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035 石鹸

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「これなら簡単に塩が集められるぜ!」

「塩があればイノシシの丸焼きも数倍美味くなる!」

「好きな形に作れておもしれぇ!」

「土器サイコー!」

 土器バケツは瞬く間に普及した。
 作るのが簡単だから、普及しないほうがおかしい。
 職人ではないのに自分で作っている者もいた。

「シュウヤ君、今日は何を教えてくれるのかな?」

 土器を作った翌日。
 昨日と同じく広場にて、スカーレットが尋ねてきた。
 その後ろでは、多くの職人が目を輝かせている。

「そうだなぁ……」

 出来ればゲロマズワインの改良を行いたい。
 だが、それは集落の改善とは異なる上に、職人の出番もない。
 改良は次の休日に行うとしよう。
 ――そんなわけで、俺が選んだのは。

「今日は石鹸でも作るか」

「石鹸?」

 首を傾げるスカーレット。
 なぜか胸がぼよよんと動いて俺の目を奪った。

「なにそれ?」
「聞いたことないね」
「興味あるー!」

 案の定、職人達は石鹸を知らなかった。
 この世界に存在していないものだから、知っていたら驚く。

「石鹸というのは、簡単に言うと汚れ落としだ。普通に水で洗うよりもしっかりと汚れを落としてくれる」

「しっかりと汚れが落ちる……あまり実感が湧かないなぁ」

 土器の時と違い、スカーレットは微妙な反応。
 職人達も「言うほど今って汚れてないよね」などと渋い反応。

「体験してみれば分かるさ」

 石鹸が喜ばれることは確信していた。
 というのも、今の俺自身が石鹸を欲しているからだ。
 どれだけ丁寧に洗っても、水だけでは身体のベトツキがとれない。

 石鹸を使えば、こびりついた身体の汚れが落ちる。
 その時の爽快感を体験すれば、必ずや感動するに違いない。

「石鹸は貝殻とヒバマタと呼ばれる海藻で作るんだ」

「あー、それで貝殻と海藻を集めていたのね」

「そういうこと」

 スカーレットが納得する。

 実は昨日、俺は貝殻とヒバマタも集めていた。
 海水を汲んで集落へ戻り、火魔法でささっと塩を抽出した後だ。

 ヒバマタを集める作業は少し怖かった。
 海の中に入らなければいけないからだ。

 海には危険な生物がたくさん棲息している。
 それは鮫のような分かりやすい存在とは限らない。
 鮫はまだ優しい方で、クラゲやウミヘビの方が危険だ。
 ゴーグルを持っておらず視界が悪いのも拍車を掛けていた。

 それでも海に潜ったのはヒバマタが欲しかったから……ではない。
 この世界の海には何があるだろう、という好奇心に勝てなかったのだ。
 ヒバマタの回収は、どちらかというとオマケである。

「貝殻はおおよそ何でもいいんだけど、海藻はヒバマタが望ましい」

 そう言って土器バケツからヒバマタを手に取る。
 ヒバマタはうぐいす色や抹茶色と呼ばれるような緑褐色の海藻だ。
 日本では馴染みないが、イギリスでは遥か昔から使われている。
 ヒバマタのハーブティーというものも存在するくらいだ。

「見ての通り材料の調達は済んでいるから、サクッと石鹸を作っていくぜ」

 石鹸の作り方は簡単だ。
 貝殻とヒバマタを焼いて水と脂を混ぜれば完成する。
 手作業ですると面倒だが、魔法を使えば苦労はしない。

「貝殻だが、焼いた後にこうやって砕く必要がある」

 説明しながら手本を見せた。
 土器に入っている貝殻を火魔法で焼き上げる。
 カリッカリに焼き上げたら、適当な棒を槌に見立てて砕く。

「こうして出来た貝殻の粉に水を混ぜる」

 水魔法を発動。
 手のひらから湧いて出た真水が貝殻の待つ土器へ入る。

「そして焼いたヒバマタを此処に混ぜる」

 貝殻と同じ要領でヒバマタを焼き、説明通りに混ぜる。
 科学的に言うと、水酸化カルシウムと炭酸ナトリウムを混ぜた。
 それによって生まれるのは水酸化ナトリウムだ。

「最後に油を混ぜ、適当な容器に移して固めれば完成だ。容器はなんでもいいから、土魔法で好きな形の物を作ればいいと思うよ」

 容器もそうだが、油の種類もなんだってかまわない。
 オリーブオイルでも、ココナッツオイルでも、ラードでも。
 ただ、使う油によって完成後の質感が大きく異なる点は留意しておきたい。

 今回は複数の油を組み合わせた。

 1つは集落に備蓄している猪から抽出したラード。
 ラードは日本語で豚脂と書く通り、豚から精製した食用油脂だ。
 だが、猪は豚の祖先なので、猪からもラードを作ることが出来る。

 ラードだけだと泡立ちが微妙だ。
 そこで泡立ちを良くする為、ココナッツオイルを混ぜた。
 ココナッツオイルは海へ向かう道中にあるココナッツの実から抽出。
 手作業だと発狂しそうなくらい面倒な作業だが、魔法を使えば楽勝だ。

「量産するならココナッツオイルを混ぜる必要はない。此処には膨大なラードはあるものの、ココナッツオイルは全くないからな。今回は最上級のクオリティを見せる為に使わせてもらった」

「アピール用ってわけね」

「そういうこと。だから更に一手間加えさせてもらう」

 本来なら油を混ぜた時点で作業終了だ。
 しかし俺は、ここにもう一手間加えることにした。

「こいつを使う」

 俺が取り出したのは緑の粉だ。

「なに? それ」

「ヨモギパウダーさ」

 ヨモギパウダーとは、乾燥させたヨモギの葉を粉々にしたもの。
 手作業でも楽に出来るが、魔法を使えば驚く程の短時間で作れる。

「こいつを混ぜることで石鹸に香りを付けるわけだ。別にヨモギパウダーじゃなくてもかまわない。例えば乾燥させたスライスレモンを粉々にして作ったレモンパウダーを混ぜるのもいい」

「油のチョイスや香りの付け方で腕が問われるわけね」

 スカーレットが目をぎらつかせた。
 技量の見せ場があると分かってテンションが上がったのだろう。
 職人たるもの安易な量産型は好まないというわけだ。

「石鹸作りで難しいのは油の選定だ。油によって混ぜる水酸化ナトリウム……つまり貝殻とヒバマタと水を混ぜて作ったドロドロの量が異なるんだ。その辺は自分達で調整して適量を見極めてほしい」

 ワンポイントアドバイスをしたところで石鹸が完成。
 日本だと爺さん婆さんが好みそうなヨモギの香りがする代物だ。
 形は日本でよくある手のひらサイズの箱形。

「これが石鹸だ」

 手に石鹸を持ち、実際に使ってみせる。
 魔法で濡らした手で石鹸を触り、泡を立てていく。
 ココナッツオイルのおかげで市販品に劣らぬ泡立ちとなった。

「なにこれ!? シュウヤ君の手から泡が出てきた!?」

「石鹸の泡さ」

 首筋や耳の裏など、特に汚れている部分に触れていく。
 泡を纏った指で軽く撫でると、ベトツギが一瞬にして消えた。

「私もやってみていい?」

 職人を代表してスカーレットが尋ねてくる。
 俺は快諾し、石鹸を差し出した。

「わお! 皆、これ凄いよ! 肌が綺麗になっていく感じがする!」

 スカーレットは初めて使う泡に大興奮だ。
 いつもの妖艶な感じではなく、無邪気な子供のように喜んでいる。
 他の職人達も次々に石鹸を使用しては同じようにはしゃいだ。

「いかがかな? 石鹸の実力は」

 ドヤ顔で尋ねる俺。

「これは駄目だよシュウヤ君」

 スカーレットから返ってきたのはまさかの言葉。

「駄目?」

 眉間に皺を寄せて尋ねる。

「こんな物の存在を知ってしまったら、もう石鹸のない生活に戻れないじゃない!」

「そっちの意味の駄目だったか」

「ふふっ、この石鹸、すごく気に入ったわ」

 こうして集落に石鹸が普及するのだった。
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