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第2章 開かない箱
39 地獄に天使 2
しおりを挟むグラディスが続けて質問すると、ジークさんは小さくうなづいた。
「ミシェルは男女問わず皆から好かれていました。けれど彼の夢に関しては、誰もが不可能だと信じて疑わなかった。宮廷歌人はある程度の地位にないとなれませんから……。彼の夢には味方がいなかったんです。私はミシェルには夢を叶えて欲しかった。私には彼のような夢はありませんでしたからね」
じゃあやっぱり、ミシェルさんが簡単に諦めないようにわざと開かない箱を贈ったんだな。夢を諦めた時に開けるように、という呪文と一緒に。
そう、俺がひとり納得していた時。
「しかし、ミシェルさんを応援するだけなら二重に封印を施す必要はなかったんじゃありませんか?」
ジークさんの話を静かに聞いていたエミルが口を開いた。
この詰問するような言い方、嫌な予感がするけど……。そしてエミルは俺の予想通り、とんでもないことを口にした。
「ミシェルさんは挫けそうになる度にあの箱を開けようと苦心していたそうです。宮廷歌人になるという夢は、簡単に叶えられるものではありません。あの箱を開けようと手に取る度に、ミシェルさんはあなたのことを思い出す。それはミシェルさんの心がずっとあなたに向くような……。そういう呪いだったんじゃありませんか?」
「エミル!」
部屋の隅からエミルを小声でたしなめた。
いくらなんでも「呪い」だなんて……。なんて言葉選びするんだよ。
エミルは俺を振り向くと、言った。
「エドガーさん。自分の問題と向き合おうと決めたのはジークさんなんですよ。口出し無用です」
「でもさ、言い方ってものが……」
「ジークさんには全てを吐き出してもらわないと、箱に染み付いた泣き声は消えないんですよ」
俺とエミルのやり取りを見ていたジークさんが苦笑した。
「エミルくんと言ったね。君はまるで大人みたいなことを言うね」
まったく本当ですよね、と声に出さずにジークさんに同意してみる。
やっぱりエミルはとても十一歳とは思えない。実は高齢の魔法使いが子供の姿に化けてるってのは、案外当たってるんじゃないの? 俺、最近冴えてるみたいだし。
エミルは独りうなづいている俺を無視して、ジークさんに向き直った。
「あのからくり箱はとても思わせぶりな鍵が掛けられていました。封印の術、手の込んだ作りの複雑なからくり。まるで何かを必死に隠そうとしているような……見ないでくれと言わんばかりの仕様です。見るなと言われれば余計気になってしまうのが人の常。
「あの箱を開けるためには、あなたに直接会って開け方を聞くより他に方法はない。夢に惑うミシェルさんが自分を尋ねてくるように、そう仕向けたのではありませんか?」
ジークさんは目を閉じて何か考え事をしているみたいだった。しばらくして小さく息を吐くと、ぽつりと言った。
「呪いだったのかもしれません」
えっ……。な、なんで認めちゃうんだよ……。
「私は臆病な男です。ミシェルに判断を委ねたんです」
ジークさんは膝の上で手を組みなおすと、目を閉じたまま語り始めた。
「最初は純粋にミシェルを応援していました。でも、夢を追い求めて輝いているミシェルに嫉妬が無かったかといえば嘘になります。私は夢というものを持たない男だったから。
「両親を失くしたこの村をただただ出て行きたかった。この村に居続ける限り、また流行り病で大事な人たちを失うことは目に見えている。でも、ローザたちの期待を裏切れなかった……」
ジークさんは真面目すぎるんだよ……。
「私は村に縛られてどこへも行けないというのに、ミシェルだけが輝く夢を追って自由に羽ばたいていこうとしている……。心のどこかでミシェルが夢を諦めて、私を訪ねて来てくれないかと願っていました。そうしたら私は村を捨てて、ミシェルと一緒にどこか遠くへ行ってしまおうと……」
ジークさんは組んでいた両手をさらに握りしめた。うなだれた様子は、見ていられないほど痛々しかった。
でも……。
ジークさんは認めたけど、俺は「呪い」だなんてとても思えなかった。何か、大事なことを見落としているような気がする。喉元まで出かかっているのに、その何かを思い出すことは出来なかった。
黙って話を聞いていようと決めていたけど、打ちひしがれているジークさんを見ている内に、どうしても黙っていることが出来なくなって、俺は口を開いた。
「もし本当に呪いだったとしたら、ミシェルさんはあんな風に夢を叶えることは出来なかったんじゃないでしょうか……」
ジークさんは顔を上げると、俺を見た。
「ありがとう、君は優しいな。でもあの箱には私のエゴが詰まっている。それは曲げようのない事実なんだ」
そんなことはない、と言おうと思ったけど、ジークさん本人が言いきっているものを俺が否定するわけにもいかなくて、「呪い」に関してはそれ以上何も言えなくなってしまった。
「あの……。ジークさんは、今でもまだこの村から出て行きたいと思っているんですか?」
ジークさんがぼんやりとした視線で俺を見る。
「それなら若い人を育てて、村を出るっていうのはどうですか? ローザさんたちは、今までジークさんをこの村に縛り付けてきたことを後悔していました。ジークさんが村を出て行きたいのなら、ローザさんたちはきっと……」
「いいや、私はこの村で一生を終えるつもりだよ」
「で、でも……」
ジークさんはふっと笑った。その笑顔は、何か憑きものが落ちたみたいな穏やかな笑顔だった。
「その夢はもう消えたんだ」
「え?」
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