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026 急変

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 そろそろ風呂が恋しくてたまらないなぁ。
 そんなことを考えながらキノコの串焼きを食べていると。

「シュウヤ君、今日はどうしますか?」

 アリシアが尋ねてきた。

「そうだなぁ……」

 野外生活も今日で5日目になる。
 この拠点で過ごす日々も今日と明日でおしまいだ。
 集落に戻るのは明後日こと7日目の夕暮れである。

「よほど酷い暴風雨でも訪れない限り勝ち確みたいなものだしなぁ……」

 俺達は既に最終日まで凌ぐだけの物資を備蓄している。
 食料も、水も、焚き火維持する燃料も問題ない。

 屋根の手前……物を置いてある場所の側面には壁を作った。
 枝を立てて土や葉っぱをかぶせたものだが、多少の風なら凌げる。

 正直、あとは寝て過ごすだけでかまわなかった。
 とはいえ、今は実力を証明する場なので、休んでもいられない。

「適当に近くの散策でも行うか」

「散策ですか」

「メシの種になるような獲物が棲息しているかもしれないし、はたまた知らない害虫や害獣が棲息と遭遇するかもしれない。キノコを採取しがてら、そういう新しい発見を期待しよう。で、頃合いを見て川に仕掛けた罠を回収して帰ってくる。今日の活動はそんなところかな」

 要するに現状維持だ。
 期日を考えると他にすることもない。

 自画自賛になるが、これでも十分に思えた。
 たった数日で野外生活を安定させたのだから大したものだ。
 拠点の場所からその後の生活まで、何の問題も生じていない。
 自己採点では100点満点の高評価だ。

「シュウヤ君、質問いいですか?」

 散策しているとアリシアが話しかけてきた。
 俺は「いいよ」と返しながら、目の前にあったエリンギを回収。
 それをアリシアの背負う籠に放り込んでから、改めて用件を伺った。

「どうした?」

「もし、もしもですよ。もしも野外生活の期間がもっと長くて、例えば1ヶ月とかであれば、今日の予定はどうなっていましたか?」

「その場合は保存食の確保だな。キノコは生えている状態で1~2ヶ月、採取した後の状態だと1週間ほどで食べないと品質が不安になる。だから、もっと長持ちするメシの準備に奔走するよ。例えば燻製とか」

「燻製……。昨日も言っていましたよね。燻製って何ですか?」

「どう説明するといいかな……」

 ここで辞書に載っていそうな燻製の定義を話しても意味がない。
 アリシアが求めているのはそういう答えではないからだ。
 しばらく考えてから、俺は説明を再開した。

「例えば昨日、俺達はヤマメを食ったよな。あの時、俺は焚き火の横に串を立てていただろ?」

「はい」

「燻製にするなら、焚き火の横ではなく上に吊すんだ。それで、ただ焚き火で炙るのでなく、焚き火から出てくる煙も当てるんだ」

「煙を当てるのですか」

「おうよ」

 アリシアはしきりに「ふむふむ」や「ほうほう」と呟く。
 おそらく彼女の脳内では、俺の説明通りに燻製作業が行われているのだろう。

「この煙を燻煙と言ってな、燻煙には殺菌成分が含まれているんだ。その殺菌成分がヤマメに付着し、更に焚き火の炎によって水分が飛ばされることで、腐るまでの時間をグッと伸ばしてくれる。燻製をしていないヤマメは1日ないしは2日で食べないと腐りかねないが、燻製にすれば1ヶ月以上も長持ちする」

「そんなにですか!? 凄い!」

「だろ? そんなわけで、野外生活の期間がもっと長かったら燻製を作っていただろうな。今の説明でも分かると思うが、拠点にある環境で燻製をすることが出来るからね」

「シュウヤ君のお話を聞いていると、本当にずっとスポットの外で過ごせそうな気がしてきますよ」

「サバイバル能力を高めたらずっと外で過ごせるようになるよ」

 そこから更にこう続ける。

「というか、アリシアは既に大丈夫なんじゃないか」

「えっ、私、外でずっと過ごせるんですか?」

「それだけの能力は備わっていると思うよ。俺に比べるとまだまだ知識不足だが、寝床を作ったり火を起こしたり出来て、更に食糧の確保も出来るわけだし」

 アリシアはこの短期間で急成長を遂げている。
 必要最低限の知識と能力を有しているから、それなりに外で活動出来るはず。
 キノコや果物が豊富な集落の周辺であれば、持続的な生活だって見込める。

「話は変わるけど、ここからどうする? 魚か果物か」

 俺達は今、支流と果物エリアのちょうど分岐点に居た。
 一方は川の支流に仕掛けた罠へ、もう一方は果物エリアへ繋がっている。
 拠点から徒歩15分程の地点だ。

「お魚さん! 罠の確認に行きましょう!」

 アリシアは即答だった。

「罠に必ずしも魚が掛かっているとは限らないのに強気だな。その心は?」

「ヤマメ以外のお魚さんも食べてみたいからです!」

「ははっ、なるほどな」

 実にアリシアらしい答えだ。
 食に対してどこまでも貪欲で、好奇心に満ちている。
 もしも逆の立場だったら、俺も同じようになっていたのかな。

「なら罠の確認に行こうか」

「はい! 今日は何のお魚さんかなー♪」

 満面の笑みを浮かべるアリシアを一瞥して先に進む。
 足下にヘビやサソリが居ないかを確認しながら慎重に。

「「あっ」」

 異変が起きたのはそんな時だった。
 俺とアリシアが同時に気づく。

「シュウヤ君!」

 切迫した声のアリシア。
 俺も同じような状況だ。

「ああ、これはまずい、まずいぞ」

 2人して同時に踵を返す。

「川は中止! ダッシュで帰るぞ!」

「はい!」

 俺達は全力で駆け出した。

「おいおい、いつの間に曇ったんだよ」

 空を見上げる。
 ポツ、ポツ、ポツ……。
 1粒、また1粒と、空から水が降ってくる。

 ――雨だ。

「クソッタレ! よりによって拠点から少し離れている時に!」

 まさに青天の霹靂だ。
 先程まで綺麗な青空が広がっていた。
 それが今や暗雲が立ちこめ、雨が降り始めている。

 雨の勢いは強まるばかりだ。
 最初はポツポツだった雨の音は、いつしかザーザーに。

「ふぅ……ギリギリセーフか。いや、アウトか」

「どうしましょう、シュウヤ君。濡れちゃいましたよ」

「とりあえず暖を取ろう」

 どうにか拠点に戻ってきた俺達。
 服の濡れ具合はそれなりといったところだ。
 ビショ濡れとは言いがたいが、湿った程度とも言えない。

 体温だけで服を乾燥させるには少し厳しそうだ。
 ただ、焚き火を囲っていれば問題ないように思えた。
 やはりギリギリセーフといったところ。

 ザー! ザー! ザー!
 ザー! ザー! ザー!

 身体を暖めている間も雨は強まっていく。

 ドドドドドォ!
 ゴゴゴゴゴォ!

 遠くでは雷鳴も轟いている。

「雷雨だけならまだマシだが、これで風も加わるときついな」

 俺がそう呟いた次の瞬間、風が強まった。
 まるでこちらの声が聞こえていたかの如きタイミングで。

 勢いは強まっていく一方だ。雨も、風も。
 通り雨というよりは、台風が接近しているような感覚。

 焚き火の炎が不安定になる。
 昨日作った壁のおかげでどうにか耐えている印象だ。

「これ、ひょっとしたらまずいかもしれないな」

 勝ち確と思われていた野外生活に緊張が生まれた。
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