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雲の行き先 18 夜道の馬車(上)
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「見事な負けっぷりだったな」
ドロフはリュゼーに話し掛ける。
「褒めていただき、感謝します」
そう答えたリュゼーの手には、馬車の手綱が握られている。
ボウエーンからデポネルへの道は馬車のすれ違いが容易にできるほど広いので、夜間の操縦訓練としてリュゼー自ら願い出た。荷はお近付きの品程度のもので、高級品については違う馬車に積まれている。
「離れ始めてるぞ」
「はい」
リュゼーは鞭を軽く打つ。
「あそこまで物事を知らぬ愚者を演じきれるとは、実に見事。礼儀作法の一つも知らずに粗相ばかりしているのに、それが良しとされることなど滅多にない」
「ありがとうございます」
ある程度リュゼーが夜間の操縦に慣れてくると、ドロフから「ヘヒュニと似た者とこの先出会った際に迷わず上手く対応するため、会話の訓練を始める」と言われた。
操縦技術と共に、ドロフにとっての『道中の暇つぶし』として、会話の指導も同時に受けている。
「あれは、本当にものを知らぬやつにしか出来ない行いであった。お前に演技の才があるとは知らず、誠に恐れ入った」
「私の才ではありません。師の教えの賜物です」
先ほどの会での出来事だが、ドロフから声が掛けられた後に、リュゼーにだけ届く程度の小声で「阿呆に対しては、己がアホになれ。愚者を演じて満足させてやれば良い」と近くの者から助言が為された。別の者から「ディレク様から再び無知を詫びる言葉が出てたら、少し反抗的な態度を取れ」と聞こえ、「それは良い。高い鼻をへし折った方が、初めから媚びへつらう者を小馬鹿にするより快感が増すだろう」と別の声が続いた。
「ほう、お前には師がいるのか?」
「はい。大変心お優しいお方で、わたくしが困っていると真っ先に声を掛けてくださり、他の方が助言しやすい雰囲気を作ってくださいました」
相手が見ず知らずの見習いならばどう声をかければ良いか躊躇ってしまうが、ドロフが面倒を見ていることが分かれば声を掛けやすくなる。
「良い師がいるものだな」
「はい、出会に感謝しております」
「あの演技も師からか?」
「その通りです。人をたらしめる術を師から教わりました。ところが、この私の物覚えが悪いせいか、弟子などいないと申していて困っています」
「そうなのだな、それは大変な思いをしている。その件については手助けできぬが、頑張れ」
「はい、ありがとうございます」
ドロフの素っ気無い態度には理由がある。
荷台がガタンと揺れる。
「馬ばかり見るな、先を見ないと突然の障害物に気が付かないぞ」
「はい」
道に不案内なエルメウス家のために所々道を照らす松明が設置されているが、間隔が広いため照らされていない箇所の方が多い。馬車にも灯りが取り付けられているが、光量が弱く自然と視線が近くなってしまう。
慎重な面持ちのリュゼーを他所に、ドロフは再び話を振る。
「あれほどの物知らずに色々と物事を教えられたのだ、よほど気持ちよかったのだろう。今こうしてここにいられるのも、お前のお陰だろうな」
不満を体全体で表して、ドロフはリュゼーの事を見つめる。当初はその視線が気になってしょうがなかったリュゼーだが、今では慣れたものとなり、上手く逸らしながら手綱を慎重に捌いている。
「お喜びいただいているようで、なによりです」
前を向いたまま、リュゼーはそっけなくお礼を述べる。
会が終わるとリュゼーの元に「お前も晩餐会に参加せよ」との知らせが届く。荷馬車の横に乗って向かうことになり、それならばと、道中を共にしてきたドロフが呼ばれる。その際、ドロフは晩餐会の参加を回避するため「急遽決まったことなので、馬車を運転する予定だった者に確認をとってほしい」と、願い出るのだが、その者はわざわざその場まで来て「高貴な方とお近付きになれる機会であったが、辞退させて頂く」と言い、「頼んだぞ」と力強くドロフの肩に手を置いた。それから人目を憚らず「ありがとうな」とリュゼーの手を握った。
「あの方とは仲が良いのですか?」
「まあな」
迷惑をかけて申し訳ないという気持ちから、厳しい言葉に対しても初めの方はきちんと対応をしていた。途中から訓練に託けて不平不満を言っているだけだと気が付いてからは、世間話を挟みながら続けている。
「会でお前に声をかけた者の一人だ」
「そうだったのですね。お礼を言い忘れてしまいました」
「知らなかったのか?失礼のない様に、乗せてもらう御者のことを事前に調べるぐらいは、教えてもらわずともやるだろ。周りの者は聞かれなければ知ってるものと判断するから、特に何も言わないぞ。見習いの身分で、何から何までやってもらおう、などと考えるなよ」
先ほどから自分の至らない箇所を、鋭利な言葉で切り裂かれる。切れ味が良すぎるため、毎回言葉を詰まらせてしまう。
「ヘヒュニさまの様な方が、この様なことを話されますでしょうか?」
これぐらいしか返せない。
「あの手の者が、こういった話などするわけないだろ。お前は本当にものを知らないやつだな」
「先ほどから同じ様な言葉しか出てこないことを考えますに、数ある表現方法を忘れるほど感動なされたのだと感じ、大変嬉しく思います」
「物事を知らぬやつに難しい言葉を使っても、しっかり伝わるかどうか不安だからな。簡単な言葉を使うのが当然の礼儀だろう」
「ありがとうございます」
これは訓練なのだろうか。
上手く返したつもりでも、簡単に返されてしまう。
ドロフはリュゼーに話し掛ける。
「褒めていただき、感謝します」
そう答えたリュゼーの手には、馬車の手綱が握られている。
ボウエーンからデポネルへの道は馬車のすれ違いが容易にできるほど広いので、夜間の操縦訓練としてリュゼー自ら願い出た。荷はお近付きの品程度のもので、高級品については違う馬車に積まれている。
「離れ始めてるぞ」
「はい」
リュゼーは鞭を軽く打つ。
「あそこまで物事を知らぬ愚者を演じきれるとは、実に見事。礼儀作法の一つも知らずに粗相ばかりしているのに、それが良しとされることなど滅多にない」
「ありがとうございます」
ある程度リュゼーが夜間の操縦に慣れてくると、ドロフから「ヘヒュニと似た者とこの先出会った際に迷わず上手く対応するため、会話の訓練を始める」と言われた。
操縦技術と共に、ドロフにとっての『道中の暇つぶし』として、会話の指導も同時に受けている。
「あれは、本当にものを知らぬやつにしか出来ない行いであった。お前に演技の才があるとは知らず、誠に恐れ入った」
「私の才ではありません。師の教えの賜物です」
先ほどの会での出来事だが、ドロフから声が掛けられた後に、リュゼーにだけ届く程度の小声で「阿呆に対しては、己がアホになれ。愚者を演じて満足させてやれば良い」と近くの者から助言が為された。別の者から「ディレク様から再び無知を詫びる言葉が出てたら、少し反抗的な態度を取れ」と聞こえ、「それは良い。高い鼻をへし折った方が、初めから媚びへつらう者を小馬鹿にするより快感が増すだろう」と別の声が続いた。
「ほう、お前には師がいるのか?」
「はい。大変心お優しいお方で、わたくしが困っていると真っ先に声を掛けてくださり、他の方が助言しやすい雰囲気を作ってくださいました」
相手が見ず知らずの見習いならばどう声をかければ良いか躊躇ってしまうが、ドロフが面倒を見ていることが分かれば声を掛けやすくなる。
「良い師がいるものだな」
「はい、出会に感謝しております」
「あの演技も師からか?」
「その通りです。人をたらしめる術を師から教わりました。ところが、この私の物覚えが悪いせいか、弟子などいないと申していて困っています」
「そうなのだな、それは大変な思いをしている。その件については手助けできぬが、頑張れ」
「はい、ありがとうございます」
ドロフの素っ気無い態度には理由がある。
荷台がガタンと揺れる。
「馬ばかり見るな、先を見ないと突然の障害物に気が付かないぞ」
「はい」
道に不案内なエルメウス家のために所々道を照らす松明が設置されているが、間隔が広いため照らされていない箇所の方が多い。馬車にも灯りが取り付けられているが、光量が弱く自然と視線が近くなってしまう。
慎重な面持ちのリュゼーを他所に、ドロフは再び話を振る。
「あれほどの物知らずに色々と物事を教えられたのだ、よほど気持ちよかったのだろう。今こうしてここにいられるのも、お前のお陰だろうな」
不満を体全体で表して、ドロフはリュゼーの事を見つめる。当初はその視線が気になってしょうがなかったリュゼーだが、今では慣れたものとなり、上手く逸らしながら手綱を慎重に捌いている。
「お喜びいただいているようで、なによりです」
前を向いたまま、リュゼーはそっけなくお礼を述べる。
会が終わるとリュゼーの元に「お前も晩餐会に参加せよ」との知らせが届く。荷馬車の横に乗って向かうことになり、それならばと、道中を共にしてきたドロフが呼ばれる。その際、ドロフは晩餐会の参加を回避するため「急遽決まったことなので、馬車を運転する予定だった者に確認をとってほしい」と、願い出るのだが、その者はわざわざその場まで来て「高貴な方とお近付きになれる機会であったが、辞退させて頂く」と言い、「頼んだぞ」と力強くドロフの肩に手を置いた。それから人目を憚らず「ありがとうな」とリュゼーの手を握った。
「あの方とは仲が良いのですか?」
「まあな」
迷惑をかけて申し訳ないという気持ちから、厳しい言葉に対しても初めの方はきちんと対応をしていた。途中から訓練に託けて不平不満を言っているだけだと気が付いてからは、世間話を挟みながら続けている。
「会でお前に声をかけた者の一人だ」
「そうだったのですね。お礼を言い忘れてしまいました」
「知らなかったのか?失礼のない様に、乗せてもらう御者のことを事前に調べるぐらいは、教えてもらわずともやるだろ。周りの者は聞かれなければ知ってるものと判断するから、特に何も言わないぞ。見習いの身分で、何から何までやってもらおう、などと考えるなよ」
先ほどから自分の至らない箇所を、鋭利な言葉で切り裂かれる。切れ味が良すぎるため、毎回言葉を詰まらせてしまう。
「ヘヒュニさまの様な方が、この様なことを話されますでしょうか?」
これぐらいしか返せない。
「あの手の者が、こういった話などするわけないだろ。お前は本当にものを知らないやつだな」
「先ほどから同じ様な言葉しか出てこないことを考えますに、数ある表現方法を忘れるほど感動なされたのだと感じ、大変嬉しく思います」
「物事を知らぬやつに難しい言葉を使っても、しっかり伝わるかどうか不安だからな。簡単な言葉を使うのが当然の礼儀だろう」
「ありがとうございます」
これは訓練なのだろうか。
上手く返したつもりでも、簡単に返されてしまう。
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