ヒキアズ創作BL短編集

ヒキアズ

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101~110

(101)シスコン貴族と妹の彼氏の王子様

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 妹の影武者としてデートに行くことになったハル。適当に嫌われるような言動をした後で、相手が隣国の王子様だと気づき……。
 妹の彼氏の王子様×シスコン貴族
 仕事バリバリなくせに案外天然なシスコン兄が好きです!
 現代とファンタジーと中世が混じった感じの世界観(は?)。ハイテク機器は魔法で動いてます。

タッカーア=ハル:タッカーア家長男。父より有能。将来有望(といっても恐らく既に二十代。前半か後半かはご想像にお任せしたい)。だが、如何せんシスコンっぷりが酷過ぎる。
タッカーア=ウララ:可愛い。わがまま。兄と父は手駒! 結婚なんて冗談じゃない!
イムーサ=カンロ:イムーサ国の王子様。幼い頃、ウララに一目惚れをしたらしい。基本何でもできちゃう完璧王子。
イムーサ=ユフ:カンロの弟。兄にコンプレックスを抱いているので生意気に育ってしまった。後編で出てくる。
 ネーミングは、春うらら冬寒露、暖かい寒い(名字ダサすぎ問題ある)。
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「お願い、ハル兄~! 今日だけでいいから、ウララの影武者になって~!」
「ん……?」
 我が愛しの妹タッカーア=ウララは美少女だ。その亜麻色の髪と瞳は誰が見ても愛らしく、花の妖精と見紛うほどの可愛さ、そして美しさを兼ね備えている。
「お兄ちゃんなら魔術で私に成りすますこと、簡単にできるでしょ? だからね、私の代わりにデートに行って欲しいの!」
 可愛さ故に、皆から甘やかされ、少々我儘な面もある。だが、彼女の可愛らしい声でお願いされてしまえば、誰でも首を縦に振ってしまうというものだ。
 だが。俺は彼女の兄だ。故に、彼女を甘やかすだけが最善ではないと心得ているので、落ち着いた声で聞き返す。
「デートって……?」
「この前お見合いした人とデートに行く約束なの! でも、私は他に用事があるから!」
「他の用事?」
「うん。友達の誕生日パーティーに呼ばれてて」
 なるほど。だからいつも以上にフリルたっぷりの可愛らしいドレスを着ているわけだ。若草色のドレスを纏ったウララはさしずめ春の妖精さんと言ったところか。
「ええと。だったら、先方にも正直にそう話して、デートの日取りを改めて貰えばいいんじゃないか?」
「ん~。私だってパパにそう提案したのよ? だけど、パパが絶対行けって言うんだもん。嫌になっちゃう」
「……全くあの人は」
 ぷくりと頬を膨らませたウララを心のアルバムに仕舞いつつ、父親に怒りの矛先を向ける。
 ウララに結婚はまだ早いというのに、最近の父はやたらウララにお見合いをさせたがるのだ。勿論、そんな父親に俺は反発しまくっているのだが、お見合いを取り潰すまでには至れなかったわけで。
「不甲斐ない……。そんなに俺じゃあ跡取りとして頼りないだろうか……」
「いや、お兄ちゃんは優秀すぎるでしょ。これ以上政略結婚で名声欲張るパパの気がしれないよ」
「ウララ……」
 自分だって相当不満があるだろうに。俺に気を遣ってくれるなんて……。やはりウララは天使だ……。
「てことで。もうすぐ迎えが来るはずだから、お兄ちゃん、早く私になって?」
「わかっ……、いや。お前な、成りすますのは良くないぞ? うん」
 天使のおねだり首傾げポーズに危うく頷きかけた首を横に振り、出来るお兄ちゃんモードを保つ。が。
「お願いっ、今回だけだからっ。お兄ちゃん、駄目……?」
「う……。それは……」
 狡い。そんなに目を潤ませてせがまれたら、俺は、俺は……!
「ぐ……、じゃあ今回だけ、だからな……!」
 ぱちり。指を鳴らし、自らの体に魔術を施す。
「さっすがお兄ちゃん! ほんとすごいよ~! 大好き、お兄ちゃん!」
「そ、そうか?」
 ウララに抱き着かれて心がほわほわに和む。鏡に映るのはウララとウララ。なんて目の保養!
「じゃ、お兄ちゃん。私の代わり、お願いね! ばいば~い!」
「あ~。マズイ、このパターン何度目だ……?」
 脱兎の如く逃げ出したウララに手を振ってしばらく、後悔が押し寄せる。
 俺は、またまんまと“今回だけのお願い”を受け、ウララを甘やかしてしまった……。
「はあ……。一生のお願いと今回だけのお願い、俺はあと何回受けなきゃなんないんだ……?」



「あ、ウララちゃん。こっち」
 ウララから来たメールに従いカフェに入ると、すぐさま声を掛けられた。
「えっと。遅れてすみません……」
「大丈夫。僕も今来たところだから」
 爽やかにそう告げた青年は、微笑みながらウララのために椅子を引いた。
 ガメつい父のことだから、もっと財を持て余してる脂ぎったオッサンを候補に選んでるんだと思ったが。案外意外。ウララと同じ年頃の好青年を選んだらしい。
 ただし、一つ問題がある。
「あの~。どうしてそのようなサングラスをお召しに……?」
 そう。彼の好青年ぶりはスタイルや服装を見ればわかる。きっと顔も悪くないはずだ。なのに、どういうわけか彼は年齢にそぐわない厳ついサングラスで目を隠しているのだ。
 まさか、後ろめたい事情でもあるんじゃないだろうな……。
「あ~。コレ? まあオシャレみたいなもんだよ」
「おしゃれ……」
 まさか、本気で言ってるわけじゃないよな……?
「でもさ。この前、ウララちゃんが褒めてくれたよね、このサングラス」
「へっ?」
 まさか、本気で言ってるわけじゃ、ない、よな……?
「あれ。もしかして忘れちゃった?」
「まっ、まさか~! 覚えてます~。私、ばっちり覚えてますよ~!?」
 まさか! ウララがこんなグラサン野郎を褒めただなんて! 許せん。許せん……!
「あ~、でも~。私、やっぱりカフェにサングラスはないかな~って思いますけどねッ!」
 許せんあまりに、つい刺々しい言葉をグラサン野郎に突き刺してしまう。が。
「はは。僕もそう思うけどね~!」
 何が面白いんだ、クソガキ……!
 へらへらと笑う青年にふつりと怒りが込み上げる。
 だったら外せよ! こんな奴と一緒に居るウララが可哀想だと思わんのか!
 ああ、こんな得体の知れない男にウララをくれてやることはない……!
『お待たせしました。ホットコーヒーです』
「え。私、まだ頼んでませんけど?」
「あ、大丈夫。そろそろかなって思って僕が先に頼んでたんだよ。ここのお店、淹れ方に拘ってるから時間かかるんだ。でもその分美味しいから、飲んでみてよ」
「ふ~ん」
 紳士らしい気遣いは一応できるという訳か。まあ、それぐらいのこと、貴族として出来て当たり前だが……。
「あ、ほんとだ……」
「ね、美味しいでしょ?」
 確かに、コーヒーは美味しかった。が、残念ながらウララは苦い物が苦手だ。見合い相手の好みもわからないとは、やはり信用に値しない。
 こうなればアレだ。ウララには悪いが、この際嫌われるように仕向けてやろうじゃないか。こんな信用できない男、お兄ちゃんの手で手っ取り早く別れさせてやるぞ……!
「さて。じゃあそろそろ買い物でも行こうか。ウララちゃんのためなら、何でも買ってあげるよ?」
「結構です。私は物で釣られるような女じゃありませんので」
「え~? でもこの前、新しいドレスが欲しいって」
「ぐ……」
 ウララの奴、そんなことを……? 俺に言ってくれればいくらでも出すっていうのに……!
「あ、もしかして遠慮してるの? 大丈夫だよ。こう見えてお金ならたくさん持ってるし」
「別に、お金ならタッカーア家も事足りていますので。それに、貴方のような浅はかな人間と一緒にショッピングだなんて、一ミリも楽しくありません」
「え~? ウララちゃん、なんか急に冷たくない?」
「本心ですけど? そういうわけなので、今日はこれで帰らせていただきますね」
「あれ~。もうデートはお終い?」
「ええ。お終いです。そして、今後は二度とお会いすることもないでしょう」
 コーヒー代をテーブルに置き、ワンピースの裾を翻す。
 こんな怪しい青年、二度とウララに近づけるものか。父がどういうつもりなのかは知らないが、やはりもっと積極的に縁談に口出ししていかなければ……。
「ん……?」
 カフェを出たところで携帯電話が鳴る。この着信音、ウララからだ……!
「ウララ、どうした~?」
 秒で電話を取った俺は、冷や汗を掻きながらウララの機嫌を伺う。
 まさか、わざと嫌われようとウララの印象を下げたことがバレたんじゃないよな……?
『あ、お兄ちゃん! デートはどんな調子?』
「あ、ええと。うん。概ね順調だぞ~?」
『そう。良かった。実はね、大変なことに気づいちゃって……』
「大変なこと……? って、うぶっ」
 ウララの可憐な声の陰りに気を取られ、前方不注意。前から歩いてきた巨漢にぶつかり、その腹クッションで華奢なウララの体が見事に押し返されて尻餅をつく。
「痛テェな。どこ見て歩いてんだよ、姉ちゃん!」
「あ、えと。すみませ……」
「おい、コイツの身なり! 金持ってそうだぜ!」
「うわ。ほんとだ。お嬢ちゃんサア、悪いと思ってんなら慰謝料、払ってくれるよなァ?」
『お兄ちゃん? カンロさん、そこにいるの? とにかく、絶対に怒らせたら駄目だよ?』
 カンロ? あのグラサンの名前か? どっかで聞いたような名前だが、今は心底どうでもいい。巨漢とその仲間たちに囲まれて、如何にもピンチって感じだ。
「お嬢ちゃん、お話聞いてる? 聞いてくれないんだったらさァ」
「力づくでも構わないよなッ!」
 下衆どもが。ウララのような可憐な少女に吹っ掛けるなんて、許せん。
「クソどもが。一体どう料理してくれようか――」
「ウララちゃん、下がって!」
「は?」
 バキッ。
「ぐあッ!」
 風のような速さで巨漢に回し蹴りを喰らわせた青年に目を見張る。
「何すんだ、クソガキ!」
 男の拳が青年の顔面を狙う。が、青年はそれをギリギリで躱し……。
「チッ。それはこっちのセリフだよっと!」
 見事に男を投げ倒す。と同時に、男の攻撃でズレたサングラスが地面に落ち……。
「嘘だろ……?」
『お兄ちゃん! あのね、落ち着いて聞いて。その人、実はね……』
 青年の素顔には見覚えがあり過ぎた。それは男たちも同じだったのだろう。
「ひ、ヒィッ! に、逃げろォ……!」
 そそくさと逃げ出す男たちを見つめながら、己の行いを思い返して血の気が引く。
「怪我はないかい? プリンセス」
「カンロ、王子……」
「あ、バレちゃった?」
『そうなの! その人、隣の国、イムーサの王子様なんだって!』
 ウララの声をぼんやりと聞きながら、手を差し伸べて笑う王子様を見て眩暈がする。
 まさか。サングラスをつけていたのはトンチキファッションではなく、身分を隠すためだっていうのか?
 冗談じゃない。俺は、とんでもなく失礼な発言をしてきたんだぞ……?
「ふふ。ウララちゃん僕のこと知ってたんだ」
「え、ええ。まあ……」
 多分、本物のウララは王子のことを覚えてなかったことだろう。彼女はとにかく人の顔と名前を覚えない。流行のブランド名なんかは一発で覚えるっていうのに、だ。……まあ、そこがなんとも可愛らしいところでもあるんだが。
 今回の事だって、お見合いの席でサングラスを掛けていた訳ないだろうし、名前だってウララには教えていたはずだ。
『ごめ~ん、お兄ちゃん。私、パパから王子の資料貰ってたし、なんかくどくど言われてたんだけど、全部スルーしちゃってた! てへ。んじゃ、私、そろそろパーティー始まっちゃうから、切るね~!』
 一方的に会話を終わらせ、電話を切ったウララに頭を抱える。
 ウララ……。光景が目に浮かぶぞ……。必死に説得を試みる父の横でソファに寝そべってブランドカタログを見ているウララの姿が。なんて無邪気な小悪魔なんだ……。
「ウララちゃん?」
「あ~。えっと、その~」
 心配そうに顔を寄せてくる王子に顔を引きつらせる。
 どうする? 俺は散々コイツのことを罵ったぞ……? 今からでも媚び売っとくべきか? いやでも、一国の姫なんて大役、ウララに背負わせたくないし……。そもそもそんな面倒なコトを父が企んでいると気づいていたら、命を賭してでも止めていたというのに……。だって、そうだろう? そりゃ、お見合いの件だってまあまあ全力で潰しにかかってたけど命まで賭けてなかったのは、いざとなれば金や脅し諸々で諦めて貰おうと思っていたから、だ。だが、一国の王子様相手にそんなこと……できるわけが、ない!!!
「でも、ほんと嬉しいな。君は僕のこと、忘れちゃってるんだって思ってたから。僕はね、
君のこと、ず~っと前から想ってたんだよ? だからね、ウララちゃんがお見合い相手を探してるって話を聞いたとき、チャンスだって思ったんだ」
「えっ?」
 確かに、ウララがまだ十にも満たない幼女の頃、イムーサで行われたパーティーに参加したことがある。そういえばあの王子、妙にこっちを見ていた気がする……! まさか、この王子がそんな前からウララに目をつけていたなんて。幼いとはいえ、もっとウララのことガードしておくべきだった!
「パーティー会場のたくさんの貴族の中、一際美しく麗しい君を見つけた時から、僕は決めていたんだ」
「あ、あの……?」
 俺の手を取り、目を煌かせた王子に眩暈がする。
 やめろ、マセガキ……! 絶賛青春トキメキ中みたいな顔はやめろ……!
「僕の人生を君に捧げたい! どうか、僕と付き合ってください!」
 さあっ。
 光属性の煌きスマイルと王子様らしい手の甲へのキスコンボに寒気を覚え、鳥肌を擦る。これ、多分、女だったらイチコロのやつだ……。
「あれ、どうしたの? 顔が青いよ?」
「ご、ごめんなさい……! 私、体調が悪いから、帰りますッ!」
「あっ、ウララちゃん?!」
 呼び止める王子に目もくれず、シンデレラよろしく一目散に逃げ帰る。
 相手が王子だろうと知ったことか。ウララは絶対に渡さん……。ウララがこの王子スマイルに騙されてしまう前に、何とかしなければ……。



「お願い、ハル兄~! 明日だけでいいから、ウララの影武者になって~!」
「デジャヴなんだが……?」
 うるうると揺れる瞳で祈るように手を組んだウララから目を逸らす。
 ウララが俺をハル兄と呼ぶとき、その大抵が重要なおねだりをするときなのだ。
「まさか、またあの王子様と……?」
「うん、そのまさか。パパがお兄ちゃんにバレないように、ウララにも内緒で計画してるらしいんだけどね――」
 ウララの話を要約すると、ウララは明日、父とショッピングに行く予定らしい。父から何でも好きなだけ買ってあげる、と誘われたそうだ。が、それは罠、全くの嘘で、実際はイムーサの城に行く予定らしく。そこで第二回カンロ王子との交流を深めようデートが執り行われるのだと言う。
「道理で俺は父さんの代わりに、行かなくてもいい遠方の会議に行かされる訳だ」
「ね。パパってば酷いでしょ?」
 確かに酷い。何かある気はしていたが、まさかウララから引き離すための遠出だとは。
「王子が私なんかを気に入るはずないのに。お金の為に無理なご機嫌取りなんて絶対に嫌!」
「や、ウララは十分なほど気に入られてるけどな……」
「はは。ないないない! だって私、王子様の顔も名前も覚えてなかったし! 気に入られるほどのこと、してないもん!」
 やっぱり王子のこと覚えてなかったんだな、ウララ……。いや、だがしかし。ウララがそうでも、あっちはバッチリ一目惚れをしていた訳で……。
「え~っと。お兄ちゃんとしては言いたくないんだけど、もし……、もしもウララがあの王子とけっ、けけ、は~、すぅ~、結婚……! したいと……、思ってるならっ……、お兄ちゃんは、応援、ッ……する、けどォ……?」
 心の中で血の涙を流しながら、表では良いお兄ちゃんの顔を微笑みながら保つ。……いや、ちゃんと保てているかは疑わしいが。
 勿論、ウララが結婚するのは嫌だし、一国の姫になるのは死ぬほど心配だが、考えてみればあの王子、決して悪い物件ではないのだ。
 むしろ、女の子ならば一度は憧れる理想のシンデレラロードであることは百も承知。どうせ結婚してしまうのならば、一番良い道を、選ばせてやるのが、兄心ッ……。
「いや、パスで。そりゃあさ、結婚できれば最高だけど。愛されないんじゃ意味ないもん」
 私自身、恋とかそういうのまだわかんないし、と付け加えたウララに尊さを覚える。
 ウララ、なんて穢れのない天使なんだ……。
「いや、でも! いずれはウララも結婚させられてしまう。ならばッ、せめてッ、優良物件を……ッ」
「あ~、もう! お兄ちゃんまでパパみたいなこと言わないでよ! とにかく! 私、明日はバレないように友達の家で遊ぶことにするから! お兄ちゃんは私の代わり、よろしく!」
「あ、待て、ウララ……!」
 可愛く頬を膨らませたウララは、得意の転移魔法であっという間に消えてしまった。
 うう……。俺は、一体どうするべきだろうか……。
 心の中で悪魔が囁く。「このままデートをすっぽかしてしまえば、きっと王子の好感度も下がる。ただでさえこの前の暴言でウララへの評価も下がったはずだ。相手の恋を冷ましてしまえ! 今のウララは恋に興味がない! だったら、この話を流してしまっても問題はないはずだ! それに、ウララに恋人ができるなんて耐えられないだろ!?」
 心の中で天使が囁く。「ウララの将来のことを思えば、おのずと答えは出るはずだ。ひとまず、己の発した暴言は己で繕うべきだろう。ウララがその気になるまで王子をキープしておくだけでもいい。成り替わって王子が本当にウララに相応しいのか見極めることも重要じゃないか?」
 ぐ……。圧倒的に天使側の言い分が理に適っている……。
「うぐぐ……。ウララ……。お兄ちゃん、もう少しだけ、頑張るよォ……」



「じゃ、ウララ。上手くやるんだぞ! ディナーまでには迎えに来る」
 血の涙を流しつつウララに化けた俺は、わざと父に騙され、イムーサの城で放置を食らう。勿論、俺が承った遠方会議は、行ったフリだけして欠席をキメだ。
 はあ……。クソったれジジイめ……。こんな計画まで立てやがって。せめて俺に一言相談してくれれば……。
「さて、ウララちゃん。今日はウチでゆっくりしていくといい」
「あ、はは~。ありがとうございます~」
 目の前に跪き、手の甲に口づけを落としてくれた王子に吐き気を催しつつ、何とか笑顔を保ってみせる。
 それにしたって、随分と廊下が広い。置いてある絵や骨董品の一つ一つが桁外れの財を物語っていて、流石の俺も手を引かれるがままに恐々と歩くより他がない。
「ほんとに王子なんだな……」
「ふふ、君もすぐにお姫様になるんだよ?」
 ぞわ。つい漏れ出た言葉に返ってきたそれは、余りにもアレすぎて……。
 怖い。怖い怖い怖い……。いや、女性ならばきっとここでときめくなりするのだろう。が、残念ながら男である俺にとって、それは得体の知れない恐怖でしかなく……。
「はは。ウララちゃん照れてる? ごめんね、つい本音が漏れちゃった」
 ごめんで済んだら弁護士はいらない……! やはりこの男、気障すぎる……。女たらしの可能性大だ! ウララが浮気される未来など……考えたくもない!
「さ、着いたよ」
「ん?」
「ここが僕の部屋。どうぞ入って」
「へぇ」
 招かれるまま足を踏み入れた部屋はだだっ広くて、洒落たアンティークが品良く置かれていた。
 中々落ち着く部屋だな。部屋の趣味はいいらしい。
「へぇ、じゃなくてさ。ウララちゃん」
「はい~?」
 うわ、この小説! 絶版になってるやつ! めちゃくちゃ探したけど、どこにもなかったやつ! 待て、こっちのもそうじゃないか?! てか、シリーズ揃ってない? え、楽園……?
「ウララちゃんってば!」
「んわ!」
 本棚を物色する手を取られ、くるりと正面を向かされる。
 あ、マズイ……。勝手に触ったから、怒られるか……?
 とすっ。軽く押され、背中が本棚につく。
「ん……?」
 この状況、なんか……。
「ウララちゃんさ、男の部屋に易々と入るなんて」
「は?」
「意外と積極的なんだね」
「ッ……!」
 耳元で囁かれた後に、親指で唇をそっと撫でられる。その仕草があまりにも甘ったるくて……。
 完全に間違った! そうだ! 絶対こんな野郎の部屋にウララを入れちゃいけないのに! 完ッ全に査定のノリで部屋物色してた!!
「ふふ。緊張してるの? ウララちゃん」
 くそ、コイツ、調子づきやがって! わざわざ囁くな! 殺す! 殺す……!
「そんなに固くならないでいいよ。あんまりにも無防備だからちょっと揶揄っただけ。今日は君に見せたいものがあるんだ」
 見せたいものってなんだ……? まさか、如何わしいものじゃなかろうな!?
 腰に手を回された瞬間、いよいよ殺意が頂点に達する。
 ウララに気安く触るな……!
 ハァ、ハァ……。これは、もうアレだろ……。魔法、使ってもいいよな……? もしくは、今すぐ元の姿に戻って……。
「ほら。こっち」
「うわっ」
 極度の精神疲労に見舞われている隙に正面から抱き着かれ、足が床から浮く。抱き上げられたのだ。そして、抵抗するより早く、くるりと視界が反転して……。
「はい、どうぞ」
「え?」
 目を開くと窓の前に立っていた。そこから見える夕焼けは、息を飲むほど綺麗で……。
「この景色、すごいでしょ? 君に見せたいなって、ずっと思ってたんだ」
「け、景色?」
「あれ、もしかして、他のこと期待してた?」
「い、いえ、そんなことは~」
 コイツ、にやにやしやがってムカつくな!
 でもまあ、確かにこの景色は綺麗かもな。俺だってウララに見せてやりたいと思うな、これは。
「気に入ってくれた?」
「……まぁ」
「僕と結婚したら、いつでも見れるよ?」
「あはは~」
 相変わらずの気障っぷりには辟易するが、ウララと二人っきりだというのに手を出さないところは評価してやってもいいかもしれない。
「ねえ、じゃあさ。僕のことは気に入ってくれた?」
「え……?」
 夕焼けに照らされた王子の金髪が風に揺れる。撫で心地のよさそうな髪だな。それに、なんて優しい目だろうか……。ウララのこと、本気で想っていることがよくわかる。
「でも、私は……。先日とても失礼なことばかり言いました。それに、貴方のこと、覚えてませんでしたし……」
「そんな些細なこと、関係ないよ。ウララちゃんが僕のことを覚えてなくても大丈夫。僕は君を想い続けるだけさ。それに、この前の君の態度だって可愛いから全然許せちゃう。だって、僕は君のことをよ~くわかっているから、ね」
「ぐ、う……」
 お前にウララの何がわかる! と言いたいところではあったが、夕日と爽やか王子の眩しさを前に言葉が窄む。
「さて。ディナーまではまだ時間がある。ウララちゃんさえよければ、紅茶でも飲みながら読書と洒落込もうか?」
「えっ! それはもしかして、ここにある本、どれでも読んでいいってことかッ……いや、ですか?!」
「ふふ、勿論。君が好きなようにしていいんだよ?」
 その慈しむような瞳を向けられ、身が縮む。
「っあ~。もしかして、さっき絶版本に興奮してたのバレてます……?」
「言っただろ? 僕は君のこと、よくわかってるって。読み終わらなければ貸してあげる。好きなだけ持ってお帰り」
「ッ……。それは、めちゃくちゃ嬉しい……!」
「僕も、君が喜んでくれて嬉しいよ。ていうか、喜んでる君、すごく可愛いな……」
 目を逸らしながら照れる王子に構うことなく本を手に取る。まあ、その気持ちはめちゃくちゃわかる。ウララの喜んだ顔はすごく可愛い。故に、ついつい甘やかしてしまうのだ。
 それから陽が沈むまでの間、俺はかなり有意義な時間を過ごすことができた。紅茶は美味しいし、小説は最高だし。王子と推し作家について語るのも、実は結構楽しかった。
 この作家、めちゃくちゃマイナーで語れる相手がいなかったしな……。だからこその入手困難な訳で。作者が死んでからハマってしまった俺は、絶望してたんだけど……。
 いや、本当に。あの王子様、中々見どころがあるかもしれない!



「お~い、ウララ。カンロ王子が直々にデートのお迎えに来てるぞ」
「あ~。ごめん~。私、これから友達と買い物行くんだよね~。だから……」
「わかった。俺が代わりに行くとしよう」
「えっ。素直」
「……そりゃあ、ええと。友達との先約を断るのはマズイしな。うん」
 別に、他の本も借りたいとか、もう一回小説について語り合いたいとか、そんな個人的な願望で言ってるんじゃないぞ。うん。
「じゃ、お兄ちゃんに頼もっかな!」
「任せておけ! カンロ王子がウララをもっと好きになるよう頑張ってみるからな!」
「それはやめて!」
「はは。案外いい男だぞ、アイツは」
 頬を膨らませて怒るウララの頭を撫でてやる。やはりこんな可愛さは本人しか出せないものだな。
「とにかく、私の姿であんま変なコトしないでよね? 他の人に勘違いされたら堪んないし」
「他の男に惚れられたら困るってことか? カンロ王子のお相手を取ろうとする輩なんて早々いないとは思うが」
「そうじゃなくて! 私とカンロ王子がデキてるみたいに見られるのは嫌っていうか~」
「何を今更。カンロ王子がウララにべた惚れしていることぐらい、近しい者たちにはバレているだろうよ」
「ん~。それが誤解を生むっていうか~。あ~。まあいいや。とにかく私は行くから」
 煮え切らない様子のウララに首を傾げる。誤解を生む? 当のウララにはその気がないのに、ということか?
「おっと。もうこんな時間か。ウララ、くれぐれも遅くならない様気をつけるんだぞ?」
「お兄ちゃんこそね」
 そう返して片手を掲げたウララに感涙を浮かべる。ああ、俺の心配をしてくれるなんて。なんて優しい妹だろうか!



 三度目のデートは、イムーサ城内にある闘技場で行われた。
「アイツ、めちゃくちゃ強いな……」
 勿論、俺は戦うのではなく、カンロ王子の剣技を観客席から見守っているよう促された。
 どうやら今日は年に一回行われる大会日らしい。各国から腕の良い剣士が大会に集まり、互いにその鍛錬の成果をぶつけあっていた。でも。
 やっぱアイツだけ他の参加者とは明らかに違うよな……。
 まるで踊っているかのように洗練された美しい動きは敵を翻弄し、確実に相手の隙をついた攻撃を繰り出している。
 カンロ王子が剣術に秀でていることは聞いていたが、まさかこれほどまでとは……。
 わざわざウララを招待してカッコいい所を見せようとするはずだ。
 確かに、だ。いつになく真剣な表情は、整った顔によく似合っていて。男の俺でもうっかり見惚れてしまいそうなほどカッコいいけれど……。
 にこ。ふいに目が合った途端、王子がこちらに微笑みかける。
「ッ」
『きゃー!』
 心臓がぎゅっとなった瞬間、後ろから沸いた女性たちの黄色い悲鳴に圧倒される。
 ……それとなく感じてたけど、アイツ、相当モテるな。
 声援を受けて手を振る仕草は様になっている。こういったことは慣れっこなのだろう。いや、別に羨ましくて言ってるわけじゃない。
 カンロ王子とは対照的な俺だが、何故だか同じように声援を浴びることが多々あるのだ。
 ウララ以外にはめっぽう興味がなく、冷たい態度しか取れない俺としては、対応に困ることがほとんど。だから、彼の対応はある意味羨ましいと言える。
 俺だって、ウララの恋路を心配している場合ではないことぐらいわかっている。
 ウララよりも七つ年上の俺はそろそろ結婚適齢期な訳で。だがまあ、言わせてもらえば、色恋沙汰に興味がない。その一言に尽きる。勿論、ウララほど純粋な思いからそう言っている訳じゃない。俺は女が怖いのだ。
 過去に、しつこく迫ってくる女がいた。そのあまりの鬱陶しさに、俺ははっきりと付き合う意志がないことを告げた。だが、その女は俺が自分の思い通りにならないと分かるや否や、平気で人の悪評を広め始めたのだ。勿論、嘘で塗り固められた噂話だったのだが、その悪評は遠くまで広がり、お陰で一時期大変な目に遭ったのだ。
 それ以来、俺は女が怖くなってしまい、適切な対応に悩んでいる。
 あの時は、時と共に噂も何とか治まったが、再びやらかしてしまえば――。そう思うと、女性にあまり冷たい態度は取れなくて。でも、だからといってニコニコするのも柄じゃなく……。
 今の所、女性には真摯に努めるよう心掛けてはいるものの、アイツみたいにさらりとかわしていけたらどんなに楽かと思ってしまった訳で。
「ウララちゃん、僕のこと見ててくれた?」
「あ、ええ。勿論……!」
 試合を終え、駆け寄ってきた王子にあたふたしながら答える。その胸には当然のように優勝メダルが輝いていた。
 そりゃ、予定よりもがっつり見てしまったけど……。
「その、もっとファンサービスをしなくていいんですか?」
 いの一番に俺に話しかけてくるなんて、会場の女性全員からウララが恨まれてしまいそうじゃないか。
「だって、最初に君の感想を聞きたくってさ。駄目?」
「ぐ……。駄目じゃない、ですけど……!」
 小首を傾げる王子に不覚にもきゅんとしてしまった……。どうにも俺は甘えられると弱いらしい。
「僕、剣には結構自信があるんだけど、どう? かっこよかった?」
「ええ、とても強くてかっこよかったですよ」
「でしょ?!」
「ええ」
 無邪気な笑顔をみせる王子を見て、俺の頬も少しだけ緩む。
 こういう子どもっぽいところもある癖に、あんだけ強いのは狡いよな。
 あれぐらい剣術が上手ければ、女どころか男も憧れるのは当然だろう。かくいう俺も剣術はからきしなので、余計にかっこよく見えるというわけだ。まあ、俺はその分魔術に特化しているわけだけど……!
「これ終わったら部屋で一息つこう。もう少しここで待ってて?」
「はい」
 先ほどの無邪気な顔とは一転。誰もが羨む王子様スマイルで俺の手の甲に軽く口づけてから、王子は挨拶回りへと向かう。まるであやされた赤子の気分だな。別に、一人でお留守番ぐらい訳ないのに。
『ドリンクをどうぞ』
「ありがとう」
 ウエイターから受け取ったジュースを口に含みつつ、貴族の令嬢たちに囲まれた王子を見つめる。
 ……なんか、やっぱり面白くないな。正体は俺と言えど、ウララを放置して他の女の元へ行くなんて。
「つまらないな」
 飲み干したジュースは大して美味しくもなく……というか苦みがあって不味く、不快な気持ちが増してゆく。
 あれ? これ、もしかして酒だったのか?
 じんわりと体が熱くなったところで、己の失態に気づく。
 未成年のウララに酒を勧めるなんて! 一体どういう了見だ! 何処をどう見たってウララは可愛らしい純真無垢な少女じゃないか! この城のウエイターは信用できんな。
 よっぽど文句を言ってやろうとも思ったが、ウララの顔に泥を塗るのもよろしくない。
「ううむ。少し、庭を散歩させてもらうかな。花でも見れば落ち着くはずだ」
 小声で独り言ちた後、ちらと王子の方を見る。が、相変わらず令嬢たちに囲まれ、へらへらとしているその顔を見て、尚の事気持ちが下がってしまう。
 待てと言われたが、少しぐらいはいいだろう。どうせあっちはまだまだ掛かりそうだし。
 王子の瞳がこちらを射抜いた気がしたが、それを無視して王子に背を向ける。
 ああ、やはり酒は苦手だ。冷静な判断を鈍らせてくれる。



「本当に、アイツはウララと結婚してくれるのだろうか」
 人気のない中庭に辿りついた俺は、目についた薔薇の花を手繰り寄せ、そっと香りを楽しむ。
 そうだ、落ち着け。何を心配することがある。アイツはウララのことが好きだと言った。別に俺が嫌われるような言動をしたわけじゃない。ただ、俺が上手くウララの魅力を使ってアイツを完璧に魅了できてないだけで……。
「ん?」
 かさり。手入れの行き届いた茂みが不自然に揺れる。
 鳥、だろうか……。いや。この妙な気配。そして……これは、殺気!
『オラァ!』
「っ!」
 突然草陰から姿を現した無骨な男が、俺に向かって斧を振り回す。が、咄嗟に体を翻したおかげで、ドレスの裾が犠牲になっただけで済む。
『おい、何躱されてんだよ!』『チッ。うるせえ! 今度は逃げらんねェ!』
 ドレスの裾を地面に縫い付けた斧を引き抜いた男が、俺の足を目掛けて斧を振り下ろす。だが。
「防げ!」
『何っ?!』
 魔力で出来た防壁が斧を弾いたものだから、男の顔に焦りが浮かぶ。
『おい、コイツ魔力が使えるのか?!』
『だからって相手はただのお嬢ちゃんだろ?!』
「ふふ。それは、どうかな!」
 生憎、ただのお嬢ちゃんではないため、魔力を以って男二人の武器を燃やす。
『ヒッ。こ、コイツ、やっぱりタダモンじゃねえ!』
「ふん、さて。ウララを傷つけようとしたんだ。武器だけで済むと思うな?」
 大方、王子に恋する過激派令嬢の仕業だろう。それ以外、ウララが恨まれる理由がわからない。ああ、つくづく身代わりになっていて良かった。
『お、おい! どうすんだよ! これじゃあご令嬢から報酬貰うどころじゃねえ!』
『馬鹿! 口を滑らせるな! それに、慌てるのはまだ早い! コイツ、アレを飲んだはずだろう?!』
『ああ! そうだった! ご令嬢がウエイターを買収して仕込ませた、なんか分かんねえけど、力が出なくなるやつ!』
『オレは催淫剤って聞いたぞ! 拉致った後、オンナを好きにしていいっていうから受けたのに!』
『こんなバケモンだなんて聞いてねえ、ぐえ!』
「なるほど。大体のことはわかったよ。でもさあ」
『げ……』『馬鹿、怯むな……!』
「仮にもウララの可愛い姿をしてるんだ。化け物呼ばわりされちゃあ気分が良くない。それに、ウララに、何をしようって?」
『ヒ、ま、待て……』『コイツ、やっぱウララってガキじゃな……』
「ウララはガキじゃない。可愛い女の子だ。さて、お前ら。仲良く痛い目に遭って貰おうか。もう二度と悪事に手を染めたくなくなるぐらいに、な」



「ったく、野蛮人め。変なもん盛りやがって……」
 不埒な男二人をズタボロにした後、この件に関する記憶を魔術で消した上で、彼らを森の中に転送しておいた。ついでに、買収されたというウエイターも締め上げて情報を吐かせ、元凶のご令嬢も漏れなく改心させておいた。
「まあ、流石に疲れたな」
 ウララのために用意されていた部屋に戻り、ため息を吐く。薬の効果を極力遅らせるために魔力を裂いていたが、誤魔化すのもどうやら限界のようだ。
「ダメだ! これはどんな男もイチコロすぎる!」
 鏡に映った気だるげなウララの顔に青ざめる。もしもあの王子にこんなウララを見られてしまおうものならば、きっと……!
「ウララちゃん、居る?」
「ッ!」
 タイミングよくドアをノックする音に心臓が飛び跳ねる。
 マズイ。居場所がバレた……! もう少し令嬢とのお喋りが続くと思ってたんだが……。処理に時間を掛け過ぎたか……。
「ウララちゃん?」
 返事がないことを不審に思ったのか、王子の声に陰りが滲む。
 とにかく、この姿を見せるわけにはいくまいと変身を解き、鏡を見る。うん。鏡に映った自分は、具合が悪いようにしか思えない。
「入るよ?」
「あ」
 逃げる暇もなく、ドアを開けた王子と対面する。
「って、貴方は」
「ええと、私はその、」
「ウララちゃんのお兄さんですよね?」
 上手く答えられないまま視線を漂わせていると、王子の口からあっさりと俺の正体が明かされる。
「ご存知で?」
「ええ。パーティーでお見かけしたことがあります。それに……」
「?」
 気まずそうにこちらを見つめる王子に首を傾げる。なんだ? 俺がウララのこと溺愛してる兄だから警戒されてんのか? そりゃあ、最初は王子のことも気に入らなかったけど、今は割と信頼してるから安心してほしいんだが……。
「いや、それよりも。お兄さん、今日はどうされたんです?」
「や、その。ウララに呼び出されまして。彼女、具合が悪いと言うもので。今、送ってやったところです」
「それは。気づかなくてすみません。ウララちゃん、僕に言ってくれればいいのに」
 言いつけを破ってフラフラしてしまったこちらに非があるというのに、王子は瞳を陰らせる。
「はは。ウララは恥ずかしがり屋でして。カンロ王子が気に病むことはございませんよ。それでは私もすぐにお暇を――」
 いつも通りに転移魔術を使おうとする。が。
「っは……? 嘘だろ……? 行け……。クソ……!」
 できない……。駄目だ、全く魔力と集中力が足りてない……。体が熱くて、ぼうっとする……。
「あの、お兄さん……?」
「あ、あー。すみません、少し魔力を使いすぎたみたいで、転移魔術が使えなくて……。はは、情けない」
 へらへらと笑って見せた後で、こっそりと唇を噛む。
 俺とて、薬を盛られたくらいで魔力が使えなくなるほど柔ではない。ただ、ここ最近は公務に追われていたから、疲労も重なって……。ついでに、ただでさえない睡眠時間を読書に当ててしまったことが不味かった。だから、こんな……。ハァ、最悪だ。不測の事態だとはいえ、体調管理もできないなんて。こいつに力を借りるのは癪だが馬車を用意して貰おう。そんで、さっさとこの場を抜け出そう。
「あの、よければ馬車を……」
「お兄さん。少し休まれた方がいいですよ。やっぱり熱があるみたいだ」
「ひぇ?!」
 何の前触れもなしに額を触られたことに驚き、変な声が出てしまった自分にも驚く。
 ひぇ、って……。ひぇ、って……! ウララが言えばそれはそれはあざとい魔法の言葉になるだろうけど! 俺のような男がそんな声出したら、幾ら王子でもドン引きするだろうが!
 羞恥に支配されながらも王子の方をちらりと窺う。
「……えっと」
 ああ、最悪だ! 死んでしまいたい!
 王子の顔には明らかに戸惑いが浮かんでいた。でも! 仕方ないだろ! こちとら変な薬盛られて敏感になってんだ! うん、最悪だ! とっとと帰ろう!
「ごほん。……失礼。これ以上迷惑をかける訳にもいかないので。できれば馬車を用意してはもらえないでしょうか」
「お兄さんは、そんなに僕が嫌いですか?」
「へ?」
 突然投げかけられた言葉に王子の方を見ると。
 なんでコイツ、そんな悲しそうな顔するんだよ!
 捨てられた子犬みたいな目でこちらを見つめてくる王子にたじろぐ。
「僕、お兄さんとちゃんとお話ししたいと思っていたんです。仲良くなりたいなって、ずっと思っていたんです。だから、お兄さんの気分が良くなるまででいいんです。僕と一緒にいてくれませんか?」
「う……」
 やめろ。そんな目で見るな! 俺はそういう目に弱いんだ!
「駄目、ですか……?」
「うぅ……。少しだけなら、まぁ……」
「やったぁ! ありがとうございます!」
 無邪気に表情を明るくした王子を見て、息を吐く。やはり、ウララと同じでまだまだ子ども。少しぐらいなら、少年のウララの兄懐柔作戦に乗ってやってもいいだろう。
「じゃ、僕の部屋にご招待します。お兄さん、本は好きですか?」
「えっ。はい、嗜む程度には」
「実はウララちゃんにも本を貸してまして。お兄さんも読まれないかな、と」
「よ、読んでいいのなら是非とも……!」
 そういえば、ここに来た理由の一つは本だった。あわよくば借りたい。あ、本に夢中になれば変な気分も吹き飛ぶかもしれん……。
「どうぞ、楽にしてください」
「それでは、お言葉に甘えて」
「あ、ちょっと。お兄さんはそっちじゃなくてこっちですよ」
「え?」
 椅子に座ろうとした俺を見て、王子がポンポンとベッドを叩く。
「気分、悪いんでしょう? 本読んでもいいですけど、寝ながらの方が楽でしょう?」
「え、いや。でも。流石に王子様のベッドを私が使うわけには……」
「いいから、ほら。こっちに来てください」
「ッ……!」
 やんわりと断ろうとした俺の手を王子が掴んで優しく引っ張る。それだけだというのに、掴まれたところがぞわぞわと落ち着かない。
「わ、わかりましたから、手を……」
「手を?」
「は。放して、ください……」
「……やだ」
「ちょっ……! ッ~!」
 つつ、と王子の指が手の甲をゆっくり撫でる。それが絶妙にこそばゆくて、みるみるうちに顔が熱くなってゆく。
「お兄さん、顔赤いですよ。やっぱり熱があるみたいですね」
「う、わかってるなら、もう休ませてくれませんか?」
「あはは。すみません。つい虐めたくなっちゃって。いいですよ、はい。ベッドに入って?」
「本当にいいんですか? 他人がベッドに寝るのって嫌じゃないですか? 汗かいてるし。寝間着に着替えてもないし……」
「構いませんよ。他ならぬお兄さんの為でしたら」
「……ご配慮どうも」
 王子の爽やかな笑顔から逃れるように布団被って顔を隠す。
 別に、特別な意味があっての言葉ではない。ただ、想い人の兄を無下にできないというだけだ。それだけなのに、勘違いしそうになる脳が憎くて悔しくて。
「さて。本読んでた方が楽でしょうからね……。う~ん。お兄さんにはどれを読んでもらいましょうかねぇ」
「……ん」
 こんな状況下にあっても、やはり絶版本の魅力には抗えない。できることならばこの前の続きが読みたい。実を言うとここ数日、あの小説の続きが気になって仕方がなかった。読んだ内容を幾度も頭の中でなぞり、自分なりに展開を予測し、主人公の心情に想いを馳せ……。何度ウララのふりをしてとっとと続きを借りに行こうと思ったことか。
「え~っと。これにしようかな~。あ、それともこっちがいいかな~」
 あれこれぶつぶつと呟く王子が気になり、布団から顔を覗かせる。王子が俺にどんな本を勧めるのか、非常に気になるところだ。
 が、王子の手元に目を移すより先に、棚に飾られた写真立てに目が行ってしまった。
「うげ……」
 そこには自分とウララのツーショット……目線からして隠し撮りなのだろう、が置かれていた。前は写真の存在に気づかなかったけど。
「あ。それ、気になります?」
「あ~、えっと」
「最近撮ってきてもらったんですけど、ツーショットしか撮れなくて」
 苦笑する王子に、多少の憐れみを覚える。
「そうだろうな。外の輩が来るパーティーではウララから離れないようにしているんだ」
 隠し撮り写真を飾っていること自体はよろしくないが、まあ気持ちは分かる。ウララの可愛さは毎日でも拝みたいものだ。
「良かったら今度良い写真をくれると嬉しいんですけど」
「……考えておきますよ」
 まあ、幾ら王子とはいえ絶対に渡さないが。
「あ。この本なんかどうです? この前ウララちゃんに貸したやつの続きなんですけど、この巻が一番面白くって。二巻からでも読めるんで、お兄さんにはこれをお勧めしたいな~なんて、」「是非読ませていただきます!」
 予想外の選書につい食い気味に返事をしてしまった俺は、丁重に王子の手から本を拝借すると、すぐに本の世界へと没入した。

 しかし、気分がそう良くなるはずもなく。
「う……。駄目だ……。せっかくの名作、こんなコンディションで読んでいいもんじゃない……」
 いけるかと思ったんだ。欲の矛先を転換してしまえばなんとか凌げると思ったんだよ。だけど、それはやはり作品に対する冒涜であり、俺のポリシーにも反していて……。
「大丈夫ですか。お兄さん」
 俺の呟きを受けて、王子が心配そうにこちらを見る。気持ちは嬉しいが、今はもうその視線すらもが体の熱を上げる刺激となり得るので、俺はそっぽを向くより他がなかった。
「す、すみません……。やはり、どうにも今日は……」
「そうですか。……もしかしてですけど。お兄さん、何かされました?」
 王子の言葉に圧力が生じる。それが、俺を心配しての言葉だとわかり、余計に心臓がうるさく跳ねる。
「な、何かっていうと?」
「お兄さん、ここに来るより前に、誰かと戦ってませんでした?」
「なんでそれを」
「ここ。少し焦げています。それに、うっすらとですがお兄さんから魔法の気配を感じるんで」
「ッ、あ」
 王子の指が、炎で焦げてしまった袖から手の甲へと移る。なぞられただけだというのに、ふつりと湧いた欲に逆らえず情けない声が零れる。
「……駄目だ」
「え?」
 ぽつりと王子が漏らした声は、普段よりもずっと余裕がないように思えた。そして、そんなことを想っている隙に、いつの間にか俺はベッドに押し倒されていた。
「おい、なにして……?」
「あー。もう限界!」
「ッ?!」
 俺の肩口に顔を埋めた王子が、遠慮なく抱きついてくる。
「せっかくウララちゃんで我慢しようと思ってたのに……。まさか実物がいきなり現れて、しかも変な薬盛られてるとか……」
「王子……?」
 どうしてしまったんだろうか、この王子様は。ウララで我慢? 実物? 変な薬……っていうのは俺が飲んだやつのことか?
「お兄さん、お願いですから無防備なのやめてください。なんで確認もせずに媚薬入りドリンク飲んじゃうんですか」
「え、何でそれ、王子が知って……?」
「ボーイから貴方がグラスを受け取ったところ、見てましたから。勿論、それに何が仕込んであったかなんてその時には分からなかったから止められませんでしたけど。こんなにあからさまな反応されたら、嫌でも何を飲まされたのか分かりますよ」
「は……?」
 待て。もしかして、コイツ、俺の魔術を……。
「言っときますけど、お兄さんがウララちゃんの代わりとして来てたのぐらいわかってますから」
「な……、どうして……」
 俺の魔術は完璧だったはずだ。早々バレるものではない。それなのに。
「どうしてって。好きな人ぐらい見分けがつきますからね、僕は」
「は。流石は王子様だな……」
 ぞっとする瞳でこちらを射抜き、静かな怒りを湛えた王子に身震いする。
 この王子のウララに対する愛がここまでの物とは思わなかった。王子の怒りは、さしずめウララの姿でそんなものを飲んでしまったことに対する意識の低さを責め立てているのだろう。勿論それについては俺も反省すべき点だと思っている訳で――。
「馬鹿ですね」
「は?」
 突然の罵倒に思わず無礼な物言いをしてしまったが、王子はそれを気に留める様子もなくこちらを真っすぐに見つめ――。
「お兄さん。僕が本当に好きなのは、貴方なんですよ?」
 淀みのない声で、王子は俺に告白をした。
「は、い……?」
「一目惚れだったんです。ずっと昔に、パーティーで貴方を見たときから。僕は貴方の美しさを忘れられなくて」
「美し……? 何。言って……」
「幼い僕の目には、貴方がとても綺麗に見えた。勿論、今も。僕は変わりなく貴方に恋い焦がれているんですよ、ハルさん」
「ッ……」
 到底信じられる話ではない。だけど、彼の言葉には確かに感情が籠もっていた。彼の目にははっきりと意志が籠もっていた。
「でも、僕だって伝えるつもりはなかったんです。僕だって、自分の立場ぐらい分かってますから。でも、どうせ結婚させられるなら、せめてハルさんと家族になりたくて……。だから、ウララちゃんをフィアンセに選んだ。それなのに! 貴方は僕の目の前に、僕のフィアンセとして姿を偽り現れた。ねえ、ずっと想い続けてきた相手が自分の側にいるんですよ?  我慢できるわけがない。でも、僕は必死で耐えた。すれすれで耐えていたんですよ。それなのに貴方は、媚薬なんか飲まされて……!」
「待て、お前は何を言ってるんだ? 分かっているだろうが、俺は男で、お前も……」
「そんなの、わかってますよ! でも、貴方だから好きなんです。この気持ちが止められるのならば、どんなにいいことか。だけど、無理だ。僕はどうしたって貴方を愛したくてたまらない!」
「待て、カンロ……。や、やめ、」
「すみません、ハルさん。許してください……。僕には止められない……。これきりにしますから、だから……!」
 王子の口から零れた言葉は酷く掠れていて、震えていた。苦し気に歪められたその顔を見て、こっちまで泣きたい気持ちになった。ああ、どうして彼を止めることができるだろうか。
 頬を撫でる王子の指の感触に目を瞑る。だって、もうこれ以上彼の苦しむ顔を見たくはないから。だって、もうこれ以上熱を抑えることができないから。だから、これは仕方のないことなんだって――。



 過ちを犯したあの晩から、俺はぱったりとウララに成り替わることを止めた。てっきりウララには文句を言われると思っていたが、彼女はため息を吐いて「しょうがないか」とその後のデートを全てこなした。王子はというと、こちらもウララの良きフィアンセとして周りの支持を得ていった。

 そして。

 青空の元、国を挙げての結婚式が執り行われた。
『ちょっと、お兄ちゃん。可愛い妹の結婚式をすっぽかすつもりじゃないでしょうね?』
「ウララ……」
『お兄ちゃん、こんな晴れ舞台、一度きりしかないのよ?』
「ああ。勿論わかっているとも。もうすぐ着くところだから。大丈夫。安心していい」
『待ってるんだからね』
 ウララとの通話を切り、鉛のように重たい足を会場へと向ける。
「ハァ。馬鹿だな、俺は。愛する妹の一番綺麗な姿が見れるっていうのに」
 式の終盤でようやく到着した俺に、何も知らない父は「いい加減妹離れしないとな。さあ、お前もカンロ王子に挨拶をしてくるんだ。くれぐれも失礼のないようにな」と、発破をかけた。俺だって子どもじゃない。ここに来た以上、彼に祝福を述べるつもりだった。でも。
「あ……、えと……」
 王子を目の前にした瞬間、用意していた言葉が吹き飛び、次々に蘇る色んな感情が心を掻き乱した。
「お兄さん……。あ~。ウララちゃんなら、今お色直しに行ってますよ」
「そう、ですか……」
 気まずい沈黙が二人の間を流れる。困ったように笑う王子が何だかやるせない。
「ウララちゃん、とっても綺麗ですよ。僕なんかには勿体ないぐらい」
「カンロ王子だって、似合ってますよ。流石王子様ですね」
 別に、お世辞でも嫌味でもない。ただ、純白に身を包んだ彼にはそう言わせるだけの神々しさがあったのだ。
 本当に。彼で良かった。
「あの」
「お前になら、ウララを任せられるよ」
 ぽつりと零れ落ちた言葉は、自分でも驚くほどに落ち着いていた。今ならきっと言える。そう思い、笑顔を作る。
「結婚、おめで……ッ、おめで……。ああ、やっぱり駄目だ……」
 おめでとうと言いたいのに。どうしても途中で止まって……。
「……お兄さん?」
「悪い。許してくれ……」
 許してくれ、だなんて。我ながら勝手な言葉だなと思う。でも、か細い声でそれだけ呟くのが精いっぱいだった。
 そうして、俺は王子の言葉を聞くより先に逃げた。こんな気持ちじゃ、あの会場にはいられなかった。
「悪い、ウララ。少し急用ができて。ウララのドレス姿、見たかったんだけどな……」
『え、お兄ちゃん、もしかしてもう帰っちゃったの?!』
 携帯電話から聞こえるウララの声に申し訳なさが募る。
「ごめん。でも、俺はお前たちのこと、ちゃんと応援してるから、だから。ウララ、幸せに……」
『ちょっと、お兄ちゃん! 勝手に締めないでよ! 応援してるっていうならさ――』



 想い人が去った後、僕は運命を呪い、そしてため息を吐いた。
 僕は一体何をやっているのだろうか。
 彼が褒めてくれた純白の衣装に目を落としながら、もう一度ため息を吐く。
 彼が言う通り、僕はつくづく浅はかな男だ。僕のせいで全部中途半端になってしまった。
 伝える気はなかったのに。長年の恋心を伝えた途端、僕の心は前にも増して彼を求めるようになってしまった。体を重ねてしまったからというのもあるのだろう。ああ、最悪だ。どうかしていた。いや、あんなに艶やかな想い人を前にして我慢できるわけがなかったのだが。それにしたって、あれはよくなかった。思い出しただけで、身が攀じ切れそうなぐらいに彼が愛おしくなる。
 でも。
 もう二度と過ちを犯してはいけない。だって、僕は一国の王子だ。僕もそれを分かっている。
 彼に余計な感情を植え付けてしまったことは後悔してもしきれない。彼は祝福を拒んでいた。当たり前だ。あんなことをしてのけた男が溺愛している妹の夫となるなんて。ああ、彼はきっと言葉で表せないほどの怒りを僕に覚えていることだろう。
 だからこそ、僕は中途半端を止めなければいけない。完璧に演じて、彼への思いをなかったことにしなければ。目の前にいる彼女を愛する決意を固めなくてはいけないというのに……。
「やっぱりダメだ」
 少女のベールを捲る手を止め、息を漏らす。彼女好みに仕立てて貰った純白のドレスは、目が眩むほどに美しい。勿論、彼女自体も可憐で、彼が溺愛するのが頷けるほどの美少女だ。だけど、でも。どうしたって、僕は彼が忘れられない。幼い頃に受けたあの衝撃。一目惚れなんて言葉すら知らなかった幼い僕は、とにかく運命だと思った。亜麻色の少女の横で鋭く光る漆黒の瞳が、どうしたって忘れられなくて。年々艶を増してゆくあの麗しくも気高い男がどうしたって欲しくて……。
「ごめん。本当に勝手なことを言うようだけど、僕は君とは――」
 ベールから覗く亜麻色の瞳が揺れる。それを見た瞬間、心臓が激しく音を立てる。
「王子様……?」
 ベールを剥がれ、穴が空くほどに見つめられた少女が、遠慮がちにこちらを伺う。
「ああ。ごめん。なんでもないよ。神父さん。どうぞ進行を」
『え、ええ。それでは。ウォホン。あ~。新郎イムーサ=カンロ。汝、ここにいる人を、妻として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?』
「誓います」
『新婦タッカーア=ウララ。汝、ここにいる人を、妻として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?』
「……誓います」
「それでは、誓いのキスを」
 兄妹ともよく似た白い頬に手を添える。それだけで、少女の瞳はゆらりゆらりと色々な感情を映し出して揺れ動く。
「あ……、あの、やっぱり待ってください。私は……!」
「待ちませんよ。僕は、貴方を愛していますからね」
「……ッ」
 僕の言葉に少女がか細い肩が震わせ、全ての感情を押さえつけるように唇を噛みしめる。
 ああ、そんな顔をしないでください。だって。
「だって、僕はやっぱり、ハルさんしか愛せませんから」
「え……?」
 目を丸くして固まる少女に口づけを落とす。
『わああああ!』『おめでとうございます!』『お幸せに~!』
 何も知らない会場の人々から歓声と拍手が巻き起こる。
「お、王子様……? どうして、今、兄の名を……?」
「もう演技はいいですよ、ハルさん」
「は……? えッ、なんでバレて……」
「僕は貴方の澄んだ瞳が好きなんです」
「は?」
 動揺する“少女”の瞳を真っすぐに見つめる。色は違えど、やはりそれは僕が愛した綺麗な瞳だった。
「僕は貴方が誰に化けようが、きっと気づいてやりますよ。僕の愛を舐めないで頂きたい」
「う……。確かに、理論はよくわからんが、デートの時も気づいてたしな……。うん、二度騙すのは些か無理があったか……」
 視線から逃れるようにして俯いた彼は、そっとため息を漏らす。
「で? 貴方はどうしてこんな真似を?」
「ウララが……。王子とキスなんかしたくないと……。代わってくれなきゃ死ぬって言うから、仕方なく……」
「はは! ウララちゃんには嫌われたもんですね」
「いや、ウララは初心なんだ。許してやってくれ。時が経てばお前の良さもわかってくれるさ。それに、俺が代わるのもこれで本当に最後にする。俺は、頭を冷やすために遠い国へ行こう。そうすればウララも俺を頼りにすることもなくなるだろう。だから、お前も……王子様も、ウララを愛してやってはくれませんか?」
「ハルさんらしい提案ですね。でもね」
「……?」
「もう逃がしませんよ」
「なッ?!」
 少女のか細い腕を掴み、抵抗されるより前に術破りの札をその体に張り付ける。ああ、万が一にでもと持っていて良かった。
「みなさん、僕が本当に愛しているのは、この人です。この人しかいないのです」
「あ、ああ……」
 遠い国から取り寄せたその札は、見事にハルさんの術を破り、その姿を大衆の前に晒す。
『これは、どういうことだ……?』『あれはタッカーアの長男では?』『一体どうなっているんだ……!』
「おい、ハル! 何をやっているのだ! ウララはどうした? よもやこの式を潰すつもりではあるまいな!?」
「お父様……」
 見兼ねたタッカーアの当主が、顔を真っ赤にしながら息子に詰め寄る。が、それくらいで僕が屈する訳がない。
「ああ。お許しください。僕はウララさんではなくハルさんと結婚させて頂きたいのです」
 彼を背に守りつつ、朗々と告げる。もう逃げはしない。この気持ちに嘘など吐けない。それに。
「王子、何を言って……!」
「ウララちゃんも、それでいいよね?」
 神父に向かって投げかける。そう、彼女だって僕との結婚を望んじゃいないはずだから。
「ウララだと? どこにウララが……?!」
 当主がきょろきょろと血走った眼で辺りを見回す。しかし、その目には愛しい娘が映ることはない。
「……まさか!」
 後ろで息を飲んだハルさんが、食い入るように神父を見つめる。どうやらこちらは気づいたようだ。
「な~んだ。王子様にはこっちまでバレちゃってたんだ。愛がなくてもわかるんじゃん!」
 つまらなさそうな声音の割に神父の瞳が愉しそうに揺れる。そして。
「う、ウララ……!」
「は~い、そうで~す! 正解ピンポーン!」
 術を解き、神父から可憐な少女に戻った彼女は、きゃらきゃらと笑ってポーズを決めた。
「心外だな。僕はウララちゃんのことだって一応愛してるんだよ。義妹としてだけど」
「そうですかそうですか。それは有り難き幸せですよ、義兄様」
「まさかウララに転移以外の魔術が使えるなんて……。それも、俺にも正体が悟られない程に精密な……? まさか! だとしたら、ウララは俺よりもよほど優秀な魔術師で……」
 妹の能力が詳らかになった途端、彼の肩が小刻みに震える。ああ、そりゃそうだ。自分の魔力が妹より下だなんて。プライドの高い貴族にとって悪夢以外の何物でもない。
「は、ハルさん……。その、そんなに気落ちしなくてもですね……」
「天才だ! 流石はウララ! この俺すらも超えていくだなんて! やはりウララは天に愛されている! 可愛さと強さを兼ね備えることが可能なのだと今証明されたというわけだ!」
「王子様。変に心配しなくてもお兄ちゃんってばこういう人だから大丈夫です」
「あ~、そうだったね」
 きらきらと目を輝かせて妹を見つめる兄には邪悪さの欠片もない。相も変わらず重度のシスコンだ。まあ、そんなところもひっくるめて可愛い訳だけど。
「ちょっと待ってくれ、これはつまりどういうことなんだ! ハル、ウララ!」
 惚けていた当主がよろめきながら二人を見つめる。
「やだなあパパ。まだわかんないの?」
「待て、ウララ。俺にもわからん。どうしてウララは神父に化けていたんだ?」
「そりゃあ、私がようやく両想いになった二人を祝福するキューピッドだからでしょ!」
「……君は、僕がハルさんのことが好きだと知っていたのか?」
 またしてもよくわからないポーズを決める少女に戸惑いつつ尋ねると、彼女はあっさりと首を縦に振った。
「うん。だって、王子様ってば私のこと好きだって言う割には、心ここに在らずって感じだったんだもん。だからデートをお兄ちゃんに任せて真意を探ってたんだけど……。まあ、王子の目を見てすぐにわかっちゃった。この人は、お兄ちゃんの術を見破った上で知らない顔して楽しんでるんだって。お兄ちゃんにぞっこんなんだって」
「まさかウララ、友達と遊ぶっていうのは嘘で、遠くからこちらの様子を見ていたってことか?」
「いや、友達と遊んでたのはホントなんだけどね、遊びながら魔術で覗き見させてもらってたのよ。恋愛ドラマみたいで面白かったよ?」
 年頃の少女のようにきゃっきゃと笑う。
「あ~、ウララ。残念だが、俺たちは男同士だから、その……」
「ドラマみたいなハッピーエンドにはならないって? でもさ、そんなのやってみないとわかんないじゃん」
「へ?」
「王子様、イムーサの跡継ぎ候補、他にもいるんでしょ?」
「え、ああ。まあ、僕と一つ違いの弟がいる、けど……」
 言われて思わず答えてしまったことに後悔しつつ、弟のことを思う。確かに、アイツは僕を羨んではいたが……。
「王様の席、ユフ君に譲っちゃいなよ。あの子も王様になりたがってるみたいだしさ」
「え。なんでそれを……?」
「いや、だって。私たち友達だし」
「と、友達……?」
 まさか。あの他人を信用しないユフが、自分の野心を易々話すなんて……。ましてや、友達だなんて……!
「勘違いするな。利害が一致しただけだ。一時的に情報交換をしていただけに過ぎない」
「ユフ!」
 初めの挨拶以来、全く式に顔を出さなかった弟がふらりと話に入ってくる。
「ユフくんてば、ほんとクールだねえ」
「事実だろう?」
「ま、そういうことにしておこう。お互い煮え切らないお兄ちゃんを持つと大変だよね~」
「馴れ馴れしくするな」
 ユフの肩に置かれたウララちゃんの手は、即座に払われる。が、彼女の方が一枚上手。
「てことで。カンロ王子はウチの養子になれば解決よ! ね~?」
 ピースをキメながら微笑む彼女に、ユフはあっさり肩を組まれ、巻き込まれた。
「待て待て。そんなこと当主が許すはず……」
「いいわよね? お父様?」
 僕の言葉を受けて、ウララちゃんが当主に向かってゆっくりと問いかける。甘い声音とは裏腹に、その亜麻色の瞳は不気味なほどに力を秘めていて……。
「……あ、あああ! 怒らないでくれ、サクラ! 私が悪かった! でもサクラ、私は、ウララをお前のように不幸にさせたくなくて……!」
 その瞳で見つめられた途端、当主が虚空に向かって叫び出す。
「ウララ、お前、お父様にお母様の幻覚を見せている、のか……?」
 その高度な魔術に驚きを隠せない様子でハルさんが問う。勿論、僕だって驚いている。
「ま、そんなとこ。あのね、パパだって昔はこんなガメつい男じゃなかったのよ? ただ、ママが死んじゃって……。責任を感じてるんだと思う」
 事情の分からない僕とユフに向かって、ウララちゃんは苦笑しながら説明する。そして、それを引き継ぐようにしてハルさんも渋々といった顔で口を開いた。
「母はウララを産んでからしばらく、流行病にかかってしまって。みるみる重症化して高額な医療費が必要になったんだが……。その頃のタッカーア家は没落寸前で。とうとう治療費を捻出する前に母は他界してしまったんだ」
「パパはそれから、血が滲むような努力をしてなんとかタッカーアを復興させたんだけどね……。私もママのようになってほしくないからって、イムーサみたいなお金のあるところに嫁がせようとしたのかもね」
 ほんと余計なお世話なんだから、と呟いた彼女の瞳には当主への憐れみと憎み切れない愛情とが込められていた。
「でも。お母様は絶対に不幸なんかじゃなかったはずだよ」
「わかってる。だってほら」
 ハルさんの言葉を受けて、ウララちゃんが指を差す。すると、未だ狼狽しながら何か言い訳がましく呟く当主の目の前に、綺麗な女の人が現れる。恐らく、彼女が僕たちにも見えるよう幻を実体化してくれたのだろう。
『貴方。私はね、お金なんかなくったって、とっても幸せだったわよ』
「サクラ……」
「まさかあれ、本当にお母様の……」
 実体化された女性の微笑み、そして泣き崩れる当主を見て、ハルさんが静かに呟く。
「残留思念みたいなものを寄せ集めた幻だけどね。言ってることは本人が本当に想ってたことだよ」
「ウララ、そんなことまで出来るのか」
「いや、あはは。大したことじゃないんだけどね……」
 自分の能力を高く見られて面倒ごとを押し付けられることを嫌ってか、ウララちゃんは目を泳がせながらごにょごにょと答える。
「それは――」
「ああ、ハル……! 私が間違っていたよ……。母さんが、見えたんだ……。本当なんだよ……」
 ハルさんが言及しようとしたところで、酔いから醒めた当主が震える声でぽつぽつと呟く。
「お父様……。ええ。俺にも見えましたよ」
「ウララの言う通り、カンロ王子を養子に迎えるとしよう。私はお前の幸せを信じるよ……」
「え、いや。お父様……?」
「カンロ王子、ウチの息子を頼みます……!」
「はい! ハルさんは僕が、必ずや幸せにしてみせます!」
「お、おい!」
 当主に握られた手を握り返しながら、僕は元気いっぱい返事をしてみせる。
「うわ。兄さんマジでお熱なんだな。あんな気持ち悪い笑顔、見たことなかったわ」
「そうそう。カンロ王子ってば、ほんとお兄ちゃんにぞっこん過ぎて、見てるこっちが恥ずかしくなるよね」
「……言葉のセンスが絶妙に古いお二人さん。ディスるより祝福をしてはくれないかな?」
「いや、ちょっと待て。そんな簡単に俺と王子様が結ばれるものか。大体、国民だって黙っちゃいない……って。やけに、静か、だな……?」
 改めて見回した会場の観客たちは皆、どこか虚ろな目をして黙り込んでいた。王子様の結婚式だ。それなりに人が集まっている。にも関わらず、その全員が今静かにこちらを見守っているのだ。
「あ~。さて。じゃあ改めて。会場の皆さん、そういうわけなので。仕切り直してお兄ちゃんとカンロ王子の結婚式、そして、ユフ君と私の結婚式をお楽しみください!」
「「は?」」
『わ~!』『いいぞ~! カンロ王子~!』『ユフ王子~! おめでとう~!』『ああ! なんて素敵な結婚式なのかしら!』『二組ともお幸せに~!』
 ウララちゃんが観客に向かってウインクした途端、魔法が解けたかのように観客が賑やかさを取り戻す。いや、これは解けたんじゃない。
「もしかしてウララちゃん、ここに居る人たち全員を洗脳したの……?」
「洗脳だなんて、人聞きの悪い!」
「そうそう。ちょっと皆の常識を捻じ曲げて祝福同調圧力をかけてあげただけだよな、ウララ」
「……それを洗脳と言うんじゃないのか?」
 意地の悪いユフの補足に、ハルさんは頭を抱えて唸りを上げる。
「というか、そもそも。ユフとウララちゃんが結婚って、何?」
「ぐぐッ……。それ……」
 僕の疑問に、重度のシスコンであるハルさんが死にそうな声を出しながら頷く。恐らく、自分で問う勇気がなかったのだろう。可哀想なぐらいこくこく頷いている。
「え~。だってェ――」



 ウララ曰く、ユフ王子も王位を取って兄に勝ちたいが結婚は煩わしいと思っていたらしく。ウララが俺たちをくっつける計画と、自分たちの形式だけ籍を入れるという提案をしたところ、あっさりと承諾してくれたらしい。
 だが、そんな提案……、ユフ王子とウララが、け、けけ、結婚だなんて……。
「そんなの許せるわけがない!」
「なんでよ~。お兄ちゃんの恋を応援してあげたんだから、別にいいでしょ?」
 ぷくりと頬を膨らませて反論するウララを可愛いと思いつつも、語気を強める。
「よくない! そもそも、ウララは姫になることを面倒だと言ってたじゃないか!」
「あ~、それは勿論手を打つつもりだよ、ハル兄」
 ハル兄。そう呼ばれた途端、嫌な汗が背中を伝う。
「イムーサの公務はさ~、お兄ちゃんがウララに化けてこなして欲しいんだよねッ!」
「そんなの駄目に決まって……」
「お願い! 一生のお願い!」
「ぐ……」
 駄目に決まっているのに……。ウララの潤んだ瞳が、上目遣いが、じわじわと決意を緩めて……。
「駄目……?」
「駄目、じゃない……」
「あは! やったぁ!」
「これ、もしかしてだけど、妹の媚び力だけじゃなく催眠術入ってないか?」「入ってるでしょ。間違いなく」
「それは企業秘密なので!」
 イムーサ兄弟とウララの恐ろしい言葉が聞こえた気がしたけれど、ウララの嬉しそうな顔を見た途端、どうでもいいやと疑念を放り出す。
「あ、勿論ラブの演技までは押し付けないから安心してよ、義兄ちゃん」
「義兄ちゃん……。いい響きだ……」
 甘い声でそう呼ばれたカンロ王子は、うっとりと酔い痴れる。……俺としてはお兄ちゃん特権が独占できなくなったのは少し、いや大分悔しいんだが?
「というワケで。勿論、パパも許してくれるよね?」
「あ、ああ! 勿論だとも、ウララ! それでウララが幸せならば!」
 人が変わったようににこにことウララの手を取る父親に、若干の不安を覚えながらも、まあ前のガメつい親父よりはマシかと放っておく。
「うっわ。洗脳完了ってか。えげつないな」
「なによユフ君。文句でも?」
 ウララを見て思いっきり顔をしかめたユフ王子に、少し、いや大分眉を顰めながらながらも二人の会話を大人しく聞く。
「いや、計画通り過ぎて感謝してるだけさ。まあ、マジで魔力の無駄遣いだとは思うけど」
「え~? それディスってんじゃん」
「いやディスっていうより、呆れと感服。だらける為だけにここまで色々巻き込むとはさ。アンタ、ほんとに規格外だよ。ま、ボクとしては王位継承できるし、形だけの妻はできるし、義兄さんみたいな優秀な人が公務についてくれるんなら、アンタがだらけてようが万々歳なんだけどさ」
「なっ……」
 なんて不敬なガキなんだ! と口に出しそうになったところで押し留まる。曲がりなりにも王子だ、安易に暴言を吐くのはよろしくない。
「ちょっと~! 私をクズ人間みたいに言わないでくれるかしら! 私は私で夢があるの!」
「は? 夢ってなんだよ」
「そりゃ~、私のブランドを立ち上げるコトでしょ!」
「……初耳だし、びた一文出したくねえ」
 胸を張って答えたウララに、ユフ王子はげんなりと口をへの字に曲げる。
「ご心配なく。パパから貰ったお小遣いで事足りますので」
「ウララ、お前一体どれだけお父様から貰ってるんだ……」
「えへ。企業秘密だよん!」
 そう言ってばちりとウインクをしてみせたウララは、やはり可愛くて。俺はまた無意識の内にウララを許してしまうのだった――。
「いや、ハルさんチョロ過ぎですって」



 それからしばらくの月日が流れ。
「まさか、本当にあのまま結婚式を挙げるだなんて、思ってもみなかったな……」
「ふふ。挙げちゃったもんは仕方ないですよね。……もしかしてハルさん、この生活嫌になっちゃいました?」
 不安そうに覗き込んできたカンロに首を振る。
「案外嫌じゃないから困ってるよ」
「はは。ハルさんホント仕事好きですよね」
「ん。中々どうして今の仕事もやりがいがある。タッカーアよりも多くのことがやれるからな」
 書類から顔を上げ、目頭をもみほぐす。少し仕事に夢中になり過ぎたようだ。
「ホント、いいお嫁さんを娶ったもんだよ、ユフの奴は。お陰でユフの株は爆上がり。未だかつてないほどに国民の支持を得てますよ。まあ、お嫁さん本体もブランド立ち上げ頑張ってるみたいですけどね」
「人をオプションみたいな言い方するな。あとウララなら心配いらない。順調に事が進んでいるようだ」
「いや、誰も心配はしてないですけど……。いや、借金されたら困るから心配はするか。……じゃなくて、僕はオプションの方が本命ですってば! いじけないでくださいよ。そもそも、いじけたいのは仕事ばっかで構って貰えない僕の方なんですよ?」
「俺はいじけてはいない。だからくっついてくるな放せ」
「いいや、放しません。今日という今日は僕の愛をわからせてやるんです」
「ッ……」
 攻防虚しく机の上に押し倒された俺は、まず背中の下敷きになった書類の心配をする。
「待て、重要な書類が破れたら大事だ。せめて片付けてから……」
「待てません。僕は貴方の仕事の腕を見込んで結婚したわけじゃありませんのでね!」
「いや、それでも王子か!」
「残念ながら今はタッカーアの養子なので、王子ではないですね」
「理屈をこねるな! 少しは我慢をしろ!」
「僕だって甘い新婚生活ってやつを送りたいんですよ! やっと念願かなって貴方と一緒になれたってのに! 仕事仕事って! ユフとウララちゃんの方がよっぽどイチャイチャしてますよ!」
「は?! ウララとユフ王子がイチャイチャだと?!」
「あの二人、何だかんだ言ってそれなりに仲良くやってんですよ! ……まあほぼウララちゃんがユフの事をおちょくり可愛がってるだけですけど」
「聞いてない! 聞いてないぞウララ~!」
 じたばたと藻掻きながら絶叫すると、カンロが大げさにため息を吐く。
「はぁ~。ほんとハルさんってば、仕事かウララちゃんかしかないんですから。ちょっとは僕に流されてくれたっていいでしょ。ね、僕のことそんなに嫌いですか?」
「……嫌じゃないから困ってるって言っただろうが」
 力を抜き、カンロの手に口づける。だって、捨てられた子犬みたいな顔されたら、素直にならざるを得ないじゃないか。
「え、ハルさん……?」
「お前には充分なほどに何度も流されてるだろうが」
「いや、でもそれは……」
「別に、ウララの洗脳のせいじゃないぞ。あれはもうとっくの昔に解けてる。だから、つまり、その……」
「僕になら流されてもいいって思ってくれた……?」
「はぁ~。そういうことだ」
「ハルさんッ! 好き! 愛してる!」
「こら! 伸し掛かるな! 痛いから! 背骨、折れる! あ、書類、踏んでるって! 頼むからベッドで……!」
「ベッドで?」
「……ッ、ベッドで、してくれ」
「かしこまりました。僕のお姫様」
 いい笑顔で手の甲に口づけたカンロは、ひょいと俺を姫抱きにして部屋へと歩く。
 仕事の締め切りが頭を過る。が、どうせこの男にもこの熱にも抗えない。
「お前さ、俺のこと洗脳してるわけじゃないよな……?」
「ぷはっ! まさか! 僕にそこまでの魔術は使えませんよ! というか、そこまで僕に夢中になっててくれたんですね、ハルさん」
「……忘れてくれ」
「う……、めちゃくちゃ可愛い……。僕、ハルさんの可愛さに殺されちゃいそうです」
「うるさい。勝手に死ね」
「う~ん。でもでも、人殺しは駄目だよ、お兄ちゃん!」
「「え??」」
 突然、背後から聞こえてきた可愛らしい声にカンロが振り返る。
「う、ウララ……?!」「と、ユフ……?」
「お久しぶりだね、お兄ちゃん! カンロ王子!」「……ど~も」
 そこにいたのは愛しの妹、ウララ。そして、ウララに腕を引っ張られているユフ王子(恐らく無理やり連れてこられたのだろう。いつにもまして不機嫌だ)。
「お取込み中ごめんね!」「ほんとにな」「でもね、どうしてもいち早くお兄ちゃんに伝えたいことがあって!」「自己中極まりないな」「なんと! グリンスプ王国の王女に、ウララの作った服が認められちゃって!」「コイツ、わざわざ売り込みに行ってたんだよ、遠い国なのにさ。だからお久しぶりってわけ」「王女が私のブランドを全面的にバックアップしてくれるって言うの! もう私、嬉しくって!」「ちなみにボクまで連れ回されたんだよ。このじゃじゃ馬、どうにかしてくれよ、義兄さん……」
「すごいじゃないか! ウララ!」
「でしょでしょ!」「え、ボクのことは無視ってわけ……?」
「ユフ、ドンマイ!」「うるせえ、死ね。クソ兄貴」
 グリンスプ王国はかなりの大国だ。そして、そこの王女は美しく、諸国の若い女性たちから絶大な人気を誇っている。それを味方につけたというのならば、ウララの商売はとんでもない利益を生むはずだ。
「忙しくなるな……!」
「いや、なにウララちゃんの加勢しようとしてんですか! というか、今はそんなことどうでもいいでしょ!」
「なんでだ?」
「なんでって! 今絶対いい雰囲気だったじゃないですか! 現にハルさん、俺にお姫様抱っこされてるわけで!」
「ああ、悪い。ウララの前だ。降ろしてくれ」
「ぐ……」
 納得いかない顔をしたカンロの胸を押し、その腕から無理やり降りる。
「ドンマイ、クソ兄貴」「仕返しするとはいい度胸だな、ユフ」
「あ、駄目よお兄ちゃん! カンロ王子とは仲良くしなくっちゃ! やっとお兄ちゃんが甘えられる相手を見つけたんだもの!」
「甘えられる相手……?」
 ウララの言葉の意味が分からなかったので、取りあえず繰り返す。いや、これは聞いてはいけなかったかもしれない。ウララの暴走スイッチを押してしまったかもしれない。
「お兄ちゃん、タッカーアのためにずっと気を張り詰めて生きていたでしょう? 私もお兄ちゃんは完璧で強い人なんだって思ってた。でもね、お兄ちゃん、カンロ王子と一緒に居る時はなんだか肩の力が抜けてるみたいで……。だからカンロ王子、お兄ちゃんのこと、いっぱい甘やかしてあげてね!」
「いや、ちょっと、ウララ……?」「任せて! ウララちゃん! お兄さんは僕が全力ででろでろに甘やかしてあげるから!」
 ほら不味い。カンロが調子を取り戻してしまった。
「うっわ~。兄貴のいい笑顔、怖……」
「ほら、ユフくん! 私たちはさっそく新しいデザイン考えなきゃなんだから! 行くよ! お邪魔虫は退散退散!」
「いや、引っ張るなって! お前が勝手にお邪魔してたんだろ! そもそも、なんでボクがお前に付き合わなきゃいけないんだ! てか、力が強い! お前、また魔術で筋力増強してんだろ! 痛てェ~!」
「さて、ハルさん。甘やかされる準備はいいですか?」
 ユフ王子の絶叫を物ともせずに、カンロは涼しい顔でにこりと微笑む。
「あ~、甘やかしてくれるのか?」
「勿論」
 相変わらずゆったりと余裕の表情を浮かべている彼に、こちらも負けじと微笑んでみせる。
「だったら。お茶と本を用意してくれ。未読のシリーズがあっただろう? 仕事中もずっと気になっていたんだ」
「はい?」
「あ、勿論、お前は俺の代わりに書類を片付けておいてくれ。今日が締め切りなんだ。やはり遅れる訳にはいかないからな」
「いや、甘やかすってそういう……?」
「それが終わったら、読んだ本の感想を聞いて欲しい。それで、お前の意見も聞きたい。あとは考察なんかをしながら夕食にしよう。それでいいだろう?」
「あの……」
「いいよな?」
 ウララやカンロのような可愛いおねだりには程遠い、圧の掛かった脅しにはなったが、どうやらカンロの勢いを削ぐことには成功したようだ。
「……はぁ。まあ、ここのところ、ずっと仕事ばっかしてましたもんね、ハルさん。そういう時間も大事ですもんね」
「わかってくれるか?」
「ええ。僕だって、貴方とのそういう時間も大好きですから。断る理由はありません」
「ふふ。そう不貞腐れるな」
 ポンポンとカンロの頭を撫でてやると、彼の頬がぷくりと膨らむ。
「む。子ども扱いしないでください!」
「ふふ。やはりユフ王子と兄弟なんだな」
「誰がクソガキですか! というか、さっきの言葉、嘘じゃないですよ?! 僕にとっても、貴方と本を読んだり語り合ったりすることは癒し以外の何物でもないんですから!」
「まあ、お前が読書家なのは知ってる」
「ええ。おかげさまでね。読んでる内に楽しくなっちゃって、つい貴方の趣味じゃないであろう本まで集めちゃいましたけどね!」
「ん?」
 カンロの言葉に首を傾げる。すると、彼は慌てたように目線を漂わせる。
「ああ、いや。何でもなくてですね。こっちの話っていうか……。あ~。調子狂わされまくったせいで余計なコト言ったな……」
「どういう意味だ?」
「はぁ~。言わないと駄目ですか?」
「駄目だな」
 腕を組み、譲らない態度を示すと、カンロは肩を落としてぽそりと口を開いた。
「……前にも言いましたけど、僕は別に貴方に想いを伝えるつもりはなかったんです。でも、貴方に少しでも近づきたくて。貴方が本を好きだと聞いて。気付いたら好きな作者や本のジャンルをリサーチしてて。貴方の好きなものを僕も知りたくて……」
「だからあそこまで俺の趣味に合った絶版本が揃ってたのか」
「そ~いうことです。あわよくば、ウララちゃんと結婚した後、本を通して義兄さんと交流を深められたらな~って。ささやかな夢でしょう?」
 語られた理由は、意外にも意地らしいものだった。ウララが身代わりを頼まなければ、きっと俺は彼の気持ちに気づかないまま、義弟として仲良く語り合っていたのだろう。それでいいと思ったカンロの気が知れない。
「高かっただろうに」
「結果的に、ささやかな夢どころか最高のハッピーエンドを迎えることができたんで、安すぎますね。読書の楽しさも知ることができましたし。後半なんてノリノリで稀覯本収集しちゃってましたよ」
 苦笑するカンロから目を逸らし、棚に飾られた写真を見る。
「なあ、この写真、もしかして」

「……夕食が済んだら、お前のしたいことをしていいぞ」
「えっ?」
 目を丸くして固まるカンロに、笑いを噛み殺しながら意地の悪い顔を作ってやる。
「勿論、お前が仕事を全部片付けられたら、だけどな」
「はい……?」
「……俺から誘うのは駄目なのか?」
「は?! いや、駄目じゃないですけど?! 待ってください、急にそんな……! やっぱり、可愛すぎて、死ぬ……」
「可愛いとかは置いておくとして、死なれちゃ困るな。仕事が回らん」
「全力で片付けます!」
「そうこなくっちゃな、愛しの王子様」
「ぐ……。さすがは兄妹」
「誰が小悪魔だ」
「ふふ。マジで、秒で片付けますからね!」
「ハイハイ。お手柔らかに」
 カンロから本を受け取り、期待に胸を膨らませる。
 さあ、この本はどんなハッピーエンドを迎えるのだろうか――。
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