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第2章 開かない箱
43 エピローグ② 箱の中
しおりを挟む「あ、じゃあ俺、イルミナさんを呼んできます」
ミシェルさんにアンティークテーブルに座ってもらうと、俺はカウンター奥の扉を開けた。ちなみにジークさんのことについては、旅から帰ってすぐにミシェルさんに報告済みだ。
イルミナさんと俺で人数分のハーブティーを用意して、イルミナさんに買ってきた北部名産のお菓子も添える。
すると遅れてやってきたエミルが「あれ」と言ってテーブルの上を見渡した。
「パメラさん来てたんじゃないんですか?」
「もう帰っちゃったよ」
「ジンジャークッキーは……」
「持って来ないよ。何言ってんの」
エミルの中では、パメラはすっかり「ジンジャークッキーの人」になったらしい。
イーデンは早々にお茶とお菓子を食べ終えると、あのからくり箱を手に取った。
ジークさんは一番簡単な封印の呪文と言っていたけど、イーデンによると学生が扱える簡単な呪文も十個くらいあるため、ひとつひとつ試していくしかないらしい。
「でも、本当にいいんですか? 俺たちが同席しても……」
「もちろんだよ。君たちには何から何まで世話になったからね」
ミシェルさんがにこやかな顔でうなづく。
「それより、どうして僕が箱を開けたいと思ったのか聞かないのかい?」
「そ、それも聞いてもいいんですか?」
「ああ。むしろ、聞いてもらいたいんだ」
俺たちはイーデンが箱の封印を解除できるまでのあいだ、ミシェルさんの話を聞くことになった。
「夢に向かって、僕は長いことがむしゃらに走ってきた。だけど王の御前で歌ってから、心にぽっかりと穴が空いたみたいになったんだ。そのとき、ふと、あの箱が目についた。それで、急にジークに会いたくなったんだよ」
ミシェルさんの視線が、イーデンの手の中のからくり箱に向けられる。
「昔から、僕に近づいてくる人間は大勢いたよ。取り入ろうとしたり、利用しようとしたり。彼らが僕に向ける笑顔の裏で僕の夢をあざ笑ったり、ありもしない噂話をでっち上げているのも知っていた。
「そんな中で、僕の夢を心から応援してくれたのはジークだけだった。自分にはこれといって夢がない、だから君は夢を叶えるべきだと言ってね」
……あの箱は「呪い」だったのかもしれないというジークさんの告白を聞いた後だから、なんだか複雑な気持ちだ。
応援するためじゃなく、ミシェルさんの心を縛り付ける呪いだったかもしれないだなんて、口が裂けても言えない……。
「僕は誰ひとりとして信用してこなかった。ジークだけが、たった一人の友人で、唯一信頼できる人間だった……。夢をほぼ叶えてふと周りを見回した時、喜びを分かち合えるような人が誰もいなくてあ然としたよ。それで箱を開けたらジークの居場所がわかるのかと思ったんだ」
「だから道具屋に箱を持ち込んだんですね」
「ああ」
そして何かを思い出したように、くすっと笑った。
「初めて会ったときにね、ジークは僕のことを女だと勘違いしたんだよ」
ジークさん、思い切りバレてましたよ……。
「夢見心地の顔で僕に話しかけてくるから、こいつもかと思ってからかってやろうと思った。それでしばらく健気な女の子を演じたんだよ。でもジークが真面目な人間だとわかって、すぐにからかうのは止めたんだ。彼、堅物だろう?」
「は、はい。すごく真面目な方でした」
ミシェルさんがにやりと悪そうな笑顔を浮かべた。うう、この笑顔。小悪魔っていうより、王子様顔の魔王って感じだ。
「ジークが酷くショックを受けているのが分かった。可哀想なことをしたなと思ったよ。それきり僕のところへは来なかったから、もう飽きたんだろうと思った。でも彼はまた僕のところにやって来た。君の歌は素晴らしい。君が何だろうが関係ない、そう言って」
ミシェルさんは微かな笑みを浮かべた。これまで見たことのないような穏やかな表情だった。
「実は、少し休もうかと思っているんだ」
「え? 一座をですか?」
「ああ。宮廷歌人になれた訳じゃないけど、僕の中では夢は叶ったようなものだし。それより信頼できる人と一緒にのんびり過ごす時間を作るのもいいかなって。まずはジークに会いに行って……。そうだな、ジークの手伝いをするのなんか楽しそうだ」
「そ、それいいと思います! ジークさん、診療所の手が足りないって言ってましたし」
グラディスが頬を紅潮させてミシェルさんに賛成する。と、ちょうどその時。
「解除できたよ」
イーデンののんびりした声が聞こえてきた。普段はぼーっとしてるけど、やっぱり教会の息子、魔力はしっかりしてるんだな。
俺は、ジークさんから預かってきた封筒をミシェルさんに手渡した。
ミシェルさんが封を切って、中から紙を取り出す。それを見たミシェルさんが苦笑した。
「箱の開け方しか書いてない。本当に事務的な奴だな、ジークは」
そして手順書を見ながら、からくり箱を開けていった。
箱の部品を取ったり、引いたり、押したり。それを十回くらい続けていって、やっと鍵が転がり落ちた。
心臓がどきどきしてきた。箱の中には何が入っているんだろう。やっぱり手紙かな……。
かちりと音を立てて、鍵が開けられる。中には、綿につつまれた小さな石が入っていた。
「なんだろう、これは……」
「宝石じゃないですか?」
グラディスが箱の中を覗き込んで言う。そう言われれば水晶か何かに見えなくもないけど……。
「魔石ですよ」
横から言ったのはエミルだった。
「魔石? じゃあ、魔術が込められてるってこと?」
「さあ、どうでしょうか」
テーブルに近づいてきたエミルが「失礼」と言って魔石を手に取る。
「同じ解除の術で開けられそうです。ほら」
エミルが指し示したのは魔法文字だった。俺には読めないけど、どの術で魔力を解放できるのか記しておくのが普通らしい。
イーデンが石に触れて短い呪文を唱えると、魔石がぼんやりと光り始めた。何が起きるのかどきどきして見守っていると。
「……これは?」
「どうやら音声を閉じ込めたようですね」
「魔石ってそんなこと出来るんだ……」
「しっ、静かに」
最初に聞こえてきたのはざわざわとした雑音だった。
次に聞こえてきたのは……これは鼻歌? ジークさんの声だ。
すると、鼻歌を聴いていたミシェルさんが突然両手で顔を覆ってわっと泣き崩れた。
「ミ、ミシェルさん?」
指の隙間から、ミシェルさんの嗚咽まじりの声がとぎれとぎれに聞こえてくる。
「これは僕が歌っていた歌だ……。あの地獄のような解剖室で、いつか貧しさから……絶望から抜け出してやる、飲んだくれの父を……僕の夢を馬鹿にする奴らをいつか見返してやると胸に刻みつけながら歌っていた歌だ……!」
ミシェルさんの嗚咽だけが響く道具屋の中で、少し調子っぱずれのジークさんの鼻歌は少しずつ小さくなってゆき。
鼻歌が終わった瞬間。
ゆらゆら揺らめく淡い光を灯していた魔石は、まるで役目の終わりを悟ったかのように、静かに、その灯りを消した。
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