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二章;OPENNESS
52話;始まりの学び舎(1)
しおりを挟むマリスディア=ルイス=セレインストラは心許ない様子で立っていた。
入学試験の日も相当視線を集めていたが、今日も様々な視線が痛い。
そのほとんどが好奇心からくるものだったからだ。
どうしても目立ってしまうこの黄金の髪をすっぽりと布で覆い隠してしまいたかった。
ただでさえ同じ歳くらいの子どもと接する機会が無かった彼女にとって、この王立アカデミー入学式という日は一つの関門のようなものだった。
彼らとどのように接していけばいいのか全く分からない。
周りの子ども達もそれは同じで、一国の王族とどういう会話をすれば良いのか量りかねるのだろう。
お互いに見えない壁ができているようだった。
「マリアー!」
そしてそんな壁をいとも簡単に乗り越えてくる少年の声に、マリスディアは心底ほっとするのを感じた。
後ろから駆けてくる彼の姿を見つけて、ようやく笑顔が浮かぶ。
「ジル!」
腕を大きくぶんぶんと振りながら全力で駆けてくるジルファリアに、マリスディアも手を振り返した。
「おはよう、ジル」
「ああ!おはよう、マリア!いよいよだなっ」
にかりと笑う彼を見て、マリスディアの心も晴れた。
まるで太陽みたいな笑顔だといつも思う。
きゅっと弧を描くように細められた黒い瞳は、陽の光を受けてきらきらと光り、ちらりと八重歯がのぞく口元は実に楽しそうに笑っていた。
この人懐っこい笑顔に何度助けてもらったことだろう。
出会ってから年月も経っていないのに、既にマリスディアの心の拠り所となるくらい安心感を感じた。
ずっと走って来たのか、目の前まで来るとジルファリアは肩で息をついた。
短く刈られた栗色の髪がその弾みで揺れている。
「お互い入学できて嬉しいわ」
「うん、よろしくな!なんかまだ制服に慣れてねぇけど……」
少し照れながらジルファリアが腕を上げた。
深緑のブレザーに身を包み、えんじ色のタイを結んだ姿はいつもより大人びて見えたが、その上から羽織った黒のローブがぶかぶかで、新入生らしい初々しさを感じさせる。
それはマリスディアも同じで、卒業する頃にはこのローブがちょうど良い寸法になっているのだろうかと考えた。
そう言えば、とマリスディアが見回す。
「サツキは一緒ではないの?」
確か彼も合格したと聞いていたはずだ。
ジルファリアは首を横に振ってみせた。
「いまアイツ、職人街にいねぇんだよ。だから別行動だ」
「そうだったの?」
「オレも詳しくは知らねぇんだけどさ」
ジルファリアの話によると、サツキは義父を亡くした後、彼の上役にあたる人物と出会ったらしい。
そしてその人物がアカデミー入学の日まで面倒を見てくれるということで、今はその家の世話になっているようだ。
ラバードの話を聞いた時、マリスディアは申し訳なさで胸が痛んだ。
職人街裏町で自分のことを助けてくれた時の優しい笑顔が目に浮かぶ。
自分が彼の死のきっかけになってしまった事を詫びたい気持ちでいっぱいだった。
「だから式典には来ると思うぞ」
「楽しみだわ」
あの日のことは、彼女自身忘れることができないでいた。
式典のために講堂へ向かうジルファリアに着いて歩きながら、マリスディアはあの夜のことを思い出していた。
とは言ってもあの黒ずくめの人物__ジルファリアは黒頭巾と呼んでいるが、その黒頭巾に自分が連れられた記憶はなかった。
気がついた時には自分は黒焦げの状態で自室の寝床に横たわっており、就寝時となんら変わらぬ場所で目覚めたのだ。
傍らで王宮常駐の治療士やヒオが自分に魔法をかけているのを薄れた意識の下で見つめていただけだった。
意識が戻った時には全て終わっていたのである。
後から聞いた話で、王城の誰にも悟られず黒頭巾が侵入していたこと、そして自分が中庭まで連れて行かれていたことを知った。
そんな中で唯一違和感を感じ取っていたらしいジルファリアが助けに来てくれたことや、彼や自分を守るためにラバードが命を落としたことを聞いた時は胸が張り裂けそうになった。
(情けない)
多くの人が傷ついていた間、自分はただ気を失っていただけだなんて。
マリスディアは表情を暗くした。
「ん?どうしたんだ?」
そんな微かな声を聞き逃さなかったらしい。ジルファリアが不思議そうにこちらを覗き込んだ。
マリスディアは首を横に振り小さく笑う。
「なんでもないわ。講堂へ入りましょうか」
いつまでも浮かない顔でいるわけにはいかない。
父や、目の前できょとんとした顔をしているジルファリアにまた心配をかけてしまう。
黒頭巾の目的が何なのか分からないが、またいつ襲われるとも限らない。
それまでにアカデミーで力をつけなければならないとマリスディアは再認識した。
このままではただ守られるだけの役立たずだ。
せめて自分の身は自分で守れるようにならなくては。
(アカデミーで魔法や色々なことを学んで、早くお父さまのお役に立ちたい)
そんな思いを胸に、目の前に聳え立つ煉瓦の建造物を見上げた。
歴史を感じさせる校章を模ったレリーフが、一層重圧を感じさせた。
講堂にやって来た二人は、指示された席に着く。
着席してからも周りからの視線を集めていたが、隣に座るジルファリアが話しかけてくれることで不安も薄らいだ。
「なぁマリア、今日のしゅくじ……とかいうやつ、ウルファスさまがするんだってな」
余程嬉しいのだろう、講堂中をキョロキョロと見回していたジルファリアが瞳を輝かせながら訊ねた。
「母ちゃんに、せっかくのありがたいお言葉なんだから耳の穴かっぽじって聞いてこいって言われてさ」
「ふふ」
両耳を引っ張って見せる彼の姿にマリスディアは微笑む。
「ジルのお母さまも今日のことを喜んでいらっしゃるのね」
彼の母親はしばらくの間、アカデミー入学試験に難色を示していたという。
だが、ラバードの死をきっかけに思うところがあったようだ。
ジルファリアの必死な思いと訴えに最後は承諾したという。
受験できることになった彼が嬉しそうに王宮へやって来た時は、喜びを全身で表現しているかのように飛び跳ねていたものだ。
だが、実際に受験に向けて何をどう勉強すれば良いのか分からず、マリスディアに相談しに来ていたところをウルファスが聞きつけ、せっかくだからとマリスディアと一緒に勉強を見てくれる時もあったわけである。
そのおかげでジルファリアも少しずつではあるが、この国のことやこの国を取り巻く環境、地形のことなどを知ることが出来たし、興味を持って取り組んでいた。
マリスディアは今まで同世代の友人と一緒に勉強をしたり同じ時間を過ごすことがなかったので、新鮮でとても楽しい時間を過ごせて毎朝鼻歌を歌っていたものだ。
「けど、相変わらず口うるせーんだぜー」
うんざりしたようにジルファリアが顔を顰めていると、
「おばちゃんもお前のことが心配なんやろ」
と、独特の口調をした声が降ってきた。
「サツキっ!」
二人同時に振り返ると、見覚えのある黒くまんまるな形をした瞳がこちらを愉快そうに見つめていた。
「サツキ、お、おはよう」
半ば上擦ったもののマリスディアが声をかけると、彼は長い前髪から覗く瞳を細めてにこりと微笑んだ。
「おはよう、お姫さん。なんか王女さま相手に恐れ多いけど、これからは同級生なわけやしよろしくな」
「こちらこそよろしくお願いします」
「ははっ、そんな畏まらんでええよ」
吹き出したサツキは、自分が座る方とは反対の、ジルファリアの隣にすとんと腰を下ろした。
サツキ=キリング。
自分などとは違って、とても大人びた不思議な少年だとマリスディアは思っていた。
ジルファリアを介してでしか会ったことはないが、自分にも一見気さくに接してくれる。
王族である自分に対する壁のようなものは正直感じていたが、それでもマリスディアには充分有り難かった。
ラバードをあんな目に遭わせてしまったのだ。
本来であれば拒絶されてもおかしくないのに、こうしてジルファリアの向こう側から手を振ってくれる。
「おいサツキ、あんまマリアにちょっかい出すんじゃねぇぞ」
つられて自分も手を振り返していると、ジルファリアが不機嫌そうに二人の間に割って入った。
首を傾げて目で問うサツキにジルファリアが畳み掛ける。
「マリアはこの国の王女なんだから、馴れ馴れしくしてたら怒られるだろ」
「馴れ馴れしくって……、お前の方がよっぽど失礼に値するくらい馴れ馴れしいやんか」
サツキが呆れたようにため息を吐くと、オレはいいんだよとジルファリアが不貞腐れた顔でそっぽを向いた。
そんな彼と、「はいはい」と苦笑しながら諦めたように肩をすくめるサツキを見て、マリスディアは嬉しくなった。
友人、と呼んでしまっても良いものか分からなかったが、こんな風に誰かと笑い合ったりすることを願っていたからだ。
「なに嬉しそうな顔してんだよ、マリア?」
不思議そうに首を傾げるジルファリアに首を振ると、彼女は講堂の壇上に現れた父の姿を捕らえた。
「式典が始まるみたいよ」
そんな言葉にジルファリアもサツキもハッと壇上を見上げたのだった。
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