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本編前のエピソード
雲の行き先 5 曲がりくねった道を抜けて(上)
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「ほれ、頑張れ、ほれ、もう少しだ。ここを越えればルクウスまでは楽になるぞ」
ドロフは馬に声を掛けながら、時折鞭を打つ。
馬車は今、本日の目的地となる宿場町ルクウスへと向かう道中にある、難所と言われる箇所へと差し掛かっている。
「そうだ、そうだ、無理せず頑張れ」
リュゼーは障害の除去や補助、馬具の破損による逸走など不測の事態に対応するために、馬車から降りている。
「なんだそりゃ?力が抜けるからその掛け声は止めろ」
「すみません」
高貴な人を除き、リュゼーの様に補助をしなくても坂道では御者以外は重量を軽くするために降りるのが通例だが、手持ち無沙汰で荷台を後ろから押していると「何かあった時に巻き込まれるから、横に退いていろ」と叱られてしまった。馬にとっては人一人の力が加わったところで微々たるものらしい。山間部では山間部なりの決まり事があり、色々と勉強になる。
格好をつけるのはやめよう。簡単に言えば怒られてばかりだ。
「おいリュゼー、荷がずれてガタガタいい出した。振動で品物が破損したら問題だ。直せ」
「はい」
リュゼーは動いている馬車の荷台に飛び乗る。
催し物の時とは違いドロフは少々荒っぽくなっている。難所を越えているためか、馬を御し丁寧に荷を運ぶことに集中していて、言葉使いなどに気を使っている暇もないのだろう。
但し難所とはいっても、荷馬車にとっては、との注釈が入る。段丘を越えるための葛折の坂であり、徒歩であれば多少のきつさというものがあるが、なんて事の無い坂道の一つでしかない。
しかし見事だ。
右に左に大きく曲がる道を二頭の馬を巧みに扱い、荷車の挙動を考慮した手綱捌きは惚れ惚れしてしまう。早めに曲がり始めたら内輪を落としてしまうし、遅ければ曲がりきれなくなり帳尻を合わせようとすると馬にも車輪や軸に必要以上に負荷がかかってしまう。
澱みがないと言うべきか、全くもって丁度良い。時には手綱を強く引き、時には緩め、鞭を上手に使い馬の速度を自在に操る。あたかも馬が自分の意思で坂を登っているようにすら見える。
これにはため息しか出ない。
馬に跨っているならば、俺がどうしたいのかを手綱に頼らずとも体の動きで伝えられることは知っている。ところが、馬車では自分の意思を伝えるものは手綱を含め限られている。その状況であそこまで操れるのには感動してしまう。そして、馬がこれほどまでにこちらの言う事を聞く生き物だと初めて知った。いや、これも操縦技術が成せる技なのだろう。まだまだ学ばなければいけないことが多々ある。
手垢のついた言葉で言わせてもらうと、手が届く位置にある背中がとても遠くに見える。
「よーし、良く頑張った」
ドロフにいつもの笑顔が戻る。
「おーいリュゼー、水をくれ」
「はい」
リュゼーはドロフのすぐ横を歩きながら水筒を差し出す。
「ありがとな」
ドロフの顔がいつも以上に輝いて見える。
「いえ」
その顔をなぜだか直視できずに、リュゼーは顔を伏せてしまう。
こんな苦労をするなら別の道を使えば良いのではないかと思うかもしれないが、エルドレとリチレーヌの間には、国を分ける様に南北を縦断する背の高い山々が連なる。それを迂回するための大きな街道は、川沿いや山間を抜ける現在通っている北の街道と、海岸線を通る南の街道しかない。
首都間を行き来するために距離のみで道程を選ぶとこの連山を越える必要があり、そのための街道は多々あるがどれも険しい。
「しばらくはこれぐらいの緩い坂道が続く。ゆっくりしよう」
「はい!」
リュゼーは定位置と言わんばかりに、ドロフの直ぐ横から離れずに歩く。峠を越えるような道ではこのように並んで歩くことも難しい。一頭立ての軽装馬車や林業で使われる無蓋の馬車などは通れるが、二頭立て以上の馬車は通れない。通れないとは語弊のある言い方かもしれない。通ることは可能だが、誰も通ろうとしない。
先ほどの坂道でさえあんなにも慎重になっていたのに、それ以上の坂道がゴロゴロとある。どれも道幅が狭く、御者の腕が未熟だと直ぐに石畳から脱輪をしてしまう。
その理由があとなのか先なのか、大半の道は狭いままで、歩いて越える人が困らない程度にしか整備されていない。馬車用に整備されてる街道もなくはないが、全てが石畳になっておらず土が剥き出しの箇所があるなど、雨天時にはぬかるみに車輪がとられ脱出するのに時間と労力を消費してしまったり轍の整地が必要な場合もある。
近道をしようとして、結果的に迂回ルートの方が早い場合もある。
「この道は広くて綺麗だから通やすくていいな」
「そうですね」
たった今すれ違った、荷を運ぶ風が羨望の眼差してこちらを見ていた。これも塩の魔力だろう。この仕事に携わることができて誇りに思う。
「おっ!」
ドロフは嬉しそうに、すれ違う一頭立ての馬車に乗る御者の顔を指差す。リュゼーは胸に拳を当てて挨拶をする。挨拶をされた風は笑顔で杯を持つ様な手の形を作り、口の近くで二回ほど呷る仕草をする。
「おい!」
ドロフは冗談混じりの叫び声を上げる。それを受けた風は、笑顔でこちらに手を振って過ぎ去って行った。
「いいなー、あいつは戻ったら宴会か」
荷台にあった品物が少なかったので、どこかへ送り届けた帰りだと思われる。都市エルドレへ戻ったら旧友と友好を深める予定なのだろう。ドロフにとっては外交も宴会もどちらも魅力的なのかもしれない。
「また夜通しになりそうですね」
「だろうな」
ドロフの表情を見てわかった気がする。全てが終わるまで酒の類は飲むことができない。それがつまらなく、そして辛いのだろう。
少し可愛らしく思えた。
しばらくの間、川を眼下に見下ろしながら鳥の囀りを聞きつつ一団は進む。
「どうだった?」
ドロフが何の前触れもなく尋ねてくる。
「どうだったとは?」
ドロフはすぐに答えずに、リュゼーの目を見据える。
「質問を質問で返すやつがいるか?」
「すみません。何を聞かれているのか分からなかったもので」
「全く勘の悪いやつだ」
ドロフは口を紡いでしまう。
「宴会についてですか?」
ドロフは黙ったままだ。
「それだと、だったと聞くのはおかしいですよね」
リュゼーは「それだとなんだろう」と独りごちる。
思い当たる出来事といえば、先ほどの操縦技術だ。しかし、ドロフはおべっかを強要するような人ではない。だが、これしか思い付かない。
「めちゃくちゃかっこよかったです」
リュゼーは先ほど見て感じたことを述べつつ、思いの丈を打ち明けている途中でドロフに「あー、もういい」と止められる。
「いや、まだ伝えたいことが沢山あります」
気持ちが燃え上がり、前がかりなっているリュゼーに対してドロフは苦笑いを浮かべる。
「聞きたかった事はその話ではないし、これ以上聞き続けるのは俺が無理だ。歯が浮いちまってしょうがない。この事は忘れろ」
「いや」
「いや、じゃなくて、こっちは嫌なんだよ」
そんなことを言いながらもドロフは嬉しそうにしていた。
ドロフは馬に声を掛けながら、時折鞭を打つ。
馬車は今、本日の目的地となる宿場町ルクウスへと向かう道中にある、難所と言われる箇所へと差し掛かっている。
「そうだ、そうだ、無理せず頑張れ」
リュゼーは障害の除去や補助、馬具の破損による逸走など不測の事態に対応するために、馬車から降りている。
「なんだそりゃ?力が抜けるからその掛け声は止めろ」
「すみません」
高貴な人を除き、リュゼーの様に補助をしなくても坂道では御者以外は重量を軽くするために降りるのが通例だが、手持ち無沙汰で荷台を後ろから押していると「何かあった時に巻き込まれるから、横に退いていろ」と叱られてしまった。馬にとっては人一人の力が加わったところで微々たるものらしい。山間部では山間部なりの決まり事があり、色々と勉強になる。
格好をつけるのはやめよう。簡単に言えば怒られてばかりだ。
「おいリュゼー、荷がずれてガタガタいい出した。振動で品物が破損したら問題だ。直せ」
「はい」
リュゼーは動いている馬車の荷台に飛び乗る。
催し物の時とは違いドロフは少々荒っぽくなっている。難所を越えているためか、馬を御し丁寧に荷を運ぶことに集中していて、言葉使いなどに気を使っている暇もないのだろう。
但し難所とはいっても、荷馬車にとっては、との注釈が入る。段丘を越えるための葛折の坂であり、徒歩であれば多少のきつさというものがあるが、なんて事の無い坂道の一つでしかない。
しかし見事だ。
右に左に大きく曲がる道を二頭の馬を巧みに扱い、荷車の挙動を考慮した手綱捌きは惚れ惚れしてしまう。早めに曲がり始めたら内輪を落としてしまうし、遅ければ曲がりきれなくなり帳尻を合わせようとすると馬にも車輪や軸に必要以上に負荷がかかってしまう。
澱みがないと言うべきか、全くもって丁度良い。時には手綱を強く引き、時には緩め、鞭を上手に使い馬の速度を自在に操る。あたかも馬が自分の意思で坂を登っているようにすら見える。
これにはため息しか出ない。
馬に跨っているならば、俺がどうしたいのかを手綱に頼らずとも体の動きで伝えられることは知っている。ところが、馬車では自分の意思を伝えるものは手綱を含め限られている。その状況であそこまで操れるのには感動してしまう。そして、馬がこれほどまでにこちらの言う事を聞く生き物だと初めて知った。いや、これも操縦技術が成せる技なのだろう。まだまだ学ばなければいけないことが多々ある。
手垢のついた言葉で言わせてもらうと、手が届く位置にある背中がとても遠くに見える。
「よーし、良く頑張った」
ドロフにいつもの笑顔が戻る。
「おーいリュゼー、水をくれ」
「はい」
リュゼーはドロフのすぐ横を歩きながら水筒を差し出す。
「ありがとな」
ドロフの顔がいつも以上に輝いて見える。
「いえ」
その顔をなぜだか直視できずに、リュゼーは顔を伏せてしまう。
こんな苦労をするなら別の道を使えば良いのではないかと思うかもしれないが、エルドレとリチレーヌの間には、国を分ける様に南北を縦断する背の高い山々が連なる。それを迂回するための大きな街道は、川沿いや山間を抜ける現在通っている北の街道と、海岸線を通る南の街道しかない。
首都間を行き来するために距離のみで道程を選ぶとこの連山を越える必要があり、そのための街道は多々あるがどれも険しい。
「しばらくはこれぐらいの緩い坂道が続く。ゆっくりしよう」
「はい!」
リュゼーは定位置と言わんばかりに、ドロフの直ぐ横から離れずに歩く。峠を越えるような道ではこのように並んで歩くことも難しい。一頭立ての軽装馬車や林業で使われる無蓋の馬車などは通れるが、二頭立て以上の馬車は通れない。通れないとは語弊のある言い方かもしれない。通ることは可能だが、誰も通ろうとしない。
先ほどの坂道でさえあんなにも慎重になっていたのに、それ以上の坂道がゴロゴロとある。どれも道幅が狭く、御者の腕が未熟だと直ぐに石畳から脱輪をしてしまう。
その理由があとなのか先なのか、大半の道は狭いままで、歩いて越える人が困らない程度にしか整備されていない。馬車用に整備されてる街道もなくはないが、全てが石畳になっておらず土が剥き出しの箇所があるなど、雨天時にはぬかるみに車輪がとられ脱出するのに時間と労力を消費してしまったり轍の整地が必要な場合もある。
近道をしようとして、結果的に迂回ルートの方が早い場合もある。
「この道は広くて綺麗だから通やすくていいな」
「そうですね」
たった今すれ違った、荷を運ぶ風が羨望の眼差してこちらを見ていた。これも塩の魔力だろう。この仕事に携わることができて誇りに思う。
「おっ!」
ドロフは嬉しそうに、すれ違う一頭立ての馬車に乗る御者の顔を指差す。リュゼーは胸に拳を当てて挨拶をする。挨拶をされた風は笑顔で杯を持つ様な手の形を作り、口の近くで二回ほど呷る仕草をする。
「おい!」
ドロフは冗談混じりの叫び声を上げる。それを受けた風は、笑顔でこちらに手を振って過ぎ去って行った。
「いいなー、あいつは戻ったら宴会か」
荷台にあった品物が少なかったので、どこかへ送り届けた帰りだと思われる。都市エルドレへ戻ったら旧友と友好を深める予定なのだろう。ドロフにとっては外交も宴会もどちらも魅力的なのかもしれない。
「また夜通しになりそうですね」
「だろうな」
ドロフの表情を見てわかった気がする。全てが終わるまで酒の類は飲むことができない。それがつまらなく、そして辛いのだろう。
少し可愛らしく思えた。
しばらくの間、川を眼下に見下ろしながら鳥の囀りを聞きつつ一団は進む。
「どうだった?」
ドロフが何の前触れもなく尋ねてくる。
「どうだったとは?」
ドロフはすぐに答えずに、リュゼーの目を見据える。
「質問を質問で返すやつがいるか?」
「すみません。何を聞かれているのか分からなかったもので」
「全く勘の悪いやつだ」
ドロフは口を紡いでしまう。
「宴会についてですか?」
ドロフは黙ったままだ。
「それだと、だったと聞くのはおかしいですよね」
リュゼーは「それだとなんだろう」と独りごちる。
思い当たる出来事といえば、先ほどの操縦技術だ。しかし、ドロフはおべっかを強要するような人ではない。だが、これしか思い付かない。
「めちゃくちゃかっこよかったです」
リュゼーは先ほど見て感じたことを述べつつ、思いの丈を打ち明けている途中でドロフに「あー、もういい」と止められる。
「いや、まだ伝えたいことが沢山あります」
気持ちが燃え上がり、前がかりなっているリュゼーに対してドロフは苦笑いを浮かべる。
「聞きたかった事はその話ではないし、これ以上聞き続けるのは俺が無理だ。歯が浮いちまってしょうがない。この事は忘れろ」
「いや」
「いや、じゃなくて、こっちは嫌なんだよ」
そんなことを言いながらもドロフは嬉しそうにしていた。
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