宵闇の魔法使いと薄明の王女

ねこまりこ

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一章;NEW BEGINNINGS

31話;夕刻の追走劇(11)

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 「行ってもうたな、お姫さん」
 がらんとした洗濯屋の店内で、サツキが呟く。

 あれからすぐにラバードは「久しぶりに大暴れしたらなんか腹減ったわ。今日の武勇伝をおかみさんに披露してくるかぁ」とご機嫌で飲み屋へ行ってしまったので、店内にはジルファリアとサツキの二人だけになってしまったわけである。

 椅子に腰掛けたジルファリアは背もたれにだらりともたれ掛かり、気のない返事をした。
「ほんま、今日は色々ありすぎて疲れたな」
「あー、そうだな」
 変わらずうわの空で返事をする。
 そんな事を気にも留めず、サツキは洗濯の終わった衣類を畳み出した。
 手際よく詰まれていく様をぼんやりと眺めながら、ジルファリアは今日の出来事を思い返していた。

 あの黒頭巾は何者だったのだろうか?
 なぜ、自分は学んでもいない魔法を使えたのだろうか?
 あのとき頭に響いてきた声は、本当に自分の内側から聞こえてきたのだろうか?

 少し間違えれば自分やサツキは間違いなく殺されていただろう。
 それほど危険な事態に直面していたのだ。

 極限の状態だった反動か、すっかり気が抜けてしまったのである。

 そしてそんな呆けたジルファリアの様子を見つめながら、サツキは肩をすくめた。
「まぁ実際、ひやっとした体験やったな。お前も今日はちゃんと休むんやで、ジル」
「うん」
「お姫さんも、ゆっくり休めてたらええんやけどな」
「うん」
「ほんま、みんな助かってよかったわ」
「うん……あーー!」

 突然ジルファリアが大声を上げたので、驚いたサツキは椅子から転げ落ちそうになった。

 「な、何やねん。いきなりけったいな声出してからに」
 当のジルファリアは首元に視線を落とし落胆していた。
「これ、マリアに返すの忘れてた……」
「んん?……あー」
 ジルファリアの首から下がっている“呼び声の雫”を覗き込んだサツキが納得した。
「これ、確かお姫さんから預かってた魔法具やろ?」
「魔法具?」
「そうや。何かしらの魔法がかけられてる装飾品のことを魔法具っていうんや。ちゅーことはウルファスさまの魔法がかけられてるってことか……」

 その青い硝子玉をしげしげと見つめたサツキがニヤリとした笑みを寄越した。

 「これ、めちゃくちゃ価値のあるもんちゃう?高く売れへんかな……」
「だっ、だめだぞ、サツキ!これはマリアの大事なもんなんだ」
 両手でそれを覆い隠すと、ジルファリアは険しい顔でサツキを睨みつけた。
「はは、冗談やって。なら、今度お姫さんに会ったとき返したらええやろ」
「会えるかな、マリアに」
 途端肩を落とすジルファリアに、サツキは短く唸る。
「んー……、どうやろな。城にはたくさん見張りとかもおるやろうし、見つかったら捕まるやろな。さっきの、あの背の高い美形の兄ちゃんとかな」

 ……そうだ、あのヒオとかいう嫌味たっぷりな男。

 思い出したジルファリアは眉間に皺を寄せた。
「あのスカシ野郎、マリアにあれ以上酷い事言ってやしねぇだろうな」
「結構はっきり言い放ってたもんな。王族相手に大したもんや」

 王族と言えば。ジルファリアは思い出した。

 「なあ、サツキ。フクインメイって何だ?」
 先程マリスディアに返していた言葉を思い出し、首を傾げる。
「さっき言ってただろ?王族だとか何だとか」

 「ああ、福音名な」

 頷きながらサツキが返す。そして畳み終えた衣類を籠の中に仕舞い始めた。
「正確に言えば、王族に限った話やないんやけど」
「そうなのか?」
 仕事がひと段落ついたのか、サツキはこちらへ戻って来て向かいの椅子に腰掛けた。
「福音名っていうのは、上流階級の人間たちにとったら当たり前の風習なんや」
「ふぅん」
「それこそ、王族のもんとか、貴族の大人たちが習慣にしている事で」
 続けながらサツキはテーブルの上のクラケットを一つつまみ上げた。
「一言でいえば、名付け親がもう一人おるっちゅう事やな」
「名付け親?」

 確かに自分たちには全く縁のないような話だ。
 更に首を傾げたジルファリアに、サツキがすぐさま頷きクラケットをかじった。

「そう。ほら、思い出してみ?お姫さんの名前」
「マリアの名前……ええと」
「何や、もう忘れてもうたんか。マリスディア=ルイス=セレインストラ、や」
 すらすらと口から出てくる彼の記憶力に舌をまいたが、そうだったとすぐに思い出す。
「マリスディアっていうのが、お姫さんの両親……まぁウルファスさまとリアーナさまがつけた名前や。ほんで、セレインストラは家名やな」
 ジルファリアはふんふんと食い入るように聞き入った。
 家名は自分達一般的な国民も持っている名前のことだ。
 自分はフォークスだし、サツキはキリングになる。
 「で、名前と家名に挟まれたルイスっていうのが、もう一人の名付け親がつけた名前のことで、それが福音名って呼ばれてるんよ」
 サツキが茶飲みカップに口を付けて、ごくりと茶を飲んだ。
「もう一人の名付け親ってだれだ?」
「そこまでは知らん。名付け親になる人間は、その時々で変わるからな」
「そうなのか?」
「親戚の場合もあるし、友だちの時もある」
「へぇ」

 だとしたら、マリスディアの名付け親というのはどういった存在なのだろう。

 ジルファリアは俄然興味が沸いてきた。
 そんな様子を眺めながら、サツキは続ける。
「王族や貴族って呼ばれてる人間たちは、その身分から命を狙われることも多いんやて。おやじが言うとったわ」
「おっちゃん、何でも知ってんだな」
 普段は日がな一日飲んだくれて、顔を真っ赤にしている酔いどれオヤジなのに。
 ジルファリアは曖昧に笑った。
「まぁ、貴族はその爵位にもよるんやろうけど、王族なんかは確かにそうやろうな。権力争いとか、他の国との付き合いもあるやろうし」
 サツキは本当に難しい言葉をよく知っている。
 ジルファリアはただただ感心して彼の話を聞き続けた。
「それこそ聖王さまくらいになると、命を狙われる事だってたくさんあるんやろうな。リアーナさまが亡くなった時かて色々うわさが流れたんやし」
「そっか」
 ふとマリスディアの悲しげな顔が甦り、ジルファリアは軽く俯いた。
「だから、そうやって自分が狙われて命を落としてしまった時なんかのために、子供の後見人みたいな人間を予め立てるっていう意味で、福音名のしきたりが作られたらしいわ。生まれてきた事への祝福の意味も込めて、福音なんて名前になってるみたいやな」
「なるほど……、それでその、コウケンニンってなんだ?」
「親がいなくなった時、親の代わりに世話してくれる人のことや。財産なんかの管理もしてくれるような人やな」
「ふぅん」

 また縁遠い話に戻りジルファリアの関心は少し薄れたが、彼女の名付け親__後見人となった存在のことが気になってしようがなかった。

 「じゃあマリアの場合は、ルイスって名前をつけたやつが、その後見人になってるって事だな?」
「そうなるな」
「だれなのか気になるぞ、サツキ」
「そんなんおれに聞かれても。福音名をつけたのが血縁のもんなんか、血の繋がりはないんかは知らんけど。ただ、自分が死んだ後に大事な子どもを託すわけやからな。生半可な信頼関係では成り立たんのとちゃうか?」
「なまはんかなしんらいかんけい……」
 小難しい言葉が続いて出てくるので、ジルファリアの頭の中は破裂寸前のようだ。
 サツキは苦笑して彼の肩を叩く。
「要するに、ほんまにお互いのことを信じ合える仲やってこっちゃ」
「おう!それじゃあオレとサツキみたいな仲だったら問題ねぇってことだな」
 途端に明るい表情になり、ジルもサツキの肩を叩き返した。
「まぁそうなんやけど……どっちにしてもおれらにはあんまり関係ない話やな」
 財産なんかあらへんし、とサツキが続ける。
「けど、お前はほんとにすげーな、サツキ」
「ん?」
 クラケットを手に取り、ジルファリアが俯く。
「難しいこととかいっぱい知っててさ、頭もいいし、ダンのとこに殴り込みに行った時も冷静でさ」

 これほど一緒にいて頼もしい友人はいない。
 ジルファリアはいつもそう思っているが、同時に時々感じていた劣等感が今はじんわりと胸に滲んでいた。

 「お前が相棒でよかったよ」
 そんな感情を悟られないように、曖昧な笑顔を浮かべたままジルファリアはクラケットを口に放り込んだ。
「ジル」
 丸い瞳でじっとこちらを見つめていたサツキは、そんな感情を見透かしてかジルファリアの広めの額を指で弾いた。
「いてっ!……何だよサツキー」
「お前はいつもおれの事を頭が良いみたいなこと言うけどな、おれはお前の、友だちのために一直線に突っ走れるとこのほうがすごいと思うで」
「え?」
「お姫さんのために、あんなに一生懸命になってたやん。おれには無理や、真似できん」
「サツキ」
「それだけやない。職人街のちっさい子たちをダン達からも守ってたしな」
「あれは……深い意味はねぇよ」
 照れ臭くなりそっぽを向くジルファリアに、サツキは柔らかく笑った。
「お前にはお前のええとこがあるんや。そやから、これからおれが何か危険に見舞われるような事があったら、今日お姫さんにやったみたいに全力で助けてや」

 にぃ、と笑みを見せサツキが拳を前に突き出す。
 ジルファリアはしばらくそれを見つめていたが、同じように笑うと彼の拳に自分の拳をごつんと当てた。

「おう!じゃあお前も、オレが何か暴走したりヤバそうになったら助けろよな」
「お前は毎日暴走してるやろ」
「何だとっ!」
 吹き出すサツキに不服そうに顔を顰め、ジルファリアの叫ぶ声が職人通りに響き渡ったのだった。



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