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(99)生意気貴族と強面剣士
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商談の帰り道、リヴィアーレは腹を空かせた野良剣士に出会う。関わり合いにならない様、話を切り上げて去ろうとするが……。
強面剣士×生意気貴族。珍しく受けっぽい方が受けです。ガチ泣きしちゃう成人男性が好きです!
リヴィアーレ=イゾラ:生意気背伸び貴族。実はメンタル弱め。
レハイア=アノン:強面野良剣士。自分の欲求に正直。
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僕はリヴィアーレ=イゾラ。立派な身なり、そして振る舞いでも分かる通り、貴族である。そう、お貴族様なのである。だというのに……!
「どうして僕がこんな目に……」
隣国のお偉いさんとの商談が無事に終わり安堵した僕は、馬車の中で眠っていたのだが……。
「衝撃で目が覚めた瞬間、馬車から放り出されてて、崖の下に真っ逆さまだなんて。俺が魔法を使えたから怪我せず着地できたものの」
大方、御者が事故ったのだろう。全く、もしも対人だったら面倒だ。
「いや、こんな山奥に人などいないだろう」
とにかく、一度上へあがって状況を確かめ――。
「おい。アンタ、ここらの人間か?」
「ひっ」
魔法で浮かせた足を突然掴まれ、地面に落ちる。
「悪い。そんなビビるとは思ってなくて」
「びび……?! 一体誰に向かってそんな口を……」
地面にぶつけた尻を撫でつつ、声の主を見る。
な、なんだこの筋肉男は!
「大丈夫かよ、兄ちゃん。ほら、立てるか?」
「汚い手で触るな! 私はリヴィアーレ=イゾラ。お前のような者が触れていい身分ではないぞ!」
差し出された手を叩き、屈強な男を押しのける。そう。この男、恐らく野良剣士なのだろう。とにかく厳つい体つきで、見るからにガサツ。僕が一番苦手とする人種なのだ。
「そうかい? でもよお」
「ひ……」
ゆらりと再び近づいた男が僕に向かって手を伸ばす。
怒ったのか? 今ので? 僕は本当のことを言っただけ! だけど! タイマンはヤバい!
「お、お前たち、いるんだろ?! 早く下りてきてコイツをどうにかしてくれ!!」
崖の上に向かって精一杯叫ぶ。連れてきたのは何も御者だけではない。こっちだって屈強な護衛ぐらい雇って――。
「誰もいないみたいだぞ?」
「なっ」
まさか! 事故で死んだ……? それとも、僕を置いて逃げた……?
「まあ、好都合だ」
「は、何を……!」
胸倉を掴まれたかと思うと、僕に鼻を近づけた男がくんくんとあちこち匂いを嗅ぎ出す。
変態だ、コイツ、絶対に変態だ……!
「いい匂い。ここか?」
「ひっ!」
ポケットに手を突っ込まれてそのまま中を探られる。そして――。
「お、クッキーじゃねえか。ラッキー」
「は?」
可愛らしい包みに入ったクッキーを手にした男が嬉しそうに笑う。
そういえば、出発前にフィアンセに貰ったんだっけ。ポケットにねじ込んだまま忘れてたな……。
「なあ、食っていいか~? これ」
「え……?」
盛大な腹を鳴らした男が、クッキーを食い入るように見つめて問う。
「俺、腹減ってんだよ。兄ちゃんからいい匂いしたから声かけたんだけど。で、食っていいか?」
「あ、えっと。それ、長い間ポッケに入れてたから砕けてるけど……」
「気にしない。くれんの、どうなの?」
「あ、ハイ。よければどうぞ!」
「よし! いただきます!」
圧に押し負けオッケーを出した途端、男はクッキーを豪快に貪り、笑う。
「あ~。甘さが沁みるねぇ~!」
ああ野蛮だ! これ以上コイツとは関わりたくない。一刻も早くこの場を去らなければ!
「なあ、足りねえんだけど。もっとねえの?」
「ひっ……。あ、えと、そう、私の屋敷にあるから、その、今取りに行かせる! からっ、そこで待っててくれると嬉しいな~、なんて」
本当のところは不躾だと怒鳴り返してやりたいところだったのだが。がっしりと肩を掴まれた僕は、情けないことに目を泳がせながら適当な嘘を述べることしかできなかった。
冗談じゃない! こんな野蛮人を餌付けして良いことがあるとは思えない。僕は慈善家じゃないんだぞ? 金のない奴は勝手に飢え死んでくれ!
「案内してくれればついて行くぞ?」
「いや、その、私はまだ用事が残っているのでね。貴方は安心してここで私の使いを待つと良い」
一生使いは来ないけどな。悪く思うなよ、腹ペコ筋肉剣士。
「そうか。恩に着るぜ、兄ちゃん」
「あ~。ハイ」
若干の罪悪感はあるが、下民に付き合う趣味はない。ので、とっとと魔法を使って崖を登ろうとしたのだが。。
「待て!」
「痛ッ! お前、何してくれて――!」
ぐん、と馬鹿力で引き寄せられ再び尻餅をついたので、文句を言うべく男に振り返る。が、男はすらりと腰の剣を抜き――。
謀ったのがバレたのか?! こ、殺されるっ!
「そのまま息を止めていろ」
「ひっ、ゆ、許して……!」
「喋るなと言っている! ほら、来るぞ!」
「へ?」
ざあっ。
男が示唆した方向から異音が聞こえたので目を凝らす。
なんだ? 黒い豆粒みたいなのが、いっぱい……。いや、あれ、蝙蝠の大群か? え、待て待て待て。それにしちゃあデカ過ぎる。というか、どんどん近づいて……!
「ちゃんと掴まってろよ?」
「ひっ、な、なん、なに……ッ!?」
訳も分からないままに抱き寄せられ、涙目になりながら目を瞑る。
低空飛行で迫りくる蝙蝠の数は尋常ではなく、恐らくあのスピードで来られて巻き込まれたら息をする間もなく死ぬだろう。
僕は、こんなところで蝙蝠に轢かれて死ぬってのか……? クソ、こんな人生だったら、無理やり金持ちブスフィアンセなんか作らないでまともな恋愛の一つでもしておくんだった……!
「……はあッ!」
「う……」
男の掛け声を合図にして突風が起こり、辺りに蝙蝠の断末魔が響き渡る。
まさかとは思うが、これ、剣を振るった風圧だっていうのか……?
「大丈夫だったか? 兄ちゃん」
目を開けると、片手で大剣を鞘に戻した男がにこりとこちらに向かって微笑んだ。
「これ、一瞬で……?」
辺りを見渡すと、木々はなぎ倒され、地面は抉れ、巨大な蝙蝠たちは束になって倒れていた。
「はは。こう見えて剣の腕には自信がある」
どう見えていると思っているのかは知らないが、こんな怪物を一瞬で片付けてしまうなんて、予想以上にこの男はヤバい奴なのかもしれない。
「てか、この怪物、一体何……?」
「知らないのか? 蝙蝠だ」
「いや、大きさがおかしいだろ……」
「最近はこのサイズが基本だろ?」
んなわけあるか、とツッコみたかったが、そういえば最近諸国で蝙蝠の大量発生がどうのと騒がれていたのを思い出す。
怪異だ死人が出た国が滅ぼされただの余りに現実味のない話だったので嘘かと思っていたが。
「あれは本当に蝙蝠なのか?」
「さてな。んじゃ、クッキーのお礼も返せたし。どうやら兄ちゃんからはこれ以上貰えないみたいだし。俺、そろそろ行くわ。達者でな」
「え、ああ……」
何だよ、嘘ついたの分かってたのかよ。罪悪感を抱いて損した。
「って、待て。蝙蝠が来た方向って……」
「ああ、イゾラ領だろうな」
あっけらかんと答えた男に苛立ちを覚えつつ、意を決す。
「おい。私がお前を雇ってやる。だから、今すぐ私と共に来い!」
「え~? それ、俺になんのメリットがあんの?」
「屋敷に行けば食べ物を分けてやる! 勿論金だって払う! だから……」
倒された蝙蝠の死体を見て吐き気を覚える。もしかしたら、馬車に乗っていた者たちもコイツらに襲われてしまったのかもしれない。
あんなの、魔法が使えるとはいえ、一人でどうにかできる気がしない。そもそも僕は攻撃魔法が得意ではない。だけど、行かなきゃいけないんだ。僕は、こんなところじゃ終われない! だから。
「お前は私の盾となれ」
「へえ。兄ちゃん、そんな真面目な顔も出来たんか。……ま。そうだな。俺としても、ここでこうしてても拉致開かねェし。いっちょやるか」
ごきごきと指を鳴らした男が僕の背中をばしりと叩く。
痛い、と抗議したいところだったが、それどころではないので言葉を飲み込み、転移の呪文を詠唱する。
頼むから、無事であってくれ……。
*
「へぇ。中々便利だな。転移魔法ってんのも」
まさか、このお坊ちゃんが転移魔法を使えるとは思いもしなかった。そこそこに難しい魔法だと聞いたことがあった気がするが、聞き間違いだっただろうか。
「クソ! こんなことが……!」
俺の呟きに反応することもなく、木っ端微塵になった城跡を見てリヴィアーレがその場に座り込む。
「あ~。これじゃあ何もありつけないな。悪いが兄ちゃん、やっぱり俺はここらで……」
生憎俺は慈善家ではないので、世間知らずのお坊ちゃんに別れを告げるべく、その肩に手を伸ばす。が。
「う、ひっ、うう~」
「な、おい兄ちゃん! 何、本気で泣いてんだ?!」
地面に顔を伏して泣きだしたリヴィアーレにぎょっとする。おいおい、いくらボンボンだからって、大の大人がこんな幼子みたいに泣くか、普通。
「だ、だって、全部ないんだぞ?! 僕は、金と名声を必死にかき集めて、やっと貴族としてやっていけるようになったっていうのに! これからここを拠点に、どんどん土地を広げていく予定だったのに! これからなんだぞ?! 僕の時代は! リヴィアーレ=イゾラの名を轟かせるはずが! こんな……ううっ。もう嫌だァ……」
なるほど。このお坊ちゃんも完全に甘ちゃんなわけじゃなかったらしい。だが。
「兄ちゃん、そんなんじゃこれからのこの時代、生きていけねェぞ?」
恐らく、蝙蝠の突然変異は序の口だ。これからこの世界、魔物の数がもっと増えてゆくのだろう。勘でしかないのだが、俺の勘は馬鹿にはできない。
「どの道、僕はもう生きちゃいれない! もう終わりだ……」
「一度の失敗で何だよ。兄ちゃん、しっかりしな」
「う、ううう……。ない、ない……。僕が貴族の真似して集めた宝石も! 珍しい鳥の羽も! 押し花も! それに、あの媚びフィアンセも、イゾラに仕えていたみんなも……う、ううっ、どこ? どこに埋まってる……?!」
「馬鹿。やめとけ。んなもん、とっくに蝙蝠に食われてらァ。特に人間なんかは……」
「うああああああん!!!」
鼓膜が破れるんじゃないかと思ったほどにでかい声でリヴィアーレが泣き叫ぶ。
「お、おい。泣くな! お前、いい歳した男がそんな……」
「うう、うえええん!! どうせ僕は、男らしくなんかないからッ、いつもッ、みんなに女々しいって、言われてきたしッ、僕だって、こんなの、嫌いだけどッ……」
「おい、頼むからやめろ」
男に泣かれたって、何の得にもならないだろうが。マジでこれ以上は関わってらんねェ。適当に宥めて、さっさと逃げ……。
「う、うう。でもっ、だけどっ、泣きたいもんは泣きたいんだもん……!」
「……」
顔を上げたリヴィアーレを見た瞬間、言葉を失う。涙と土でぐちゃぐちゃになったその顔が、不覚にも可愛いと思ってしまったのだ。
「じゃなくて。とにかく俺は行くからな。後は自分でなんとか……」
「ま、待って!」
「おい!」
俺の後を追おうと立ち上がり、見事に足を縺れさせたリヴィアーレを慌てて抱き留める。
「危ねェだろ、兄ちゃん!」
「う、でも、最後に、名前だけ、教えて……?」
「俺のか?」
「ん」
「別に、名乗るほどの者じゃ」
「お願い」
「……レハイア」
上目遣いとか細い声が絶妙に刺さり、ついつい要らないことを教えてしまう。
「レハイア。良い名だ……。んじゃあ、家の名前は……?」
「それは要らねえだろ?」
「お願いだ、教えてくれよ」
「……」
あ~。これはマジでミスったかもしれん。
リヴィアーレの瞳に狡猾さが見えたところで、踵を返し、走り出そうとする。が。
「レハイア、“行かないで”」
「チッ」
リヴィアーレがそう言った途端、足が動かなくなる。
「レハイア、“君はこれから僕と一緒に居ろ。それでもって僕を守れ”」
「お前、言霊を操れるのか」
どうやら、本当に魔法の腕はあるらしい。
「家名まではわからなかったから、成功するかは賭けだったけどね」
「クソ……」
涙を拭ったリヴィアーレがニタリと笑う。だが、あの泣きじゃくり方は本物だった。転んでもただでは起きないということだろうか。
「はは。そんな顔したって、お前はもう私の思うがままだ。どうだ、悔しいか?」
「確かに俺は兄ちゃんを少々甘く見てたかもな。でも、だ」
「ん?」
「それは兄ちゃんにも言えることだ」
「は……?」
ヒュッ。
放った石がリヴィアーレの頬を掠め、壁に当たって砕け散る。
「ああ。あと少し右か。中々に難しい」
「は? なんで魔法に抗えて……? てか、石投げただけでその威力……?!」
「心配するな。次は心臓に当てる」
「ま、待て! レハイア、やめろ! “私に危害を加えるな!”」
「チッ。いいぜ。どっちの力が上か試してやろうじゃねーか」
「っ! 冗談じゃない!」
逃げ出そうとするリヴィアーレの腕を掴み、腰を引き寄せる。そして。
「悪いな、兄ちゃん」
「んむ!?」
唇を重ねると、思った通り体の自由が利くようになる。
「はは! やっぱり、魔法っての本体の動揺を誘えば脆いな」
「うう……。そんな方法、卑怯だ……。うええ、僕のファーストキスが……」
「悪いな兄ちゃん。童貞には刺激が強かったな。ま、強くないと意味がないがな」
「う、うるさいな! だったら、もう一度……!」
「同じ手に乗るかよ」
「ん、う! んんむ!」
呪文が紡がれるより先にリヴィアーレの口を手で塞ぐ。
「また俺を操ろうってんなら、命令し終わる前に、その生白い喉を掻っ切ってやるぞ?」
「ッ……」
「そうそう。そうやって大人しく待ってりゃ、その内助けが来るだろう。俺は忙しい。これ以上は引き止めてくれるな。じゃあな」
「……嫌だ。待て」
今度こそはと別れを告げるが、やはりすぐに裾を引っ張られる。
「あのな……」
「僕は、こんなとこじゃ終われない……」
「ん?」
「僕は、あと少しで誰からも愛され敬われる伯爵になれた! のに! またゼロからスタートなんて、そんなのごめんだ! 」
「……」
「僕がお前を絶対服従させてやる。そして、僕がこの災害を終わらせてやるんだ!」
「お前が命令しなくても俺はやるさ。俺はこれを終わらせるために来たんだ」
「お前を使役して僕が手柄を取るんだ。そうすれば、イゾラもきっとまた……」
「めんどくさい奴だな」
「おい、それ以上近づくと魔法を撃つぞ?」
震えながらもリヴィアーレは手の平に炎を灯す。
「は~。手荒な真似はしたくなかったんだが。中々お前の力も侮れないからな」
「っ!」
踏み込んだ途端、炎が放たれる。が、思ったよりも威力が弱い。どうやら攻撃は得意としていないようだ。
「ま、危険な芽は摘み取っておくに限る。恨むんなら自分を恨めよ、お坊ちゃん」
「……ぐ、放せ!」
炎をはね除け、リヴィアーレをねじ伏せる。
コイツの魔法を完全に封じる簡単な手立てがある。そう。キスなんかよりももっと深いトラウマを植え付けることができればいい。
「ま、待て、お前、なに笑って……」
「笑ってる? まさか」
男相手に欲情して堪るか。これはただの手立てだ。そこに感情などない、はずなのに。
「やめ、やめろ、レハイア……! 止めろと言っている! 頼むから、やめてくれ……!」
リヴィアーレの怯える顔が、か弱い手足が、真っ白いその肌が、掠れたその声が。どうにも俺の理性を掻き乱す。
まさか、これすらもがリヴィアーレの思惑だというのだろうか。
そう思い手を止めようとしたのだが、リヴィアーレの瞳に溜まった涙を見て、すぐに欲がぶり返す。
これはよくない。よくないのだが、もう今更、止まれる気がしなかった。
*
酷い目に遭った。魔物に襲われ、城を失い、処女までもを失った。ここまでくれば、流石の僕でも再起不能だ。完全に頭が真っ白で、体もあちこち痛い。ので、動こうにも動けない。
「悪い。やりすぎた」
「……ホントにね」
隣で申し訳なさそうに詫びたレハイアから水を受け取り、喉を潤す。が、水を飲んだぐらいじゃ声は元に戻らない。がらがらになったこの声じゃ、碌に呪文も紡げないだろう。
「すまん。ここまでやるつもりはなかったんだが……」
再び謝るレハイアから目を逸らし、真っ白なシーツを見つめる。どうやら、あの後宿まで運んでくれたらしい。服も新しいものに取り替わっているから、恐らく綺麗にしてくれたのだろう。でも、そんなアフターケアをされたって、アレが帳消しに訳がない。
「はあ……。僕は、やっぱり駄目な奴だな……。催眠も破られ、処女も奪われ……。行く宛もなし……。僕の人生、一体何だったのか……」
「悪かったって言ってるだろ。でもよ、アンタがあんまりにも色っぽいから、つい」
「は?」
僕が、何って……?
「あ~、今の無し。わかったよ。責任は取る」
「責任って」
「アノンだ」
「あのん……?」
何のことかわからず戸惑っていると、レハイアが小さく笑みをこぼす。
「俺のフルネームさ。レハイア=アノンってんだ」
「レハイア=アノン……って、今さら教えられたって、お前の顔を見るだけでトラウマなんだぞ? 催眠なんて掛けられないだろ」
「だったら、克服すればいい」
「克服……?」
「ああ。リヴィアーレ、俺と一緒に来い。そしたら、お前を守ってやる」
ざぁ。
良いタイミングで窓から風が舞い込み、髪を揺らす。
「守る? お前が? 僕を? 何のために?」
「罪滅ぼし、もしくは惚れた弱みだな」
「は?」
目の前の男は、臆することもなくそう告げた。
「お前にとっちゃ、いい話だろ? 俺に慣れたらまた催眠を掛ければいい」
「お前に慣れろと?」
「惚れてくれても構わないぞ?」
「冗談だろ? 僕に惚れた? 今の僕には何もないのに?」
悲鳴を上げるようにして枯れた声を絞り出すと、彼は僕の頭をこれ以上にないぐらい優しく撫で、複雑な笑みを浮かべた。
「別に、信じてくれなくても構わない。ただ、俺は魔物を倒しながらお前を守り、ついでに愛も教え込んでいくつもりだ。悪いな、俺は止まれない男なんだ」
「それは……。じゃあ、もし、もしもだけど。僕がお前に惚れたらどうするんだ?」
「お。なんだ、もう既に脈ありか?」
「違う、けど……」
「惚れたらな。そんなの、大切にするに決まってる。お前の望む物は何でも与えちまうかもな!」
やはり、この男の考えはわからない。僕なんかを守るメリットなどどこにもない。が、彼が嘘をついているようにも見えない。
でも。この話は悪くないかもしれない。コイツを上手く利用すれば、僕はまた貴族として立て直すことができるんじゃないだろうか。
「……僕は、まだ生きていていいというのか? 夢を見てもいいのか?」
「ああ。俺にはお前が必要だ。だから、もう一度聞く。一緒に、来てくれますか? リヴィアーレ=イゾラ様」
恭しく跪いたレハイアが僕に向かって手を差し出す。
「は。そこまで望まれちゃあ仕方ないな」
レハイアの手の平に己の手を重ね、目を瞑る。ここまで来て、選択肢などあるものか。
「レハイア=アノン。僕に夢を見せてくれ」
「仰せのままに」
強面剣士×生意気貴族。珍しく受けっぽい方が受けです。ガチ泣きしちゃう成人男性が好きです!
リヴィアーレ=イゾラ:生意気背伸び貴族。実はメンタル弱め。
レハイア=アノン:強面野良剣士。自分の欲求に正直。
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僕はリヴィアーレ=イゾラ。立派な身なり、そして振る舞いでも分かる通り、貴族である。そう、お貴族様なのである。だというのに……!
「どうして僕がこんな目に……」
隣国のお偉いさんとの商談が無事に終わり安堵した僕は、馬車の中で眠っていたのだが……。
「衝撃で目が覚めた瞬間、馬車から放り出されてて、崖の下に真っ逆さまだなんて。俺が魔法を使えたから怪我せず着地できたものの」
大方、御者が事故ったのだろう。全く、もしも対人だったら面倒だ。
「いや、こんな山奥に人などいないだろう」
とにかく、一度上へあがって状況を確かめ――。
「おい。アンタ、ここらの人間か?」
「ひっ」
魔法で浮かせた足を突然掴まれ、地面に落ちる。
「悪い。そんなビビるとは思ってなくて」
「びび……?! 一体誰に向かってそんな口を……」
地面にぶつけた尻を撫でつつ、声の主を見る。
な、なんだこの筋肉男は!
「大丈夫かよ、兄ちゃん。ほら、立てるか?」
「汚い手で触るな! 私はリヴィアーレ=イゾラ。お前のような者が触れていい身分ではないぞ!」
差し出された手を叩き、屈強な男を押しのける。そう。この男、恐らく野良剣士なのだろう。とにかく厳つい体つきで、見るからにガサツ。僕が一番苦手とする人種なのだ。
「そうかい? でもよお」
「ひ……」
ゆらりと再び近づいた男が僕に向かって手を伸ばす。
怒ったのか? 今ので? 僕は本当のことを言っただけ! だけど! タイマンはヤバい!
「お、お前たち、いるんだろ?! 早く下りてきてコイツをどうにかしてくれ!!」
崖の上に向かって精一杯叫ぶ。連れてきたのは何も御者だけではない。こっちだって屈強な護衛ぐらい雇って――。
「誰もいないみたいだぞ?」
「なっ」
まさか! 事故で死んだ……? それとも、僕を置いて逃げた……?
「まあ、好都合だ」
「は、何を……!」
胸倉を掴まれたかと思うと、僕に鼻を近づけた男がくんくんとあちこち匂いを嗅ぎ出す。
変態だ、コイツ、絶対に変態だ……!
「いい匂い。ここか?」
「ひっ!」
ポケットに手を突っ込まれてそのまま中を探られる。そして――。
「お、クッキーじゃねえか。ラッキー」
「は?」
可愛らしい包みに入ったクッキーを手にした男が嬉しそうに笑う。
そういえば、出発前にフィアンセに貰ったんだっけ。ポケットにねじ込んだまま忘れてたな……。
「なあ、食っていいか~? これ」
「え……?」
盛大な腹を鳴らした男が、クッキーを食い入るように見つめて問う。
「俺、腹減ってんだよ。兄ちゃんからいい匂いしたから声かけたんだけど。で、食っていいか?」
「あ、えっと。それ、長い間ポッケに入れてたから砕けてるけど……」
「気にしない。くれんの、どうなの?」
「あ、ハイ。よければどうぞ!」
「よし! いただきます!」
圧に押し負けオッケーを出した途端、男はクッキーを豪快に貪り、笑う。
「あ~。甘さが沁みるねぇ~!」
ああ野蛮だ! これ以上コイツとは関わりたくない。一刻も早くこの場を去らなければ!
「なあ、足りねえんだけど。もっとねえの?」
「ひっ……。あ、えと、そう、私の屋敷にあるから、その、今取りに行かせる! からっ、そこで待っててくれると嬉しいな~、なんて」
本当のところは不躾だと怒鳴り返してやりたいところだったのだが。がっしりと肩を掴まれた僕は、情けないことに目を泳がせながら適当な嘘を述べることしかできなかった。
冗談じゃない! こんな野蛮人を餌付けして良いことがあるとは思えない。僕は慈善家じゃないんだぞ? 金のない奴は勝手に飢え死んでくれ!
「案内してくれればついて行くぞ?」
「いや、その、私はまだ用事が残っているのでね。貴方は安心してここで私の使いを待つと良い」
一生使いは来ないけどな。悪く思うなよ、腹ペコ筋肉剣士。
「そうか。恩に着るぜ、兄ちゃん」
「あ~。ハイ」
若干の罪悪感はあるが、下民に付き合う趣味はない。ので、とっとと魔法を使って崖を登ろうとしたのだが。。
「待て!」
「痛ッ! お前、何してくれて――!」
ぐん、と馬鹿力で引き寄せられ再び尻餅をついたので、文句を言うべく男に振り返る。が、男はすらりと腰の剣を抜き――。
謀ったのがバレたのか?! こ、殺されるっ!
「そのまま息を止めていろ」
「ひっ、ゆ、許して……!」
「喋るなと言っている! ほら、来るぞ!」
「へ?」
ざあっ。
男が示唆した方向から異音が聞こえたので目を凝らす。
なんだ? 黒い豆粒みたいなのが、いっぱい……。いや、あれ、蝙蝠の大群か? え、待て待て待て。それにしちゃあデカ過ぎる。というか、どんどん近づいて……!
「ちゃんと掴まってろよ?」
「ひっ、な、なん、なに……ッ!?」
訳も分からないままに抱き寄せられ、涙目になりながら目を瞑る。
低空飛行で迫りくる蝙蝠の数は尋常ではなく、恐らくあのスピードで来られて巻き込まれたら息をする間もなく死ぬだろう。
僕は、こんなところで蝙蝠に轢かれて死ぬってのか……? クソ、こんな人生だったら、無理やり金持ちブスフィアンセなんか作らないでまともな恋愛の一つでもしておくんだった……!
「……はあッ!」
「う……」
男の掛け声を合図にして突風が起こり、辺りに蝙蝠の断末魔が響き渡る。
まさかとは思うが、これ、剣を振るった風圧だっていうのか……?
「大丈夫だったか? 兄ちゃん」
目を開けると、片手で大剣を鞘に戻した男がにこりとこちらに向かって微笑んだ。
「これ、一瞬で……?」
辺りを見渡すと、木々はなぎ倒され、地面は抉れ、巨大な蝙蝠たちは束になって倒れていた。
「はは。こう見えて剣の腕には自信がある」
どう見えていると思っているのかは知らないが、こんな怪物を一瞬で片付けてしまうなんて、予想以上にこの男はヤバい奴なのかもしれない。
「てか、この怪物、一体何……?」
「知らないのか? 蝙蝠だ」
「いや、大きさがおかしいだろ……」
「最近はこのサイズが基本だろ?」
んなわけあるか、とツッコみたかったが、そういえば最近諸国で蝙蝠の大量発生がどうのと騒がれていたのを思い出す。
怪異だ死人が出た国が滅ぼされただの余りに現実味のない話だったので嘘かと思っていたが。
「あれは本当に蝙蝠なのか?」
「さてな。んじゃ、クッキーのお礼も返せたし。どうやら兄ちゃんからはこれ以上貰えないみたいだし。俺、そろそろ行くわ。達者でな」
「え、ああ……」
何だよ、嘘ついたの分かってたのかよ。罪悪感を抱いて損した。
「って、待て。蝙蝠が来た方向って……」
「ああ、イゾラ領だろうな」
あっけらかんと答えた男に苛立ちを覚えつつ、意を決す。
「おい。私がお前を雇ってやる。だから、今すぐ私と共に来い!」
「え~? それ、俺になんのメリットがあんの?」
「屋敷に行けば食べ物を分けてやる! 勿論金だって払う! だから……」
倒された蝙蝠の死体を見て吐き気を覚える。もしかしたら、馬車に乗っていた者たちもコイツらに襲われてしまったのかもしれない。
あんなの、魔法が使えるとはいえ、一人でどうにかできる気がしない。そもそも僕は攻撃魔法が得意ではない。だけど、行かなきゃいけないんだ。僕は、こんなところじゃ終われない! だから。
「お前は私の盾となれ」
「へえ。兄ちゃん、そんな真面目な顔も出来たんか。……ま。そうだな。俺としても、ここでこうしてても拉致開かねェし。いっちょやるか」
ごきごきと指を鳴らした男が僕の背中をばしりと叩く。
痛い、と抗議したいところだったが、それどころではないので言葉を飲み込み、転移の呪文を詠唱する。
頼むから、無事であってくれ……。
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「へぇ。中々便利だな。転移魔法ってんのも」
まさか、このお坊ちゃんが転移魔法を使えるとは思いもしなかった。そこそこに難しい魔法だと聞いたことがあった気がするが、聞き間違いだっただろうか。
「クソ! こんなことが……!」
俺の呟きに反応することもなく、木っ端微塵になった城跡を見てリヴィアーレがその場に座り込む。
「あ~。これじゃあ何もありつけないな。悪いが兄ちゃん、やっぱり俺はここらで……」
生憎俺は慈善家ではないので、世間知らずのお坊ちゃんに別れを告げるべく、その肩に手を伸ばす。が。
「う、ひっ、うう~」
「な、おい兄ちゃん! 何、本気で泣いてんだ?!」
地面に顔を伏して泣きだしたリヴィアーレにぎょっとする。おいおい、いくらボンボンだからって、大の大人がこんな幼子みたいに泣くか、普通。
「だ、だって、全部ないんだぞ?! 僕は、金と名声を必死にかき集めて、やっと貴族としてやっていけるようになったっていうのに! これからここを拠点に、どんどん土地を広げていく予定だったのに! これからなんだぞ?! 僕の時代は! リヴィアーレ=イゾラの名を轟かせるはずが! こんな……ううっ。もう嫌だァ……」
なるほど。このお坊ちゃんも完全に甘ちゃんなわけじゃなかったらしい。だが。
「兄ちゃん、そんなんじゃこれからのこの時代、生きていけねェぞ?」
恐らく、蝙蝠の突然変異は序の口だ。これからこの世界、魔物の数がもっと増えてゆくのだろう。勘でしかないのだが、俺の勘は馬鹿にはできない。
「どの道、僕はもう生きちゃいれない! もう終わりだ……」
「一度の失敗で何だよ。兄ちゃん、しっかりしな」
「う、ううう……。ない、ない……。僕が貴族の真似して集めた宝石も! 珍しい鳥の羽も! 押し花も! それに、あの媚びフィアンセも、イゾラに仕えていたみんなも……う、ううっ、どこ? どこに埋まってる……?!」
「馬鹿。やめとけ。んなもん、とっくに蝙蝠に食われてらァ。特に人間なんかは……」
「うああああああん!!!」
鼓膜が破れるんじゃないかと思ったほどにでかい声でリヴィアーレが泣き叫ぶ。
「お、おい。泣くな! お前、いい歳した男がそんな……」
「うう、うえええん!! どうせ僕は、男らしくなんかないからッ、いつもッ、みんなに女々しいって、言われてきたしッ、僕だって、こんなの、嫌いだけどッ……」
「おい、頼むからやめろ」
男に泣かれたって、何の得にもならないだろうが。マジでこれ以上は関わってらんねェ。適当に宥めて、さっさと逃げ……。
「う、うう。でもっ、だけどっ、泣きたいもんは泣きたいんだもん……!」
「……」
顔を上げたリヴィアーレを見た瞬間、言葉を失う。涙と土でぐちゃぐちゃになったその顔が、不覚にも可愛いと思ってしまったのだ。
「じゃなくて。とにかく俺は行くからな。後は自分でなんとか……」
「ま、待って!」
「おい!」
俺の後を追おうと立ち上がり、見事に足を縺れさせたリヴィアーレを慌てて抱き留める。
「危ねェだろ、兄ちゃん!」
「う、でも、最後に、名前だけ、教えて……?」
「俺のか?」
「ん」
「別に、名乗るほどの者じゃ」
「お願い」
「……レハイア」
上目遣いとか細い声が絶妙に刺さり、ついつい要らないことを教えてしまう。
「レハイア。良い名だ……。んじゃあ、家の名前は……?」
「それは要らねえだろ?」
「お願いだ、教えてくれよ」
「……」
あ~。これはマジでミスったかもしれん。
リヴィアーレの瞳に狡猾さが見えたところで、踵を返し、走り出そうとする。が。
「レハイア、“行かないで”」
「チッ」
リヴィアーレがそう言った途端、足が動かなくなる。
「レハイア、“君はこれから僕と一緒に居ろ。それでもって僕を守れ”」
「お前、言霊を操れるのか」
どうやら、本当に魔法の腕はあるらしい。
「家名まではわからなかったから、成功するかは賭けだったけどね」
「クソ……」
涙を拭ったリヴィアーレがニタリと笑う。だが、あの泣きじゃくり方は本物だった。転んでもただでは起きないということだろうか。
「はは。そんな顔したって、お前はもう私の思うがままだ。どうだ、悔しいか?」
「確かに俺は兄ちゃんを少々甘く見てたかもな。でも、だ」
「ん?」
「それは兄ちゃんにも言えることだ」
「は……?」
ヒュッ。
放った石がリヴィアーレの頬を掠め、壁に当たって砕け散る。
「ああ。あと少し右か。中々に難しい」
「は? なんで魔法に抗えて……? てか、石投げただけでその威力……?!」
「心配するな。次は心臓に当てる」
「ま、待て! レハイア、やめろ! “私に危害を加えるな!”」
「チッ。いいぜ。どっちの力が上か試してやろうじゃねーか」
「っ! 冗談じゃない!」
逃げ出そうとするリヴィアーレの腕を掴み、腰を引き寄せる。そして。
「悪いな、兄ちゃん」
「んむ!?」
唇を重ねると、思った通り体の自由が利くようになる。
「はは! やっぱり、魔法っての本体の動揺を誘えば脆いな」
「うう……。そんな方法、卑怯だ……。うええ、僕のファーストキスが……」
「悪いな兄ちゃん。童貞には刺激が強かったな。ま、強くないと意味がないがな」
「う、うるさいな! だったら、もう一度……!」
「同じ手に乗るかよ」
「ん、う! んんむ!」
呪文が紡がれるより先にリヴィアーレの口を手で塞ぐ。
「また俺を操ろうってんなら、命令し終わる前に、その生白い喉を掻っ切ってやるぞ?」
「ッ……」
「そうそう。そうやって大人しく待ってりゃ、その内助けが来るだろう。俺は忙しい。これ以上は引き止めてくれるな。じゃあな」
「……嫌だ。待て」
今度こそはと別れを告げるが、やはりすぐに裾を引っ張られる。
「あのな……」
「僕は、こんなとこじゃ終われない……」
「ん?」
「僕は、あと少しで誰からも愛され敬われる伯爵になれた! のに! またゼロからスタートなんて、そんなのごめんだ! 」
「……」
「僕がお前を絶対服従させてやる。そして、僕がこの災害を終わらせてやるんだ!」
「お前が命令しなくても俺はやるさ。俺はこれを終わらせるために来たんだ」
「お前を使役して僕が手柄を取るんだ。そうすれば、イゾラもきっとまた……」
「めんどくさい奴だな」
「おい、それ以上近づくと魔法を撃つぞ?」
震えながらもリヴィアーレは手の平に炎を灯す。
「は~。手荒な真似はしたくなかったんだが。中々お前の力も侮れないからな」
「っ!」
踏み込んだ途端、炎が放たれる。が、思ったよりも威力が弱い。どうやら攻撃は得意としていないようだ。
「ま、危険な芽は摘み取っておくに限る。恨むんなら自分を恨めよ、お坊ちゃん」
「……ぐ、放せ!」
炎をはね除け、リヴィアーレをねじ伏せる。
コイツの魔法を完全に封じる簡単な手立てがある。そう。キスなんかよりももっと深いトラウマを植え付けることができればいい。
「ま、待て、お前、なに笑って……」
「笑ってる? まさか」
男相手に欲情して堪るか。これはただの手立てだ。そこに感情などない、はずなのに。
「やめ、やめろ、レハイア……! 止めろと言っている! 頼むから、やめてくれ……!」
リヴィアーレの怯える顔が、か弱い手足が、真っ白いその肌が、掠れたその声が。どうにも俺の理性を掻き乱す。
まさか、これすらもがリヴィアーレの思惑だというのだろうか。
そう思い手を止めようとしたのだが、リヴィアーレの瞳に溜まった涙を見て、すぐに欲がぶり返す。
これはよくない。よくないのだが、もう今更、止まれる気がしなかった。
*
酷い目に遭った。魔物に襲われ、城を失い、処女までもを失った。ここまでくれば、流石の僕でも再起不能だ。完全に頭が真っ白で、体もあちこち痛い。ので、動こうにも動けない。
「悪い。やりすぎた」
「……ホントにね」
隣で申し訳なさそうに詫びたレハイアから水を受け取り、喉を潤す。が、水を飲んだぐらいじゃ声は元に戻らない。がらがらになったこの声じゃ、碌に呪文も紡げないだろう。
「すまん。ここまでやるつもりはなかったんだが……」
再び謝るレハイアから目を逸らし、真っ白なシーツを見つめる。どうやら、あの後宿まで運んでくれたらしい。服も新しいものに取り替わっているから、恐らく綺麗にしてくれたのだろう。でも、そんなアフターケアをされたって、アレが帳消しに訳がない。
「はあ……。僕は、やっぱり駄目な奴だな……。催眠も破られ、処女も奪われ……。行く宛もなし……。僕の人生、一体何だったのか……」
「悪かったって言ってるだろ。でもよ、アンタがあんまりにも色っぽいから、つい」
「は?」
僕が、何って……?
「あ~、今の無し。わかったよ。責任は取る」
「責任って」
「アノンだ」
「あのん……?」
何のことかわからず戸惑っていると、レハイアが小さく笑みをこぼす。
「俺のフルネームさ。レハイア=アノンってんだ」
「レハイア=アノン……って、今さら教えられたって、お前の顔を見るだけでトラウマなんだぞ? 催眠なんて掛けられないだろ」
「だったら、克服すればいい」
「克服……?」
「ああ。リヴィアーレ、俺と一緒に来い。そしたら、お前を守ってやる」
ざぁ。
良いタイミングで窓から風が舞い込み、髪を揺らす。
「守る? お前が? 僕を? 何のために?」
「罪滅ぼし、もしくは惚れた弱みだな」
「は?」
目の前の男は、臆することもなくそう告げた。
「お前にとっちゃ、いい話だろ? 俺に慣れたらまた催眠を掛ければいい」
「お前に慣れろと?」
「惚れてくれても構わないぞ?」
「冗談だろ? 僕に惚れた? 今の僕には何もないのに?」
悲鳴を上げるようにして枯れた声を絞り出すと、彼は僕の頭をこれ以上にないぐらい優しく撫で、複雑な笑みを浮かべた。
「別に、信じてくれなくても構わない。ただ、俺は魔物を倒しながらお前を守り、ついでに愛も教え込んでいくつもりだ。悪いな、俺は止まれない男なんだ」
「それは……。じゃあ、もし、もしもだけど。僕がお前に惚れたらどうするんだ?」
「お。なんだ、もう既に脈ありか?」
「違う、けど……」
「惚れたらな。そんなの、大切にするに決まってる。お前の望む物は何でも与えちまうかもな!」
やはり、この男の考えはわからない。僕なんかを守るメリットなどどこにもない。が、彼が嘘をついているようにも見えない。
でも。この話は悪くないかもしれない。コイツを上手く利用すれば、僕はまた貴族として立て直すことができるんじゃないだろうか。
「……僕は、まだ生きていていいというのか? 夢を見てもいいのか?」
「ああ。俺にはお前が必要だ。だから、もう一度聞く。一緒に、来てくれますか? リヴィアーレ=イゾラ様」
恭しく跪いたレハイアが僕に向かって手を差し出す。
「は。そこまで望まれちゃあ仕方ないな」
レハイアの手の平に己の手を重ね、目を瞑る。ここまで来て、選択肢などあるものか。
「レハイア=アノン。僕に夢を見せてくれ」
「仰せのままに」
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