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ウティカの戦い②
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スキピオはヌミディア陣営に講和のための交渉を行いたいと打診した。マシニッサの狙い通り、シファチェから承諾の返答を受け取り、講和交渉のための使節団をヌミディア陣営に送ることになった。スキピオはその従者に奴隷の身なりに扮した間諜を紛れ込ませた。交渉の場に立つ使節にはできるだけ交渉を長引かせるように指示して、調査のための時間を稼いだ。思惑通りにことが運び、交渉は冬の間続いた。間諜を含んだ使節団は何度もヌミディア陣営に足を運び、敵情視察が繰り返しおこなわれた。こうして敵陣営地の内情調査を完了したスキピオは、シファチェに交渉断念を伝えたのだ。
ヌミディア陣営地はマシニッサの予想した通り、兵舎を燃えやすい木材や葦で建てており、さらに大軍ともあって密集していることがわかった。さらに、カルタゴ陣営地も同様だという情報まで掴んだ。火攻めにおいて風の強さは重要だが、マシニッサは地元民として北アフリカの天候にも熟知しており、彼の助言によって夜襲決行の日取りが決められた。
大量の火矢の準備を終えたスキピオは、再びウティカを包囲した。が、繰り出した兵数は三分の一であり、あくまでも敵の目を欺くための偽装工作だった。残った兵を半分に割り、一方をスキピオが、もう一方をラエリウスが指揮する。スキピオの一軍はカルタゴ陣営を、ラエリウスの二軍がヌミディア陣営を夜襲する段取りだ。マシニッサはラエリウスの二軍に入り、ヌミディア騎兵を用いてカルタゴ陣営とヌミディア陣営との連絡路を絶つ役割を担った。ただ、マシニッサが狙うのは当然、ヌミディア王シファチェの首だろう。
夜が明け、大地は徐々に太陽の光に照らされていく。地平線からゆっくりと朝陽が上る。平坦で遮るものがない北アフリカでは、この時間が最も美しく神秘的な時間なのかもしれない。しかし、スキピオの視線の先には悲惨な光景が広がっている。暗闇が隠していた戦いの跡が、太陽の光によって浮かび上がっていく。まるで神が、
「これがお前のしたことだ」
と、自分に告げているように。
敵陣営地の火災は既に収束しかけているが、ほぼ全焼と言ってよい。折り重なるように横たわる焼死体の何と多いことか。焼け焦げていない死体はさらに多いが、切り倒された跡がないことから恐らくは圧死に違いない。ローマ軍によって退路を断たれた敵兵は、いったいどんな気持ちでこの世を去ったのだろうか。戦っている時には聞こえなかった敵兵の断末魔が、耳に響いてくる錯覚にスキピオは陥った。
憂鬱だった。いくら勝利を重ねても、それは変わらなかった。しかし、スキピオはこの死体が大地を覆うこの地獄のような景色から決して目を逸らさなかった。涙は流れなかった。イリッパでは出た涙が、ここでは出なかった。
人の死に慣れたのか。ふと、スキピオはそう思った。そして、人間の底知れぬ怖さに気持ちが沈んだ。
人間は本質的に残虐で非道な生き物なのか。諦めに似た感情に襲われ、自分の果たそうとしていることが馬鹿らしくも思えてきた。
それでも、スキピオは自分が今、このように考えているのだから、やはり自分が正常で、戦争が人間を別の生き物に変えてしまうと思い直した。スキピオは後悔するのをやめようと思った。これから先、人と人とが争わなくてもよい世界にするために、自分にできることをするだけだ。
彼はこのウティカでの戦いの結果を、しっかりと目に焼き付けた。それがこの先の原動力になると感じたからだ。
ヌミディア陣営地はマシニッサの予想した通り、兵舎を燃えやすい木材や葦で建てており、さらに大軍ともあって密集していることがわかった。さらに、カルタゴ陣営地も同様だという情報まで掴んだ。火攻めにおいて風の強さは重要だが、マシニッサは地元民として北アフリカの天候にも熟知しており、彼の助言によって夜襲決行の日取りが決められた。
大量の火矢の準備を終えたスキピオは、再びウティカを包囲した。が、繰り出した兵数は三分の一であり、あくまでも敵の目を欺くための偽装工作だった。残った兵を半分に割り、一方をスキピオが、もう一方をラエリウスが指揮する。スキピオの一軍はカルタゴ陣営を、ラエリウスの二軍がヌミディア陣営を夜襲する段取りだ。マシニッサはラエリウスの二軍に入り、ヌミディア騎兵を用いてカルタゴ陣営とヌミディア陣営との連絡路を絶つ役割を担った。ただ、マシニッサが狙うのは当然、ヌミディア王シファチェの首だろう。
夜が明け、大地は徐々に太陽の光に照らされていく。地平線からゆっくりと朝陽が上る。平坦で遮るものがない北アフリカでは、この時間が最も美しく神秘的な時間なのかもしれない。しかし、スキピオの視線の先には悲惨な光景が広がっている。暗闇が隠していた戦いの跡が、太陽の光によって浮かび上がっていく。まるで神が、
「これがお前のしたことだ」
と、自分に告げているように。
敵陣営地の火災は既に収束しかけているが、ほぼ全焼と言ってよい。折り重なるように横たわる焼死体の何と多いことか。焼け焦げていない死体はさらに多いが、切り倒された跡がないことから恐らくは圧死に違いない。ローマ軍によって退路を断たれた敵兵は、いったいどんな気持ちでこの世を去ったのだろうか。戦っている時には聞こえなかった敵兵の断末魔が、耳に響いてくる錯覚にスキピオは陥った。
憂鬱だった。いくら勝利を重ねても、それは変わらなかった。しかし、スキピオはこの死体が大地を覆うこの地獄のような景色から決して目を逸らさなかった。涙は流れなかった。イリッパでは出た涙が、ここでは出なかった。
人の死に慣れたのか。ふと、スキピオはそう思った。そして、人間の底知れぬ怖さに気持ちが沈んだ。
人間は本質的に残虐で非道な生き物なのか。諦めに似た感情に襲われ、自分の果たそうとしていることが馬鹿らしくも思えてきた。
それでも、スキピオは自分が今、このように考えているのだから、やはり自分が正常で、戦争が人間を別の生き物に変えてしまうと思い直した。スキピオは後悔するのをやめようと思った。これから先、人と人とが争わなくてもよい世界にするために、自分にできることをするだけだ。
彼はこのウティカでの戦いの結果を、しっかりと目に焼き付けた。それがこの先の原動力になると感じたからだ。
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