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第三章〜サードフィル〜
第五十六話「ちょこれーと」
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ご主人様に、厨房を探ってこいと言われ、使用人にもバレないように抜け出したけど、そんなに甘く無いわよね。あっという間に、居場所がバレちゃったし、しかもシールズ侯爵ご本人が登場だなんて、肝冷えちゃった。
まぁでも、収穫がないわけじゃない。カカオ豆を使って、彼らが何かを企んでいる事は事実。なんて言っていたっけ……ちよこ、れーとだっけ、あの豆からそんな物を作るなんて、聞いた事がない。
それでも、ご主人様であれば何か知っているかもしれない。あの方は、曲がりなりにも世界中の富の一部を握っている方だから。
その証拠に、この心臓に撃ち込まれた隷属の魔法陣は、ダークエルフが生み出した闇魔法の中でも第十位階に属す、最上級魔法、それを法外な値段で買取一人の奴隷のためだけに、打ち込んだお方だ。
一般の隷属の魔法陣と違うことは、心の中の思考までも監視されることだ。例えばだが、ご主人様を心の中で侮蔑してしまったりすれば、気を失うほどの苦痛が全身に走る。この程度の、反逆心でさえもこの隷属の魔法陣は許してはくれない。
こうして、ご主人様の寝泊まりされている客室前にたどり着いた今も、締め付けられ刺すような痛みが、この身を苦しめていた。
「ご主人様、只今戻りました」
部屋の前で、私の存在を告げて返事を待つ。すると、部屋の中から扉が開かれ、一人の使用人が顔を出した。
「お入りください、大使様が浴室でお待ちです」
私は、頷くと、部屋の中に入っていった。
侯爵が用意した客室は本当に豪華絢爛な物だった。それは、ご主人様のアレスの邸宅にも負けていなかった。この場にある装飾品一つとっても、平民一人が生涯働かずに生きていける程の値打ちがあるものばかりだ。
強欲のカシーム様と呼ばれッツ!! 私は立ち止まり、我が身を襲った激痛を耐え忍んだ。うっ……うっかりしていた。はぁ、はぁ、スゥー深呼吸をして、はぁ、何とか苦痛に塗れた声を我慢し、ご主人様の機嫌を損ねずにすんだ。
とにかく、ご主人様は侯爵の細部にまで行き届いた歓待に、眉をひそめて悔しがっていた。それと同時に、侯爵の抜かりなさを認め、気を引き締め直すようだった。
広々とした浴室に入ると、大理石で拵えられた雄大な浴槽に浮かんだ、ベリー系の果実の匂いを感じられた。この空間は、何とも幻想的だった。翡翠色の大理石と赤々しい果実たちの織りなす色相は、実に、実に……。
奴隷印の躾が怖くて、これ以上は言葉が出てこない。
「ウマイヤ、首尾はいかがだった?」
ご主人様の玉々しいお体が、湯船に浮いていた。その両脇には、同胞の雌である、犬人族と牛人族の二人が、ご主人様のお相手をしていた。
「蜂蜜水をお持ちしました」
私は、ご主人様に向けて体を向けながら、目を伏し、口を噤んだ。それを見て、ご主人様は私以外の下部と侯爵の使用人を浴室から追い出した。
私はご主人様に言われる前に、奴隷服を脱ぎ去り、ぬるま湯に右足からゆっくりと浸かった。もちろん、蜂蜜水の入った陶器を両手に持ちながら。
ご主人様は、手を差し出し私を出迎えてくれた。もちろんその意図は、明確だ。しかし、私はそれを回避する術を知っている。
「ご主人様、ご報告がございます。とても、重要な」
ご主人様は、性欲よりも金欲が重要だ。情報をご主人様の頭の中に入れれば、それでいっぱいになる方だ。ただ、多少の触れ合いは余儀なくされる。
「ほぅ? 僕のウマイヤが一体どんなお宝を見つけてきたんだい?」
ご主人様は、私の栗毛色の長髪が大好きだ。それを弄りながら、私の持つ情報に興味を示しているのがわかる。
「ご主人様は、カカオ豆をご存知ですか?」
「カカオ豆……、うーんあぁ、あの苦い豆か、ニャフマンの阿保が一度私の食卓に出したのを覚えているよ。食えた物ではなかったがな、獣人はあれを気つけに使うそうだな?」
「はい、味覚の鋭い獣人にはあの苦味は飛び上がるほどの物ですから」
「それがどうした?」
「どうやら、カカオ豆を使ってちょこれーとなる物を厨房で作ろうとしていました」
「ちょこれーと、一体なんだそれは?」
「厨房で仕込もうとしていたので、恐らくは食べ物か何かの類だと思うのですが……」
「あの豆を食べようなどと、これはやっと付け入る隙ができたかもしれぬな? よくやったぞ、ウマイヤ」
私は戦慄していた。その理由は、ご主人様の食通ぶりをそばで見てきたからである。ご主人様の美食ぶりから、ゲテモノぐいまで、その探求は尽きる事がなかった。ご主人様は、食事には一切の妥協を許さないお方だ。
アレスの邸宅に仕えている料理人は、帝国の皇室専属料理人を引き抜いた人材で、食材についてもその季節の旬を選び抜き、初物戦争にも妥協を許さない。ご主人様の一食のお食事にかかる費用は、一本の立派な鋼鉄製の剣が鍛造できるほどだ。
そんなご主人様でさえ、知らない食べ物……ちょこれーととは、一体何なんだろうか。ご主人様の言う様に、あのシールズ侯爵に付けいる隙を作る様な物であれば良いのだが……。
「なんだ、不安なのか?」
どうやら、見透かされていたようだ。こういった観察眼の鋭さは、やはりアレスという魔窟を生き抜いた人間と言ったところだろうか。
「はい、ご主人様が食したことのない物を用意してると言うのは、不安が残ります」
ご主人様は、湯に浮かびながら私の前方へと流れてきた。こう見ると何かの、小人の妖精様に見えなくもない。ご主人様は、湯に浮かびながら、私が注ぐ蜂蜜水を飲んだ。
「貴様の要らぬ不安を、私が気にしていないのには理由がある。まず第一に、あの豆は香りこそ良くても、味は絶望的だ。もし改善できる物であれば、既に話題になり、ゴミ同然に市場の地面に落ちてはいないだろう。」
「確かに、仰る通りであります」
「それにだ、シールズはランバーグの王宮より、料理人を呼び寄せたそうだが、私の持つ手駒の誰よりも腕は下だろう。ならば、恐るるに足らんな。あの豆は、うちの料理人を持ってしても、どうしようも無かったのだから」
ご主人様の言い分は、最もだ。そうか、私の杞憂だったか。
その時だった、浴室の扉を何者かが叩いて来た。
「大使様、シールズ侯爵より秘書様に贈り物が届きました」
「相分かった。さて、湯から上がるとしようか。いよいよ、会談だ」
「はい、ご主人様」
今日のご主人様は実に穏やかだった。しかし、これは別段珍しいことでは無かった。商談前となると、ご主人様は驚くほど理性的な人格へと変わられる。
これがこの人の本当の恐ろしさだった。
まぁでも、収穫がないわけじゃない。カカオ豆を使って、彼らが何かを企んでいる事は事実。なんて言っていたっけ……ちよこ、れーとだっけ、あの豆からそんな物を作るなんて、聞いた事がない。
それでも、ご主人様であれば何か知っているかもしれない。あの方は、曲がりなりにも世界中の富の一部を握っている方だから。
その証拠に、この心臓に撃ち込まれた隷属の魔法陣は、ダークエルフが生み出した闇魔法の中でも第十位階に属す、最上級魔法、それを法外な値段で買取一人の奴隷のためだけに、打ち込んだお方だ。
一般の隷属の魔法陣と違うことは、心の中の思考までも監視されることだ。例えばだが、ご主人様を心の中で侮蔑してしまったりすれば、気を失うほどの苦痛が全身に走る。この程度の、反逆心でさえもこの隷属の魔法陣は許してはくれない。
こうして、ご主人様の寝泊まりされている客室前にたどり着いた今も、締め付けられ刺すような痛みが、この身を苦しめていた。
「ご主人様、只今戻りました」
部屋の前で、私の存在を告げて返事を待つ。すると、部屋の中から扉が開かれ、一人の使用人が顔を出した。
「お入りください、大使様が浴室でお待ちです」
私は、頷くと、部屋の中に入っていった。
侯爵が用意した客室は本当に豪華絢爛な物だった。それは、ご主人様のアレスの邸宅にも負けていなかった。この場にある装飾品一つとっても、平民一人が生涯働かずに生きていける程の値打ちがあるものばかりだ。
強欲のカシーム様と呼ばれッツ!! 私は立ち止まり、我が身を襲った激痛を耐え忍んだ。うっ……うっかりしていた。はぁ、はぁ、スゥー深呼吸をして、はぁ、何とか苦痛に塗れた声を我慢し、ご主人様の機嫌を損ねずにすんだ。
とにかく、ご主人様は侯爵の細部にまで行き届いた歓待に、眉をひそめて悔しがっていた。それと同時に、侯爵の抜かりなさを認め、気を引き締め直すようだった。
広々とした浴室に入ると、大理石で拵えられた雄大な浴槽に浮かんだ、ベリー系の果実の匂いを感じられた。この空間は、何とも幻想的だった。翡翠色の大理石と赤々しい果実たちの織りなす色相は、実に、実に……。
奴隷印の躾が怖くて、これ以上は言葉が出てこない。
「ウマイヤ、首尾はいかがだった?」
ご主人様の玉々しいお体が、湯船に浮いていた。その両脇には、同胞の雌である、犬人族と牛人族の二人が、ご主人様のお相手をしていた。
「蜂蜜水をお持ちしました」
私は、ご主人様に向けて体を向けながら、目を伏し、口を噤んだ。それを見て、ご主人様は私以外の下部と侯爵の使用人を浴室から追い出した。
私はご主人様に言われる前に、奴隷服を脱ぎ去り、ぬるま湯に右足からゆっくりと浸かった。もちろん、蜂蜜水の入った陶器を両手に持ちながら。
ご主人様は、手を差し出し私を出迎えてくれた。もちろんその意図は、明確だ。しかし、私はそれを回避する術を知っている。
「ご主人様、ご報告がございます。とても、重要な」
ご主人様は、性欲よりも金欲が重要だ。情報をご主人様の頭の中に入れれば、それでいっぱいになる方だ。ただ、多少の触れ合いは余儀なくされる。
「ほぅ? 僕のウマイヤが一体どんなお宝を見つけてきたんだい?」
ご主人様は、私の栗毛色の長髪が大好きだ。それを弄りながら、私の持つ情報に興味を示しているのがわかる。
「ご主人様は、カカオ豆をご存知ですか?」
「カカオ豆……、うーんあぁ、あの苦い豆か、ニャフマンの阿保が一度私の食卓に出したのを覚えているよ。食えた物ではなかったがな、獣人はあれを気つけに使うそうだな?」
「はい、味覚の鋭い獣人にはあの苦味は飛び上がるほどの物ですから」
「それがどうした?」
「どうやら、カカオ豆を使ってちょこれーとなる物を厨房で作ろうとしていました」
「ちょこれーと、一体なんだそれは?」
「厨房で仕込もうとしていたので、恐らくは食べ物か何かの類だと思うのですが……」
「あの豆を食べようなどと、これはやっと付け入る隙ができたかもしれぬな? よくやったぞ、ウマイヤ」
私は戦慄していた。その理由は、ご主人様の食通ぶりをそばで見てきたからである。ご主人様の美食ぶりから、ゲテモノぐいまで、その探求は尽きる事がなかった。ご主人様は、食事には一切の妥協を許さないお方だ。
アレスの邸宅に仕えている料理人は、帝国の皇室専属料理人を引き抜いた人材で、食材についてもその季節の旬を選び抜き、初物戦争にも妥協を許さない。ご主人様の一食のお食事にかかる費用は、一本の立派な鋼鉄製の剣が鍛造できるほどだ。
そんなご主人様でさえ、知らない食べ物……ちょこれーととは、一体何なんだろうか。ご主人様の言う様に、あのシールズ侯爵に付けいる隙を作る様な物であれば良いのだが……。
「なんだ、不安なのか?」
どうやら、見透かされていたようだ。こういった観察眼の鋭さは、やはりアレスという魔窟を生き抜いた人間と言ったところだろうか。
「はい、ご主人様が食したことのない物を用意してると言うのは、不安が残ります」
ご主人様は、湯に浮かびながら私の前方へと流れてきた。こう見ると何かの、小人の妖精様に見えなくもない。ご主人様は、湯に浮かびながら、私が注ぐ蜂蜜水を飲んだ。
「貴様の要らぬ不安を、私が気にしていないのには理由がある。まず第一に、あの豆は香りこそ良くても、味は絶望的だ。もし改善できる物であれば、既に話題になり、ゴミ同然に市場の地面に落ちてはいないだろう。」
「確かに、仰る通りであります」
「それにだ、シールズはランバーグの王宮より、料理人を呼び寄せたそうだが、私の持つ手駒の誰よりも腕は下だろう。ならば、恐るるに足らんな。あの豆は、うちの料理人を持ってしても、どうしようも無かったのだから」
ご主人様の言い分は、最もだ。そうか、私の杞憂だったか。
その時だった、浴室の扉を何者かが叩いて来た。
「大使様、シールズ侯爵より秘書様に贈り物が届きました」
「相分かった。さて、湯から上がるとしようか。いよいよ、会談だ」
「はい、ご主人様」
今日のご主人様は実に穏やかだった。しかし、これは別段珍しいことでは無かった。商談前となると、ご主人様は驚くほど理性的な人格へと変わられる。
これがこの人の本当の恐ろしさだった。
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