87 / 132
81~90
(84)夏夜夢
しおりを挟む
どうやっても叶わない己の恋を叶えるため、妖精に媚薬を貰ったエリーナ。しかし、手違いにより、想い人であるミストは親友の恋人であるライに惚れてしまい……。
許婚の恋人×媚薬盛られ坊ちゃん。そして添える程度のご都合百合。夏の夜の夢のふわっとパロディです。すみません。タイトル思いつかなんだ。楽曲聞きながらさらっと読むのがおすすめの楽しみ方です(?)恋敵と媚薬が好きです!
ミーア:正ヒロイン。幼馴染であるライと両想い。身分はミストと同じぐらい高い。
エリーナ:ミーアとライの幼馴染。ミストに片思い。身分はこの中でいうと一番低い。
ライ:ミーアと両想い。身分はミーア・ミストより少し低い。
ミスト:ミーアの許婚。ライとミーアの関係を断ち切ろうと邪魔をする。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あるところに、恋に溺れた愚かな若者がいました。
「ああ! これでワタシの恋は叶うというのね……!」
声を弾ませて森の妖精から小瓶を受け取った少女は、己の幸運を噛みしめました。
「ああ、感謝します。賢者様! まさか本当に妖精と出会えるなんて!」
少女エリーナは、不毛な恋をしていました。彼女の恋した相手は、名門貴族の一人息子である青年ミスト。エリーナの家も貴族の端くれなので、望みは一応あったのですが……。
「ミーア相手じゃ、こうでもしないと叶うワケないじゃない……」
ミストは、エリーナの幼馴染であり親友でもある少女、ミーアの許婚でした。ミーアは、それはそれは可愛く可憐な少女で、エリーナよりもずっと階級が上、ミストと釣り合う貴族の娘だったのです。だから。ミストとミーアは生まれる前から親にその結婚を決められていたのです。
「でも。ミーアだってそれは望んでいないんだもの。だったら、ワタシは、幼馴染たちのために、そしてなにより自分のために、この媚薬を使うわ!」
さて。エリーナが賢者から情報を経て、妖精に己の長い髪を渡して得たその媚薬。それは、恋に溺れた愚かな若者たちの運命をどのように変えてゆくのでしょうか。
所変わって、ミーアの屋敷。
「ミーア! いい加減、こんな浮ついた男を追いかけるのはやめてくれ」
「あら、ミスト。そんなの私の勝手でしょう?」
「ミーア、僕はライなんかと違って君を幸せにできる。それに、これは僕たちだけの問題じゃない。家同士の問題だ。いいかい? 現実的に考えないと将来苦しむのは君なんだ」
いつまで経っても振り向かないミーアに苛立ちを覚えたミストは、彼女にアプローチを掛けるべく家を訪ねたところだったのですが。
「ミーア。こんな親の言いなりお坊っちゃんなんか、ほっとこうぜ。そろそろ教会へ行く時間だ」
「ライ……。そうね。行きましょう」
ミーアに詰め寄るミストの前に立ち塞がったのは、ややラフな格好に身を包んだ今時の青年、ライでした。彼こそがミストの宿敵、ミーアの恋人。そう。ミーアには許婚とは別に、愛する人が存在していたのです。
「待て! お前、ミーアは僕の許嫁なんだぞ? 僕に逆らうことはミーアの親に逆らうのと同義だ!」
「はは。上等。いつまでも乳離れできない坊ちゃんとは違うんでね。いざとなれば駆け落ちでもしてやるさ」
「ぐっ……」
ライは、掴みかかってきたミストの腕を軽く捻りそのまま突き飛ばすと、ミーアの肩を抱いてその場を去ってゆきました。
「クソが。ふざけやがって……。絶対に後悔させてやる」
床に拳を叩きつけながら、そう呟いたミストの瞳は怒りに燃えていました。
ああ、どうして彼らはこうも恋に苦しまなくてはならないのでしょう。
「ああ、ミスト。やっぱりアナタはここに来ていたのね」
己の計画を実行すべくミストを探していたエリーナは、ミーアの屋敷前で彼との再会を果たしました。
「なんだ。エリーナか。今は忙しい。話なら後にしてくれ」
「そう言って、アナタはまたミーアを追いかけるつもりなのでしょう?」
「ああそうさ。だが、君には関係ないだろう?」
「何度言ったらわかってくれるの?! ワタシは、ミストのことが好きなのよ!」
悲痛な叫びを上げたエリーナでしたが、その想いはミストには届きません。
「エリーナ。何度も言うが、僕は君を愛せない。僕が結ばれるべきはミーアなんだ」
「だけど! ミーアはアナタを愛していない。ミーアが愛しているのはライでしょう?」
「それを言うなら、僕だって君を愛していない。僕が愛しているのはミーアだ」
「……いいわ。だったらワタシだって力づくでやってやるわ」
「ふん。権力もない君に一体何ができると言うんだ」
「さあ。なにができるかしらね!」
「なっ……」
エリーナが小瓶の中身をミストに向かって振りかけた途端、ミストは気を失ってその場に倒れ込みました。
「うふふ。この薬を掛けられた人間は、たちまち気絶してしまうの。そして、次に目覚めたとき、最初に視界に入れた人間に恋をしてしまう。だからね、ミスト。早く目を覚まして、その麗しい瞳でワタシを見つめて頂戴な」
「うう……」
「さあ起きて! ミスト!」
「んん……」
エリーナがミストの肩を揺さぶると、ミストはその瞳を震わせ……。
「あら? エリーナじゃない。それに、ミストは……どうしたの?」
「ミーア!」
彼が目を覚まそうというその時、タイミングよくミーアが現れたからもう大変!
「彼、具合が悪いんじゃなくて?」
「あ、えっと! 急に眠たくなっちゃったみたいっていうか……。あの、それよりミーアは教会に行く時間じゃないの?」
「ええ。そうなんだけど。ちょっと忘れ物を取りに……」
「だったら、早くしなきゃ! 取りに行きましょう! 忘れ物を!」
「でも……」
「彼ならワタシが何とかするから。さ。早く!」
エリーナは、ミーアが彼の瞳に映ってしまう前に、彼女を家へと押し入れました。が。
「うわ。ミストか?」
「ん……」
エリーナが振り返ると、ミーアの後をついてきたらしいライの姿がありました。ライは、尚も眠るミストを引っ張り起こし……。
「あ、駄目! ライ、待っ――」
「お前、こんなとこで昼寝かよ。お坊ちゃんが聞いて呆れる。おい、とっとと起きやがれ!」
「んあ……。ラ、イ……?」
「ミスト?」
ミストの様子が少しおかしいことに気づいて、その瞳を覗き込みました。
「そんな。嘘よ。こんなこと……」
エリーナはショックのあまり、その場に座り込みました。だって、ミストの瞳は、明らかにライに恋をしていましたから。
「ああ、ライ……! 君は何と眩しいんだ! どうしてそんなに麗しいんだ!」
「は?」
「うぅ……。自分でも何が何だか。だけど、この胸の高鳴り、どうやったって静まらない」
「お前な。揶揄うのも大概に……」
「ライ……。嘘じゃないんだ……」
その瞳が熱に浮かされてゆく様子を見たライは、思わず息を飲みました。普段は恋敵故に、まじまじと顔を見る機会などありませんでしたが、ミストの中性的で整った顔は同性でも見惚れるほどに美しかったのです。彼の容姿が多くの女性から支持を得ていることは、ライも知っていましたが……。
それが今、どうでしょう。こんなに自分に恋い焦がれているなんて。その水面のように美しい瞳が、自分だけを見ているなんて。悪い気はしないのです。
「ミスト。お前、薬でも盛られたのか? それとも恋が実らないあまり、ついに気がおかしくなったか?」
「わからない、わからないんだ。でも……。ああ、ライ。好きだ。愛してる。うう、こんなのおかしいのに……」
「ミスト」
ライが囁いてやると、途端にミストの体が喜びに震えました。そんな自分が許せないのか、ミストは唇を噛みしめて涙を堪えました。
「くっ。こんなことで……」
「そんなに俺が好きか?」
ライが目を細め、ミストの頰を撫でてやると、再び瞳は蕩け始めました。
「は……、好き。ああ、ライっ……」
「残念だけど知っての通り。俺が好きなのはミーアだけだ。ミスト、お前のことは嫌いなんだ」
「っ……」
ライがここぞとばかりに意地悪く囁くと、ミストはよろよろと下がり、そのまま地面に膝をつき、力なく俯いてしまいました。
ざまあないな。普段のお返しができて最高だ。
ライは、権力をもってミーアを奪おうとする彼のことが嫌いでした。ミーアにその気がないとはいえ、彼の存在は本当に邪魔でしかありませんでした。でも。
「ほら。わかったら、とっとと諦めて……」
「……」
ライは、ミストの腕を取り、顔を上げさせたところでぎょっとしました。
「な、何泣いてんだよ、お前!」
ミストは、はらはらと静かに涙を零していたのです。
「は、放してくれ……。僕は、今、とても惨めだから、君にはこんな顔、見られたくない……。放してくれ……」
どきり。ライの心臓が変な音を立てました。
「ミスト……」
いつもは高圧的な彼が、今はしおらしく泣いているのです。ライを想うが故にこんなに切ない顔をしているのです。
触りたい。風に吹かれれば消えてしまいそうなほどに儚い彼のまやかしの恋。それに少しだけ応えてやりたい。そうしたら、どんな顔をするのか、見てやりたい。
いつしか、ライはミストから目が離せなくなっていました。そして、心の赴くままに彼の頬を手の平で包み込み、唇を寄せ……。
「ちょ、ライ?! 何してるのよ!」
「あ、ミーア……」
あと少しで唇が重なるというとき、戻って来たミーアが叫び、ライは我に返りました。
「ミストも、一体何を……」
「っ……!」
ミーアの視線に耐え切れなくなったミストはライの手を振りほどき、逃げるようにしてその場を去ってゆきました。
「ちょっと、エリーナ! しっかりして! 説明をして頂戴!」
「ああ……。うん。ごめんなさい……」
その場に座り込んだまま、ショックのあまり半分意識を飛ばしていたエリーナ。それに気づいたミーアは、その肩を揺さぶり、問い詰めました。
「俺からも説明を願うよ。一体今のはどういう訳だい?」
目頭を押さえて疲れ切った顔をしたライも、エリーナに説明を求めました。
「どうもこうもないわよ……。せっかくワタシたちの愛が始まるところだったのに! アナタたちが邪魔するから――!」
エリーナは、己の計画の全てを話しました。恨み言を交えながら。そして。
「待ってよ。それじゃあミストは私じゃなく、エリーナでもなく、ライのことが好きになってしまったってこと?!」
「お前こそが俺たちの邪魔をしてるんじゃないか、エリーナ。俺はとんでもなく被害者じゃないか」
それは、見事にミーアとライの反感を買いました。でも、彼女とてここで負けを認めるわけにはいきません。
「そうかしらね。さっきは満更でもなかったようだけど?」
「まさか! ただ少し戸惑っただけだ。俺がミーア以外を好きになるはずがない!」
エリーナの反撃に、ライは勢いのままに否定しました。すると、ミーアは瞳を潤ませて、その言葉に感激しました。
「ああ、ライ! 私は貴方を信じるわ!」
「おお、ミーア! それでこそ俺の愛する人!」
手を取り合い、抱き合った二人に焦ったのはエリーナ。
「待って! 待って頂戴よ! アナタたちの仲が良いのは結構! だけど! ああ、ワタシときたらなんて可哀想なこと! 恋のために妖精に頼み込んで薬を貰ったというのに。この髪を見て頂戴! 妖精がこの髪と交換ならばいいと言ったから、泣く泣く切ったというのに! 上手くいかないなんて! ワタシの恋はすっかり阻まれてしまった!」
「それは、自業自得じゃ……」
ライは呆れながらエリーナを責めましたが、ミーアはそれを制してからエリーナに優しく問いました。
「エリーナ、落ち着いて。貴女、解毒は貰ったんでしょうね?」
「ええ。もちろん。失敗したときのためにと、ここに持ってきているわ」
「それなら貴女は、この厄介な間違いを正して、もう一度ミストに媚薬を塗り込めばいい。そうして誰もが幸せな結婚式を、二組で開きましょう?」
「ああミーア! 愚かなワタシにも優しいアナタ。どうかワタシを導いて!」
「ええ。もちろん。エリーナは私たちと幼馴染の友だちじゃない。応援するに決まっているわ!」
「ったく。今度は失敗しないでくれよ?」
そうして、ミーアの慈悲によって、三人の友情がこじれることなく、その場は収まりました。が。
「ああ、ミーア。ワタシはどうしたらいいのやら……」
数日後。ミーアの元に訪れたエリーナは、やつれた顔で助けを乞いました。
「解毒は失敗したの?」
「いいえ。それ以前に彼に会えなくて。ミストったら、あれ以来自室に篭ったきり出てこないの。食事も碌に取っていないらしくて……」
「まあ! 貴女が呼んでもダメなのかしら」
「ワタシなんか見向きもしない。だからミーア、アナタだったらもしかしてと思って……」
「わかったわ」
「待て、ミーア。行く気なのか?」
「これも、私たちと私たちの友だちのためよ?」
「ミーア!」
ライは、ミーアとエリーナが気の合う親友だと理解していました。ミーアが親友を見捨てない女だということも知っていました。それに、自分だって、エリーナには幸せになってほしいのです。だから、ライは渋々といった顔で、それを了承しました。
「ミスト、出てきて頂戴。貴方の好きなクッキーを焼いてきたのよ?」
ミーアは、ミストの部屋のドアを軽くノックして、優しい声を掛けました。
「ミーアかい? まさか君が来てくれるなんて……。ああ。でも僕はダメだ。きっと前までの僕なら喜んで出て行っただろうけど……」
でも、やはりミストは暗い声でぼそぼそと呟いたまま、出てこようとしません。だって。
「ミスト、いい加減にしろ! お前はミーアの許嫁じゃなかったのかよ!」
「っ、ら、ライもいるのか……」
ライが声を発した途端、ミストの声に焦りが生まれました。だって、今のミストの心を動かせるのは、ライしかいないのですから。
「ああそうか。今はミーアよりライの方が適任だったわ……!」
「は? そこまでじゃないだろ。いくら薬の効果があるとはいえ……」
「じゃあ試しにこう言ってみてよ」
「しょうがないな……。“ミスト、今すぐ出てこないと、俺はお前に一生目を向けない”」
ライは、エリーナに言われた通りの言葉を繰り返しました。
「こんなことで上手くいくはずが……」
「いいえ。見て!」
ミーアの声にライが顔を上げると……。
「何の、用だ……」
控えめに開けられたドアから覗くミストの顔がありました。その顔は青白く、声にも覇気がなく。彼は、まるで悪魔を目にしたかのように酷く怯えて、ぐったりやつれていました。
「部屋に入れてもらって、隙をついてこれを」
エリーナは、解毒の薬をそっとライの手に渡しました。
ライがミーアを伺うと、彼女はこくりと頷きました。
よし。これも俺たちの幸せのためだ。
ライは、ぎゅっと小瓶を握りしめ、ミストへ向き直りました。そして。
「お邪魔しま~すっと」
部屋に入れないと絶交する、などと子どものような脅し文句で押し通ったライは、改めて薬の効果を怖く思いました。
まさか、あのミストがこんなに馬鹿になってしまうとは。
「てか、お前の部屋初めて見た。もっとゴテゴテしてんのかと思ったけど……。こんな何もない部屋で寂しくないのかよ?」
興味本位で見渡した部屋は、必要最低限の家具しかなく、金持ちの部屋とは思えません。
「悪かったな……。僕はこれぐらいが落ち着くんだよ……」
ベッドに腰掛けた彼が、言葉とは裏腹に居心地悪そうに視線を床に落とすと、そのまま暫く沈黙が流れました。
気まずい……。なんでコイツはこんなに大人しいんだよ。いつもみたいに噛みついてくれたらどんなに楽か! 全くもって調子が狂う!
「え~っと。お前さ、俺のどこが好きなの?」
隙を作るために何か話題を、と口をついた言葉に、ライは自分でどぎまぎしました。
俺は何を聞いているんだ。いくら話題がないからといって……。
「ん……。それは……わかんないけど……。その、正義感強いとことか……昔っからみんなを率いてて、みんなの中心にいて、男として憧れるというか……。女性には優しかったりするのもなんかいいと思うし……。それに、ミーアに一途なのもいいなって……思って……」
ぼそぼそと紡がれた言葉と共に、いつの間にかミストの瞳からは涙が零れていました。
「えっ? お前、何また泣いてんだよ」
「な、いて、ない!」
「泣いてるだろうが馬鹿! もう俺はお前のことがさっぱりわからん!」
「僕だって、僕だってこんなのわかんない! でも、君がミーアのことを想えば想うほど胸が苦しい。苦しくて……」
「それって、まさか嫉妬なのか?」
「言うな! そんな醜い感情が、僕の中にあるなんて! そんなこと……」
「……俺はミーアを愛している。ミスト、お前はただの邪魔でしかない」
「っ……」
ライが言い切った途端、ミストの目から涙が溢れて、ついに止まらなくなりました。
「ほら、やっぱり嫉妬じゃないか」
「っう、出ていってくれ、これ以上僕を見ないでくれ!」
「いいのか? 俺を追い出せば俺は二度とここへは来ないぞ?」
「っ……。そんなの、卑怯だ……。うう……。なんで、こんな急に、弱くなったんだ、僕は……!」
己の感情が制御できなくなったミストは、ライから隠れるようにしてベッドに潜りこみました。
「ミスト、お前は俺が好きか?」
「は……。好き……。愛してる。ライ、僕は君が欲しい。本当は、見て欲しい。君だけに見つめられていたいのに……」
「だったら、お前がこっちを見ろ」
「あっ」
ライは、ミストがすっぽりと被った布を剥がすと、その体に覆いかぶさりました。
「ミスト。目をつぶって」
「……何を」
「大丈夫。俺を信じて。お前をきっと楽にさせるから」
「……ん」
ややあって、ミストの瞳が閉じられました。
「いい子だ」
ライは、震える体を抱きしめてやると、その瞼に小瓶を近づけて、しっかりと薬を落としました。
ああ。ミストの頰がこんなに滑らかだなんて……。唇が柔らかいだなんて……。知らなかった。俺は何も知らなかった。口づけたら、どんなに気持ちがいいだろうか。彼はどんな顔をするのだろうか。ああ、知りたい。ああ。どうせならば彼が俺に惚れているうちに奪っておくんだった。なんて……。
「もう目を開いていいぞ」
「ん……」
「お前も災難だったな。大丈夫か?」
目的を果たしたライは、名残惜し気にミストの頬を撫で、問いました。が。
「っ……! あ、ライ、放して、くれ……!」
「何だよ。そんなに急に嫌がらなくても」
「違っ、なんか、おかし……」
「おい、どうし……」
ライが、弱々しく拒絶するミストの腕を取った瞬間。
「あ、ああ……!」
その瞳はどろどろに熱を帯び、欲を湛え、体を震わせていました。
なんだ。良かった。これは惚れ薬の方じゃないか。
「って。俺は何を喜んで……」
頭が追いつかないうちに、ライの指はミストの唇をなぞっていました。
「や、やめろ、今、なんかおかしい、からっ……」
「ああ。俺もおかしいよ。お前のせいですっかりおかしくなっちまった」
「う。助けて。もう、ど、すれば、いいか、わかんない……」
「ミスト、俺が欲しいか?」
「は……。ほ、しい……。欲しいに決まってる……けどっ」
「我慢しなくていい。お前の言葉を全部聞かせてくれ。お前はどうしたいんだ?」
「僕、は……」
震えながら涙を溜めたミストに、ライはゆっくりと目を細めました。
「言わないと俺はこれ以上お前に触らない」
「うう……。君は、本当に、意地が悪い……」
「言え。所詮お前は薬に浮かされているだけだ。何を言っても許される」
そっぽを向いたミストの手を掴み、嫌らしい手つきでその手を撫で上げたライは笑いました。
「狡い……」
「お互い様だろ? さ、言えよ。言ったら楽になる」
やわやわと唇を触るライの手に、ミストはついに折れました。
「っ……。もっと、もっと、触って欲しい……。ライに、触って欲しい……」
「キスは?」
「してほしい……。ライに、全部、めちゃくちゃにされたい」
「お前は、すごいことを言うなぁ」
「っ……! 今のは、なしに……」
「できねーよ。お前が言ったんだ。後悔するなよ?」
そうして、二人は媚薬にまんまと踊らされて、うっかり愛を紡いでしまったのです。
翌朝。
「ミスト、起きているかしら?」「早くにごめんなさい。でも、ライが帰ってなくて――」
ライからなんの連絡も来ないことを不審に思ったミーアとエリーナは、朝早くにミストの部屋を訪ねました。が。
「俺ならここにいるぞ」
「ライ! 貴方まだここにいたのね……!」「心配したのよ?!」
目を擦りながら出てきたライに、二人は驚き、そして説明を始めました。
「アナタの帰りが遅いから昨日はずっと起きていたのだけど。少し寝てから薬を間違えて渡したことに気づいて……。それで……。その……。どうしてここにアナタがまだいるの?」
「どうしてって。一晩を明かしたからだけど?」
「え……?」
ライは体をずらし、部屋の中を示しました。勿論、二人の目に映ったのは、ベッドに眠るミストで……。
「えっと……。どういうことかしら?」
「寝た」
「寝たっていうのはその……」
「抱いたに決まってんだろ」
「は? 待ってよ。誰が誰を何って」
「俺がミストを愛した」
「じ、冗談はやめて! ミストは、男よ?」
「ああ知ってる。でも、今の俺はミストが愛おしいんだ」
「ふ、ふざけないでよ!」
「そもそもお前が薬を盛るのが悪いんだろう?」
「げ、解毒をッ……!」
そう叫び、青い顔をしたエリーナが、急いでミストに解毒剤を垂らしました。
「ライ、アナタも早く薬を!」
エリーナの言葉に、ミーアはライに解毒を押し付けました。でも、ライは首を振って笑います。
「残念だけど。俺は薬の影響なんか受けてねえんだわ」
「そんなわけないじゃない!」
「じゃあ見てな」
ライは、自らの瞼に解毒を垂らしてみせました。が。勿論、ライの心に変化はありません。
「俺が好きなのはミストだよ。ミーア」
「嘘よ……」
「悪いけど。ミーア、お前への愛はどうやら間違いだったらしい。俺はミストが欲しい。お前の時にはこんな風に思わなかったのにな」
「だったら。私だって、力づくで貴方を手に入れてやるわ!」
「み、ミーア……!」
エリーナの制止を振り切って、ミーアはライに飛びつきました。そして、彼から惚れ薬を奪い取り、振りかけようとしましたが……。
「きゃあっ!」
いとも簡単に薬を取り返されたミーアは、逆に惚れ薬を振りかけられてしまいました。
「俺を愛する気持ちが本物だってんなら、こんな薬に心を奪われないよな?」
意地悪く笑ったライは、気絶したミーアをエリーナの方に向けてから肩を揺さぶり、起こしました。
「んん……。ああ。エリーナ! 私は貴女が愛おしい……」
「え……。待って頂戴! ミーア、正気に……」
目が合った途端、ミーアはエリーナに恋をしてしまいました。全くもってライの思惑通りです。
「さあ、エリーナも。自分のしたことだ。責任取れよ?」
「あ、や、やめ……」
抱きつかれ、身動きの取れないエリーナに向かって、ライは媚薬を垂らしました。
こうして、恋に破れた少女たちは、まやかしの恋に囚われてしまったのです。
「さ。ミスト。気分はどうだ?」
「最悪に決まっている。君は、本当に、どう責任を取ってくれるんだ……。こんなこと……。両親に、どう説明すれば……」
「代わりに俺と結婚すればいい」
「馬鹿なことを」
「じゃあ駆け落ちしようか」
「僕はもう解毒を垂らされた」
「なんだ。起きていたのか」
「あれだけ五月蠅くされれば起きる」
「でも。それでも君は俺が好きだろう? 少なくともミーアより俺が好きだ」
「そんなことは……」
「ミーアのことは、お前自身の気持ちがなかったことぐらい知ってるさ。所詮は親同士が決めたことだ」
「だからってお前を好きなわけでもない」
「でも昨日はあんなに可愛く甘えてた」
「っ……」
「なあ、もう一回試してみないか? 薬のない今、ミストが耐えられたら勝ちだ」
「ふざけるな。誰が乗るか」
「でもさ。俺にはわかるんだよね。お前は元から俺に気があったはずだ。俺が気づいていないと思ったか?」
「……気のせいだ。傲慢だ」
「お前があんなに俺たちの仲を邪魔していたのも、俺にやっかんできたのも全部、そういうことじゃないのか?」
「違う。そんなはずない」
「なるほど。自分でも気づいてなかったわけか。だったら尚更。試す価値があるだろう?」
「やめてくれ……。僕は、お前のことなど……」
「いいよ。言い訳ならたくさん聞いてあげる。その代わり、俺の告白もたくさん聞いてもらうけどな」
「っ……!」
そうして、二人は再び愛し合いました。駆け落ちなんかもしたかもしれません。
結局、二組の愛が上手くいったのか? それは、妖精に聞いてみてください。きっと、笑って答えてくれるはずですから。
許婚の恋人×媚薬盛られ坊ちゃん。そして添える程度のご都合百合。夏の夜の夢のふわっとパロディです。すみません。タイトル思いつかなんだ。楽曲聞きながらさらっと読むのがおすすめの楽しみ方です(?)恋敵と媚薬が好きです!
ミーア:正ヒロイン。幼馴染であるライと両想い。身分はミストと同じぐらい高い。
エリーナ:ミーアとライの幼馴染。ミストに片思い。身分はこの中でいうと一番低い。
ライ:ミーアと両想い。身分はミーア・ミストより少し低い。
ミスト:ミーアの許婚。ライとミーアの関係を断ち切ろうと邪魔をする。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あるところに、恋に溺れた愚かな若者がいました。
「ああ! これでワタシの恋は叶うというのね……!」
声を弾ませて森の妖精から小瓶を受け取った少女は、己の幸運を噛みしめました。
「ああ、感謝します。賢者様! まさか本当に妖精と出会えるなんて!」
少女エリーナは、不毛な恋をしていました。彼女の恋した相手は、名門貴族の一人息子である青年ミスト。エリーナの家も貴族の端くれなので、望みは一応あったのですが……。
「ミーア相手じゃ、こうでもしないと叶うワケないじゃない……」
ミストは、エリーナの幼馴染であり親友でもある少女、ミーアの許婚でした。ミーアは、それはそれは可愛く可憐な少女で、エリーナよりもずっと階級が上、ミストと釣り合う貴族の娘だったのです。だから。ミストとミーアは生まれる前から親にその結婚を決められていたのです。
「でも。ミーアだってそれは望んでいないんだもの。だったら、ワタシは、幼馴染たちのために、そしてなにより自分のために、この媚薬を使うわ!」
さて。エリーナが賢者から情報を経て、妖精に己の長い髪を渡して得たその媚薬。それは、恋に溺れた愚かな若者たちの運命をどのように変えてゆくのでしょうか。
所変わって、ミーアの屋敷。
「ミーア! いい加減、こんな浮ついた男を追いかけるのはやめてくれ」
「あら、ミスト。そんなの私の勝手でしょう?」
「ミーア、僕はライなんかと違って君を幸せにできる。それに、これは僕たちだけの問題じゃない。家同士の問題だ。いいかい? 現実的に考えないと将来苦しむのは君なんだ」
いつまで経っても振り向かないミーアに苛立ちを覚えたミストは、彼女にアプローチを掛けるべく家を訪ねたところだったのですが。
「ミーア。こんな親の言いなりお坊っちゃんなんか、ほっとこうぜ。そろそろ教会へ行く時間だ」
「ライ……。そうね。行きましょう」
ミーアに詰め寄るミストの前に立ち塞がったのは、ややラフな格好に身を包んだ今時の青年、ライでした。彼こそがミストの宿敵、ミーアの恋人。そう。ミーアには許婚とは別に、愛する人が存在していたのです。
「待て! お前、ミーアは僕の許嫁なんだぞ? 僕に逆らうことはミーアの親に逆らうのと同義だ!」
「はは。上等。いつまでも乳離れできない坊ちゃんとは違うんでね。いざとなれば駆け落ちでもしてやるさ」
「ぐっ……」
ライは、掴みかかってきたミストの腕を軽く捻りそのまま突き飛ばすと、ミーアの肩を抱いてその場を去ってゆきました。
「クソが。ふざけやがって……。絶対に後悔させてやる」
床に拳を叩きつけながら、そう呟いたミストの瞳は怒りに燃えていました。
ああ、どうして彼らはこうも恋に苦しまなくてはならないのでしょう。
「ああ、ミスト。やっぱりアナタはここに来ていたのね」
己の計画を実行すべくミストを探していたエリーナは、ミーアの屋敷前で彼との再会を果たしました。
「なんだ。エリーナか。今は忙しい。話なら後にしてくれ」
「そう言って、アナタはまたミーアを追いかけるつもりなのでしょう?」
「ああそうさ。だが、君には関係ないだろう?」
「何度言ったらわかってくれるの?! ワタシは、ミストのことが好きなのよ!」
悲痛な叫びを上げたエリーナでしたが、その想いはミストには届きません。
「エリーナ。何度も言うが、僕は君を愛せない。僕が結ばれるべきはミーアなんだ」
「だけど! ミーアはアナタを愛していない。ミーアが愛しているのはライでしょう?」
「それを言うなら、僕だって君を愛していない。僕が愛しているのはミーアだ」
「……いいわ。だったらワタシだって力づくでやってやるわ」
「ふん。権力もない君に一体何ができると言うんだ」
「さあ。なにができるかしらね!」
「なっ……」
エリーナが小瓶の中身をミストに向かって振りかけた途端、ミストは気を失ってその場に倒れ込みました。
「うふふ。この薬を掛けられた人間は、たちまち気絶してしまうの。そして、次に目覚めたとき、最初に視界に入れた人間に恋をしてしまう。だからね、ミスト。早く目を覚まして、その麗しい瞳でワタシを見つめて頂戴な」
「うう……」
「さあ起きて! ミスト!」
「んん……」
エリーナがミストの肩を揺さぶると、ミストはその瞳を震わせ……。
「あら? エリーナじゃない。それに、ミストは……どうしたの?」
「ミーア!」
彼が目を覚まそうというその時、タイミングよくミーアが現れたからもう大変!
「彼、具合が悪いんじゃなくて?」
「あ、えっと! 急に眠たくなっちゃったみたいっていうか……。あの、それよりミーアは教会に行く時間じゃないの?」
「ええ。そうなんだけど。ちょっと忘れ物を取りに……」
「だったら、早くしなきゃ! 取りに行きましょう! 忘れ物を!」
「でも……」
「彼ならワタシが何とかするから。さ。早く!」
エリーナは、ミーアが彼の瞳に映ってしまう前に、彼女を家へと押し入れました。が。
「うわ。ミストか?」
「ん……」
エリーナが振り返ると、ミーアの後をついてきたらしいライの姿がありました。ライは、尚も眠るミストを引っ張り起こし……。
「あ、駄目! ライ、待っ――」
「お前、こんなとこで昼寝かよ。お坊ちゃんが聞いて呆れる。おい、とっとと起きやがれ!」
「んあ……。ラ、イ……?」
「ミスト?」
ミストの様子が少しおかしいことに気づいて、その瞳を覗き込みました。
「そんな。嘘よ。こんなこと……」
エリーナはショックのあまり、その場に座り込みました。だって、ミストの瞳は、明らかにライに恋をしていましたから。
「ああ、ライ……! 君は何と眩しいんだ! どうしてそんなに麗しいんだ!」
「は?」
「うぅ……。自分でも何が何だか。だけど、この胸の高鳴り、どうやったって静まらない」
「お前な。揶揄うのも大概に……」
「ライ……。嘘じゃないんだ……」
その瞳が熱に浮かされてゆく様子を見たライは、思わず息を飲みました。普段は恋敵故に、まじまじと顔を見る機会などありませんでしたが、ミストの中性的で整った顔は同性でも見惚れるほどに美しかったのです。彼の容姿が多くの女性から支持を得ていることは、ライも知っていましたが……。
それが今、どうでしょう。こんなに自分に恋い焦がれているなんて。その水面のように美しい瞳が、自分だけを見ているなんて。悪い気はしないのです。
「ミスト。お前、薬でも盛られたのか? それとも恋が実らないあまり、ついに気がおかしくなったか?」
「わからない、わからないんだ。でも……。ああ、ライ。好きだ。愛してる。うう、こんなのおかしいのに……」
「ミスト」
ライが囁いてやると、途端にミストの体が喜びに震えました。そんな自分が許せないのか、ミストは唇を噛みしめて涙を堪えました。
「くっ。こんなことで……」
「そんなに俺が好きか?」
ライが目を細め、ミストの頰を撫でてやると、再び瞳は蕩け始めました。
「は……、好き。ああ、ライっ……」
「残念だけど知っての通り。俺が好きなのはミーアだけだ。ミスト、お前のことは嫌いなんだ」
「っ……」
ライがここぞとばかりに意地悪く囁くと、ミストはよろよろと下がり、そのまま地面に膝をつき、力なく俯いてしまいました。
ざまあないな。普段のお返しができて最高だ。
ライは、権力をもってミーアを奪おうとする彼のことが嫌いでした。ミーアにその気がないとはいえ、彼の存在は本当に邪魔でしかありませんでした。でも。
「ほら。わかったら、とっとと諦めて……」
「……」
ライは、ミストの腕を取り、顔を上げさせたところでぎょっとしました。
「な、何泣いてんだよ、お前!」
ミストは、はらはらと静かに涙を零していたのです。
「は、放してくれ……。僕は、今、とても惨めだから、君にはこんな顔、見られたくない……。放してくれ……」
どきり。ライの心臓が変な音を立てました。
「ミスト……」
いつもは高圧的な彼が、今はしおらしく泣いているのです。ライを想うが故にこんなに切ない顔をしているのです。
触りたい。風に吹かれれば消えてしまいそうなほどに儚い彼のまやかしの恋。それに少しだけ応えてやりたい。そうしたら、どんな顔をするのか、見てやりたい。
いつしか、ライはミストから目が離せなくなっていました。そして、心の赴くままに彼の頬を手の平で包み込み、唇を寄せ……。
「ちょ、ライ?! 何してるのよ!」
「あ、ミーア……」
あと少しで唇が重なるというとき、戻って来たミーアが叫び、ライは我に返りました。
「ミストも、一体何を……」
「っ……!」
ミーアの視線に耐え切れなくなったミストはライの手を振りほどき、逃げるようにしてその場を去ってゆきました。
「ちょっと、エリーナ! しっかりして! 説明をして頂戴!」
「ああ……。うん。ごめんなさい……」
その場に座り込んだまま、ショックのあまり半分意識を飛ばしていたエリーナ。それに気づいたミーアは、その肩を揺さぶり、問い詰めました。
「俺からも説明を願うよ。一体今のはどういう訳だい?」
目頭を押さえて疲れ切った顔をしたライも、エリーナに説明を求めました。
「どうもこうもないわよ……。せっかくワタシたちの愛が始まるところだったのに! アナタたちが邪魔するから――!」
エリーナは、己の計画の全てを話しました。恨み言を交えながら。そして。
「待ってよ。それじゃあミストは私じゃなく、エリーナでもなく、ライのことが好きになってしまったってこと?!」
「お前こそが俺たちの邪魔をしてるんじゃないか、エリーナ。俺はとんでもなく被害者じゃないか」
それは、見事にミーアとライの反感を買いました。でも、彼女とてここで負けを認めるわけにはいきません。
「そうかしらね。さっきは満更でもなかったようだけど?」
「まさか! ただ少し戸惑っただけだ。俺がミーア以外を好きになるはずがない!」
エリーナの反撃に、ライは勢いのままに否定しました。すると、ミーアは瞳を潤ませて、その言葉に感激しました。
「ああ、ライ! 私は貴方を信じるわ!」
「おお、ミーア! それでこそ俺の愛する人!」
手を取り合い、抱き合った二人に焦ったのはエリーナ。
「待って! 待って頂戴よ! アナタたちの仲が良いのは結構! だけど! ああ、ワタシときたらなんて可哀想なこと! 恋のために妖精に頼み込んで薬を貰ったというのに。この髪を見て頂戴! 妖精がこの髪と交換ならばいいと言ったから、泣く泣く切ったというのに! 上手くいかないなんて! ワタシの恋はすっかり阻まれてしまった!」
「それは、自業自得じゃ……」
ライは呆れながらエリーナを責めましたが、ミーアはそれを制してからエリーナに優しく問いました。
「エリーナ、落ち着いて。貴女、解毒は貰ったんでしょうね?」
「ええ。もちろん。失敗したときのためにと、ここに持ってきているわ」
「それなら貴女は、この厄介な間違いを正して、もう一度ミストに媚薬を塗り込めばいい。そうして誰もが幸せな結婚式を、二組で開きましょう?」
「ああミーア! 愚かなワタシにも優しいアナタ。どうかワタシを導いて!」
「ええ。もちろん。エリーナは私たちと幼馴染の友だちじゃない。応援するに決まっているわ!」
「ったく。今度は失敗しないでくれよ?」
そうして、ミーアの慈悲によって、三人の友情がこじれることなく、その場は収まりました。が。
「ああ、ミーア。ワタシはどうしたらいいのやら……」
数日後。ミーアの元に訪れたエリーナは、やつれた顔で助けを乞いました。
「解毒は失敗したの?」
「いいえ。それ以前に彼に会えなくて。ミストったら、あれ以来自室に篭ったきり出てこないの。食事も碌に取っていないらしくて……」
「まあ! 貴女が呼んでもダメなのかしら」
「ワタシなんか見向きもしない。だからミーア、アナタだったらもしかしてと思って……」
「わかったわ」
「待て、ミーア。行く気なのか?」
「これも、私たちと私たちの友だちのためよ?」
「ミーア!」
ライは、ミーアとエリーナが気の合う親友だと理解していました。ミーアが親友を見捨てない女だということも知っていました。それに、自分だって、エリーナには幸せになってほしいのです。だから、ライは渋々といった顔で、それを了承しました。
「ミスト、出てきて頂戴。貴方の好きなクッキーを焼いてきたのよ?」
ミーアは、ミストの部屋のドアを軽くノックして、優しい声を掛けました。
「ミーアかい? まさか君が来てくれるなんて……。ああ。でも僕はダメだ。きっと前までの僕なら喜んで出て行っただろうけど……」
でも、やはりミストは暗い声でぼそぼそと呟いたまま、出てこようとしません。だって。
「ミスト、いい加減にしろ! お前はミーアの許嫁じゃなかったのかよ!」
「っ、ら、ライもいるのか……」
ライが声を発した途端、ミストの声に焦りが生まれました。だって、今のミストの心を動かせるのは、ライしかいないのですから。
「ああそうか。今はミーアよりライの方が適任だったわ……!」
「は? そこまでじゃないだろ。いくら薬の効果があるとはいえ……」
「じゃあ試しにこう言ってみてよ」
「しょうがないな……。“ミスト、今すぐ出てこないと、俺はお前に一生目を向けない”」
ライは、エリーナに言われた通りの言葉を繰り返しました。
「こんなことで上手くいくはずが……」
「いいえ。見て!」
ミーアの声にライが顔を上げると……。
「何の、用だ……」
控えめに開けられたドアから覗くミストの顔がありました。その顔は青白く、声にも覇気がなく。彼は、まるで悪魔を目にしたかのように酷く怯えて、ぐったりやつれていました。
「部屋に入れてもらって、隙をついてこれを」
エリーナは、解毒の薬をそっとライの手に渡しました。
ライがミーアを伺うと、彼女はこくりと頷きました。
よし。これも俺たちの幸せのためだ。
ライは、ぎゅっと小瓶を握りしめ、ミストへ向き直りました。そして。
「お邪魔しま~すっと」
部屋に入れないと絶交する、などと子どものような脅し文句で押し通ったライは、改めて薬の効果を怖く思いました。
まさか、あのミストがこんなに馬鹿になってしまうとは。
「てか、お前の部屋初めて見た。もっとゴテゴテしてんのかと思ったけど……。こんな何もない部屋で寂しくないのかよ?」
興味本位で見渡した部屋は、必要最低限の家具しかなく、金持ちの部屋とは思えません。
「悪かったな……。僕はこれぐらいが落ち着くんだよ……」
ベッドに腰掛けた彼が、言葉とは裏腹に居心地悪そうに視線を床に落とすと、そのまま暫く沈黙が流れました。
気まずい……。なんでコイツはこんなに大人しいんだよ。いつもみたいに噛みついてくれたらどんなに楽か! 全くもって調子が狂う!
「え~っと。お前さ、俺のどこが好きなの?」
隙を作るために何か話題を、と口をついた言葉に、ライは自分でどぎまぎしました。
俺は何を聞いているんだ。いくら話題がないからといって……。
「ん……。それは……わかんないけど……。その、正義感強いとことか……昔っからみんなを率いてて、みんなの中心にいて、男として憧れるというか……。女性には優しかったりするのもなんかいいと思うし……。それに、ミーアに一途なのもいいなって……思って……」
ぼそぼそと紡がれた言葉と共に、いつの間にかミストの瞳からは涙が零れていました。
「えっ? お前、何また泣いてんだよ」
「な、いて、ない!」
「泣いてるだろうが馬鹿! もう俺はお前のことがさっぱりわからん!」
「僕だって、僕だってこんなのわかんない! でも、君がミーアのことを想えば想うほど胸が苦しい。苦しくて……」
「それって、まさか嫉妬なのか?」
「言うな! そんな醜い感情が、僕の中にあるなんて! そんなこと……」
「……俺はミーアを愛している。ミスト、お前はただの邪魔でしかない」
「っ……」
ライが言い切った途端、ミストの目から涙が溢れて、ついに止まらなくなりました。
「ほら、やっぱり嫉妬じゃないか」
「っう、出ていってくれ、これ以上僕を見ないでくれ!」
「いいのか? 俺を追い出せば俺は二度とここへは来ないぞ?」
「っ……。そんなの、卑怯だ……。うう……。なんで、こんな急に、弱くなったんだ、僕は……!」
己の感情が制御できなくなったミストは、ライから隠れるようにしてベッドに潜りこみました。
「ミスト、お前は俺が好きか?」
「は……。好き……。愛してる。ライ、僕は君が欲しい。本当は、見て欲しい。君だけに見つめられていたいのに……」
「だったら、お前がこっちを見ろ」
「あっ」
ライは、ミストがすっぽりと被った布を剥がすと、その体に覆いかぶさりました。
「ミスト。目をつぶって」
「……何を」
「大丈夫。俺を信じて。お前をきっと楽にさせるから」
「……ん」
ややあって、ミストの瞳が閉じられました。
「いい子だ」
ライは、震える体を抱きしめてやると、その瞼に小瓶を近づけて、しっかりと薬を落としました。
ああ。ミストの頰がこんなに滑らかだなんて……。唇が柔らかいだなんて……。知らなかった。俺は何も知らなかった。口づけたら、どんなに気持ちがいいだろうか。彼はどんな顔をするのだろうか。ああ、知りたい。ああ。どうせならば彼が俺に惚れているうちに奪っておくんだった。なんて……。
「もう目を開いていいぞ」
「ん……」
「お前も災難だったな。大丈夫か?」
目的を果たしたライは、名残惜し気にミストの頬を撫で、問いました。が。
「っ……! あ、ライ、放して、くれ……!」
「何だよ。そんなに急に嫌がらなくても」
「違っ、なんか、おかし……」
「おい、どうし……」
ライが、弱々しく拒絶するミストの腕を取った瞬間。
「あ、ああ……!」
その瞳はどろどろに熱を帯び、欲を湛え、体を震わせていました。
なんだ。良かった。これは惚れ薬の方じゃないか。
「って。俺は何を喜んで……」
頭が追いつかないうちに、ライの指はミストの唇をなぞっていました。
「や、やめろ、今、なんかおかしい、からっ……」
「ああ。俺もおかしいよ。お前のせいですっかりおかしくなっちまった」
「う。助けて。もう、ど、すれば、いいか、わかんない……」
「ミスト、俺が欲しいか?」
「は……。ほ、しい……。欲しいに決まってる……けどっ」
「我慢しなくていい。お前の言葉を全部聞かせてくれ。お前はどうしたいんだ?」
「僕、は……」
震えながら涙を溜めたミストに、ライはゆっくりと目を細めました。
「言わないと俺はこれ以上お前に触らない」
「うう……。君は、本当に、意地が悪い……」
「言え。所詮お前は薬に浮かされているだけだ。何を言っても許される」
そっぽを向いたミストの手を掴み、嫌らしい手つきでその手を撫で上げたライは笑いました。
「狡い……」
「お互い様だろ? さ、言えよ。言ったら楽になる」
やわやわと唇を触るライの手に、ミストはついに折れました。
「っ……。もっと、もっと、触って欲しい……。ライに、触って欲しい……」
「キスは?」
「してほしい……。ライに、全部、めちゃくちゃにされたい」
「お前は、すごいことを言うなぁ」
「っ……! 今のは、なしに……」
「できねーよ。お前が言ったんだ。後悔するなよ?」
そうして、二人は媚薬にまんまと踊らされて、うっかり愛を紡いでしまったのです。
翌朝。
「ミスト、起きているかしら?」「早くにごめんなさい。でも、ライが帰ってなくて――」
ライからなんの連絡も来ないことを不審に思ったミーアとエリーナは、朝早くにミストの部屋を訪ねました。が。
「俺ならここにいるぞ」
「ライ! 貴方まだここにいたのね……!」「心配したのよ?!」
目を擦りながら出てきたライに、二人は驚き、そして説明を始めました。
「アナタの帰りが遅いから昨日はずっと起きていたのだけど。少し寝てから薬を間違えて渡したことに気づいて……。それで……。その……。どうしてここにアナタがまだいるの?」
「どうしてって。一晩を明かしたからだけど?」
「え……?」
ライは体をずらし、部屋の中を示しました。勿論、二人の目に映ったのは、ベッドに眠るミストで……。
「えっと……。どういうことかしら?」
「寝た」
「寝たっていうのはその……」
「抱いたに決まってんだろ」
「は? 待ってよ。誰が誰を何って」
「俺がミストを愛した」
「じ、冗談はやめて! ミストは、男よ?」
「ああ知ってる。でも、今の俺はミストが愛おしいんだ」
「ふ、ふざけないでよ!」
「そもそもお前が薬を盛るのが悪いんだろう?」
「げ、解毒をッ……!」
そう叫び、青い顔をしたエリーナが、急いでミストに解毒剤を垂らしました。
「ライ、アナタも早く薬を!」
エリーナの言葉に、ミーアはライに解毒を押し付けました。でも、ライは首を振って笑います。
「残念だけど。俺は薬の影響なんか受けてねえんだわ」
「そんなわけないじゃない!」
「じゃあ見てな」
ライは、自らの瞼に解毒を垂らしてみせました。が。勿論、ライの心に変化はありません。
「俺が好きなのはミストだよ。ミーア」
「嘘よ……」
「悪いけど。ミーア、お前への愛はどうやら間違いだったらしい。俺はミストが欲しい。お前の時にはこんな風に思わなかったのにな」
「だったら。私だって、力づくで貴方を手に入れてやるわ!」
「み、ミーア……!」
エリーナの制止を振り切って、ミーアはライに飛びつきました。そして、彼から惚れ薬を奪い取り、振りかけようとしましたが……。
「きゃあっ!」
いとも簡単に薬を取り返されたミーアは、逆に惚れ薬を振りかけられてしまいました。
「俺を愛する気持ちが本物だってんなら、こんな薬に心を奪われないよな?」
意地悪く笑ったライは、気絶したミーアをエリーナの方に向けてから肩を揺さぶり、起こしました。
「んん……。ああ。エリーナ! 私は貴女が愛おしい……」
「え……。待って頂戴! ミーア、正気に……」
目が合った途端、ミーアはエリーナに恋をしてしまいました。全くもってライの思惑通りです。
「さあ、エリーナも。自分のしたことだ。責任取れよ?」
「あ、や、やめ……」
抱きつかれ、身動きの取れないエリーナに向かって、ライは媚薬を垂らしました。
こうして、恋に破れた少女たちは、まやかしの恋に囚われてしまったのです。
「さ。ミスト。気分はどうだ?」
「最悪に決まっている。君は、本当に、どう責任を取ってくれるんだ……。こんなこと……。両親に、どう説明すれば……」
「代わりに俺と結婚すればいい」
「馬鹿なことを」
「じゃあ駆け落ちしようか」
「僕はもう解毒を垂らされた」
「なんだ。起きていたのか」
「あれだけ五月蠅くされれば起きる」
「でも。それでも君は俺が好きだろう? 少なくともミーアより俺が好きだ」
「そんなことは……」
「ミーアのことは、お前自身の気持ちがなかったことぐらい知ってるさ。所詮は親同士が決めたことだ」
「だからってお前を好きなわけでもない」
「でも昨日はあんなに可愛く甘えてた」
「っ……」
「なあ、もう一回試してみないか? 薬のない今、ミストが耐えられたら勝ちだ」
「ふざけるな。誰が乗るか」
「でもさ。俺にはわかるんだよね。お前は元から俺に気があったはずだ。俺が気づいていないと思ったか?」
「……気のせいだ。傲慢だ」
「お前があんなに俺たちの仲を邪魔していたのも、俺にやっかんできたのも全部、そういうことじゃないのか?」
「違う。そんなはずない」
「なるほど。自分でも気づいてなかったわけか。だったら尚更。試す価値があるだろう?」
「やめてくれ……。僕は、お前のことなど……」
「いいよ。言い訳ならたくさん聞いてあげる。その代わり、俺の告白もたくさん聞いてもらうけどな」
「っ……!」
そうして、二人は再び愛し合いました。駆け落ちなんかもしたかもしれません。
結局、二組の愛が上手くいったのか? それは、妖精に聞いてみてください。きっと、笑って答えてくれるはずですから。
0
お気に入りに追加
44
あなたにおすすめの小説
咳が苦しくておしっこが言えなかった同居人
こじらせた処女
BL
過労が祟った菖(あやめ)は、風邪をひいてしまった。症状の中で咳が最もひどく、夜も寝苦しくて起きてしまうほど。
それなのに、元々がリモートワークだったこともあってか、休むことはせず、ベッドの上でパソコンを叩いていた。それに怒った同居人の楓(かえで)はその日一日有給を取り、菖を監視する。咳が止まらない菖にホットレモンを作ったり、背中をさすったりと献身的な世話のお陰で一度長い眠りにつくことができた。
しかし、1時間ほどで目を覚ましてしまう。それは水分をたくさんとったことによる尿意なのだが、咳のせいでなかなか言うことが出来ず、限界に近づいていき…?
体育倉庫で不良に犯された学級委員の話
煉瓦
BL
以前撮られたレイプ動画を材料に脅迫された学級委員が、授業中に体育倉庫で不良に犯される話です。最終的に、動画の削除を条件に学級委員は不良の恋人になることを了承します。
※受けが痛がったりして結構可哀想な感じなので、御注意ください。
少年野球で知り合ってやけに懐いてきた後輩のあえぎ声が頭から離れない
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
少年野球で知り合い、やたら懐いてきた後輩がいた。
ある日、彼にちょっとしたイタズラをした。何気なく出したちょっかいだった。
だがそのときに発せられたあえぎ声が頭から離れなくなり、俺の行為はどんどんエスカレートしていく。
エレベーターで一緒になった男の子がやけにモジモジしているので
こじらせた処女
BL
大学生になり、一人暮らしを始めた荒井は、今日も今日とて買い物を済ませて、下宿先のエレベーターを待っていた。そこに偶然居合わせた中学生になりたての男の子。やけにソワソワしていて、我慢しているというのは明白だった。
とてつもなく短いエレベーターの移動時間に繰り広げられる、激しいおしっこダンス。果たして彼は間に合うのだろうか…
怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人
こじらせた処女
BL
幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。
しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。
「風邪をひくことは悪いこと」
社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。
とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。
それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる