隘路

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思い出す

現実の命運

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 …
 周りの騒音が思考にかき消される。
 香音は?香音は大丈夫なのか?
 それだけを考えて、香音が搬送された病院の待合室で待っている。

 見たところ、頭からの出血が酷かった。
 いや、最悪な事態が起きてほしくないが、考えざるをえない。
 香音が言っていたみたいに、もし、もしも本当に植物状態になったら?
 俺はどうすればいい?

 香音の住所だけ伝えた。
 ということは、香音の両親が来るはずだ。
 そういえば、あれだけ関わっていたのに両親とは一度も会ったことが無かった。
 香音の親か…どんな人なんだろう?
 香音と似て活発なんだろうか?

 考えを膨らませていると、病院の外にタクシーが止まり、中から女性が出てきた。
 ハイヒールを履いて、特有の音を鳴らしながら入ってくる。
 その風貌は、病院には似つかわしくない派手な格好で、厚い化粧にギラギラのバッグを下げている。

「お名前を伺ってもよろしいですか?」

「汐崎 瀬菜よ。」

「汐崎様…ですね、どちら様の…」

「娘よ。私は母親。」

「…かしこまりました。では、そちらに座ってお待ちください。」

 汐崎…香音と同じだ。
 もしかして、この人が香音の親?しかし、父親の方は…
 いけない、こっちに向かって来た。
 しっかりしなければ…

 香音の母親?が俺の隣に座り、直ぐに話しかけてきた。

 瀬菜「あんたが香音の言ってた"友達"?」

 宏樹「そうです、名前は…」

 瀬菜「渡辺 宏樹、そうでしょう。香音から聞いてるわよ」

 宏樹「は、はい…」

 いや、うーん…
 なんだ、この感じは…
 無礼というか、初対面の人と接する態度ではないというか…

 瀬菜「はぁ…香音からなんかされてない?」

 宏樹「いや、そんな事は…」

 瀬菜「そう。なら良かった。」

 瀬菜「私の娘がほんとごめんなさいね、面倒かけさせちゃって」

 宏樹「いえいえそんな、面倒だなんて…」

 うん…やはり何か抱えている気がする。
 闇というより、ただ触れるべきでない何かしら。
 格好といい、この香水のキツさといい…

「汐崎様と渡辺様、こちらに…」

 気まずく感じる空気の中、看護師がやってきて俺と瀬菜さんを呼んだ。

 今から向かう場所は、やはり香音のいるところなのだろうか。
 香音の状態は?
 向かうにつれ、またそれしか頭になくなる。

 部屋の前に着いたらしく、入室を促される。
 俺と瀬菜さんは部屋に入ろうとするが、中にいた医師に止められる。

「あの、血縁者以外の方は…」

 瀬菜「いいの。彼が香音をここに連れてきたんだから、入れてあげなさい」

「…なら、ご一緒にどうぞ」

 瀬菜さんが居たお陰で俺はなんとか中に入れた。
 中の雰囲気は異質。
 元々、病院というのは他の場所よりも簡単に命が消えたりする。
 それもあって、やはり雰囲気は違うと感じていたが、やはりこういう状況になるともっと異質に思える。

 瀬菜「香音の状態は?」

「…それが、事故による衝撃で昏睡状態に。」

 …

「このまま進行すると~…」

 それからは、話を聞こうとするので精一杯だった。
 脳死の可能性と、速やかな回復の可能性、それから…
 …とにかく、まだ分からないとの事だ。

 信じられない。
 歩調が崩れそうだ。
 立ち眩みがする。
 早く帰ろう…

 ───

 帰ってからというものの、気が気でなくずっとネットで調べていた。

 昏睡は意識障害の中で最も重いもの。
 原因は脳損傷。脳挫傷やくも膜下出血とか。
 昏睡が進むのは4つのパターンがあって、
 回復、閉じ込め症候群、脳死、植物状態。

 絶望的だ。
 なんでこんな事に…

 なんでこんな事に…?
 …俺のせいじゃないか?
 俺が迂闊に香音に変な事言ったから、香音がその気になってしまったんだ。
 もうダメだ、おしまいだ。
 香音が回復したら、絶対に謝ろう。
 許されるかは別として…

 ───

 瀬菜さんから、「病院に呼ばれたから来なさい」と呼び出しを食らった。
 もうこれ以上、暗くあってはならない。
 せめて明るい事であってほしい。

 病院に着き、瀬菜さんと合流した後に看護師の案内の元、香音のいる病室へ向かう事に。

 病室の中は静寂と淡い光に包まれていた。

 窓から差し込む午後の光が、白いカーテンを通して柔らかく広がり、ベッドに横たわる香音の顔を淡く照らしている。

 その静けさには、あの香音がただ静かにしている時とは全く違う、確かな重みがあった。

 瀬菜さんは椅子に腰掛けたまま、ただ黙って娘の手をそっと握りしめていた。

 恐る恐るだが俺も握ってみて分かったが、その手は冷たく、この病室にいる二人の心に一層の不安を刻みつけていた。
 時間が止まったかのように、ただただ二人は彼女の顔を見つめていた。

 やがて、医師が静かに病室に入ってきた。

 中年の男性だが爽やかな印象の顔には、長年の経験からくる落ち着きと、今から告げなければならない言葉の重さが浮かんでいた。

「お母さんとご友人さん…」

 医師は慎重に言葉を選び、低く柔らかい声で話し始めた。
 彼は瀬菜さんの隣に立ち、二人の顔を真っ直ぐに見つめた。

「娘さんの状態について、話さなければならないことがあります。」

 俺は息を飲み、胸の奥が締め付けられるような感覚に襲われた。

 俺は何かを言おうとも思わなかった。
 もっと正確に言うならば、言葉が出せなかった。
 ただ、医師の次の言葉を待つしかなかった。

 医師は一瞬目を閉じ、深呼吸をした後、静かに続けた。


「残念ながら、娘さんは植物状態にあります。」


 その言葉が空気を切り裂き、重くのしかかった。

 俺は瞬時に理解した。
 香音の言った事が本当になってしまったのだと。

 しかし、ただ無言で医師を見つめ返すことしかできなかった。

 それが現実だということを受け入れるのは難しい。

「今の娘さんは、自発的に動いたり、話したりすることはできません。脳の反応は極めて限られており、外部からの刺激に対する反応もほとんどありません。」

 医師の声は淡々としていたが、その一言一言が、二人の心に深い傷を刻んでいった。

 俺は香音の手を握りしめながら、胸の内で何度も「嘘だ」と叫びたかったが、声は出なかった。

 香音は、あの日まで元気だった。

 校門で会った時には笑顔を見せ、俺の家に来ては一緒に語り合ったり、お互いの抱いていた悩みを共有して、一緒に解決策を見つけたり。

 今、その全てが、ただ目の前に横たわっている香音の静かな姿に変わってしまった。

「…これからどうすればいいんですか?」

 やっとのことで、俺は震える声で問いかけた。
 医師の事を見つめていて分かったが、俺の目はいつの間にか涙で曇っていた。

「今できることは、娘さんの体調をできる限り安定させ、少しでも快適な環境を整えることです。」

「家族として、友人として、娘さんに寄り添い、見守ってあげることが大切です。」

 医師はそう言って、俺の肩に手を置いた。
 その手の温かさが、より一層俺の心の冷たさを際立たせた。

 俺は再び香音の顔に目を戻した。
 香音は微動だにせず、肺も損傷しているせいで呼吸も自力で出来ずに、無のまま倒れていた。

 ───

 瀬菜「どうするか、今決めないと」

 宏樹「そう言ったって、これはあまりにも重い決定になる」

 瀬菜「あんた、親の私の前でよく言えたね。私が誰よりも苦しいのよ。」

 宏樹「それは…すみません、少し昂りすぎました」

 今は、香音について瀬菜さんと話しているところだ。
 植物状態…香音の言った事が実際に起きてしまった。
 現実から逃げて何も考えないでいるのは、今ある困難を終わらせてからにしよう。

 瀬菜「もし、本当に香音がそう言ったなら、私はそれに同意するよ。」

 宏樹「…物証も、言証も無い。こんな訳の分からない男の知り合いが言った、確証ナシの言葉なのに、そんなに簡単に信じるんですか?」

 瀬菜「いいや。それは間違ってる。」

 宏樹「?」

 瀬菜「確かに、物証も言証もないけど、あんたは香音の唯一無二の"友達"でしょ。それに、私は分かる。」

 瀬菜「身体目的のだらしないクズ男と、そうじゃない、女の子の事を本心から大事にする努力をする男。」

 瀬菜「あんたは、明らかに後者だよ。」

 瀬菜「だから、私はあんたの事を信じる」


 ─香音が本当にそう言ったってのを。
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