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二章;OPENNESS
65話;徒花(3)
しおりを挟む教室に入ると、ヒオは何やら細長い棒に火をつけ、平たい楕円形の皿に立てた。
不思議な香りを纏った薄い煙がゆらゆらと立ち込め、それが心地よく感じる。
あれは香だ。
北隣のフーリア国で作られているもので、火をつけると色々な香りを放ち、心を落ち着かせてくれる効果があるのだ。
「さぁ、それでは君たちの前に置いてある本を開いてみてくれる?」
教壇に立ったヒオが教室中を見渡した。
「頁はどこでも良いけど、真ん中あたりがいいかな」
言われた通りに、生徒たちが本の頁をめくる。
「そう、触ってみて分かると思うけど、アカデミーの本に使われている紙はとても軽い素材で出来ているんだ。
魔法学は一学年分だけでも内容が多いものだから、紙質を薄くしないととても分厚くなってしまうんだよ」
紙の感触を指先で確認したマリスディアもなるほどと頷く。
ヒオは目を細めて続けた。
「それじゃあ今から君たちには、風を起こしてこの頁をめくってもらう」
生徒たちからは歓声が上がり、「風だって」と囁き合う声も近くで聞こえてきた。
「風?!風をどうやって起こすんだ、ヒオ」
ジルファリアが瞳をキラキラとさせて捲し立てた。
マリスディアは柔和な笑みを貼り付けながら青筋を立てている様子のヒオに気がついてしまう。
「ジル、“先生”を付けなければ」
思わず指摘してみたが、魔法のことしか頭にないジルファリアに届くはずもなかった。
「いいかい、さっきも話した通り、力を貸してくれる存在への感謝の気持ちが必要なんだ」
ヒオが人差し指を顔の前に立て、そのまま手の平を胸に当てた。
「心の中で伝えるだけでも構わない。実際に口にしてみてもいい。心からの感謝の気持ちを持つことが大切だよ」
「こころの中……」
マリスディアが反芻しながら自分の胸にも手を当てる。
ウルファスも時々そうしていたことを思い出した。
(いつもわたしの嫌な気持ちを吹き飛ばしてくれて、ありがとうございます)
木の上に登って風に吹かれていた時のことを思い出す。
父が不在で寂しい思いをしていた時や母を亡くした時、マリスディアの孤独に寄り添ってくれたのはセレインストラのあたたかな風だった。
南から吹く優しい風の感触を思い出しながらありがとう、と心の中で呟いた。
「ありがとうございます。いつも洗濯物がよく乾きます、風さんありがとう」
隣の席からはサリが感謝の気持ちを繰り返す声が聞こえてきた。
「さぁ、それじゃあいこうか。風の力を借りるのに意識を集中して欲しいところがあるんだ」
ヒオの言葉に一同が目線を上げる。
ヒオは先ほどと同じように胸元に手を当てたままだった。
「僕ら人間の身体と自然の力は繋がっていると言われていて、各部位に意識を集中することで借りられる力も変わるんだ」
「借りられる力……父に聞いたことがあります」
珍しくオルトラクトが口を挟んだ。
流石、幼い頃から魔法を学んでいると豪語するだけのことはある。マリスディアは感心した。
興味深げにヒオが彼に目を留めた。
「ふむ、それじゃあオルトラクト=ミリオン=シュトレーゼン。身体の部位と借りられる力について説明をお願いしてもいいかな?」
「はいっ」
オルトラクトは実に嬉しそうにそのまま起立する。
その得意げな様子にジルファリアはチッと分かりやすく舌打ちをした。
ごほんとわざとらしく咳払いしながらオルトラクトは口を開いた。
「我々の身体には自然と繋がりのある場所が七つあるそうです」
些か緊張した面持ちでオルトラクトは続ける。
「そこに意識を繋げると、身体中の魔力の流れが良くなり、魔法を使うことが出来るのです」
彼は、まずと言葉を繋げた。
「一つ目の場所は足の裏、ここは土の力を借りられる場所です。それから丹田……」
「たんでんって何だ?」
首を傾げたジルファリアが口を出すと、妨害されたとあってかオルトラクトが不機嫌な表情を見せた。
「へその下あたりのことだよ、物知らずだな君は」
「何だとっ!」
「うるさいデコ……じゃなかった、ジルファリア。黙って聞いていなさい」
ヒオがぴしゃりと制すると、ジルファリアは不貞腐れたように頬杖をついた。
「オルトラクト、続けて」
「はい、丹田は水の力を借りる場所です。そしてその上のへその部位、ここは火の力を象徴します」
「オレの父ちゃんが得意にしている力だぞ、マリア」
斜め前の席からこっそりと得意げに囁くジルファリアに頷きながら、マリスディアはヒオがこちらに鋭い視線を向けていることに冷や冷やしていた。
「それから先程先生がおっしゃった風の力は四番目の場所、胸に意識を集中して力を借りることができます」
ヒオが胸元に手をずっと当てているのはその為なのかと納得する。
ここに意識を集中すれば風の魔法が使えるのだと胸が高鳴った。
「それから五番目の場所が喉元です。ここは天候などを司る空の力を借りられます」
「そうだね、天候と聞くと分かりづらいけれど、太陽の力を借りた光の魔法や夜の力を借りた闇の力もこれに当たるね」
ヒオが補足を加えた。
「そして六番目の場所ですが、眉間と言われていて、感覚を司る……んですよね、先生」
オルトラクトは少し自信なさげにヒオの顔を窺う。
「うん、そうだね。感覚というか直感というか……眉間には自然の力というよりも、自分自身の潜在的な力を引き出す場所とも言われているよ」
「どういった魔法を使うときに使われるのですか?」
そんな生徒の問いかけに、ヒオも考え込む。
「うーん……、確かにそう聞かれるとどう答えればいいか難しい質問だね。あまり意識していない時かもしれないな。
例えば、無意識に自分を守る必要がある時や、窮地に追い込まれた時に勝手に発動することが多いのかも」
「そうなんですか?」
「人によっては、額はもう一人の自分と繋がる場所と言う者もいるし、或いはもう一人の自分の声が聞こえたという例もある」
「……もう一人の自分」
マリスディアは、裏街の時計塔でジルファリアが魔法を使った時のことを思い出していた。
あの時の彼はまさに無意識で魔法を起こしていたように見えたからだ。
彼もそんな声が聞こえたのだろうか。
マリスディアは真剣に前を向いているジルファリアの後ろ姿をちらりと盗み見た。
「六番目の場所の話は少し難しかったね。次の七番目もまた少し他の部位とは異なってくるんだ。オルトラクトは説明できるかな?」
「は、はい!七番目……最後の場所は頭頂部と聞きました」
「頭のてっぺんってことか?」
自分のツンツンとした髪を触りジルファリアがまたも口を挟んだ。
「そうだ。この場所は、一番目から六番目すべての魔力の流れが解放された時だけ使えるのだと、家の魔導書に書いてあった」
オルトラクトが丸暗記したのであろう本の内容を言葉通り並べていった。
「そして使える力は、時間や空間、意識を超えた力だと」
「何だそれ、どういうことだよ?」
不可解だといった風にジルファリアが首を傾げる。
「まぁ、一番難しいとされている魔法だね。何も無い状態から何かを創り出す創造の魔法と言われている」
ヒオが教壇に手をついて答えた。
「この魔法はアカデミーでも教えられないくらい、個々で向き不向きが分かれる分野の学問になるんだ」
それはどういうことだろう。
生徒たちは興味津々という表情でお互い顔を見合わせた。
「簡単に言うと、頭で想像した通りのことが事象として起こる魔法ということだね」
「へぇ、すごいわ……」
サリが思わず呟く。
「うん、それだけ聞くととても魅力的な魔法に思えるよね。
枯れた土地一面を花畑にしたければそう想像すれば良いし、目の前の怪我人を救いたければそう祈ればいいんだから。……けれどね」
目を伏せたヒオの声が少し暗くなる。
「たとえばこの創造魔法……通称、第七魔法の使い手が、もし街の壊滅的状況を想像したとしたらどうだろう?
例えば憎らしいと思った相手の不幸を願ったとしたら?」
そんな問いかけに生徒たちは口を噤んでしまった。
彼の例え話がとても恐ろしいとマリスディアも感じ、言葉になってこぼれ落ちた。
「……とても、難しい魔法なのですね」
「今のはとても極端な例だったけどね。流石に世界滅亡とかはないと思うよ」
教室に流れる空気が重くなったのを祓うように、ヒオがふわりと笑う。
「この魔法を扱うには、基礎的な魔法の能力、応用力だけじゃない、倫理的な感覚も持ち合わせていなければならない。
魔法学だけではなく、人道的なことまできちんと学ばなければならないんだ」
ヒオは安心させるような笑顔を見せた。
「要するにとても膨大な時間が必要ってこと。アカデミーでも教えきれない学問だから、どうしても学びたい人は卒業後に教授陣の研究室に入るか、宮廷魔導士の道を目指して自分の研究室を持つかだね」
それでも途方もない道なのだろう。
マリスディアは感嘆のため息を漏らした。
「だいぶ脱線しちゃったけど、魔法の基本的なことが今の話でだいぶ伝わったと思う。ありがとう、オルトラクト。座って」
そんなヒオの言葉に、生徒たちはいよいよ始まるのだと期待に満ちた目を向けた。
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