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二章;OPENNESS

73話;徒花(11)

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 マリスディアはしばらく呆けたように座り込んでいた。
 久しぶりにここへ来た。
 風がとても涼しく感じられ、火照った身体を冷やしてくれて心地よい。

 眼下には城下町が広がっており、中央広場の噴水が小さく見える。
 そのまま東の町外れの方へ視線を移すと、煉瓦造りの建物がちらりと見えた。

 (教室、入れるかな)
 眉を下げるとマリスディアは小さくため息をついた。

 好奇心に満ちた視線と問いかけに応えられる自信はまだない。
 ジルファリアに励まされ一度は膨らんだやる気も夕暮れ時の薄暗さで既に萎みかけていた。

 自分は果たしてこのまま居続けてもいいのだろうか、あそこに。
 その資格が無いような気すらする。


 「マリスディア」

 その時、聞き慣れた声が自分を呼んだ。
 マリスディアはそのまま笑顔を作ると振り返った。

 「お父様」

 ウルファスが屋根に降り立つ。
 「隣へ座っても?」と訊ねた。彼が小首を傾げた拍子に金糸の髪が揺れる。
「もちろんです」
 マリスディアは笑顔のまま頷く。
 失礼するよと言いながら、ウルファスが隣に腰掛けた。
 少し寒いかなと言う父の言葉に、大丈夫ですと返した。

 「お父様、お加減はいかがですか?」
「今日はだいぶ良いんだ。王宮の屋根に登ってこられるくらいはね」
 そんな父の冗談めかした口調にまた目を細める。

 それからしばらく二人は何も言葉を発さずに、眼下の風景を眺めていた。
 その間もマリスディアは静かに微笑んでいる。
 何か言葉をかけたいと思ったが、適当な言葉を思いつかないままマリスディアはジルファリアの家を探した。
 橙色の屋根瓦が見えるとどこかホッとしたような気持ちになった。


 「アカデミーへ行くことにしたんだね」

 しばらくするとウルファスが口に出す。きっと聞かれると思っていた。
「はい」
 マリスディアは微笑みながら小さく頷いた。

 大丈夫だろうか。自分は上手く笑えているだろうか。
 マリスディアは膝の上で拳を軽く握る。

 父に心配をかけるようなことはできない。

 「こないだ王宮に来ていたジルに出会ったよ」
 マリスディアは自分の膝を見つめたまま、そうだったのですねと返す。
「マリアがアカデミーへ行くと聞いて、とても嬉しそうだった。良い友達を持ったね」
「はい、とても」

 いけない、どうしても言葉が出てこない。
 マリスディアは微笑みながら次は何て言おうと考えていた。

 「焦らなくて、いいんだよ。マリア」

 ウルファスの言葉に思わず彼を見上げる。
 菫色の瞳が物憂げに細められていた。
 ああ、自分の気持ちはきっと父にはお見通しなのだとすぐに感じた。

 「マリアの気持ちは理解しているつもりだ。でも、完全に分かってあげることはできない」

 若き頃から魔法の才に溢れていた父だ。
 自分とは違う。
 こんな自分では申し訳ない。父の跡を継ぐことはできない。
 何といっても黄昏星を創れないのだから。

 いつの間にかマリスディアの顔から笑みはすっかり消えていた。

 「けれど……だからこそ、私にはできないことがマリアにはできるはずなんだ」

 その言葉にもう一度父を見上げる。
「わたしにできる事って何ですか?」
 思わず口を突いて出たのは激しい感情だった。
「わたしは……わたしは今後きっと黄昏星を創れません。こんなわたしに何ができるというのでしょう?」
 思わず声に詰まる。
 目頭が熱くなり、じわりと視界がぼやけた。
「なにも……何もできないではないですか。王族としての務め……この国を守ることなんてできないではないですか」
 半ば苛立ちをぶつけるかのような物言いだった。
 黙ってこちらを見つめるウルファスの瞳は動じた様子もなく、静かであったのが余計に苛立たせたのである。
「わたしにできることなんて、何もないのではないですかっ」
 悲鳴に近い声でマリスディアが叫ぶ。

 「……マリアは、とても良いパナシアを作るんだ」

 黙ったままだったウルファスが口を開く。
「会ったとき、ジルファリアが教えてくれたんだ」
 静かにウルファスが続ける。
「ジルだけじゃないよ。稽古場のタチアナだって、廊下で会ったヒオも、君の事を教えてくれた。みんな褒めていたよ、マリアは日夜魔法薬を一所懸命作り上げているって」
「それは……ハイネル様に教えていただいたからで」
「ハイネルは君にきっかけを与えたに過ぎない。そこから、誰かのためにできることを探し始めたのは他でもない、マリスディア自身だ」

 マリスディアは父の顔を見上げた。
 あぁ、久しぶりに真正面から父を見たような気がする。
 ウルファスは、こんなにも疲れ果てた顔をしていただろうか。
 体調が芳しくないことは既知であったが、顔色も悪く更に老け込んで見えた。マリスディアは顔を曇らせる。

 ウルファスはそんな娘の髪をそっと撫でた。
 こちらを見つめる穏やかな瞳は色褪せず美しいままだった。

 「ねぇマリア、一人で頑張らなくても良いんだよ」

 ウルファスの言葉に、心がことりと音を立てたような気がした。

 「君には気にかけてくれる友達や城の仲間がいるだろう?……もちろん私だって」
 ウルファスの菫色の瞳が一層優しげに細められる。目尻に寄った皺が濃くなった。

 「これから先も。たくさん、たくさん人との絆を大切にしなさい。そして誰かを助けたり、誰かに助けてもらったりするんだ」
「人との絆……」
 マリスディアにウルファスはゆっくりと頷く。

 「国を護るというのは、一人でできることじゃないんだよ」

 ウルファスは城下町に視線を移し、にこりと笑う。

 「マリアの大切な人たちと一緒に……マリアのやり方で、この国を護っていってほしい」

 まるでこの先、そこに自分はいないかのような話しぶりにマリスディアは胸がざわついた。

 「あ、でも一つだけ約束してほしいな」
 思い出したように父がこちらを振り向く。
「何でしょうか?」
「マリアは、人を想うことができる優しい子だ。それは君の素敵なところだと思っている。でもね」
 そう言いながら彼は悪戯っぽく笑った。
「自分のことも大切にすること。君はどうにも誰かのために自分の身を投げ出す勢いの時があるから」
「あ……」
 伐の悪い顔をしてマリスディアが目を伏せると、くすくすとウルファスは少年のようなあどけない顔で笑い出した。
「くれぐれも無茶なことはしないこと。と言っても難しいかな。こうして侍女たちに禁止されている屋根の上まで来ているわけだし」
「お、お父様……!」
「ふふ、今日は私も共犯だ。一緒に謝ろうね」
 そう言いながらウルファスは立ち上がる。

 ほらとこちらに差し出される手をマリスディアは握り返し、一緒に立ち上がった。
 そして二人で一緒に城下町をもう一度見つめる。

 「私はこの国が大好きだよ、ずっと大切にしたい」
「わたしも、同じです、お父様」

 この夕暮れに染まる小さな国を、いつまでも父と見つめていたいとマリスディアは思うのだった。


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