72 / 113
本編前のエピソード
雲の行き先 10 うまい話の裏の裏
しおりを挟む
次の日、太陽が起きる前に目が覚めた。
目を閉じたが、再び眠りにつくことが叶わないのをなんとなく感じ、幕から出て灰色の空が紫色に染められていくのを眺めていた。
心の蟠りを洗い流してくれそうな、朝の澄んだ空気を何度も吸い込んでは吐き出した。
昨夜は不思議な体験をした。楽しい事が翌日に控えていて眠れないのではなく、不安で仕方無くて何度も目を開けてしまうのでもなく、疲れから体は休息を欲しているのに考え事が頭の中を巡り、時間だけがどんどんと過ぎていった。
隣で幕を張ったチェロスも同じ体験をしたのか、寝返りを打つ音が俺が眠りにつくまで何度となく繰り返されていた。
「リュゼ君、おはよう」
「おう」
俺が起きたのに気が付いたのか、チェロスが幕から出て来た。
「早起きだね」
「おう」
言葉少なく、チェロスはリュゼーの横に腰を下ろす。
それから、お互いの目の下にできた隈の理由を話さずに、ただぼーっとオレンジ色に変わりゆく東の空を二人して眺めた。
「リュゼー様、昨日は大変だったみたいですね」
準備が整い出発の合図を待っていると、ハンニが語りかけてくる。
「はい、良い人生勉強になりました」
リュゼーは頭に手を置き、苦笑いを浮かべる。この様な態度や気の抜けた笑顔を見せられるのも、相手がハンニだからである。
「私が余計なことをしてしまったばっかりに。申し訳ありません」
「いえいえ、謝らないで下さい。ハンニさんは悪くありません。悪いのは騙された俺達です。それに、食堂の外まで見送りをしていただいたのに、ハンニさんの所為にしては罰が当たってしまいます」
「私としては、当然のことをしたまでです。それより犯人の目星は付いたのですか?」
「残念ながら、全くと言っていいほど見当もつきません」
「それは大変ですね」
ハンニは眉を落とす。
チェロスのことが気掛かりなのか、何やら思うことがあるのか、悟られない様にしているがハンニの雰囲気もいつもと違う。
「チェロス様も元気がありませんでした」
「チェロスと話をしたのですか?」
「はい、少しだけですがお話を致しました。昨夜の出来事に心を痛められたのか、あまり触れて欲しく無さそうだったので、本当にほんの少しですが…」
「そうですか。元気だけが取り柄のあいつも、この度の出来事は堪えたのかも知れませんね」
「その様です」
ハンニは何度か頷く。
「チェロスも顔は覚えていると言っていたのですが、動揺していたのか人相書きも上手くいかなくて」
「結果として、チェロス様が狙われたので無理もないですね。人相書きも上手くいかないとなると特定は難しくなりますね。服装などの手掛かりは?」
リュゼーは首を横に振る。
「何処にでもある服装だったらしく、それについてもこれといった手掛かりはありません」
「そうですか。街中を探す様な雰囲気がないのですが、それが原因ですか?」
「それについては本家の考えなので分かりませんが、これ程までの仕掛けをしてくる相手なので、すでに街にはいないとの判断なのかもしれませんね」
「本当に手掛かりが無いということなのですね」
ハンニは口を固く結ぶ。
「過ぎてしまった事です。後は本家が上手く処理するでしょう。ハンニさんがそこまで気を揉む必要はありませんよ」
「そうですね。この事件を気にし過ぎて、今後の仕事に支障が出てしまったらいけませんからね」
「その通りです」
「それでは最後に。チュウを使ったとのことですが、それについては…」
「おや?出発のようですね」
リュゼーの言葉により、ハンニは自分の担当する馬車に目を向ける。
「その様ですね。チェロス様のことが気になるあまり、色々と聞いてしまい申し訳ありませんでした」
ハンニは申し訳なさそうにリュゼーの顔色を窺う。
「その様な顔をしないで下さい」
「いえ、こちらとしてもリュゼー様のお気持ちを考えなさ過ぎました。お許し下さい。嫌な事は早く忘れたいものですよね。それでは、この話はこの場限りということに致しましょう」
「はい」リュゼーは不恰好な笑顔で頷く。「お互いに今日も一日頑張りましょう」
ハンニにいつもの笑顔が戻る。
「リュゼー様が、チェロス様の『相棒』で良かったです。チェロス様には早く元気になってもらわないと困りますからね」
ハンニは礼儀正しくお辞儀をすると、馬車の方へ駆けて行った。
リュゼーは眠気を振り払う様に、自分の顔を両手で強く叩く。目や口を大きく開いたり、きつく閉じたりして顔の筋肉を動かし、貼り付けられた笑顔をほぐす。
これより他国に入る。ハンニに向ける様な笑顔をしていては、まだ見ぬ敵に付け込まれてしまう。
リュゼーは深く息を吸い込む。
自分に気合いを入れるため、先ほどよりも強く自分の顔を叩く。
バチーン!という大きな音に気が付いたドロフが、リュゼーに笑顔を向ける。
「本日もよろしくお願いします」
お辞儀をしたリュゼーの背中を押す様に、出発を知らせる笛の音が届く。
「昨日は大変だったみたいだな」
「はい。ドロフさんが仰ってた言葉の意味が分かりました」
「そうか、それは良かった」
「はい。今後、敵に遅れをとることはありません」
「敵とは良い表現だ。気持ちは固まった様だな。期待しているぞ」
「お任せ下さい」
何度か休憩を挟みながら、延々と続くゆるい上り坂を登っていく。
皆が体を休めている間も、リュゼーとチェロスは何かを忘れる様に一心不乱に働く。口の悪い使用人からは「なんだか人が変わったみたいだな。昨晩、何か変な物でも食ったか?」などと揶揄されたが、愛想笑いを浮かべる程度はするものの、二人は常に体を動かし続けた。
いつもなら揶揄い甲斐のある、悪戯っ子のチェロスも寡黙に働いているので、段々とその様な言葉は減っていった。
そうこうしているうちに峠に到着する。
山岳地帯の多いエルドレと比べて、リチレーヌには高い山がそれほどなく平野を思わせる低地が広がっている。そのため峠を越えると、片峠を思わせるほどに一気に平地へと向けて道は標高を下げていく。
これより旧エルドレの民を飢えから救った、穀倉地帯のリチレーヌへと足を踏み入れることとなる。
目を閉じたが、再び眠りにつくことが叶わないのをなんとなく感じ、幕から出て灰色の空が紫色に染められていくのを眺めていた。
心の蟠りを洗い流してくれそうな、朝の澄んだ空気を何度も吸い込んでは吐き出した。
昨夜は不思議な体験をした。楽しい事が翌日に控えていて眠れないのではなく、不安で仕方無くて何度も目を開けてしまうのでもなく、疲れから体は休息を欲しているのに考え事が頭の中を巡り、時間だけがどんどんと過ぎていった。
隣で幕を張ったチェロスも同じ体験をしたのか、寝返りを打つ音が俺が眠りにつくまで何度となく繰り返されていた。
「リュゼ君、おはよう」
「おう」
俺が起きたのに気が付いたのか、チェロスが幕から出て来た。
「早起きだね」
「おう」
言葉少なく、チェロスはリュゼーの横に腰を下ろす。
それから、お互いの目の下にできた隈の理由を話さずに、ただぼーっとオレンジ色に変わりゆく東の空を二人して眺めた。
「リュゼー様、昨日は大変だったみたいですね」
準備が整い出発の合図を待っていると、ハンニが語りかけてくる。
「はい、良い人生勉強になりました」
リュゼーは頭に手を置き、苦笑いを浮かべる。この様な態度や気の抜けた笑顔を見せられるのも、相手がハンニだからである。
「私が余計なことをしてしまったばっかりに。申し訳ありません」
「いえいえ、謝らないで下さい。ハンニさんは悪くありません。悪いのは騙された俺達です。それに、食堂の外まで見送りをしていただいたのに、ハンニさんの所為にしては罰が当たってしまいます」
「私としては、当然のことをしたまでです。それより犯人の目星は付いたのですか?」
「残念ながら、全くと言っていいほど見当もつきません」
「それは大変ですね」
ハンニは眉を落とす。
チェロスのことが気掛かりなのか、何やら思うことがあるのか、悟られない様にしているがハンニの雰囲気もいつもと違う。
「チェロス様も元気がありませんでした」
「チェロスと話をしたのですか?」
「はい、少しだけですがお話を致しました。昨夜の出来事に心を痛められたのか、あまり触れて欲しく無さそうだったので、本当にほんの少しですが…」
「そうですか。元気だけが取り柄のあいつも、この度の出来事は堪えたのかも知れませんね」
「その様です」
ハンニは何度か頷く。
「チェロスも顔は覚えていると言っていたのですが、動揺していたのか人相書きも上手くいかなくて」
「結果として、チェロス様が狙われたので無理もないですね。人相書きも上手くいかないとなると特定は難しくなりますね。服装などの手掛かりは?」
リュゼーは首を横に振る。
「何処にでもある服装だったらしく、それについてもこれといった手掛かりはありません」
「そうですか。街中を探す様な雰囲気がないのですが、それが原因ですか?」
「それについては本家の考えなので分かりませんが、これ程までの仕掛けをしてくる相手なので、すでに街にはいないとの判断なのかもしれませんね」
「本当に手掛かりが無いということなのですね」
ハンニは口を固く結ぶ。
「過ぎてしまった事です。後は本家が上手く処理するでしょう。ハンニさんがそこまで気を揉む必要はありませんよ」
「そうですね。この事件を気にし過ぎて、今後の仕事に支障が出てしまったらいけませんからね」
「その通りです」
「それでは最後に。チュウを使ったとのことですが、それについては…」
「おや?出発のようですね」
リュゼーの言葉により、ハンニは自分の担当する馬車に目を向ける。
「その様ですね。チェロス様のことが気になるあまり、色々と聞いてしまい申し訳ありませんでした」
ハンニは申し訳なさそうにリュゼーの顔色を窺う。
「その様な顔をしないで下さい」
「いえ、こちらとしてもリュゼー様のお気持ちを考えなさ過ぎました。お許し下さい。嫌な事は早く忘れたいものですよね。それでは、この話はこの場限りということに致しましょう」
「はい」リュゼーは不恰好な笑顔で頷く。「お互いに今日も一日頑張りましょう」
ハンニにいつもの笑顔が戻る。
「リュゼー様が、チェロス様の『相棒』で良かったです。チェロス様には早く元気になってもらわないと困りますからね」
ハンニは礼儀正しくお辞儀をすると、馬車の方へ駆けて行った。
リュゼーは眠気を振り払う様に、自分の顔を両手で強く叩く。目や口を大きく開いたり、きつく閉じたりして顔の筋肉を動かし、貼り付けられた笑顔をほぐす。
これより他国に入る。ハンニに向ける様な笑顔をしていては、まだ見ぬ敵に付け込まれてしまう。
リュゼーは深く息を吸い込む。
自分に気合いを入れるため、先ほどよりも強く自分の顔を叩く。
バチーン!という大きな音に気が付いたドロフが、リュゼーに笑顔を向ける。
「本日もよろしくお願いします」
お辞儀をしたリュゼーの背中を押す様に、出発を知らせる笛の音が届く。
「昨日は大変だったみたいだな」
「はい。ドロフさんが仰ってた言葉の意味が分かりました」
「そうか、それは良かった」
「はい。今後、敵に遅れをとることはありません」
「敵とは良い表現だ。気持ちは固まった様だな。期待しているぞ」
「お任せ下さい」
何度か休憩を挟みながら、延々と続くゆるい上り坂を登っていく。
皆が体を休めている間も、リュゼーとチェロスは何かを忘れる様に一心不乱に働く。口の悪い使用人からは「なんだか人が変わったみたいだな。昨晩、何か変な物でも食ったか?」などと揶揄されたが、愛想笑いを浮かべる程度はするものの、二人は常に体を動かし続けた。
いつもなら揶揄い甲斐のある、悪戯っ子のチェロスも寡黙に働いているので、段々とその様な言葉は減っていった。
そうこうしているうちに峠に到着する。
山岳地帯の多いエルドレと比べて、リチレーヌには高い山がそれほどなく平野を思わせる低地が広がっている。そのため峠を越えると、片峠を思わせるほどに一気に平地へと向けて道は標高を下げていく。
これより旧エルドレの民を飢えから救った、穀倉地帯のリチレーヌへと足を踏み入れることとなる。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します
潮ノ海月
ファンタジー
旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる!
トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。
領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。
アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。
だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう
完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。
果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!?
これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。


魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。
うちの冷蔵庫がダンジョンになった
空志戸レミ
ファンタジー
一二三大賞3:コミカライズ賞受賞
ある日の事、突然世界中にモンスターの跋扈するダンジョンが現れたことで人々は戦慄。
そんななかしがないサラリーマンの住むアパートに置かれた古びた2ドア冷蔵庫もまた、なぜかダンジョンと繋がってしまう。部屋の借主である男は酷く困惑しつつもその魔性に惹かれ、このひとりしか知らないダンジョンの攻略に乗り出すのだった…。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる