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(34)死神と少年
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無能な死神は少年の魂を狩ろうとする。しかし、少年には死神の姿が見えていて……。
BL度は薄めで、暗めな話です。過去に因縁のある二人です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
人気のないプラットホームに佇む少年を見つめる。
覇気のないその少年は、今から死ぬ。
その魂を回収するのが、死神である私の仕事だ。
だから、ただじっとその時を待つ。
考えることなど一度もせずに。
列車が来る。
その瞬間、何もない空間から手が現れる。
見ているだけで寒くなりそうな真っ白い手。
不気味なそれが、何の罪もない少年の背中を突き飛ばすために伸びて……。
「死んだな」
そう呟いて、視線を逸らす。
少年が線路に落ちて列車に轢かれる光景を見たくないからだ。
人が死ぬ瞬間なんて見ていて気持ちの良いものではない。
この少年も可哀想に。あの白い手は怨霊だ。
彼に恨みがあったのか、この場所に恨みがあったのか。
どちらにせよ、ただの少年に避けることなど……。
どっ。
『い、いやあああああ!』
鈍い音と女性の悲鳴に顔を上げる。
彼が突き落とされ、周りにいた女性が叫んだ。普通ならばそう考える。
だけど違った。そもそもこの寂れた駅に彼以外の客はいない。それに、その叫びはまるで痛みに耐えるような末恐ろしい金切り声で……。
「嘘だろ……?」
目の前の光景に思わず声を漏らす。
少年が女の幽霊を地面に押さえつけていた。
あり得ない。
この少年が腕だけ見えていたあの幽霊を、引きずりだしてねじ伏せたと? まさか!
人間が霊を触れるはずがない。人間に霊が見えるわけがない。人間が……。
電車が通る。そのけたたましい汽笛も、体をさらってゆきそうな風も、どこか遠くのことのように感じる。
何故か? それは……。
『あああああああああああああああ!』
少年が、どこからか取り出したナイフで女の霊を躊躇いもなく刺す。それと同時に女の悲痛な声が頭に響く。
「人間がこんな冷静に霊を“殺せる”はずがない……」
得体の知れない目の前の少年から一歩後退る。
そのまま逃げてしまおうと思ったところで、少年と目が合う。
「ひっ……」
少年の瞳は真っ赤に染まっていた。これはいよいよ普通の人ではない。
少年が近づく。いや、待て。まさか死神である私までもが見えている、なんてことは……。
「アンタ死神だろ? 俺のこと、回収しようとしてる」
少年は目を逸らさないまま、にやりと笑う。
まさか。本当に見えているというのか? それに、正体どころか目的までもがバレているだなんて。冗談じゃない!
「っ……!」
こうなっては仕事も上手くいくまいと、少年に背を向ける。
「悪いんだけど、俺まだ死ぬ気ないんだよね。ってことで」
「わっ」
しかし、逃げようとした瞬間、簡単に突き飛ばされた私は地面に転がる。
「アンタが死んでくれ」
冷たい言葉が投げられ、死神装束の真っ黒いフードが取られる。
ああ、殺される……!
少年の持つナイフが鋭く光るのを見て、目を閉じる。
「……」
「……殺さないのか?」
しばしの沈黙。死を覚悟したにもかかわらず、いつまで経ってもナイフを振り下ろさない少年に、目を開けてから問いかける。
「いや。アンタ、嬉しそうだなって」
「嬉しそう……?」
そんなつもりはなかった。だけど、なるほど。確かに今の私は知らないうちに死を望んでいたのかもしれない。
「悪いけど、死にたがってる奴を殺したってなんも楽しくないから」
「は?」
「帰りなよ」
「帰るって言ったって……」
少年を見る。彼の魂を回収しない限りは戻れない。
ただでさえ毎日ミスばっかりで無能な自分が、久々の回収作業でミスをして帰るなど……。
「いや、そうか。なるほど」
思い当たって、自然と苦しい笑みが零れる。
簡単なことだった。何故、私ごときに彼のような特殊な人間が任されたのか。それは。
「役立たずだから君のもとに送られたんだろう?」
「……なんだ。わかってんの?」
彼の反応を見て確信する。
「やっぱり。君が“死神殺し”か」
「死神殺し、か。随分物騒な呼び名だね」
死神殺し。それは、死神の間で囁かれている噂の類。無能な死神は死神殺しのもとに送られ殺される。死の概念がない死神を唯一殺せる存在だという。
「そ。俺は当の昔に回収リストに載った。でも、俺は生きている。死神を殺して。死を拒否して。化け猫みたいに生き続けている」
「本当に、存在したのか……」
「はは。化け物扱いかよ。ま、実際そうだけどな。だからいつの間にか不思議なものにも触れるようになったし。死神界のお偉いさんも、回収と銘打ちながらも実際は使えない奴の処分の手段とするようになった」
「ごみ処理場ってわけか」
「そうそう。恐らく、俺はその役割を担わされたから、理の一部となったから死ねないのかもしれない。いわば死神の死神ってわけだ」
「だったら尚更。私も殺してくれればいい」
「それはできないと言っただろう」
「どうして……!」
「お前は死を望むな」
「死を望まなければ殺してくれるのか」
「……ああ。そうだ」
それから行く当てもない私は、少年の後をついて回った。
少年には何回も早く帰れと言われた。
ずっと現世にいると怪異になってしまう。
彼にもそのことがわかっていたのだろう。
だけど、私はとても戻る気にはなれなかった。
戻ったとして、また仕事に追われ、怒鳴られる日々なのだ。
私は他の死神とまるで違った。他のどの死神よりも仕事ができなかった。人間を狩ることを躊躇った。死神のくせに。自分が人に死をもたらす存在であるのが嫌でたまらなかった。
そんな私にとって、少年の後をついて回るのは楽しかった。
少年は、外見相応の暮らしをしていた。聞けば、もう何十年も学生として生活しているそうだ。少年は歳を取らない。少年の周りは、それを不思議だと思わない。そんないびつな世界が普通として存在していた。
確かに少年は理としてこの世界に組み込まれているのだろう。
それについて、少年はうんざりしているらしかったが、私は少し羨ましかった。
少年と過ごしている時は、まるで自分までもが人間になったかのように思えたからだ。
少年と過ごす日々は、どこか懐かしく、こんな時間がいつまでも続けばいいのにとさえ思った。
だけど。
終わりは確実に近づいていた。
自分の肌が黒く塗りつぶされてゆく。心も同じく塗りつぶされてゆく。
私はそれを隠しながら、必死に少年の後をついて行った。
まだ死にたくない。
いつからかそんな言葉が頭を占めた。その感覚も酷く懐かしく思えた。
だけど、これはいけない感情なのだと、どうしてか思った。そして、どうしてか私は焦っていた。
繰り返してはいけない。
頭が割れそうだった。怪異になりかけた自分の体を引き摺って、気づくと私は少年に縋っていた。
「お願い、殺して……!」
「だめだ」
「どうして! 私は死にたくない。今なら死にたくないと言えるのだ! であればお前は殺してくれるはずだ!」
「お前は、死にたくないのに殺してほしいのか?」
「うう……。私は死ぬべきなんだ。私が死ぬべきだったんだ……」
自分が何を喋っているのかもわからなかった。ただ朦朧とする意識の中でうわ言のように呟いた。
「お前は、記憶が蘇っているのか……?」
「き……おく?」
少年の言葉の意味も理解できないほどに、それは押し寄せていた。でも。
「おい……」
「君は死ぬな……。今度は、私が……ちゃんと……」
声を絞り出す。彼の手を力なく掴む。彼の瞳を見つめて、微笑む。歪む視界の中で彼が泣きそうな顔をしながら私の頬に手を伸ばす。
あれ、私は泣いているのか……。
彼に触れられてようやく涙を流していることに気づく。どうして泣いているのだろうか。
答えを探そうとしたけれど、どうやらそれも叶わないようで……。
「あああああああ!!!」
*
「あああああああ!!!」
どっ。
死神が怪異になった瞬間、少年は死神の体を突き刺しました。
耳障りなその声も次第に収まり、暫くした後、そこは再び静寂に包まれました。
そこは、皮肉にもあの滅多に人の来ない駅のホーム。そう。死神と少年が出会った場所でした。
「お前の意志があるうちに殺せるわけないだろう……」
少年は、感情を押し込めたままにそう言うと、真っ黒くなってしまった死神にそっと口づけを落としました。
そして、電車が通り過ぎた後には、死神だったそれはいなくなってしまいました。
抱きしめていたはずのそれは、まるで最初っから存在しなかったかのように、すっかり空気に溶けて消えてしまったのです。
*
昔、あるところに生贄の風習がありました。
生まれる前から生贄に出す子は決まっており、死神の前世も、生贄になるためだけに生まれた子どもでした。
死神は生きていく上で最低限の生活は保障されていました。でも、いずれは生贄となる子ですので、両親は勿論のこと、誰からも愛を注がれることなく育ちました。
死神は生贄となるその時まで外に出ることも許されず、人里離れた山小屋に、一人閉じ込められて生きていました。
小屋には、数日ごとに食料を置いていく母親以外に誰も来ることはありませんでした。
死神は思いました。一度でいいから同じ年の子どもと遊んでみたい。母親以外の人間と話をしてみたい、と。
それはいつしか強い願いに変わり、死神は、夜になると必ず月にその願いを祈りました。
そして、ある晩。その日は空が曇っていて、月が見えず暗闇に包まれていました。死神は、明かりのない心細さと、願を掛けられない悲しさとですっかり心が落ち込んでいました。
しばらくして、雨が降ってきました。死神は、膝を抱えて孤独に耐えました。
ああ、こんなとき、誰かが側にいてくれれば、どれだけ心が強くなれるだろうか。
死神は、そんなことを思いながら闇の中で瞳を閉じました。小屋に打ちつける雨風は、どんなに彼の心を脅かしたことでしょう。
しかし雷まで鳴りはじめると、可哀想に死神は追い詰められたように震えあがり、すっかり縮こまってしまいました。
そんなとき、ふいに小屋の扉が開きました。
「えっ。な、なにっ……?」
「あれ。人がいたのか。驚かせて悪いな」
小屋の中に入ってきたそれは、雷の光で薄気味悪く照らされて、死神に恐怖を与えます。
「ひっ。妖怪……!? あの、ええと私はその、山の神の生贄になると決まっているので、いっ、今食べると駄目というか……!」
「ぷっ。あはは。化け物扱いかよ! 俺は妖怪なんかじゃねえよ」
しどろもどろになって怯える死神を見て、妖怪と疑われた少年は思わず笑いました。
「え……。もしかして、君、人間……?」
「なるほど。お前は生贄か」
お互いの視線が交差したとき、死神は弾かれたように少年の袖を引っ張りました。
「お、お願い! 少しでいいから、私と話をしてくれ! 少しでいいから、遊んでくれ
!」
その必死さに少年は目を丸くして固まりました。
死神は、このときほどドキドキしたことはありませんでした。暑くもないのにダラダラと汗が止まりませんでした。
やはり生贄なんぞがこんなことを言うのは不謹慎だろうか。
自分がそれを願える立場にないことは死神にもわかっていたので、すぐに後ろめたい気持ちでいっぱいになりました。しかし、今からでも言葉を取り消そうと死神が顔を上げた瞬間。
「いいぞ。俺も雨宿りしたかったところだ。暇つぶしにも丁度いい」
少年は、そのまま床に腰を下ろすと、死神に向かいにこりと笑いかけました。
それから、死神はすっかり舞い上がって、まるで人間の友達同士のような他愛のない会話を楽しみました。その時間は、死神が生きてきた中のどんな時よりもずっと人間らしいものでした。まさに、死神が思い描いていた夢のような時でした。
雨が上がり、少年が出ていくのを見送った死神は、どんなに悲しかったことでしょう。
「鍵、俺が壊しちゃったんだし、お前もこんな小屋、さっさと出て行けばいいのに」
「ううん。私は行けないんだ。私はここで生きて生贄になる。それが私の生まれた理由だもの」
「お前は死を望んでいるのか?」
「おかしなことを言うね。望む望まないじゃない。私は死ぬべきなんだから」
歪んでいる。人間として間違っている。当たり前のような顔をして言った死神を前にして、少年は思いました。生贄の話は、村で聞いたことがあったし、それが当たり前だと思っていました。生贄として生まれているのだから仕方がないのだと思っていました。だけど、死神は普通の人間でした。いや、普通の人間よりも、もっと儚くて可哀想でした。
それから、少年は死神のいる小屋に幾度となく足を運びました。
死神は、喜びました。少年に会えるのが本当に嬉しくて。いつしか死神にとって少年は、大きな心の支えとなっていました。
でもそれと同時に、死神の心はぐちゃぐちゃになってしまいました。
今まで考えることもしなかった感情が、一気に押し寄せて。その最たる例が、死に関する思いでした。
死神は、幼い頃からずっと自分を諦めていました。自分の命が短いことを知っていたから、早い内から死に対する恐怖を捨てていました。
でも、近頃はどうでしょうか。胸に手を当て、自分が生贄にされる日を思うと、胸が張り裂けそうになるのです。死神はいつしか自分が、まだ死にたくないと思っていることに気づいてしまいました。そして、そう思うときは決まって少年の顔が思い浮かぶことも気づいてしまいました。
だから。死神は、あるときを境に少年と会うことをしなくなりました。自分が人間であることを望むのもやめて、ただ生贄になるそのときを待ちました。
死神は、今更自分が変わってしまうのが怖くなってしまったのです。
しかし、死神は生贄になれませんでした。神に身を捧げるその前日、病気にかかってしまったからです。
生贄が病気では申し訳がたたないと、急遽、村長は他の子を生け贄に仕立て上げました。
そのとき死神は、ほっとしてしまいました。病気にかかって良かったとさえ思ってしまいました。やはり、死神は死への恐怖が、彼への思いが捨てきれていなかったのです。
熱でぼんやりとする頭で、死神は思いました。もしかしたら、私はこれで普通の人間として暮らせるのかもしれない。そうしたら、きっと彼とも堂々と遊べるのだ。時間も人目も、何もかもを気にすることもなく、共に成長してゆけるのだ。と。
しかし、そんな甘い夢は決して現実になることはありませんでした。
だって、死神の代わりにと、生贄に選ばれたのは他でもない。あの少年だったのですから。
それを知った死神は、大人しい彼とは思えないほどに暴れ、何とか村長の前まで行って、生贄の儀式を取り止めるよう言ったけれど、勿論全てが無駄でした。
どうしようもなくなった死神は、深夜にこっそりと抜け出し、森へ行きました。
「お願いです。私を生贄にしてください。病気ですが、どうか。何でもしますから。お願いです。彼を連れて行かないでください。本当は私がそうなるべきなのです。だから、どうか――」
そうして。生贄になるためだけに生まれた彼は、死神の役に就くことになりました。
死神は、前世で罪を犯した者たちに科されるもので、それはそれは辛い仕事でした。
もし彼が大人しく生贄として、人生を終えていたら、もっと軽い仕事に就いたでしょう。
でも、彼は穢れてしまった。他人のためとはいえ、自らを犠牲にしてしまった。自分を殺してしまったのですから。人を殺めてしまえば死神行きです。
だけど、死神に悔いはありませんでした。
これで彼は救われたと思ったからです。
だけども、やはり現実は上手くいきません。
神も、死神になった彼の願いを受け入れて、少年を生贄として働かせることを止めると約束しました。
しかし、森の精霊がすれ違いで、既に少年に役を与えてしまっていたことがわかりました。
神は、無理矢理にでも少年を人間に戻そうとしましたが、結局彼は人間になりきれずに。
中途半端になってしまった少年は、歳を取ることも、死ぬこともできずに『死神の死神』としていつしかこの世界に組み込まれてしまいました。
死神になった彼も、その綺麗すぎる魂のせいで、死神として定着しきれずに、周りの死神たちより仕事ができず、苦しみました。
*
「なあ。俺たちは不幸過ぎた。お前が逝ってしまった今、俺は最も不幸だ。それだったら、こんな世界は壊してしまっていいよな」
駅のホームで一人、佇んでいた少年がゆらりと揺れました。静かに絶望した彼の瞳は、死神たちを殺しても、神々を殺しても、まだ飽き足らないくらいに乾いていました。
いつしか辺りは暗くなり、空には綺麗な月が出ていました。その明るさは、吐き気がするくらいに眩しく、秩序が崩壊してゆく世界を照らしましたとさ。
BL度は薄めで、暗めな話です。過去に因縁のある二人です。
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人気のないプラットホームに佇む少年を見つめる。
覇気のないその少年は、今から死ぬ。
その魂を回収するのが、死神である私の仕事だ。
だから、ただじっとその時を待つ。
考えることなど一度もせずに。
列車が来る。
その瞬間、何もない空間から手が現れる。
見ているだけで寒くなりそうな真っ白い手。
不気味なそれが、何の罪もない少年の背中を突き飛ばすために伸びて……。
「死んだな」
そう呟いて、視線を逸らす。
少年が線路に落ちて列車に轢かれる光景を見たくないからだ。
人が死ぬ瞬間なんて見ていて気持ちの良いものではない。
この少年も可哀想に。あの白い手は怨霊だ。
彼に恨みがあったのか、この場所に恨みがあったのか。
どちらにせよ、ただの少年に避けることなど……。
どっ。
『い、いやあああああ!』
鈍い音と女性の悲鳴に顔を上げる。
彼が突き落とされ、周りにいた女性が叫んだ。普通ならばそう考える。
だけど違った。そもそもこの寂れた駅に彼以外の客はいない。それに、その叫びはまるで痛みに耐えるような末恐ろしい金切り声で……。
「嘘だろ……?」
目の前の光景に思わず声を漏らす。
少年が女の幽霊を地面に押さえつけていた。
あり得ない。
この少年が腕だけ見えていたあの幽霊を、引きずりだしてねじ伏せたと? まさか!
人間が霊を触れるはずがない。人間に霊が見えるわけがない。人間が……。
電車が通る。そのけたたましい汽笛も、体をさらってゆきそうな風も、どこか遠くのことのように感じる。
何故か? それは……。
『あああああああああああああああ!』
少年が、どこからか取り出したナイフで女の霊を躊躇いもなく刺す。それと同時に女の悲痛な声が頭に響く。
「人間がこんな冷静に霊を“殺せる”はずがない……」
得体の知れない目の前の少年から一歩後退る。
そのまま逃げてしまおうと思ったところで、少年と目が合う。
「ひっ……」
少年の瞳は真っ赤に染まっていた。これはいよいよ普通の人ではない。
少年が近づく。いや、待て。まさか死神である私までもが見えている、なんてことは……。
「アンタ死神だろ? 俺のこと、回収しようとしてる」
少年は目を逸らさないまま、にやりと笑う。
まさか。本当に見えているというのか? それに、正体どころか目的までもがバレているだなんて。冗談じゃない!
「っ……!」
こうなっては仕事も上手くいくまいと、少年に背を向ける。
「悪いんだけど、俺まだ死ぬ気ないんだよね。ってことで」
「わっ」
しかし、逃げようとした瞬間、簡単に突き飛ばされた私は地面に転がる。
「アンタが死んでくれ」
冷たい言葉が投げられ、死神装束の真っ黒いフードが取られる。
ああ、殺される……!
少年の持つナイフが鋭く光るのを見て、目を閉じる。
「……」
「……殺さないのか?」
しばしの沈黙。死を覚悟したにもかかわらず、いつまで経ってもナイフを振り下ろさない少年に、目を開けてから問いかける。
「いや。アンタ、嬉しそうだなって」
「嬉しそう……?」
そんなつもりはなかった。だけど、なるほど。確かに今の私は知らないうちに死を望んでいたのかもしれない。
「悪いけど、死にたがってる奴を殺したってなんも楽しくないから」
「は?」
「帰りなよ」
「帰るって言ったって……」
少年を見る。彼の魂を回収しない限りは戻れない。
ただでさえ毎日ミスばっかりで無能な自分が、久々の回収作業でミスをして帰るなど……。
「いや、そうか。なるほど」
思い当たって、自然と苦しい笑みが零れる。
簡単なことだった。何故、私ごときに彼のような特殊な人間が任されたのか。それは。
「役立たずだから君のもとに送られたんだろう?」
「……なんだ。わかってんの?」
彼の反応を見て確信する。
「やっぱり。君が“死神殺し”か」
「死神殺し、か。随分物騒な呼び名だね」
死神殺し。それは、死神の間で囁かれている噂の類。無能な死神は死神殺しのもとに送られ殺される。死の概念がない死神を唯一殺せる存在だという。
「そ。俺は当の昔に回収リストに載った。でも、俺は生きている。死神を殺して。死を拒否して。化け猫みたいに生き続けている」
「本当に、存在したのか……」
「はは。化け物扱いかよ。ま、実際そうだけどな。だからいつの間にか不思議なものにも触れるようになったし。死神界のお偉いさんも、回収と銘打ちながらも実際は使えない奴の処分の手段とするようになった」
「ごみ処理場ってわけか」
「そうそう。恐らく、俺はその役割を担わされたから、理の一部となったから死ねないのかもしれない。いわば死神の死神ってわけだ」
「だったら尚更。私も殺してくれればいい」
「それはできないと言っただろう」
「どうして……!」
「お前は死を望むな」
「死を望まなければ殺してくれるのか」
「……ああ。そうだ」
それから行く当てもない私は、少年の後をついて回った。
少年には何回も早く帰れと言われた。
ずっと現世にいると怪異になってしまう。
彼にもそのことがわかっていたのだろう。
だけど、私はとても戻る気にはなれなかった。
戻ったとして、また仕事に追われ、怒鳴られる日々なのだ。
私は他の死神とまるで違った。他のどの死神よりも仕事ができなかった。人間を狩ることを躊躇った。死神のくせに。自分が人に死をもたらす存在であるのが嫌でたまらなかった。
そんな私にとって、少年の後をついて回るのは楽しかった。
少年は、外見相応の暮らしをしていた。聞けば、もう何十年も学生として生活しているそうだ。少年は歳を取らない。少年の周りは、それを不思議だと思わない。そんないびつな世界が普通として存在していた。
確かに少年は理としてこの世界に組み込まれているのだろう。
それについて、少年はうんざりしているらしかったが、私は少し羨ましかった。
少年と過ごしている時は、まるで自分までもが人間になったかのように思えたからだ。
少年と過ごす日々は、どこか懐かしく、こんな時間がいつまでも続けばいいのにとさえ思った。
だけど。
終わりは確実に近づいていた。
自分の肌が黒く塗りつぶされてゆく。心も同じく塗りつぶされてゆく。
私はそれを隠しながら、必死に少年の後をついて行った。
まだ死にたくない。
いつからかそんな言葉が頭を占めた。その感覚も酷く懐かしく思えた。
だけど、これはいけない感情なのだと、どうしてか思った。そして、どうしてか私は焦っていた。
繰り返してはいけない。
頭が割れそうだった。怪異になりかけた自分の体を引き摺って、気づくと私は少年に縋っていた。
「お願い、殺して……!」
「だめだ」
「どうして! 私は死にたくない。今なら死にたくないと言えるのだ! であればお前は殺してくれるはずだ!」
「お前は、死にたくないのに殺してほしいのか?」
「うう……。私は死ぬべきなんだ。私が死ぬべきだったんだ……」
自分が何を喋っているのかもわからなかった。ただ朦朧とする意識の中でうわ言のように呟いた。
「お前は、記憶が蘇っているのか……?」
「き……おく?」
少年の言葉の意味も理解できないほどに、それは押し寄せていた。でも。
「おい……」
「君は死ぬな……。今度は、私が……ちゃんと……」
声を絞り出す。彼の手を力なく掴む。彼の瞳を見つめて、微笑む。歪む視界の中で彼が泣きそうな顔をしながら私の頬に手を伸ばす。
あれ、私は泣いているのか……。
彼に触れられてようやく涙を流していることに気づく。どうして泣いているのだろうか。
答えを探そうとしたけれど、どうやらそれも叶わないようで……。
「あああああああ!!!」
*
「あああああああ!!!」
どっ。
死神が怪異になった瞬間、少年は死神の体を突き刺しました。
耳障りなその声も次第に収まり、暫くした後、そこは再び静寂に包まれました。
そこは、皮肉にもあの滅多に人の来ない駅のホーム。そう。死神と少年が出会った場所でした。
「お前の意志があるうちに殺せるわけないだろう……」
少年は、感情を押し込めたままにそう言うと、真っ黒くなってしまった死神にそっと口づけを落としました。
そして、電車が通り過ぎた後には、死神だったそれはいなくなってしまいました。
抱きしめていたはずのそれは、まるで最初っから存在しなかったかのように、すっかり空気に溶けて消えてしまったのです。
*
昔、あるところに生贄の風習がありました。
生まれる前から生贄に出す子は決まっており、死神の前世も、生贄になるためだけに生まれた子どもでした。
死神は生きていく上で最低限の生活は保障されていました。でも、いずれは生贄となる子ですので、両親は勿論のこと、誰からも愛を注がれることなく育ちました。
死神は生贄となるその時まで外に出ることも許されず、人里離れた山小屋に、一人閉じ込められて生きていました。
小屋には、数日ごとに食料を置いていく母親以外に誰も来ることはありませんでした。
死神は思いました。一度でいいから同じ年の子どもと遊んでみたい。母親以外の人間と話をしてみたい、と。
それはいつしか強い願いに変わり、死神は、夜になると必ず月にその願いを祈りました。
そして、ある晩。その日は空が曇っていて、月が見えず暗闇に包まれていました。死神は、明かりのない心細さと、願を掛けられない悲しさとですっかり心が落ち込んでいました。
しばらくして、雨が降ってきました。死神は、膝を抱えて孤独に耐えました。
ああ、こんなとき、誰かが側にいてくれれば、どれだけ心が強くなれるだろうか。
死神は、そんなことを思いながら闇の中で瞳を閉じました。小屋に打ちつける雨風は、どんなに彼の心を脅かしたことでしょう。
しかし雷まで鳴りはじめると、可哀想に死神は追い詰められたように震えあがり、すっかり縮こまってしまいました。
そんなとき、ふいに小屋の扉が開きました。
「えっ。な、なにっ……?」
「あれ。人がいたのか。驚かせて悪いな」
小屋の中に入ってきたそれは、雷の光で薄気味悪く照らされて、死神に恐怖を与えます。
「ひっ。妖怪……!? あの、ええと私はその、山の神の生贄になると決まっているので、いっ、今食べると駄目というか……!」
「ぷっ。あはは。化け物扱いかよ! 俺は妖怪なんかじゃねえよ」
しどろもどろになって怯える死神を見て、妖怪と疑われた少年は思わず笑いました。
「え……。もしかして、君、人間……?」
「なるほど。お前は生贄か」
お互いの視線が交差したとき、死神は弾かれたように少年の袖を引っ張りました。
「お、お願い! 少しでいいから、私と話をしてくれ! 少しでいいから、遊んでくれ
!」
その必死さに少年は目を丸くして固まりました。
死神は、このときほどドキドキしたことはありませんでした。暑くもないのにダラダラと汗が止まりませんでした。
やはり生贄なんぞがこんなことを言うのは不謹慎だろうか。
自分がそれを願える立場にないことは死神にもわかっていたので、すぐに後ろめたい気持ちでいっぱいになりました。しかし、今からでも言葉を取り消そうと死神が顔を上げた瞬間。
「いいぞ。俺も雨宿りしたかったところだ。暇つぶしにも丁度いい」
少年は、そのまま床に腰を下ろすと、死神に向かいにこりと笑いかけました。
それから、死神はすっかり舞い上がって、まるで人間の友達同士のような他愛のない会話を楽しみました。その時間は、死神が生きてきた中のどんな時よりもずっと人間らしいものでした。まさに、死神が思い描いていた夢のような時でした。
雨が上がり、少年が出ていくのを見送った死神は、どんなに悲しかったことでしょう。
「鍵、俺が壊しちゃったんだし、お前もこんな小屋、さっさと出て行けばいいのに」
「ううん。私は行けないんだ。私はここで生きて生贄になる。それが私の生まれた理由だもの」
「お前は死を望んでいるのか?」
「おかしなことを言うね。望む望まないじゃない。私は死ぬべきなんだから」
歪んでいる。人間として間違っている。当たり前のような顔をして言った死神を前にして、少年は思いました。生贄の話は、村で聞いたことがあったし、それが当たり前だと思っていました。生贄として生まれているのだから仕方がないのだと思っていました。だけど、死神は普通の人間でした。いや、普通の人間よりも、もっと儚くて可哀想でした。
それから、少年は死神のいる小屋に幾度となく足を運びました。
死神は、喜びました。少年に会えるのが本当に嬉しくて。いつしか死神にとって少年は、大きな心の支えとなっていました。
でもそれと同時に、死神の心はぐちゃぐちゃになってしまいました。
今まで考えることもしなかった感情が、一気に押し寄せて。その最たる例が、死に関する思いでした。
死神は、幼い頃からずっと自分を諦めていました。自分の命が短いことを知っていたから、早い内から死に対する恐怖を捨てていました。
でも、近頃はどうでしょうか。胸に手を当て、自分が生贄にされる日を思うと、胸が張り裂けそうになるのです。死神はいつしか自分が、まだ死にたくないと思っていることに気づいてしまいました。そして、そう思うときは決まって少年の顔が思い浮かぶことも気づいてしまいました。
だから。死神は、あるときを境に少年と会うことをしなくなりました。自分が人間であることを望むのもやめて、ただ生贄になるそのときを待ちました。
死神は、今更自分が変わってしまうのが怖くなってしまったのです。
しかし、死神は生贄になれませんでした。神に身を捧げるその前日、病気にかかってしまったからです。
生贄が病気では申し訳がたたないと、急遽、村長は他の子を生け贄に仕立て上げました。
そのとき死神は、ほっとしてしまいました。病気にかかって良かったとさえ思ってしまいました。やはり、死神は死への恐怖が、彼への思いが捨てきれていなかったのです。
熱でぼんやりとする頭で、死神は思いました。もしかしたら、私はこれで普通の人間として暮らせるのかもしれない。そうしたら、きっと彼とも堂々と遊べるのだ。時間も人目も、何もかもを気にすることもなく、共に成長してゆけるのだ。と。
しかし、そんな甘い夢は決して現実になることはありませんでした。
だって、死神の代わりにと、生贄に選ばれたのは他でもない。あの少年だったのですから。
それを知った死神は、大人しい彼とは思えないほどに暴れ、何とか村長の前まで行って、生贄の儀式を取り止めるよう言ったけれど、勿論全てが無駄でした。
どうしようもなくなった死神は、深夜にこっそりと抜け出し、森へ行きました。
「お願いです。私を生贄にしてください。病気ですが、どうか。何でもしますから。お願いです。彼を連れて行かないでください。本当は私がそうなるべきなのです。だから、どうか――」
そうして。生贄になるためだけに生まれた彼は、死神の役に就くことになりました。
死神は、前世で罪を犯した者たちに科されるもので、それはそれは辛い仕事でした。
もし彼が大人しく生贄として、人生を終えていたら、もっと軽い仕事に就いたでしょう。
でも、彼は穢れてしまった。他人のためとはいえ、自らを犠牲にしてしまった。自分を殺してしまったのですから。人を殺めてしまえば死神行きです。
だけど、死神に悔いはありませんでした。
これで彼は救われたと思ったからです。
だけども、やはり現実は上手くいきません。
神も、死神になった彼の願いを受け入れて、少年を生贄として働かせることを止めると約束しました。
しかし、森の精霊がすれ違いで、既に少年に役を与えてしまっていたことがわかりました。
神は、無理矢理にでも少年を人間に戻そうとしましたが、結局彼は人間になりきれずに。
中途半端になってしまった少年は、歳を取ることも、死ぬこともできずに『死神の死神』としていつしかこの世界に組み込まれてしまいました。
死神になった彼も、その綺麗すぎる魂のせいで、死神として定着しきれずに、周りの死神たちより仕事ができず、苦しみました。
*
「なあ。俺たちは不幸過ぎた。お前が逝ってしまった今、俺は最も不幸だ。それだったら、こんな世界は壊してしまっていいよな」
駅のホームで一人、佇んでいた少年がゆらりと揺れました。静かに絶望した彼の瞳は、死神たちを殺しても、神々を殺しても、まだ飽き足らないくらいに乾いていました。
いつしか辺りは暗くなり、空には綺麗な月が出ていました。その明るさは、吐き気がするくらいに眩しく、秩序が崩壊してゆく世界を照らしましたとさ。
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