。
 なかなか強引な作戦だったが、これにて上質な蜂の巣をゲットだ。
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