恋はあせらず

遠野 時松

文字の大きさ
上 下
24 / 33

タンポポとかすみそう

しおりを挟む
 見覚えのある袋の中には、銀色の包装紙に包まれた棒状のものが横たわっている。

「福助のロールケーキ!!」

 帯紙には店名の周りに散りばめられたタンポポとカスミソウ。小っちゃな時から幾度となく幸せな気持ちにさせてくれた絵が、そこには描かれていた。

「しかも季節限定のやつ!!!」

 いつものロールケーキと色違いの文字に、鈴香はさらに顔を輝かせる。

「亮ちゃんありがとう」

 満遍の笑みで鈴香はお礼を言う。
 小さい頃の呼び方で呼ばれた都丸は、ビクッと体を震わせた後に複雑な表情を浮かべる。

「ほら!」

 鈴香は口を広げたままで遥乃に向ける。

「どうしたのこれ?」

 紙袋の中を覗きながら、遥乃が尋ねる

「親が会社でもらったらしくて、食い切れないから持ってけって」
「ふーん」
「なんだよ?」

 遥乃は都丸と視線を合わせる。

「私が一緒だったのは予想外だったとしても事前に理由は考えておくはずだから、嘘をつくにしても、もう少し上手につくよね?」
「はぁ?嘘じゃねーよ!」

 視線を外そうとしない遥乃が憎たらしくなった都丸は、眉毛をぴくりと動かして不満を表しながら横を向く。

「ふーん」

 遥乃は顔を軽く横に動かして、鈴香のことをチラリと見る。

「父親に言った方がいいよ」

 間が空いたので、「何をだよ?」と、都丸が遥乃に顔を向ける。
 遥乃は目だけを使って、視線を紙袋の方へ誘導する。

「お裾分けする時はレシートを紙袋の中に入れとかない方がいいよ、失礼にあたるから」

 都丸の体がピクリと反応する。

「まあさ、高校生ぐらいの子が買いに来たら家族からのおつかいだと思うから、無くさないためにお店の人は親切心で袋の中にレシートを入れるでしょうけど、違うんでしょ?」

 都丸は顔をぐうぅっと顰める。

「ねぇ、スズちゃん」
「えっ?」

 鈴香の表情を見て、遥乃はニッコリと微笑む。

「美味しい?」
「えっ?あっ!バレちゃった?」

 鈴香は照れ笑いを浮かべる。

「今年はメロンの代わりに枇杷なんだって。大丈夫、安心して。メロンどうこうじゃなくて、ロールケーキに合う枇杷を店長が見つけちゃったんだって。だから、今年だけ枇杷なの!」
「そうなんだー」

 幸せそうな鈴香の顔を見て、遥乃は嬉しそうに笑う。

「お店で聞いた話なんだけど、生クリームに包まれた枇杷が少し歯応えがあるんだけれど、トロトロなんだって。何それって思わない?」
「美味しかった?」
「これは間違いのない逸品です」
「やっぱり我慢できずに、頭の中で食べてたのね」

 鈴香は笑顔で頷く。

「さっきの話だけど、聞いてないよね?」
「さっきの話……?」
「うん」

 鈴香は取っ手を親指と人差し指の股の部分、第一指間腔に挟んで、目を閉じながら手を合わせる。

「はるちゃん、ごめん」
 キュッと瞑っていた目を開いて、顔を傾けながら遥乃を見る。
「なんの話してたの?」

 それを聞いた遥乃は「食べ切れないって言ってたから、他にどんな味があったのか聞いてたの。スズちゃんが他に気に入ったのとか、美味しそうなのがあったら交換してもらおうと思って」と、笑う。

 都丸は自分に向けられている小悪魔の笑顔から、面倒くさそうに視線を逸らす。
 視線を外される瞬間に遥乃はニコッと意味深に笑い、鈴香に顔を向ける途中でそれをメガネの奥に隠す。

「もーーー、全然」
 取っ手を持ち替えて、鈴香は体を小刻みに振る。
「これが良い、これが食べたかったの。亮ちゃん本当にありがとう」

 鈴香は奥歯が見えるほどニッコリと口を広げ、目が線になるほどに幸せそうな笑顔でお礼を伝える。

「あ……」

 言葉を詰まらせた都丸は、一つ咳払いをする。

「いや、俺はただ届けに来ただけだし」
「ううん、いいの。亮ちゃんが届けてくれたんだから、亮ちゃんにお礼を言いたいの。ありがと」
「お…、おう。親に伝えておくよ」
「うん。おじちゃんにもありがとうって伝えておいて」

 都丸は頭を掻く。

「じゃあ、渡したからな」
「はい、確かに受け取りました」

 鈴香はぺこりと頭を下げる。

「何だよ?」
「別に何も言ってないじゃん」

 顎を上げながらニヤリと笑う遥乃に向かって、都丸は軽く舌打ちをする。

「用は済んだし、帰るな」
「うん、また明日ね」

 都丸は手を振る鈴香をチラリと見るが、それには手を振り返さずに遥乃に顔を向ける。

「またな」

 都丸の棘のある言い方に、遥乃は鼻で笑う。

「スズちゃんちょっと中を見せて」
「えっ、どうしたの突然?」

 鈴香は紙袋の口を開く。

「美味しそうだねー」
「うん」

 遥乃はおもむろに、鈴香越しに草薙食堂を見る。鈴香はその視線につられて振り返る。
 遥乃はその隙に紙袋からレシートを抜き取ると、都丸に手渡す。

「ありがとうは?」

 鈴香には聞こえないように囁かれた遥乃の言葉に、都丸は感謝するような、苦虫を噛み潰したような複雑な表情を浮かべ、レシートを握りつぶしてポケットに押し込む。

「またね」

 遥乃は、先ほどの都丸と同程度の棘で意趣返しをする。
 その言葉で鈴香が都丸の方へ振り向くと、唇を噛み締めて都丸は背を向けた。

「バイバーイ」

 手を振る鈴香の嬉しそうな声に、都丸は返すことなく帰路に就いた。



「スズちゃん良かったね」
「うん」

 幸せに満ち溢れた顔で、鈴香は紙袋の中を見つめる。

「ハルちゃんもお裾分けいる?」

 鈴香は幸せのお裾分けを勧める。

「いらない、いらない」
 遥乃は可愛らしく手を振る。
「そんな顔を見せられて、もらえるわけないよー」

「ははー」
 鈴香は紙袋を高く掲げ、頭を下げる。
「痛み入ります」

 遥乃は、鈴香に手の平を見せて軽く振る。

「ならば、『山吹色のお菓子』を期待しているぞ」

 鈴香の前に突如として悪代官が現れる。
 それを見て鈴香が笑うと、つられて遥乃も笑う。

「分かった。今度、学校にものすごく美味しい『おやつ』を持っていくね」
「うん」

 遥乃は頷く。それから少し間を空けてから、気遣うように話し始める。

「教室でのあれってさ、一種の病気みたいなものだから気にしない方が良いよ」
「大丈夫。帰り道でそれについて教えてくれてありがと」

 鈴香は笑顔で頭を下げる。

「でも恋をするとそれに似たことをしちゃうんでしょ?」
「そう、本人だってそれをやったら自分の立場が悪くなるのが分かってるのに、体がいうことを聞いてくれないんだから」
「うん。でもさ、それもタイミングが悪かったってこと?」
「教室での出来事はタイミングとか彼女の性格とか色々あるんだけれど、その気持ちは違うの。あれはどうしようもないの。いつもなら我慢できるの。でもその気持ちはふとした瞬間に溢れちゃうから、どうしても我慢できないの。だから、タイミングなんて関係ないのよ」
「そうなんだね」

 遥乃は静かに頷く。

「まだ、おませなスズちゃんには分からないかもー。な、お話だけどね」
「もう」

 鈴香は頬を膨らませる。

「でも、私って高二だよ。そんな経験がないのは、ちょっと変なのかな?」
「変じゃないんじゃない。私なんて似たような経験をしたのって幼稚園の時だよ。そっちの方が変でしょ?」
「間近で見てきたから、なぜだか説得力がある」
「あらやだ、この子って失礼」

 二人は笑う。

「そうだ、スズちゃん。私がロールケーキを奪って逃げたらどうするー?」
「必死に追いかける」

 鈴香は真剣な眼差しで答える。

「考えるより先に体が動いちゃうって感じでしょ?」
「うん。そんなの当然じゃない」
「それなら、取られるけれどそこで我慢しててねって言われたら?」
「うーん、難しい。返してくれるなら我慢するけれど、本当に取られちゃうなら追いかけちゃうかも」
「そうだよね、そうなるよね。でもね、あれはそれより苦しいことなの」

 遥乃は左手を腰に当て、右手の人差し指を立てて鈴香に言い聞かせる。

「考えて考えて、ダメだ、ダメだって我慢しているのに体が動いちゃうの。それでやっぱり場の雰囲気が悪くなっちゃう。そうなることが分かりきってるのに、やっぱり我慢できないの。それって苦しくない?」
「うーーん。そう言われると、何となくだけど分かるかも」

 確かに言われてみると、大好きなものを取られるけれど追いかけるのは我慢しなさいと言われても、苦しいだけでしかない。我慢できずに動いちゃうなんてそれ以上だから、よっぽどのことだと思う。

「それの百倍すごいのが体中を駆け巡るの」
「百倍!?」
「そう、恋は苦しいものなのよ」

 ロールケーキを取られた百倍だなんて想像できない。抑えられないほど好きってどれほどなんだろう。そこまで苦しいのに、何でみんな恋をするんだろう。そもそも好きって気持ちは何なんだろう。
 それが何なのか分からないから、美味しいものを食べて幸せな気分になった後で考えることにしよう。それの方がいい気がする。

「人によってはもっとかもね」
 伏し目がちな遥乃の口元が、微かに動く。
「早くスズちゃんもこちら側へいらっしゃい」

 顔を上げる遥乃の目を、日の光がメガネに反射して鈴香から隠す。

 途中の顔がどんなものだったか分からないが、鈴香の方に向き終わった時にはいつもの可愛らしい笑顔が浮かべられていた。

「面白いものが見れたし、スズちゃんのロールケーキが温まるのもイヤだし、そろそろ『バイバイ』かなー」
「はーい。また明日だね」
「また明日ー」

 遥乃は誰かを待つように少しだけ間を置いて、辺りをゆっくりと見渡しながら歩き出した。

 それからはいつものように遥乃は何度か振り返り、その度に手を振ったりふざけたりして、鈴香はしばらくその場所で笑っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

好きな人がいるならちゃんと言ってよ

しがと
恋愛
高校1年生から好きだった彼に毎日のようにアピールして、2年の夏にようやく交際を始めることができた。それなのに、彼は私ではない女性が好きみたいで……。 彼目線と彼女目線の両方で話が進みます。*全4話

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

処理中です...