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二章;OPENNESS

62話;萌芽のとき(7)

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 「けれど、そもそもニコラスがこの課題に参加しているかも分からないわよ?」
 どの学年の上級生が課題を提供しているのかはミスティからも説明はなかったはずだ。

 「まぁそれは確かにそうだけど、でも参加されているのだとしたら、課題はきっと難しいものに違いないわ」
 両手を胸の前で組むサリをジルファリアが馬鹿にしたように鼻で笑う。
「ふん、難しい課題だろうがなんだろうがそんなもんオレ様が突破してや……、って、うわぁぁぁぁぁぁ?!」
「ジル?!」

 マリスディアが彼を振り返った時、すでにジルファリアの身体は大人三人分くらい上空に跳ね上がっていた。


 「だあぁぁ畜生、これが罠かよ……」
 瞬時に自分に何が起こったのか察知したのであろうジルファリアが悔しそうな声を上げる。
 マリスディアも同時に彼の姿を観察し始めた。

 ジルファリアの身体は近くの大木の枝に逆さ吊りにされていたのだ。
 枝の先が何かの力で変形したのか、編み込まれた縄のような形で伸びており、それが彼の足首に絡みついているというわけだ。
 先程木の近くを通りかかった時に、罠が発動する何かを踏んだのだろう。

 「うえ……気持ち悪」
 青ざめて呻く彼の身体はぷらぷらと上下に揺れている。
 このままだと酔って嘔吐してしまうかもしれない。
 いや、それどころかもし縄が切れたりしたら、頭から真っ逆さまである。
 ぎしぎしと軋む縄の音が聞こえ、潰れたトマトを想像したマリスディアは、どうにかして助け出せないものかと木の幹に駆け寄った。

 その木に触れたマリスディアはため息を吐く。
 それは憎らしいほどにつるりとした樹皮で、足をかけたりよじ登る隙すらなさそうな木だった。

 「どう、マリア?登れそう?」
「駄目だわ」
 首を横に振ると、マリスディアは頭上を見上げる。
「こんな形の木、見たことがない」

 綺麗なほどに滑らかな樹木が天に向かって伸びている。
 また不自然なくらい枝分かれが全く無く、ただ頭頂部に一本だけ縄のような枝を伸ばしていた。
 その縄がジルファリアを捕らえているのだ。

 (これがこの迷宮にだけ自生している植物なのか、それとも……)
 考え込みながらマリスディアは試しに幹に飛びついてみたが、ずるりと滑り落ちた。
 感触も磨かれた木造家具の表面のようで、天然の樹木とは別物に感じた。
 やはりこれは上級生が作り出したもののようだ。

 「ジル、大丈夫?」
「おう、マリア。心配すんな!なんとかしてこれを……っと」
 明るく返したジルファリアが身体を前後に揺すり、なんとか縄から逃れようともがき始めた。
「駄目よジル。そのまま抜け出せたとしても潰れたトマトになってしまうわ」
「……は?トマト?」
「ともかくなんとかしてジルを助けないと」
「けど、木にも登れないし周りに道具もないんじゃどうやって……」
 サリがきょろきょろとあたりを見回す。確かに周囲には何も役立ちそうなものはなかった。

 (道具……何か作れるものは)

 「そうだわ、ロザンディアの蔦の縄梯子を繋ぎ合わせて網のようなものを作れば、ジルが落っこちてきても衝撃が抑えられるんじゃないかしら」
「けど、ロザンディアの蔦が生えていたのはだいぶ前よ?戻るの?」
 何も言い返せずマリスディアは肩を落とした。


 「へへっ、いいってマリア、このまま先に進めよ」

 頭上でジルファリアがからりと笑った。
「ジル、何を……」
「このまま何の解決策も無くうんうん唸ってるだけじゃ時間の無駄だろ?オメェらだけでも先に行けって」
「そんな……!」
 思わず声を上げるマリスディアにジルファリアが微笑み返す。
「罠にかかっちまったのはオレの責任だ。だからオレの課題はここまでだ」
 その妙にすっきりとした表情に、マリスディアは納得できないでいた。

 「……マリア、ジルファリアがああ言ってるんだから、そうしない?」
 こちらを窺いながらサリが口を開く。
「嫌よ、なんとかしてジルを助けないと」
 首を振りながらマリスディアが近くの茂みに何か落ちていないか探し始める。

 これが授業の一環であることはもう彼女の頭になかった。
 逆さ吊りの友人をどうにかして助けたいと、そんな思いで視線を走らせた。

 「マリア」
「さっきだってサリを助ける方法がそばにあったのよ。今度だってきっと何か方法が」
 そう言いながら、茂みをかき分ける。
 棘のついた枝が手指を突き刺したがお構いなしだった。
 茂みの中に頭を突っ込んだその時、

 「っ?!」

 頭上から何かがばさばさと音を立てて降りて来たかと思うと、顔の周りに纏わりついてきた。
 視界を黒く遮られ、思わず目を瞑る。
 複数の小さな爪が額を蹴る感触がしたので咄嗟に腕で顔を庇った。

 「えっ、何これ、嫌っ」
 どうやらマリスディアだけではないらしい。
 背後に立っていたサリの悲鳴や、頭上からはジルファリアの慌てた声が聞こえてきたのだ。
 うっすらと目を開けてみると、夥しい数の蝙蝠が襲いかかっているところだった。

 「痛っ」
 すぐさま鋭い爪で顔を狙われ、また目を閉じる。
 顔を庇った腕に爪が食い込んだ。そしてその風圧に押されるようにマリスディアの身体が後方へよろめく。
 こんなに数多くの蝙蝠に襲われては動くこともできない。

 もうジルファリアを助けることも、迷宮を切り抜けることも考えられなくなっていた。


 「時間切れだ」

 ふいに静かな声が降ってきた。
 その聞き覚えのある声にマリスディアは「ああ、失格になったのだ」とすぐに感じた。
 声の主が地面に降り立つ気配がしたと思ったら、こちらに爪を立てていた蝙蝠たちが一斉に消え去る。
 羽音も何も聞こえなくなり、もとの静寂に戻った。

 「ニコラス」

 構えていた腕を解き、マリスディアは従兄弟に向けて名を呼んだ。
 よもや先程話題にしていた本人が本当に現れるとは。
 マリスディアは些か悔しい気持ちで相手を正面から見つめる。

 「この仕掛けを何とかしようというお前の気持ちは伝わってきたが」
 そこまで話すと、ニコラスはついと腕を軽く振る。
 すると、そこにあった不自然な形の樹木がしゅるしゅると形を変えていき、捕らわれていたジルファリアをそのまま抱えるように地面へと下ろした。彼はそのまま腰が抜けたように座り込んでしまった。

 「残念ながら時間が足りなかった」
 マリスディアは黙ったままこくりと頷いた。

 「それに……」
 少し顔を顰めてニコラスが言葉を続ける。

 「お前は甘いところがある。今回の課題はチームメイトとこの迷路を突破することだろう?」
「あ……」
 マリスディアは言葉に詰まった。
「それに自分の実力を過信するな」
 彼の鋭い視線と指摘に何も言い返せず立ち尽くした。
 それはサリも同じだったようで隣で俯いている。

 「待てよ」
 その時、しゃがみ込んでいたジルファリアが立ち上がった。
「そんな言い方しなくたっていいじゃねぇか、マリアはオレのこと助けようと……」
「確かに友人を助けようとする姿勢は立派だ。だが、そうしたことで結局全滅した。もしここが僻地の洞窟だったらどうする?」
「……それは」
「さっきの蝙蝠は私が創り出した幻影のようなものだが、実際に襲って来たのが野生のゴブリンやオークの群れだったらどうなっていたと思う?」
「……う」
 容易に想像ができたのだろう、ジルファリアも口を噤んだ。

 すっかりしょんぼりと黙り込んでしまった一年生たちを見回し、ニコラスはため息をつく。

 「そうしょげるな。君たちはまだ入学したばかりだ。出来ないことがあるのは当たり前。
 これからここで色々なことを学び、自分や人を守る知識や力を身につけるといい」
「ニコラスさま……」
 顔を上げたサリは頬を紅潮させて手を上げて大きく頷いた。
「私、サリ=オランジェットはアカデミーでニコラスさまのようにたくさんのことを学びたいと思います!」
 そんな元気な声に、マリスディアも明るい表情になる。
「ありがとう、ニコラス。わたしも頑張りたいと思います」
 微かに笑ったニコラスも頷いた。


 ただ、ジルファリアだけは面白くなさそうな膨れっ面のままだった。


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