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ピュテアス①
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マッシリアの市場はプブリウスにとって、まさに知識の宝庫だった。ピュテアスと名乗ったそのマッシリア人の案内は、会話が巧みでプブリウスばかりか気乗り薄だったラエリウスの心もがっちりと掴んでしまった。
三人は午前中をかけて市場の半分程を回り、ピュテアスのお気に入りのお店で共にお昼をとった。食事中もピュテアスの話は尽きることがなかったが、これは二人の若者の旺盛な知識欲がもたらしたことだろう。ヒスパニアやカルタゴのことだけでなく、ガリアやグラエキア、アフリカなどさらにその東方にまで話が広がり、その中身もその土地々々の文化や歴史、政治など実に彩り豊かだった。また、二人は家庭教師と化したピュテアスにただ質問して耳を傾けるだけでなく、積極的に自分の意見も口に出していった。特にガリアとローマとの戦史認識のずれが大きいとわかると、ラエリウスが思わず声を荒げる場面もあった。そんなときでもピュテアスは大人の態度で接してくれたので、二人の若者がへそを曲げ続ける事態にはならなかった。
午後も市場に繰り出した三人は、奴隷市場を通った際にプブリウスが、
「人は一部の指導者らによって心と体を支配され、戦場に送られる。戦争に敗れれば生き残っても奴隷とされ、自由を奪われる。彼らに何の非があるだろう。この世から奴隷をなくすには、戦争そのものをなくす以外にないのかもしれない」
と言ってしんみりした場面以外は、午前に続いて楽しく市場を回ることができた。その後、三人は市場を後にしてマッシリアのあちらこちらを見て回るが、気づけば陽も傾き周りは薄暗くなっていた。
「そろそろ船に戻ります。今日は本当にありがとうございました」
プブリウスはそう言って頭を深々と下げた。隣のラエリウスも同じように頭を下げる。
「とんでもありません。こちらこそ、久々に気持ちのよい若者に会えて楽しい一日を過ごすことができました」
「プブリウス様、いくら何でもこれで銅貨二枚は安過ぎます。本当は私がいくらかお支払いしたいところですが……」
「わかっているよ。君は最初の約束通り銅貨一枚でいい。こんなときにしか役得がないのだから、ここは私がお礼をするよ」
そう言ってプブリウスが懐から取り出した二枚の銀貨をピュテアスの前に差し出したが、ピュテアスは肩をすぼめて恐縮するばかりで、決して受け取ろうとはしなかった。
「お約束の銅貨二枚で結構でございます。言ったでしょう。ローマ兵士の方々は我々にとっては上客だと。でもそれは逆の見方をすれば、競争相手が多いということです。同じようなことを銅貨二枚で引き受ける商売敵もいるでしょう。そもそも、銅貨二枚でなければ、あなた達は私のお客にはならなかったんですから。商売というのは、競争相手が多ければ多いほど儲けが少なくなるものです。そのことについてはもちろん、私も重々承知しておりますので」
「それではこちらの気持ちが晴れない」
何度か押し問答が続いたが、ピュテアスが大きく肩で息をついて、
「実は、私の目的はもっと大きな取引でして――」
と、罰が悪そうな顔で話し始めた。
三人は午前中をかけて市場の半分程を回り、ピュテアスのお気に入りのお店で共にお昼をとった。食事中もピュテアスの話は尽きることがなかったが、これは二人の若者の旺盛な知識欲がもたらしたことだろう。ヒスパニアやカルタゴのことだけでなく、ガリアやグラエキア、アフリカなどさらにその東方にまで話が広がり、その中身もその土地々々の文化や歴史、政治など実に彩り豊かだった。また、二人は家庭教師と化したピュテアスにただ質問して耳を傾けるだけでなく、積極的に自分の意見も口に出していった。特にガリアとローマとの戦史認識のずれが大きいとわかると、ラエリウスが思わず声を荒げる場面もあった。そんなときでもピュテアスは大人の態度で接してくれたので、二人の若者がへそを曲げ続ける事態にはならなかった。
午後も市場に繰り出した三人は、奴隷市場を通った際にプブリウスが、
「人は一部の指導者らによって心と体を支配され、戦場に送られる。戦争に敗れれば生き残っても奴隷とされ、自由を奪われる。彼らに何の非があるだろう。この世から奴隷をなくすには、戦争そのものをなくす以外にないのかもしれない」
と言ってしんみりした場面以外は、午前に続いて楽しく市場を回ることができた。その後、三人は市場を後にしてマッシリアのあちらこちらを見て回るが、気づけば陽も傾き周りは薄暗くなっていた。
「そろそろ船に戻ります。今日は本当にありがとうございました」
プブリウスはそう言って頭を深々と下げた。隣のラエリウスも同じように頭を下げる。
「とんでもありません。こちらこそ、久々に気持ちのよい若者に会えて楽しい一日を過ごすことができました」
「プブリウス様、いくら何でもこれで銅貨二枚は安過ぎます。本当は私がいくらかお支払いしたいところですが……」
「わかっているよ。君は最初の約束通り銅貨一枚でいい。こんなときにしか役得がないのだから、ここは私がお礼をするよ」
そう言ってプブリウスが懐から取り出した二枚の銀貨をピュテアスの前に差し出したが、ピュテアスは肩をすぼめて恐縮するばかりで、決して受け取ろうとはしなかった。
「お約束の銅貨二枚で結構でございます。言ったでしょう。ローマ兵士の方々は我々にとっては上客だと。でもそれは逆の見方をすれば、競争相手が多いということです。同じようなことを銅貨二枚で引き受ける商売敵もいるでしょう。そもそも、銅貨二枚でなければ、あなた達は私のお客にはならなかったんですから。商売というのは、競争相手が多ければ多いほど儲けが少なくなるものです。そのことについてはもちろん、私も重々承知しておりますので」
「それではこちらの気持ちが晴れない」
何度か押し問答が続いたが、ピュテアスが大きく肩で息をついて、
「実は、私の目的はもっと大きな取引でして――」
と、罰が悪そうな顔で話し始めた。
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