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第2章 開かない箱

34 夜に潜む 3

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 「い、今、変異って聞こえたけど……」

 俺は宿屋から通りに出てみた。
 川の方、松明の炎に照らし出された黒い影が、少しずつ大きくなっていくのが、ここからでも見えた。

「熊どころの大きさじゃないぞ、あれ……」
「数体の魔物が集合すると、ああして姿形を変えることがあります」
「わ、私、そんなの聞いたことない……」

 いつもは猪突猛進のグラディスが、今回ばかりは絶句して顔を青ざめさせていた。
 そのとき、俺たちを追ってきた宿のおかみさんが、その場に崩れ落ちた。

「だ、大丈夫ですか?」

 慌てておかみさんに駆け寄り、肩を貸して何とか立ち上がらせる。おかみさんの体は、小刻みに震えていた。

「魔物が増えて来ているのは知っていたけど、こんなこと初めてよ……」
「だ、大丈夫ですよ。兵士たちが応戦してますから」

 するとエミルが、呆然と川のほうを見つめていたグラディスを振り返った。

「グラディスさん、あなたが行ってはプロの足手まといになりかねません。ここで待機しておかみさんを介抱してあげてください」
「わ、わかった……。ごめんね、肝心なときに足が震えちゃって……」
「まだ経験の浅い見習いなんですから、そんなものですよ。自分を責めることはありません」

 しょげるグラディスに背を向けると、エミルは川の方へと歩き出した。

「ちょっと待ってよ、エミル! 君だって危ないよ。俺も行く。イルミナさんから君のことよろしくって言われてるんだから」
「相変わらず心配性だなあ、エドガーさんは。大丈夫、魔術を使える大人にこれを渡してくるだけですよ」

 そう言って赤と白の杖を掲げると、エミルはいつもと変わらない足取りで行ってしまった。

「大丈夫かな……」

 エミルの姿を消した暗闇を見つめているとグラディスがやってきて、俺の代わりにおかみさんに肩を貸した。

「でも魔物ってそんなに怖い存在なの? 見た感じ動きも鈍いし、別に人間を取って食うってわけじゃないんだろ?」

 するとグラディスが少し呆れたような顔を俺に向けた。

「エドガー。魔物は動物にだけ取りつくんじゃないんだよ」
「え、それどういう……」

 グラディスの返答を聞く前に背中にぞわりと寒気が走った。果てしなく嫌な予感しかしない。

「人間に取りついたらどうなると思う?」
「ど、どうなるの……」
「昼間会った魔物と同じだよ。ぶっ叩いてやっつけるしかないの」
「それって、取りつかれた人は死ぬってこと……だよな……」

 グラディスが珍しく神妙な顔でうなづいた。

「そう。ついさっきまで生きてた人を殺さなきゃいけないの。だから、街や村に魔物を入れちゃいけないんだよ。絶対にね」

 俺は言葉を失っていた。
 人間に取りつくだなんて、そこまで考えたことなかった。
 ついさっきまで人間だったひとを、この手で殺さなきゃいけないなんて……。

 改めて魔物の恐ろしさに背筋を震わせていたとき、エミルがこっちに歩いてくるのが見えて俺は駆け出していた。
 良かった、無事だ。

「エミル!」

 エミルが俺に応えるようにして手を上げたとき、エミルの背後でひときわ明るい光が辺りを照らし出した。
 あれは松明の炎なんかじゃない。兵士が、エミルの魔石を使ったんだ。

「あ、影が……」

 巨人のように大きかった黒い影がみるみる縮んでゆく。
 それから大きな炎が上がり、炎の勢いが収まったころ、兵士たちの雄叫びが聞こえた。

「どうやら上手くいったようですね。あとは燃えかすをひたすら叩くだけの作業ですよ」
「そう……。良かった……」

 俺とエミルがグラディスの元へ戻ると、おかみさんの顔には少し血色が戻っていた。良かった、もう大丈夫そうだ。

「あんたたち、ありがとうね」

 グラディスに抱えられたおかみさんに、エミルが声を掛けた。

「この街では夜はいつも魔物が出没するんですか?」
「最近、急に増えたのよ。辺境の街だもの、仕方ないわね。森がすぐそばだから、狼や熊も多いし……。でもこんな風に結界を越えてくることは初めてよ」
「そうですか……」

 エミルが考え込むような仕草をする。

「エミルは魔物に詳しいんだね。私、変異なんて初めて聞いたよ」

 グラディスの声に、エミルが顔を上げた。

「魔物に興味があるんです。変異のことは研究書に書いてありますよ。大学にも置いてあるんじゃないでしょうか」
「そうなんだ。私、今度読んでみようかな」
「でもさ、魔物ってなんなの? どこから出てくるの? 俺は生まれてこのかた、魔物なんて見たことなかったよ……」

 俺は初心者の疑問をエミルにぶつけてみることにした。
 魔物の存在は知っていたけど、それは数十年に一度の大飢饉のようなもので、今のサンズベルクには関係のない話だと思っていた。
 
「研究はされていますが、魔物の正体はまだよく分かっていませんね。この世のものではない悪魔が生み出したとも、亡くなった人の怨念が蘇ったとも言われていますが」

 俺は光も炎もすっかり収まった川のほうに目をやった。兵士たちの笑い声が聞こえてくるあたり、魔物はすべて倒せたようだ。

「そういえばジークさんたち、大丈夫かな……」

 あの小さな村には兵士がいるようには見えなかった。もし魔物が襲ってきたら、ひとたまりもないぞ……。
 
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