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(10)珈琲と影
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人の心が読めるカフェのマスター、黒鐘 響兎(くろがね きょうと)は謎の高校生、大神 白音(おおがみ はくね)に一目ぼれされてしまう。彼の想いは熱烈的。塩対応をきめていたが、成り行きで彼もバイトとして働くことになって……。
高校生×成人。人外要素あります。
最後の文、どうしても「糖分だけに!」っていうツッコみを入れたくなります。お後がよろしいようで。
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ある夏の日のこと。
からん。
ドアに取り付けられた鐘が来客を告げる。
こんな朝早くに珍しい。
普通のカフェなら、この暑さだ。涼みがてらに寄る客も珍しくないだろう。が。
ここは何と言っても立地が悪い。人気がないのもそうだが、普通に歩いていても見つけられない寂れた路地裏の片隅にぽつりと営業しているせいで、滅多に客が訪れないのだ。
しかも。
カウンター越しに客を盗み見る。
制服を着た少年。中学生だろうか。まだ髪も染めておらず、あどけなさが残る顔立ち。それが平日のこの時間――普通の学生ならば登校していなければいけない時間帯に、一人カでフェを訪れるなんて珍しいことだ。
それに。
「ご注文は何に致しますか?」
「それじゃあお兄さんのお勧めを一つ」
「……はぁ」
碌にメニューも見ずに少年がそれだけ告げる。生意気な。
一体何を考えてここに来てそんな注文の仕方をするのか。疑問は募るばかりなのだが、彼の心を見透かそうとしても中々上手くいかなかった。
「どうかしました?」
注文を取った後もその場から離れようとしない俺を少年が不思議そうに見つめてくる。
「あ、いえ。すぐにお持ちします」
誤魔化すように営業スマイルを浮かべてカウンターに逃げ込む。
やっぱりだ。彼の考えがわからない。
こぽりこぽりと下に落ちてゆく珈琲を見つめながら少年をもう一度見透かそうとするが。
「やっぱりだめだ……」
少年の心はやはり読み取れなかった。
こんなことを言うと、人に引かれるか嘘つき呼ばわりされるんだが、俺の中には確かに人の心を読み取れる力が存在していた。
誰にも信じてもらえない、こんな気持ちの悪い能力なんて捨ててしまいたいと思っていた。何度人生を諦めようと思ったかもわからない。それでも。それでも俺は生きてきた。
幼い頃はそのせいで色々と酷い目にあったが今ようやく、こうして細々と普通の生活ができるようになってきた。
俺はこれで幸せだ。最近は珈琲を淹れることを許されて、ますます仕事にやりがいが出てきた。
だけど、もし、この能力が消えてくれるのならば……。
「あ、」
珈琲を淹れる手をふと止め、気づく。
ココアとかの方が良かったよな……。いくら自信があるからって中学生には美味しくないよな……。
「珈琲で構いませんよ。僕はお兄さんのお勧めが飲みたいんです」
「え?」
まるで心を読んだみたいなタイミングで少年に話しかけられる。
驚いた。ああ、俺が今までしてきたことってこういう感じなのかも。確かに気味が悪い。
「えっと。それじゃあ砂糖とミルク多めにつけとくね」
「あれ、もしかして僕のこと子どもだと思ってます?」
「え、中学生じゃないの?」
「高校生です」
「そ、それは失礼」
むすっとした顔を見せる少年はやっぱり可愛げがある。
「それと、お兄さんのお勧めって、ブラックじゃないんですか?」
「あ~。うん、まあね」
「それじゃあ砂糖とミルクは要らないです」
「う~ん。そうかい?」
コト。
「お待たせいたしました」
多少迷ったけれど、注文通り、少年の目の前に珈琲を置く。
自分の淹れた珈琲の味がわからないような子どもに飲ませてやるのは癪な気もしたが、背伸びしたい気持ちはわからんでもない。それに、不味いと言われたならばこれ見よがしに砂糖をたっぷり入れてやろう。
「それじゃあ、いただきます」
少年がゆっくりとカップに口をつける。
「おいしい!」
「え、そうかい?」
「うん。こんなに美味しい珈琲は初めて飲みました!」
「それは、はは。ありがたい」
曖昧に笑いながら、背中に砂糖の瓶を隠す。
ふと少年が心から美味しいと思っているのがわかったからだ。
「どうかしました?」
「え、いや……」
最初こそ心が読めないと思っていたが、いつの間にか、いつも通りに心が読めるようになっていた。
きっと、さっきはどうかしてたんだろう。俺が人の心を読めないなんて、あり得るはずがないのだから。
「ふぅ、ごちそうさま」
あれこれ考えているうちに、珈琲を飲み終わった少年が会計に移る。
「ありがとうございました」
「僕、お兄さんに一目惚れしちゃったみたいなんで、また来ますね」
「は……?」
それだけ告げた少年は、何事もなかったかのようにあっさりと帰っていった。
「最後の言葉、あれ、絶対ほんとだ……」
少年が去った後、どっと椅子に座り込む。疲れた……。
珈琲がおいしいと言われたのは、正直すごく嬉しかった。他の客からも言われたことはあるのだが、今までの中で一番純粋な気持ちだったように思う。
だが、あれはなんだ。あいつ、どう見ても少年だよな。男だよな。
こんがらがる思考の中で蘇るあの感情。それは珈琲が美味しいと言ったときのものより情熱的で、真っすぐで、眩しいほど響いてくる気持ちだった。
あんなに真っすぐな好意を今までに向けられたことがあっただろうか。
そのくせに去り際は妙にあっさりしていて。
「本当に、変な客だったな」
「僕、お兄さんの淹れる珈琲、好きだなぁ」
「……それはどうも」
うっとりと見つめてくる少年の視線から逃げるようにそそくさとカウンターへ向かう。
「僕、お兄さんのことも好きなんだよねぇ」
「それは……どうも」
その見え見えな好意に詰まりながらも愛想笑いを浮かべる。
「だからこうやって毎日飽きずに来てるんですよ? そうじゃなきゃこんな辺鄙な場所こないでしょ」
失礼だな。辺鄙な場所で悪かったな。
カップを拭きながら少年の口説き文句を聞き流す。このやりとりも、そろそろ定着しつつある。それくらいに少年はこの店に通い詰めていた。
「……君、学生だよね?」
「おっ、さっそく僕に興味が湧きました?」
さっそくも何も、これだけ話しかけられたら、聞き流すのも疲れてくるんだよ。
「でも残念、学生ではないです」
「なんだ、ニートか」
いちいち反応がウザったい少年をここぞと鼻で笑ってやる。
「んー、言うなればお兄さんに会うのが仕事かな」
「……」
怯むことなく、にっこりと笑顔を浮かべる少年に多少の寒気を覚え、肩を擦る。
こいつ、何歳だよ。イマドキ寒すぎだろ。
「ね、いい加減教えてくださいよ。あなたの名前。あと、年齢。それからケータイの番号。住所、家族構成、今まで付き合った人の数。それから……」
つらつらとナンパの常套句を超えた質問をしてくる少年に、今度は眩暈を覚え、目頭を揉む。
「ね、聞いてます? せめて名前くらい教えてくれないと、貴方のこと、呼べないんですけど」
お前に教えるのはヤバい気しかしないんだよ! だから名前すら教えてないんだよ!
「答えてくれないとキスしますよ?」
「はぁ!?」
ちゃっかりとテーブル席からカウンター席に移動してきた少年が、カウンター越しに手を握る。
「いや、ええと。そもそも君の名前も俺は知らないし」
その手をやんわり解きながら、思い返すとまさしくその通り。少年に関する知識は最初に来店して以来、何も更新されていない。
「あれっ。ああ、そういえばうっかり。僕ってばお兄さんに愛を伝えることに夢中で、自己紹介もまだでした!」
屈託なく笑う少年を見て、心の中で盛大にズッコケる。
「僕、大神 白音(おおがみ はくね)って言います。お兄さんだけは特別に『白音』って呼び捨ててもらっても構いません!」
「ああ。大神くんね」
「む~。呼び捨てでいいって言ったのに~!」
「それで。君はいったい何をしてるんだって?」
「だから。僕はお兄さんを口説いてるんですってば!」
「……まあ、俺にどうこう言う資格なんてないけど、若いうちはちゃんと学業に集中してた方がいいよ。ここでの飲食代だって、毎日通えば馬鹿にならないだろう?」
「え、お兄さんってば僕の頭と財布まで心配してくれるなんて、ああ、やっぱり好き……!」
これは、あれだ。多分関わっても無駄なやつだな。
「あ、お兄さんってば! 僕まだ名前聞いてないです!」
「君には教えないよ」
「う~ん! いけずなところも好き!」
「はい。会計、ランチ一点で500円ね」
「え~、勝手に勘定しないでくださいよ~!」
『すみません……。とにかく、もう辞めるんで』
「あ、ちょっと待っ、」
ツーツー。
「まじか……」
ため息をつきながら、受話器を力なく下す。
「どうすんだよ、ただでさえ人手不足だってのに」
「どうかしたんですか?」
朝からずっと居座っていた大神が、優雅にカップを傾けながら聞いてくる。
「……いや、バイトの子がね、急に辞めちゃってさあ」
こいつに話すと厄介なことに成り兼ねないので迷ったが、愚痴りたいという欲求に負けた。
「えっ、お兄さん、もしかしてその子に惚れてたんですか?!」
「違う違う。ただ、今日は忙しくなりそうだから、その子のシフトも入れてたんだ。それが、急に来ないだなんてさあ。イマドキの若者はこれだから……」
案の定、どうかしている大神の見解を否定してやる。どうやったら女学生に俺が惚れてる設定になるんだ。全く。本当にイマドキの若者の考えがわからん。
こちらの気も知らないで、大神は本日何杯目かの珈琲をごくりと飲み干し、不敵な笑みを浮かべると。
「それじゃあ、僕で良かったら働きましょうか?」
こちらが思ってもみない提案をしてのけた。
いや、それ絶対今以上に面倒くさいことになるだろ……。現に聞こえてくる彼の本心は、下心丸出しで……。
「どうするんです?」
そう問いつつも、大神がわざとらしく横目で壁掛け時計を見やる。
つられて確認した時刻は、既にランチタイムに差し掛かろうとしていて……。
からんからん。
店のチャイムが鳴り響くと、OLであろう女性客2名が入ってくる。
……仕方ない。
「ごめん。頼めるかな?」
「まっかせてください!」
「悪かったね。いきなり働かせて。疲れただろう?」
何とか乗り切った閉店後、労いの意を込めて淹れた珈琲を大神の前に置く。
「ちゃんとバイト代も出すから、待ってて」
「別にいいです。僕はただお兄さんを助けたかっただけなんで」
「いや、でも、そういうわけには……」
珈琲に口をつけながら、さらりと断る大神に、嫌な予感を覚える。
「どうしてもって言うんなら、お兄さんの情報ください。もしくは愛情ください」
「えーっと」
明らかに後者は無理だ。いつも通り、変態的な大神に辟易しながら返しを考えあぐねていると。
からんからん。
小気味よい鐘の音が静かな店内に鳴り響く。
反射的にそちらを向くと。
「キョウちゃん、今日は大変だったらしいわね。おつかれちゃん!」
「げ、姉さん」
入って来るや否や、姉さんは背中を強く叩き、豪快に笑う。
「キョウちゃん……?」
その一連の行動を不思議そうに見守りながら、大神が噛みしめるように呟く。
「ってあら。そっちの子は?」
「いや、この子は、その、今日手伝ってくれた子で」
「あらあらまあまあ。可愛い子! お名前は?」
「大神 白音っていいます」
「うふふ。私は黒鐘 涼香。こいつの姉よ。よろしくね」
「姉さん!」
「何よ、響兎」
「……黒鐘 響兎! お兄さんの名前、ようやくゲット!」
ああ、遅かった。べらべらと人の個人情報をバラした姉さんを睨んでやるが、睨み返され、あっさり蹴落とされる。
「アンタもしかして、白音くんに名前も教えてなかったの?」
「ええと、それは」
「白音くん、今日のバイト代渡すから、こっちおいで」
「あ、は~い!」
言い訳する暇もなく、大神に手招きする姉さんをじっとりと見つめる。
これはマズイ。姉さん、絶対大神のこと気に入ってるだろ。
「ね~、白音くん。よかったらこのままウチでバイトしない?」
「姉さん!」
案の定最悪の提案をしてのける姉さんに、思わず声を荒げる。
「だって、白音くん可愛いんだもの」
「あの、僕でよければ是非」
コイツ……。
頬ずりされたまま、姉さんに微笑む大神は、まさにお姉さんキラーと言っても過言ではない可愛い少年っぷりを見せた。
「それじゃあ、改めて。よろしくお願いしますね、響兎さん」
そのまま切って貼った笑顔をこちらに向けられ、握手をせがまれる。
「いや、名前呼びはちょっと」
「でも、涼香さんと区別がつきませんし」
心の中で舌を出して調子に乗っている様子がよくわかる。
「ほら、アンタも挨拶しなさいよ」
姉に肘でどつかれる。
「よ、よろしくね、大神くん」
「はいっ!」
ひきつる頬の筋肉を押し上げながら、何とか伸ばした手は、大神に勢いよく引っ手繰られる。
眩しい笑顔と、見てるこっちが恥ずかしくなるぐらいの恋心を向けられると、いよいよ大神が直視できなくなって。
ほんとに、なんで俺なんだ。頼むから姉さんに乗り換えてくれ!
「いや~。白音くんのおかげで商売繁盛だわ!」
集計データを見つめながら姉が高笑いをきめる。
ここ最近、客足が伸びた。その理由は必ずしも彼のおかげとは言えないが、確かに、彼目当てで通うようになった客が少なからずいる。
なんでも、OLのお姉さんに受けが良いそうで。社内で話題になったから一目見ようと来店した、なんて女性客もいたほどだ。
確かにあの可愛らしい顔つきは母性をくすぐるというやつなのだろう。羨ましい限りだ。
「アンタも白音くん見習って、もう少し愛想配んなさいよ!」
「いつも配ってるだろ」
「んじゃあ色気を配れ! 口元の黒子は飾りか?!」
「そんなもん配れるか。黒子とか関係ないだろ。ったく。大体、これ以上忙しくなるのはごめんだね」
そうだ。俺には俺のペースってもんがある。今までは一人で店を切り盛りしてたんだ。
それが今更、あんな恋愛狂いの変態高校生に邪魔されるなんて、ごめんだ。
何が売り上げアップだ。
「くそ、俺だって。前より珈琲淹れるの上手くなっただろ……」
姉さんの居なくなった店内でぽつりと呟き、自分の淹れた珈琲を飲み干す。
「……まだマスターの味には遠いんだろうな」
昔、飲んだ珈琲の味を思い出す。
幼い頃の俺は、人の心を読めるのが当たり前だと思っていた。
両親は、事あるごとに俺のことを気味悪がった。
そして、それは次第に両親のストレスとなり、夫婦仲を引き裂き。
離婚した両親は俺を引き取ることで揉めた。
『この子を引き取るくらいなら、私は死んだ方がマシよ!』
『オレだって、こんな気味悪いのが自分の子だなんて考えたくもない。殺せるんだったら殺してるさ!』
『やっぱり、この能力のこと、マスコミでもなんでもいいから売って、どっかの機関に預かってもらった方が……』
『馬鹿、そんなことしたら、オレたちも化け物呼ばわりされるだろうが!』
『ほんと、どうして私たちの子が……私はただ、普通の子が欲しかっただけなのに、こんな化け物……!』
幼い俺の目の前で遠慮もなしに叫び散らす両親。
心にはとっくに愛情なんてものはなく、あるのは強い恐怖。そして嫌悪。
自分が化け物だと呼ばれているのに、なんだかそれも他人事のように思えて、俺は涙さえ零せなかった。
ただただ心は穴が開いたように何もなく、感情というものがわからなかった。
次第にヒートアップしてゆく口論。その影がゆらりと揺らめき、こちらに手を伸ばす。
ああ、自分は殺されるんだ。
両親の目を見たとき、静かに悟った。
彼らの心は、まるで“化け物”に取り憑かれたみたいに狂っていた。
首を絞められても抵抗しない俺に、両親がさらに恐怖する。
死んでもいい、とその時の俺は思った。
俺を生んだ人たちが俺をいらないといった。
それならば。
『おい、お前たち、何してる?!』
結局、俺は死ななかった。
俺はその後、両親を止めた老人の元に引き取られることになった。
その遠い親戚だった老人が、この店の元マスター。姉さんの祖父で。
マスターは俺を引き取った後、色んなことを教えてくれた。
マスターは皆から好かれていて、化け物の俺にも分け隔てなく接してくれて。
俺は、あの人のようになりたかった。
全てを包み込むような優しさ。それが滲み出た珈琲の味。
いつか自分も、と。
感情のなかった化け物が人間の真似事をして歩き出した。
『おい、このサンドイッチ、ワシは玉ねぎを抜けって言ったよな』
「すみません! すぐお取り換えいたします!」
『取り換えればいいってもんじゃない! 食材を無駄にするつもりか?!』
「ですが、」
昼下がりの店内に響く初老の男の叫び声。
「どうか致しましたか?」
慌ててその場に駆けつけると、男はギロリとこちらを睨む。
『お前がこれを作ったのか?!』
「は、はい」
『ワシはな、玉ねぎが嫌いなんや。それがこんなに入ってて食えると思うか?』
「私のミスです。すぐにお取り換え致しますので」
『あのな、さっきも言ったけどなあ、食材も無駄。時間も無駄。アンタ、いい大人のくせしてこんなミスして恥ずかしくないんか? え?』
「すみません」
『謝ることしかできないんか?』
「私にできることでしたらできる限りのことは尽くしますので、どうかお許しください」
『それじゃあ土下座じゃ。土下座せえ』
男が顔を真っ赤にしながら床を指さす。
……これは、面倒臭いことになったな。土下座、するべきだろうか。
「土下座って。結局謝らせる気満々じゃないですか」
対応に迷っていると、大神が腕を組みながら鼻で笑う。
「大神くん……!」
それを窘めようとするが、時遅く。
『なんか言うたか坊主。お前もこんな店辞めた方がええぞ。こんな人を馬鹿にしたようなお兄ちゃんがいるんや。すぐに閉店や』
失礼な奴だな。別に馬鹿にしてないし、玉ねぎぐらいで閉店してたまるか。あ~、これなんて答えたらいいんだ。やっぱ土下座か? 土下座しかないのか?
「失礼ですが、僕はさらさら辞める気なんてありません。それと、響兎さんはすごく良い人です。真面目で優しくてかっこいい、僕の憧れの人です。この店だって僕は大好きです」
「お、大神くん……」
大神の言葉が涙腺にぐっとくる。自分のみならず、店まで褒めてくれるなんて。こいつ、ただの変態だと思ってたけど、中々いい奴だな。
『なんや坊主! ワシはお前のためと思って言ってやったのにその態度は!』
その一言で、店内の気温が氷点下まで下がったような気がした。女性客の冷たい視線が、いっきに男に突き刺さったのだ。
『な、なんや、ワシが悪者かい! もうこんな店二度と来んからな!』
たじろいだ男は、きょろきょろと落ち着かない様子で怒鳴ると、金をちょっきり置いて店内を出てゆく。
「響兎さん、」
「ありがとうね、大神くん。……皆さんも、お騒がせして申し訳ございませんでした」
心配そうに声をかけてきた大神に微笑んでやった後、お客様に頭を下げる。
『マスターが悪いわけじゃないですよ!』『ヤな感じの客だったもんね』『ほんと、ああいう奴無理』『マスターも大神くんも気にしないでいいですよ』
「ありがとうございます。お詫びと言っては何ですが、皆様にはデザートをお付けいたしますので――」
「アンタ、店でやらかしたんだって?」
「ごめん」
店を閉めた後、さっそく姉さんに例の件についてツッコまれたので、素直に謝る。
大神の言葉が聞き取れなかった。だけど、それを曖昧なまま聞き返さなかった。たったそれだけのこと。それだけのことができなかったのだ。
「白音くん、今日はウチに泊まってきな」
「いいんですか!?」
「な、なんで」
何の脈絡もない姉さんの誘いに思わず聞き返す。
「響兎、誰のせいでミスしたと思ってる? アンタがいつまでたっても白音くんとコミュニケーションがとれないからこうなったんでしょ? 少しは距離を縮めろ、いい年してコミュ障してんじゃないわよ、ったく、これだから元引きこもりは」
「っ、わ、わかったから……。大神くん、ごめんね、急に」
「いえ。むしろお誘い嬉しいです! ありがとうございます!」
その爽やかな笑みに隠れた下心に眩暈を覚える。
「う、うん。お手柔らかにね」
「うわー見事に殺風景ですね、あ、でも本がいっぱい」
大神がきょろきょろと部屋の中を見回す。
「面白いものはないよ?」
まあ、彼には何でも面白く映るのかもしれない。なにせコイツは。
「十分面白いですよ。響兎さんらしくて、僕は好きだなあ」
嫌というほどに言葉に込められた想いが伝わってくる。
その真っすぐな恋が怖かった。
あの時、聞き返すのを躊躇ってしまったのは、彼の想いが怖かったからだ。普通なら秘められるべきそれが、重たかった。
彼の心さえ読めなければ。どんなに楽に愛想笑いできるだろうか。何度恨んだって恨み切れない自分の能力。
そして、いつも自分の能力のせいにしてしまう自分の弱さが恨めしかった。
マスターならばきっと、こんな揉め事起こさなかったんだろうな。
近づきたいと思っているのに、比べるほどに自分の未熟さが露呈してゆく。
「響兎さん、ごめんなさい。今日のミスは、僕が気づかなかったのが悪いから」
ふいに大人しくなった大神が申し訳なさそうに俯く。
「いや、あれは完全に俺が悪いんだ。すまない」
気まずい空気が二人の間に流れる。
あ~。年下にこんなに気を遣わせるとか。ほんと、情けない大人だな。こんなんじゃ、きっと大神も呆れて……。
「響兎さん、僕はあなたが好きです。だから、僕はあなたにもっと近づきたい。だから、あなたも僕に近づいてほしい」
手を取られる。顔を上げると、真剣な眼差しがそこにあった。
そして、彼の心には呆れなどなく、依然として真っすぐな恋が存在していて……。
「……そんなこと、まだ言って、」
「僕は本気ですよ!」
食い気味に反論してくる大神に少しびっくりする。
本気なのはわかるんだが、どう考えたってそんな想いは、無駄なだけで……。
「信じてませんね。わかりました」
「えっ」
どすっ。
いきなり伸し掛かられ、ベッドに倒れ込む。
抵抗しようと思ったが。
「な、んっ……?!」
すっ。
唇を押しあてられる。
「やめ、ろっ!」
「おっと」
殴ろうとしたが唇はあっさりと離され、空振りになった。
「僕は、あなたのこと、大好きなんですよ」
「大神、くん……。俺のことそんな風に想ったって、いいことないよ?」
「損得勘定じゃありません」
静かに睨む大神に圧倒され、言葉に詰まる。
「返事は要りません。でも、少しでも僕のことを考えてもらえたら嬉しいです」
「それは……。俺は、君の想いに応えられないよ」
「どうしても?」
頬に触れる大神の手を掴んで離す。
「俺は、君が思うほどいい人間じゃあない。今日だって……」
「僕の気持ちは変わりませんよ。たとえ貴方がどんな人間だろうと。僕は全てを受け入れてみせます。どんな響兎さんでも、僕は愛してみせますから」
「大神くん……!」
そんな感情は間違ってる。少なくとも、僕に向けられるようなものではない。だって、俺は化け物で……。
「僕はあなたの側にいて想うことを許していただけるならそれだけで十分です」
諭そうとする前に、大神が先手を打つ。
くそ、そんなしおらしく言われたら、何も言えなくなるだろうが……。
「僕も、これ以上は我慢します。だから、今日はとりあえずここで寝かせてください」
安心させるように、ふわりと笑う大神に手を取られる。
「わかった」
ため息をつき、大神の気が済むまで手を握らせる。
ああ。彼も俺の能力を知ったらきっと、気味悪がって離れていくんだろう。
彼の中から流れてくる自分への愛情。それが心地よくて。
ずっと、このまま人間でいられたら、化け物だとバレなければ。
彼と一緒にいる選択をしてもよいのだろうか……。
幼い頃、俺はこの力が本当に嫌だった。
皆、結局嘘つきで。人間はとても汚くて。恐くて。
外に出るのが、人に接するのが嫌になった。
そうして、一人きりでいる時間が多くなった時、それは現れた。
「君は誰?」
俺はその異形に躊躇いもなく声をかけた。
影のように黒く揺らめくそれは、俺にとって人間ほど怖くなかった。
それは心の読めない怪物だったから。
喋ることもしないそれを、俺は友達とした。
それに話をしている間が、俺にとって一番楽しかった。
「僕も化け物だったらよかったのに」
いつだったか、そんな言葉を投げかけた。
人間なのに化け物扱いされるのなら、いっそのこと人間の言葉のわからない化け物に生まれたなら。そして、この子と本当の友達になれたのならば。そんな浅はかな考えが口をついた。
それを受けて、ゆらりと影が揺らめいた。
「ごめん。君だって辛いよね」
表情のわからない影だけど、その時はどうしてか傷ついたように思えた。人間の言葉を理解しているのかも、感情があるかもわからないけれど、確かにその揺らめきは俺を後悔させるのに十分だった。
「僕は君にだったら食べられてもいいな。ううん、君に食べられたい。そうしたら、もう僕はこんな世界で苦しまなくて済むんだ」
人間にも化け物にもなれないのならば、いっそ友達の餌になって早く死んだ方が幸せだ。そのときの俺は本気でそう思った。
そして、影もそれをすぐに受け入れてくれるだろうと思った。何となくだけれど、影は獲物を探していたような気がしたから。
でも、結局その日を最後に影は現れなくなった。
子どもによくある話だ。きっと僕の妄想の産物だったのだろう。
だけど、今でも時々あの頃の夢を見るのだ。あの影に自分が食べられてゆく夢を。
「響兎さん、大丈夫ですか?」
「ん、あれ、大神くん」
大神に肩を揺さぶられ、夢から覚める。
「お疲れみたいですね。うなされてましたよ」
「ああ。うん」
あれから数か月が経ち、大神の働きぶりもだいぶ板についてきた。
正直、ここまで使い物になるとは思っていなかったし、かなり助かっている。
もちろんそれは仕事に限ったことではなく。
「ごはん、できましたよ」
「ごめんね、いつも作ってもらっちゃって」
「いえ、響兎さんのお役に立てて嬉しいですし」
いつの間にか大神と一緒に暮らし、家事を任せるまでになっていた。
元々は姉さんと住んでいたこの広めの部屋。それが勿体ないと、部屋を探していた大神に姉さんが勝手にシェアするよう提案したのだ。
最初は警戒した。なんせ自分にあれこれしたいと日々想ってるような変態と一緒に住むなんて、自殺行為だ。だけど、それは杞憂に終わった。彼は先の宣言通り、側にいて、想いを心に留めておくことしかしなかった。
「は~。大神くんはきっといい旦那さんになれるよ~」
「響兎さん、酔いすぎですよ」
夕食後に姉さんから貰った酒を上機嫌で煽る。
「大神くんのごはんはおいしいし、お店も手伝ってくれるし、珈琲おいしいっていってくれるし」
ふわふわとした思考の中、目を瞑りながら指折り数えると、本当に大神には感謝しかないと思えた。
「なにより、俺のこと、好きって言ってくれるの、嬉しいんだ」
「それは、つまり僕のことが好きってことですか?」
そっと手を包まれ、なぞられる。
「ん~? それは、う~ん?」
首を傾げて考える。大神のことは嫌いじゃない。いや、むしろ、最近は。
「響兎さんは僕のことが好きだ」
「えっと、うん、うん……?」
唇が近づく。
「目、閉じて」
「ん……?」
言われるがまま目を閉じる。
そして。
「やっと、あんたを食べる準備ができましたよ」
耳元で囁かれたその言葉に目を開くと、大神が目の前でぱちりと指を鳴らす。
「わっ」
それに呼応したように現れた黒い影が、両手を縛りあげる。
「こんな片思いごっこも、もう終わり」
髪を掻き上げ、冷たい視線でこちらを見下すその男は、本当にあの大神なのだろうか。
そんな疑問が湧くほどに、今の彼はどこまでも暗く、まるで死そのもののようだった。
「残念だけどさ。僕、あんたのことは何とも思ってないんだよね」
耳に届くその言葉の意味がよくわからない。いや、わかりたくもない。それなのに、恐怖に駆られた体は強張り、急速に酔いが醒めてゆく。
「あんたの珈琲だって好きじゃないよ。淹れ方がまるで素人。泥水みたい」
「大神、くん……?」
喉の渇きで掠れてた声。自分で紡いだその音が、何とも頼りなく、弱々しかった。
「はは。何その顔。かわいそー。僕のこと、信じてたんですね」
「な、に、言って、」
近づいてくる大神から逃げようとするのに、足が思うように動かない。
がぶり。
「っ!!!!!」
大神が肩に顔を埋めた瞬間、激痛が走る。肩を齧られたのだ。
「痛いですか? 食べられるの、恐いですか?」
「……っ!」
覗き込んでくる大神の瞳はまるで悪魔のように嗜虐的な輝きを放っていた。
「ああ、本当にムカつくよ。あんたのために本音偽って、人間の真似なんかしてさ」
「まさか、嘘、だったってのか……?」
「そ。全部あんたを騙すための罠」
そんなことはあり得ない。俺の目をも騙す力があるなんて……。
いや、それは、相手が人間だったならば、だ。
「バイトちゃんを辞めさせたのも、客のおじさんが怒るように仕向けたのも、涼香さんが僕を気に入るようにしたのも。ぜ~んぶ、僕の力」
あらゆるところを噛まれ、意識が朦朧とする。
「大神くん、君は、いったい、何者なんだ……」
「さあ? ご想像にお任せしますよ」
にこりと笑う彼が、遠い存在のように思えた。
あぁ、本当にこの子は俺のことをなんとも思ってなかったのだろうか。
本当に人間でないのだろうか。本当に食べられてしまうのだろうか。
でも、それでも。
構わないかな。
俺は当の昔に。
彼のことが。
好きになってしまっていたのだから。
「なんで笑ってるんです?」
「え?」
あれ、俺は、笑ってたのか。
「それに、全然抵抗もしない」
「抵抗しても無駄だろう?」
痛みに耐えながら笑いかけてやると、無表情だった大神の眉がぴくりと上がる。
「だったら、もっと痛くしてあげましょうか?」
大神が傷口を舐める。
「っ!」
その痛さに顔を思わず歪める。
「良い顔するじゃないですか」
満足そう呟いた彼が舌を舐めずる。
「っ、大神くん……やめ、」
「やめませんよ。僕はあなたを食べるの、ずっと楽しみにしてたんですから」
執拗に傷口を刺激する彼の唇は、赤く染まりながら楽しそうに歪む。
「そう、じゃなく、て……。食べるなら、さっさと食べてくれって、」
「……」
その言葉に大神が黙り込む。
不思議に思ったので、その顔を覗き込んでみると、彼もまた同じくらい不思議そうな顔をして首を傾げる。そして、こちらの視線に気づくと、顔を歪ませて。
すっ。
何の前触れもなく唇を重ねられる。
「っ、やめろっ!」
「チッ。いいじゃないですか。食べる前に少しくらい遊んだって」
「食べ物で遊ぶとは悪い趣味だな」
「自分のこと食べ物とか言って虚しくないですか?」
「別に。そういう運命だったんなら、もういいよ。諦める」
この力のせいで大分苦労した。今こそ平和に暮らせていたが、この先もそうであるとは限らない。今こいつから逃げることができたとしても、自分は人間として生きていけるだろうか。この先、自分の中の化け物を抑えて生きていくのは苦しくないだろうか。
この世界、大した未練も残しちゃいない。
それならば。
「君の力になるんなら悪くないかなって」
「……馬鹿じゃないですか?」
きゅっ。
首を絞められる。
「かふっ、」
苦しい。息ができない。
あぁ、でも。
こんな終わり方でも、俺にとっては幸せなのかもしれない。
ふと両手が軽くなる。黒い影が取れたのだ。
そして。
すっ。
唇が重なる。
悪魔のやることは本当に理解ができないな。
「なるほど」
ふいに首から手が離される。
「ぐ、げほっ、ごふっ」
倒れ込み、せき込んでいると顔を持ち上げられる。
「やっぱりそうだ」
静かに呟かれた言葉の意味を考えていると、そっと指で目元を拭われる。
そこで初めて自分が泣いていることに気づき、慌てて目を擦る。
「なん、で、」
「やっぱり食べられない」
「え?」
「僕たち悪魔は自分に好意を持った者しか食べられないんです」
だからわざわざ貴方を魅了するべくあれこれ仕掛けたんですけど、と大神が力なく笑う。
「それなら、食べられるはずだろう」
その策に見事にはまってしまったのだから。
「違うんです。すごくおいしそうなのに食べられないんだ」
彼の影がゆらりゆらりと揺らめきだす。
「貴方は僕の非常食だった。ずっと昔に僕の印をつけておいたのに」
「印……?」
口元の黒子を撫でられる。ああ、そういえばこの黒子、いつの間にかできていたんだ。
「僕は君に好意を抱いてしまったから、今更食べるなんて。できるわけがないんだ」
ゆらり。一瞬彼の姿そのものが黒く大きく揺らめいて、昔の記憶を呼び覚ます。
「好意……? あ、君はもしかして、あのときの」
「なんだ。記憶があったのか」
そう、そうだ。あの影だ。幼い頃に友と呼んだあの影と別れた日から、この黒子ができたんだ。
「あれは、夢じゃ、俺の作り出した幻じゃなかったのか……?」
「違いますよ。僕は本当に存在してる」
ゆらりと揺らめきながら、彼は微笑む。
「信じられない……」
だけど、確かにその揺らめきはあの時の影を彷彿とさせる。
「貴方は友達だと言ったけど。僕はきっとあの時から貴方を愛していたんです。それこそ、食べてしまいたいほどにね」
「……だったら、さっさと食べてしまえばいい」
不思議と恐怖は感じない。それどころか。
「それは、誘ってるんです?」
「そんなわけあるか。そのままの意味だ」
「それができないから、こうして困っているんでしょう。僕は化け物失格だ。貴方にすっかり囚われてしまった」
困ったように微笑む彼は、化け物のはずなのに、よっぽど人間らしくて、眩しい。
「でも、貴方とならばこんな世界で人間ごっこも悪くはない」
「そんなこと言って、また心を偽っているんじゃないのか?」
彼から溢れ出す慈しみは、前にも増して、強いものだ。これが、もし偽りだなんて言われたら、今度こそ心が壊れてしまう。
「そんなことしても意味ないでしょ」
「でも、俺には、わからない……。いつもなら、人間相手ならわかるものも、君のこととなると、わからない……。だから、」
怖い。自分がどう思われているのかわからない。その経験したことのない――人間にとっては当たり前のことが、今更になって襲い掛かってくるなんて。
「いいや。貴方にはわかるはずだ」
「え、」
大神の目がこちらを見据える。
「僕は、貴方を愛している」
「っ……」
真剣な瞳でそう告げた彼は、口元の黒子に口づけを落とす。
その仕草の一つ一つが丁寧で、優しく……。
「わかってもらえました?」
柔らかい笑みを湛え、優しく問いかける大神から視線を逸らす。
そのまま傷つけられた箇所にも口づけが施され、あっという間に傷が癒える。
「僕はこれ以上貴方を傷つけません。痛い思いをさせてごめんなさい」
「大神くん……」
項垂れる大神の頭を撫でる。
「響兎さん?」
「大神くんこそ、わかってるだろ。俺だって君に囚われてる」
驚く大神の手を取り、手の甲に口づけてやる。
顔を赤くした彼が俺の手首を掴み、口づける。
「僕は、自分でも得体のしれないほどの化け物ですよ? それでも、いいんですか?」
「ふ、化け物同士お似合いだろう?」
黒子を触りながら不敵に微笑んでみせる。
「後悔しますよ?」
「どうだか」
「珈琲の味だってわからない化け物ですよ?」
「それは……。やっぱり味わからないんだ?」
「ええ。味覚が人間のものとは違いますから」
「そうか。不味いって言ってたもんね。ごめんね」
泥呼ばわりされたときはさすがに傷ついたが、そうか、味覚が違うなら仕方ないだろう。
「……でも、貴方が淹れてくれたってだけで、僕は嬉しかった」
だから不味くても飲むのやめられなかったんです、と呟く大神にぐっと息を詰まらせる。
「無理しなくても、今度からはもっと君に合ったものを作るから」
思わぬ健気さに、改善を約束し笑ってみせる。が。
「それなら」
「むぐ、なにす、」
いきなり顎を持ち上げられ。
「響兎さんをください」
「なっ、んむ……!」
貪るように唇を奪われる。
「っは、お、まえな、」
「だって、一番おいしいのは響兎さんですから」
ぺろりと口元の黒子を舐め、けろりと言ってのける大神。
その幸せそうな顔に、怒る気持ちも失せて。
「わかったよ、大神くん。君にあげるよ」
観念したように彼の胸に顔を預ける。
「えっ、ほんとですか?!」
「ただし、俺の淹れた珈琲も毎日飲んでもらうからね」
「は、はいっ! 喜んで!」
大神のきらきらした瞳に目を細め、頭を撫でてやる。
そして、目を瞑り、これから先の日々に想いを馳せる。
化け物二人が人間ごっこか。
そんな人生、悪くないどころか幸せすぎて。
唇が触れ合い、深く深く混ざり合い、溶けてゆく。
ああ、今度はもっと甘めのメニューを考えようかな。色々混ぜて、試作を二人で飲んで。それで大神の好きなブレンドを見つけてやろうか。そんで、珈琲を好きになってもらって……。
「好きです、響兎さん」
「ん、」
甘さでどうにかなりそうな頭で、へにゃりと微笑み、それに応える。
やっぱり砂糖は当分要らないのかもしれない。
高校生×成人。人外要素あります。
最後の文、どうしても「糖分だけに!」っていうツッコみを入れたくなります。お後がよろしいようで。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ある夏の日のこと。
からん。
ドアに取り付けられた鐘が来客を告げる。
こんな朝早くに珍しい。
普通のカフェなら、この暑さだ。涼みがてらに寄る客も珍しくないだろう。が。
ここは何と言っても立地が悪い。人気がないのもそうだが、普通に歩いていても見つけられない寂れた路地裏の片隅にぽつりと営業しているせいで、滅多に客が訪れないのだ。
しかも。
カウンター越しに客を盗み見る。
制服を着た少年。中学生だろうか。まだ髪も染めておらず、あどけなさが残る顔立ち。それが平日のこの時間――普通の学生ならば登校していなければいけない時間帯に、一人カでフェを訪れるなんて珍しいことだ。
それに。
「ご注文は何に致しますか?」
「それじゃあお兄さんのお勧めを一つ」
「……はぁ」
碌にメニューも見ずに少年がそれだけ告げる。生意気な。
一体何を考えてここに来てそんな注文の仕方をするのか。疑問は募るばかりなのだが、彼の心を見透かそうとしても中々上手くいかなかった。
「どうかしました?」
注文を取った後もその場から離れようとしない俺を少年が不思議そうに見つめてくる。
「あ、いえ。すぐにお持ちします」
誤魔化すように営業スマイルを浮かべてカウンターに逃げ込む。
やっぱりだ。彼の考えがわからない。
こぽりこぽりと下に落ちてゆく珈琲を見つめながら少年をもう一度見透かそうとするが。
「やっぱりだめだ……」
少年の心はやはり読み取れなかった。
こんなことを言うと、人に引かれるか嘘つき呼ばわりされるんだが、俺の中には確かに人の心を読み取れる力が存在していた。
誰にも信じてもらえない、こんな気持ちの悪い能力なんて捨ててしまいたいと思っていた。何度人生を諦めようと思ったかもわからない。それでも。それでも俺は生きてきた。
幼い頃はそのせいで色々と酷い目にあったが今ようやく、こうして細々と普通の生活ができるようになってきた。
俺はこれで幸せだ。最近は珈琲を淹れることを許されて、ますます仕事にやりがいが出てきた。
だけど、もし、この能力が消えてくれるのならば……。
「あ、」
珈琲を淹れる手をふと止め、気づく。
ココアとかの方が良かったよな……。いくら自信があるからって中学生には美味しくないよな……。
「珈琲で構いませんよ。僕はお兄さんのお勧めが飲みたいんです」
「え?」
まるで心を読んだみたいなタイミングで少年に話しかけられる。
驚いた。ああ、俺が今までしてきたことってこういう感じなのかも。確かに気味が悪い。
「えっと。それじゃあ砂糖とミルク多めにつけとくね」
「あれ、もしかして僕のこと子どもだと思ってます?」
「え、中学生じゃないの?」
「高校生です」
「そ、それは失礼」
むすっとした顔を見せる少年はやっぱり可愛げがある。
「それと、お兄さんのお勧めって、ブラックじゃないんですか?」
「あ~。うん、まあね」
「それじゃあ砂糖とミルクは要らないです」
「う~ん。そうかい?」
コト。
「お待たせいたしました」
多少迷ったけれど、注文通り、少年の目の前に珈琲を置く。
自分の淹れた珈琲の味がわからないような子どもに飲ませてやるのは癪な気もしたが、背伸びしたい気持ちはわからんでもない。それに、不味いと言われたならばこれ見よがしに砂糖をたっぷり入れてやろう。
「それじゃあ、いただきます」
少年がゆっくりとカップに口をつける。
「おいしい!」
「え、そうかい?」
「うん。こんなに美味しい珈琲は初めて飲みました!」
「それは、はは。ありがたい」
曖昧に笑いながら、背中に砂糖の瓶を隠す。
ふと少年が心から美味しいと思っているのがわかったからだ。
「どうかしました?」
「え、いや……」
最初こそ心が読めないと思っていたが、いつの間にか、いつも通りに心が読めるようになっていた。
きっと、さっきはどうかしてたんだろう。俺が人の心を読めないなんて、あり得るはずがないのだから。
「ふぅ、ごちそうさま」
あれこれ考えているうちに、珈琲を飲み終わった少年が会計に移る。
「ありがとうございました」
「僕、お兄さんに一目惚れしちゃったみたいなんで、また来ますね」
「は……?」
それだけ告げた少年は、何事もなかったかのようにあっさりと帰っていった。
「最後の言葉、あれ、絶対ほんとだ……」
少年が去った後、どっと椅子に座り込む。疲れた……。
珈琲がおいしいと言われたのは、正直すごく嬉しかった。他の客からも言われたことはあるのだが、今までの中で一番純粋な気持ちだったように思う。
だが、あれはなんだ。あいつ、どう見ても少年だよな。男だよな。
こんがらがる思考の中で蘇るあの感情。それは珈琲が美味しいと言ったときのものより情熱的で、真っすぐで、眩しいほど響いてくる気持ちだった。
あんなに真っすぐな好意を今までに向けられたことがあっただろうか。
そのくせに去り際は妙にあっさりしていて。
「本当に、変な客だったな」
「僕、お兄さんの淹れる珈琲、好きだなぁ」
「……それはどうも」
うっとりと見つめてくる少年の視線から逃げるようにそそくさとカウンターへ向かう。
「僕、お兄さんのことも好きなんだよねぇ」
「それは……どうも」
その見え見えな好意に詰まりながらも愛想笑いを浮かべる。
「だからこうやって毎日飽きずに来てるんですよ? そうじゃなきゃこんな辺鄙な場所こないでしょ」
失礼だな。辺鄙な場所で悪かったな。
カップを拭きながら少年の口説き文句を聞き流す。このやりとりも、そろそろ定着しつつある。それくらいに少年はこの店に通い詰めていた。
「……君、学生だよね?」
「おっ、さっそく僕に興味が湧きました?」
さっそくも何も、これだけ話しかけられたら、聞き流すのも疲れてくるんだよ。
「でも残念、学生ではないです」
「なんだ、ニートか」
いちいち反応がウザったい少年をここぞと鼻で笑ってやる。
「んー、言うなればお兄さんに会うのが仕事かな」
「……」
怯むことなく、にっこりと笑顔を浮かべる少年に多少の寒気を覚え、肩を擦る。
こいつ、何歳だよ。イマドキ寒すぎだろ。
「ね、いい加減教えてくださいよ。あなたの名前。あと、年齢。それからケータイの番号。住所、家族構成、今まで付き合った人の数。それから……」
つらつらとナンパの常套句を超えた質問をしてくる少年に、今度は眩暈を覚え、目頭を揉む。
「ね、聞いてます? せめて名前くらい教えてくれないと、貴方のこと、呼べないんですけど」
お前に教えるのはヤバい気しかしないんだよ! だから名前すら教えてないんだよ!
「答えてくれないとキスしますよ?」
「はぁ!?」
ちゃっかりとテーブル席からカウンター席に移動してきた少年が、カウンター越しに手を握る。
「いや、ええと。そもそも君の名前も俺は知らないし」
その手をやんわり解きながら、思い返すとまさしくその通り。少年に関する知識は最初に来店して以来、何も更新されていない。
「あれっ。ああ、そういえばうっかり。僕ってばお兄さんに愛を伝えることに夢中で、自己紹介もまだでした!」
屈託なく笑う少年を見て、心の中で盛大にズッコケる。
「僕、大神 白音(おおがみ はくね)って言います。お兄さんだけは特別に『白音』って呼び捨ててもらっても構いません!」
「ああ。大神くんね」
「む~。呼び捨てでいいって言ったのに~!」
「それで。君はいったい何をしてるんだって?」
「だから。僕はお兄さんを口説いてるんですってば!」
「……まあ、俺にどうこう言う資格なんてないけど、若いうちはちゃんと学業に集中してた方がいいよ。ここでの飲食代だって、毎日通えば馬鹿にならないだろう?」
「え、お兄さんってば僕の頭と財布まで心配してくれるなんて、ああ、やっぱり好き……!」
これは、あれだ。多分関わっても無駄なやつだな。
「あ、お兄さんってば! 僕まだ名前聞いてないです!」
「君には教えないよ」
「う~ん! いけずなところも好き!」
「はい。会計、ランチ一点で500円ね」
「え~、勝手に勘定しないでくださいよ~!」
『すみません……。とにかく、もう辞めるんで』
「あ、ちょっと待っ、」
ツーツー。
「まじか……」
ため息をつきながら、受話器を力なく下す。
「どうすんだよ、ただでさえ人手不足だってのに」
「どうかしたんですか?」
朝からずっと居座っていた大神が、優雅にカップを傾けながら聞いてくる。
「……いや、バイトの子がね、急に辞めちゃってさあ」
こいつに話すと厄介なことに成り兼ねないので迷ったが、愚痴りたいという欲求に負けた。
「えっ、お兄さん、もしかしてその子に惚れてたんですか?!」
「違う違う。ただ、今日は忙しくなりそうだから、その子のシフトも入れてたんだ。それが、急に来ないだなんてさあ。イマドキの若者はこれだから……」
案の定、どうかしている大神の見解を否定してやる。どうやったら女学生に俺が惚れてる設定になるんだ。全く。本当にイマドキの若者の考えがわからん。
こちらの気も知らないで、大神は本日何杯目かの珈琲をごくりと飲み干し、不敵な笑みを浮かべると。
「それじゃあ、僕で良かったら働きましょうか?」
こちらが思ってもみない提案をしてのけた。
いや、それ絶対今以上に面倒くさいことになるだろ……。現に聞こえてくる彼の本心は、下心丸出しで……。
「どうするんです?」
そう問いつつも、大神がわざとらしく横目で壁掛け時計を見やる。
つられて確認した時刻は、既にランチタイムに差し掛かろうとしていて……。
からんからん。
店のチャイムが鳴り響くと、OLであろう女性客2名が入ってくる。
……仕方ない。
「ごめん。頼めるかな?」
「まっかせてください!」
「悪かったね。いきなり働かせて。疲れただろう?」
何とか乗り切った閉店後、労いの意を込めて淹れた珈琲を大神の前に置く。
「ちゃんとバイト代も出すから、待ってて」
「別にいいです。僕はただお兄さんを助けたかっただけなんで」
「いや、でも、そういうわけには……」
珈琲に口をつけながら、さらりと断る大神に、嫌な予感を覚える。
「どうしてもって言うんなら、お兄さんの情報ください。もしくは愛情ください」
「えーっと」
明らかに後者は無理だ。いつも通り、変態的な大神に辟易しながら返しを考えあぐねていると。
からんからん。
小気味よい鐘の音が静かな店内に鳴り響く。
反射的にそちらを向くと。
「キョウちゃん、今日は大変だったらしいわね。おつかれちゃん!」
「げ、姉さん」
入って来るや否や、姉さんは背中を強く叩き、豪快に笑う。
「キョウちゃん……?」
その一連の行動を不思議そうに見守りながら、大神が噛みしめるように呟く。
「ってあら。そっちの子は?」
「いや、この子は、その、今日手伝ってくれた子で」
「あらあらまあまあ。可愛い子! お名前は?」
「大神 白音っていいます」
「うふふ。私は黒鐘 涼香。こいつの姉よ。よろしくね」
「姉さん!」
「何よ、響兎」
「……黒鐘 響兎! お兄さんの名前、ようやくゲット!」
ああ、遅かった。べらべらと人の個人情報をバラした姉さんを睨んでやるが、睨み返され、あっさり蹴落とされる。
「アンタもしかして、白音くんに名前も教えてなかったの?」
「ええと、それは」
「白音くん、今日のバイト代渡すから、こっちおいで」
「あ、は~い!」
言い訳する暇もなく、大神に手招きする姉さんをじっとりと見つめる。
これはマズイ。姉さん、絶対大神のこと気に入ってるだろ。
「ね~、白音くん。よかったらこのままウチでバイトしない?」
「姉さん!」
案の定最悪の提案をしてのける姉さんに、思わず声を荒げる。
「だって、白音くん可愛いんだもの」
「あの、僕でよければ是非」
コイツ……。
頬ずりされたまま、姉さんに微笑む大神は、まさにお姉さんキラーと言っても過言ではない可愛い少年っぷりを見せた。
「それじゃあ、改めて。よろしくお願いしますね、響兎さん」
そのまま切って貼った笑顔をこちらに向けられ、握手をせがまれる。
「いや、名前呼びはちょっと」
「でも、涼香さんと区別がつきませんし」
心の中で舌を出して調子に乗っている様子がよくわかる。
「ほら、アンタも挨拶しなさいよ」
姉に肘でどつかれる。
「よ、よろしくね、大神くん」
「はいっ!」
ひきつる頬の筋肉を押し上げながら、何とか伸ばした手は、大神に勢いよく引っ手繰られる。
眩しい笑顔と、見てるこっちが恥ずかしくなるぐらいの恋心を向けられると、いよいよ大神が直視できなくなって。
ほんとに、なんで俺なんだ。頼むから姉さんに乗り換えてくれ!
「いや~。白音くんのおかげで商売繁盛だわ!」
集計データを見つめながら姉が高笑いをきめる。
ここ最近、客足が伸びた。その理由は必ずしも彼のおかげとは言えないが、確かに、彼目当てで通うようになった客が少なからずいる。
なんでも、OLのお姉さんに受けが良いそうで。社内で話題になったから一目見ようと来店した、なんて女性客もいたほどだ。
確かにあの可愛らしい顔つきは母性をくすぐるというやつなのだろう。羨ましい限りだ。
「アンタも白音くん見習って、もう少し愛想配んなさいよ!」
「いつも配ってるだろ」
「んじゃあ色気を配れ! 口元の黒子は飾りか?!」
「そんなもん配れるか。黒子とか関係ないだろ。ったく。大体、これ以上忙しくなるのはごめんだね」
そうだ。俺には俺のペースってもんがある。今までは一人で店を切り盛りしてたんだ。
それが今更、あんな恋愛狂いの変態高校生に邪魔されるなんて、ごめんだ。
何が売り上げアップだ。
「くそ、俺だって。前より珈琲淹れるの上手くなっただろ……」
姉さんの居なくなった店内でぽつりと呟き、自分の淹れた珈琲を飲み干す。
「……まだマスターの味には遠いんだろうな」
昔、飲んだ珈琲の味を思い出す。
幼い頃の俺は、人の心を読めるのが当たり前だと思っていた。
両親は、事あるごとに俺のことを気味悪がった。
そして、それは次第に両親のストレスとなり、夫婦仲を引き裂き。
離婚した両親は俺を引き取ることで揉めた。
『この子を引き取るくらいなら、私は死んだ方がマシよ!』
『オレだって、こんな気味悪いのが自分の子だなんて考えたくもない。殺せるんだったら殺してるさ!』
『やっぱり、この能力のこと、マスコミでもなんでもいいから売って、どっかの機関に預かってもらった方が……』
『馬鹿、そんなことしたら、オレたちも化け物呼ばわりされるだろうが!』
『ほんと、どうして私たちの子が……私はただ、普通の子が欲しかっただけなのに、こんな化け物……!』
幼い俺の目の前で遠慮もなしに叫び散らす両親。
心にはとっくに愛情なんてものはなく、あるのは強い恐怖。そして嫌悪。
自分が化け物だと呼ばれているのに、なんだかそれも他人事のように思えて、俺は涙さえ零せなかった。
ただただ心は穴が開いたように何もなく、感情というものがわからなかった。
次第にヒートアップしてゆく口論。その影がゆらりと揺らめき、こちらに手を伸ばす。
ああ、自分は殺されるんだ。
両親の目を見たとき、静かに悟った。
彼らの心は、まるで“化け物”に取り憑かれたみたいに狂っていた。
首を絞められても抵抗しない俺に、両親がさらに恐怖する。
死んでもいい、とその時の俺は思った。
俺を生んだ人たちが俺をいらないといった。
それならば。
『おい、お前たち、何してる?!』
結局、俺は死ななかった。
俺はその後、両親を止めた老人の元に引き取られることになった。
その遠い親戚だった老人が、この店の元マスター。姉さんの祖父で。
マスターは俺を引き取った後、色んなことを教えてくれた。
マスターは皆から好かれていて、化け物の俺にも分け隔てなく接してくれて。
俺は、あの人のようになりたかった。
全てを包み込むような優しさ。それが滲み出た珈琲の味。
いつか自分も、と。
感情のなかった化け物が人間の真似事をして歩き出した。
『おい、このサンドイッチ、ワシは玉ねぎを抜けって言ったよな』
「すみません! すぐお取り換えいたします!」
『取り換えればいいってもんじゃない! 食材を無駄にするつもりか?!』
「ですが、」
昼下がりの店内に響く初老の男の叫び声。
「どうか致しましたか?」
慌ててその場に駆けつけると、男はギロリとこちらを睨む。
『お前がこれを作ったのか?!』
「は、はい」
『ワシはな、玉ねぎが嫌いなんや。それがこんなに入ってて食えると思うか?』
「私のミスです。すぐにお取り換え致しますので」
『あのな、さっきも言ったけどなあ、食材も無駄。時間も無駄。アンタ、いい大人のくせしてこんなミスして恥ずかしくないんか? え?』
「すみません」
『謝ることしかできないんか?』
「私にできることでしたらできる限りのことは尽くしますので、どうかお許しください」
『それじゃあ土下座じゃ。土下座せえ』
男が顔を真っ赤にしながら床を指さす。
……これは、面倒臭いことになったな。土下座、するべきだろうか。
「土下座って。結局謝らせる気満々じゃないですか」
対応に迷っていると、大神が腕を組みながら鼻で笑う。
「大神くん……!」
それを窘めようとするが、時遅く。
『なんか言うたか坊主。お前もこんな店辞めた方がええぞ。こんな人を馬鹿にしたようなお兄ちゃんがいるんや。すぐに閉店や』
失礼な奴だな。別に馬鹿にしてないし、玉ねぎぐらいで閉店してたまるか。あ~、これなんて答えたらいいんだ。やっぱ土下座か? 土下座しかないのか?
「失礼ですが、僕はさらさら辞める気なんてありません。それと、響兎さんはすごく良い人です。真面目で優しくてかっこいい、僕の憧れの人です。この店だって僕は大好きです」
「お、大神くん……」
大神の言葉が涙腺にぐっとくる。自分のみならず、店まで褒めてくれるなんて。こいつ、ただの変態だと思ってたけど、中々いい奴だな。
『なんや坊主! ワシはお前のためと思って言ってやったのにその態度は!』
その一言で、店内の気温が氷点下まで下がったような気がした。女性客の冷たい視線が、いっきに男に突き刺さったのだ。
『な、なんや、ワシが悪者かい! もうこんな店二度と来んからな!』
たじろいだ男は、きょろきょろと落ち着かない様子で怒鳴ると、金をちょっきり置いて店内を出てゆく。
「響兎さん、」
「ありがとうね、大神くん。……皆さんも、お騒がせして申し訳ございませんでした」
心配そうに声をかけてきた大神に微笑んでやった後、お客様に頭を下げる。
『マスターが悪いわけじゃないですよ!』『ヤな感じの客だったもんね』『ほんと、ああいう奴無理』『マスターも大神くんも気にしないでいいですよ』
「ありがとうございます。お詫びと言っては何ですが、皆様にはデザートをお付けいたしますので――」
「アンタ、店でやらかしたんだって?」
「ごめん」
店を閉めた後、さっそく姉さんに例の件についてツッコまれたので、素直に謝る。
大神の言葉が聞き取れなかった。だけど、それを曖昧なまま聞き返さなかった。たったそれだけのこと。それだけのことができなかったのだ。
「白音くん、今日はウチに泊まってきな」
「いいんですか!?」
「な、なんで」
何の脈絡もない姉さんの誘いに思わず聞き返す。
「響兎、誰のせいでミスしたと思ってる? アンタがいつまでたっても白音くんとコミュニケーションがとれないからこうなったんでしょ? 少しは距離を縮めろ、いい年してコミュ障してんじゃないわよ、ったく、これだから元引きこもりは」
「っ、わ、わかったから……。大神くん、ごめんね、急に」
「いえ。むしろお誘い嬉しいです! ありがとうございます!」
その爽やかな笑みに隠れた下心に眩暈を覚える。
「う、うん。お手柔らかにね」
「うわー見事に殺風景ですね、あ、でも本がいっぱい」
大神がきょろきょろと部屋の中を見回す。
「面白いものはないよ?」
まあ、彼には何でも面白く映るのかもしれない。なにせコイツは。
「十分面白いですよ。響兎さんらしくて、僕は好きだなあ」
嫌というほどに言葉に込められた想いが伝わってくる。
その真っすぐな恋が怖かった。
あの時、聞き返すのを躊躇ってしまったのは、彼の想いが怖かったからだ。普通なら秘められるべきそれが、重たかった。
彼の心さえ読めなければ。どんなに楽に愛想笑いできるだろうか。何度恨んだって恨み切れない自分の能力。
そして、いつも自分の能力のせいにしてしまう自分の弱さが恨めしかった。
マスターならばきっと、こんな揉め事起こさなかったんだろうな。
近づきたいと思っているのに、比べるほどに自分の未熟さが露呈してゆく。
「響兎さん、ごめんなさい。今日のミスは、僕が気づかなかったのが悪いから」
ふいに大人しくなった大神が申し訳なさそうに俯く。
「いや、あれは完全に俺が悪いんだ。すまない」
気まずい空気が二人の間に流れる。
あ~。年下にこんなに気を遣わせるとか。ほんと、情けない大人だな。こんなんじゃ、きっと大神も呆れて……。
「響兎さん、僕はあなたが好きです。だから、僕はあなたにもっと近づきたい。だから、あなたも僕に近づいてほしい」
手を取られる。顔を上げると、真剣な眼差しがそこにあった。
そして、彼の心には呆れなどなく、依然として真っすぐな恋が存在していて……。
「……そんなこと、まだ言って、」
「僕は本気ですよ!」
食い気味に反論してくる大神に少しびっくりする。
本気なのはわかるんだが、どう考えたってそんな想いは、無駄なだけで……。
「信じてませんね。わかりました」
「えっ」
どすっ。
いきなり伸し掛かられ、ベッドに倒れ込む。
抵抗しようと思ったが。
「な、んっ……?!」
すっ。
唇を押しあてられる。
「やめ、ろっ!」
「おっと」
殴ろうとしたが唇はあっさりと離され、空振りになった。
「僕は、あなたのこと、大好きなんですよ」
「大神、くん……。俺のことそんな風に想ったって、いいことないよ?」
「損得勘定じゃありません」
静かに睨む大神に圧倒され、言葉に詰まる。
「返事は要りません。でも、少しでも僕のことを考えてもらえたら嬉しいです」
「それは……。俺は、君の想いに応えられないよ」
「どうしても?」
頬に触れる大神の手を掴んで離す。
「俺は、君が思うほどいい人間じゃあない。今日だって……」
「僕の気持ちは変わりませんよ。たとえ貴方がどんな人間だろうと。僕は全てを受け入れてみせます。どんな響兎さんでも、僕は愛してみせますから」
「大神くん……!」
そんな感情は間違ってる。少なくとも、僕に向けられるようなものではない。だって、俺は化け物で……。
「僕はあなたの側にいて想うことを許していただけるならそれだけで十分です」
諭そうとする前に、大神が先手を打つ。
くそ、そんなしおらしく言われたら、何も言えなくなるだろうが……。
「僕も、これ以上は我慢します。だから、今日はとりあえずここで寝かせてください」
安心させるように、ふわりと笑う大神に手を取られる。
「わかった」
ため息をつき、大神の気が済むまで手を握らせる。
ああ。彼も俺の能力を知ったらきっと、気味悪がって離れていくんだろう。
彼の中から流れてくる自分への愛情。それが心地よくて。
ずっと、このまま人間でいられたら、化け物だとバレなければ。
彼と一緒にいる選択をしてもよいのだろうか……。
幼い頃、俺はこの力が本当に嫌だった。
皆、結局嘘つきで。人間はとても汚くて。恐くて。
外に出るのが、人に接するのが嫌になった。
そうして、一人きりでいる時間が多くなった時、それは現れた。
「君は誰?」
俺はその異形に躊躇いもなく声をかけた。
影のように黒く揺らめくそれは、俺にとって人間ほど怖くなかった。
それは心の読めない怪物だったから。
喋ることもしないそれを、俺は友達とした。
それに話をしている間が、俺にとって一番楽しかった。
「僕も化け物だったらよかったのに」
いつだったか、そんな言葉を投げかけた。
人間なのに化け物扱いされるのなら、いっそのこと人間の言葉のわからない化け物に生まれたなら。そして、この子と本当の友達になれたのならば。そんな浅はかな考えが口をついた。
それを受けて、ゆらりと影が揺らめいた。
「ごめん。君だって辛いよね」
表情のわからない影だけど、その時はどうしてか傷ついたように思えた。人間の言葉を理解しているのかも、感情があるかもわからないけれど、確かにその揺らめきは俺を後悔させるのに十分だった。
「僕は君にだったら食べられてもいいな。ううん、君に食べられたい。そうしたら、もう僕はこんな世界で苦しまなくて済むんだ」
人間にも化け物にもなれないのならば、いっそ友達の餌になって早く死んだ方が幸せだ。そのときの俺は本気でそう思った。
そして、影もそれをすぐに受け入れてくれるだろうと思った。何となくだけれど、影は獲物を探していたような気がしたから。
でも、結局その日を最後に影は現れなくなった。
子どもによくある話だ。きっと僕の妄想の産物だったのだろう。
だけど、今でも時々あの頃の夢を見るのだ。あの影に自分が食べられてゆく夢を。
「響兎さん、大丈夫ですか?」
「ん、あれ、大神くん」
大神に肩を揺さぶられ、夢から覚める。
「お疲れみたいですね。うなされてましたよ」
「ああ。うん」
あれから数か月が経ち、大神の働きぶりもだいぶ板についてきた。
正直、ここまで使い物になるとは思っていなかったし、かなり助かっている。
もちろんそれは仕事に限ったことではなく。
「ごはん、できましたよ」
「ごめんね、いつも作ってもらっちゃって」
「いえ、響兎さんのお役に立てて嬉しいですし」
いつの間にか大神と一緒に暮らし、家事を任せるまでになっていた。
元々は姉さんと住んでいたこの広めの部屋。それが勿体ないと、部屋を探していた大神に姉さんが勝手にシェアするよう提案したのだ。
最初は警戒した。なんせ自分にあれこれしたいと日々想ってるような変態と一緒に住むなんて、自殺行為だ。だけど、それは杞憂に終わった。彼は先の宣言通り、側にいて、想いを心に留めておくことしかしなかった。
「は~。大神くんはきっといい旦那さんになれるよ~」
「響兎さん、酔いすぎですよ」
夕食後に姉さんから貰った酒を上機嫌で煽る。
「大神くんのごはんはおいしいし、お店も手伝ってくれるし、珈琲おいしいっていってくれるし」
ふわふわとした思考の中、目を瞑りながら指折り数えると、本当に大神には感謝しかないと思えた。
「なにより、俺のこと、好きって言ってくれるの、嬉しいんだ」
「それは、つまり僕のことが好きってことですか?」
そっと手を包まれ、なぞられる。
「ん~? それは、う~ん?」
首を傾げて考える。大神のことは嫌いじゃない。いや、むしろ、最近は。
「響兎さんは僕のことが好きだ」
「えっと、うん、うん……?」
唇が近づく。
「目、閉じて」
「ん……?」
言われるがまま目を閉じる。
そして。
「やっと、あんたを食べる準備ができましたよ」
耳元で囁かれたその言葉に目を開くと、大神が目の前でぱちりと指を鳴らす。
「わっ」
それに呼応したように現れた黒い影が、両手を縛りあげる。
「こんな片思いごっこも、もう終わり」
髪を掻き上げ、冷たい視線でこちらを見下すその男は、本当にあの大神なのだろうか。
そんな疑問が湧くほどに、今の彼はどこまでも暗く、まるで死そのもののようだった。
「残念だけどさ。僕、あんたのことは何とも思ってないんだよね」
耳に届くその言葉の意味がよくわからない。いや、わかりたくもない。それなのに、恐怖に駆られた体は強張り、急速に酔いが醒めてゆく。
「あんたの珈琲だって好きじゃないよ。淹れ方がまるで素人。泥水みたい」
「大神、くん……?」
喉の渇きで掠れてた声。自分で紡いだその音が、何とも頼りなく、弱々しかった。
「はは。何その顔。かわいそー。僕のこと、信じてたんですね」
「な、に、言って、」
近づいてくる大神から逃げようとするのに、足が思うように動かない。
がぶり。
「っ!!!!!」
大神が肩に顔を埋めた瞬間、激痛が走る。肩を齧られたのだ。
「痛いですか? 食べられるの、恐いですか?」
「……っ!」
覗き込んでくる大神の瞳はまるで悪魔のように嗜虐的な輝きを放っていた。
「ああ、本当にムカつくよ。あんたのために本音偽って、人間の真似なんかしてさ」
「まさか、嘘、だったってのか……?」
「そ。全部あんたを騙すための罠」
そんなことはあり得ない。俺の目をも騙す力があるなんて……。
いや、それは、相手が人間だったならば、だ。
「バイトちゃんを辞めさせたのも、客のおじさんが怒るように仕向けたのも、涼香さんが僕を気に入るようにしたのも。ぜ~んぶ、僕の力」
あらゆるところを噛まれ、意識が朦朧とする。
「大神くん、君は、いったい、何者なんだ……」
「さあ? ご想像にお任せしますよ」
にこりと笑う彼が、遠い存在のように思えた。
あぁ、本当にこの子は俺のことをなんとも思ってなかったのだろうか。
本当に人間でないのだろうか。本当に食べられてしまうのだろうか。
でも、それでも。
構わないかな。
俺は当の昔に。
彼のことが。
好きになってしまっていたのだから。
「なんで笑ってるんです?」
「え?」
あれ、俺は、笑ってたのか。
「それに、全然抵抗もしない」
「抵抗しても無駄だろう?」
痛みに耐えながら笑いかけてやると、無表情だった大神の眉がぴくりと上がる。
「だったら、もっと痛くしてあげましょうか?」
大神が傷口を舐める。
「っ!」
その痛さに顔を思わず歪める。
「良い顔するじゃないですか」
満足そう呟いた彼が舌を舐めずる。
「っ、大神くん……やめ、」
「やめませんよ。僕はあなたを食べるの、ずっと楽しみにしてたんですから」
執拗に傷口を刺激する彼の唇は、赤く染まりながら楽しそうに歪む。
「そう、じゃなく、て……。食べるなら、さっさと食べてくれって、」
「……」
その言葉に大神が黙り込む。
不思議に思ったので、その顔を覗き込んでみると、彼もまた同じくらい不思議そうな顔をして首を傾げる。そして、こちらの視線に気づくと、顔を歪ませて。
すっ。
何の前触れもなく唇を重ねられる。
「っ、やめろっ!」
「チッ。いいじゃないですか。食べる前に少しくらい遊んだって」
「食べ物で遊ぶとは悪い趣味だな」
「自分のこと食べ物とか言って虚しくないですか?」
「別に。そういう運命だったんなら、もういいよ。諦める」
この力のせいで大分苦労した。今こそ平和に暮らせていたが、この先もそうであるとは限らない。今こいつから逃げることができたとしても、自分は人間として生きていけるだろうか。この先、自分の中の化け物を抑えて生きていくのは苦しくないだろうか。
この世界、大した未練も残しちゃいない。
それならば。
「君の力になるんなら悪くないかなって」
「……馬鹿じゃないですか?」
きゅっ。
首を絞められる。
「かふっ、」
苦しい。息ができない。
あぁ、でも。
こんな終わり方でも、俺にとっては幸せなのかもしれない。
ふと両手が軽くなる。黒い影が取れたのだ。
そして。
すっ。
唇が重なる。
悪魔のやることは本当に理解ができないな。
「なるほど」
ふいに首から手が離される。
「ぐ、げほっ、ごふっ」
倒れ込み、せき込んでいると顔を持ち上げられる。
「やっぱりそうだ」
静かに呟かれた言葉の意味を考えていると、そっと指で目元を拭われる。
そこで初めて自分が泣いていることに気づき、慌てて目を擦る。
「なん、で、」
「やっぱり食べられない」
「え?」
「僕たち悪魔は自分に好意を持った者しか食べられないんです」
だからわざわざ貴方を魅了するべくあれこれ仕掛けたんですけど、と大神が力なく笑う。
「それなら、食べられるはずだろう」
その策に見事にはまってしまったのだから。
「違うんです。すごくおいしそうなのに食べられないんだ」
彼の影がゆらりゆらりと揺らめきだす。
「貴方は僕の非常食だった。ずっと昔に僕の印をつけておいたのに」
「印……?」
口元の黒子を撫でられる。ああ、そういえばこの黒子、いつの間にかできていたんだ。
「僕は君に好意を抱いてしまったから、今更食べるなんて。できるわけがないんだ」
ゆらり。一瞬彼の姿そのものが黒く大きく揺らめいて、昔の記憶を呼び覚ます。
「好意……? あ、君はもしかして、あのときの」
「なんだ。記憶があったのか」
そう、そうだ。あの影だ。幼い頃に友と呼んだあの影と別れた日から、この黒子ができたんだ。
「あれは、夢じゃ、俺の作り出した幻じゃなかったのか……?」
「違いますよ。僕は本当に存在してる」
ゆらりと揺らめきながら、彼は微笑む。
「信じられない……」
だけど、確かにその揺らめきはあの時の影を彷彿とさせる。
「貴方は友達だと言ったけど。僕はきっとあの時から貴方を愛していたんです。それこそ、食べてしまいたいほどにね」
「……だったら、さっさと食べてしまえばいい」
不思議と恐怖は感じない。それどころか。
「それは、誘ってるんです?」
「そんなわけあるか。そのままの意味だ」
「それができないから、こうして困っているんでしょう。僕は化け物失格だ。貴方にすっかり囚われてしまった」
困ったように微笑む彼は、化け物のはずなのに、よっぽど人間らしくて、眩しい。
「でも、貴方とならばこんな世界で人間ごっこも悪くはない」
「そんなこと言って、また心を偽っているんじゃないのか?」
彼から溢れ出す慈しみは、前にも増して、強いものだ。これが、もし偽りだなんて言われたら、今度こそ心が壊れてしまう。
「そんなことしても意味ないでしょ」
「でも、俺には、わからない……。いつもなら、人間相手ならわかるものも、君のこととなると、わからない……。だから、」
怖い。自分がどう思われているのかわからない。その経験したことのない――人間にとっては当たり前のことが、今更になって襲い掛かってくるなんて。
「いいや。貴方にはわかるはずだ」
「え、」
大神の目がこちらを見据える。
「僕は、貴方を愛している」
「っ……」
真剣な瞳でそう告げた彼は、口元の黒子に口づけを落とす。
その仕草の一つ一つが丁寧で、優しく……。
「わかってもらえました?」
柔らかい笑みを湛え、優しく問いかける大神から視線を逸らす。
そのまま傷つけられた箇所にも口づけが施され、あっという間に傷が癒える。
「僕はこれ以上貴方を傷つけません。痛い思いをさせてごめんなさい」
「大神くん……」
項垂れる大神の頭を撫でる。
「響兎さん?」
「大神くんこそ、わかってるだろ。俺だって君に囚われてる」
驚く大神の手を取り、手の甲に口づけてやる。
顔を赤くした彼が俺の手首を掴み、口づける。
「僕は、自分でも得体のしれないほどの化け物ですよ? それでも、いいんですか?」
「ふ、化け物同士お似合いだろう?」
黒子を触りながら不敵に微笑んでみせる。
「後悔しますよ?」
「どうだか」
「珈琲の味だってわからない化け物ですよ?」
「それは……。やっぱり味わからないんだ?」
「ええ。味覚が人間のものとは違いますから」
「そうか。不味いって言ってたもんね。ごめんね」
泥呼ばわりされたときはさすがに傷ついたが、そうか、味覚が違うなら仕方ないだろう。
「……でも、貴方が淹れてくれたってだけで、僕は嬉しかった」
だから不味くても飲むのやめられなかったんです、と呟く大神にぐっと息を詰まらせる。
「無理しなくても、今度からはもっと君に合ったものを作るから」
思わぬ健気さに、改善を約束し笑ってみせる。が。
「それなら」
「むぐ、なにす、」
いきなり顎を持ち上げられ。
「響兎さんをください」
「なっ、んむ……!」
貪るように唇を奪われる。
「っは、お、まえな、」
「だって、一番おいしいのは響兎さんですから」
ぺろりと口元の黒子を舐め、けろりと言ってのける大神。
その幸せそうな顔に、怒る気持ちも失せて。
「わかったよ、大神くん。君にあげるよ」
観念したように彼の胸に顔を預ける。
「えっ、ほんとですか?!」
「ただし、俺の淹れた珈琲も毎日飲んでもらうからね」
「は、はいっ! 喜んで!」
大神のきらきらした瞳に目を細め、頭を撫でてやる。
そして、目を瞑り、これから先の日々に想いを馳せる。
化け物二人が人間ごっこか。
そんな人生、悪くないどころか幸せすぎて。
唇が触れ合い、深く深く混ざり合い、溶けてゆく。
ああ、今度はもっと甘めのメニューを考えようかな。色々混ぜて、試作を二人で飲んで。それで大神の好きなブレンドを見つけてやろうか。そんで、珈琲を好きになってもらって……。
「好きです、響兎さん」
「ん、」
甘さでどうにかなりそうな頭で、へにゃりと微笑み、それに応える。
やっぱり砂糖は当分要らないのかもしれない。
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