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(65)夏の大三角
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アルト王子は、姫との恋を叶えるために、恋を橋渡すという白鳥の元を訪れる。しかし、そのあまりの美しさに、心を奪われてしまい……。
王子×白鳥。悲劇からの転生繰り返しハッピーエンド。本当はもっと暗い終わりにしようと思ってたけど、何故か大団円を迎えました。白鳥が前世の記憶を引き継いだままなので、精神的には完全なBLとは言えないかもしれません。
罪の意識に苛まれる受けが好きです。
シトラ
恋を結ぶ白鳥。罪の意識により、転生を繰り返す。
ネーミングはデネブ(白鳥座)。
アルト
コト姫との恋を叶えるつもりが、白鳥を愛してしまう。
ネーミングはアルタイル(彦星)。
コト
アルト王子と白鳥の関係を知り、アルト王子を殺してしまう。
ネーミングはベガ(こと座、織姫)
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あるところに、姫と王子がいました。姫の名はコト。王子の名はアルト。許婚である二人は、幼い頃から仲が良く、誰もが羨む美男美女のお似合いカップルでした。
ある日アルト王子は、コト姫との仲を深めるための願掛けにいくことにしました。
湖の白鳥に頼むと、恋の橋渡しをしてくれるのだという伝説を聞いて、いてもたってもいられなくなった王子は、夜だというのに、一人で湖に向かったのです。
「ああ。世界で一番美しいコト姫。オレは貴女にもっと愛を伝えたい。もっと貴女と愛し合いたい。そのためならば、暗い森にだって簡単に足を踏み入れてしまう!」
『それはあまり感心しませんね』
「え……?」
恋に酔いしれていた王子は、その不思議な声に我に返り、辺りを見回しました。いつの間にか王子は、森の中にある美しい湖に辿り着いていたのです。その湖面は神秘的で、思わずため息を吐いてしまうほど綺麗でした。でも、それより王子の心を高鳴らせたのは――。
『貴方はアルト王子ですね? こんな夜更けにお一人で森を歩かれるなど。さしずめコト姫との仲を取り持って欲しいのでしょう?』
「あ、ああ……」
『王子?』
「なんて、美しいんだ……。なんて、美しいんだ……」
王子は、うわ言のようにぶつぶつと同じことを呟きました。そう。白鳥の美しさにすっかり心を奪われてしまったのです。
「オレはてっきり、コト姫が一番美しいものだと思っていた。だけど、君はそれ以上に美しいじゃあないか……! こんなの、好きにならないはずがない……!」
『王子……! いけません……!』
王子は、白鳥が止めるのも無視して、どんどん白鳥のことが好きになっていきました。見つめるごとに、その愛おしさは増してゆくのです。でも、王子を責めてはいけません。なにしろ、白鳥は、夜の間だけ人間の姿を保っていて、それがまあ、王子の言う通り、素晴らしく美しいのですから。白く淡く発光する肌はまるで女神のようで、その澄んだ声は天使のようで、世界中の美女をどれだけ足しても、彼女にはきっと敵わないのです。
そうして、王子はすっかり姫のことをほったらかして、白鳥の虜になりました。白鳥も、いつしか熱心な王子のことを好きになってしまいました。白鳥は、すっかり自分の役目も忘れて、夜な夜な幸せを噛みしめました。でも、そんな幸せが長く続くわけもありません。
二人の逢瀬を知ったコト姫は、怒りのあまり、アルト王子を殺してしまったのです。
白鳥は自分を呪いました。そして、願いました。
『ああ、神様。愚かな私をお許しください。どうか、どうか私にチャンスをください。次こそは、二人の橋渡しをしてみせます。だから、どうか……』
*
「こうして白鳥は、姫と王子と共に転生を果たしました。が、愚かな白鳥は、どうしたって失敗してしまうのです。白鳥は王子への想いを秘めながら、二人をどうにかくっつけようとするのですが……。身分、性別、死、他人。色々なものが、二人の仲を引き裂いてしまうのです」
『え~! それで、どうなるの?!』『最後には二人は結ばれるんでしょう?!』
「もちろん。愚かな白鳥は、何百回もの転生の後、ようやく二人を結ぶことができたのです。白鳥は、その幸せそうな二人を見て、笑って死に絶えました。それきり、白鳥が生まれ変わったという話は聞きません」
『良かった~。姫と王子はやっと愛し合えるんだね!』『でも、白鳥は可哀想じゃない?』
「いいえ。白鳥はきっと幸せですよ。だって、ようやく己の罪を洗い流すことができたのですから」
「おいシトラ。子ども相手に随分と難しいお伽話を聞かせるんだな」
「あ、アルト様……」
ある昼下がり。仕事が早く済んだ私は町に出て、貧しい子どもたち相手に下らないお伽話を披露していた。別に、子どもが好きなわけではない。でも、この話を誰かに聞いてもらいたい。そんな衝動が、時々起こるのだ。
『え~。でも、アルト様~。ボクはこの話、好きだよ?』『ワタシも!』
「こら、王子に向かって、なんて口の利き方を! すみません、アルト様、この子たちも悪気があったわけではなくてですね……」
「いい。分かっている。それよりシトラ。お前は体が弱いんだ。あまり外を出歩くな」
「すみません……」
私を心配してくれるなんて。やはり王子はあの頃と変わらずお優しい。
ああ、今回こそは、必ず二人を幸せにしなくては。そう思うのだけど……。
「おい、シトラ。大丈夫か?」
「は……、は……。すみ、ませ……」
決意を強くするごとに、この体は蝕まれていった。こんなんじゃ、駄目なのに……。
過呼吸を起こした喉を、自らの手で締め付ける。このまま死んでしまいたい。このまま死んでしまえたらどんなに楽になるだろう。でも、そんなことは許されない。罪を犯したまま逃げるなど、どうしてそんな邪な思考が過ってしまうのか。こんなんじゃ、まるで、二人を幸せにしたくないみたいじゃないか……。
白鳥だった私は、何度も転生を果たした。今世の配役は、私が病弱な従者で、アルト王子が変わらずに王子。コト姫は、あろうことか、隣国の王子に転生していた。これがまたハードルが高い。どうやって二人をくっつければいいものか。それに、どうやら……。
「ああ、シトラ。君はまた町に出掛けていたのかい? あれほどやめろと言ったのに。なんなら、アルトの従者も辞めて、僕の側に来てくれて構わないんだよ?」
「コト王子……。お言葉ですが、俺にそのような価値などござません。アルト王子のご厚意で従者として雇ってはいただいていますが……、如何せん、この体ではお役に立つのは難しいかと……」
「そういうことじゃないんだよシトラ。言っただろう? 僕は君を愛しているんだ。頼むから、そう邪険にしないでくれ」
「ああ、コト様。それはいくらなんでも、相手をお間違えです」
コト様に見つめられた私は、気まずくてつい目を逸らしてしまう。だって、こんなことは一度もなかった。よりにもよって、コト姫が私に惚れているだなんて……。
まさか、自分の存在が再び壁になるだなんて。はじまりを思い出して、何度発狂しかけたことか。
ああ、私は呪われている。神様はとても意地悪だ。二人の壁は生まれ変わるごとに、どんどん高く厚くなっていく。どうして。どうして許してもらえないのか。まだ償いが足りないというのか。
「シトラ。お前に頼みたいことがあるんだ」
ああ。何度このセリフを聞いただろう。この頼みというのは、恐らく……。
「コト王子についてですよね?」
「……よくわかったな。さすがシトラだ」
目を丸くするアルト様を見て、少し後悔する。気づかない振りでもしておけば、私はこの願いを聞かなくて済んだかもしれない。なんて。
「貴方はコト王子に想いを寄せている。それで、私にその気持ちを込めた手紙を託し、仲を取り持って欲しいと望んでいらっしゃる」
「驚いたな。まさかそこまでお見通しとは。だが、それならば話は早い」
「ですが、コト王子は貴方と同じく未来を担うお方。それでも、アルト王子はコト王子に想いを告げると?」
「ああ。オレはどうしてもこの想いに蓋をすることができないんだ。何故だかわからないが、コトを想うことを止められない」
「まるで、呪いのようですね」
「はは。言い得て妙だな」
寂しそうに笑う彼に、胸が痛む。そして、とある推論が思い浮かぶ。
まさか。そんなはずはない。
頭の中で否定する度に、心臓の音が速くなってゆく。
転生してからというもの、幾度となく受け取ってきた手紙。それをコト様に渡すと、決まって二人は恋仲になった。でも。それは本当に束の間で。一瞬の幸せを掴んだ後、二人を待っているのは残酷な終わり。あるときは、身内から殺され。あるときは、自分たちの未来を嘆き、自殺し。あるときは、不幸な事故に見舞われて。何度繰り返そうとも、二人には決してハッピーエンドは訪れない。それはどうしてか? それは――。
「まさか、私がそれを心から望めていないからだというのですか……?」
「……? なにか言ったか?」
震えながら呟いた言葉に、アルト様が不思議そうな顔をする。
「い、いえ……。その、わた……俺は、必ず、お二人を結んでみせますから……!」
私には、そう呟くのがやっとだった。
だって、想いを橋渡す白鳥が、自分の恋が叶わないことを嘆いて呪いをかけるなんて。そんなことがあっていいはずがない。でも、もしそうだとしたら。もし、私が無意識の内に二人に呪いをかけていたとしたら、全ての辻褄が合う。転生するごとに高くなる二人の壁。白鳥の力をもって尚、結べないこの縁。それを嘆きながらも、心の底でそっと安心している自分。
二人の恋が決して叶わない様、転生する度に邪魔をしているのは誰か? こんなに簡単な問題はないはずだ。
「私は、なんてことを……」
「シトラ、気分が優れないのなら後日で構わない。お前は少し休んだ方がよさそうだ」
心配してくれるアルト様に、私の心はとうとう悲鳴を上げた。私は許されない罪人だ。ならば、どうするべきか。答えはもう明らかだった。
「シトラ、君は何をするつもりだ!」
目の前で叫ぶコト様に、私は歪んだ笑みをみせつける。
「どうして黙っているんだ! どうして、僕を殺そうとするんだ! どうして……。僕は、君が好きだというのに……!」
悲痛な声で訴えるコト様に、構わず私は剣を振りかぶる。剣先が彼の柔肌に当たる度、鮮やかな赤が滴り落ちる。その幼気で美しい姿は、やはりヒロインに相応しい。
私は心の奥底で、悲劇のヒロインぶっていた節があった。アルト様を想いながら、二人を結ぶ役をしなければいけない自分を、不幸だと思っていた。でも、それはとんでもない思い違いだった。私は、私こそが悪魔だったのだ。
「コト様。貴方は呪いに囚われているだけなのです」
そう。私の邪な想いは、二人を終わりのない地獄へと突き落とした。
「シトラ、一体なんのことを言っているんだ?」
「貴方のその想いは偽りだと言っているんです。ただただ作られただけのそれに、振り回されるヒロイン。それが貴方で……。真に想うべき相手、それを今一度お考えいただきたいのです。貴女には、真実の愛がわかっているはずです」
「真実の、愛……?」
揺らぐコト様の瞳に、物語が終わる気配を感じ取る。そう。二人の仲を散々邪魔して、姫を殺そうとした悪魔を、王子が倒す。そして、最後は本当の愛に気づき、二人は結ばれるのだ。ああ、なんて完璧で美しいおとぎ話だろう。
ああ、早く私を殺してください!
ああ、早くコト様を殺したい!
私の中で、天使と悪魔がそれぞれ心を揺さぶり動かす。
「そうだ。殺せばいい……。そうしたら、これ以上辛いことなんかありはしない」
「シトラ……?」
ぶつぶつと悪魔の言葉を呟く私に、コト様の瞳は先より増して大きく揺らぐ。
殺せばいい。何も考えず、悪に身を任せればいい。そうすれば、二度と転生しなくて済むはずだ。この繰り返しに終止符を打てるはずだ。二人を見て嫉妬に狂うこともなくなるはずなのだ。だから。
「私は……!」
『コト!』
斬撃と共に、第三者の声が空気を震わせる。私は、その姿をまともに見つめることができない。
「アルト……!」
「チッ」
剣を避けるために、やむなくコト様の身を離す。その一瞬でアルト様はコト様を攫い、大切そうに抱きしめる。
「ごほごほっ」
「大丈夫か?!」
タイミングよく駆けつけたアルト様は、まさにお伽話の王子様。このときもうすでに、アルト様に注がれたコト様の瞳は、熱く潤んでいて。
「あーあ。今回も結局こうなるんだ」
「今回? 何のことだ」
「はは、いいよなぁ。いいもんだよなぁ。記憶が全くない状態で二人とも生まれるんだからさぁ。何の柵もなく自分を信じることができるんだからさあ」
「シトラ……? 一体、どうしたというんだ?」
「黙れ!」
「危ない!」
コト様に向けた刃を、アルト様が払い退ける。ああ、自分はなんて無力なんだろうか。
いつも覚えてるのは私だけ。前世の記憶について何度説明しても怪訝な顔をされた。次第に話すことを止め、私だって、忘れようとした。なのに。私はそれが出来なくて。いつだって、アルト様のことが好きで。馬鹿みたいに、悔しくて。
「アルト様。俺が好きなのはアンタだったんだよ。だから、こんな茶番は終わらせてやるんだ……!」
「シトラ……!」
複雑な想いを乗せたコト様の叫び諸共、その身を切り伏せるべく剣を振るう。
早く終わらせたかった。こんな終わりの見えた寸劇なんて。
どっ。
「そんなことはさせない」
静かに怒りを湛えたアルト様の声が、痛みと共にこの身を苛む。アルト様の剣により、見事に貫かれた腹は、燃えるように赤かった。
「ああ……!」
それを見たコト様は、悲鳴を上げて気を失う。気の優しい彼女らしい。
はあ。愛する者に殺される痛みが、こんなに辛いものだなんて。でも、きっとこれで彼らは私から解放されるのだろう。
「おい。シトラ」
「……っあ!」
意識が朦朧とする中で、腹から剣が引き抜かれた痛みに悶える。
「お前がオレを好きだって? それは一体どういうことだ」
どういうことだって? さあね。俺の知ったことか。
「ぐ……」
そう言って笑い飛ばしてやろうと思うのに、漏れるうめき声は、まるで哀れな鳥の鳴き声のようで。
「シトラ。オレはどうしてだかお前がわざと悪を演じているように見える」
私がわざと……? まさか。そんな。いや、そうかもしれない。私は、やはり悲劇のヒロインぶるのを止めることができないのだ。自分の使命と、自分の欲との狭間で揺れ動き、偽善を振るうことしかできない中途半端な存在でしかいられない。
「殺してくれ……」
「なあシトラ。お前とは、別の形で会ってはいなかっただろうか。オレは、お前がただ人の恋路を邪魔しているだけに見えない」
「違う。わた……俺は、貴方の敵で……。殺せ。殺してくれ。頼むから、早く。許してくれ。お願いだから、もう、許して……」
「殺さない。シトラ、オレがお前を殺せると思うのか?」
「情を掛けていては呪いを解けませんよ」
「お前の言う呪いとは一体何のことなんだ。お前は、一体何に囚われているというんだ」
「囚われているのは貴方たちの方です。他でもない、俺こそがこの残酷な世界に貴方たちを縛っているのですから」
「どういう意味だ」
「さてね」
「シトラ!」
「っ……。私は、自分の使命も忘れてしまう馬鹿な鳥なんです。でも、もうこれ以上、使命を見失いたくない……!」
怖かった。同じ過ちを繰り返してしまうことが。私は彼らの死を何度も見てきた。いつも彼らは私よりも先に逝った。その不幸な死を、私はいつも止めることができなくて。彼らを追うように自ら命を絶つことしかできなかった。だから、今度こそは。私のいない世界で幸せになってほしい。
「シトラ、やめろ!」
「っ!」
アルト様から奪い取った剣で、己にトドメを刺そうとするが、あと少しのところで腕を取られる。
「なあシトラ。お前はまさか、白鳥なのか? お前がよく子どもに聞かせている物語は、お前の話だというのか?」
「はは。そんなわけ……」
「シトラ。もう繕わなくていい。きっと物語の中の王子とは、オレのことなのだろう?」
「そ、れは……」
震え出した手から、音を立てて剣が落ちる。真っすぐな視線に耐え切れず、呼吸が荒くなる。どうして今になって……。
「シトラ。お前はまさかずっとそうやって、オレたちをくっつけようと苦しんできたのか?」
碌に抵抗することもできず、アルト様に抱き寄せられる。そのぬくもりは、はるか昔に感じた甘くくすぐったい幸福感に変わりなく……。
「死なせてください……。頼むから、もうやめてください……」
「どうして」
「私は罪なのです。私さえいなければ、貴方たちは幸せになれるはずなのです。だから、躊躇うことなどありません。貴方には、私を裁く権利がある」
我ながら、汚い声だと思った。必死過ぎるその訴えは、所詮独りよがりで、自己中心的なものだった。でも、私はもう死を願うことしかできない。全てを己の命で贖うことしかできない。
「シトラ」
静かに呟かれた名に、顔を上げる。このときにはもう、痛みに侵された悩は考えることを止め、私は、ただじっと口づけを落とすアルト様を見つめることしかできなかった。
「思い、出した……」
ぽつりと呟かれた台詞に、夢心地のまま疑問符を浮かべる。
「シトラ。お前は本当にずっとオレの側にいて、何度も辛い思いをしたんだな」
「え……?」
思い出を噛みしめるように目を細めるアルト様に、心臓がどきりと高鳴る。
「まさか。記憶が……?」
「ああ。お前に触れたことで、完全に蘇った。シトラ。オレはお前に謝らなければいけない。オレのせいで、お前は罪に苛まれることになった。でも、真に悪いのは、誰が見てもオレだ。オレがお前に恋をしなければ、コトが嫉妬に狂うこともなかっただろうに」
「それは……」
「だから、もうやめてくれ。お前がオレたちを結ぶ必要などない。お前は、オレを恨んでもいいんだ」
「でも、貴方は私に橋渡しを頼みに来た。私には、それをやり遂げる義務がある」
「いいや。オレはそんなことをお前に願ってはいない。お前を見たあの日からずっと、オレが望むのはシトラ、お前だけだというのに。お前はこの地獄を自分の呪いのせいだと言ったけど、オレはよっぽどオレへの罰だと思うんだ」
「でも……」
「なあ、シトラ。もう考えるのはよさないか? 呪いだとか使命だとか。転生してまでそんなものに縛られる謂れはない。そうは思わない?」
「……アルト様は、直情的過ぎます」
「まあ、そうだな。でも、シトラは考え過ぎだ」
「私は白鳥です。人間のように恋に溺れるべきではなかった」
「でも、今は?」
「え?」
「今は白鳥じゃないだろ?」
「それは……」
あれ、そういえばいつから白鳥の姿に戻っていないだろう。初めのうちは、まだ白鳥に戻ることができたはずだ。でも、言われてみれば、今は……。
戻れなかった。念じてみても、全く姿に変化はなかった。
「ね? シトラはもう白鳥じゃない」
「嘘だ……」
「オレが言うのもなんだけどさ。もう過去のことは忘れて生きちゃ駄目だろうか?」
「忘れるなんて……」
そんなことができるはずなかった。アルト様の腕に抱かれた体は、どうしたってあの日を思い出して熱を帯びる。
「まあ、そうだな。言い方が悪かった。全部思い出した今、オレはお前への愛を捨てることができそうにない。それほどまでに、お前への気持ちは、本気だった」
「それは、私だって……」
「でも、だからこそ。オレは全部をひっくるめて、一番強い想いを信じたいと思ったんだ。なあシトラ。オレの数ある人生で、一番強く欲したのはお前だったんだよ。だからさ、今、オレは、お前を選びたいんだ」
「コト様は……」
「悪いけど。アイツへの想いはそこまでじゃなかったみたいだ。そう。あの時のように」
「待ってください。それじゃあ、私は、なんのために何度も転生したと……」
「シトラ。きっと人の想いはそうそう変えられない」
「でも! もし、この人生で貴方がまたコト様に殺されてしまったら……」
「それでも構わない。わかってくれ。オレは自分の気持ちに嘘を吐きたくないんだ」
「そんな……!」
頭に浮かんだ非難の言葉たちは、落とされた口づけによって虚しく散ってゆく。そして、私は白鳥であることを諦めた。
*
「そうして白鳥は、記憶の戻った王子と共に、真の愛を守り抜き、幸せに暮らしたのです」
人々の行き交う街中で、歌うようにおとぎ話を披露する王子の姿がありました。
『良かった~。白鳥さん、幸せになったんだ!』『でも、それじゃあお姫様はどうなるの?』
「どうなったと思う?」
王子は、まるで悪戯っ子のような笑みを浮かべながら、子どもたちに問いました。
『ん~。怒ってまた王子様を殺しちゃった、とか……?』『でも、幸せに暮らしたっていってんだからさ、お姫様は何もしなかったんじゃないの?』『んじゃあ、きっと一人で悲しんでるんだ』『きっと死んじゃったのかも』
「勝手に殺さないでくれよ。全く。お姫様はちゃんと生きてるさ」
『ほんと~?』
「本当。お姫様はねえ、本当は薄々気づいてたんだよ。自分が何度も同じような人生を送っているってさ。でも、気づかない振りをしてたんだ。自分が王子の愛を得るために。知らない振りを続けてた。でも、今回の転生は何だか少しだけ様子が違ってた。だから、きっと白鳥と王子は結ばれるんだって、覚悟はしてたんだよ。だから……、お姫様はもう二人の恋を許すことにしたんだよ」
『お姫様って優しいんだね』
「そう? 僕は意地悪だと思ったけど」
『ううん。優しいよ。理想のお姫様だよ!』
「そう、かな……」
照れくさそうに笑ったコト王子は、どこまでも青い空を見上げて、耳を澄ませました。
ゴーン。ゴーン。
「さ、おとぎ話はここまでだ。僕は急がなくてはいけないからね」
遠くから聞こえる鐘の音を聞き、王子は腰を上げました。
『隣の国の王子様の結婚式、でしょ~?』『いいな~。ワタシも、花嫁さん見た~い!』
「でも花嫁さん、男だよ?」
『それって駄目なの~?』『ママ言ってたよ~。男だけど、良い人だから、大丈夫でしょって』『アルト王子、みんなにず~っとお願いして、や~っと叶ったんでしょ? すごいよね~』
「ああ。驚いたよ。世界は言うほど地獄でもないらしい」
『コト王子、笑ってる~!』『ねえねえ、コト王子~。ワタシ、ブーケが欲しい~。お願い~、取ってきてほしいの~!』
「はは。わかったよ。ほんと、仕方ないなあ」
アルト王子と従者シトラの結婚式は、実に盛大に祝われることになりました。誰もが無理だと思っていた二人の結婚でしたが、どういうわけか、こうして現実となったのです。
「おめでとう。きっとこれも神様の思し召しさ」
「コト。君は来てくれないかと思ったよ」
「僕だって、昔に囚われたままじゃない。それに、シトラはそろそろ報われてくれなきゃ、ね」
「コト様……」
「ほら。そんな顔しないで。お礼なら、そのブーケでいいからさ」
「はい。もう多くは言いません。本当に、ありがとうございます……」
同性であり、身分の違う二人の結婚は、世界を揺るがしました。そうして、世界は少しだけ自由になったのです。
「シトラ。改めて言おう。愛しているよ」
「はい。俺も、アルト様を愛しています」
二人が誓い合った空はすっかり暗く、まるで橋が架かったように星がたくさん流れていました。そして、ひと際明るい三つの星は、仲睦まじく輝いていました。
王子×白鳥。悲劇からの転生繰り返しハッピーエンド。本当はもっと暗い終わりにしようと思ってたけど、何故か大団円を迎えました。白鳥が前世の記憶を引き継いだままなので、精神的には完全なBLとは言えないかもしれません。
罪の意識に苛まれる受けが好きです。
シトラ
恋を結ぶ白鳥。罪の意識により、転生を繰り返す。
ネーミングはデネブ(白鳥座)。
アルト
コト姫との恋を叶えるつもりが、白鳥を愛してしまう。
ネーミングはアルタイル(彦星)。
コト
アルト王子と白鳥の関係を知り、アルト王子を殺してしまう。
ネーミングはベガ(こと座、織姫)
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あるところに、姫と王子がいました。姫の名はコト。王子の名はアルト。許婚である二人は、幼い頃から仲が良く、誰もが羨む美男美女のお似合いカップルでした。
ある日アルト王子は、コト姫との仲を深めるための願掛けにいくことにしました。
湖の白鳥に頼むと、恋の橋渡しをしてくれるのだという伝説を聞いて、いてもたってもいられなくなった王子は、夜だというのに、一人で湖に向かったのです。
「ああ。世界で一番美しいコト姫。オレは貴女にもっと愛を伝えたい。もっと貴女と愛し合いたい。そのためならば、暗い森にだって簡単に足を踏み入れてしまう!」
『それはあまり感心しませんね』
「え……?」
恋に酔いしれていた王子は、その不思議な声に我に返り、辺りを見回しました。いつの間にか王子は、森の中にある美しい湖に辿り着いていたのです。その湖面は神秘的で、思わずため息を吐いてしまうほど綺麗でした。でも、それより王子の心を高鳴らせたのは――。
『貴方はアルト王子ですね? こんな夜更けにお一人で森を歩かれるなど。さしずめコト姫との仲を取り持って欲しいのでしょう?』
「あ、ああ……」
『王子?』
「なんて、美しいんだ……。なんて、美しいんだ……」
王子は、うわ言のようにぶつぶつと同じことを呟きました。そう。白鳥の美しさにすっかり心を奪われてしまったのです。
「オレはてっきり、コト姫が一番美しいものだと思っていた。だけど、君はそれ以上に美しいじゃあないか……! こんなの、好きにならないはずがない……!」
『王子……! いけません……!』
王子は、白鳥が止めるのも無視して、どんどん白鳥のことが好きになっていきました。見つめるごとに、その愛おしさは増してゆくのです。でも、王子を責めてはいけません。なにしろ、白鳥は、夜の間だけ人間の姿を保っていて、それがまあ、王子の言う通り、素晴らしく美しいのですから。白く淡く発光する肌はまるで女神のようで、その澄んだ声は天使のようで、世界中の美女をどれだけ足しても、彼女にはきっと敵わないのです。
そうして、王子はすっかり姫のことをほったらかして、白鳥の虜になりました。白鳥も、いつしか熱心な王子のことを好きになってしまいました。白鳥は、すっかり自分の役目も忘れて、夜な夜な幸せを噛みしめました。でも、そんな幸せが長く続くわけもありません。
二人の逢瀬を知ったコト姫は、怒りのあまり、アルト王子を殺してしまったのです。
白鳥は自分を呪いました。そして、願いました。
『ああ、神様。愚かな私をお許しください。どうか、どうか私にチャンスをください。次こそは、二人の橋渡しをしてみせます。だから、どうか……』
*
「こうして白鳥は、姫と王子と共に転生を果たしました。が、愚かな白鳥は、どうしたって失敗してしまうのです。白鳥は王子への想いを秘めながら、二人をどうにかくっつけようとするのですが……。身分、性別、死、他人。色々なものが、二人の仲を引き裂いてしまうのです」
『え~! それで、どうなるの?!』『最後には二人は結ばれるんでしょう?!』
「もちろん。愚かな白鳥は、何百回もの転生の後、ようやく二人を結ぶことができたのです。白鳥は、その幸せそうな二人を見て、笑って死に絶えました。それきり、白鳥が生まれ変わったという話は聞きません」
『良かった~。姫と王子はやっと愛し合えるんだね!』『でも、白鳥は可哀想じゃない?』
「いいえ。白鳥はきっと幸せですよ。だって、ようやく己の罪を洗い流すことができたのですから」
「おいシトラ。子ども相手に随分と難しいお伽話を聞かせるんだな」
「あ、アルト様……」
ある昼下がり。仕事が早く済んだ私は町に出て、貧しい子どもたち相手に下らないお伽話を披露していた。別に、子どもが好きなわけではない。でも、この話を誰かに聞いてもらいたい。そんな衝動が、時々起こるのだ。
『え~。でも、アルト様~。ボクはこの話、好きだよ?』『ワタシも!』
「こら、王子に向かって、なんて口の利き方を! すみません、アルト様、この子たちも悪気があったわけではなくてですね……」
「いい。分かっている。それよりシトラ。お前は体が弱いんだ。あまり外を出歩くな」
「すみません……」
私を心配してくれるなんて。やはり王子はあの頃と変わらずお優しい。
ああ、今回こそは、必ず二人を幸せにしなくては。そう思うのだけど……。
「おい、シトラ。大丈夫か?」
「は……、は……。すみ、ませ……」
決意を強くするごとに、この体は蝕まれていった。こんなんじゃ、駄目なのに……。
過呼吸を起こした喉を、自らの手で締め付ける。このまま死んでしまいたい。このまま死んでしまえたらどんなに楽になるだろう。でも、そんなことは許されない。罪を犯したまま逃げるなど、どうしてそんな邪な思考が過ってしまうのか。こんなんじゃ、まるで、二人を幸せにしたくないみたいじゃないか……。
白鳥だった私は、何度も転生を果たした。今世の配役は、私が病弱な従者で、アルト王子が変わらずに王子。コト姫は、あろうことか、隣国の王子に転生していた。これがまたハードルが高い。どうやって二人をくっつければいいものか。それに、どうやら……。
「ああ、シトラ。君はまた町に出掛けていたのかい? あれほどやめろと言ったのに。なんなら、アルトの従者も辞めて、僕の側に来てくれて構わないんだよ?」
「コト王子……。お言葉ですが、俺にそのような価値などござません。アルト王子のご厚意で従者として雇ってはいただいていますが……、如何せん、この体ではお役に立つのは難しいかと……」
「そういうことじゃないんだよシトラ。言っただろう? 僕は君を愛しているんだ。頼むから、そう邪険にしないでくれ」
「ああ、コト様。それはいくらなんでも、相手をお間違えです」
コト様に見つめられた私は、気まずくてつい目を逸らしてしまう。だって、こんなことは一度もなかった。よりにもよって、コト姫が私に惚れているだなんて……。
まさか、自分の存在が再び壁になるだなんて。はじまりを思い出して、何度発狂しかけたことか。
ああ、私は呪われている。神様はとても意地悪だ。二人の壁は生まれ変わるごとに、どんどん高く厚くなっていく。どうして。どうして許してもらえないのか。まだ償いが足りないというのか。
「シトラ。お前に頼みたいことがあるんだ」
ああ。何度このセリフを聞いただろう。この頼みというのは、恐らく……。
「コト王子についてですよね?」
「……よくわかったな。さすがシトラだ」
目を丸くするアルト様を見て、少し後悔する。気づかない振りでもしておけば、私はこの願いを聞かなくて済んだかもしれない。なんて。
「貴方はコト王子に想いを寄せている。それで、私にその気持ちを込めた手紙を託し、仲を取り持って欲しいと望んでいらっしゃる」
「驚いたな。まさかそこまでお見通しとは。だが、それならば話は早い」
「ですが、コト王子は貴方と同じく未来を担うお方。それでも、アルト王子はコト王子に想いを告げると?」
「ああ。オレはどうしてもこの想いに蓋をすることができないんだ。何故だかわからないが、コトを想うことを止められない」
「まるで、呪いのようですね」
「はは。言い得て妙だな」
寂しそうに笑う彼に、胸が痛む。そして、とある推論が思い浮かぶ。
まさか。そんなはずはない。
頭の中で否定する度に、心臓の音が速くなってゆく。
転生してからというもの、幾度となく受け取ってきた手紙。それをコト様に渡すと、決まって二人は恋仲になった。でも。それは本当に束の間で。一瞬の幸せを掴んだ後、二人を待っているのは残酷な終わり。あるときは、身内から殺され。あるときは、自分たちの未来を嘆き、自殺し。あるときは、不幸な事故に見舞われて。何度繰り返そうとも、二人には決してハッピーエンドは訪れない。それはどうしてか? それは――。
「まさか、私がそれを心から望めていないからだというのですか……?」
「……? なにか言ったか?」
震えながら呟いた言葉に、アルト様が不思議そうな顔をする。
「い、いえ……。その、わた……俺は、必ず、お二人を結んでみせますから……!」
私には、そう呟くのがやっとだった。
だって、想いを橋渡す白鳥が、自分の恋が叶わないことを嘆いて呪いをかけるなんて。そんなことがあっていいはずがない。でも、もしそうだとしたら。もし、私が無意識の内に二人に呪いをかけていたとしたら、全ての辻褄が合う。転生するごとに高くなる二人の壁。白鳥の力をもって尚、結べないこの縁。それを嘆きながらも、心の底でそっと安心している自分。
二人の恋が決して叶わない様、転生する度に邪魔をしているのは誰か? こんなに簡単な問題はないはずだ。
「私は、なんてことを……」
「シトラ、気分が優れないのなら後日で構わない。お前は少し休んだ方がよさそうだ」
心配してくれるアルト様に、私の心はとうとう悲鳴を上げた。私は許されない罪人だ。ならば、どうするべきか。答えはもう明らかだった。
「シトラ、君は何をするつもりだ!」
目の前で叫ぶコト様に、私は歪んだ笑みをみせつける。
「どうして黙っているんだ! どうして、僕を殺そうとするんだ! どうして……。僕は、君が好きだというのに……!」
悲痛な声で訴えるコト様に、構わず私は剣を振りかぶる。剣先が彼の柔肌に当たる度、鮮やかな赤が滴り落ちる。その幼気で美しい姿は、やはりヒロインに相応しい。
私は心の奥底で、悲劇のヒロインぶっていた節があった。アルト様を想いながら、二人を結ぶ役をしなければいけない自分を、不幸だと思っていた。でも、それはとんでもない思い違いだった。私は、私こそが悪魔だったのだ。
「コト様。貴方は呪いに囚われているだけなのです」
そう。私の邪な想いは、二人を終わりのない地獄へと突き落とした。
「シトラ、一体なんのことを言っているんだ?」
「貴方のその想いは偽りだと言っているんです。ただただ作られただけのそれに、振り回されるヒロイン。それが貴方で……。真に想うべき相手、それを今一度お考えいただきたいのです。貴女には、真実の愛がわかっているはずです」
「真実の、愛……?」
揺らぐコト様の瞳に、物語が終わる気配を感じ取る。そう。二人の仲を散々邪魔して、姫を殺そうとした悪魔を、王子が倒す。そして、最後は本当の愛に気づき、二人は結ばれるのだ。ああ、なんて完璧で美しいおとぎ話だろう。
ああ、早く私を殺してください!
ああ、早くコト様を殺したい!
私の中で、天使と悪魔がそれぞれ心を揺さぶり動かす。
「そうだ。殺せばいい……。そうしたら、これ以上辛いことなんかありはしない」
「シトラ……?」
ぶつぶつと悪魔の言葉を呟く私に、コト様の瞳は先より増して大きく揺らぐ。
殺せばいい。何も考えず、悪に身を任せればいい。そうすれば、二度と転生しなくて済むはずだ。この繰り返しに終止符を打てるはずだ。二人を見て嫉妬に狂うこともなくなるはずなのだ。だから。
「私は……!」
『コト!』
斬撃と共に、第三者の声が空気を震わせる。私は、その姿をまともに見つめることができない。
「アルト……!」
「チッ」
剣を避けるために、やむなくコト様の身を離す。その一瞬でアルト様はコト様を攫い、大切そうに抱きしめる。
「ごほごほっ」
「大丈夫か?!」
タイミングよく駆けつけたアルト様は、まさにお伽話の王子様。このときもうすでに、アルト様に注がれたコト様の瞳は、熱く潤んでいて。
「あーあ。今回も結局こうなるんだ」
「今回? 何のことだ」
「はは、いいよなぁ。いいもんだよなぁ。記憶が全くない状態で二人とも生まれるんだからさぁ。何の柵もなく自分を信じることができるんだからさあ」
「シトラ……? 一体、どうしたというんだ?」
「黙れ!」
「危ない!」
コト様に向けた刃を、アルト様が払い退ける。ああ、自分はなんて無力なんだろうか。
いつも覚えてるのは私だけ。前世の記憶について何度説明しても怪訝な顔をされた。次第に話すことを止め、私だって、忘れようとした。なのに。私はそれが出来なくて。いつだって、アルト様のことが好きで。馬鹿みたいに、悔しくて。
「アルト様。俺が好きなのはアンタだったんだよ。だから、こんな茶番は終わらせてやるんだ……!」
「シトラ……!」
複雑な想いを乗せたコト様の叫び諸共、その身を切り伏せるべく剣を振るう。
早く終わらせたかった。こんな終わりの見えた寸劇なんて。
どっ。
「そんなことはさせない」
静かに怒りを湛えたアルト様の声が、痛みと共にこの身を苛む。アルト様の剣により、見事に貫かれた腹は、燃えるように赤かった。
「ああ……!」
それを見たコト様は、悲鳴を上げて気を失う。気の優しい彼女らしい。
はあ。愛する者に殺される痛みが、こんなに辛いものだなんて。でも、きっとこれで彼らは私から解放されるのだろう。
「おい。シトラ」
「……っあ!」
意識が朦朧とする中で、腹から剣が引き抜かれた痛みに悶える。
「お前がオレを好きだって? それは一体どういうことだ」
どういうことだって? さあね。俺の知ったことか。
「ぐ……」
そう言って笑い飛ばしてやろうと思うのに、漏れるうめき声は、まるで哀れな鳥の鳴き声のようで。
「シトラ。オレはどうしてだかお前がわざと悪を演じているように見える」
私がわざと……? まさか。そんな。いや、そうかもしれない。私は、やはり悲劇のヒロインぶるのを止めることができないのだ。自分の使命と、自分の欲との狭間で揺れ動き、偽善を振るうことしかできない中途半端な存在でしかいられない。
「殺してくれ……」
「なあシトラ。お前とは、別の形で会ってはいなかっただろうか。オレは、お前がただ人の恋路を邪魔しているだけに見えない」
「違う。わた……俺は、貴方の敵で……。殺せ。殺してくれ。頼むから、早く。許してくれ。お願いだから、もう、許して……」
「殺さない。シトラ、オレがお前を殺せると思うのか?」
「情を掛けていては呪いを解けませんよ」
「お前の言う呪いとは一体何のことなんだ。お前は、一体何に囚われているというんだ」
「囚われているのは貴方たちの方です。他でもない、俺こそがこの残酷な世界に貴方たちを縛っているのですから」
「どういう意味だ」
「さてね」
「シトラ!」
「っ……。私は、自分の使命も忘れてしまう馬鹿な鳥なんです。でも、もうこれ以上、使命を見失いたくない……!」
怖かった。同じ過ちを繰り返してしまうことが。私は彼らの死を何度も見てきた。いつも彼らは私よりも先に逝った。その不幸な死を、私はいつも止めることができなくて。彼らを追うように自ら命を絶つことしかできなかった。だから、今度こそは。私のいない世界で幸せになってほしい。
「シトラ、やめろ!」
「っ!」
アルト様から奪い取った剣で、己にトドメを刺そうとするが、あと少しのところで腕を取られる。
「なあシトラ。お前はまさか、白鳥なのか? お前がよく子どもに聞かせている物語は、お前の話だというのか?」
「はは。そんなわけ……」
「シトラ。もう繕わなくていい。きっと物語の中の王子とは、オレのことなのだろう?」
「そ、れは……」
震え出した手から、音を立てて剣が落ちる。真っすぐな視線に耐え切れず、呼吸が荒くなる。どうして今になって……。
「シトラ。お前はまさかずっとそうやって、オレたちをくっつけようと苦しんできたのか?」
碌に抵抗することもできず、アルト様に抱き寄せられる。そのぬくもりは、はるか昔に感じた甘くくすぐったい幸福感に変わりなく……。
「死なせてください……。頼むから、もうやめてください……」
「どうして」
「私は罪なのです。私さえいなければ、貴方たちは幸せになれるはずなのです。だから、躊躇うことなどありません。貴方には、私を裁く権利がある」
我ながら、汚い声だと思った。必死過ぎるその訴えは、所詮独りよがりで、自己中心的なものだった。でも、私はもう死を願うことしかできない。全てを己の命で贖うことしかできない。
「シトラ」
静かに呟かれた名に、顔を上げる。このときにはもう、痛みに侵された悩は考えることを止め、私は、ただじっと口づけを落とすアルト様を見つめることしかできなかった。
「思い、出した……」
ぽつりと呟かれた台詞に、夢心地のまま疑問符を浮かべる。
「シトラ。お前は本当にずっとオレの側にいて、何度も辛い思いをしたんだな」
「え……?」
思い出を噛みしめるように目を細めるアルト様に、心臓がどきりと高鳴る。
「まさか。記憶が……?」
「ああ。お前に触れたことで、完全に蘇った。シトラ。オレはお前に謝らなければいけない。オレのせいで、お前は罪に苛まれることになった。でも、真に悪いのは、誰が見てもオレだ。オレがお前に恋をしなければ、コトが嫉妬に狂うこともなかっただろうに」
「それは……」
「だから、もうやめてくれ。お前がオレたちを結ぶ必要などない。お前は、オレを恨んでもいいんだ」
「でも、貴方は私に橋渡しを頼みに来た。私には、それをやり遂げる義務がある」
「いいや。オレはそんなことをお前に願ってはいない。お前を見たあの日からずっと、オレが望むのはシトラ、お前だけだというのに。お前はこの地獄を自分の呪いのせいだと言ったけど、オレはよっぽどオレへの罰だと思うんだ」
「でも……」
「なあ、シトラ。もう考えるのはよさないか? 呪いだとか使命だとか。転生してまでそんなものに縛られる謂れはない。そうは思わない?」
「……アルト様は、直情的過ぎます」
「まあ、そうだな。でも、シトラは考え過ぎだ」
「私は白鳥です。人間のように恋に溺れるべきではなかった」
「でも、今は?」
「え?」
「今は白鳥じゃないだろ?」
「それは……」
あれ、そういえばいつから白鳥の姿に戻っていないだろう。初めのうちは、まだ白鳥に戻ることができたはずだ。でも、言われてみれば、今は……。
戻れなかった。念じてみても、全く姿に変化はなかった。
「ね? シトラはもう白鳥じゃない」
「嘘だ……」
「オレが言うのもなんだけどさ。もう過去のことは忘れて生きちゃ駄目だろうか?」
「忘れるなんて……」
そんなことができるはずなかった。アルト様の腕に抱かれた体は、どうしたってあの日を思い出して熱を帯びる。
「まあ、そうだな。言い方が悪かった。全部思い出した今、オレはお前への愛を捨てることができそうにない。それほどまでに、お前への気持ちは、本気だった」
「それは、私だって……」
「でも、だからこそ。オレは全部をひっくるめて、一番強い想いを信じたいと思ったんだ。なあシトラ。オレの数ある人生で、一番強く欲したのはお前だったんだよ。だからさ、今、オレは、お前を選びたいんだ」
「コト様は……」
「悪いけど。アイツへの想いはそこまでじゃなかったみたいだ。そう。あの時のように」
「待ってください。それじゃあ、私は、なんのために何度も転生したと……」
「シトラ。きっと人の想いはそうそう変えられない」
「でも! もし、この人生で貴方がまたコト様に殺されてしまったら……」
「それでも構わない。わかってくれ。オレは自分の気持ちに嘘を吐きたくないんだ」
「そんな……!」
頭に浮かんだ非難の言葉たちは、落とされた口づけによって虚しく散ってゆく。そして、私は白鳥であることを諦めた。
*
「そうして白鳥は、記憶の戻った王子と共に、真の愛を守り抜き、幸せに暮らしたのです」
人々の行き交う街中で、歌うようにおとぎ話を披露する王子の姿がありました。
『良かった~。白鳥さん、幸せになったんだ!』『でも、それじゃあお姫様はどうなるの?』
「どうなったと思う?」
王子は、まるで悪戯っ子のような笑みを浮かべながら、子どもたちに問いました。
『ん~。怒ってまた王子様を殺しちゃった、とか……?』『でも、幸せに暮らしたっていってんだからさ、お姫様は何もしなかったんじゃないの?』『んじゃあ、きっと一人で悲しんでるんだ』『きっと死んじゃったのかも』
「勝手に殺さないでくれよ。全く。お姫様はちゃんと生きてるさ」
『ほんと~?』
「本当。お姫様はねえ、本当は薄々気づいてたんだよ。自分が何度も同じような人生を送っているってさ。でも、気づかない振りをしてたんだ。自分が王子の愛を得るために。知らない振りを続けてた。でも、今回の転生は何だか少しだけ様子が違ってた。だから、きっと白鳥と王子は結ばれるんだって、覚悟はしてたんだよ。だから……、お姫様はもう二人の恋を許すことにしたんだよ」
『お姫様って優しいんだね』
「そう? 僕は意地悪だと思ったけど」
『ううん。優しいよ。理想のお姫様だよ!』
「そう、かな……」
照れくさそうに笑ったコト王子は、どこまでも青い空を見上げて、耳を澄ませました。
ゴーン。ゴーン。
「さ、おとぎ話はここまでだ。僕は急がなくてはいけないからね」
遠くから聞こえる鐘の音を聞き、王子は腰を上げました。
『隣の国の王子様の結婚式、でしょ~?』『いいな~。ワタシも、花嫁さん見た~い!』
「でも花嫁さん、男だよ?」
『それって駄目なの~?』『ママ言ってたよ~。男だけど、良い人だから、大丈夫でしょって』『アルト王子、みんなにず~っとお願いして、や~っと叶ったんでしょ? すごいよね~』
「ああ。驚いたよ。世界は言うほど地獄でもないらしい」
『コト王子、笑ってる~!』『ねえねえ、コト王子~。ワタシ、ブーケが欲しい~。お願い~、取ってきてほしいの~!』
「はは。わかったよ。ほんと、仕方ないなあ」
アルト王子と従者シトラの結婚式は、実に盛大に祝われることになりました。誰もが無理だと思っていた二人の結婚でしたが、どういうわけか、こうして現実となったのです。
「おめでとう。きっとこれも神様の思し召しさ」
「コト。君は来てくれないかと思ったよ」
「僕だって、昔に囚われたままじゃない。それに、シトラはそろそろ報われてくれなきゃ、ね」
「コト様……」
「ほら。そんな顔しないで。お礼なら、そのブーケでいいからさ」
「はい。もう多くは言いません。本当に、ありがとうございます……」
同性であり、身分の違う二人の結婚は、世界を揺るがしました。そうして、世界は少しだけ自由になったのです。
「シトラ。改めて言おう。愛しているよ」
「はい。俺も、アルト様を愛しています」
二人が誓い合った空はすっかり暗く、まるで橋が架かったように星がたくさん流れていました。そして、ひと際明るい三つの星は、仲睦まじく輝いていました。
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