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(15)噛ませくんと眠たげくんと可愛い子くん
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幼い頃からのきりはへの恋心を捨てきれず、転校してきた結。しかしきりはは、同じく転校生の夏目に恋心を抱いてしまったようで……。
篠井 結(しのい ゆい)クール。好きな子には甘い
夏目 縁(なつめ ゆかり)ぼやっとしてるようで、スポーツ万能。糸目
如月(きさらぎ)きりは 自分が可愛いことにコンプレックスを持っている
先に言ってしまうと、縁×結です。噛ませくんを可愛がりたい!
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「絶対ぼくのこと覚えててね。絶対、また会おうね……!」
「うん。約束する!」
夕日で赤く染まった頬に伝う涙。それを拭いながら、必死に約束の言葉を紡ぐ。
本当は別れたくない。でも、小学生の自分にできることなんて、ただの口約束しかなくて。
「絶対、また、会いに行くから……」
ぽつりと呟いた言葉は、もうあの子には届かない。
それでも幼い決意を確かめるように、手をぎゅっと握りしめる。
きゅう。
お腹を押されたマスコットキーホルダーが鳴き声をあげる。
「お前も悲しいのか?」
その頼りない鳴き声に、マスコットをひと撫でする。
あの子と過ごした町はどんどん遠ざかる。
いくら悲しがったって、幼い自分に走る車を止める術はなく。
絶対に迎えに行く。きっと君に見合った王子様になって。君の元に必ず――。
*
「今日こそは絶対に男らしくなるっ!」
桜並木を前にボク、如月 きりは(きさらぎ きりは)は一人意気込む。
今日こそは、という通りここ数日、いや。ここ数年、ボクの目標は叶うことなく持ち越されてゆく。
昔から女の子と間違えられるくらい顔つきは可愛らしく、性格も内気だったせいで、逆に男と言われる方が少なかった。
成長すれば声も体つきも変わり、男らしくなれるかと思いきや、大した変化も得られないまま。ついに高校生を迎えても変わることのない自分に、毎日嫌気がさして。
足元にできた水たまりの上辺を蹴ってやる。
昨日まで土砂降りだった雨も上がり、ところどころぬかるんだ土が靴を汚す。
「あ、しまった。まだ新しい靴なのに」
慌てて土を払おうとするが、ふと思い立って手を止める。
「こんなの気にしてるから、一向に男らしくなれないんだよね……」
きっとそうだと決めつけたボクは、ごくりと唾を飲み込んで。
「ええい! 靴ぐらいなんだ! 別に汚れたって平気なんだから!」
叫び、水たまりに思い切り足を踏み下ろそうとした瞬間――。
ばしゃああああ!
「うっ!」
水たまりに差し掛かったというのに、スピードを落とすことなく走るトラック。
それが、ボクに思い切り水や泥をぶっかけ通り過ぎていく。
「うっ、ううう……。汚いよう……」
衝撃で尻餅をついたボクはべそを掻きながら、びしょ濡れになったカバンを抱きしめる。
こんなの、全然平気じゃない。やっぱりボクには女々しいのがお似合いで……。
「大丈夫?」
「え?」
突然かけられた声に顔を上げる。
眠そうな瞳。それと目が合った瞬間、心が飛び跳ねた。
「立てるか?」
「えっと、あ、ありがとう」
手を差し伸べる彼を遠慮がちに見つめる。
細い目。形の良い唇。程よく筋肉のついた体。自分よりずっと高い身長。
そして。
「とりあえず、保健室行かない?」
「あ、うん」
なにより、全てが面倒臭いと言わんばかりに気だるげな喋り方。
かつて自分にここまで興味のない態度をした人がいただろうか。
水たまりに映った自分の姿を見つめる。
泥だらけといえど、自分の可愛い顔立ちは十分に目を見張るものがある。
それをここまで無関心に、下心なく親切にしてくれるなんて……!
隣を歩く彼の胸元を盗み見る。
胸ポケットに刺さったピンバッジはボクと同学年を示す赤。
いったい何組なんだろうか。
「あの……!」
「保健室って外から行ける?」
「えっ、ああ、うん。こっちに回って行けばすぐ……ほら、あそこ」
出かかった言葉を遮られ、慌ててボクは笑顔でごまかし彼を保健室に案内する。
「すみません。この子、汚れちゃったみたいで」
『あら、まあ。大変! 転んじゃったのかしら』
「えっと、トラックに水掛けられた拍子に」
『替えの服はあるかしら』
「ジャージがあるので、ちょっと着替えさせてもらえれば大丈夫です!」
『待っててね、タオル持ってくるから。そこ座っててね』
保健室の先生に促されるまま、椅子に座る。
「あ、そうだ。君もありがとう。えっと、よければ名前を……って、あれ」
照れ気味に振り返ると、もうすでに助けてくれた彼の姿は消えていた。
『今日のHR始めるぞ~』
「はぁ~」
教師の言葉も上の空。窓の外を見つめ、ため息をつく。
ああ。せっかく名前とクラスを聞いて仲良くなろうと思ったのに……。
せっかく出会えたのに……。運命だと思ったのに……。
『それじゃあ、転校生。こっちに来て自己紹介を頼む』
「篠井 結(しのい ゆい)です。幼い頃ここに住んでいたことがあります。よろしく」
ぱちぱちぱち、とまばらな拍手が起こる。
『ねえ、かっこよくない?』『それ、思った』
女子たちが黒板の前に立つ男子生徒に色めき立つ。
転校生、か。でも、今はそれどころじゃないんだよね。
『もう一人いるんだが……、来ないなぁ。あ、とりあえず篠井、お前の席、そこな』
担任がボクの後ろの席を指し示す。
「なんでジャージ?」
後ろに座った転校生が、ふいに話しかけてくる。
「あ、ええと。朝、トラックに泥はねられちゃって」
「うわ、大変だったね。……きりはってば昔っから大事なとこで災難に逢うんだもん」
「……え?」
まるで昔からボクを知っているような口ぶりの転校生を見つめる。
「ふふ。きりは、僕だよ、覚えてない?」
「え?……あ、もしかして、結?」
ふんわりと微笑むその顔に、昔の記憶が蘇る。
篠井 結。小学生のときに仲良くしてたのに、転校してしまった少年。昔はボクと変わらないくらい可愛かったけど。
あれっ、なんかめちゃくちゃかっこよくなってる……!
「思い出してくれた?」
「あ、うん!」
まじまじと結を見つめていたことに気づいたボクは、慌てて視線を逸らす。
「良かった。忘れられてるかと思った」
「も~、いきなりでびっくりしたよ! メールくれれば良かったのに!」
「はは、ごめん。でも、びっくりさせたくてさ」
照れくさそうに微笑む結とは、未だにメールをし合う仲で。昨日も他愛のない近況報告をしたばかりだった。
言われてみれば、そのときの結の文章は何だかそわそわしていたかもしれない。
「もー。びっくりしたよ~。家族でこっちに来たの?」
「ううん。一人で」
「え。なんで?」
「それは、」
ガラッ。
「遅れてすみません」
結が口を開いた途端、教室のドアが勢いよく開かれる。
え……。
教室に入ってきた少年の姿を見た瞬間、時が止まった。
「今朝の眠たげくん……」
先生に怒られながら眠そうに頭を掻く彼は、間違いなく今朝の彼だった。
「いや~。つい保健室のベッドに寝ちゃって」
もしかして、いなくなったんじゃなくて、ベッドに寝てたのか!
「きりは?」
不思議そうな結の声に答える余裕もなく、ボクは彼に釘付けになる。
『ったく。自己紹介してくれ』
「夏目 縁(なつめ ゆかり)です。眠いです。よろしくです」
その自己紹介に教室はどっと沸く。
『お前、眠いって』『ひ~、夏目、ほんとに眠そうな目ぇしてんな~!』
待ってよ……。最初に彼を見つけたのはボクなんだから!
『んじゃ。HR終わりな』
チャイムとともに担任が教室から出ていく。
「きりは、あのさ、」
その後を追うように、さっそく教室を出ていく夏目くんにボクは焦る。
お礼言って、仲良くなりたい……!
「あ、結、ちょっとだけごめん」
「きりはっ、」
話しかけてくる結に断って、ボクは本能のままに彼を追いかけた。
「あのっ!」
「?」
「さっきはありがとう!」
「ああ。君か」
ボクの声に振り向いた夏目くんが、開いてるんだか開いてないんだかわからない目をさらに細めて、やんわりと微笑む。
「ボク、如月きりは。あの。よかったら、ボクと友達になってください!」
「友達……?」
首を傾げる彼に、ボクは恥ずかしさで徐々に茹で上がってゆく。
「あ、えと、そうだよね。いきなりすぎるよね」
いくら舞い上がってるからって、突然友達になれなんて言われても、困るに決まって……。
「僕でよければ、なるよ」
にこりと微笑む姿が相変わらずの王子様スマイル。
「や……やった!」
まさか本当に彼と友達になれるなんて!
「きりは、足、速いね……。って、」
喜びを噛みしめていたところに、息を切らした結が現れる。
「あ、結。聞いてよ! 今ね、夏目くんと友達になったんだ!」
「……そうなんだ」
あれ。てっきり結のことだから喜んでくれると思ったのに。
結はむすっとした後、夏目くんを睨みつける。
その視線に気づいて、夏目くんは結に微笑む。
が、それを受けて結がそっぽを向く。
あれ……。なんか仲悪い?
「えっと。夏目くん、結はね、ボクの幼馴染みなんだ」
「へえ。結くん、転校生同士よろしくね?」
「……。よろしく」
夏目くんが伸ばした手を結が掴む。
なんだ。仲悪いのかと思っちゃったけど、そうでもないみたい。
「ふふ。これでボクたち友達だね」
*
「ふふ。これでボクたち友達だね」
そう言って、二人の手を掴んだきりはが微笑む。
思わず緩みそうになる頬を引き締め、夏目を睨む。
それに気づいた夏目が細い目を開け、せせら笑う。
そして、これ見よがしにきりはの手を取り、厭らしく撫で上げる。
「っ……!」
「結? どうかしたの?」
憤る俺に、心配した表情できりはが見上げてくる。
「えっと、」
「きっと結くんは疲れたんじゃないかな。転校初日だし。僕も疲れちゃったし」
ね? と同意を求めてくる夏目に、怒りを抑えながらなんとか頷く。
ここで下手に夏目に突っかかっても、きりはの心証を悪くするだけだ。
『2-3夏目くん、篠井くん。至急職員室まで来てください』
きりはと夏目をどう引き離そうかと考えあぐねていたところに、呼び出しの放送がかかる。
「あ、二人とも呼ばれてるよ!」
「ほんとだ。如月くん、悪いけど先に教室帰っててくれるかな?」
「う、うん」
柔らかい口調で告げた夏目に、結が顔を赤らめる。
ムカつく……。これ以上こいつといたら、胃に穴が開く……。
「それじゃ、行こうか。結くん」
「そうだね。早く済ませよう」
差し出された手をやんわり押し返しながら、舌打ちしたい衝動を抑える。
「仲良くね~!」
花のようにほわほわとしたオーラを振りまき、手を振るきりは。それに癒されながら、俺はなんとか嫌々職員室へと足を向けた。
「結くんってさ、あの子のこと好きなの?」
転校生同士仲良く、職員室に呼ばれた帰り。さっさときりはの元に戻ろうとした矢先、夏目に声を掛けられた。
「あの子って……きりはのことかよ」
「それ以外考えられないでしょ。君ってばあの子にべったりでさ。好きなんでしょ?」
「別に、お前に関係ないだろ」
「いや、趣味が悪いと思ってね」
「な、」
「まぁ、僕も人のこと言えないけどね」
「お前、やっぱりきりはのこと、」
「結くんのは本当に恋なの?」
「は?」
「君の恋は僕の恋に勝てるの?」
「何を……」
「結くん。その恋は叶わないよ。痛い目見る前に諦めなよ」
「……やっぱお前ムカつく。俺の前だと本性出しやがって」
細い目で煽るように見下してくる彼に睨みで返してやる。
「はは。結くんこそ。猫被ってるよりそっちの方がいいよ」
「その呼び方やめろ、細目」
「夏目ですけど。あ、縁でもいいよ」
「誰が呼ぶか」
くだらないと彼の横を通り過ぎようとするが。
「結」
「っ、」
壁に追いやられて、耳元で囁かれる。
切れ長の瞳に射抜かれた体は竦み、思わず押し黙ってしまう。
「どう? ドキッとした?」
「変なことすんな。あと篠井くんと呼べ」
「つれないなあ」
「俺がつられてどうすんだっての」
「ねぇ、きりは。ずっと夏目ばっかり見てるのは、なんで?」
「ふぇ……?」
単刀直入な質問に、きりはがどんぐりみたいに丸い瞳をさらにまんまるにして固まる。
昼食のサンドイッチを頬張ったまま固まるきりはは、まるで小動物みたいだと微笑ましく思う。
「やっぱりきりはは、夏目のこと……」
「あ、あはは。ボクなんかが夏目くんに憧れちゃあ駄目だよね」
「……もしかして、一目惚れだった?」
「う、うん」
俯きながら頬染めるきりはに、思わずきゅんとしてしまう。
「でも、ボクと夏目くんじゃ、月とスッポンって感じだよね」
「それは……」
自信なく笑うきりはに、夏目には勿体ないほどだ、と言いたいけど。
実際、夏目にあんなことされた後じゃ……。
壁に追いやられたことを思い出してすぐにかき消す。ったく、何だよアイツ。少女漫画のイケメンかよ。
大体、いっつも眠そうにしてるくせに、あんな表情できるとか聞いてないっての。
間近で見た一瞬の真剣な瞳。それと目が合った時、不覚にもドキリとしてしまった。耳元で低く名前を囁かれたことを思い出しただけでぞわりとする。
くそ……! なんであいつのこと思い出さなきゃなんないんだ!
きりはの可愛さに満たされた心が、一瞬にしてイライラもやもやと燻る。
「結、なんか怒ってる……?」
「え、ごめん。違うんだ。怒ってないよ」
きりはの不安そうな瞳に、良心が痛む。
くそ、邪魔してやろうと思ってたけど、きりはが悲しむ顔も見たくない……。
「ええと、結。次の授業体育だから、着替えとかないと」
やはり眉間に皺を寄せる俺に、きりはが気づかわし気にそう促す。
「ああ、そっか」
「ボクはこの通りジャージだからこのまま受けるけど……更衣室わかる?」
「うん大丈夫。ありがとう」
促されるままに体操服を持って、更衣室に足を向ける。
俺としたことが、きりはを不安にさせてしまった。でも、かといって夏目との恋路を応援するなんて、嘘でもしたくない。
きりはと夏目が万が一にでも付き合うことになってしまったら、俺は……。
「結くん、惜しかったね」
「黙れ」
体育館に響く試合終了のホイッスル。
今日の体育はバスケだった。夏目と別チームに分かれた俺は、アイツを打ち負かしてやろうと躍起になった。が。
結果は敗北。夏目チームの圧倒的勝利で幕を閉じた。
『きゃ~!』『夏目くんかっこいい~!』
「すごいね、夏目くん! もしかしてバスケ経験者?」
色めき立つ女子の間を縫って、きりはが興奮気味に夏目に話しかける。
「うん。実はバスケ部だったんだよね」
『道理で上手いわけだ!』『かっこいい~』
「それじゃあ、こっちでもバスケやるの?」
「うん、そうしようかなって思ってるところ」
「ボク、絶対毎日応援するよ!」
なんだこれ。夏目の周りに集まるクラスメイトたちがあっという間に夏目を持ち上げる。
ちょっと運動ができるくらいで……。
俺だって運動神経が悪いわけじゃない。むしろ、アイツさえいなければこっちが勝ってたぐらいだ。
目の蕩けたきりはを見ているだけで、ぐるぐると自分の中に負の感情が渦巻いていくのがわかる。
なんでこうなるんだよ……。
ポケットの中にあるマスコットをぎゅっと握りしめる。
せっかく戻ってきたのに、俺がこんな調子じゃ……。
「結、もしかして、体調悪いの?」
「えっ?」
体育の授業が終わり、制服に袖を通した俺は、隣から聞こえてきた声に固まる。
「えっ、えっ? きりはなんでここに?」
「なんでって?」
首を傾げるきりはは、むさ苦しく男子が詰め込まれた更衣室に似つかわしくないほど可憐で……。いや、いやいやいやいや!
「いや、だってここ男子更衣室……!」
「あ、そうそう。保健室の先生がね、制服洗濯してくれたみたいでさ。これで、ジャージで下校しなくて済むよ~」
「いや、そういう問題じゃなくて……!」
「うん?」
不思議そうな顔をしながら、きりはがジャージに手を掛ける。
その小さい手がジャージのファスナーを一気に下まで下げ、脱ぎ捨てる所作に思わず食い入る。
そしてついに、体操服に手をかけ……。
「わ、わー! 駄目だって!」
ばっ。
きりはが豪快に体操服を上下とも脱ぎ捨てる。
「え……?」
顔を覆った手の間から覗くそれは……。
ぺたっとした胸。そしてボクサーパンツ。
「えっ?!」
何が起こったのか分からなかった俺は、目をぱちぱちと瞬かせる。
『あー、もしかして篠井も如月のこと女だと思ってた?』『俺も最初は騙されたんだよなー』『どんまい!』
俺の声に反応したクラスメイトたちが慰めるように肩を叩く。
「そんなわけないよ。だって結は昔っからボクのこと知ってるんだか、」
ばたーん。
「え、ちょ、結?!」
きりはの声が遠ざかる。まさか。まさかそんなはず。きりはが、おと、おとととおと……。
「ん、んん……」
酷い夢を見た気がした。
「あ、結。気がついた?」
どうやらここは保健室のベッドらしい。
「きりは……と、なんで夏目?」
「ベッド待ち」
「は?」
「疲れたから寝にきた」
「……あそ」
にこりと微笑む夏目に呆れながら起き上がる。
「結、大丈夫?」
「うん、ごめん、心配かけちゃったな」
心配そうに見つめてくるきりはを見る。
目に映るのは、平べったい胸、そしてズボン。男子の制服に身を包んだきりはは尚も可愛いが……。
「びっくりしたよ、結」
「いや、僕も。まさか、きりはが、お、男だったとは……男、なんだよな?」
夢であってくれと願いを込めて、恐る恐る疑問をぶつけるが……。
「うん。正真正銘、男だよ」
胸を張って言い放つきりはに、やはり眩暈がして額を押さえる。
「ぷ、くく」
それを見て笑いを零す夏目に、恨みがましく睨みを利かせる。
「よく間違われるんだけど、まさか結まで間違えてたなんて」
「う……。だって、小さいとき、確かにズボンだったけど、可愛いやつばっか着てたし、」
「あれ、お姉ちゃんのお下がりでね、ズボンだったら着れるでしょって」
「うう、ごめん……」
「いいよいいよ。慣れてるから」
笑って許してくれたけど、きりはは少しだけ傷ついたようにも見えた。
そうだよな。ずっと女に間違えられてたなんて、気分悪いよな。しかも、勘違いしたままに数年間好意を寄せられてたとか……。
「幼馴染みから勘違いされてたなんてショックだね」
「ぐ……。夏目は気づいてたのかよ」
きりはが授業に出ている間、疲れたという理由でサボる夏目と保健室に二人。
改めて他人からそう言われると、勘違いしていたのがとても申し訳なく、良心が痛む。
「大体、ボクって言ってる時点で性別に疑問を持つものじゃない?」
「ぐぐ……。それは、俺も出会った頃に疑問に思ったけど! か、可愛かったし……。わざとそうする子もいるって聞くし……」
「そもそも僕が最初会ったとき、如月くんは制服だったし」
「ぐぐぐ……。でも、クラスのやつも最初は勘違いしたって」
「それは、そいつらが馬鹿なだけでしょ」
「馬鹿って……」
「まぁ、わからなくもないけどね。あんだけ可愛けりゃ」
まさか、夏目はきりはのことを男と認識してたとは……。
「ん、だからあのとき悪趣味だって言ったのか……」
あれ? じゃあコイツは、なんできりはのことが好きなんだ……?
それに、きりはも夏目のことが好きって……?
「で、どうするの?きりはくんのこと、諦めるの?」
「どうするって、どうもできないだろ。男同士だし」
「そうなんだ。案外薄情だね。……でも。きりはくんは僕のことが好きだよ。男なのに」
男なのに。そう、まさにそれが疑問だった。まさか、もしかして。きりはは……。
「同性愛は認めたくない?」
「そういうわけじゃないけど……」
確かに、きりはは可愛いから男同士で付き合うのも違和感がないかもしれない。でも。
「でも、俺のは違うなって思ったんだよ」
「違うっていうと?」
「なんていうか、幼いときの憧れっていうか、理想で、俺の思う可愛い女の子像であって……。実際、きりはの今のことなんも知らなかったし……。酷い話だけど、思ってたのと違うっていうか……。いや、可愛いのは可愛いけど、やっぱ男なんだなと思うと……俺は無理、かな」
「……そっか。ひとまず安心したよ」
そう言って、夏目は嘆息すると、ベッドに顔を突っ伏す。
「ライバルがいきなり減って良かったな」
布団越しに太ももに当たる夏目の額から逃れるために、端へ移動する。
「あ~。確かに、ね」
「これからはアンタときりはのこと、応援するよ」
夏目の味方をするのは癪だが、きりはに幸せになってほしいという願いは変わらない。
「そっか。良かった」
「両想いなんて、すごい確率だよな」
「はぁ~。ほんと、君って鈍感だよね」
「は?」
せっかく夏目に話を合わせてやったってのに、なんでため息つくんだよ!
「まだ両想いなんかじゃないよ」
「はあ? お前、さっき自分で言ってただろ。きりははお前が好きだって……」
意味深な視線を向けてくる夏目に、首を傾げる。
「あ~。それは嘘だよ。君の気持ちを確かめるために、利用させてもらっただけ」
「……お前の方がよっぽど鈍感じゃん」
「そう?」
いや、絶対そうだろ。きりはから夏目が好きだって直接聞いたし……。
「は~。お前はいいよな、かっこいいし、優しいし。……みんなが夏目に惚れるのもわかる」
ま、俺の前じゃだいぶ性格違うんだけどね、と心の中で呟く。
「……本命からそう言われると嬉しいんだけど」
「悪かったな、本命じゃなくて!」
「……いや、だから。は~」
「おいこら、入ってくんな」
ため息をつきながら、自然にベッドの中に入ってくる夏目を慌てて押し返す。
「え~。だって、寝なきゃ損かなって」
「ったく。俺が退くから、待ってろ」
「いやいや。結くんは寝てなきゃでしょ」
「うわっ」
夏目に抱きしめられたかと思うと、そのままベッドに二人で沈む。
「お前、なにす、」
「し~。保健室では静かにしなきゃ、ね」
「俺たち以外誰もいないだろうが」
「はは。そりゃいいね」
「は~」
随分こいつのペースに持っていかれて、頭が痛い。
「結くん、如月くんのことショックだったのもだけどさ。昨日、眠れなかったんじゃない?」
目の下を撫でられて、思わず目を閉じる。
確かに昨日、転校初日という緊張から寝つきが悪かった。
ポケットに入れてあるマスコットを握りしめる。
もし、きりはがこのマスコットのことを忘れていたらどうしようと不安になったのだ。
俺でさえ、曖昧でぼんやりとする記憶。その微かな記憶を現実のものだと示してくれるのが、この古ぼけたクマのマスコットだった。
「大人しいね。寝ちゃった?」
「馬鹿言うな。お前がいて眠れるもんか」
「はは。言えてる」
そう言うと、夏目がベッドからするりと出ていく。
「あれ、寝るんじゃないのか?」
「まさか。君が側にいるのに眠れるわけないよ」
「そりゃ悪いね」
「はは。でも、僕は君が眠るまでここにいるよ」
「俺だってお前がいたら眠れないって言っただろ! 嫌がらせかよ」
楽しそうに笑う夏目を睨みつけるが、気にした様子もない。
「如月くんのこと、諦めてくれてありがと」
「やっぱお前ムカつく」
そう言ってもう一度睨んでやるが。
「僕は君のこと好きなんだけどな」
と、頭をぐしゃぐしゃに撫でられた。
やっぱりムカつく……。
それから俺は夏目を無視して壁側を向き、狸寝入りをしてみたが、頭を撫でるその手がくすぐったくも心地よくて……。
気づいたら再び眠っていた俺は、起きたときに散々夏目にからかわれたのだった。
『篠井、悪いが夏目を呼んできてくれないか』
放課後、担任に日誌を届けたところ、夏目を呼んでくるようにと頼まれた。
なんで俺がそんなことを……。
もちろんその疑問を担任にもぶつけたが、担任曰く、仲が良いからだ、と。
「全くもって仲良くした覚えはないんだけどな」
誰もいない廊下でぼそりと呟く。
確かに、二人の恋路を応援するとは言ったが、別に夏目のことを許したわけでもない。
「っと、バスケ部は。いるな」
体育館に足を踏み入れる。
『きゃ~!!!!』『頑張って~!!!』
な、なんだよ、この応援女子の多さは……。
壁際にずらりとならんだ女子が、バスケのコートに向けて黄色い声援を送る。
……よく見ると、その中にきりはの姿もある。そういえば、応援に行くって約束してたもんな。
最近じゃ、きりはにべったりとくっつくこともなくなった俺は、すっかりきりはの行動が読めないでいた。
はぁ。俺はなんのためにここに戻ってきたんだろうか。
部活にも入らずに、ただただ家事や勉学に励む日々。他の生徒と比べて、何かとやることの多い独り暮らしの身では、碌に部活もできないだろうと勉強に集中することにしたのだ。
その一方で、夏目は宣言通りバスケ部に入部し、着々とファンを作っていった。
あーあ。初日では俺の方がモテてたのにな。やっぱアイツぐらい派手なことしないと駄目だよな~。……まぁ、しばらくは彼女なんて作りたくないけどさ。
それにしても、すごい人気だ……。
夏目が得点を決める。するとすかさず場が耳を塞ぎたくなるほどに沸く。
「な、夏目~!」
『きゃ~! 夏目くうううん!!』『夏目くん素敵~!』
とりあえず名前を呼んでみるも、見事にかき消されてしまう。
うう……。こんな中でどうやって夏目に気づいてもらえばいいんだ……。今アイツに近づいていくのはなんか気が引けるし……。
「あれ、どうしたの結?」
「えっ?」
こっちを見るなり、夏目が駆け寄ってくる。
その様子に、周りの女の子が一斉にざわめく。
「気安く呼ぶな馬鹿」
「あれ、照れてる?」
照れてるってか、恥ずかしいんだよ! お前と並ぶと俺のかっこよさも霞むし……。
「お前な。なんで君付けすらできなくなってんだよ」
「僕のなつき度が上がったからかな」
「上げた覚えねーよ。先生がお前を呼んで来いって。進路相談、今日だろ」
「あ。そっか、うっかりしてた……。すいませーん!」
本当に忘れてたらしく、夏目は練習中の先輩に駆け寄り事情を話す。
そして。
「ありがとね」
ぽんっと頭に手を乗せられる。
「やめろ」
「なつき度1アップ」
「上がってねーっての」
無邪気に笑う夏目の手を退け、頭を払う。
「結ってば、いつの間に夏目くんと仲良くなったの?」
「うわ。きりは」
そのやり取りを見ていたらしいきりはが、女の子たちを押しのけて現れる。
「結だけずるいよ~!」
「えっと。別に仲良いわけじゃないよ?」
「え~。でも」
「心配しなくても夏目は、きりはのこと好きみたいだよ」
「えっ。本当?」
夏目に聞こえないように耳打ちすると、きりはは嬉しそうに微笑んだ。
「あ……れ……?」
「ん、どうしたの、結」
きりはが心配してこちらを見上げてくる。
「ああ、ごめん。何でもないよ」
咄嗟に誤魔化すが、胸に生じた靄は消えない。
何で……。何できりはの幸せそうな顔を見て、俺はこんなにもやもやするんだ……?
まだ、きりはに未練があるのか……?
原因のわからない負の感情に、ますます自分がわからなくなる。
俺は……。
「これだから男子の多いコースってやつは」
「え~。でも結ってば似合ってるよ」
そう言って、きりはが俺を見つめる。
「あんまりジロジロ見ないでほしいんだけどね……」
腕や膝下はもちろん、胸元や背中までごっそり空いた服に、恥じらわずにいられない。黒と白とを基調としたフリルの服。その上から更に激しいフリルのエプロン。そして極めつけにはフリルやリボンをあしらったヘッドドレス。
そう。今年の文化祭、クラスの出し物が女装喫茶だと決まった時から嫌な予感はしていた。でも、まさか自分がメイド姿にならなければいけないなんて……。自分のじゃんけんの弱さが憎い……。
「え~。ほんとに可愛いってば!」
「きりはに言われてもなあ」
目の前のきりはは、やっぱり女の子みたいに可愛い。その可愛さがメイド服とマッチして、そこらの女の子より断然可愛い。
「ほんとだってば! ね、夏目くんもそう思うでしょ?」
「……う~ん」
きりはが側にいた夏目に問いかけると、夏目は眉間に皺を寄せて唸った。
「本気で悩まないでくれるかなぁ」
その態度に、俺は思わずぴくぴくとこめかみを震わす。
確かに、横にきりはが居たんじゃ比べ物にならないけど!
「いや、似合ってるけどね……」
その何か言いたげな曖昧な態度が、さらに俺のこめかみを震わす。
俺だってお前に気に入られるためにやってるんじゃねえよ!
「夏目は執事なんだな」
「うん。女子に勧められて」
女子に勧められて!!! なんだその理由は! そんなのアリかよ!
「へえ~。うんうん似合ってるよ~」
「……ありがと」
怒りのまま適当に流した言葉に夏目が照れる。
なんだよ、その顔は!
急に夏目が照れると、こっちまで恥ずかしいだろうが! いや、俺は元から恥ずかしがってんだけどな……!
『お~い、顔面偏差値トップ3くんたち。そろそろ宣伝回り頼む』
「よ~し。ついでにお店見て回っちゃお!」
「そうだな」
クラスメイトに変な名称で呼ばれたのも気にせず、きりはが元気に夏目を引っ張る。
「それ、僕も行かなきゃいけないのか?」
「恥ずかしかったら無理に行かなくてもいいよ、結くん」
いらっ。
「いや。別に。これくらいなんともないけどね!」
本気で心配してくる夏目に逆に苛立ち、そのまま心にもないことを言ってしまう。
「それじゃ、行こうか!」
取り消す暇もなく、きりはに腕を引っ張られた俺を夏目が哀れな目で見てくる。
あ~! 俺だって後悔してるよ! だからって、そんな目で見るなっての!
「結、ほんとに大丈夫?」
「はは。大丈夫大丈夫」
そう笑ってはみたものの、中々みんなの視線が恥ずかしい。
にしても。こうしてみると、お似合いだな。
クレープを買ってもらったきりはが夏目に微笑む。
何にも知らない人には、絶対カップルに見えてるだろうな。
「はい。結くんの分」
「は? 俺のまで?」
「甘いものは嫌い?」
「嫌いじゃないけど……」
「遠慮しないでいいよ。可愛い子にはサービスせよってね」
くっそ、おちょくりやがって!
クレープを引っ手繰ってかぶりつく。
あ~。甘いもの久々に食べると美味いんだよな~。
「僕にも一口」
「え?」
クレープを持った手が夏目の口元に引き寄せられる。
「うん。美味しいね」
口元のクリームをぺろりと舐める仕草も様になっている。
「間接キスだね」
慌てて目を逸らし、歯形のついた生地を見つめた俺に、夏目が唇に手を当ててそんなことを囁く。
「……小学生か」
吐き捨て、歯形のついた部分にがぶりと噛みつく。変に意識させられたせいで、その一口だけ味が全くわからなかった。
「ねえねえ、あっちで輪投げやってるんだって!」
クレープを平らげたきりはがチラシを見ながら指をさす。
「行ってみる?」
「うん!」
ほんと、見てるこっちが恥ずかしいくらいカップルしてるんだよな。
「結も早く~!」
「あ~。僕はちょっとトイレ」
「は~」
人気のない場所でやっと一息つく。
「痛ってえ」
靴を脱ぎ、かかとを見ると、皮が捲れて血が出ていた。
こんな靴、窮屈でしょうがない。
足の裏もめちゃくちゃ痛いし。これ以上歩いたら足が千切れそうだ。……女ってこんなん毎回履いてるとか、どうなってんだよ。
このひらひらのスカートも、すげー心許ないし。
「どこ需要だっての」
眉間に皺を寄せた夏目の顔がよぎる。
「は~。俺、こんなん着て何やってんだろ。……保健室行って絆創膏貰ってこよ」
『あの』
重い腰を上げようとした途端、声を掛けられ上を向く。
『ちょっといいですか?』
「え?」
そこには、カメラを持った男が立っていて……。
かしゃり。かしゃ。かしゃ。
「あの……」
響くカメラのシャッター音。
『いいね……。もっとこっちに……』
「や、止めてください!」
『ちょっとぐらい、いいでしょ……』
「い、嫌だって……!」
どっ。
『わぎゃ!』
「結っ!」
「え……。夏目?」
カメラを持った男を蹴り倒した夏目が、俺を守るようにして肩を抱く。
「お前、何してんの?」
『ひ……、』
低い声で静かに問う夏目に、男は地面に尻をついたまま後ずさる。
「何したって聞いてんだよ!!!」
『ゆ、許してくだ、くださいいいいい!!』
夏目のすごい剣幕に、男は命からがら逃げだす。
「チッ、」
「ちょ、ちょっと待てよ。夏目、どうした」
地獄の果てまで追いかけていきそうな夏目を慌てて止める。
「結……!」
「わ。な、なんだよ」
いきなり強く抱きしめられ、身じろぐ俺に構うことなく、夏目が俺の肩に顔を埋める。
「何されたの? どこも痛くない? どこ触られたの?」
……えっと。こいつ、何言ってんだ。
確かめるように腕やら足やら触られる。
「いや。ただ単に写真撮られてただけだけど」
「でも、嫌がってたじゃん」
「だって嫌だろ」
「……てっきりエロいことされてんのかと」
「あのな……。俺相手にやるわけねーだろ」
「じゃあ、触られてない?」
「だから、誰がんなことして喜ぶんだっての」
「よかった……」
抱きしめる力が緩まる。
なんだこいつ。まさか本気で俺が襲われるとか思ってんのかよ。
「ぷ……。お前、ほんと変な奴だよな」
「あ、笑った」
「ん?」
「……笑った顔、初めて見た」
「お前がアホなこと言うからだろ」
「本気で心配したんだからね?」
そう言って、夏目はようやく俺を放すと、男が落としていったカメラを手に取り操作する。
ぐしゃ。
「おい。そんなことして大丈夫かよ」
SDカードを踏みつける夏目に焦って声をかけるが時すでに遅く。カードはあらぬ方向によじ曲がっていた。
「確かに普通の写真だけど。結くんだって知らない人に撮られるの嫌でしょ?」
「そりゃ嫌だけど。あの人、知らない人じゃないよ」
「え?」
「この学校の新聞部OBで、文化祭のカメラマンやらされてんだって。新聞部に挨拶に来てたし」
余談だが、きりはは新聞部に所属している。たまに暇なとき、きりはが俺を新聞部に招いてくれるせいで、俺もすっかり新聞部員の顔なじみだ。
「え、そうなの?」
「俺の写真撮ろうとしたのも、俺の文化祭写真、まだ一枚もなかったからって」
「え、教室で撮った集合写真は?」
「こんな格好で映りたくないから隠れてた」
「……確かに他の人には見られたくないもんね」
「余計なお世話だ馬鹿」
「いや、そうじゃなくて……。変な目で見られたら困るし」
「変な目……? 女装壁があるとか……?」
「や、そういうんでもなくて」
目を逸らす夏目を覗き込む。すると、夏目がまた逆方向を向く。
なんだよ、嫌な感じだな……!
「あ~! もう、はっきり言えよ! あれか? 俺の女装が酷過ぎて見た人が危険なレベルとかそういうことか?!」
別に女装が似合うとか言われても嬉しくないけど、どうもこいつに曖昧な態度を取られたことが気に障る。
「いや、そんなんじゃなくて……。そんな可愛いくて際どい格好してたら、普通の人でも結くんに目覚めそうだなって」
「は?」
「最初っから心配してたんだよ? なのに、結くんってばトイレに行ったっきり戻ってこないし……。探すの大変だったんだからね?」
「……いや、お前何言ってんだ?」
「だから、結くんがエロいって話」
「……お前、頭打ったか? 大丈夫か?」
「いや、ほんとに……」
あれか? 睡眠足りてないせいで脳に酸素回ってないんじゃねえの……?
「とりあえず、昼寝した方がいいんじゃね?」
「えっと、なんで昼寝? 結くんこそ大丈夫?」
なんで俺の方が心配されるんだよ!
ぱきっ。
夏目が一歩踏み出した瞬間、足元で軽い音がする。
「あ……。忘れてた」
一番大丈夫じゃなさそうなSDカードを拾い上げ、夏目が心底めんどくさそうに呟いた。
「それ大丈夫か?」
「う、う~ん」
夏目が無理やりカメラのSD挿入口に押し込むが、曲がったそれは入るわけもなく。
「まだ午前中だし。……大丈夫でしょ!」
「いや、謝りに行けよ」
「それもだけど、僕的には」
「え?」
よいしょ、という夏目の掛け声とともに、体が浮く。
「おいっ、なにして!」
「こっちの方が気になるよ。これ、大丈夫?」
靴擦れしたかかとを指し示した夏目が痛々しい表情になる。
「いや、これは大したことねえよ」
気づいてたのかよ、カッコ悪い。
「痛いんでしょ? いいから保健室行くよ」
「ただちょっと痛いだけだっつの! それに、行くってこれでか?!」
お姫様抱っこって……。大袈裟すぎだろ、少女漫画の読みすぎだろ。
「うん。ちょっと大袈裟かも。でもさ。こうしたら、嫌でも意識するでしょ?」
「意識……?」
「君がヒロインなんだってさ」
「は? それってどういう、」
俺の疑問に答える気もなく、夏目が遠慮なく歩き出す。
『きゃ~!』『なんでお姫様抱っこ?』
「1-2喫茶店やってま~す。みなさん是非お越しくださ~い!」
「ちょっと待て、これめちゃくちゃ目立つだろ」
「ん。嫌だったら顔こっち向けといて」
「降ろせって言ってんだよ」
「それは嫌」
「にこっとすんな!」
じたばたしても、全く動じることのない夏目を睨んでやる。
駄目だ、こいつ全然効いてない……。
ため息をつき、仕方なく目の前でチラシを広げて宣伝を装い、俺は自分の顔を隠す。
あ~。これじゃあまるで、本当に少女漫画のヒロインみたいじゃないか……。
チラシを持つ手に力が入る。馬鹿みたいに意識し出したせいで、力を入れないと、羞恥で手が震えだしそうで……。
「はい。到着」
「っだー。疲れた」
ちょっとの距離だったはずだが、羞恥も手伝って随分と長い時間お姫様抱っこされていた気がした。
「足出して」
「ん、自分で貼るって」
「いいから」
ぐいと足を持ち上げられる。
「おい」
「あ、下にズボン履いてんだ。残念」
「履いてなかったら変態だろ」
「はい。ついでにマッサージもしとく」
「え、いや汚いし」
「どこが?」
「う……、あ、あ~!」
ぐいと足裏を押されて、足の疲れがほぐされる。
「気持ちいい?」
「だから、汚れてるからやめろって、」
「こんな綺麗な足なのに」
「え、おい」
ふいに足の甲に口づけられる。
「お前、何して……」
「こんなときに言うのもどうかと思ったんだけどさ」
慌てて足を引っ込めた俺に、夏目がぐいと近づく。
開かれた瞳にははっきりと俺が映っていて……。
「結が好きなんだ」
「え?」
好きってどういう……?
思考が纏まる前に、夏目が俺の頬を撫でる。そして。
「こういうこと」
ちゅ。
「っ!」
ばちっ!
「痛いなあ」
唇が触れ合った瞬間、反射的に夏目の頬を叩く。
「お前がこんな、シャレになんないことするから……」
「嘘じゃないよ」
食い気味に言い切る夏目の目が真剣みを帯びる。
「お前は、きりはのことが好きなんだろ……?」
「そんなこと、一度も言ってないよ。君が勘違いしてるだけ」
「は、はあ?! そんな嘘……」
「僕が言ったこと、よく考えてみなよ」
「んん……?」
言われてみれば、確かにきりはが好きだと明言してたわけじゃないか……。
というか、むしろ……。
「僕はこれでもめちゃくちゃアピールしてきたつもりなんだけどな」
「あ、アピールって……」
「前にもちゃんと、好きって言っただろ?」
あれ、もしかして……。
「いや、まさかそんな、」
「ほんと、どっちが鈍感なんだか。ねぇ、ヒロインくん?」
「え……。え? まさか、ほんとに……?」
ぶわっ。
今までの夏目の言葉が自分への好意を含んだものだと分かった途端、体が熱くなる。
「誤解は解けた?」
「本当に俺のことが……?」
「もっかい試してみる?」
「や、やめろ!」
頬に当てられた手を払いのける。触れられた頬が馬鹿みたいに熱くて、自分の手の甲で熱を拭おうとするのに、全然熱が取り切れない。
「僕のこと、受け入れられない?」
「あ、当たり前だろ?!」
「そっか。わかった。……それじゃあ、やっぱり如月くんの告白、受けるよ」
「は……?」
目一杯拒絶した俺を見る彼の目が、すっと冷めてゆく。それと同時に、俺の火照った体も冷や水を浴びたみたいに冷たくなってゆく気がした。
「さっき、如月くんに告白されたんだ」
「な、きりはが?」
「うん。でも、好きな人がいるって言ったんだ」
ちらと意味深な視線で夏目が俺を射抜く。
「だったらその好きな人に告白して、駄目だったら如月くんと付き合うことを考えてほしいって言われたんだよね。彼、結構わがままだよね」
「きりはが、そんなことを……?」
きりはの気持ちを考える。それが、どれだけの覚悟で言われたものなのか。考えるだけで胸が痛い。
「でもまぁ、僕もそんなことがない限り、言い出せないかなってさ。やっぱり、君にちゃんとわかってほしかったんだ。鈍感な君に」
「……な、」
油断していたところ、額にちゅっと口づけを落とされ、固まる。
「でも、普通やっぱ気持ち悪いよね」
なんでそんな悲しそうに笑うんだよ。
「ごめんね」
情報がぐちゃぐちゃに混ぜられた中で、その悲しそうな微笑みが色濃く脳裏にこびりつく。
やめてくれよ。俺は、二人を応援するって言っただろ……?
それ以外の道なんて……。
それから夏目ときりは、二人でいることが多くなって。遠慮する形で僕は他のクラスメイトとつるむようになっていた。
『しっかしあの二人の隙には入れんよな』
『でもオレ、てっきり夏目と篠井がデキてると思ってたんだけどな』
「……まさか」
談笑するクラスメイトに愛想笑いで誤魔化す。
そうだよ。俺と夏目はそんなんじゃない。そんな風には到底なれっこない。
でも、ふと気が付くと笑い合う夏目ときりはを目で追っている自分がいて。
理不尽な不満が胸の中で渦巻いて止まらない。
なぁ。なんでこっち見てくんないんだよ、夏目……。
「よう夏目。きりはとはどうだよ?」
「……順調だよ」
気づいたら、俺の足は保健室に向いていた。
カーテンを捲った先には、やはり夏目がいて。声を掛けずにはいられなかった。
「それは良かったな」
「うん」
祝福を告げても、夏目はどこかよそよそしく、目を閉じたままだ。
「……やっぱ、よくない」
ぎしり。
「え?」
耳に触るパイプ特有の音を立て、夏目の上に馬乗りになる。
「なんでお前、俺のこと好きなの辞めたの?」
「なんでって……。君に振られたからでしょ」
戸惑いながら、そう告げる夏目に、そりゃあそうだと納得する。でも。
「でも。だからって、完全に無視しなくたっていいじゃないか。前まであんなに鬱陶しいくらい引っ付いてきたくせに……」
「もしかして、さみしいの?」
「……そんなんじゃねえよ」
そっぽを向く俺の手を、夏目が優しく包み込む。
「確かに君のことを意識的に避けてる。でも、君の側にいるといつまでも君のことを意識したままだからさ。それはきりはくんに申し訳無い」
触れたのも束の間、そのまま静かに降ろされた手は、ぽんぽんと優しく叩かれ、離される。
「だから、これだけは、ごめん。我慢してほしい。君とは友だちじゃあいられないんだよ」
「なんだよ、それ……。お前、俺のこと諦めんなよ、前みたいに一緒にいろよ!」
「君たちは本当にわがままだね」
「もう無理なんだよ。3人で仲良しってのは。糸が絡まりすぎてて」
「そんなの……」
俺が夏目の告白を受けていれば、きりはは許してくれた?
俺がきりはを好きなままでいたら、夏目はどうした?
違う。そんなIFじゃなく、俺が今、二人を黙って見つめればいいだけの話なのに。
「じゃあ僕は行くね。ごめんね、“篠井くん”」
俺は、噛ませ役なんだから、ちゃんと演じないと。
噛ませ役らしく、二人とも俺を裏切ったんだから幸せに、って憎ったらしく言わないと。
俺は……。
はしっ。
「しの……結っ?!」
夏目が振り向いて血相を変える。
「え、」
ぼろっ。
大粒の滴が目からこぼれ落ちる。
「な、」
俺は、泣いてる……のか?
「な、んで、ちが、これは、」
止めようとするのに、どんどん熱い水が溢れる。
それに、自分の手が夏目のシャツを掴んでいるのに気づく。
引き留めたのかよ。無意識に?
そんなの……。
「大丈夫?」
喋ろうと口を開いても声が震えて。
いたたまれなくなって背を向けようとしたが、夏目の手が伸びてきて、そのまま抱き締められる。
彼の胸にくっつくと、色んな感情が、一斉に溢れ出して……。
『キーンコーンカーンコーン……』
始業のベルが鳴る。
「ごめん、さっきのはちょっと言い過ぎたよ。意地悪だったね」
「俺こそ、悪かった」
涙が枯れ、ようやくまともに喋れるようになった頃には、すっかり夏目のシャツは濡れていた。
「やっぱり、なるべく3人でいれるようにがんばるよ。僕が君を想わなければいいだけなんだから、ね」
「俺のこと、今も好きなの?」
「はは、意地悪だね。そうだよ。今だって、どきどきしてるよ。聞こえるだろ?」
「ん、」
確かめるべく夏目の胸に手をあてる。
「そういうサービスはやめてほしいんだけどなぁ」
「……」
照れているらしい夏目の手を静かに取る。
「?」
「俺だって」
その手を胸に持っていく。
「嫌になるくらい、お前に会う度、もうしばらく前から……」
「え、」
どくりどくりと夏目に負けないくらい早鐘を打つ自分の心臓。
夏目の手をぎゅっと握って、夏目を見上げる。
「目に毒だなぁ」
そう言って微笑んだ夏目の手が、俺の首を撫で上げる。
その所作に身じろぐと、夏目の喉がごくりと鳴る。
「ほんとに、今さらって感じだし、人のモンかっさらう泥棒猫って感じで嫌だけど……。それでも、俺はお前を引き留めたいよ。なぁ、どうやったら、どうしたらいい? 俺は全然そんなんじゃなかったのに、きりはだって、男だってわかったら萎えたのに、なのに、なんで、なんで……」
「ちょ、ちょっと待って。あのさ、それってさ、自惚れていいの? 結は、僕が、」
「ああ、好きになったよ。ほんっと最悪だよ、男のお前に、こんなにどきどきするなんて……」
「ゆ、結……。ほんと、ど、どうしよ、嬉しい」
「ぷ。なに泣きそうになってんだよ」
ぷるぷる震えながら、目に涙を溜める夏目に、思わず吹き出す。
「だって……」
「お前は大袈裟なんだよ」
「結だって泣いてたくせに」
「……うっさいな」
「結……」
そのまま流れるようにキスしようとする夏目の顔を、ぐいと押し返す。
「ま、待て待て」
「なに?」
「きりはに申し訳ないから……!」
自分の立場はわかってる。きりはを好きだって言ってながら、恋人を奪うだなんて。吐き気がするほど最悪な……。
「それは大丈夫。心配するな」
「いや、待てって。いくらなんでも許してくれな……」
「ったく。ほんと二人ともずるいよね」
「……っ!? きりは……!?」
いつの間にか傍に立っていたきりはに、心臓がひっくり返りそうになる。
「あ。ほんとだ」
「何をのんきに……! 離れろ馬鹿!」
抱きついたままの夏目を引き剥がそうとするが、すでに遅く。
「二人ともいないから、探しに来たらさ。まさか抱き合ってるとはねえ」
「ご、ごめん。あの、きりは、」
「許さない」
きりはの冷たい瞳とかち合い、身を震わす。
「ボクはこんなにも縁くんが好きなのに。結だって、最初は縁くんのこと何とも思ってなかったくせに……。横取りするなんて!」
「ごめん、ごめん……。でも、俺、本当に夏目のことが……」
「ぷ、あははは!」
「へ?」
いきなり笑い出したきりはに呆然とする。
「如月くん、やりすぎ」
「ごめんごめん」
「え……?」
呆れたように告げる夏目と、無邪気に謝るきりはを交互に見つめる。
「ごめん。僕は君のことを騙してたんだ」
「まず、如月くんは別に僕のことを愛していない」
「え……?」
「憧れてるって言っただけなのに。結ってば、妙な勘違いするんだもん」
ぷんぷんと頬を膨らませて怒るきりは。その姿はやはり可愛い。
「憧れてるって……」
「ボクは男らしくなりたいだけなの! でも、さすがに熱血! って感じのはボクに合わないなって思ってて……。それで、出会ったのが夏目くん! 王子様みたいな振る舞いを見たとき、びびっときたんだ! ボクが目標にするべきは夏目くんだ! ってね」
「え、ええ……?」
確かに夏目を羨む気持ちはわかる。男なら誰でも憧れるだろう。でも、まさかきりはまでそんなことを思ってたなんて。
「それを僕が利用した。結が振り向いてくれるよう、如月くんにも協力してもらって、話の辻褄を合わせたんだ」
未だ俺を抱きしめて離さない夏目が申し訳なさそうにそう告げる。
「なんだそれ……」
「ごめんね、結」
「でも。こうでもしないと、結くんは振り向いてくれなそうだったからさ」
「俺はずっとやきもきしてたってのに……」
「幻滅した?」
「お前、必死すぎ。そんなに俺のこと好きなのかよ……」
「そりゃあ。言葉で表せないくらい」
夏目が頬に口づけを落とす。
「やめろって」
「嫌だった?」
「……嫌ではないけど」
「全部許してくれる?」
「……惚れさせた責任取れよ?」
「喜んで」
*
甘い空気の中、ボクはひっそりとその場を退散した。全く、二人ともボクがいることを完全に忘れてるな。
「で。最近はどう?」
「うん。見ての通りラブラブだよね」
「くっつくな。寝てろ」
「え~? 昨日散々結くんと寝たからなあ」
「永遠に眠らせてやろうか?」
「ベタだな~」
放課後、久々に二人のデートにくっついてきたボクは、二人の甘い会話に苦笑しながら、パフェをすくって食べる。
「もうね、結くんが可愛いのなんのって」
「可愛いとか言うな」
「ほんと夏目くんってば結のこと好きだよね」
「最初は俺に、めちゃくちゃ食って掛かってきたけどな」
「だから、あれは作戦のうちなんだってば」
「俺の中でお前の第一印象最悪だったからな」
「え~? それはどうかな」
う~ん。やっぱりノロケを聞きながらのパフェは胃もたれしそうだ。
「というか、夏目くんってなんで結のこと好きになったの?」
「ん~?」
「それ、俺も聞きたい」
「そうだね。そろそろいいかな」
そう呟くと夏目くんが、おもむろにバッグから何か取り出す。
「これ」
手のひらには、ちょこんとくたびれたクマのマスコットが乗っていた。
「ん? 随分古いマスコットだね」
「ほんと。って、ん……?」
「結、どうかした?」
「え、なんでお前がこれ持ってんの?!」
珍しく結が動揺を隠しきれないといった様子で声を荒げる。
「うん。迎えに来たよ。“ゆいくん”」
王子様にはまだなれてないかもだけど、と意味のわからない言葉を呟いた夏目くんが結に向かってクマを差し出す。
「は……? いや、待てよ……。それ、きりはのだろ?」
「え?」
食い気味に見つめられたボクは、ぶんぶんと首を振る。
「結くん、これは正真正銘僕のものだよ」
落ち着いた声で、夏目くんが結を諭すように言葉を紡ぐ。
「もっと言うなら、君がくれたもの、だ」
「う、嘘だろ……」
「え、なに? 話が見えないんだけど」
クマに全く見覚えのないボクは、ついに耐え切れなくなってそう切り出す。
「これ」
すると、結がバッグから何か取り出し、おずおずと手のひらを開く。
「ペアマスコット?」
同じくらいくたびれたそれは、夏目くんのクマと同じもので。クマの不自然に曲がった手をもう一方のクマと合わせてみると、ハートが完成するという、ペアマスコットだった。
「嘘だろ……。だって、あれは、きりはとの約束で……」
「結くんってば、やっぱり覚えてなかったんだね」
「待って……。うう、もしかして、記憶が、こんがらがってるのかも……」
目をぐるぐるさせながら、必死に思い出そうとしている結の肩を夏目くんが抱き寄せる。
「“絶対ボクのこと覚えててね。絶対、また会おうね……!”って言って別れたんだけど……。ま、小さかったから覚えてないよね」
「あ……。そうだ、あれは……“ゆかりくん”?」
結が確かめるように紡ぎ出したその言葉に、夏目くんの目が見開かれる。
「思い出して、くれたんだ……」
「あ、あれ……。じゃあ、もしかして、あの、結婚しようとか言ってた記憶は……」
「僕との記憶だね」
「うっ……」
「え~っと」
再びついていけなくなったボクは、しぶしぶ唸ってみせる。
「僕と結くんは幼稚園のときに仲良かったんだ」
「幼稚園……」
「男同士なのに結婚しようとか言ってたんだよね。結くんがお嫁さんになる~とか言ってさ。可愛かったな」
「ばっ……それは、ちっちゃい頃の話で!」
「僕は小学校上がる前に引っ越すことになってさ。でも、結くんが可愛すぎるから、絶対帰ってこようと思ってたんだよ」
「お前、ストーカーかよ」
「それ、結くんが言う?」
「う……」
「ていうか、僕と別れてから堂々と浮気とか。しかも、同じく転校シチュエーションでさ」
「え、もしかしてボクのこと?」
「あ~! それは、なんていうか。だって、お前、男はノーカンだし……」
「如月くんも男だけど?」
「ああああ! もう! 蒸し返すなよ! 悪かったって!」
「別に、悪くないけどさ。まさか結くんまで引っ越しちゃうなんて思わないし。結構結くんのこと探すの大変だったんだからね?」
「戻ってきただろ」
「如月くんのためにね」
「それは……。お前のことも、ちょっとは気にしてたから……。いや、ほんとにちょっとだけどな。もし帰ってきてたら、黒歴史を謝ろう程度のあれだけどさ」
「え、それほんと?」
「ああ」
「でも。黒歴史扱いかぁ……」
「……だってそうだろ」
「僕はずっと結くんとの約束を胸に生きてきたのになぁ……」
「だ~、もう! 今思い出しても黒歴史なんだから、しょうがないだろう!?」
「うう……。酷いよ、結くん……」
「……でも、まあ、あの時の俺は……確実にお前のことが好きだったけど、な」
「え?」
「じゃなきゃこんな汚れたマスコット持ってねえよ。……そりゃ今はお守り代わりみたいなもんだけどさ」
「でも、その後、如月くんのことが好きになったんでしょ……?」
「だ~か~ら! それも勘違いだったんだって!」
「じゃあ、幼稚園の僕との約束も勘違いだった?」
「……お前は、昔っからかっこよかったし、男だと分かってて惚れてたんだよ! それに、今だって! 二回もお前に惚れたんだぞ?!」
「結くん……!」
「はっ。いや、今のは、口が滑ったっていうか……」
感動を抑えきれないといった様子で夏目くんが結を抱き潰す。
「え~っと。夏目くん、今度ボクに王子様らしい振る舞い教えてね!」
ようやく甘い甘いパフェを食べ終わったボクは、区切りの良いところで席を立つ。
「ちょっと待て、きりは、こいつをどうにかしてくれ……!」
助けを求める結に夏目くんが、ぐりぐりと頭を押し付ける。
「それじゃ、お幸せに!」
友人たちの幸せそうな奮闘を背に、ボクの足取りは軽い。
男らしくはないけれど、恋のキューピッドも悪くはないかな、なんて。
そんなことを思いながら店を出た先、足元にある水たまりを覗き込む。
そこには、いつものように可愛らしい顔をした自分が映る。いつもと違うのは泣きそうな顔をしているということぐらいで……。
家に帰るまで泣くのは我慢しようって思ってたのに。
「ボクって馬鹿だな……」
涙が出てこないようにぎゅっと強めに目を閉じる。
本当のことを言うと、ボクは夏目くんのことが好きだった。恋愛的な意味で、言った通り、一目惚れしたのだった。
でも、その想いも告げずに終わった。
「だって、夏目くんは最初っから結しか見てなかったもん。幼馴染って、敵いっこないよ……」
敵うどころか、ボクは夏目くんの嘘に付き合わされるし!
それに、結がボクを気にかけてくれてたように、ボクだって結のことを応援したい気持ちだってあった。だから。
「この想いとはさよならだ!」
閉じていた目をバッと開き、水たまりの前で助走をつけ、勢いよくジャンプする。が。
ばっしゃああん!
「うぎゃ!」
飛びきれず、水たまりに着地した足は滑り、バランスを崩したボクは勢いよく尻餅をつく。
「うう……」
やっぱりボクはダメな奴だ……。
今年に入って既に二回目のずぶ濡れっぷりに、自分でも心底不安になる。
雨が止んで尚、曇り続ける灰色の世界を水たまり越しに見つめる。
ああ、この曇り空もまるでボクの心みたいじゃないか。はは。
『大丈夫ですか?』
落ち込んでいたところに、いきなり手を差し出される。
「えっと……」
堪えきれずにいた涙が、水たまりに落ちて溶け合う。
見上げた空はいつの間にか晴れて、優しい陽の光が見知らぬ青年を照らす。
「わ……」
晴れた空に昇る太陽が水たまりを乾かしてくれるように、いつの間にかボクの涙も引っ込んで。
手を取ったその先に輝く笑顔が眩しくて、ボクの心が跳ねだして。
澄んだ空気の中、青い空には虹がかかっていて。
なんだか、すごく良いことが起こりそうな未来に、ボクの心は動き出した。
篠井 結(しのい ゆい)クール。好きな子には甘い
夏目 縁(なつめ ゆかり)ぼやっとしてるようで、スポーツ万能。糸目
如月(きさらぎ)きりは 自分が可愛いことにコンプレックスを持っている
先に言ってしまうと、縁×結です。噛ませくんを可愛がりたい!
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「絶対ぼくのこと覚えててね。絶対、また会おうね……!」
「うん。約束する!」
夕日で赤く染まった頬に伝う涙。それを拭いながら、必死に約束の言葉を紡ぐ。
本当は別れたくない。でも、小学生の自分にできることなんて、ただの口約束しかなくて。
「絶対、また、会いに行くから……」
ぽつりと呟いた言葉は、もうあの子には届かない。
それでも幼い決意を確かめるように、手をぎゅっと握りしめる。
きゅう。
お腹を押されたマスコットキーホルダーが鳴き声をあげる。
「お前も悲しいのか?」
その頼りない鳴き声に、マスコットをひと撫でする。
あの子と過ごした町はどんどん遠ざかる。
いくら悲しがったって、幼い自分に走る車を止める術はなく。
絶対に迎えに行く。きっと君に見合った王子様になって。君の元に必ず――。
*
「今日こそは絶対に男らしくなるっ!」
桜並木を前にボク、如月 きりは(きさらぎ きりは)は一人意気込む。
今日こそは、という通りここ数日、いや。ここ数年、ボクの目標は叶うことなく持ち越されてゆく。
昔から女の子と間違えられるくらい顔つきは可愛らしく、性格も内気だったせいで、逆に男と言われる方が少なかった。
成長すれば声も体つきも変わり、男らしくなれるかと思いきや、大した変化も得られないまま。ついに高校生を迎えても変わることのない自分に、毎日嫌気がさして。
足元にできた水たまりの上辺を蹴ってやる。
昨日まで土砂降りだった雨も上がり、ところどころぬかるんだ土が靴を汚す。
「あ、しまった。まだ新しい靴なのに」
慌てて土を払おうとするが、ふと思い立って手を止める。
「こんなの気にしてるから、一向に男らしくなれないんだよね……」
きっとそうだと決めつけたボクは、ごくりと唾を飲み込んで。
「ええい! 靴ぐらいなんだ! 別に汚れたって平気なんだから!」
叫び、水たまりに思い切り足を踏み下ろそうとした瞬間――。
ばしゃああああ!
「うっ!」
水たまりに差し掛かったというのに、スピードを落とすことなく走るトラック。
それが、ボクに思い切り水や泥をぶっかけ通り過ぎていく。
「うっ、ううう……。汚いよう……」
衝撃で尻餅をついたボクはべそを掻きながら、びしょ濡れになったカバンを抱きしめる。
こんなの、全然平気じゃない。やっぱりボクには女々しいのがお似合いで……。
「大丈夫?」
「え?」
突然かけられた声に顔を上げる。
眠そうな瞳。それと目が合った瞬間、心が飛び跳ねた。
「立てるか?」
「えっと、あ、ありがとう」
手を差し伸べる彼を遠慮がちに見つめる。
細い目。形の良い唇。程よく筋肉のついた体。自分よりずっと高い身長。
そして。
「とりあえず、保健室行かない?」
「あ、うん」
なにより、全てが面倒臭いと言わんばかりに気だるげな喋り方。
かつて自分にここまで興味のない態度をした人がいただろうか。
水たまりに映った自分の姿を見つめる。
泥だらけといえど、自分の可愛い顔立ちは十分に目を見張るものがある。
それをここまで無関心に、下心なく親切にしてくれるなんて……!
隣を歩く彼の胸元を盗み見る。
胸ポケットに刺さったピンバッジはボクと同学年を示す赤。
いったい何組なんだろうか。
「あの……!」
「保健室って外から行ける?」
「えっ、ああ、うん。こっちに回って行けばすぐ……ほら、あそこ」
出かかった言葉を遮られ、慌ててボクは笑顔でごまかし彼を保健室に案内する。
「すみません。この子、汚れちゃったみたいで」
『あら、まあ。大変! 転んじゃったのかしら』
「えっと、トラックに水掛けられた拍子に」
『替えの服はあるかしら』
「ジャージがあるので、ちょっと着替えさせてもらえれば大丈夫です!」
『待っててね、タオル持ってくるから。そこ座っててね』
保健室の先生に促されるまま、椅子に座る。
「あ、そうだ。君もありがとう。えっと、よければ名前を……って、あれ」
照れ気味に振り返ると、もうすでに助けてくれた彼の姿は消えていた。
『今日のHR始めるぞ~』
「はぁ~」
教師の言葉も上の空。窓の外を見つめ、ため息をつく。
ああ。せっかく名前とクラスを聞いて仲良くなろうと思ったのに……。
せっかく出会えたのに……。運命だと思ったのに……。
『それじゃあ、転校生。こっちに来て自己紹介を頼む』
「篠井 結(しのい ゆい)です。幼い頃ここに住んでいたことがあります。よろしく」
ぱちぱちぱち、とまばらな拍手が起こる。
『ねえ、かっこよくない?』『それ、思った』
女子たちが黒板の前に立つ男子生徒に色めき立つ。
転校生、か。でも、今はそれどころじゃないんだよね。
『もう一人いるんだが……、来ないなぁ。あ、とりあえず篠井、お前の席、そこな』
担任がボクの後ろの席を指し示す。
「なんでジャージ?」
後ろに座った転校生が、ふいに話しかけてくる。
「あ、ええと。朝、トラックに泥はねられちゃって」
「うわ、大変だったね。……きりはってば昔っから大事なとこで災難に逢うんだもん」
「……え?」
まるで昔からボクを知っているような口ぶりの転校生を見つめる。
「ふふ。きりは、僕だよ、覚えてない?」
「え?……あ、もしかして、結?」
ふんわりと微笑むその顔に、昔の記憶が蘇る。
篠井 結。小学生のときに仲良くしてたのに、転校してしまった少年。昔はボクと変わらないくらい可愛かったけど。
あれっ、なんかめちゃくちゃかっこよくなってる……!
「思い出してくれた?」
「あ、うん!」
まじまじと結を見つめていたことに気づいたボクは、慌てて視線を逸らす。
「良かった。忘れられてるかと思った」
「も~、いきなりでびっくりしたよ! メールくれれば良かったのに!」
「はは、ごめん。でも、びっくりさせたくてさ」
照れくさそうに微笑む結とは、未だにメールをし合う仲で。昨日も他愛のない近況報告をしたばかりだった。
言われてみれば、そのときの結の文章は何だかそわそわしていたかもしれない。
「もー。びっくりしたよ~。家族でこっちに来たの?」
「ううん。一人で」
「え。なんで?」
「それは、」
ガラッ。
「遅れてすみません」
結が口を開いた途端、教室のドアが勢いよく開かれる。
え……。
教室に入ってきた少年の姿を見た瞬間、時が止まった。
「今朝の眠たげくん……」
先生に怒られながら眠そうに頭を掻く彼は、間違いなく今朝の彼だった。
「いや~。つい保健室のベッドに寝ちゃって」
もしかして、いなくなったんじゃなくて、ベッドに寝てたのか!
「きりは?」
不思議そうな結の声に答える余裕もなく、ボクは彼に釘付けになる。
『ったく。自己紹介してくれ』
「夏目 縁(なつめ ゆかり)です。眠いです。よろしくです」
その自己紹介に教室はどっと沸く。
『お前、眠いって』『ひ~、夏目、ほんとに眠そうな目ぇしてんな~!』
待ってよ……。最初に彼を見つけたのはボクなんだから!
『んじゃ。HR終わりな』
チャイムとともに担任が教室から出ていく。
「きりは、あのさ、」
その後を追うように、さっそく教室を出ていく夏目くんにボクは焦る。
お礼言って、仲良くなりたい……!
「あ、結、ちょっとだけごめん」
「きりはっ、」
話しかけてくる結に断って、ボクは本能のままに彼を追いかけた。
「あのっ!」
「?」
「さっきはありがとう!」
「ああ。君か」
ボクの声に振り向いた夏目くんが、開いてるんだか開いてないんだかわからない目をさらに細めて、やんわりと微笑む。
「ボク、如月きりは。あの。よかったら、ボクと友達になってください!」
「友達……?」
首を傾げる彼に、ボクは恥ずかしさで徐々に茹で上がってゆく。
「あ、えと、そうだよね。いきなりすぎるよね」
いくら舞い上がってるからって、突然友達になれなんて言われても、困るに決まって……。
「僕でよければ、なるよ」
にこりと微笑む姿が相変わらずの王子様スマイル。
「や……やった!」
まさか本当に彼と友達になれるなんて!
「きりは、足、速いね……。って、」
喜びを噛みしめていたところに、息を切らした結が現れる。
「あ、結。聞いてよ! 今ね、夏目くんと友達になったんだ!」
「……そうなんだ」
あれ。てっきり結のことだから喜んでくれると思ったのに。
結はむすっとした後、夏目くんを睨みつける。
その視線に気づいて、夏目くんは結に微笑む。
が、それを受けて結がそっぽを向く。
あれ……。なんか仲悪い?
「えっと。夏目くん、結はね、ボクの幼馴染みなんだ」
「へえ。結くん、転校生同士よろしくね?」
「……。よろしく」
夏目くんが伸ばした手を結が掴む。
なんだ。仲悪いのかと思っちゃったけど、そうでもないみたい。
「ふふ。これでボクたち友達だね」
*
「ふふ。これでボクたち友達だね」
そう言って、二人の手を掴んだきりはが微笑む。
思わず緩みそうになる頬を引き締め、夏目を睨む。
それに気づいた夏目が細い目を開け、せせら笑う。
そして、これ見よがしにきりはの手を取り、厭らしく撫で上げる。
「っ……!」
「結? どうかしたの?」
憤る俺に、心配した表情できりはが見上げてくる。
「えっと、」
「きっと結くんは疲れたんじゃないかな。転校初日だし。僕も疲れちゃったし」
ね? と同意を求めてくる夏目に、怒りを抑えながらなんとか頷く。
ここで下手に夏目に突っかかっても、きりはの心証を悪くするだけだ。
『2-3夏目くん、篠井くん。至急職員室まで来てください』
きりはと夏目をどう引き離そうかと考えあぐねていたところに、呼び出しの放送がかかる。
「あ、二人とも呼ばれてるよ!」
「ほんとだ。如月くん、悪いけど先に教室帰っててくれるかな?」
「う、うん」
柔らかい口調で告げた夏目に、結が顔を赤らめる。
ムカつく……。これ以上こいつといたら、胃に穴が開く……。
「それじゃ、行こうか。結くん」
「そうだね。早く済ませよう」
差し出された手をやんわり押し返しながら、舌打ちしたい衝動を抑える。
「仲良くね~!」
花のようにほわほわとしたオーラを振りまき、手を振るきりは。それに癒されながら、俺はなんとか嫌々職員室へと足を向けた。
「結くんってさ、あの子のこと好きなの?」
転校生同士仲良く、職員室に呼ばれた帰り。さっさときりはの元に戻ろうとした矢先、夏目に声を掛けられた。
「あの子って……きりはのことかよ」
「それ以外考えられないでしょ。君ってばあの子にべったりでさ。好きなんでしょ?」
「別に、お前に関係ないだろ」
「いや、趣味が悪いと思ってね」
「な、」
「まぁ、僕も人のこと言えないけどね」
「お前、やっぱりきりはのこと、」
「結くんのは本当に恋なの?」
「は?」
「君の恋は僕の恋に勝てるの?」
「何を……」
「結くん。その恋は叶わないよ。痛い目見る前に諦めなよ」
「……やっぱお前ムカつく。俺の前だと本性出しやがって」
細い目で煽るように見下してくる彼に睨みで返してやる。
「はは。結くんこそ。猫被ってるよりそっちの方がいいよ」
「その呼び方やめろ、細目」
「夏目ですけど。あ、縁でもいいよ」
「誰が呼ぶか」
くだらないと彼の横を通り過ぎようとするが。
「結」
「っ、」
壁に追いやられて、耳元で囁かれる。
切れ長の瞳に射抜かれた体は竦み、思わず押し黙ってしまう。
「どう? ドキッとした?」
「変なことすんな。あと篠井くんと呼べ」
「つれないなあ」
「俺がつられてどうすんだっての」
「ねぇ、きりは。ずっと夏目ばっかり見てるのは、なんで?」
「ふぇ……?」
単刀直入な質問に、きりはがどんぐりみたいに丸い瞳をさらにまんまるにして固まる。
昼食のサンドイッチを頬張ったまま固まるきりはは、まるで小動物みたいだと微笑ましく思う。
「やっぱりきりはは、夏目のこと……」
「あ、あはは。ボクなんかが夏目くんに憧れちゃあ駄目だよね」
「……もしかして、一目惚れだった?」
「う、うん」
俯きながら頬染めるきりはに、思わずきゅんとしてしまう。
「でも、ボクと夏目くんじゃ、月とスッポンって感じだよね」
「それは……」
自信なく笑うきりはに、夏目には勿体ないほどだ、と言いたいけど。
実際、夏目にあんなことされた後じゃ……。
壁に追いやられたことを思い出してすぐにかき消す。ったく、何だよアイツ。少女漫画のイケメンかよ。
大体、いっつも眠そうにしてるくせに、あんな表情できるとか聞いてないっての。
間近で見た一瞬の真剣な瞳。それと目が合った時、不覚にもドキリとしてしまった。耳元で低く名前を囁かれたことを思い出しただけでぞわりとする。
くそ……! なんであいつのこと思い出さなきゃなんないんだ!
きりはの可愛さに満たされた心が、一瞬にしてイライラもやもやと燻る。
「結、なんか怒ってる……?」
「え、ごめん。違うんだ。怒ってないよ」
きりはの不安そうな瞳に、良心が痛む。
くそ、邪魔してやろうと思ってたけど、きりはが悲しむ顔も見たくない……。
「ええと、結。次の授業体育だから、着替えとかないと」
やはり眉間に皺を寄せる俺に、きりはが気づかわし気にそう促す。
「ああ、そっか」
「ボクはこの通りジャージだからこのまま受けるけど……更衣室わかる?」
「うん大丈夫。ありがとう」
促されるままに体操服を持って、更衣室に足を向ける。
俺としたことが、きりはを不安にさせてしまった。でも、かといって夏目との恋路を応援するなんて、嘘でもしたくない。
きりはと夏目が万が一にでも付き合うことになってしまったら、俺は……。
「結くん、惜しかったね」
「黙れ」
体育館に響く試合終了のホイッスル。
今日の体育はバスケだった。夏目と別チームに分かれた俺は、アイツを打ち負かしてやろうと躍起になった。が。
結果は敗北。夏目チームの圧倒的勝利で幕を閉じた。
『きゃ~!』『夏目くんかっこいい~!』
「すごいね、夏目くん! もしかしてバスケ経験者?」
色めき立つ女子の間を縫って、きりはが興奮気味に夏目に話しかける。
「うん。実はバスケ部だったんだよね」
『道理で上手いわけだ!』『かっこいい~』
「それじゃあ、こっちでもバスケやるの?」
「うん、そうしようかなって思ってるところ」
「ボク、絶対毎日応援するよ!」
なんだこれ。夏目の周りに集まるクラスメイトたちがあっという間に夏目を持ち上げる。
ちょっと運動ができるくらいで……。
俺だって運動神経が悪いわけじゃない。むしろ、アイツさえいなければこっちが勝ってたぐらいだ。
目の蕩けたきりはを見ているだけで、ぐるぐると自分の中に負の感情が渦巻いていくのがわかる。
なんでこうなるんだよ……。
ポケットの中にあるマスコットをぎゅっと握りしめる。
せっかく戻ってきたのに、俺がこんな調子じゃ……。
「結、もしかして、体調悪いの?」
「えっ?」
体育の授業が終わり、制服に袖を通した俺は、隣から聞こえてきた声に固まる。
「えっ、えっ? きりはなんでここに?」
「なんでって?」
首を傾げるきりはは、むさ苦しく男子が詰め込まれた更衣室に似つかわしくないほど可憐で……。いや、いやいやいやいや!
「いや、だってここ男子更衣室……!」
「あ、そうそう。保健室の先生がね、制服洗濯してくれたみたいでさ。これで、ジャージで下校しなくて済むよ~」
「いや、そういう問題じゃなくて……!」
「うん?」
不思議そうな顔をしながら、きりはがジャージに手を掛ける。
その小さい手がジャージのファスナーを一気に下まで下げ、脱ぎ捨てる所作に思わず食い入る。
そしてついに、体操服に手をかけ……。
「わ、わー! 駄目だって!」
ばっ。
きりはが豪快に体操服を上下とも脱ぎ捨てる。
「え……?」
顔を覆った手の間から覗くそれは……。
ぺたっとした胸。そしてボクサーパンツ。
「えっ?!」
何が起こったのか分からなかった俺は、目をぱちぱちと瞬かせる。
『あー、もしかして篠井も如月のこと女だと思ってた?』『俺も最初は騙されたんだよなー』『どんまい!』
俺の声に反応したクラスメイトたちが慰めるように肩を叩く。
「そんなわけないよ。だって結は昔っからボクのこと知ってるんだか、」
ばたーん。
「え、ちょ、結?!」
きりはの声が遠ざかる。まさか。まさかそんなはず。きりはが、おと、おとととおと……。
「ん、んん……」
酷い夢を見た気がした。
「あ、結。気がついた?」
どうやらここは保健室のベッドらしい。
「きりは……と、なんで夏目?」
「ベッド待ち」
「は?」
「疲れたから寝にきた」
「……あそ」
にこりと微笑む夏目に呆れながら起き上がる。
「結、大丈夫?」
「うん、ごめん、心配かけちゃったな」
心配そうに見つめてくるきりはを見る。
目に映るのは、平べったい胸、そしてズボン。男子の制服に身を包んだきりはは尚も可愛いが……。
「びっくりしたよ、結」
「いや、僕も。まさか、きりはが、お、男だったとは……男、なんだよな?」
夢であってくれと願いを込めて、恐る恐る疑問をぶつけるが……。
「うん。正真正銘、男だよ」
胸を張って言い放つきりはに、やはり眩暈がして額を押さえる。
「ぷ、くく」
それを見て笑いを零す夏目に、恨みがましく睨みを利かせる。
「よく間違われるんだけど、まさか結まで間違えてたなんて」
「う……。だって、小さいとき、確かにズボンだったけど、可愛いやつばっか着てたし、」
「あれ、お姉ちゃんのお下がりでね、ズボンだったら着れるでしょって」
「うう、ごめん……」
「いいよいいよ。慣れてるから」
笑って許してくれたけど、きりはは少しだけ傷ついたようにも見えた。
そうだよな。ずっと女に間違えられてたなんて、気分悪いよな。しかも、勘違いしたままに数年間好意を寄せられてたとか……。
「幼馴染みから勘違いされてたなんてショックだね」
「ぐ……。夏目は気づいてたのかよ」
きりはが授業に出ている間、疲れたという理由でサボる夏目と保健室に二人。
改めて他人からそう言われると、勘違いしていたのがとても申し訳なく、良心が痛む。
「大体、ボクって言ってる時点で性別に疑問を持つものじゃない?」
「ぐぐ……。それは、俺も出会った頃に疑問に思ったけど! か、可愛かったし……。わざとそうする子もいるって聞くし……」
「そもそも僕が最初会ったとき、如月くんは制服だったし」
「ぐぐぐ……。でも、クラスのやつも最初は勘違いしたって」
「それは、そいつらが馬鹿なだけでしょ」
「馬鹿って……」
「まぁ、わからなくもないけどね。あんだけ可愛けりゃ」
まさか、夏目はきりはのことを男と認識してたとは……。
「ん、だからあのとき悪趣味だって言ったのか……」
あれ? じゃあコイツは、なんできりはのことが好きなんだ……?
それに、きりはも夏目のことが好きって……?
「で、どうするの?きりはくんのこと、諦めるの?」
「どうするって、どうもできないだろ。男同士だし」
「そうなんだ。案外薄情だね。……でも。きりはくんは僕のことが好きだよ。男なのに」
男なのに。そう、まさにそれが疑問だった。まさか、もしかして。きりはは……。
「同性愛は認めたくない?」
「そういうわけじゃないけど……」
確かに、きりはは可愛いから男同士で付き合うのも違和感がないかもしれない。でも。
「でも、俺のは違うなって思ったんだよ」
「違うっていうと?」
「なんていうか、幼いときの憧れっていうか、理想で、俺の思う可愛い女の子像であって……。実際、きりはの今のことなんも知らなかったし……。酷い話だけど、思ってたのと違うっていうか……。いや、可愛いのは可愛いけど、やっぱ男なんだなと思うと……俺は無理、かな」
「……そっか。ひとまず安心したよ」
そう言って、夏目は嘆息すると、ベッドに顔を突っ伏す。
「ライバルがいきなり減って良かったな」
布団越しに太ももに当たる夏目の額から逃れるために、端へ移動する。
「あ~。確かに、ね」
「これからはアンタときりはのこと、応援するよ」
夏目の味方をするのは癪だが、きりはに幸せになってほしいという願いは変わらない。
「そっか。良かった」
「両想いなんて、すごい確率だよな」
「はぁ~。ほんと、君って鈍感だよね」
「は?」
せっかく夏目に話を合わせてやったってのに、なんでため息つくんだよ!
「まだ両想いなんかじゃないよ」
「はあ? お前、さっき自分で言ってただろ。きりははお前が好きだって……」
意味深な視線を向けてくる夏目に、首を傾げる。
「あ~。それは嘘だよ。君の気持ちを確かめるために、利用させてもらっただけ」
「……お前の方がよっぽど鈍感じゃん」
「そう?」
いや、絶対そうだろ。きりはから夏目が好きだって直接聞いたし……。
「は~。お前はいいよな、かっこいいし、優しいし。……みんなが夏目に惚れるのもわかる」
ま、俺の前じゃだいぶ性格違うんだけどね、と心の中で呟く。
「……本命からそう言われると嬉しいんだけど」
「悪かったな、本命じゃなくて!」
「……いや、だから。は~」
「おいこら、入ってくんな」
ため息をつきながら、自然にベッドの中に入ってくる夏目を慌てて押し返す。
「え~。だって、寝なきゃ損かなって」
「ったく。俺が退くから、待ってろ」
「いやいや。結くんは寝てなきゃでしょ」
「うわっ」
夏目に抱きしめられたかと思うと、そのままベッドに二人で沈む。
「お前、なにす、」
「し~。保健室では静かにしなきゃ、ね」
「俺たち以外誰もいないだろうが」
「はは。そりゃいいね」
「は~」
随分こいつのペースに持っていかれて、頭が痛い。
「結くん、如月くんのことショックだったのもだけどさ。昨日、眠れなかったんじゃない?」
目の下を撫でられて、思わず目を閉じる。
確かに昨日、転校初日という緊張から寝つきが悪かった。
ポケットに入れてあるマスコットを握りしめる。
もし、きりはがこのマスコットのことを忘れていたらどうしようと不安になったのだ。
俺でさえ、曖昧でぼんやりとする記憶。その微かな記憶を現実のものだと示してくれるのが、この古ぼけたクマのマスコットだった。
「大人しいね。寝ちゃった?」
「馬鹿言うな。お前がいて眠れるもんか」
「はは。言えてる」
そう言うと、夏目がベッドからするりと出ていく。
「あれ、寝るんじゃないのか?」
「まさか。君が側にいるのに眠れるわけないよ」
「そりゃ悪いね」
「はは。でも、僕は君が眠るまでここにいるよ」
「俺だってお前がいたら眠れないって言っただろ! 嫌がらせかよ」
楽しそうに笑う夏目を睨みつけるが、気にした様子もない。
「如月くんのこと、諦めてくれてありがと」
「やっぱお前ムカつく」
そう言ってもう一度睨んでやるが。
「僕は君のこと好きなんだけどな」
と、頭をぐしゃぐしゃに撫でられた。
やっぱりムカつく……。
それから俺は夏目を無視して壁側を向き、狸寝入りをしてみたが、頭を撫でるその手がくすぐったくも心地よくて……。
気づいたら再び眠っていた俺は、起きたときに散々夏目にからかわれたのだった。
『篠井、悪いが夏目を呼んできてくれないか』
放課後、担任に日誌を届けたところ、夏目を呼んでくるようにと頼まれた。
なんで俺がそんなことを……。
もちろんその疑問を担任にもぶつけたが、担任曰く、仲が良いからだ、と。
「全くもって仲良くした覚えはないんだけどな」
誰もいない廊下でぼそりと呟く。
確かに、二人の恋路を応援するとは言ったが、別に夏目のことを許したわけでもない。
「っと、バスケ部は。いるな」
体育館に足を踏み入れる。
『きゃ~!!!!』『頑張って~!!!』
な、なんだよ、この応援女子の多さは……。
壁際にずらりとならんだ女子が、バスケのコートに向けて黄色い声援を送る。
……よく見ると、その中にきりはの姿もある。そういえば、応援に行くって約束してたもんな。
最近じゃ、きりはにべったりとくっつくこともなくなった俺は、すっかりきりはの行動が読めないでいた。
はぁ。俺はなんのためにここに戻ってきたんだろうか。
部活にも入らずに、ただただ家事や勉学に励む日々。他の生徒と比べて、何かとやることの多い独り暮らしの身では、碌に部活もできないだろうと勉強に集中することにしたのだ。
その一方で、夏目は宣言通りバスケ部に入部し、着々とファンを作っていった。
あーあ。初日では俺の方がモテてたのにな。やっぱアイツぐらい派手なことしないと駄目だよな~。……まぁ、しばらくは彼女なんて作りたくないけどさ。
それにしても、すごい人気だ……。
夏目が得点を決める。するとすかさず場が耳を塞ぎたくなるほどに沸く。
「な、夏目~!」
『きゃ~! 夏目くうううん!!』『夏目くん素敵~!』
とりあえず名前を呼んでみるも、見事にかき消されてしまう。
うう……。こんな中でどうやって夏目に気づいてもらえばいいんだ……。今アイツに近づいていくのはなんか気が引けるし……。
「あれ、どうしたの結?」
「えっ?」
こっちを見るなり、夏目が駆け寄ってくる。
その様子に、周りの女の子が一斉にざわめく。
「気安く呼ぶな馬鹿」
「あれ、照れてる?」
照れてるってか、恥ずかしいんだよ! お前と並ぶと俺のかっこよさも霞むし……。
「お前な。なんで君付けすらできなくなってんだよ」
「僕のなつき度が上がったからかな」
「上げた覚えねーよ。先生がお前を呼んで来いって。進路相談、今日だろ」
「あ。そっか、うっかりしてた……。すいませーん!」
本当に忘れてたらしく、夏目は練習中の先輩に駆け寄り事情を話す。
そして。
「ありがとね」
ぽんっと頭に手を乗せられる。
「やめろ」
「なつき度1アップ」
「上がってねーっての」
無邪気に笑う夏目の手を退け、頭を払う。
「結ってば、いつの間に夏目くんと仲良くなったの?」
「うわ。きりは」
そのやり取りを見ていたらしいきりはが、女の子たちを押しのけて現れる。
「結だけずるいよ~!」
「えっと。別に仲良いわけじゃないよ?」
「え~。でも」
「心配しなくても夏目は、きりはのこと好きみたいだよ」
「えっ。本当?」
夏目に聞こえないように耳打ちすると、きりはは嬉しそうに微笑んだ。
「あ……れ……?」
「ん、どうしたの、結」
きりはが心配してこちらを見上げてくる。
「ああ、ごめん。何でもないよ」
咄嗟に誤魔化すが、胸に生じた靄は消えない。
何で……。何できりはの幸せそうな顔を見て、俺はこんなにもやもやするんだ……?
まだ、きりはに未練があるのか……?
原因のわからない負の感情に、ますます自分がわからなくなる。
俺は……。
「これだから男子の多いコースってやつは」
「え~。でも結ってば似合ってるよ」
そう言って、きりはが俺を見つめる。
「あんまりジロジロ見ないでほしいんだけどね……」
腕や膝下はもちろん、胸元や背中までごっそり空いた服に、恥じらわずにいられない。黒と白とを基調としたフリルの服。その上から更に激しいフリルのエプロン。そして極めつけにはフリルやリボンをあしらったヘッドドレス。
そう。今年の文化祭、クラスの出し物が女装喫茶だと決まった時から嫌な予感はしていた。でも、まさか自分がメイド姿にならなければいけないなんて……。自分のじゃんけんの弱さが憎い……。
「え~。ほんとに可愛いってば!」
「きりはに言われてもなあ」
目の前のきりはは、やっぱり女の子みたいに可愛い。その可愛さがメイド服とマッチして、そこらの女の子より断然可愛い。
「ほんとだってば! ね、夏目くんもそう思うでしょ?」
「……う~ん」
きりはが側にいた夏目に問いかけると、夏目は眉間に皺を寄せて唸った。
「本気で悩まないでくれるかなぁ」
その態度に、俺は思わずぴくぴくとこめかみを震わす。
確かに、横にきりはが居たんじゃ比べ物にならないけど!
「いや、似合ってるけどね……」
その何か言いたげな曖昧な態度が、さらに俺のこめかみを震わす。
俺だってお前に気に入られるためにやってるんじゃねえよ!
「夏目は執事なんだな」
「うん。女子に勧められて」
女子に勧められて!!! なんだその理由は! そんなのアリかよ!
「へえ~。うんうん似合ってるよ~」
「……ありがと」
怒りのまま適当に流した言葉に夏目が照れる。
なんだよ、その顔は!
急に夏目が照れると、こっちまで恥ずかしいだろうが! いや、俺は元から恥ずかしがってんだけどな……!
『お~い、顔面偏差値トップ3くんたち。そろそろ宣伝回り頼む』
「よ~し。ついでにお店見て回っちゃお!」
「そうだな」
クラスメイトに変な名称で呼ばれたのも気にせず、きりはが元気に夏目を引っ張る。
「それ、僕も行かなきゃいけないのか?」
「恥ずかしかったら無理に行かなくてもいいよ、結くん」
いらっ。
「いや。別に。これくらいなんともないけどね!」
本気で心配してくる夏目に逆に苛立ち、そのまま心にもないことを言ってしまう。
「それじゃ、行こうか!」
取り消す暇もなく、きりはに腕を引っ張られた俺を夏目が哀れな目で見てくる。
あ~! 俺だって後悔してるよ! だからって、そんな目で見るなっての!
「結、ほんとに大丈夫?」
「はは。大丈夫大丈夫」
そう笑ってはみたものの、中々みんなの視線が恥ずかしい。
にしても。こうしてみると、お似合いだな。
クレープを買ってもらったきりはが夏目に微笑む。
何にも知らない人には、絶対カップルに見えてるだろうな。
「はい。結くんの分」
「は? 俺のまで?」
「甘いものは嫌い?」
「嫌いじゃないけど……」
「遠慮しないでいいよ。可愛い子にはサービスせよってね」
くっそ、おちょくりやがって!
クレープを引っ手繰ってかぶりつく。
あ~。甘いもの久々に食べると美味いんだよな~。
「僕にも一口」
「え?」
クレープを持った手が夏目の口元に引き寄せられる。
「うん。美味しいね」
口元のクリームをぺろりと舐める仕草も様になっている。
「間接キスだね」
慌てて目を逸らし、歯形のついた生地を見つめた俺に、夏目が唇に手を当ててそんなことを囁く。
「……小学生か」
吐き捨て、歯形のついた部分にがぶりと噛みつく。変に意識させられたせいで、その一口だけ味が全くわからなかった。
「ねえねえ、あっちで輪投げやってるんだって!」
クレープを平らげたきりはがチラシを見ながら指をさす。
「行ってみる?」
「うん!」
ほんと、見てるこっちが恥ずかしいくらいカップルしてるんだよな。
「結も早く~!」
「あ~。僕はちょっとトイレ」
「は~」
人気のない場所でやっと一息つく。
「痛ってえ」
靴を脱ぎ、かかとを見ると、皮が捲れて血が出ていた。
こんな靴、窮屈でしょうがない。
足の裏もめちゃくちゃ痛いし。これ以上歩いたら足が千切れそうだ。……女ってこんなん毎回履いてるとか、どうなってんだよ。
このひらひらのスカートも、すげー心許ないし。
「どこ需要だっての」
眉間に皺を寄せた夏目の顔がよぎる。
「は~。俺、こんなん着て何やってんだろ。……保健室行って絆創膏貰ってこよ」
『あの』
重い腰を上げようとした途端、声を掛けられ上を向く。
『ちょっといいですか?』
「え?」
そこには、カメラを持った男が立っていて……。
かしゃり。かしゃ。かしゃ。
「あの……」
響くカメラのシャッター音。
『いいね……。もっとこっちに……』
「や、止めてください!」
『ちょっとぐらい、いいでしょ……』
「い、嫌だって……!」
どっ。
『わぎゃ!』
「結っ!」
「え……。夏目?」
カメラを持った男を蹴り倒した夏目が、俺を守るようにして肩を抱く。
「お前、何してんの?」
『ひ……、』
低い声で静かに問う夏目に、男は地面に尻をついたまま後ずさる。
「何したって聞いてんだよ!!!」
『ゆ、許してくだ、くださいいいいい!!』
夏目のすごい剣幕に、男は命からがら逃げだす。
「チッ、」
「ちょ、ちょっと待てよ。夏目、どうした」
地獄の果てまで追いかけていきそうな夏目を慌てて止める。
「結……!」
「わ。な、なんだよ」
いきなり強く抱きしめられ、身じろぐ俺に構うことなく、夏目が俺の肩に顔を埋める。
「何されたの? どこも痛くない? どこ触られたの?」
……えっと。こいつ、何言ってんだ。
確かめるように腕やら足やら触られる。
「いや。ただ単に写真撮られてただけだけど」
「でも、嫌がってたじゃん」
「だって嫌だろ」
「……てっきりエロいことされてんのかと」
「あのな……。俺相手にやるわけねーだろ」
「じゃあ、触られてない?」
「だから、誰がんなことして喜ぶんだっての」
「よかった……」
抱きしめる力が緩まる。
なんだこいつ。まさか本気で俺が襲われるとか思ってんのかよ。
「ぷ……。お前、ほんと変な奴だよな」
「あ、笑った」
「ん?」
「……笑った顔、初めて見た」
「お前がアホなこと言うからだろ」
「本気で心配したんだからね?」
そう言って、夏目はようやく俺を放すと、男が落としていったカメラを手に取り操作する。
ぐしゃ。
「おい。そんなことして大丈夫かよ」
SDカードを踏みつける夏目に焦って声をかけるが時すでに遅く。カードはあらぬ方向によじ曲がっていた。
「確かに普通の写真だけど。結くんだって知らない人に撮られるの嫌でしょ?」
「そりゃ嫌だけど。あの人、知らない人じゃないよ」
「え?」
「この学校の新聞部OBで、文化祭のカメラマンやらされてんだって。新聞部に挨拶に来てたし」
余談だが、きりはは新聞部に所属している。たまに暇なとき、きりはが俺を新聞部に招いてくれるせいで、俺もすっかり新聞部員の顔なじみだ。
「え、そうなの?」
「俺の写真撮ろうとしたのも、俺の文化祭写真、まだ一枚もなかったからって」
「え、教室で撮った集合写真は?」
「こんな格好で映りたくないから隠れてた」
「……確かに他の人には見られたくないもんね」
「余計なお世話だ馬鹿」
「いや、そうじゃなくて……。変な目で見られたら困るし」
「変な目……? 女装壁があるとか……?」
「や、そういうんでもなくて」
目を逸らす夏目を覗き込む。すると、夏目がまた逆方向を向く。
なんだよ、嫌な感じだな……!
「あ~! もう、はっきり言えよ! あれか? 俺の女装が酷過ぎて見た人が危険なレベルとかそういうことか?!」
別に女装が似合うとか言われても嬉しくないけど、どうもこいつに曖昧な態度を取られたことが気に障る。
「いや、そんなんじゃなくて……。そんな可愛いくて際どい格好してたら、普通の人でも結くんに目覚めそうだなって」
「は?」
「最初っから心配してたんだよ? なのに、結くんってばトイレに行ったっきり戻ってこないし……。探すの大変だったんだからね?」
「……いや、お前何言ってんだ?」
「だから、結くんがエロいって話」
「……お前、頭打ったか? 大丈夫か?」
「いや、ほんとに……」
あれか? 睡眠足りてないせいで脳に酸素回ってないんじゃねえの……?
「とりあえず、昼寝した方がいいんじゃね?」
「えっと、なんで昼寝? 結くんこそ大丈夫?」
なんで俺の方が心配されるんだよ!
ぱきっ。
夏目が一歩踏み出した瞬間、足元で軽い音がする。
「あ……。忘れてた」
一番大丈夫じゃなさそうなSDカードを拾い上げ、夏目が心底めんどくさそうに呟いた。
「それ大丈夫か?」
「う、う~ん」
夏目が無理やりカメラのSD挿入口に押し込むが、曲がったそれは入るわけもなく。
「まだ午前中だし。……大丈夫でしょ!」
「いや、謝りに行けよ」
「それもだけど、僕的には」
「え?」
よいしょ、という夏目の掛け声とともに、体が浮く。
「おいっ、なにして!」
「こっちの方が気になるよ。これ、大丈夫?」
靴擦れしたかかとを指し示した夏目が痛々しい表情になる。
「いや、これは大したことねえよ」
気づいてたのかよ、カッコ悪い。
「痛いんでしょ? いいから保健室行くよ」
「ただちょっと痛いだけだっつの! それに、行くってこれでか?!」
お姫様抱っこって……。大袈裟すぎだろ、少女漫画の読みすぎだろ。
「うん。ちょっと大袈裟かも。でもさ。こうしたら、嫌でも意識するでしょ?」
「意識……?」
「君がヒロインなんだってさ」
「は? それってどういう、」
俺の疑問に答える気もなく、夏目が遠慮なく歩き出す。
『きゃ~!』『なんでお姫様抱っこ?』
「1-2喫茶店やってま~す。みなさん是非お越しくださ~い!」
「ちょっと待て、これめちゃくちゃ目立つだろ」
「ん。嫌だったら顔こっち向けといて」
「降ろせって言ってんだよ」
「それは嫌」
「にこっとすんな!」
じたばたしても、全く動じることのない夏目を睨んでやる。
駄目だ、こいつ全然効いてない……。
ため息をつき、仕方なく目の前でチラシを広げて宣伝を装い、俺は自分の顔を隠す。
あ~。これじゃあまるで、本当に少女漫画のヒロインみたいじゃないか……。
チラシを持つ手に力が入る。馬鹿みたいに意識し出したせいで、力を入れないと、羞恥で手が震えだしそうで……。
「はい。到着」
「っだー。疲れた」
ちょっとの距離だったはずだが、羞恥も手伝って随分と長い時間お姫様抱っこされていた気がした。
「足出して」
「ん、自分で貼るって」
「いいから」
ぐいと足を持ち上げられる。
「おい」
「あ、下にズボン履いてんだ。残念」
「履いてなかったら変態だろ」
「はい。ついでにマッサージもしとく」
「え、いや汚いし」
「どこが?」
「う……、あ、あ~!」
ぐいと足裏を押されて、足の疲れがほぐされる。
「気持ちいい?」
「だから、汚れてるからやめろって、」
「こんな綺麗な足なのに」
「え、おい」
ふいに足の甲に口づけられる。
「お前、何して……」
「こんなときに言うのもどうかと思ったんだけどさ」
慌てて足を引っ込めた俺に、夏目がぐいと近づく。
開かれた瞳にははっきりと俺が映っていて……。
「結が好きなんだ」
「え?」
好きってどういう……?
思考が纏まる前に、夏目が俺の頬を撫でる。そして。
「こういうこと」
ちゅ。
「っ!」
ばちっ!
「痛いなあ」
唇が触れ合った瞬間、反射的に夏目の頬を叩く。
「お前がこんな、シャレになんないことするから……」
「嘘じゃないよ」
食い気味に言い切る夏目の目が真剣みを帯びる。
「お前は、きりはのことが好きなんだろ……?」
「そんなこと、一度も言ってないよ。君が勘違いしてるだけ」
「は、はあ?! そんな嘘……」
「僕が言ったこと、よく考えてみなよ」
「んん……?」
言われてみれば、確かにきりはが好きだと明言してたわけじゃないか……。
というか、むしろ……。
「僕はこれでもめちゃくちゃアピールしてきたつもりなんだけどな」
「あ、アピールって……」
「前にもちゃんと、好きって言っただろ?」
あれ、もしかして……。
「いや、まさかそんな、」
「ほんと、どっちが鈍感なんだか。ねぇ、ヒロインくん?」
「え……。え? まさか、ほんとに……?」
ぶわっ。
今までの夏目の言葉が自分への好意を含んだものだと分かった途端、体が熱くなる。
「誤解は解けた?」
「本当に俺のことが……?」
「もっかい試してみる?」
「や、やめろ!」
頬に当てられた手を払いのける。触れられた頬が馬鹿みたいに熱くて、自分の手の甲で熱を拭おうとするのに、全然熱が取り切れない。
「僕のこと、受け入れられない?」
「あ、当たり前だろ?!」
「そっか。わかった。……それじゃあ、やっぱり如月くんの告白、受けるよ」
「は……?」
目一杯拒絶した俺を見る彼の目が、すっと冷めてゆく。それと同時に、俺の火照った体も冷や水を浴びたみたいに冷たくなってゆく気がした。
「さっき、如月くんに告白されたんだ」
「な、きりはが?」
「うん。でも、好きな人がいるって言ったんだ」
ちらと意味深な視線で夏目が俺を射抜く。
「だったらその好きな人に告白して、駄目だったら如月くんと付き合うことを考えてほしいって言われたんだよね。彼、結構わがままだよね」
「きりはが、そんなことを……?」
きりはの気持ちを考える。それが、どれだけの覚悟で言われたものなのか。考えるだけで胸が痛い。
「でもまぁ、僕もそんなことがない限り、言い出せないかなってさ。やっぱり、君にちゃんとわかってほしかったんだ。鈍感な君に」
「……な、」
油断していたところ、額にちゅっと口づけを落とされ、固まる。
「でも、普通やっぱ気持ち悪いよね」
なんでそんな悲しそうに笑うんだよ。
「ごめんね」
情報がぐちゃぐちゃに混ぜられた中で、その悲しそうな微笑みが色濃く脳裏にこびりつく。
やめてくれよ。俺は、二人を応援するって言っただろ……?
それ以外の道なんて……。
それから夏目ときりは、二人でいることが多くなって。遠慮する形で僕は他のクラスメイトとつるむようになっていた。
『しっかしあの二人の隙には入れんよな』
『でもオレ、てっきり夏目と篠井がデキてると思ってたんだけどな』
「……まさか」
談笑するクラスメイトに愛想笑いで誤魔化す。
そうだよ。俺と夏目はそんなんじゃない。そんな風には到底なれっこない。
でも、ふと気が付くと笑い合う夏目ときりはを目で追っている自分がいて。
理不尽な不満が胸の中で渦巻いて止まらない。
なぁ。なんでこっち見てくんないんだよ、夏目……。
「よう夏目。きりはとはどうだよ?」
「……順調だよ」
気づいたら、俺の足は保健室に向いていた。
カーテンを捲った先には、やはり夏目がいて。声を掛けずにはいられなかった。
「それは良かったな」
「うん」
祝福を告げても、夏目はどこかよそよそしく、目を閉じたままだ。
「……やっぱ、よくない」
ぎしり。
「え?」
耳に触るパイプ特有の音を立て、夏目の上に馬乗りになる。
「なんでお前、俺のこと好きなの辞めたの?」
「なんでって……。君に振られたからでしょ」
戸惑いながら、そう告げる夏目に、そりゃあそうだと納得する。でも。
「でも。だからって、完全に無視しなくたっていいじゃないか。前まであんなに鬱陶しいくらい引っ付いてきたくせに……」
「もしかして、さみしいの?」
「……そんなんじゃねえよ」
そっぽを向く俺の手を、夏目が優しく包み込む。
「確かに君のことを意識的に避けてる。でも、君の側にいるといつまでも君のことを意識したままだからさ。それはきりはくんに申し訳無い」
触れたのも束の間、そのまま静かに降ろされた手は、ぽんぽんと優しく叩かれ、離される。
「だから、これだけは、ごめん。我慢してほしい。君とは友だちじゃあいられないんだよ」
「なんだよ、それ……。お前、俺のこと諦めんなよ、前みたいに一緒にいろよ!」
「君たちは本当にわがままだね」
「もう無理なんだよ。3人で仲良しってのは。糸が絡まりすぎてて」
「そんなの……」
俺が夏目の告白を受けていれば、きりはは許してくれた?
俺がきりはを好きなままでいたら、夏目はどうした?
違う。そんなIFじゃなく、俺が今、二人を黙って見つめればいいだけの話なのに。
「じゃあ僕は行くね。ごめんね、“篠井くん”」
俺は、噛ませ役なんだから、ちゃんと演じないと。
噛ませ役らしく、二人とも俺を裏切ったんだから幸せに、って憎ったらしく言わないと。
俺は……。
はしっ。
「しの……結っ?!」
夏目が振り向いて血相を変える。
「え、」
ぼろっ。
大粒の滴が目からこぼれ落ちる。
「な、」
俺は、泣いてる……のか?
「な、んで、ちが、これは、」
止めようとするのに、どんどん熱い水が溢れる。
それに、自分の手が夏目のシャツを掴んでいるのに気づく。
引き留めたのかよ。無意識に?
そんなの……。
「大丈夫?」
喋ろうと口を開いても声が震えて。
いたたまれなくなって背を向けようとしたが、夏目の手が伸びてきて、そのまま抱き締められる。
彼の胸にくっつくと、色んな感情が、一斉に溢れ出して……。
『キーンコーンカーンコーン……』
始業のベルが鳴る。
「ごめん、さっきのはちょっと言い過ぎたよ。意地悪だったね」
「俺こそ、悪かった」
涙が枯れ、ようやくまともに喋れるようになった頃には、すっかり夏目のシャツは濡れていた。
「やっぱり、なるべく3人でいれるようにがんばるよ。僕が君を想わなければいいだけなんだから、ね」
「俺のこと、今も好きなの?」
「はは、意地悪だね。そうだよ。今だって、どきどきしてるよ。聞こえるだろ?」
「ん、」
確かめるべく夏目の胸に手をあてる。
「そういうサービスはやめてほしいんだけどなぁ」
「……」
照れているらしい夏目の手を静かに取る。
「?」
「俺だって」
その手を胸に持っていく。
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「え、」
どくりどくりと夏目に負けないくらい早鐘を打つ自分の心臓。
夏目の手をぎゅっと握って、夏目を見上げる。
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そう言って微笑んだ夏目の手が、俺の首を撫で上げる。
その所作に身じろぐと、夏目の喉がごくりと鳴る。
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「ちょ、ちょっと待って。あのさ、それってさ、自惚れていいの? 結は、僕が、」
「ああ、好きになったよ。ほんっと最悪だよ、男のお前に、こんなにどきどきするなんて……」
「ゆ、結……。ほんと、ど、どうしよ、嬉しい」
「ぷ。なに泣きそうになってんだよ」
ぷるぷる震えながら、目に涙を溜める夏目に、思わず吹き出す。
「だって……」
「お前は大袈裟なんだよ」
「結だって泣いてたくせに」
「……うっさいな」
「結……」
そのまま流れるようにキスしようとする夏目の顔を、ぐいと押し返す。
「ま、待て待て」
「なに?」
「きりはに申し訳ないから……!」
自分の立場はわかってる。きりはを好きだって言ってながら、恋人を奪うだなんて。吐き気がするほど最悪な……。
「それは大丈夫。心配するな」
「いや、待てって。いくらなんでも許してくれな……」
「ったく。ほんと二人ともずるいよね」
「……っ!? きりは……!?」
いつの間にか傍に立っていたきりはに、心臓がひっくり返りそうになる。
「あ。ほんとだ」
「何をのんきに……! 離れろ馬鹿!」
抱きついたままの夏目を引き剥がそうとするが、すでに遅く。
「二人ともいないから、探しに来たらさ。まさか抱き合ってるとはねえ」
「ご、ごめん。あの、きりは、」
「許さない」
きりはの冷たい瞳とかち合い、身を震わす。
「ボクはこんなにも縁くんが好きなのに。結だって、最初は縁くんのこと何とも思ってなかったくせに……。横取りするなんて!」
「ごめん、ごめん……。でも、俺、本当に夏目のことが……」
「ぷ、あははは!」
「へ?」
いきなり笑い出したきりはに呆然とする。
「如月くん、やりすぎ」
「ごめんごめん」
「え……?」
呆れたように告げる夏目と、無邪気に謝るきりはを交互に見つめる。
「ごめん。僕は君のことを騙してたんだ」
「まず、如月くんは別に僕のことを愛していない」
「え……?」
「憧れてるって言っただけなのに。結ってば、妙な勘違いするんだもん」
ぷんぷんと頬を膨らませて怒るきりは。その姿はやはり可愛い。
「憧れてるって……」
「ボクは男らしくなりたいだけなの! でも、さすがに熱血! って感じのはボクに合わないなって思ってて……。それで、出会ったのが夏目くん! 王子様みたいな振る舞いを見たとき、びびっときたんだ! ボクが目標にするべきは夏目くんだ! ってね」
「え、ええ……?」
確かに夏目を羨む気持ちはわかる。男なら誰でも憧れるだろう。でも、まさかきりはまでそんなことを思ってたなんて。
「それを僕が利用した。結が振り向いてくれるよう、如月くんにも協力してもらって、話の辻褄を合わせたんだ」
未だ俺を抱きしめて離さない夏目が申し訳なさそうにそう告げる。
「なんだそれ……」
「ごめんね、結」
「でも。こうでもしないと、結くんは振り向いてくれなそうだったからさ」
「俺はずっとやきもきしてたってのに……」
「幻滅した?」
「お前、必死すぎ。そんなに俺のこと好きなのかよ……」
「そりゃあ。言葉で表せないくらい」
夏目が頬に口づけを落とす。
「やめろって」
「嫌だった?」
「……嫌ではないけど」
「全部許してくれる?」
「……惚れさせた責任取れよ?」
「喜んで」
*
甘い空気の中、ボクはひっそりとその場を退散した。全く、二人ともボクがいることを完全に忘れてるな。
「で。最近はどう?」
「うん。見ての通りラブラブだよね」
「くっつくな。寝てろ」
「え~? 昨日散々結くんと寝たからなあ」
「永遠に眠らせてやろうか?」
「ベタだな~」
放課後、久々に二人のデートにくっついてきたボクは、二人の甘い会話に苦笑しながら、パフェをすくって食べる。
「もうね、結くんが可愛いのなんのって」
「可愛いとか言うな」
「ほんと夏目くんってば結のこと好きだよね」
「最初は俺に、めちゃくちゃ食って掛かってきたけどな」
「だから、あれは作戦のうちなんだってば」
「俺の中でお前の第一印象最悪だったからな」
「え~? それはどうかな」
う~ん。やっぱりノロケを聞きながらのパフェは胃もたれしそうだ。
「というか、夏目くんってなんで結のこと好きになったの?」
「ん~?」
「それ、俺も聞きたい」
「そうだね。そろそろいいかな」
そう呟くと夏目くんが、おもむろにバッグから何か取り出す。
「これ」
手のひらには、ちょこんとくたびれたクマのマスコットが乗っていた。
「ん? 随分古いマスコットだね」
「ほんと。って、ん……?」
「結、どうかした?」
「え、なんでお前がこれ持ってんの?!」
珍しく結が動揺を隠しきれないといった様子で声を荒げる。
「うん。迎えに来たよ。“ゆいくん”」
王子様にはまだなれてないかもだけど、と意味のわからない言葉を呟いた夏目くんが結に向かってクマを差し出す。
「は……? いや、待てよ……。それ、きりはのだろ?」
「え?」
食い気味に見つめられたボクは、ぶんぶんと首を振る。
「結くん、これは正真正銘僕のものだよ」
落ち着いた声で、夏目くんが結を諭すように言葉を紡ぐ。
「もっと言うなら、君がくれたもの、だ」
「う、嘘だろ……」
「え、なに? 話が見えないんだけど」
クマに全く見覚えのないボクは、ついに耐え切れなくなってそう切り出す。
「これ」
すると、結がバッグから何か取り出し、おずおずと手のひらを開く。
「ペアマスコット?」
同じくらいくたびれたそれは、夏目くんのクマと同じもので。クマの不自然に曲がった手をもう一方のクマと合わせてみると、ハートが完成するという、ペアマスコットだった。
「嘘だろ……。だって、あれは、きりはとの約束で……」
「結くんってば、やっぱり覚えてなかったんだね」
「待って……。うう、もしかして、記憶が、こんがらがってるのかも……」
目をぐるぐるさせながら、必死に思い出そうとしている結の肩を夏目くんが抱き寄せる。
「“絶対ボクのこと覚えててね。絶対、また会おうね……!”って言って別れたんだけど……。ま、小さかったから覚えてないよね」
「あ……。そうだ、あれは……“ゆかりくん”?」
結が確かめるように紡ぎ出したその言葉に、夏目くんの目が見開かれる。
「思い出して、くれたんだ……」
「あ、あれ……。じゃあ、もしかして、あの、結婚しようとか言ってた記憶は……」
「僕との記憶だね」
「うっ……」
「え~っと」
再びついていけなくなったボクは、しぶしぶ唸ってみせる。
「僕と結くんは幼稚園のときに仲良かったんだ」
「幼稚園……」
「男同士なのに結婚しようとか言ってたんだよね。結くんがお嫁さんになる~とか言ってさ。可愛かったな」
「ばっ……それは、ちっちゃい頃の話で!」
「僕は小学校上がる前に引っ越すことになってさ。でも、結くんが可愛すぎるから、絶対帰ってこようと思ってたんだよ」
「お前、ストーカーかよ」
「それ、結くんが言う?」
「う……」
「ていうか、僕と別れてから堂々と浮気とか。しかも、同じく転校シチュエーションでさ」
「え、もしかしてボクのこと?」
「あ~! それは、なんていうか。だって、お前、男はノーカンだし……」
「如月くんも男だけど?」
「ああああ! もう! 蒸し返すなよ! 悪かったって!」
「別に、悪くないけどさ。まさか結くんまで引っ越しちゃうなんて思わないし。結構結くんのこと探すの大変だったんだからね?」
「戻ってきただろ」
「如月くんのためにね」
「それは……。お前のことも、ちょっとは気にしてたから……。いや、ほんとにちょっとだけどな。もし帰ってきてたら、黒歴史を謝ろう程度のあれだけどさ」
「え、それほんと?」
「ああ」
「でも。黒歴史扱いかぁ……」
「……だってそうだろ」
「僕はずっと結くんとの約束を胸に生きてきたのになぁ……」
「だ~、もう! 今思い出しても黒歴史なんだから、しょうがないだろう!?」
「うう……。酷いよ、結くん……」
「……でも、まあ、あの時の俺は……確実にお前のことが好きだったけど、な」
「え?」
「じゃなきゃこんな汚れたマスコット持ってねえよ。……そりゃ今はお守り代わりみたいなもんだけどさ」
「でも、その後、如月くんのことが好きになったんでしょ……?」
「だ~か~ら! それも勘違いだったんだって!」
「じゃあ、幼稚園の僕との約束も勘違いだった?」
「……お前は、昔っからかっこよかったし、男だと分かってて惚れてたんだよ! それに、今だって! 二回もお前に惚れたんだぞ?!」
「結くん……!」
「はっ。いや、今のは、口が滑ったっていうか……」
感動を抑えきれないといった様子で夏目くんが結を抱き潰す。
「え~っと。夏目くん、今度ボクに王子様らしい振る舞い教えてね!」
ようやく甘い甘いパフェを食べ終わったボクは、区切りの良いところで席を立つ。
「ちょっと待て、きりは、こいつをどうにかしてくれ……!」
助けを求める結に夏目くんが、ぐりぐりと頭を押し付ける。
「それじゃ、お幸せに!」
友人たちの幸せそうな奮闘を背に、ボクの足取りは軽い。
男らしくはないけれど、恋のキューピッドも悪くはないかな、なんて。
そんなことを思いながら店を出た先、足元にある水たまりを覗き込む。
そこには、いつものように可愛らしい顔をした自分が映る。いつもと違うのは泣きそうな顔をしているということぐらいで……。
家に帰るまで泣くのは我慢しようって思ってたのに。
「ボクって馬鹿だな……」
涙が出てこないようにぎゅっと強めに目を閉じる。
本当のことを言うと、ボクは夏目くんのことが好きだった。恋愛的な意味で、言った通り、一目惚れしたのだった。
でも、その想いも告げずに終わった。
「だって、夏目くんは最初っから結しか見てなかったもん。幼馴染って、敵いっこないよ……」
敵うどころか、ボクは夏目くんの嘘に付き合わされるし!
それに、結がボクを気にかけてくれてたように、ボクだって結のことを応援したい気持ちだってあった。だから。
「この想いとはさよならだ!」
閉じていた目をバッと開き、水たまりの前で助走をつけ、勢いよくジャンプする。が。
ばっしゃああん!
「うぎゃ!」
飛びきれず、水たまりに着地した足は滑り、バランスを崩したボクは勢いよく尻餅をつく。
「うう……」
やっぱりボクはダメな奴だ……。
今年に入って既に二回目のずぶ濡れっぷりに、自分でも心底不安になる。
雨が止んで尚、曇り続ける灰色の世界を水たまり越しに見つめる。
ああ、この曇り空もまるでボクの心みたいじゃないか。はは。
『大丈夫ですか?』
落ち込んでいたところに、いきなり手を差し出される。
「えっと……」
堪えきれずにいた涙が、水たまりに落ちて溶け合う。
見上げた空はいつの間にか晴れて、優しい陽の光が見知らぬ青年を照らす。
「わ……」
晴れた空に昇る太陽が水たまりを乾かしてくれるように、いつの間にかボクの涙も引っ込んで。
手を取ったその先に輝く笑顔が眩しくて、ボクの心が跳ねだして。
澄んだ空気の中、青い空には虹がかかっていて。
なんだか、すごく良いことが起こりそうな未来に、ボクの心は動き出した。
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