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11~20
(19)番人と少年
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少年は、ある日夢を見る。静かな図書館。時の番人と名乗る青年。その人は、どこか懐かしくもあり……。
悪魔×天使
ーーーーーーーーーーーーーーー
あるところに、天使がいました。天使は、それは綺麗な心の持ち主で、力を使い、全てのものに救いを与えました。そのおかげで、天使は皆に感謝され、敬われました。
しかし――。
「ん……。あれ、ここは……?」
目を覚ます。ぼんやりと浮かんでくるのは、本棚。ずらりと並ぶ数多の本。
「図書館……?」
ああ、そうか。俺は、図書館で本を読んでいたんだ。子供向けの絵本。気まぐれに取ったその本は、確か天使の話で……。
つまらなかったから、そのまま寝ちゃったんだっけ。
「そうすると、ここは夢の中か」
律儀に図書館の夢を見るなんて、我ながら夢がない。
突っ伏していたテーブルから立ち上がり、ぐるりと見渡す。
螺旋階段……。そんな造りじゃなかったけどな。
つうと上まで視線を巡らせると、ステンドグラスから漏れる光。それが眩しくて、思わず目を細める。
かさり。
視界の端で、何かが動く。
見ると、本棚の上に人影があった。
それが、高い位置だというのに、本を片手に足を組み、優雅にこちらを見ているのだ。
「だ、誰だ……?!」
「……それは、こちらの台詞なんだがね」
ひらり。
まるで羽でも生えているかのように、声の主は躊躇いもなく空中で身を翻し、目の前に着地する。
「私はここの番人だ。どうやら君は、時の狭間のこの場所に、迷いこんでしまったらしい」
「は? これは俺の夢だろう?」
「……なるほど。君がそう言うのならそうだろう」
「なんだよそれ」
「適当に過ごすといい。時間が経てばきっと戻れるはずだ」
そう言って男はまた階段を上がり、本棚に腰かける。
変な奴。
執事みたいな格好で、髪も固められていて。
燃えるように気味の悪い赤い目が印象的だった。
男の言う通り、これは夢なのだから時間が経てば戻るだろう。
男をじっと見つめても、彼が視線を返すことはなく。最初に見たときのように、よくわからない表情で本を捲っては手で文字をなぞっていた。
「変な夢だ……」
何もすることがなくなってしまった俺は、そこらにあった本に手を伸ばす。
が。
すかっ。
「あれっ」
どれだけ取ろうとしても、手が本をすり抜ける。
「残念だが君には触れないよ。ここにあるものは実体を持たない」
声の方を見ると、やはり本に目を落としたままの男が詰まらなさそうに呟いていた。
「でもアンタは触れてるじゃん」
「私もこの本たちと同じく実体を持たないからね。大人しく時を待つことだ」
「……」
じっと待つしかないか……。
男を見る。本に注がれる視線は、やはり詰まらなさそうだ。
それでもぺらりと頁を捲り、文字を追う男を不思議に思う。それと同時に、どこか懐かしい気がして。
変な夢だ。
ふと自分の手を見ると、指の先が透明になって。
「な……!」
「ん、やっと帰る時が来たか」
ようやく本から目を離した男が気だるげに呟く。
ああそうか。俺は夢を見てたんだ。
「じゃあな、少年」
消えゆく俺に向かって、男が短い別れを口にする。
その赤い瞳が、悲し気な瞳が、何故だか印象に残って……。
夢が覚めてからも、記憶から消えないその世界。それを思い続けているうちに、俺はまた、あの図書館にいた。
「君は……。この前の少年じゃないか」
声の方を振り向くと、小学生くらいの男の子がいた。
「えっと、君は?」
「時の番人さ。この前会ったときとは少し姿が違うけど」
「え、」
確かにこの前の番人と同じ格好をしている。それにこの赤い目。奥の方まで赤々と燃える不気味さは記憶の中の色と一致する。
だが、その声も、可愛らしい顔つきも、全てが幼かった。
「ここは時が不安定な場所なんだ。だから、私の外見も変わってしまうんだ」
「それは……。大変だな」
よくわかっていないが、夢のことだ。適当に相槌を打つと、男の子は顔に似合わぬため息をつき、持っていた本を閉じる。
「ああ、赤ちゃんや老人になった日は仕事するのは諦めてるよ」
「それは……」
少しだけ見てみたいと心の隅で思っていると、男の子が再びため息をつく。
「というか、どうして君はまたここに来たんだ? 時の迷子はたまにやってくるから、さほど驚かなかったが……。二回も来る奴は初めて見た」
「どうしてって、だってこれ夢だからさ、そういうこともあるんじゃない?」
「……とにかく、君は早くこの場所から離れた方がいいだろう」
そう言われてもなぁ。
しっしと追い払うように手を振り、再び本に目を落とす彼にデジャヴを感じる。
やることもないので、前回と同じく彼を見つめる。
知りたい……。
ふと湧いてくる強い思い。
俺はどうしてこんな夢を見るのか。
彼は一体何者なのか。
どうして、あの赤い目はこうも心を惹きつけるのか――。
次の日もやはり夢を見た。
時の番人と名乗る男が、驚いた表情で手元の本を閉じる。
「な、君は……。また……」
本棚から降り立った彼は、自分と変わらない程の少年の姿になっていた。
「はは。でも俺の方が、ちょっと背が高い」
「……君は、一体何者なんだ」
「それは俺の台詞だけど」
真っすぐに赤い目を見つめると、すぐに逸らされる。
「君は、早く忘れなくてはいけない。ここのことも、私のことも」
「忘れろったって……。それ、ちょっとやそっとじゃ忘れられないんだけど」
「……?」
「その目だよ。真っ赤な瞳。そんなの夢で見たら、忘れられるはずがない」
「赤い……?」
「お前の目。もしかして自分じゃ気づいてないのか?」
そういえばここ、鏡とかないもんな。
「あ……」
少年が自分の目を押さえながら、一歩下がる。
「おい。どうした?」
いつも澄ました彼が、動揺している姿にどきりとして手を伸ばす。
「っ!」
ばちっ。
「いって……」
伸ばした手は、彼に弾かれ行き場をなくす。
「すまない。でも……。君は、早く帰った方がいい」
呼吸を整えた彼が、初めと変わらぬ言葉を置く。まるで呪文のように。
やはり、やることを失った俺は、彼を見つめる。
「その本が取りたいのか?」
背伸びをして本を取ろうとしている彼を見て、声をかける。
「って、触れないんだっけ」
彼の後ろに立ち、手を伸ばす。
かくっ。
「あれっ」
一瞬、本の背に触れた感覚があった。
本棚から落ちる本を見て、俺を無視していた彼も、驚いた表情で見つめてくる。
「お前、今、」
「ん?」
「いや……」
戸惑う素振りを見せる彼の頬に触れる。
「え……?」
冷たいその頬に、そのまま唇を寄せる。
「な、なんで……」
言葉が紡ぎ切れていないその口に蓋をする。
彼を抱き包む手が、次第に消えてゆく。
ああ。ようやく夢から覚めた。
それからしばらくして。
赤い瞳に思いを馳せ、目を閉じる。
再び目を開けたときには、彼のいる図書館に立っていた。
「あう……」
目の前にいるのは赤子。こちらを見て、怯えたように座り込むその子に微笑みかける。
「また来ちゃいました」
「だ、だう~!」
「はは。赤ちゃんになっても目が赤いや。さてと。ところで、あれはどこにあるんですか?」
「う……?」
「ああ。貴方に言ってもわかんないですよね」
視線を巡らせる。螺旋階段の一番上。そこに、一際分厚い本を見る。
「あっ、うう~!」
階段を上ろうとする足に、彼がしがみつく。
「ごめんね、ほ~ら、よしよし」
その小さい手をゆっくりと剥がし、抱きかかえる。
「うっ、」
ゆらゆらと揺すると、歪められた顔も、次第に緩くなってゆく。
「待っててくださいね」
すぐに寝息を立てはじめた赤子を床に降ろし、ひと撫で。
階段を上り、その赤く染まった背表紙に手を掛ける。
そして。
*
目が覚めると日が経って青年の姿になっていた。
まぁ、日といっても勝手に決めた区切りで、違う姿になった境を一日としているだけなのだが。
いつまでこんな不安定な体が続くのだろうか。
昨日は赤子の姿だったから、今日はしっかりと書庫整理をして、それで……。
「あ、れ……」
待て、昨日は確か、あいつが居て、それで……。
ぱらり。
本を捲る音がして、飛び起きる。
「な、なんで……」
「あ、おはようございます」
微笑む彼の手には赤い本。
「なんで君がまだここに……。いや、それより、その本は……!」
「あれ、この本のこと知ってたんです?」
「え。いや……。その本だけ、触ることができなかったから……」
「まぁ、そりゃそうでしょうね」
その何か知っているような口ぶりに眉をひそめる。
「……それ、何が書いてあったんだ?」
「ああ。なんでもないただの白紙でしたよ」
「嘘だ」
「それより、ずっとこんなとこにいて寂しかったでしょう? 一人でこんな仕事させられて。辛かったでしょう?」
優しく微笑む彼が一歩また一歩と距離を詰める。
「君は、何を知っている? それは、何の本なんだ?」
「だから、白紙だって言ったでしょう」
ほら、と本の中身をこちらに見せる。
確かに白紙だ。だけど。
まっさらなそれは不自然だった。真っ黒に微笑む彼も不自然だった。
「君が、何かしたのか?」
睨みつけてやると、一瞬、彼の笑顔が凍り付く。
「貴方は何も知らなくていいんです」
「君は何を知っている?」
再度問いかけても、彼は何も答えない。
この少年は一体何だ?
彼の手が伸びてきて、頬を撫でつける。
逃げようと一歩後ずさるが、すぐ書架に背が触れてしまう。
そして、彼の顔が一気に近づき……。
「大丈夫。俺ともうひとつ堕ちましょう」
本が床に落ちると同時に、唇が重なる。
あれ……。私は、何をしていただろうか……。私は、何者だっただろうか……。
ぐにゃりと記憶が溶け出して。目の前を赤く染め上げる。
「あ……、あああ」
腹に手を当てる。真っ赤な血。それが、手のひらを真っ赤に染め上げる。
どさりと音を立てて崩れ落ちる自分の体。鉛のように重く、そのまま地面に沈み込んでしまいそうだ。
「すみません。でも、こうしないと、ここが終われないから」
少年の手が頬を撫でる。その手もやはり真っ赤に染まっていて。
懐かしい。そんな言葉が胸を過る。
目の前に飛び散る赤。ああ。そうだ。“前”もそうだった。私の目は、きっと罪に染まったのだ……。
あれ。
前っていつのことだ? 罪って、私は何をしたんだ?
少年を見つめる。やはり、心がざわりと揺らいで。
「私は……、君のことを……」
伸ばした手が彼の手によって包み込まれる。
私は、確かに、この少年のことを知っていて……。
「大丈夫。次はきっと――」
彼の言葉を最後まで聞かずに、血とともに意識は零れ落ちる。
赤い夢の中に落ちる。
終わりの見えない地獄の夢へ。
*
あるところに、天使がいました。天使は、それは綺麗な心の持ち主で、力を使い、全てのものに救いを与えました。そのおかげで、天使は皆に感謝され、敬われました。
しかし、悪魔たちは、そんな天使を邪魔だと疎み、殺そうとしました。
最初の内は、悪魔たちを追い払っていた天使も、やがてその数の多さに疲弊し、最後の方には、逃げるのもやっとといった調子でした。
そんなとき、一人の悪魔がついに天使を追い詰めたのです。
天使は、自分の死を覚悟しました。悪魔は、それをせせら笑い、残虐な殺し方をしてやるつもりでした。
しかし。
「……殺さないのか?」
「ああ。そうしてやるつもりだったんですけど……」
悪魔には、その天使を殺すことができませんでした。
自分にはないその美しさに、心が揺らいでしまったのです。
「君は、変な悪魔ですね。悪魔らしくない」
「あんたこそ……。どうしてこんなにも俺を惹きつけるんだ」
天使に心を乱されるなんて。こんなことがあるはずない、と悪魔は自分の心を否定しました。
そうしているうちに、結局悪魔は天使を取り逃がしてしまいました。
「これでよかったのかもしれない」
悪魔は、自分の手柄は立てられなかったことを後悔するどころか、天使を殺さずに済んでよかったとさえ思いました。
しかし、天使は死にました。
他の悪魔に殺されました。
それを知った悪魔は、絶望を知りました。どうしようもない怒りを知りました。
そして。
悪魔は、自分以外の悪魔たちを殺しました。
同族を殺した悪魔は、その罪により、地獄から追放されました。
それと同時に、悪魔に負けた天使の魂も、天界から追放されました。
そして、記憶を消され、新たな転生を果たし、天使は時の番人として、悪魔は人間として生きることになったのです。
*
「だけど、悪魔は再び天使と出会い、本に封じられた前世の記憶を蘇らせたのです」
「え~。それじゃあ、その二人は、それから幸せに暮らせたの?」
男の子の無邪気な声。絵本を読み聞かせた青年は、男の子の小さな手を見つめる。
「いいえ。悪魔は、天使をもう一つ落とすために、天使を殺したんです」
「えっ。天使のこと、好きなんじゃないの?」
「ええ。好きですよ。だからこそ。天使を自分の手の届くところに置きたいんじゃないですか」
「お兄ちゃん?」
青年が、その柔らかい髪を撫でつけると、男の子は不思議そうにこちらを向く。
「今度こそは、貴方を傷つけはしません。きっと、幸せにしてみせます。だから……」
青年は微笑み、そして。
「今度は逃げたりしないでくださいね。これ以上、赤くなりたくないでしょう?」
「え?」
赤い目の下をそっと撫でる。
その瞳は、以前より増して赤が染み込んでいて。
「えっと。あの……」
身じろぐ男の子に、青年は微笑みを濃くする。
「大丈夫。きっとハッピーエンドにしてみせますからね」
ぱらりと音を立て、手元の本が風で捲れる。
白紙の頁。その先はまだ、誰も知らない。
悪魔×天使
ーーーーーーーーーーーーーーー
あるところに、天使がいました。天使は、それは綺麗な心の持ち主で、力を使い、全てのものに救いを与えました。そのおかげで、天使は皆に感謝され、敬われました。
しかし――。
「ん……。あれ、ここは……?」
目を覚ます。ぼんやりと浮かんでくるのは、本棚。ずらりと並ぶ数多の本。
「図書館……?」
ああ、そうか。俺は、図書館で本を読んでいたんだ。子供向けの絵本。気まぐれに取ったその本は、確か天使の話で……。
つまらなかったから、そのまま寝ちゃったんだっけ。
「そうすると、ここは夢の中か」
律儀に図書館の夢を見るなんて、我ながら夢がない。
突っ伏していたテーブルから立ち上がり、ぐるりと見渡す。
螺旋階段……。そんな造りじゃなかったけどな。
つうと上まで視線を巡らせると、ステンドグラスから漏れる光。それが眩しくて、思わず目を細める。
かさり。
視界の端で、何かが動く。
見ると、本棚の上に人影があった。
それが、高い位置だというのに、本を片手に足を組み、優雅にこちらを見ているのだ。
「だ、誰だ……?!」
「……それは、こちらの台詞なんだがね」
ひらり。
まるで羽でも生えているかのように、声の主は躊躇いもなく空中で身を翻し、目の前に着地する。
「私はここの番人だ。どうやら君は、時の狭間のこの場所に、迷いこんでしまったらしい」
「は? これは俺の夢だろう?」
「……なるほど。君がそう言うのならそうだろう」
「なんだよそれ」
「適当に過ごすといい。時間が経てばきっと戻れるはずだ」
そう言って男はまた階段を上がり、本棚に腰かける。
変な奴。
執事みたいな格好で、髪も固められていて。
燃えるように気味の悪い赤い目が印象的だった。
男の言う通り、これは夢なのだから時間が経てば戻るだろう。
男をじっと見つめても、彼が視線を返すことはなく。最初に見たときのように、よくわからない表情で本を捲っては手で文字をなぞっていた。
「変な夢だ……」
何もすることがなくなってしまった俺は、そこらにあった本に手を伸ばす。
が。
すかっ。
「あれっ」
どれだけ取ろうとしても、手が本をすり抜ける。
「残念だが君には触れないよ。ここにあるものは実体を持たない」
声の方を見ると、やはり本に目を落としたままの男が詰まらなさそうに呟いていた。
「でもアンタは触れてるじゃん」
「私もこの本たちと同じく実体を持たないからね。大人しく時を待つことだ」
「……」
じっと待つしかないか……。
男を見る。本に注がれる視線は、やはり詰まらなさそうだ。
それでもぺらりと頁を捲り、文字を追う男を不思議に思う。それと同時に、どこか懐かしい気がして。
変な夢だ。
ふと自分の手を見ると、指の先が透明になって。
「な……!」
「ん、やっと帰る時が来たか」
ようやく本から目を離した男が気だるげに呟く。
ああそうか。俺は夢を見てたんだ。
「じゃあな、少年」
消えゆく俺に向かって、男が短い別れを口にする。
その赤い瞳が、悲し気な瞳が、何故だか印象に残って……。
夢が覚めてからも、記憶から消えないその世界。それを思い続けているうちに、俺はまた、あの図書館にいた。
「君は……。この前の少年じゃないか」
声の方を振り向くと、小学生くらいの男の子がいた。
「えっと、君は?」
「時の番人さ。この前会ったときとは少し姿が違うけど」
「え、」
確かにこの前の番人と同じ格好をしている。それにこの赤い目。奥の方まで赤々と燃える不気味さは記憶の中の色と一致する。
だが、その声も、可愛らしい顔つきも、全てが幼かった。
「ここは時が不安定な場所なんだ。だから、私の外見も変わってしまうんだ」
「それは……。大変だな」
よくわかっていないが、夢のことだ。適当に相槌を打つと、男の子は顔に似合わぬため息をつき、持っていた本を閉じる。
「ああ、赤ちゃんや老人になった日は仕事するのは諦めてるよ」
「それは……」
少しだけ見てみたいと心の隅で思っていると、男の子が再びため息をつく。
「というか、どうして君はまたここに来たんだ? 時の迷子はたまにやってくるから、さほど驚かなかったが……。二回も来る奴は初めて見た」
「どうしてって、だってこれ夢だからさ、そういうこともあるんじゃない?」
「……とにかく、君は早くこの場所から離れた方がいいだろう」
そう言われてもなぁ。
しっしと追い払うように手を振り、再び本に目を落とす彼にデジャヴを感じる。
やることもないので、前回と同じく彼を見つめる。
知りたい……。
ふと湧いてくる強い思い。
俺はどうしてこんな夢を見るのか。
彼は一体何者なのか。
どうして、あの赤い目はこうも心を惹きつけるのか――。
次の日もやはり夢を見た。
時の番人と名乗る男が、驚いた表情で手元の本を閉じる。
「な、君は……。また……」
本棚から降り立った彼は、自分と変わらない程の少年の姿になっていた。
「はは。でも俺の方が、ちょっと背が高い」
「……君は、一体何者なんだ」
「それは俺の台詞だけど」
真っすぐに赤い目を見つめると、すぐに逸らされる。
「君は、早く忘れなくてはいけない。ここのことも、私のことも」
「忘れろったって……。それ、ちょっとやそっとじゃ忘れられないんだけど」
「……?」
「その目だよ。真っ赤な瞳。そんなの夢で見たら、忘れられるはずがない」
「赤い……?」
「お前の目。もしかして自分じゃ気づいてないのか?」
そういえばここ、鏡とかないもんな。
「あ……」
少年が自分の目を押さえながら、一歩下がる。
「おい。どうした?」
いつも澄ました彼が、動揺している姿にどきりとして手を伸ばす。
「っ!」
ばちっ。
「いって……」
伸ばした手は、彼に弾かれ行き場をなくす。
「すまない。でも……。君は、早く帰った方がいい」
呼吸を整えた彼が、初めと変わらぬ言葉を置く。まるで呪文のように。
やはり、やることを失った俺は、彼を見つめる。
「その本が取りたいのか?」
背伸びをして本を取ろうとしている彼を見て、声をかける。
「って、触れないんだっけ」
彼の後ろに立ち、手を伸ばす。
かくっ。
「あれっ」
一瞬、本の背に触れた感覚があった。
本棚から落ちる本を見て、俺を無視していた彼も、驚いた表情で見つめてくる。
「お前、今、」
「ん?」
「いや……」
戸惑う素振りを見せる彼の頬に触れる。
「え……?」
冷たいその頬に、そのまま唇を寄せる。
「な、なんで……」
言葉が紡ぎ切れていないその口に蓋をする。
彼を抱き包む手が、次第に消えてゆく。
ああ。ようやく夢から覚めた。
それからしばらくして。
赤い瞳に思いを馳せ、目を閉じる。
再び目を開けたときには、彼のいる図書館に立っていた。
「あう……」
目の前にいるのは赤子。こちらを見て、怯えたように座り込むその子に微笑みかける。
「また来ちゃいました」
「だ、だう~!」
「はは。赤ちゃんになっても目が赤いや。さてと。ところで、あれはどこにあるんですか?」
「う……?」
「ああ。貴方に言ってもわかんないですよね」
視線を巡らせる。螺旋階段の一番上。そこに、一際分厚い本を見る。
「あっ、うう~!」
階段を上ろうとする足に、彼がしがみつく。
「ごめんね、ほ~ら、よしよし」
その小さい手をゆっくりと剥がし、抱きかかえる。
「うっ、」
ゆらゆらと揺すると、歪められた顔も、次第に緩くなってゆく。
「待っててくださいね」
すぐに寝息を立てはじめた赤子を床に降ろし、ひと撫で。
階段を上り、その赤く染まった背表紙に手を掛ける。
そして。
*
目が覚めると日が経って青年の姿になっていた。
まぁ、日といっても勝手に決めた区切りで、違う姿になった境を一日としているだけなのだが。
いつまでこんな不安定な体が続くのだろうか。
昨日は赤子の姿だったから、今日はしっかりと書庫整理をして、それで……。
「あ、れ……」
待て、昨日は確か、あいつが居て、それで……。
ぱらり。
本を捲る音がして、飛び起きる。
「な、なんで……」
「あ、おはようございます」
微笑む彼の手には赤い本。
「なんで君がまだここに……。いや、それより、その本は……!」
「あれ、この本のこと知ってたんです?」
「え。いや……。その本だけ、触ることができなかったから……」
「まぁ、そりゃそうでしょうね」
その何か知っているような口ぶりに眉をひそめる。
「……それ、何が書いてあったんだ?」
「ああ。なんでもないただの白紙でしたよ」
「嘘だ」
「それより、ずっとこんなとこにいて寂しかったでしょう? 一人でこんな仕事させられて。辛かったでしょう?」
優しく微笑む彼が一歩また一歩と距離を詰める。
「君は、何を知っている? それは、何の本なんだ?」
「だから、白紙だって言ったでしょう」
ほら、と本の中身をこちらに見せる。
確かに白紙だ。だけど。
まっさらなそれは不自然だった。真っ黒に微笑む彼も不自然だった。
「君が、何かしたのか?」
睨みつけてやると、一瞬、彼の笑顔が凍り付く。
「貴方は何も知らなくていいんです」
「君は何を知っている?」
再度問いかけても、彼は何も答えない。
この少年は一体何だ?
彼の手が伸びてきて、頬を撫でつける。
逃げようと一歩後ずさるが、すぐ書架に背が触れてしまう。
そして、彼の顔が一気に近づき……。
「大丈夫。俺ともうひとつ堕ちましょう」
本が床に落ちると同時に、唇が重なる。
あれ……。私は、何をしていただろうか……。私は、何者だっただろうか……。
ぐにゃりと記憶が溶け出して。目の前を赤く染め上げる。
「あ……、あああ」
腹に手を当てる。真っ赤な血。それが、手のひらを真っ赤に染め上げる。
どさりと音を立てて崩れ落ちる自分の体。鉛のように重く、そのまま地面に沈み込んでしまいそうだ。
「すみません。でも、こうしないと、ここが終われないから」
少年の手が頬を撫でる。その手もやはり真っ赤に染まっていて。
懐かしい。そんな言葉が胸を過る。
目の前に飛び散る赤。ああ。そうだ。“前”もそうだった。私の目は、きっと罪に染まったのだ……。
あれ。
前っていつのことだ? 罪って、私は何をしたんだ?
少年を見つめる。やはり、心がざわりと揺らいで。
「私は……、君のことを……」
伸ばした手が彼の手によって包み込まれる。
私は、確かに、この少年のことを知っていて……。
「大丈夫。次はきっと――」
彼の言葉を最後まで聞かずに、血とともに意識は零れ落ちる。
赤い夢の中に落ちる。
終わりの見えない地獄の夢へ。
*
あるところに、天使がいました。天使は、それは綺麗な心の持ち主で、力を使い、全てのものに救いを与えました。そのおかげで、天使は皆に感謝され、敬われました。
しかし、悪魔たちは、そんな天使を邪魔だと疎み、殺そうとしました。
最初の内は、悪魔たちを追い払っていた天使も、やがてその数の多さに疲弊し、最後の方には、逃げるのもやっとといった調子でした。
そんなとき、一人の悪魔がついに天使を追い詰めたのです。
天使は、自分の死を覚悟しました。悪魔は、それをせせら笑い、残虐な殺し方をしてやるつもりでした。
しかし。
「……殺さないのか?」
「ああ。そうしてやるつもりだったんですけど……」
悪魔には、その天使を殺すことができませんでした。
自分にはないその美しさに、心が揺らいでしまったのです。
「君は、変な悪魔ですね。悪魔らしくない」
「あんたこそ……。どうしてこんなにも俺を惹きつけるんだ」
天使に心を乱されるなんて。こんなことがあるはずない、と悪魔は自分の心を否定しました。
そうしているうちに、結局悪魔は天使を取り逃がしてしまいました。
「これでよかったのかもしれない」
悪魔は、自分の手柄は立てられなかったことを後悔するどころか、天使を殺さずに済んでよかったとさえ思いました。
しかし、天使は死にました。
他の悪魔に殺されました。
それを知った悪魔は、絶望を知りました。どうしようもない怒りを知りました。
そして。
悪魔は、自分以外の悪魔たちを殺しました。
同族を殺した悪魔は、その罪により、地獄から追放されました。
それと同時に、悪魔に負けた天使の魂も、天界から追放されました。
そして、記憶を消され、新たな転生を果たし、天使は時の番人として、悪魔は人間として生きることになったのです。
*
「だけど、悪魔は再び天使と出会い、本に封じられた前世の記憶を蘇らせたのです」
「え~。それじゃあ、その二人は、それから幸せに暮らせたの?」
男の子の無邪気な声。絵本を読み聞かせた青年は、男の子の小さな手を見つめる。
「いいえ。悪魔は、天使をもう一つ落とすために、天使を殺したんです」
「えっ。天使のこと、好きなんじゃないの?」
「ええ。好きですよ。だからこそ。天使を自分の手の届くところに置きたいんじゃないですか」
「お兄ちゃん?」
青年が、その柔らかい髪を撫でつけると、男の子は不思議そうにこちらを向く。
「今度こそは、貴方を傷つけはしません。きっと、幸せにしてみせます。だから……」
青年は微笑み、そして。
「今度は逃げたりしないでくださいね。これ以上、赤くなりたくないでしょう?」
「え?」
赤い目の下をそっと撫でる。
その瞳は、以前より増して赤が染み込んでいて。
「えっと。あの……」
身じろぐ男の子に、青年は微笑みを濃くする。
「大丈夫。きっとハッピーエンドにしてみせますからね」
ぱらりと音を立て、手元の本が風で捲れる。
白紙の頁。その先はまだ、誰も知らない。
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