異世界酒造生活

悲劇を嫌う魔王

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第三章〜サードフィル〜

第七十二話「復讐を目論む者」

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 ランバーグ王国との会談を終えた私達は、アクアリンデル一の高級宿屋にて潜伏していた。表向きはアレス商国へと帰国したことになっているが……。

 私の顔の側を金属製のグラスが飛んできた。そしてそのグラスは壁にぶつかり派手な音と中に入っていた酒をぶちまけた。

 ご主人様の顔は護衛の冒険者の魔法によって治療が施され、今となっては綺麗な顔になっているが、会談後の顔はかなり酷かった。鼻は綺麗に折れ曲がり、両目は腫れ上がっていた。命にこそ別状はなかったが、そんな怪我を負わせた騎士が無罪放免となり、ご主人様は憤慨した。

 それも無理はない。いくら商人とはいえ、一国の外交官として赴いている人間に怪我をさせたのだ。それ相応の処分を侯爵は下さなければ、我が国への宣戦布告に近い行いと思われても仕方ない事なのだ。

 しかし、会談の契約内容が決まってしまった今、アレス商国はランバーグ王国にとって歯牙にも掛けない相手に逆戻りだ。それほどアレスとランバーグの間にある軍事力格差は大きいものだ。それにどうやらあの侯爵は、あの酒職人が偉く大事なようだ。あの酒が食卓に出てからというもののご主人様の計画は狂い出した。

 それほどの職人だと言う事だろう。そしてそれをご主人様も頭では認めてしまっている。しかし、そのプライドが平民にしてやられたという事実を許せないでいた。

「クソオオオオオ!!!! ランバーグの高慢ちき野郎が!! 死ねマリウス! シールズゥゥゥ!! 殺す!殺す殺す! ハァハァハァ……ハァ、ハァ」

 私は荒れ狂ったご主人様のせいで色んなものが散らばったシルクの絨毯を、慎重に歩いて手拭いをお渡しした。絵画は切り裂かれ、装飾品は打ち捨てられ、ピアノは弦が弾き飛び、ヴァイオリンはへし折られ、最高級の羽毛寝具はその羽を散らかした。

 一泊金貨三枚の高級宿屋がたった一晩で、そこらへんの安宿よりも酷い環境へと変貌してしまった。これほど荒れたご主人様を私は未だかつて見た事がない。それほど屈辱的な思いをされたらしい。
 
 そばで見ていた私には分かる。侯爵を驚かせるための酒の開発及び、ラフロイグ神聖国の枢機卿に多額の賄賂を流してまで、親書を認めさせる程用意周到に事を進めてきたか。にも関わらず、あの王国の盾マリウス・シールズ侯爵によって一蹴された挙げ句、あり得ないような関税率を呑まされてしまった。

 ご主人様は力尽きたように革張りの腰掛けに体を預けるように座ったが、玉の様なお体をしているご主人様のその足は、あとちょっとのところで地面につかないのだ。

「ウマイヤ酒だ」
「かしこまりました、ご主人様」

 私は少し頭を下げて、かろうじて生き残っているグラスに葡萄酒を注ぎご主人様に手渡した。

 それをご主人様は口から酒をこぼしながらも勢いよく飲み干した。一息ついたようだがいまだに息は荒く、目は血走り、金髪は乱れていた。

 ご主人様は少し深く深呼吸をして目が据わった。 

「ケケケケッ、この、この僕がぁ、たまたま貴族に生まれ落ちただけの脳筋にぃ? 商談で遅れをとっただとぉ? キャキャキャキャッ、傑作だぁぁあねぇ?! 関税率のおかげで、この先五年我が国の商品は一切ランバーグには売れないだろう!」

 そう、平時の商談であればあり得ない条件がまかり通ってしまったのだ。何故なら、会談の主導権をランバーグ側に握られてしまったから。そこからはあれよあれよと不利な勝負に乗せられ勝負は決していた。

 全ては侯爵の罠だったのだ。小さな……普通なら気にも留めないような落とし穴。調べるべきは大貴族ではなく、平民だったという罠。

「そうなれば、僕のアレスでの立場が危ういものとなる。外交責任を問われ、多大な損害賠償を国家予算規模で僕の商会に請求されるであろうな。その金額は恐らく……これくらいで……今ある奴隷と金品全て売り払えば……ガリッ」

 ご主人様の顔からは脂汗が噴き出していて、両手で顔を覆いながら爪を噛み、小声で何かを呟いていた。

 そしてご主人様は突然立ち上がり上を見上げた。天井に何かあるのだろうか? 私は釣られて上を見上げるがそこには何もない。ご主人様から目を離した隙に、足元に何かが抱きついてきた気がした。

 全身から鳥肌が立った。この部屋には私とご主人様しかいない……。私はブリキのおもちゃの様にぎこちなく下を見下ろした。

「ウマイヤ」
「はい、ご主人、様」
「あの平民だ」
「……はい」

 ご主人様の目はギラついていたが目は笑っていなかった。そして異様な笑みを貼り付けて私を見上げていた。その闇に吸い込まれそうになりながら、何かを命じられるのだと直感した。

「ほら、あの酒職人だよ」
「あぁ理解いたしました」

 酒職人で平民、この言葉の組み合わせで思い浮かぶのは今の所一人だけだった。

「ショウゴ・ミズタニと言う酒職人の事でしょうか」
「ケケケッ、そうだよウマイヤ。あの平民風情がっ! ウイスキーを造ったなどと出鱈目をマリウスが言うんだよ」

 私があの職人の名を口にするとご主人様の目に光が走った。同時に私の背筋にも悪寒を感じた。

「ッ、しかしながらあの職人は、見事にご主人様のお酒を分析されていたと愚考いたしますが……ッ!!」

 私の太ももに鋭い痛みが走った。どうやらご主人様の隠し持っていた躾用のナイフで浅く切られたようだ。何も珍しいことではない。

 素直に言いすぎた私が悪いのだ。

「そんなことはもうどうだって良い。あの男がウイスキーを本当に造れると言うなら探るまでだ」
「おっしゃる通りであります」
「あの酒があれば此度の損失なんて軽く取り戻せる……ぐふふっ」

 ご主人様が私の足元で会心の笑みを浮かべ始めた。

「ヒィ!」

 ご主人様の素晴らしい笑みに酷い嫌悪感を抱いてしまった。そしてそれは私の奴隷印と呼応して躾が発動し、激しい痛みが全身を襲った。

 私の苦痛からくる叫びとご主人様の壊れたような笑い声が共鳴する。

「グフフフフフッ、上手くいけばあの酒で此度の負債の補填どころか、僕は! 大尽会の頂点に上り詰められるぞ?! グハハハハハハッ、まだだ! まだこの僕は終わっちゃいない!! あの酒を手に入れるまで決して僕は帰らない! 僕の小鳥どもを今すぐ呼び寄せろ!」
「おっ、仰せ、の、ままに……」

 ご主人様の言う小鳥とは、各国に忍ばせている諜報員たちである。彼らの役目は世情の調査と報告であり、この情報によって大尽達は商売戦略を立てるのだ。つまり彼はウイスキーの製法を調べ抜き、ウイスキーだけで商売をすることに決めたらしい。

 ウイスキーとはそれほどの物なのだろうか。奴隷となったあの日から味覚がない私にはどうでも良い事だ。しかし、命じられたからには従わなければいけない。上級奴隷の私はご主人様の小鳥全てを管理しているからだ。

 すぐにランバーグ王国に忍ばせた諜報員全員を呼び寄せるのは難しい。まずはアクアリンデルに潜んでいる者から呼び寄せよう。特にあの男は最も重要な小鳥だ。確か……。

 ウオッカの存在をいち早く知らせ、ギャングのボスや、シールズ侯爵との接点を知らせて来た--

「--そう、まずはナッツ売りの小鳥を呼び寄せましょう」


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