恋はあせらず

遠野 時松

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孫とおばあちゃんの恋バナ 上

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 なんでそんなこと言うの。せっかくおばあちゃんの思い出話で心が温まってたのに、これじゃあ台無しじゃない。

 鈴香は両肩を上げながら大きく息を吸うと、勢い良く鼻から吹き出すのと同時に肩を勢い良く、ズンと下げる。

 緩んだはずの宏の頬は、それを見たと同時に再び『ピキ』っと凍り付く。その変わり様は自分たち夫婦の馴れ初めを冷やかされた時とは全くの別物で、背筋を凍らせるそれは自ずとカウンターに座る二人の元に届けられる。

「す、鈴ちゃん、頼むから笑ってくれ。そうじゃねえと大変なことが起きちまう」

 源の切なる願いは叶えられることはなく、鈴香は「フン!」と力強く顔を横に振る。

「お、おう」

 その仕草に源は慌てる。

「な、なあ?」

 自分一人ではどうにも出来ないと思ったのか、源は正に助けを求める。

「そ、そうだな。えっとなぁ……」

 いつもの正なら軽口の一つや二つ出てきそうだが、何を言おうかと言葉を選んでいるのか、しきりに黒目が動くだけで待てど暮らせどその口からは何も出てこない。

 ゴクリ、と源は唾を飲み込む。

 そんなことは絶対にあり得ないのだが、恐怖と不安からか源は、包丁のありかをそっと目で確認する。その様な事態になることはあり得ないのだが、こと鈴香に関して宏に絶対は無いことは知っている。

 ひとり動じずにそのやり取りを見ていた佳子は、微笑みながら「鈴ちゃん」と、頬を膨らましている鈴香を優しく窘める。

「だって」

 駄々を捏ねながら、鈴香は佳子に顔で訴える。

「そうよね、おばあちゃんもそう思う。怒る理由も分かる。けれどね、このままだとおじいちゃんが大変なことになっちゃうの」
「でもね、でもね」
「うん、うん。分かるわよ」

 佳子は優しく頷き、そっと鈴香の頭を撫でる。何か言おうとしたのか鈴香は息を吸うが、そのまま鼻から息を吐き、キュッと唇を窄める。

 佳子は、口角を少しだけ上げてそれを眺める。それからカウンターに顔を向け、誰にともなく、「こら、ダメでしょ」とだけ言う。

 母親に悪戯を叱られる子どもみたいな顔をして、正と源は顔を見合わせる。宏もまた、強張らせた頬をぴくりと動かした後に目を伏せる。

「おばちゃんが代わりに怒っておいたからこれでお終い、ね?」
「……うん」

 小さく頷く鈴香を見て、佳子は「よし、良い子」と笑う。

 身長はすでに抜かされてしまったけれど、小さい頃に『おばあちゃん、おばあちゃん』と膝の上で笑っていた孫は相変わらず可愛く、大人と子どもを行ったり来たりするその姿が微笑ましく佳子の瞳に映る。

「鈴ちゃん」

 優しくゆっくりと名前を呼ばれた鈴香は、何も言わずに佳子の顔を見つめる。

「あのね。女性の気持ちを分からない男なんてぶっても……、あら、ご時世的にそれはダメね」

 佳子は、うふふと笑う。

「そんな男は懲らしめちゃって良いのよ」

 佳子は意味ありげに口角を上げると、ゆっくりと鈴香から源へと目を移す。
 鈴香は「うん」と頷くと、大きく息を吸う。

「源さん、正さんのバーーーカ」

 鈴香は目をギュッと瞑って、舌をベーッと出す。 

「良くできました」

 そう言うと佳子は、少しだけ鈴香に顔を寄せる。

「でもね鈴ちゃん、良い人がいないってのは悪いことでも恥ずかしいことでもないのよ。そんなことで鈴ちゃんの魅力は変わらないわ」

 鈴香は耳元で囁かれたその言葉にビクッと体を動かし、見つめていた頭を掻いている正から佳子へと視線を移す。

「何で——」

 『分かったの?』という次の言葉を鈴香は飲み込む。

「だって、おばあちゃんよ」

 目を見開いていた鈴香に向かって佳子は名探偵の顔で笑い返し、言葉を少なくすることにより正と源に鈴香の気持ちを悟られないように配慮する。

「はい、おばあちゃんの恋バナもこれでお終い」

 佳子は一度だけ手を叩く。それから自分と鈴香の湯呑みにお茶を注ぎながら、「次は鈴ちゃんの番よ」と語りかける。

「私の番?」
「そうよ。恋バナで鈴ちゃんがときめいたなら、おばあちゃんもときめきたいじゃない」
「でも私、友達にもそんな話したことないし」

 鈴香はモジモジと、皿についたクリームをフォークで掬う。残り一口となったロールケーキは、皿の端に大切に寄せられている。

「恋バナは嗜みなんでしょ?」
「そうだけど……」
「芸事でも何でも、聞いているだけじゃ上手くならないの。何事も慣れは大事よ」
「そうなんだけどさ」

 そう言うと鈴香はフォークを咥え、眉根を上げてその間にうっすらと皺を寄せる。

 再び佳子は、鈴香の耳元に口を近付ける。

「お付き合いしている人がいなくたって恋バナはできるでしょ? 恥ずかしがらなくても良いのよ」

 鈴香は小さく首を横に振りながら、「恥ずかしいわけじゃなくて」と、口ごもりながら答える。

「そうなの?」

 優しく語りかけても、鈴香からの返事は無くなる。

 自分のお見合い話を聞いていた時とは打って変わり、自分語りが恥ずかしいのか本当に話すことがないのか、話すのを禁じられているかと思えるほどに黙り込んでしまった孫の姿に、佳子は再び目尻に優しいシワを寄せる。

「それならこっちから質問しちゃおうかな。好きとまではいかないけれど、気になる人はいるの?」
「俳優さんとかアイドルとか、推しのキャラクター以外でだよね?」
「……。あら、あら」

 口にした言葉の前に言おうとした、『当たり前じゃない』を胸に仕舞いながら真剣に考える鈴香を見て佳子は、孫は自分語りが恥ずかしいのでは無く、本当に恋愛から遠いところにいるのだと理解する。
 高校生にもなれば周りもお付き合いをしだす頃だし、恋愛も大人のそれに近付く時期でもある。幸せそうな顔を見れば羨ましくも思うだろう。だからこそ恋をするというものに興味を持ち、お付き合いをしている人がいない自分に劣等感にも似た感情を抱いていることを、これまでのやり取りから感じ取る。

「そうね、できれば身近な人の方が良いかもね」
「うーーーん」

 鈴香の頭の中にはコマ送りで身近な男子の映像が流れる。

 佳子は鈴香の表情が一瞬だけ変化したことに気が付く。しかしその顔は、お世辞にも恋する乙女といったものでは無い。

「いない」

 それを裏付ける様に、鈴香の口調が幾分か強い。

「いないの?」
「うん」
「意外ね」
「意外なの?」
「そうよ恋愛のお話が好きなら、意中の人がいるのかと思ったわ」
「でも私だって、付き合ったことはあるよ」

 鈴香の顔が、ふふん、と鼻を鳴らす様なものから、しまった、というものに変わる。
 プライドからか、自分にも恋愛経験があることを示したかったのかもしれないが、あまり良い思い出では無いらしい。それが鈴香の恋愛観に影響を与えているのかもしれない。

「そうなの? すごいじゃない」
「小さい時だけどね」

 その口調と鈴香の顔から、自分の取り越し苦労だったと佳子は安堵する。

「鈴ちゃんは、おませさんだったのね」
「そんなんじゃ無いくて、お互い好きってわけでも無くて……」
「好きじゃないの?」
「その時は好きだったけど今は好きじゃないっていうか、むしろ大嫌いっていうか。でもあの時は仲が良かったから嫌じゃなかったっていうか」
「なんだか難しい関係なのね。告白とかはなかったの?」
「そういうのは無くて、なんて言うか無理矢理付き合わされた感じ」
「どういうこと?」
「色々あるの!」
「あら、あら」

 これ以上この話をしても孫を怒らせることになりそうだと、鈴香の勢いに負けて佳子は話題を変えることにする。
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