王国戦国物語

遠野 時松

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本編前のエピソード

雲の行き先 28 エルメウス家の商い

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「あの男はあの後どうなったのですか?」
 靴の底が完全に沈み込むほどに毛足の長い絨毯の上を歩きながら、リュゼーは訊ねた。
「今頃は、どっかの川に浮いてるんじゃないか」
「えっ!?」
「冗談だ、冗談」ドロフは意地悪く笑う。「流石に他国でそれはやらん」
「やめて下さい」
 緊張をほぐすために話しかけたのに、かえって逆効果になってしまった。リュゼーは鼻に皺を寄せる。
 そんな姿を見て、「そんなに緊張するな」と、ドロフはリュゼーの肩に手を置く。反抗の意思を示すためにその手を払いのけたかったが、リュゼーはゆっくりと肩を下げるにとどまった。
 二人は今、ヘヒュニの使用人の後ろに付いて、晩餐会が開かれるという大広間に向かって歩いている。
 敷地に入って馬車を降りると、目の前にいる使用人が近くに来て、館の中へと案内してくれたのだ。
 ドロフだけが案内されたものだと思って馬車の事をしようとしたら、「俺たちは客だ。余計なことはしなくていい」と言われ、直ぐに他の使用人が来て手際良く作業をした。
 他の馬車に乗っていた者たちにも使用人が割り当てられていて、かなりの人数がいることが窺える。
「こちらでお待ち下さい」
 そう通された場所は、大広間の横に位置する、待機場所や待合室といった一室だった。とはいっても、数十人が入っても窮屈さを感じない広さがある。
 部屋の中にはすでに街の有力者やデポネル近郊の商人が待機しており、テーブルの上に置かれている飲み物を飲みながら話をしていた。
 そこにはエルメウスの本家や貴族らしき者の姿はなく、それについて聞いてみると「別の部屋で会食が行われており、それが済み次第、俺たちは大広間に通される」とのことだった。
 晩餐会とは主にその会食のことを示していて、晩餐会の一環として大広間では立食形式での社交的な集まりが開かれるらしい。ドロフは「安心しろ。その場でも豪華な食事は提供される」と笑っていた。
 顔馴染みの顔を見つけたエルメウス家の者がその商人に話しかけたりするなか、勝手を知らないリュゼーは入り口付近で待機することにした。
「さっきの話ですけど、聞いてもいいですか」
 一人になりたくないリュゼーは、その場から離れようとしていたドロフに話しかけた。
「男の話か?」
「はい。本当のところを教えて下さい」
「あれだけ不穏な雰囲気を醸し出していたんだ、変な気を起こす前に出すもの出してあの場からいなくなってもらっただけじゃないか」
「そうなのですね。それならよかった」
 このままだと会話が終わる。次の話題を探していると、ドロフが辺りをぐるりと見渡す。
「しかし見事だな」
 リュゼーも同じく部屋を見渡す。
 細やかな細工が施されているテーブルもそうだが、その上に置かれている高そうな瓶や杯も白く光輝いている。置かれている椅子も豪華で、正装となるこの服でさえ、汚してしまいそうで座るのに躊躇してしまう。
 当然のごとく手入れが行き届いて、使い古されているが綺麗に磨かれた暖炉の近くにある調度品でさえ、不必要なほど高価なものが置かれている。
 この場で晩餐会が開かれても、誰からも文句は出ないのではないかとさえ思ってしまう。
 ドロフが軽く咳払いをする。
 リュゼーは、何かの合図だと感じ取ってそちらに意識を向ける。
「情報屋の一人にでも、するつもりじゃないか」
 あの独特の、リュゼーにだけ届く声が聞こえる。
「やはりそうでしたか」リュゼーも同じくして答える。「王国内であったら監視対象として、不穏分子の炙り出しとして利用するのですね」
「良くできた催し物だろ?」
「はい」
 光が強くなればなるほど、影は色濃くなる。満ち足りていない者ほど、華やかな馬車の行進を恨めしい思いで見ることになるだろう。そういった輩の価値は、エルドレ王国内と他国内では全く違ったものになる。
 ドロフの言う通り、こちらが探さずとも相手から名乗り出てくれるのだから、催し物とは良くできたものである。
「あとそれともう一つ、使用人だからといって気を抜くなよ。間者は得てして、そういった何気無い者の中にこそ多くいる」
「承知しました」
 先ほどの、廊下でこの話をしたことを言っているのだろう。
 諜報について、知れば知るほど疑り深くなっていく自分がいることを、リュゼーは感じている。
 ふらふらと歩いていた男が、こちらに近付いてくる気配がする。
「坂の上から見ておりましたが、相変わらずエルメウスの行進は見応えがありますな」
 男は白いものが混じった頭の後を触りながら、調子よく話しかけてきた。傍から見たら、二人して何も喋らずに部屋の様子を眺めているとしか見えない為、暇つぶしか何かだろう。
 恰幅の良い腹と口の上だけ生やした髭、小鼻にほくろがあるので、グリンフォークという商人だと思われる。
「お褒めにあずかり、ありがとうございます」ドロフは差し出された手を握る。「どこかでご覧になったことが?」
「昔、マルセールで一度だけ、ですがな」
 リュゼーは差し出された手に対し、胸に拳を当て頭を下げる。相手の驚く顔を見て、慌てて手を握る。
「不慣れな者ですみません」
 そうドロフは謝り、「そうでしたか」と言葉を続ける。
「いやいや」
 グリンフォークは笑顔を浮かべ、「あれを見た街の者は皆、エルメウスに良き印象を覚えるでしょう」声を小さくし「そして、良質な塩の味を覚える」と、片方の目を細めて、先ほどとは違う笑みを浮かべる。
 ドロフからの情報によれば、グリンフォークはリチレーヌで塩を扱う商人だ。己の商いにも良い影響を与えるエルメウスの働きに、満足や感謝をしている様子だった。
 ただ、先ほどの笑顔は、賄賂を受け取った役人が『そちも、悪よのう』と相手に向ける笑顔に近いものがあった。
「いえいえ、何をおっしゃいます。この度、私どもがリチレーヌを訪れた理由としまして、我が当主とゲーランド翁の御息女との婚儀がめでたく決まり、正式な使者は別となっておりますが、ゲーランド翁が仕える女王にご報告とご挨拶を致しに参りました。慶事ゆえに各地を回り、俗に言う『幸せのお裾分け』、をしているだけであります」
 堅苦しいことは必要ないと、グリンフォークは顔の前で手を振る。
「いや何、私も塩を扱わせていただいているのだがね。塩を扱う商人は皆、あなた方の商いの上手さは承知しているのですよ。婚儀について何かと憶測が飛び交っているなか、これは良き行いだと思います。それに——」グリンフォークは辺りをそれとなく見渡す。「私の様なものにとっては、両家の婚儀は喜ばしいかぎりです」
 この場ではあまり大きな声で言えませんが、と小さく何度か頷く。
「そうでしたか。おや、ということは——」ドロフは畏まる。「失礼ですが、グリンフォーク様でいらっしゃいますか?」
「私の名をご存知で?」
 グリンフォークは目を丸くして、ドロフの顔を見つめる。
「やはりそうでしたか。この地で塩の扱いといったらグリンフォーク様は有名ですから、存じておりました。お近付きになれて光栄です」
「いやいや、こちらこそ」
 グリンフォークから融和な笑みが溢れる。
「婚姻が結ばれるゲーランド翁が治める地も、塩が名産となっております。これも何かのご縁。良き商いが結ばれますよう、よろしくお願いいたします」
 ドロフは手を差し出す。
「そうですな。そうなることを、こちらとしても願っております」
 グリンフォークはその手を強く握り、ドロフの肩を親しみを込めて何度か叩く。
 リュゼーも「よろしくお願いします」と、頭を下げる。
「つかぬなことをお聞きしますが、そちらの若い方は他の方と衣装が違います。どういった理由があるのですか?」
「この衣装は、まだ成人していない者が着る服となっております。エルメウス家では、国中から若き才能をかき集め、早い段階から育て上げることを家の習わしとしています」
「そうでしたか。それではあちらの方もそうで?」
「そうなのですが、あの者は本家筋にあたりまして、この者とは少し扱いが違います」ドロフは顔を近付ける。「当主とは遠縁ながら、同じ血筋です。名はエルチェ。今後、リチレーヌとエルドレとの商いにおいて力を持つ可能性があります。そのための同行といっても差し支えありません。挨拶をしておいて損のない相手です」
「ほうほう」
 耳打ちをされた、グリンフォークの顔が変わる。
「確か、手前にいるのがクリス殿、奥にいるのが——」
「ドレッジです」
「そうであった、そうであった。しかし、これは良いことを聞きましたな」
 グリンフォークはそう言うと、にこやかな顔を作る。
「いえいえ。こちらといたしましても、グリンフォーク様と良き関係を築きたいと思ってのことでございますので、お気になさらずに」
 ドロフは軽く頭を下げる。
「こちらこそ、お心遣い感謝いたします」
「それでは今後とも良き商いを」
「こちらこそ、末永く。それでは失礼して」
 グリンフォークは笑顔でその場を離れる。
 その背中を眺めながら「まあ、こんなもんだろ」と、ドロフは呟く。
 リュゼーは何も言わずに頷いた。何も言えなかったといった方が、正解なのかもしれない。
 そしてまた一つ、商いの何たるかを知ると共に、この人はなぜこの地位なのかと疑問に思うのだった。
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