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本編 21.04 -
ほつれる。/2332
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雨が降っていた。大粒の雨だ。アスファルトを叩く音で街が満たされる。桐生朔斗は、赤を示す信号の前で傘も持たずに立っていた。目線の先は片側6車線の大通りの対岸、赤い傘の下で向かい合う少女と大男を捉えている。まだ信号は変わらない。
肩を叩く雨粒が途切れる。傘を差し出したのは佐々部飛鳥だ。呟くように一言、風邪引くよ、と言うと、彼もまた赤い傘を目に捉えた。
「……あれが、莉緒さん?」
朔斗はゆっくり頷く。視界を左右へ過ぎていく車の向こう。赤い傘の下には、朔斗が莉緒と呼ぶ少女と、真っ黒なパーカーを着た大男が立っている。まだ信号は変わらない。
一台が止まる。右折車だけが次々と流れ出し、やがて切れる。莉緒も、男も、朔斗たちに気がついた様子はない。信号が、変わる。
傘を放り出す勢いで走り出した朔斗の右手を、飛鳥はひしと掴んで引き戻す。鼻先すれすれを貨物車が走り過ぎ、交差点の奥で乗用車に突っ込んだ。白い傘が一つ、宙に舞う。
視線を絡ませた二人は横断歩道の向こうを見る。赤い傘の下の二人と目があった。周囲の人々の目が左へと集まる中、二人は確かに朔斗らを見ていた。男はニヤリと笑みを浮かべ、傘をゆっくりこちらへ倒す。雨に溶けるように二人は、消えた。
※※※※※※※
信号は青。しかし横断歩道を進む人も、交差点を横切る車もない。あれだけ強かった雨音は一瞬にして消え失せてしまっている。気がつけば、周囲の群衆はほとんどがどこかに散ってしまった。
「終わり……か。短かったな」
氷室が、差していた赤い傘を畳みながら言った。
「終わり、ですか?」
「ああ、幕が下りたんだ。大方飽きられたか、忘れられたか……」
「つまり……?」
「この世界はこのまま消える。それが作者に見放された作品の末路」
飲み込めないまま次の説明を待っていると、大男は朔斗の頭に手を乗せ、ゆっくり撫でた。
「じゃあな、少年。楽しかったよ」
氷室は大きい体を揺らしながら雑踏の中に消えていく。気がつけば、北大通交差点には朔斗と、飛鳥と、莉緒だけが残っていた。信号はまだ変わらない。車も街も、動く気配はなく、一瞬の中に閉じ込められたような錯覚が生まれる。
「朝比奈さん、何か聞いてる?」
「何も。でも、この感じだと長くて一週間じゃないかな」
「そう、ありがとう。それじゃ」
飛鳥はそのまま交差点の真ん中へ歩き出した。
「どこへ?」
「どこって、ここに居てもしょうがないだろ? 僕は僕の好きに生きるよ」
ゆっくりと、雲が流れる。上空の風は動いていても、他の時間は止まっていた。
「なぁ、莉緒。知ってるなら教えてくれ。できれば、全部」
「朔斗、知らないの? 主人公なのに?」
「主人公? 俺が、か?」
「そう。この世界は創られた物語で、朔斗はその主人公。突然消息を断った幼なじみ、朝比奈莉緒を救うため、巨大な裏組織に立ち向かう、息もつけないスリルとアクション!……の、はずだったんだけど」
「?」
「見ての通り打ち切り。虚構の上にしか存在できない物語も、舞台も、登場人物も、終わるの」
「終わる、って?」
「終わりは終わり。死ぬんじゃない。消えちゃうの。全部、無かったことになる。編みかけのマフラーを放っていれば解れるように、完成しなかったこの世界も、ゼロに還る」
「それって、哀しくない?」
「哀しいけど、仕方ないよ。誰も作らないまま完成されない世界は、忘れられて消えちゃうから」
時間が流れる。雲の動きで辛うじて時間は読めるが、進まない時計と沈まない太陽は、少しずつ俺の時間感覚を狂わせた。どれだけ時間が経ったかわからなくなる。パクった二輪で知らない場所に来た俺と莉緒は、ただ寄り添って、少しずつ粗く、色褪せていく景色を眺めていた。
ふと、懐中時計を見る。そろそろ一週間が経つだろうに、あの時のまま、針も、日付も、曜日も止まっている。きっとこのまま世界は終わって、俺も莉緒もこの景色もゼロに還っていく。粗く、淡くなっているのは世界か、俺か、それともその両方か。気がつけば耳も鼻も鈍くなっていて、少しずつ、記憶が剥がれ落ちていく。
――それでいいのか?
嫌だ。消えたくない。終わりたくない。
――なら、どうする?作り手はこの世界を見捨てたぞ
誰も作らないなら、俺が、俺たちが……!!
※※※※※※※
白い傘が宙に舞う。交差点の奥で貨物車が乗用車に突っ込んだ。角の大時計の分針がカチ、と一つ進む。周囲の視線が俺に集まる。
「何で――」
「行くよ!!」
啞然の末に捻り出した飛鳥の言葉を遮って叫ぶ。掴まれた右手で掴んだ左手を握り、青になった横断歩道を走り抜ける。それを見た大男は、焦ったように傘を傾けた。
「逃げるな氷室ォ!」
対岸の人混みに突っ込む。あと少し。伸ばされた莉緒の手にようやく届こうかというその瞬間、嘲笑うように俺の手は空を切った。赤い傘が落ちる。そのまま濡れた路面に倒れ込んだ。手を掴んだままの飛鳥も道連れだ。
「朔斗、何で……何で君は――!」
「消えたくない。終わらせたくない。俺たちは虚構なんかじゃない、揺るぎない事実としてここに存在してるんだ。誰も繋がないなら、俺が繋ぐ。俺が作る――」
「誰にも、消させない」
――雨が降っている。大粒の雨だ。アスファルトを叩く音で街が満たされる。桐生朔斗と佐々部飛鳥は、傘も拾わずに立っていた。信号が赤に変わる。大時計の分針がカチ、と一つ進んだ。世界がまた、動き出した。
肩を叩く雨粒が途切れる。傘を差し出したのは佐々部飛鳥だ。呟くように一言、風邪引くよ、と言うと、彼もまた赤い傘を目に捉えた。
「……あれが、莉緒さん?」
朔斗はゆっくり頷く。視界を左右へ過ぎていく車の向こう。赤い傘の下には、朔斗が莉緒と呼ぶ少女と、真っ黒なパーカーを着た大男が立っている。まだ信号は変わらない。
一台が止まる。右折車だけが次々と流れ出し、やがて切れる。莉緒も、男も、朔斗たちに気がついた様子はない。信号が、変わる。
傘を放り出す勢いで走り出した朔斗の右手を、飛鳥はひしと掴んで引き戻す。鼻先すれすれを貨物車が走り過ぎ、交差点の奥で乗用車に突っ込んだ。白い傘が一つ、宙に舞う。
視線を絡ませた二人は横断歩道の向こうを見る。赤い傘の下の二人と目があった。周囲の人々の目が左へと集まる中、二人は確かに朔斗らを見ていた。男はニヤリと笑みを浮かべ、傘をゆっくりこちらへ倒す。雨に溶けるように二人は、消えた。
※※※※※※※
信号は青。しかし横断歩道を進む人も、交差点を横切る車もない。あれだけ強かった雨音は一瞬にして消え失せてしまっている。気がつけば、周囲の群衆はほとんどがどこかに散ってしまった。
「終わり……か。短かったな」
氷室が、差していた赤い傘を畳みながら言った。
「終わり、ですか?」
「ああ、幕が下りたんだ。大方飽きられたか、忘れられたか……」
「つまり……?」
「この世界はこのまま消える。それが作者に見放された作品の末路」
飲み込めないまま次の説明を待っていると、大男は朔斗の頭に手を乗せ、ゆっくり撫でた。
「じゃあな、少年。楽しかったよ」
氷室は大きい体を揺らしながら雑踏の中に消えていく。気がつけば、北大通交差点には朔斗と、飛鳥と、莉緒だけが残っていた。信号はまだ変わらない。車も街も、動く気配はなく、一瞬の中に閉じ込められたような錯覚が生まれる。
「朝比奈さん、何か聞いてる?」
「何も。でも、この感じだと長くて一週間じゃないかな」
「そう、ありがとう。それじゃ」
飛鳥はそのまま交差点の真ん中へ歩き出した。
「どこへ?」
「どこって、ここに居てもしょうがないだろ? 僕は僕の好きに生きるよ」
ゆっくりと、雲が流れる。上空の風は動いていても、他の時間は止まっていた。
「なぁ、莉緒。知ってるなら教えてくれ。できれば、全部」
「朔斗、知らないの? 主人公なのに?」
「主人公? 俺が、か?」
「そう。この世界は創られた物語で、朔斗はその主人公。突然消息を断った幼なじみ、朝比奈莉緒を救うため、巨大な裏組織に立ち向かう、息もつけないスリルとアクション!……の、はずだったんだけど」
「?」
「見ての通り打ち切り。虚構の上にしか存在できない物語も、舞台も、登場人物も、終わるの」
「終わる、って?」
「終わりは終わり。死ぬんじゃない。消えちゃうの。全部、無かったことになる。編みかけのマフラーを放っていれば解れるように、完成しなかったこの世界も、ゼロに還る」
「それって、哀しくない?」
「哀しいけど、仕方ないよ。誰も作らないまま完成されない世界は、忘れられて消えちゃうから」
時間が流れる。雲の動きで辛うじて時間は読めるが、進まない時計と沈まない太陽は、少しずつ俺の時間感覚を狂わせた。どれだけ時間が経ったかわからなくなる。パクった二輪で知らない場所に来た俺と莉緒は、ただ寄り添って、少しずつ粗く、色褪せていく景色を眺めていた。
ふと、懐中時計を見る。そろそろ一週間が経つだろうに、あの時のまま、針も、日付も、曜日も止まっている。きっとこのまま世界は終わって、俺も莉緒もこの景色もゼロに還っていく。粗く、淡くなっているのは世界か、俺か、それともその両方か。気がつけば耳も鼻も鈍くなっていて、少しずつ、記憶が剥がれ落ちていく。
――それでいいのか?
嫌だ。消えたくない。終わりたくない。
――なら、どうする?作り手はこの世界を見捨てたぞ
誰も作らないなら、俺が、俺たちが……!!
※※※※※※※
白い傘が宙に舞う。交差点の奥で貨物車が乗用車に突っ込んだ。角の大時計の分針がカチ、と一つ進む。周囲の視線が俺に集まる。
「何で――」
「行くよ!!」
啞然の末に捻り出した飛鳥の言葉を遮って叫ぶ。掴まれた右手で掴んだ左手を握り、青になった横断歩道を走り抜ける。それを見た大男は、焦ったように傘を傾けた。
「逃げるな氷室ォ!」
対岸の人混みに突っ込む。あと少し。伸ばされた莉緒の手にようやく届こうかというその瞬間、嘲笑うように俺の手は空を切った。赤い傘が落ちる。そのまま濡れた路面に倒れ込んだ。手を掴んだままの飛鳥も道連れだ。
「朔斗、何で……何で君は――!」
「消えたくない。終わらせたくない。俺たちは虚構なんかじゃない、揺るぎない事実としてここに存在してるんだ。誰も繋がないなら、俺が繋ぐ。俺が作る――」
「誰にも、消させない」
――雨が降っている。大粒の雨だ。アスファルトを叩く音で街が満たされる。桐生朔斗と佐々部飛鳥は、傘も拾わずに立っていた。信号が赤に変わる。大時計の分針がカチ、と一つ進んだ。世界がまた、動き出した。
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