恋はあせらず

遠野 時松

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草薙食堂 下

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「田所さん、いつもありがとうございます」翔くんの目線に合わせる。「翔くん美味しかった?」

「うん」

 あらびっくり、なんて可愛いらしい笑顔なの。
 思わず、「はぁ~、食べちゃいたい」と心の声が漏れる。

「ちょっと鈴ちゃん、私の可愛い翔ちゃんを食べないでね」
「あっ、ごめんなさい。聞こえちゃいました?」

 私の照れ笑いに田所のおばあちゃんはにこりと頷く。田所のおじいちゃんも笑っている。
 翔くんをチラリと見ると、言葉をそのまま受け取ってしまったらしく複雑な表情をしている。

「お姉ちゃんは山猫さん?」
「えっ?……。あー、そういうことね。翔くん安心して、お姉ちゃんは翔くんに注文してないでしょ?」
「あっ、そっかー」

 それを聞いて安心したのか、翔くんは漫画みたいに両手を胸に当ててホッとしている。
 その姿にキュンが抑えられたい私は、脇を閉じて両手を胸に当て、ワァーと身を震わせる。

「お姉ちゃんは山猫じゃないけれど、草薙のおっちゃんは笑顔を作る魔法使いなんだよ。見てみて、みんな笑顔でしょ?」
「ほんとだ、かっけぇー」

 可愛らしさと言葉遣いの違いに、年相応さを感じて微笑ましくなる。

「翔ちゃんも、人を笑顔にできる人にならなきゃね」
「まかせて」

 翔くんは親指を立てて、田所のおばあちゃんに見せる。

「草薙のおっちゃん美味しかったよー」

 田所のおばあちゃんに手を引かれながら翔くんが厨房に向かって手を振ると、おじいちゃんが厨房からひょっこりと顔をだす。
 かなり嬉しそうな顔をしているけれど、慣れている翔くんじゃなければ泣いてしまうほどの顔をしている。

「魔法使いじゃなくて、見た目はジャパニーズマフィアみたいな顔だよね」

 私の一言に、田所のおじいちゃんが小さく吹き出す。

「確かにあの顔は魔法使いじゃない。必殺仕事人て感じでもなく、任侠道に生きる顔をしてるな」

 翔くんに聞こえないように小さな声で田所のおじいちゃんが答えたけれど、たまたま手に持っていた包丁が説得力を与えている。

 私たち二人は顔を見合わせて、笑いながら頷き合う。

「また来てね」
「うん」

 翔くんはお店を出る前に、少し背伸びををしながらいつものハイタッチをしてきた。ついこないだまではジャンプをしながらハイタッチをしていたのを考えると、すぐに私の背は追い越されてしまいそうだ。

「ありがとうございましたー」
「ごっそさーん」

 次いで、爪楊枝を咥えたサラリーマン二人組を見送る。
 顔からだけでなく綺麗に食べてもらえたお皿からも、二人がおじいちゃんの魔法に掛かったのが分かる。

「お待たせしました」

 待っていたお客さまを、おばあちゃんが席に通す。

「すいませーん」
「はーい」

「鈴ちゃーん」
「はーい」

 食事時を迎えると、店内は混雑してきた。
 ここまでくると私の腹の虫が鳴き声を上げてくる。お店に手伝いに来る前に何も食べてこなかったのを、今更になって後悔している

「なんだ鈴ちゃん、ガス欠か?」

 私は無言のまま、項垂れる様に力無く頷く。
 調子が良くなってきたのにごめんね正さん。ご存知の通り、私はお腹が空くと力が出ないの。
 正さんは「しょうがねぇな」と笑い、源さんも「鈴ちゃんは分かりやすくて良いな」と笑う。

 気が抜けた笑顔を二人に笑われながら、足取り重く食べ終わったテーブルを片付けに向かう。運んでいる途中で割ってはいけないので慎重に運ぶのだけれども、お皿の重さに負けてしまい初めの方と比べると明らかに一度に運ぶ数が少なくなっている。そのため往復する回数が増えてしまい、夢遊病の様に店内を彷徨い歩く私を常連さんたちが面白がる。

「鈴ちゃん、お願い」

 お会計をしているおばあちゃんから話しかけられても、とうとう頷くだけになってしまった。
 厨房から差し出されたお皿を受け取る。

「おじいちゃんこれどこ?」

 機械仕掛けになってしまった私の問いかけに、おじいちゃんは近くのテーブルに向かって顎を振る。

「おまたせしましたからあげです」

 テーブルから笑い声が巻き起こってから、「ほれ、鈴ちゃん」とパパのお友達から割り箸を渡される。

「しごとちゅうですので」

 断っているはずなのに、なぜだか私はその割り箸を受け取ってしまう。
 頭ではダメだと分かっていても、体が勝手に動いてしまう。

「体は正直だ、遠慮しないで食え食え」

 私は首を横に振るのだけれど、抗えない何かに体を支配されてしまい唐揚げを口に入れてしまう。

 おいしーーーい。

「鈴ちゃーん」

 源さんに手招きされる。

 パパのお友達は私のことを小動物を見る様な目で見ながら、カウンターの方に行って良いよと首をしゃくる。

 カウンターに座る二人の間には、小さめのものが二つとそれより少し大きいメンチカツが皿の上に載っていた。

「なぜだかメンチが無性に食いたくなってよ。ここまできて油ものは厳しいから、鈴ちゃんのおじいちゃんにどうにか出来ないか頼んだら、小さくしてくれるってわざわざ作ってくれたんだよ。なあ?」
「そうそう、普段なら鈴ちゃんのおじいちゃんはこっちのわがままを何一つ聞いてくれないのに、何故だか今日は素直に聞いてくれたんだよ」

 源さんと正さんはおじいちゃんのことを、「鈴ちゃんのおじいちゃん」なんていつもは言わない。

「しかもこっちは二人しかいないのに、何故だか三つに分けたんだぜ。なあ?」
「そうなんだよ。二人で一個ずつ食べたら一つ余るだろ。これじゃあどっちが食べるかで喧嘩になっちまうよ」

 いつものマサゲンコンビなら、その程度の言い合いは仲良く喧嘩している。

「悪いけど、喧嘩の元になるから鈴ちゃん食べてくれないか?なあ?」
「そうしてもらえると、ありがてえ。大きさの違いで喧嘩になっても嫌だから、大きいのを頼みたいけど、いいかい?」

 いつもの二人なら、ここまで酔っているとおつまみはほとんど頼まない。頼んだとしても乾き物程度で揚げ物はほとんど頼まない。

「仕事中だってのは気にすんなよ。なあ?」
「その通り。これは俺たちの仲裁のためにすることで、断じてつまみ食いじゃねえからな。みんなにばれない様に隠れて食っちまえ」

 酔っ払って声のボリュームがおかしくなっている二人の大声は、店内に響き渡っている。
 常連さんは二人のやりとりを酒のつまみにして、楽しそうに呑んでいる。

「人助けらなしょうがないよね?」

 パパのお友達からもらった唐揚げのおかげでライフが回復した私は、おじいちゃん向かって片目を瞑る。おじいちゃんはいつもと変わらず、何も言わずに魚を捌いている。
 おばあちゃんは、オッケーだよと親指と人差し指で丸を作ってこちらに見せてくれている。

「正さん、源さん。ありがとう」

 さっきの唐揚げとおんなじの、衣の周りをみんなの優しが包んだメンチカツを口にする。
 アツアツのメンチカツは、私の心をあったかくした。
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