異世界酒造生活

悲劇を嫌う魔王

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第三章〜サードフィル〜

第七十五話「樽造り Part3」

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 夏が過ぎ、自然の色が生命力あふれる緑から、ウイスキーの熟成を思わせる様な赤みを帯び始めていた。港町まで下りていけばまだまだ暖かいが山奥のここは少し肌寒い。そんな秋風が散り始めた木の葉を運んで来る昼下がり。

 俺とアントンさんは酒を酌み交わした。

「友情に」
「友情に」

 そう言ってグラスを突き合わせて乾杯した。乾杯とはいってもここに喜びなどはない。ある意味儀式に近いものだ。秘密を共有する儀式。

「それでどちらから話すのかの?」

 俺の秘密が先か、アントンさんへの質問が先か。

「アントンさん」
「なんじゃ?」

 アントンさんは先程の驚いていた様子とは打って変わって、大木を前にした時のような重厚感があった。一度酒を飲み落ち着いたのだろうか。俺みたいな若造とは違って、どんな質問でも平然とした態度で答えてくれそうな雰囲気があった。
 
 そんな爺さんを前にして、俺は己の小ささを思い知らされた気がした。アントンさんは俺の事をどう思っていますか? アントンさんはここで働いてどこに行くんですか? 秘密を守ってもらえますか? なーんて聞こうとしていた俺はすげぇダサい気がした。

 多分俺が何を質問しても快く答えてくれるであろうし、嘘も言わない気がする。俺の立場を理解してくれているからだ。だけど、立場がなんだって言うんだ? アントンさんとは短い付き合いだが、杜氏(酒職人)同士、互いの丹精込めて造った酒を飲み合った仲で、そんな彼の酒はどんな水よりも澄み切っていて、味は洗練されていた。

 どぶろくは濁っているが見た目の話じゃない。時若丸、あの酒は造り手の情念が乗り移っていた名酒だ。この世界はご丁寧にも良い酒には神様が名前をくれて、名物として扱われる。前世でいえば、時を超えてお客様に愛される酒、それが名酒。

 間違いなくアントンさんが造った酒を俺自身も愛している。野暮な質問も腹の探り合いもくだらない。隠し事はなしだ。風呂場でなくとも男同士なら酒を酌み交わし、腹を割って話せるはずだ。

 俺がこうして思案を巡らしている間も、アントンさんは静かに待っていてくれた。その様子はまさに泰然自若。何を恐れる事があろうか。俺は意を決して口を開いた。

「アントンさん俺--」
「--まぁ待たんかい」
「えっ」

 アントンはその右手を己の額にあてて頭を抱えた。そして左手を俺の方へと差し向けて、ちょったんま(少し待って)! と訴えていた。それに少し呆れている様な感じが見受けられた。

「そんな思い詰めた顔をされたら困るぞい。一体何を聞かさられるのかと、わしの心の臓が持たんわ! あまり年寄りを怖がらせるでない、死ぬぞ!」
「あっ……すみません」

 どうやら俺の緊張感が顔に出ていたらしい。確かにすごい思い詰めた顔でいざ何かを言われる時ってビビるよね。

 アントンはまた一口ウイスキーを流し込んだ。いや、飲み切った。そして酒をグラスに注いだ。

「お主がアイテムBOXを持っていた時点で、とんでもない話を聞かされるのは分かっておった。今は何よりもこいつが必要じゃて。もう一杯飲めばきっと大丈夫じゃ」

 そう言ってまたグラス一杯分のストレートをキュッと飲み干した。大きく息を吐き頬が紅色に染まった。アルコールの匂いがこちらまで漂ってくる。

「よし聞こう! どんと来んかい!」

 ははっ、アントンさんも結構人間味があるんだな。今度は肩肘張ってる感じがする。緊張してるんだな。

「それじゃぁ遠慮なく--」

 --俺は話した。どこから来て誰のおかげで時空魔法と家と酒造を手に入れたか。俺の酒の知識はどこから来ているのか。

 アントンさんは前世の話とか時空神クロノス様のくだりを聞いている時は終始、目ん玉おっぴろげてわんこ蕎麦食うみたいにウイスキーを飲んでいた。そして俺の話を聞き終わる頃には酒瓶が一本空になっていた。

「このワシが酒を飲んで酔わないと言うのは初めての経験じゃ。まさか二百五十と少々生きて来て酒以外で驚く事があるとはのぉ……」
「あははは、はは、すみません」

 中々に驚かせてしまったようだ。まぁそれも当然と言えば当然だよな。だって、俺自身いまいち分かってないし。俺の中での認識なんて、神様が神パワーで夢の国へ送り込んでくれた。その程度だ。魔力も精気もいまいち把握できてないし、この世界の神様の事だってよく知らない。
 
 多分この世界のことをある程度わかっているアントンさんからしたら神様に寵愛を受けている何かに見えてるんだろうなぁと、彼の反応から察する事ができるほどだ。

「しかし色々とこれで合点がいったのもまた事実じゃ」
「そうなんですか?」
「当たり前じゃ、ドワーフ社会に王以外に階級はない。ワシらはそのほとんどが平民であり、己の力で技を磨き財を築いてきた。しかし、人間は身内同士で上下関係を築き鎖で仲間を繋げる恐ろしい種族じゃ。その平民の生活をわしゃよく知っとる。
 
 決してショウゴ、お主のような平民は存在し得ない。目の前の家も、地下の酒造場もこの世界の王と呼ばれる権力者が、その生涯をかけても手に入れることは出来ないだろう!」
「うっ……それは」

 正直否定できない。この世界の生活水準を俺は知っているから……。
 
 平民街の家にトイレはない。公衆便所だけで、それも水洗ではなくボットン便所だ。平民街には常に土埃と少し据えた臭いが立ち込めている。魔道具なんて高価な物を持っているのは貴族だけ、顔を洗うにも町中に置いてある水桶に溜まったドブみたいな濁った水を共有する。

 衛生的な水を飲む事ができないから、全員がうっすい味のするエールを飲む。それが平民街の平民の当たり前で日常だ。魔法のおかげで変に文化度が所々高いのは貴族たちだけだ。

 貴族街は砂埃もなく据えた匂いもしない。綺麗な街並みと綺麗な服を着た人間が闊歩する。資本主義をより顕著に目で見て確認できる隔絶された浮世。その頂点に近い侯爵の居城ですら、俺の家の快適さには劣っていた。

 もちろん装飾品やなんというか高級なのはあの城の方が上だが、上下水道、食料庫の冷蔵機能、洗濯機、その他の家電用品や、家の灯、地下の酒造場に至るまで全てこの世界のエネルギーである魔力で稼働している。神様が俺に酒造りに専念できる様にとの至れり尽くせりなスイートホーム。

 アントンさんに改めて言われて俺は全く反論できなかった。

「今までアントンさんは詮索しないでくれたんですね」
「当たり前じゃ、どこの誰が藪の蛇を突きたいんじゃ?」

 確かに、知っている奴はわざわざヤバい話には首を突っ込まないよな。そういえば、アントンさん達が家に初めて来た時色々調べてたけど詮索はしなかった。あの時から薄々勘づいていたんだろうな。ドワーフといえど意外と空気読むんだなぁ。

「あははは、それはそうですね」
「いや、話してくれたのには礼を言うぞ」
「そんな! 僕の方こそ今まで黙っていてすみませんでした。それにアントンさんを疑ってしまって……」
「疑うのは当たり前じゃ! むしろ無策で秘密を喋る無知な責任者ほど恐ろしいものは無いからのう。それにな、せっかくの機会じゃてショウゴお主に言っておく事がある」

 アントンさんが姿勢を正してしっかりとした声色で言ってきた。そのせいで俺も背筋がシャキッとした。生半可な態度で聞けそうもない話だった。それくらいアントンの目が据わっていた。

 酒のせいなのか分からないが、呂律も言動も態度にも酔った様子は無かった。だからか、空気が少しひりつく様な雰囲気を感じた。何を言われるのだろうか。俺の秘密を話した後の言葉だ、いやでも緊張する。

「はっ、はい! なんでしょうか!」
「わしはドワーフ王国の杜氏であった」
「はい、知ってます」
「本来なら国を離れるのは許されない身の上だったが、お主のウイスキーに出会ってしまい。身の回りを全てを整理し捨てて国を去ってきた」
「えっ……」
 
 反応に困った。

 アントンさんが自分の地位を捨てて俺のところに残ってくれたのは知っていたが、それは息子のヴァジムさんの心の病とかも絡んでいたからだと心のどこかで思っていた。こうやって改めて言われると、えも言われぬ重圧を感じる。

「お主が気に病むことではない。他でも無いこのワシが決めたことだ」
「……はい」
「つまり何が言いたいかと言うとな。お主の酒に惚れに惚れ抜いた! 死を待つ身ではあれど、叶うのならばもう一花咲かせたいのじゃ!」

 ッ!? 
 次の瞬間、アントンさんはそういうと椅子から離れ、鍛冶場の剥き出しの煤けた黒い地面に確かな足取りで両膝を突いた。そして両拳を地面に突き合わせて俺に向かって頭を下げたのだ。それもおでこが地面に擦れるほどに--

「--不肖、アントン・ヴォルフガングここに伏して願う! この身はこの地にて朽ち果てさせる所存! ショウゴ殿を生涯の師と仰ぎ、誠心誠意ウイスキー造りと向き合う事を我が酒神バッカスに宣誓す!」

 心が震えた。

 年長者に頭を下げさせたとか、そんな体面を気にする余地もなかった。恐らく、言葉では言い表せないほど言われて嬉しい言葉。その言葉を頂くというのは、恐れ多くは合っても、この人が側にいてくれたら、これほどの思いで力を貸してくれるなら……なんて頼もしいんだろうと思った。

 そう思った時には、俺も倒れ込む様にして地面に両膝を突き、アントンさんの肩を抱き上げていた。

「アントンさん」
「……」

 俺の声は震えていたが、アントンさんの夕焼けの様な瞳には一切の迷いが無かった。酒の席での冗談では無いと確信した。
 俺とアントンさんはお互いの肩を鷲掴みにしていた。それも服がしわくちゃになる程に……。

「こちらこそよろしくお願いします。死ねるほど美味い酒を造りましょうね!」
「ぶっ……ブッワッハッハッハッハッ!! 死ねるほど美味い酒ときたか! 良い!
 良いぞ! 死ぬ時は美女にではなく、美酒に囲まれて死のうではないかショウゴ!」
「はいっ! はい! 約束ですよアントンさん!」

 俺たちはしきりに笑い合った。何かが面白いのではなく、ひどく愉快な気分が続いたのだった。こうして俺とアントンさんの心は一体となり、酒造りにのめり込んで行くことになった。













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