異世界酒造生活

悲劇を嫌う魔王

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第三章〜サードフィル〜

第七十三話「樽造り Part1」

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 みんなと乾杯した翌日。

「うーーーん! はぁ……」

 朝だ。俺は上半身だけベッドから起き上がり、腕と背中を伸ばした。陽光がカーテンから漏れ出している。

 なんて目覚めのいい日なんだろうか。今日からまた酒造りに忙しくなるだろう。今日まで俺なりに保身に走って来たわけだが、そろそろ本格的に酒造りに集中したい。

 そんな事を思っていたら家の外から、トンカチが何かを叩く音が聞こえてきた。もうアントンさんが外で作業をしているらしい。どうやら俺は寝坊してしまったようだ。まぁ今日くらい良いか……。

 リビングにお腹を掻きながらあくびまでして出ると、長机にて厚手の白い手拭いで剣の手入れをしているティナがいた。刃こぼれが無いか確かめるように剣と視線を平行にして確認していた。後ろから抱き着こうかとも思ったが、刃物を扱っている相手には危ないと思い我慢した。

 というか俺は何を浮かれてんだ。いくら爵位を貰えるとは言え、ティナとはまだ……。あぁ!! 何考えてんだ。とにかくここは落ち着いて声を掛けよう。

「おはようティナ」

 俺が平静を努めて声を掛けると、ティナはこちらを振り向き明るい表情を見せてくれた。そして剣を机に置いた。

「ん、あぁ起きたか。おはようショウゴ、ぐっすり寝ていたな。起こそうかとも思ったが、あまりにも気持ちよく寝ていたから起こしたら悪いと思ってな。起こした方が良かったか?」

 俺は首を横に振った。

「んんん、おかげでゆっくり寝れたよ」
「そうか、なら良かった! いまコーヒーを淹れてきてやろう! 砂糖なしのミルクをほんの少し、いつも通りでいいか?」

 ティナはサッと立ち上がってキッチンに向かった。

「うん、有難う」
「剣には触れるなよ」
「えっ? う、うん」

 触れるなってどういう意味だろう。
 ティナがコーヒーを淹れている間、俺はティナの愛剣を観察した。好奇心からだ。ティナの剣はおそらく前世でいうところのレイピアという武器に準じた武器だと思う。刃の横幅が細くて長身の刀身だ。

「これがティナの名剣、烈火の乙女。ティナの相棒にぴったりの名前だねふふっ」
 
 刀身が磨き抜かれているお陰か、刀身は白銀に煌めいていた。その先端は細く極限まで点に近い。目を凝らさないと先端が透明なんじゃ無いかと思うほどだ。そして俺はいつの間にか、その刀身に魅入られたように手を伸ばして触れようとしていた。
 美しい物を前にした時の職人としての性なのか、禁じられた事による反発心からか。

 その時だった。俺の手が近づくと、目の前の刀身が心なしか赤く染まっている気がして--

「--ショウゴ!!」

 鋭い怒声が俺の手を止めた。体を硬直させたまま首だけで後ろを振り返ると、コーヒーカップと受け皿を両手で持ったティナが顔中に青筋を浮かび立てていた。

 怒ってる?

「はぁ、お前というやつは……剣には触れるなと言っただろう」

 ティナは少し呆れながらコーヒーを机に置いた。そして俺の右に回り込みレイピアを手に取った。

「よし、触っていいぞ」
「えっ? 良いの?」

 俺は少し混乱した。

「あぁ大声を出して悪かったな。こいつは名剣だからなしっかり意思を持っている。こいつが認めた者以外が触れると灼熱の炎に包まれ焼死してしまうんだ」

 ばかやろーーーー!…………あれ、驚きすぎて口に出せてない。もう一度。

「先に言えーーーー!!……頼むからそういう事は先に言ってよねティナ」
「だから触るなと言っただろ?」
「いやいや、触ったらどんな恐ろしいことが起きるかは言ってなかったよ?」
「ふむ、そうだったかすまない」

 素直に謝られた。……なんも言えねぇ。まぁ俺にも非はあるしな。でも不思議な感覚だった。本当に美しいと思ったんだ、そしたら触らずには居られなくなって……寒気が走った。

 うわぁ! これもう妖刀やん。そう思わざるを得なかった。人を魅了し、人を殺す。

「やっぱり名物ってすごいね」
「そうだな。名物の武器と戦う時は決して名無しの武器で立ち向かうなよ」

 名無し……多分名物じゃ無い物、普通の武器って事だよな?

「それって……やっぱり勝負にならないの?」
「あぁ、例えるならナイフを持った敵に、バターで立ち向かうようなものだな」
「ナイフに、バターで戦うって……それ、例えとして分かりやすいようなアホくさいような……」

 名物か……俺もゆくゆくは無視できないシステムだよな。

 まっ! 今は置いといて、今日からは俺の本格的なオフィシャルウイスキーを造らないと!! 今までは持てる知識で実際にウイスキーを造ってみただけだったが、ゆくゆくは俺の蒸留所の名前も決めて、その名を聞けばその蒸留所の味を思い描けるほどの安定した味を造り出さないと!

====オフィシャルウイスキー====
 オフィシャルウイスキーとは、又の名をオフィシャルボトルとも言います。端的に言えば、その蒸留所がウイスキーの熟成から瓶詰めまでして出荷するウヰスキーのことです。例えばタリスカー蒸留所が出している「タリスカー」や、サントリー山﨑蒸留所が出している「山﨑」などがこれにあたります。
 オフィシャルボトルの特徴は、良くも悪くもその蒸留所をイメージさせる無難な味を、安定した質を保ち出荷させている事です。
===================

 そう思っていたらティナが素な感じで剣をこちらに突き出して聞いてきた。

「触らないのか?」
「触らねぇよ!!」

 俺を焼死体にする気か!!

「そうか……」

 あっ、ティナがシュンとして寂しそうな顔をしている。
 くっ……ティナのそういう時折見せる年相応なリアクションに俺は弱いんだ……。死にたくはないが、ティナが持ってさえいれば、死なないらしい! つまり焦げない!
 
 俺は勇気を振り絞った。

「やっぱり触らせてもらおうかな!」
「おぉ本当か! 触ってくれ! ショウゴにだけはいつか触って、感じて欲しかったのだ……私の剣をお前に紹介したくて、な?」

 ティナの身長が高すぎて上目遣いにはなっていないのだが上目遣いをしている事はわかった。

 おおっと? ティナがすごいモジモジして照れてる。かわええなぁほんっと! ティナは普通にしてくれてたら本当に可愛いんだけどなぁ。小麦色よりも少し黒い肌に銀髪が際立ち、金色の瞳は全てを明るくしてくれそうで、黒ギャルのような明るさを……俺はもっと高尚な例えを持っていないのか?! ティナといい俺といい、例えのレベルひっくいな! 俺に至ってはおっさん臭い……。それはさておき。

 そう言えば初めて出会った時も剣がどうとか、見てくれとか言ってたな。よし、やっぱりここは勢いで触れてしまおう。ティナには怒ってばっかりだったしなここで挽回しよう。

 俺はそう意気込んで、金色の瞳を大きく見開いて嬉しそうに剣を差し出しているティナを一度見やり、ちょんちょんと細身の刀身を恐る恐る触った。そして三回目にしっかりと触れた。

「あ、熱くない」
 
 良かった。

 俺が一番恐れていた事態を回避出来た事に安心したその瞬間だった。それは突然、俺の頭の中に直接流れ込んできたんだ。

「あたいに触んじゃ無いわよ! この泥棒猫!!」

 聞いたこともないその声は女性の声だった。それもティナと違ってすごい若い幼女のような声だった。ただのイメージだが……一瞬真っ赤な長髪を逆巻いた幼女が見下ろし睨みつけてくる様な光景が見えた気がした。

 同時に触れた指に鋭い痛みが走った。

「うわっあっちぃぃい!!」

 ティナの名剣は一瞬で沸騰したかのように、溶岩を彷彿させる紅蓮にその刀身を染め上げた。同時に俺の指がバーベーキューされてしまった。

「レン! ショウゴに何をするんだ! あれだけ何もするなと言っただろう!!」

 ティナは何かに驚き喚いているようだった。しかもその相手は彼女の愛剣に向かって言っているようで……。そしてその呼び掛けに剣は、火を吹きながら呼応しているような……俺は混乱していた。剣を触ったら何かが俺の手から侵入してきて……頭に入り込んできた。

 それが一体なんなのか……多分烈火の乙女だったと思う。えっ? 自分でそう思っても尚、理解できなくて俺は怖くなった。

「ティ、ティナ。俺、急用を思い出したからちょっとアントンさんのところに行ってくるね!!」

 俺は一目散に家を飛び出した。

「あ! ショウゴ! 火傷は大丈夫か?! せめて手当をさせてくれ!」

 俺の背中に向かって叫ぶティナの声色には、それは切実な思いが詰まっていたが今の俺はそれどころじゃなかった。  

 この世界が地球では無いことを改めて思い知らされた気がしたのだ。確かに今まで、前世ではありえないような魔法や、剣気、ティナの戦闘力、奴隷制、色々あったが自分の中を侵されるあの異物感……ははっ、手が震えている。

「どうしたのじゃ、ショウゴ? そんなに顔を青くしてレイスでも見たような顔じゃな」

 ぶっきらぼうでいて少し揶揄う様なガラガラ声が聞こえた。

「アントン……さん」

 俺はアントンさんの野太くて低い声に安らぎと安心感を覚えた。自分でも分からないが彼を抱きしめてしまった。

「どっ、どうしたのじゃ一体!!」

 三頭身ほどのアントンさんは小さくて俺の胸下程しか背丈がないのに、彼の抱き心地ときたら、まるで樹齢何百年の大木を抱いている様な存在感と力があった。彼は少し慌てたが俺が手を離す気が無いと悟ると、抵抗をやめてしばらく震える俺を受け入れてくれた。

 酒だけじゃ無いこの世界に俺は、悪夢を見た子供のように怯えた。そんな俺をアントンさんは抱きしめて腰のあたりをその大きくて皮の厚い手でゆっくりさすってくれた。

「大丈夫じゃ、お主はよくやってるぞい」
「……はい、はい。もう大丈夫です、すみませんでした。突然抱きついたりなんかしてしまって」

 俺は彼からさっと離れた。別に泣いてはいない、ただ心底驚いて腰が抜けたそんな感じ。突然薮から出てきた、蛇に睨まれた蛙になっていたのだ。突然襲ったあの視線……今ならはっきりと理解できる。俺はティナの名剣に敵意の籠った視線で睨まれたのだ。

「何があったんじゃ?」
「実は……」

 アントンさんの鍛冶場まで移動して休憩所のようなテーブルと椅子のある一角で、俺は先程までの事の顛末を話した。

「なるほどのぉ、ほれコーヒーじゃ」
「あ、ありがとうございます」

 ティナの入れてくれたコーヒー飲み損ねちゃったな……。

 アントンさんは鉄製のジョッキに、簡易式の薪ストーブで沸かしたお湯で淹れてくれたコーヒーを手渡してくれた。アントンさんの入れるコーヒーは絶妙で、ブラックを何十年も入れ続けてきた喫茶店のお爺ちゃんみたいな味がするコーヒーだ。

「それは神業物じゃな」
「なんですか、それ?」

 俺がコーヒーを一口啜るとぽつりと教えてくれた。

「名物にも格っちゅう物があるんじゃ。上から神業物、大業物、業物と言ってな。意思を持つほどの名物は神業物だけとされておる」
「そうなんですか……ティナの剣に触れた瞬間すごい怒りに満ちた感情と嫉妬や、悲しみ、裏切りそんな物が流れ込んできたんです。それにはっきりとした意思も……」
「うぅむ。神業物は神に愛されし名物であり、神の啓示を直接聞くことのできる名物じゃからのぅ。所有者はまるで人と話す様に話せると言われておる。しかし、まさかファウスティーナ嬢の愛剣が神業物とは恐れ入ったわい」

 アントンさんの口振りからして、烈火の乙女はとっても珍しい物なのかもしれない。最高の相性同士の材料で作られた神配合とも関係があるんだろうか。

「そんなにすごい物なんですか、その神業物っていうのは?」
「当たり前じゃ、この世にはいくつか有名な神業物が存在しているでの。平民までもが知る辺りだとまずはアイテムBOX、ドワーフの持つ雷鳴の槌、エルフの持つ恵風けいふうの大弓、獣人の持つ鬼雨を呼ぶ龍笛りゅうてき、魔族の持つ雪の果てを呼ぶ涅槃雪杖ねはんせつじょう。この辺りが有名どころであり、全てが国宝となっているな」
「国宝……貴重な物なんですね」

 待て待て待て、俺の腰にぶら下げたこれって国宝とは聞いていたけど、烈火の乙女、つまり神業物ってこと? 神様……あんたなんちゅうもんをポンと渡してくれたんや。

「うむ、普通ならば決して一個人が所有出来るはずもなし。しかも、ティナ嬢は神業物に所有者として認められているという異常事態……ブハハハハハッ!!」

 ビクッ! アントンの突然の大きな笑い声にびっくりした。

「どうしたんですか? 急に」
「ハッハッハ! 考えてもワシら職人にはわからん事よ! 本人に直接聞かんか!」
「それは、そうなんですけどね」

 簡単に聞けたら苦労しねぇっての! まぁでも考えても仕方の無いってところは大いに賛成だ! そうと決まれば仕事をして忘れよう。本来の今日の目的にアントンさんが必要不可欠なのだ。

「アントンさん」
「ん、なんじゃ?」
「酒樽を造ります! 手伝ってください!」
「むっおぉ!! 酒樽ときたか! よし来た! 何から始めるんじゃ?」

 アントンさんの橙色の目が轟々と煌めき出した。さすが酒職人! 酒樽と聞いただけでこれだ。同じ物で熱くなれるって良いなぁ!
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