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一章;NEW BEGINNINGS
38話;黄昏の王(3)
しおりを挟む「わ、すげ……」
ジルファリアは思わず感嘆のため息を漏らした。
マリスディアに連れてこられたのは、王宮の二階に位置する場所で、バルコニーと呼ぶには広すぎる場所だった。
庭園にしては二階に位置しているからか、空がとても近く感じられる。
一歩踏み出せば青々とした芝が靴底に柔らかく当たり、足元に目をやればそばの花壇には色とりどりの花が咲き誇っていた。
また花壇の向こうがわにも、無造作に野草や野花が植わっており、その様が郊外の田園風景を思い出させるようだった。
そして中庭をぐるりと囲むように低木や高木が植えられていたのだ。
マリスディアが目に入る花や木の名前を指差しながら教えてくれている。
「すげーなぁ、城の庭ってこんなに色んな花が植えられてたりするんだな」
「ジルの住んでいる町には、お庭はないの?」
「あるっちゃあるんだけどさ、職人街だと庭は家の裏手にあるんだ。洗濯用の井戸があったりするから、母ちゃんたちの井戸端会議所だとかチビたちの遊び場になってるんだよ」
花なんて育てたら、踏み潰されるかもしれねぇなと笑って見せた。
「でも、賑やかで素敵だと思うわ。みんなでおしゃべりできるんでしょう?」
「まぁ、そうだけど。みんなうるせぇぞ?」
花壇のそばにしゃがみ込んだジルファリアが物珍しそうに花々を覗き込んだ。
野花が風に揺れ、小さな虫がそこに留まった。
触ろうと指を近づけると、羽を動かしながら飛び出した。
ぶん、と羽音が耳元で聞こえ羽虫が横切る。
そして花々の間を飛んでいく様を眺めながら、ジルファリアは心が和むのを感じた。
「……なんか、いいな、ここ」
そう言って彼女を振り返ると、マリスディアは目を細めた。
「ありがとう」
「ん?ありがとう?」
そのまま彼女は脇に置かれたジョウロを持ち上げると、城壁近くの水汲み場まで歩き出す。
そして水をたっぷりと入れるとこちらへ戻って来た。
「このお庭、わたしが育てているの」
「えっ」
驚くジルファリアに笑い返しながら、彼女は花々の咲く花壇にたくさんの雨を降らせた。
「お父さまにお許しをいただいて。もちろん大きな木だとか、力が必要なことは大人のかたに手伝っていただいたけど、種撒きや苗付けとか、あとは煉瓦で道を作ったり……楽しいのよ?お花の種や苗も花職人のかたに手配したりして」
ジョウロを左右に大きく振りながら、慈しむように彼女はその光景を眺めていた。
ジョウロの雨が降り注ぐ場所には、小さく虹がかかる。
「スッゲーじゃん、マリア!」
思わず立ち上がったジルファリアは彼女の顔を覗き込んだ。
「え?」
「こんなにたくさん、それも一から作ったなんて。マリアにはすげぇ才能があるんだな」
思った事を直線的に伝えると、マリスディアは頬を染めた。
「そ、そんな、大袈裟よ。わたし、土をさわるのが好きなの。……それに」
そう返した彼女は、空を見上げた。
「アカデミーへ通えるようになるまでは、ここがわたしにとって唯一外の世界だから、大切にしたかったの」
「マリア……」
そうだったと思い出す。
何不自由のない恵まれた王族の生活だと今まで思い込んでいたが、自由に好きな場所を駆け回ることも彼女にとっては難しいのだ。
必ず誰かが側にいて常に見守られている。
事実この中庭の扉のところにも、衛兵が背筋を伸ばし立っていた。
それが彼女にとって安全なのだとも思うが、それがずっとだと息が詰まっちまうよなとジルファリアは心の中でため息を吐いた。
そんな彼女の瞳には美しい青空が映っている。
そしてこの空のように清々しい表情で、マリスディアはこちらを振り返った。
「変な話をしてごめんなさい。おいしいお茶があるの、一緒にいただきましょう」
「マリア」
急に話題が変えられジルファリアは少々戸惑ったが、すぐに笑ってみせた。
「そうだな、オレも腹へった。……あ、そうだ、母ちゃんからマリアにさ、クラケットを持ってきたんだ」
思い出したジルファリアが持って来ていた包みを取り出すと、中からは可愛らしく飾り付けられた菓子箱が現れた。
随分な気合いの入れようだ。
箱に巻かれた赤いリボンをげんなりと見下ろしていると、
「まぁ、素敵。ジルのお母さまが作ってくださったの?」
マリスディアが顔を輝かせて覗き込んだ。
「この間いただいたお母さまのクラケット、とても美味しかったから楽しみだわ」
ありがとう、と箱を受け取るとマリスディアは庭園の奥の方へ促した。
彼女の後を着いて行くと、それがきっと東屋なのだと思われる建物があった。
壁面がなく柱と屋根だけでできているそれは、小さな休憩所のような造りをしていた。
中には椅子とテーブルが置かれ、その上には色とりどりの茶菓子などが置かれている。
「ここでお茶を飲むのが好きなのよ」
そう微笑みながらマリスディアが椅子に座るように促したので、ジルファリアはそのまま腰を下ろす。
目の前のカップに茶が注がれると、甘い良い香りが鼻をくすぐった。
こういうところはやはり育ちが良いと言わざるを得ない。
(そもそもお茶の時間なんてもん、庶民のオレにはねーもんな)
「お母さまのクラケットもお皿に取るね」
楽しみで仕方がないといった顔で、彼女は箱を開く。
「マリアは、お茶とかお菓子の準備を召使いにさせたりしないんだな」
絵本の世界での王様やお姫様は、身の回りの世話をしてくれる従者がいたはずだ。
実に手慣れた手つきでトレイに菓子を分けていくマリスディアの姿に、どうやら彼女はお茶の時間に侍女を従えないのだと気づいた。
事実、見張りの衛兵が中庭の入り口にいるだけで、従者のような者は他に見当たらない。
「自分で全部やりたいのよ」
にこにこと笑いながら彼女は茶菓子を盛り付けていく。
「もちろん、こういうことも彼女たちのお仕事だと分かってはいるんだけど、庭造りだけじゃなくてお茶の準備も好きで……、我が儘を言っているのは事実なんだけどね」
少々伐が悪そうに笑いながら、マリスディアはできたわとこちらにトレイを寄越した。
母のクラケットですら美しくまるで高級菓子のように盛り付けられ、彼女が用意していた茶菓子もとても美味しそうだった。
目を見張ったジルファリアはすげ、と短く感動の気持ちを表す。
その時だった。
甲高い鳴き声が聞こえたかと思うと、ジルファリアの頭の上に何かが留まった。
「んん?……あ、お前!」
ぱたぱたと小さく羽ばたきながらテーブルに降り立ったのは、貴族街でジルファリアが罠から助け出した白い鳥だった。
小さな丸い瞳がこちらを見上げている。
「あれからお友だちになってくれて、お家もないようだったからここまで連れて来てしまったの」
マリスディアが小さな平皿に水を注ぐと、小鳥は傍まで寄り嘴でつついた。
「そっか。ええと、確か……ハイネル?ってヤツの屋敷だったよな」
こくりと頷いたマリスディアはカップに口を付けた。
「ハイネルさまはとても優しいかたなのよ。お庭造りのことだけじゃなくて、いろいろと植物の特徴なんかも教えてくださって」
「ふーん、貴族の道楽趣味も役に立つんだな」
ぱくりと茶菓子を口に放り込みその甘さに口元を緩ませている中、マリスディアは嬉しそうに中庭から見える城壁を指差した。
「たとえばあの外壁に伝わせているロザンディアの蔦はね……そうだわ!」
すると彼女は声を弾ませぽんと手を打った。
「ねぇ、ジル。今から屋根に登らない?とっても眺めの良い場所があるの」
「……はぁ?」
その嬉々とした表情と彼女の申し出があまりにちぐはぐだったので、ジルファリアは素っ頓狂な声を出した。
「ロザンディアの蔦は、若い蔦だと頑丈で柔らかい縄梯子が作れるの。この間新しいものを作ってみたんだけどなかなか良いものができたのよ」
「おま……縄梯子とかも作ったりすんのかよ」
「図書館の本に作り方が載っていたから」
「ほんと、オヒメサマっぽくねーな、マリアって」
そう呆れたように呟いたが、それでもジルファリアの表情は実に嬉しそうなものだった。
「けど、楽しそうだな!じゃあ屋根まで連れてってくれよ」
「うん!」
ぱっと顔を輝かせたマリスディアはすぐさま立ち上がると、こっちこっちと手招きをした。
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