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第1章 水の研究者、異世界へ
第5話 戦うための準備
しおりを挟む明らかに防御力がなさそうな薄い木で出来た胸当てと手甲。それから錆びてボロボロの鉄剣。これらが今日、剣闘士になった俺に与えられた装備の全てだ。
装備を自ら選ぶ機会など与えられなかった。
10個の牢屋が並ぶ内のひとつに押し込まれていた俺の元に、突如それらの装備が投げ入れられた。周りの牢屋を見ると、俺と同じく奴隷だと思われる人々が装備を身に着け始めていた。彼らを真似て俺も胸当てなどを装備した。
装備はしたものの……。
「こんなので本当に防御力があるのか?」
思わず言葉が漏れるほどの雑な造り。一方、武器として渡された鉄剣は錆びているものの叩きつけて使う分には十分な強度があるように思える。この剣で胸当てを突けば、一瞬で破壊できてしまうだろう。
ただ、もしかしたら魔法などで強化されているのかもしれない。
そう思って一度胸当てを外して地面に置き、鉄剣でそれを突いてみた。
「……ですよね」
鉄剣は何の苦も無く胸当てを貫通した。
魔法なんて付与されていなかったんだ。
そもそも奴隷に魔法が付与された装備が支給されるわけないか。
ちなみにこの世界に魔法があるのかはまだ分からない。誰かが魔法らしきものを使っている様子を見ていないからだ。せっかく異世界に来たのだから、漫画で見たような魔法を一目拝みたいものだ。
明らかに物理方式を無視した魔法という存在。
科学者である俺は魔法に懐疑的だった。あくまで漫画の中の存在として、物語の要素として受け入れていた。しかし俺は神に出会い、こうして異世界に転移させられた。超常の力を自ら体験したんだ。
だから今の俺は魔法があると信じている。できれば今すぐ使いたい。それは、魔法でこの世界を無双したいとか、そんな大層な望みじゃない。今日これから何かと戦わされるであろう俺自身の身を守るため、ほんの少しでも戦う力が欲しいから。
残念ながら、俺には魔法の才能がないようだ。いくら念じてみても魔法は発動しなかった。元の世界のいくつかの言語で詠唱っぽいこともしたがダメだった。昨晩ぼそぼそとひとりで詠唱を試していた俺の姿を思い出すと少し恥ずかしくなる。
魔法を諦めるってなると、俺はこの鉄剣で戦わなければならない。
元の世界では高校の部活で野球をやっていた。でもそれなりにできると自信を持って言えるスポーツはそれぐらい。体育の授業で剣道をやったことも一応ある。だが俺はおそらく今日、人を殺すための剣を振らなきゃならない。
そんなの、できる自信が無い。
絶対に無理だ。
死にたくはないが、この手で剣を持って人を殺すなんてできない。
だけど俺がやらなきゃ、殺されるのは俺の方だ。
昨晩、この闘技場らしき場所の牢屋に移動させられてからは、ずっとそのことを考えていた。殺さなければ殺される。恐怖や葛藤が俺の頭の中をグルグル掻きまわし続けて、ほとんど眠れなかった。
「これじゃ無理だな」
手元の剣を見て、改めてそう思った。
錆びているせいで殺傷能力が低いからとか、そういうことじゃない。この剣で誰かと戦うのであれば、俺の手で直接命を奪うことになる。それが俺には耐えられないだろうと判断した。
「作るとすると“アレ”か。何発あれば相手を倒せる? そもそも敵はひとりなのか? 複数いることも考えると、最低でも10個は必要か。でもあまり持ちすぎて目立つと、取り上げられる可能性も──」
必死に考える。
ほとんど武術の心得がない俺でも扱えて、敵にそれなりのダメージを与えることができ、かつ少しでも罪悪感を薄れさせる武器をこの場でつくる必要があった。
「材料は……たぶん足りるな」
呟きながら俺は、生き残るための作業を開始した。
まず鉄剣を土と石でできた牢屋の壁に突き立てた。それなりにでかい音がして、周りの奴隷たちが驚いて俺を見る。それでも看守にはまだバレていないようだ。
奴隷たちが騒ぐ様子はなかったので作業を再開する。
何度か鉄剣を壁に突き刺し、拳サイズの石を複数手に入れた。最悪の場合はこれを直接投げて攻撃することになる。でもこれだけじゃダメだ。野球をやっていたのはもう10年以上も前のこと。コントロールも球速も落ちてる今の俺では、素手による投石で敵を戦闘不能にできる可能性はかなり低い。
よって、これから“武器”の製作に取り掛かる。
「手甲のサイズが良い感じだ。これなら散弾っぽいのがいけるか? やっぱり初手は広範囲にバラまける方が良いよな」
木と麻ひもでできた手甲をバラしていく。ここで、胸当てのを使ってもひもの長さが足りないことに気付く。そこで俺が着ていた服の一部を破って使うことにした。
ちなみに俺はこちらの世界に転移してきた時に白衣を着ていたが、それは奴隷商に没収された。今着ているのは、この世界の身分が低い人々が着るようなボロボロの衣服。鉄剣を使わずとも手で簡単に引き裂くことができる。
完成まで、それほど時間はかからなかった。
「とりあえずできたが……。練習は無理か」
もしかしたら、この場にいる別の奴隷と戦わされることになるかもしれない。手の内は晒さない方が良いと思った。ぶっつけ本番になるわけだが、相手が魔法などを使ってこなければ一方的にやられることもない──と、信じたい。
できることはやった。
それでも不安が消えない。
落ち着くための時間が欲しい。
そんな俺の望みを拒絶するように、興行師とみられる男が俺の牢屋の前まで軽い足取りでやって来た。
「זמן ללכת」
やはり言葉は分からない。
でも俺を呼びに来たのは間違いない。
俺は震える脚を何度か叩いて立ち上がり、開けられた牢屋の扉から通路に足を踏み出した。
忘れるな。俺には高校生たちを元の世界に還すっていう、成すべきことがあるんだ。絶対にこんなところで死ねない。俺はやらなきゃいけない。
「大丈夫だ、俺はできる」
自らに言い聞かせ、心を奮い立たせて前進していった。
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