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カルト・ハダシュト
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紀元前二〇九年早春、プブリウスはラエリウスを副将に任命し、三十隻の軍船を率いてタラゴナから出港させた。ラエリウスには別動隊として海路を進ませる。自身は二個軍団を率いてタラゴナを出発した。進むのは陸路である。ニーケーはタラゴナに残り、情報収集と補給を受け持つ。この遠征軍の目的地を知っているのは、プブリウスとラエリウス、そしてニーケーの三人だけだった。志願兵として軍に参加していた兄のルキウスにすら知らされておらず、プブリウスは徹底的に秘密主義を貫いた。冬の休戦期に綿密な作戦計画を立て、それに向けた念入りな準備を進めてきた三人は、何よりも情報漏洩を警戒した。戦争における最重要項目は情報であると、三人は認識を同じくしていた。この作戦が成功するかどうかは、いかに敵の虚をつけるかにかかっている。
陸路を進むプブリウスは行軍速度を従来の倍以上に早めた。文字通りの急行軍であった。プブリウスと行動を共にする軍団の兵士らは、この異常な行軍速度と目的地もわからないことで不安になることはなかった。彼らはプブリウスが急げと言えば急ぎ、休憩もなしに走り続ける者たちだった。それもそうである。彼らのほとんどがプブリウスの支持者だったからだ。救国者伝説を信じる者たちだけではない。ティキヌス川やカンナエでの戦いで、プブリウスに命を救われた者たちも数多く含まれていた。彼らはラエリウスと共に関係性を深め、軍の編成や準備にも協力してきた者たちである。また、彼らはタラゴナで合流した新たな仲間とも意思統一を図ってきた。この急行軍は通常なら二十日かかるところを、なんとたったの七日で走破したのである。
プブリウスはそびえる壮大な城壁が視野に入ったところで軍を止めた。プブリウスから将官らに伝達が届く。将官らは部下に目的地を告げる。兵士らは急行軍の目的地をそのとき初めて知ることになった。ヒスパニアでこれ程高い城壁を持つ都市は一つしかない。将官に言われなくても、目の前の都市がどこなのかを察した者も少なからずいたようだった。
ハンニバルの父ハミルカル・バルカは、先のローマとの大戦後、本国から家族や大勢の部下を引き連れてヒスパニアの地に移住してきた。まだ九歳だったハンニバルもこのときにヒスパニアに渡っている。ハミルカルは南部の海岸部程度だったヒスパニアの植民地を武力によって拡大し、東海岸に本拠とする新しい都市を建築させた。それがカルト・ハダシュトである。カルト・ハダシュトはカルタゴのヒスパニアでの拠点と言うよりも、バルカ一族の拠点と言ってよい。本国からの干渉は受けず、カルト・ハダシュトは完全に独立した自治を保持していたからだ。
カルト・ハダシュトは堅牢な高い城壁に囲まれ、西と南は海に北は潟に面している。陸続きの東側の城壁は一層高い。まさに難攻不落の城塞都市である。戦に有利な都市をと建築されたのだから、当然と言えば当然である。
既に夕刻で間もなく陽が落ちるため、兵士らはここに宿営地を築くものだと思っていたが、プブリウスの指示は違っていた。彼は兵士らに、
「急行軍で皆疲れていると思うが、休憩は少し待ってほしい」
と告げ、カルト・ハダシュトの東側の城壁に沿って横に長い陣を敷いた。これにより、カルト・ハダシュトから陸路で援軍を呼びに行くことは不可能となる。カルト・ハダシュトからの陸路を封鎖したプブリウスは、そこでやっと宿営地の建設を命じた。
陽が落ち始めた。薄闇の中でプブリウスは、海の方角を向いて目を細めて待った。
必ず来る。プブリウスに不安はなかった。そのための準備は万全だったし、何より彼を信頼していた。
プブリウスの口元が上がった。ローマ軍から歓声に似た声があちこちであがる。地平線に何艘もの軍船が現れた。紛れもなくラエリウスが指揮するローマ海軍であった。
ラエリウスはカルト・ハダシュトの西側と南側の海上封鎖をあっという間に完成させた。プブリウスの幼馴染は剣を振るうだけでなく、軍を指揮する能力にも秀でているということが証明された。残る北側は潟に面しており、事実上人や船の往来は不可能である。これでカルト・ハダシュトの完全包囲が完成したのである。
カルト・ハダシュトの完全包囲は、今回の作戦を実行するうえで欠かせないものだった。ヒスパニアのカルタゴ軍は依然として軍を三つに分け、それぞれが絶妙な距離を取りながら連携してローマ軍や地元部族にあたっている。ハスドルバルの耳にも、ローマ軍の新たな指揮官が一万の兵を連れてヒスパニアに到着したのは届いているはずである。ローマ軍の出方を先ずは見極めようと、様子見の姿勢であっただろう。しかし、ローマ軍がまさかカルト・ハダシュトを目指して急行しているとは想像もしなかったに違いない。
これまで八年間にも渡ってヒスパニア前線に立ち続けたコルネリウス兄弟ですら、敵の本拠地カルト・ハダシュトを攻めたことはない。この都市を仮に攻めたとしても、逆に城壁とカルタゴ三軍に挟撃されてしまい、忽ち全滅してしまうからである。実際、プブリウスがカルト・ハダシュトに到着したときには、ハスドルバルが率いる一軍がここから十日の距離におり、そこから示し合わせてカルタゴ三軍がカルト・ハダシュトに救援に向かえば、易々とローマ軍を討ち滅ぼせるだろう。だから、プブリウスはカルタゴ軍の救援を少しでも遅らせるため、何としてでもこの城塞都市の完全包囲を成し遂げたかったのだ。
カルタゴ軍はハスドルバルの一軍、マゴの二軍、ギスコの三軍どれも二個軍団を擁しており、数ではプブリウス率いるローマ軍の三倍である。都市を攻撃している間に三軍どころかカルタゴの一軍が救援にかけつけただけでも、圧倒的に不利な状況に追い込まれてしまう。つまり、カルタゴ軍の救援が到着する前に、この目の前の城塞都市を攻略できるかが勝負だった。
陸路を進むプブリウスは行軍速度を従来の倍以上に早めた。文字通りの急行軍であった。プブリウスと行動を共にする軍団の兵士らは、この異常な行軍速度と目的地もわからないことで不安になることはなかった。彼らはプブリウスが急げと言えば急ぎ、休憩もなしに走り続ける者たちだった。それもそうである。彼らのほとんどがプブリウスの支持者だったからだ。救国者伝説を信じる者たちだけではない。ティキヌス川やカンナエでの戦いで、プブリウスに命を救われた者たちも数多く含まれていた。彼らはラエリウスと共に関係性を深め、軍の編成や準備にも協力してきた者たちである。また、彼らはタラゴナで合流した新たな仲間とも意思統一を図ってきた。この急行軍は通常なら二十日かかるところを、なんとたったの七日で走破したのである。
プブリウスはそびえる壮大な城壁が視野に入ったところで軍を止めた。プブリウスから将官らに伝達が届く。将官らは部下に目的地を告げる。兵士らは急行軍の目的地をそのとき初めて知ることになった。ヒスパニアでこれ程高い城壁を持つ都市は一つしかない。将官に言われなくても、目の前の都市がどこなのかを察した者も少なからずいたようだった。
ハンニバルの父ハミルカル・バルカは、先のローマとの大戦後、本国から家族や大勢の部下を引き連れてヒスパニアの地に移住してきた。まだ九歳だったハンニバルもこのときにヒスパニアに渡っている。ハミルカルは南部の海岸部程度だったヒスパニアの植民地を武力によって拡大し、東海岸に本拠とする新しい都市を建築させた。それがカルト・ハダシュトである。カルト・ハダシュトはカルタゴのヒスパニアでの拠点と言うよりも、バルカ一族の拠点と言ってよい。本国からの干渉は受けず、カルト・ハダシュトは完全に独立した自治を保持していたからだ。
カルト・ハダシュトは堅牢な高い城壁に囲まれ、西と南は海に北は潟に面している。陸続きの東側の城壁は一層高い。まさに難攻不落の城塞都市である。戦に有利な都市をと建築されたのだから、当然と言えば当然である。
既に夕刻で間もなく陽が落ちるため、兵士らはここに宿営地を築くものだと思っていたが、プブリウスの指示は違っていた。彼は兵士らに、
「急行軍で皆疲れていると思うが、休憩は少し待ってほしい」
と告げ、カルト・ハダシュトの東側の城壁に沿って横に長い陣を敷いた。これにより、カルト・ハダシュトから陸路で援軍を呼びに行くことは不可能となる。カルト・ハダシュトからの陸路を封鎖したプブリウスは、そこでやっと宿営地の建設を命じた。
陽が落ち始めた。薄闇の中でプブリウスは、海の方角を向いて目を細めて待った。
必ず来る。プブリウスに不安はなかった。そのための準備は万全だったし、何より彼を信頼していた。
プブリウスの口元が上がった。ローマ軍から歓声に似た声があちこちであがる。地平線に何艘もの軍船が現れた。紛れもなくラエリウスが指揮するローマ海軍であった。
ラエリウスはカルト・ハダシュトの西側と南側の海上封鎖をあっという間に完成させた。プブリウスの幼馴染は剣を振るうだけでなく、軍を指揮する能力にも秀でているということが証明された。残る北側は潟に面しており、事実上人や船の往来は不可能である。これでカルト・ハダシュトの完全包囲が完成したのである。
カルト・ハダシュトの完全包囲は、今回の作戦を実行するうえで欠かせないものだった。ヒスパニアのカルタゴ軍は依然として軍を三つに分け、それぞれが絶妙な距離を取りながら連携してローマ軍や地元部族にあたっている。ハスドルバルの耳にも、ローマ軍の新たな指揮官が一万の兵を連れてヒスパニアに到着したのは届いているはずである。ローマ軍の出方を先ずは見極めようと、様子見の姿勢であっただろう。しかし、ローマ軍がまさかカルト・ハダシュトを目指して急行しているとは想像もしなかったに違いない。
これまで八年間にも渡ってヒスパニア前線に立ち続けたコルネリウス兄弟ですら、敵の本拠地カルト・ハダシュトを攻めたことはない。この都市を仮に攻めたとしても、逆に城壁とカルタゴ三軍に挟撃されてしまい、忽ち全滅してしまうからである。実際、プブリウスがカルト・ハダシュトに到着したときには、ハスドルバルが率いる一軍がここから十日の距離におり、そこから示し合わせてカルタゴ三軍がカルト・ハダシュトに救援に向かえば、易々とローマ軍を討ち滅ぼせるだろう。だから、プブリウスはカルタゴ軍の救援を少しでも遅らせるため、何としてでもこの城塞都市の完全包囲を成し遂げたかったのだ。
カルタゴ軍はハスドルバルの一軍、マゴの二軍、ギスコの三軍どれも二個軍団を擁しており、数ではプブリウス率いるローマ軍の三倍である。都市を攻撃している間に三軍どころかカルタゴの一軍が救援にかけつけただけでも、圧倒的に不利な状況に追い込まれてしまう。つまり、カルタゴ軍の救援が到着する前に、この目の前の城塞都市を攻略できるかが勝負だった。
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