恋はあせらず

遠野 時松

文字の大きさ
上 下
28 / 33

ロールケーキ 上

しおりを挟む
「鈴ちゃーん」
「はーい」

 おばあちゃんに呼ばれて厨房へと向かう。

「翔太くんのとこ?」

 私の問いかけに、おじいちゃんはコクリと頷く。

「お願いね」
「はーい」

 おばあちゃんに返事をしながらお皿を受け取って振り返ると、カラッと揚がった衣と野菜の甘い香りが私のお腹を刺激する。

 お届け先の席に座る男の子は、じーっと私の手元を見ている。

 翔太くんはお店に来たら必ずこれを注文する。翔太くん以外にもファンは多い。その中でも彼は一番若いファンのお客さまだ。

 『野菜の天ぷら』

 夜だけの限定メニュー。とはいっても、昼でもお店が暇なら定食として出してくれる。エビやお魚は入っていない、野菜だけの天ぷら。ビールにもお酒にも合うみたい。

 ナスやサツマイモも美味しいけれど、その中でも翔太君のお目当ては、『ニンジンの千切り』だけのかき揚げ。外はサクサクで、重なっているところはホクホクしてて甘い。かたまりのところがあると、当たりを引いたみたいで嬉しくなる。これは私だけじゃなく、翔太くんもそうらしい。前にお話をした時にそう言っていたから間違いない。

 ご飯を食べるためのおかずではなくお酒を飲むための肴だから、普段なら天つゆの代わりにお塩と大根おろしが付く。けれども、翔太くんが注文すると、お出汁と醤油とみりんで作った天つゆが付く。身内贔屓ではなく、おじいちゃんが作る天つゆはお蕎麦屋さんみたいで美味しい。

 それを翔太君はサイダー片手に、大人顔負け、一皿全部ペロリと食べちゃう。お父さんの杉内さんは顔を赤らめながら「将来は酒飲みになるな」と、いつか一緒にお酒を飲める日を楽しみにしているんだって。

 お母さんの瑠美さんが言うには、普段はニンジンを食べてくれないらしいのだけれども、真似をして作ると食べてくれるらしい。翔太君に「ニンジンも食べなさい」と言うと、「食堂のなら食べる」と言い返されるらしく、困り果てた瑠美さんはおじいちゃんからコツを教わって作り始めたらしい。それでも、おじいちゃんの作るかき揚げを食べる時の笑顔を引き出せないらしく、「お母さんとしては複雑だけどね」と笑っていた。

 杉内さんはお仕事の都合でいつもは晩酌はしないらしいけれど、お酒が飲める日は家族でお店に来てくれる。

「お待たせしました」

 私がそう言うと、待ってましたと、自分の目の前にあるお皿を横に退けながら、翔太君は目を輝かせる。そして私が持つ、『ニンジンのかき揚げ』が一つおまけしてある野菜の天ぷらを、瞬きひとつせず目の前に置かれるまで目で追う。
 しかし、がっつくことはしない。ソーダを一口飲む。急いで齧り付いて、口の中を何度も火傷をしたことから、翔太くんは学んでいる。

「鈴ちゃん、いい? ハイボールと……」

 杉内さんは、瑠美さんの顔を見る。

「今日は、レモンサワーにしようかな」
「はい、ありがとうございます」

 私はお盆を胸に抱えて返事をする。これぐらいなら私だって、メモを取らずとも覚えられる。

 私が「ウイスキーは濃いめですね?」と小さい声で確認すると、杉内さんはチラリと瑠美さんの方を見て、内緒だよ、と目で合図をする。呆れ顔の瑠美さんの横から「アチッ!」と可愛らしい声が聞こえて来る。

 私はとっさにお盆で口元を隠す。でも目元から、笑ってしまったのはバレバレなはずだ。

「翔太くん、まだ熱いかも」

 遅すぎる私のアドバイスに翔太くんは、目を瞑りながら急いでサイダーを口にして応える。

「もぉー」

 瑠美さんは笑って翔太くんを見つめる。

「しょうがねぇやつだな」

 杉内さんはなぜだか嬉しそうに、泡の少なくなったビールジョッキを空ける。

「お下げしますね」
「おっ、ありがとう」

 杉内さんからジョッキを受け取ると、私は「ごゆっくり」と笑顔を浮かべ、果敢にもかき揚げに再チャレンジしている翔太くんの姿を横目で見ながら、ご注文の品を作りに厨房へと歩いていく。

「鈴ちゃん、腹の調子はどうだ?」

 カウンターに座る正さんに話し掛けられる。お調子者の源さんじゃなくて正さんから話し掛けられるのは珍しいけれど、正さんが酔っている証拠だ。

「今日は大丈夫、ありがと」

 本当はお腹が空いてきているけれど、今は我慢。

「何だ、珍しい。ダイエットか?」

 源さんが驚いた表情で聞いて来る。

「ううん、違うの」

 私は首を振って答える。
 突然、源さんはおでこに手を添える。

「あちゃー、傘持ってこなかった」
「おい、源。槍には傘なんて無意味だぞ」

 正さんが真面目な顔で、源さんを肘で突く。

「ちょっと、正さん」

 私が頬を膨らませながら厨房に入り、入り口にあるサワーを作る機械の前に立つと、二人の笑い声が聞こえて来る。正直に言えば、二人の前にある鶏皮のパリパリ揚げを食べたいのだけれど、ここは我慢。少しでもお腹を空かせておきたい。

 なぜならお楽しみが控えているから。

 ぐ~~~、っと鳴ってしまったお腹の音が二人に聞こえてしまっていないかと、ドキドキしながら私は杉内さんのテーブルへとグラスとジョッキを運ぶ。

 今日はいつも通りという感じで特に忙しくはないけれど、テーブルと厨房を行ったり来たりしている。美味しそうな香りに誘われ、言葉巧みに私に餌付けしようとする常連さんの誘惑に負けない強い気持ちで、美味しそうな料理を運ぶ。でもそんなの全然平気。

 でもね、あることに気が付いたの。

 おじさま方はどうしてこんなに食べさせようとするの? そして、私ってお店のお手伝いをしている時って、いつもこんなにも食べていたの?
 動いているからカロリーは消費しているって思っていたけれど、ダイエットが上手くいかない理由が何となくわかっちゃった。でもその問題も、おじいちゃんの料理が美味しいから仕方ないってことにして、自分を納得させた。
 だって源さんが、「若い頃はいっぱい食べた方がいい」って言ってたんだもん。ごめんね、源さんのせいにしちゃって。

 でも我慢、我慢。そう、とっておきのお楽しみが控えているから、いつも以上に頑張らなきゃ。お腹が減ってくるといつもなら力が出なくなってくるのに、今日はなぜだか力が湧いてくる。不思議なものだと思う。

 私は常連さんから頂いた、小さめの唐揚げを口の中に仕舞い込み、そんなことを考えておじいちゃんの料理をお客さまの元へと運ぶ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

記憶がないなら私は……

しがと
恋愛
ずっと好きでようやく付き合えた彼が記憶を無くしてしまった。しかも私のことだけ。そして彼は以前好きだった女性に私の目の前で抱きついてしまう。もう諦めなければいけない、と彼のことを忘れる決意をしたが……。  *全4話

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

【完結】望んだのは、私ではなくあなたです

灰銀猫
恋愛
婚約者が中々決まらなかったジゼルは父親らに地味な者同士ちょうどいいと言われ、同じ境遇のフィルマンと学園入学前に婚約した。 それから3年。成長期を経たフィルマンは背が伸びて好青年に育ち人気者になり、順調だと思えた二人の関係が変わってしまった。フィルマンに思う相手が出来たのだ。 その令嬢は三年前に伯爵家に引き取られた庶子で、物怖じしない可憐な姿は多くの令息を虜にした。その後令嬢は第二王子と恋仲になり、王子は婚約者に解消を願い出て、二人は真実の愛と持て囃される。 この二人の騒動は政略で婚約を結んだ者たちに大きな動揺を与えた。多感な時期もあって婚約を考え直したいと思う者が続出したのだ。 フィルマンもまた一人になって考えたいと言い出し、婚約の解消を望んでいるのだと思ったジゼルは白紙を提案。フィルマンはそれに二もなく同意して二人の関係は呆気なく終わりを告げた。 それから2年。ジゼルは結婚を諦め、第三王子妃付きの文官となっていた。そんな中、仕事で隣国に行っていたフィルマンが帰って来て、復縁を申し出るが…… ご都合主義の創作物ですので、広いお心でお読みください。 他サイトでも掲載しています。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

好きな人がいるならちゃんと言ってよ

しがと
恋愛
高校1年生から好きだった彼に毎日のようにアピールして、2年の夏にようやく交際を始めることができた。それなのに、彼は私ではない女性が好きみたいで……。 彼目線と彼女目線の両方で話が進みます。*全4話

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

処理中です...