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本編前のエピソード
雲の行き先 3 馬車に揺られて(下)
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「これだけの品を子供の小遣い程度の金で買えるのだから、近隣の住民のみならず少し無理をしてでも見に来るよな」
「はい、俺の生家は裕福な方ではなかったですが、あの価格帯なら十分この催し物を楽しめたと思います」
アスキ家の主戦場となる海の上でホロイ家と共に航海技術を見せつけ家の強みを世間に示したならば、エルメウス家の強みは塩により築き上げた潤沢な資金と国内に留まらない強大な貿易力である。庶民と言われる階級では、子供が食べたいといってもおいそれと口に出来ない料理や、質の良い品物を安価で提供するのはアスキ家の航海技術のそれにあたる。
エルメウス家は、政治と経済の中心地となる都市エルドレでその力を大いに示しているのだ。
「こんな事をされたら子供は俺たちのこと好きになっちゃうよな」
「全くその通りです」
リュゼーは、天然石のついた可愛らしい髪飾りを付けた女の子に手を振り返す。
エルメウス家の狙いはもう一つある。
子供の頃に経験した楽しい思い出は、大人になっても色褪せることなく胸に留まり続ける。
肉の焼ける香ばしい香りや、演奏されているラッパの音に楽しげな太鼓のリズム。全く同じものでなくてもそれに近いものを感じただけで、楽しかった出来事がふとした瞬間に思い出される。そんなことが繰り返された場合、エルメウス家への印象はどうなるだろうか。利害関係が伴わなければ、良い印象を持つのが一般的ではないだろうか。
新しく貿易を始めようとしている者がいたとして、縁故などがない場合にはエルメウス家が商売相手として名前が上がる確率が高くなる。『損して得とれ』ではないが、風に求められている地域への貢献や金を落とすという行いの中に、自分たちの商売を上手に隠しながら混ぜ込むのは内情を知るものからは商人根性の成せる技だと言われている。
「おっと、あれか?」
ドロフは、出発前の打ち合わせで説明の受けた特徴的な街灯に気が付く。
「多分、そうでしょうね」
リュゼーも同じ街灯に目を向ける。
「いいよな、お前は。その服着てるからキョロキョロしても、不自然に思われないから楽だよな」
「いやいや、チェロスじゃあるまいしそんなことしませんよ」
ドロフの軽口に対し、リュゼーは余裕綽々といった具合に鼻で笑う。
「言うじゃねえかよ」ドロフは、楽しそうに眉毛を上げた後に不敵に笑う。「それなら俺は何も言わねえから答えてみろよ」
「分かりました」
二人の乗った馬車が街灯の横を通過する。
ドロフは、ほれ言ってみろ。と無言で顎をしゃくる。
「まずは、飲食店から物珍しそうに出てきた腹が少し出た中年の男。それから、丸い大きな鍔の帽子を被った女性と仲良さげに話をしている紳士風の男に、子供を肩車している男といったところでしょうか」
「正解だ」
両者とも口の動きで会話が読まれないように気を配り、喧騒に負けない独特の話し方をしている。
続いて、三角屋根の変わった建物の横を通り過ぎる。
「こちらは…。そうですね、しゃがみながら子供に手を掛けてなりやら話しかけている女、人を待っている様に壁沿いに立つ髪の長い女、椅子に腰掛けている初老の女性ですね。多分、あの女性は変装ですけど」
「こっちも正解だな」
ドロフは満足そうに呟く。
挙げられた全ての人物は、傍目から見ても変わったところはない。それぞれが催し物を楽しむ民、それ以外の表現方法はない。
「あの者たちが今回の外交を支える諜報部員の代表だ。今回は三ヶ国を巡る関係上、それぞれ三名いるが顔を忘れるなよ。このように分かりやすく登場してくれるのはこれで最後だからな」
「はい、承知しています」
今回の催し物が『風に求められている地域への貢献や金を落とすという行いの中に、自分たちの商売を上手に隠しながら混ぜ込む』のならば、これから行う外交は『他国に塩を献上するという名目の諜報活動』だ。
「それとあと一つ。子供の手を引いてこちらを見ていた、買い物籠を手に持った女は多分…」
「そうだな、あれは帝国の密偵だろう。分かりやすかったから、こちらへの牽制も含まれているだろうな」
「やはりそうですよね」
外遊先に帝国は含まれていないため、何らかの牽制なり働き掛けがあって当然である。
「リチレーヌとハオスではそこまで気を使わなくても大丈夫だろうが、トンポンに行った際は気をつけろよ。最近、帝国がトンポンの有力者に調略を仕掛けているとの情報が入っている」
「はい、心得ています」
帝国では皇帝が代わり、近隣国の情勢が大きく変わろうとしている。
「弱いところを突いて結束を綻ばせるのが定石だが、お前とチェロスなんかは敵からしたら狙い目の一つだからな」
「敵からしたらそうなんでしょうけれども、俺達なんかを狙ってくるなんて無駄なことするでしょうか。引き込んだところでこれっぽっちも旨味なんてないですよ?」
成人前の二人には何の権限も与えられていない。権限どころか風衣すら与えられていない現状から、リュゼーの返答は至極真っ当と言える。
「そうやって考えるのは当然だが、真の目的はお前たちじゃない。お前たちを使って色々と仕掛けてくるんだ。国にとって重要な人物には、それなりの目がついている。同一人物じゃなくても頻繁に外部の人間と接触していたら、監視対象になってしまうかもしれない。しかし、相手がお前だとどうだ?」
ドロフは言いたいことを強調させるために、最後の部分だけゆったりと語りかける様な口調にしたため、リュゼーは気付かされる。
「ただ単に交友を深めているだけなのか、調略に引っ掛かっているのか判断がつき難いです」
「そうだよな。そんな奴等を全て洗い出していたら、幾ら手があっても追い付かない可能性も出てくる。そうなると綻びがいつしか裂け目となり、取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。それを心配しているのだ」
「肝に銘じます」
「まあ、お前とチェロスだったら直ぐに尻尾を出してしまいそうだがな」
「それは、この外交での心構えとして受け取ります」
ドロフは、リュゼーに顔を向ける。
「ちっとは成長してるじゃねぇか」
はっきりと口を動かしてからドロフは笑う。
再び二人は催し物に参加しているただのエルメウスの家人に戻り、民衆からの好意に笑顔で応えながら務めを全うした。
「はい、俺の生家は裕福な方ではなかったですが、あの価格帯なら十分この催し物を楽しめたと思います」
アスキ家の主戦場となる海の上でホロイ家と共に航海技術を見せつけ家の強みを世間に示したならば、エルメウス家の強みは塩により築き上げた潤沢な資金と国内に留まらない強大な貿易力である。庶民と言われる階級では、子供が食べたいといってもおいそれと口に出来ない料理や、質の良い品物を安価で提供するのはアスキ家の航海技術のそれにあたる。
エルメウス家は、政治と経済の中心地となる都市エルドレでその力を大いに示しているのだ。
「こんな事をされたら子供は俺たちのこと好きになっちゃうよな」
「全くその通りです」
リュゼーは、天然石のついた可愛らしい髪飾りを付けた女の子に手を振り返す。
エルメウス家の狙いはもう一つある。
子供の頃に経験した楽しい思い出は、大人になっても色褪せることなく胸に留まり続ける。
肉の焼ける香ばしい香りや、演奏されているラッパの音に楽しげな太鼓のリズム。全く同じものでなくてもそれに近いものを感じただけで、楽しかった出来事がふとした瞬間に思い出される。そんなことが繰り返された場合、エルメウス家への印象はどうなるだろうか。利害関係が伴わなければ、良い印象を持つのが一般的ではないだろうか。
新しく貿易を始めようとしている者がいたとして、縁故などがない場合にはエルメウス家が商売相手として名前が上がる確率が高くなる。『損して得とれ』ではないが、風に求められている地域への貢献や金を落とすという行いの中に、自分たちの商売を上手に隠しながら混ぜ込むのは内情を知るものからは商人根性の成せる技だと言われている。
「おっと、あれか?」
ドロフは、出発前の打ち合わせで説明の受けた特徴的な街灯に気が付く。
「多分、そうでしょうね」
リュゼーも同じ街灯に目を向ける。
「いいよな、お前は。その服着てるからキョロキョロしても、不自然に思われないから楽だよな」
「いやいや、チェロスじゃあるまいしそんなことしませんよ」
ドロフの軽口に対し、リュゼーは余裕綽々といった具合に鼻で笑う。
「言うじゃねえかよ」ドロフは、楽しそうに眉毛を上げた後に不敵に笑う。「それなら俺は何も言わねえから答えてみろよ」
「分かりました」
二人の乗った馬車が街灯の横を通過する。
ドロフは、ほれ言ってみろ。と無言で顎をしゃくる。
「まずは、飲食店から物珍しそうに出てきた腹が少し出た中年の男。それから、丸い大きな鍔の帽子を被った女性と仲良さげに話をしている紳士風の男に、子供を肩車している男といったところでしょうか」
「正解だ」
両者とも口の動きで会話が読まれないように気を配り、喧騒に負けない独特の話し方をしている。
続いて、三角屋根の変わった建物の横を通り過ぎる。
「こちらは…。そうですね、しゃがみながら子供に手を掛けてなりやら話しかけている女、人を待っている様に壁沿いに立つ髪の長い女、椅子に腰掛けている初老の女性ですね。多分、あの女性は変装ですけど」
「こっちも正解だな」
ドロフは満足そうに呟く。
挙げられた全ての人物は、傍目から見ても変わったところはない。それぞれが催し物を楽しむ民、それ以外の表現方法はない。
「あの者たちが今回の外交を支える諜報部員の代表だ。今回は三ヶ国を巡る関係上、それぞれ三名いるが顔を忘れるなよ。このように分かりやすく登場してくれるのはこれで最後だからな」
「はい、承知しています」
今回の催し物が『風に求められている地域への貢献や金を落とすという行いの中に、自分たちの商売を上手に隠しながら混ぜ込む』のならば、これから行う外交は『他国に塩を献上するという名目の諜報活動』だ。
「それとあと一つ。子供の手を引いてこちらを見ていた、買い物籠を手に持った女は多分…」
「そうだな、あれは帝国の密偵だろう。分かりやすかったから、こちらへの牽制も含まれているだろうな」
「やはりそうですよね」
外遊先に帝国は含まれていないため、何らかの牽制なり働き掛けがあって当然である。
「リチレーヌとハオスではそこまで気を使わなくても大丈夫だろうが、トンポンに行った際は気をつけろよ。最近、帝国がトンポンの有力者に調略を仕掛けているとの情報が入っている」
「はい、心得ています」
帝国では皇帝が代わり、近隣国の情勢が大きく変わろうとしている。
「弱いところを突いて結束を綻ばせるのが定石だが、お前とチェロスなんかは敵からしたら狙い目の一つだからな」
「敵からしたらそうなんでしょうけれども、俺達なんかを狙ってくるなんて無駄なことするでしょうか。引き込んだところでこれっぽっちも旨味なんてないですよ?」
成人前の二人には何の権限も与えられていない。権限どころか風衣すら与えられていない現状から、リュゼーの返答は至極真っ当と言える。
「そうやって考えるのは当然だが、真の目的はお前たちじゃない。お前たちを使って色々と仕掛けてくるんだ。国にとって重要な人物には、それなりの目がついている。同一人物じゃなくても頻繁に外部の人間と接触していたら、監視対象になってしまうかもしれない。しかし、相手がお前だとどうだ?」
ドロフは言いたいことを強調させるために、最後の部分だけゆったりと語りかける様な口調にしたため、リュゼーは気付かされる。
「ただ単に交友を深めているだけなのか、調略に引っ掛かっているのか判断がつき難いです」
「そうだよな。そんな奴等を全て洗い出していたら、幾ら手があっても追い付かない可能性も出てくる。そうなると綻びがいつしか裂け目となり、取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。それを心配しているのだ」
「肝に銘じます」
「まあ、お前とチェロスだったら直ぐに尻尾を出してしまいそうだがな」
「それは、この外交での心構えとして受け取ります」
ドロフは、リュゼーに顔を向ける。
「ちっとは成長してるじゃねぇか」
はっきりと口を動かしてからドロフは笑う。
再び二人は催し物に参加しているただのエルメウスの家人に戻り、民衆からの好意に笑顔で応えながら務めを全うした。
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