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ファウルダース侯爵家結婚編

幻惑の婚約者 ※

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 ずっと薬で眠らされていた。
 どこかに移動されていたのはなんとなく察していたし、食事などのわずかな起床時間でどこに向かっているのかも分かっていた。
 それでも何度か眠らされているのを繰り返して、一番最後に目覚めたときには、もう既にこの部屋にいた。

 起床時に治療を受けていたお陰で、背中の痛みはほとんどない。
 脇腹の怪我も、十分すぎる睡眠のおかけが、傷の塞がりが早い気がした。

 とりあえずバスルームがあったので、水を浴びる。
 ずっと寝たきりだったとはいえ、数日ぶりの水浴びはずいぶんとさっぱりした。
 そうしてさっぱりしてバスルームから出て、気がつく。
 部屋の中に満ちる甘ったるい香の匂い。
 ついさっきまで鼻が麻痺していたのか、この匂いに気がつかなかった。
 アンリは今の所大きな体の不調を感じてはいなかったけれど、念のため、今後の体調の変化には留意しておこうと心に留めておく。

 そうしてアンリの監禁生活が始まったけれど。

 毎日三回の食事が運ばれてくる。
 何か詰問されるだろうことは考えていたけれど、食事以外で人の行き来はほぼ無く、薬物のようなものが盛られるような様子もなかった。
 着替えも清潔なものが与えられるし、治療用の薬も朝の食事と一緒に持ってきてもらえる。
 由佳の安否以外においての待遇は、まぁまぁ悪くはなかった。

 何も変化のないまま三日ほど経つと、暇を持て余したアンリの思考は自然と由佳のことばかり考えるようになる。

 天降り人の由佳。
 自分が守りたい由佳。
 笑っていてほしい由佳。

 そんなことを考えていれば、まるで視界の端に黒髪が映るようで、気がついたら由佳の姿を探して部屋を見渡してしまうことが増えた。
 何かおかしいと気づいたけれど、それは由佳のことを心配しすぎるあまりのせいかと思ったアンリは、深く考えなかった。
 それからさらに数日が経つと、食事を持ってくる人物が一度だけ変わった。

「エンゾ殿」
「ご機嫌はいかがでしょうか、アンリ様」

 ルドランスにいたはずのエンゾがアンリの前に姿を表した。
 アンリが鋭くエンゾを睨みつけると、エンゾは困ったように肩をすくめる。

「そんなに睨まないでください。今日はお話があってきたのです」
「由佳と僕を開放してくれる話なら聞きますが」
「あなた一人ならともかく、姫君はだめですよ」

 飄々とエンゾがそう言うので、アンリは舌打ちしたくなった。
 食事をテーブルに置いたエンゾが、片方のソファーに座る。

「座ってください。お話をしませんか」

 癪だけれど、聞き取れることがあれば聞いておくべきだ。
 アンリもソファーへと腰かけた。
 それを見たエンゾが満足そうにうなずく。

「まずどこから話しましょうか。そうですねぇ、天降りの姫君のこれからについてはどうでしょう」
「……由佳のことか」
「はい。……彼女が天降り人であることに驚かないのですね」

 エンゾは意外そうに言ったあと、くすりと笑う。

「彼女は今しばらくこの地に留まっていただく必要がございます。そしてその尊い血を残していただく必要も」
「……血を?」

 嫌な予感がした。
 アンリがエンゾを睨みつけると、エンゾは苦笑する。

「無理強いなどはいたしませんよ。本当は香の大家直系のトビか、オルレットの王家に嫁いでほしいところですが……天降り人のお心を無視するよりはと思いまして」

 そう言うと、エンゾは笑う。

「ですので、そのお役目はあなたにお譲りしようかと」
「……言っていることが、分からない」
「そうでしょうか? 簡単なことですよ。彼女を孕ませてください。そしてその子を我らに。姫君の血を残すのです。それが、天降り人という天なるお方に選ばれしあなたの義務です」
「下衆め」

 エンゾの言葉があまりにも卑劣で、アンリは思わず吐き捨てた。
 エンゾはやれやれとでも言いたげに首をふる。

「これは譲歩ですよ。我らが香の大家があなたを生かすための。私どもとしては、あなたを殺す方が都合が良かったのですがね。ですがそのせいで姫君が発狂されても困りますし」

 エンゾはそう言うと、席を立つ。

「まぁ、気長に考えておいてください。じっくり、ゆっくり、考える時間はございますから」

 本当に言いたかったことはそれだけだったようで、エンゾはさっさと出ていってしまう。
 アンリは深々とため息をついた。
 なんの冗談だと叫びたかったけれど、叫んだところで解決はしない。
 とりあえず食事をして、その日も何をすることなく終えた。

 変化が訪れたのはその夜だった。

 今までそんなことが無かったのに、夢の中で由佳と睦み合う夢を見た。
 姫君、とどこからか声が響く。
 昔どこかで見た、天降り人の美しい衣装が由佳と重なる。
 起きたときには無意識に下腹部に手が伸びていて、自分の息子を慰めるはめになった。

 自分がクズすぎて嫌になった。
 エンゾにあんなことを言われただけで、由佳の痴態を夢に見るとか、最悪だった。
 自分はそういうのを由佳に求めないと思っていたのに。

 それからが地獄だった。
 考えないようにすればするほど、視界の端に由佳の姿が見えて、姫君と呼ぶ声が聞こえて、天降り人の衣装が瞼の裏にちらつく。
 昼夜問わずにそんな状態が嫌で眠って時間を過ごそうとすれば、夢の中で由佳がアンリを誘う。
 寝ても起きても由佳を抱きたくて、抱きたくて、たまらなくなる。
 そして、姫君、天降り人、と誰かが囁く声が、段々と由佳の名前に被されていく。

 どうにもおかしいと感じたときに、ふと香の存在を思い出した。
 香には長時間焚くと幻覚作用をもたらすものがあると聞く。
 ようやくその類いじゃないかと思い至って、香炉を壊してやろうと思った。だけど香炉で炊いているわけじゃなくて、チェストの内部が外と繋がっているのか、そこで炊いた匂いが香炉から出ているだけだと気づいて、シーツを被せたりもしたけど、それもその場しのぎ。
 部屋に染み付いた匂いを逃がすことはできなかった。

 仕方なく、バスルームへ逃げ込んだ。そこなら扉二つ分あって、少しだけマシだったから。
 それでもまぶたを閉じるたびに、脳裏に由佳の痴態が描かれる。

 初めて助けたときに血だらけのまま衣服を乱されていた姿。
 ロワイエの元で白濁にまみれた姿。
 馬車の中で足を大きく開かされて、犯されそうになっていた姿。

 だめだと分かっているのに、不埒な姿ばかりが脳裏に浮かぶ。
 しかも、それが、その由佳を犯すのが、自分などと。

「違う、違う、僕は違う。あんな奴らとは違う……!」

 そんなことを考える自分が嫌すぎて、何度壁に頭を打ちつけたか。
 そうすれば少しだけ頭がスッキリして、正気に戻れる気がした。

 浅い眠りと、現実と、幻覚を、行ったり来たりする。
 だから、目の前に綺麗な衣装を着た可愛い女の子を見つけた時も、正気ではなかった。

「……可愛いお姫様だ」
「アンリ?」

 可愛い女の子がアンリの名前を呼ぶ。
 そばに来てほしくておいでおいてと手招きしても、女の子は来てくれないから、アンリから迎えに行った。

「アンリっ?」
「綺麗だ」

 可愛くて、綺麗で、愛おしさがこみあげる。
 小さな箱の中に二人でしまわれたような心地で、アンリは目の前の女の子の頬を撫でた。

「アンリ、ねぇ、どうしたの」
「んー?」
「おかしいよ、アンリ」
「可愛い」

 自分の名前を呼ぶ彼女が可愛らしい。
 その可愛らしい唇を、食べてしまいたい。
 膝の上に乗せていた彼女と体勢を入れ替える。
 くるりと上下を入れ替えて、女の子を浴槽の底へと隠した。

「アンリ……?」

 名前を呼ぶ可愛い口に吸いついてみた。
 甘くて、美味しくて、下半身が熱を持つ。

「んっ」

 鼻から抜けるような甘い吐息がもっと聞きたくて、彼女の耳をふさいで、唇をむさぼった。

「んっ、んぅ」

 彼女の体が震える。
 それすらも可愛くて、口の中に溜まった唾液をすすりとる。
 アンリはもうこれが、夢なのか、現実なのか、幻覚なのか、分からなかった。
 とにもかくにも、目の前の人を貪りたくてしょうがなかった。
 自分のものだと刻みつけたかった。
 そうっと愛しく思う人の身体の線をなぞる。
 小さくて、細くて、華奢な身体。
 するりと帯を解く。
 温かい肌をもとめて、その服をまさぐった。
 すべすべな肌が、気持ちいい。
 夢よりも質感の生々しいそれに、脳が違和感を覚える。
 でも、雄の欲のほうが強くて、アンリは誘われるようにその股へと指を滑らせた。

 ちゅくり。
 濡れた感触。
 ねっとりと指に絡みつくそれを認識した瞬間。

 ごっちんと目の前に、星が散った。





 ……一度やらかして、後悔と自己嫌悪に苛まれたアンリの地獄は、まだ終わらなかった。
 由佳のおかけで一度は正気を取り戻したものの、食事のために部屋に戻れば香の匂いがさらにひどくなっていた。
 その上、水にしびれ薬が混ぜられたようで、体が自由に動かせなくなる。油断していた自分を呪いたくなった。
 頃合いを見計らうようにやってきたエンゾが困ったように笑っている。

「つかの間の逢瀬はいかがでしたか? 早くしないと、天降りの姫君が他の男に取られてしまいますよ」

 エンゾの囁きは毒になる。

「姫君は愛らしいでしょう? とても尊いお方でしょう? あの方をこの地に留めるには、子を孕まさなければ。神の子であるリュンもそうして花嫁を得たのです。姫君の寂しさを埋められるのはあなただけ。愛しいのなら、お抱きなさい」

 気が狂いそうだった。
 アンリは彼女を愛している。
 愛しているのなら抱けばいい?
 彼女をつなぎとめないと。

 鈍くなる思考が、またおかしな方向へと向かっていく。
 正気を失いそうになる。

 それでもまだ何とか、踏ん張った。
 正直、もうだめだと思ったけれど。
 もう一度自分に会いに来てくれた由佳に、言わせてはいけないことを言わせてしまい、死にたくなったけど。

 それでもアンリは、由佳と愛しあいたいから。
 誰かの手のひらで転がされるのはごめんだった。

 食事と水には手をつけなかった。
 由佳から一日待てばユーグが来ると聞いたから。
 一日二日程度、飲まず食わずでいるくらいなら平気だ。
 助けが来るとわかっているなら、正気を保つのも幾分か楽になった。

 そうして待ちに待った夜。

「隊長。お待たせしました」

 外の空気とともに入ってきた黒宵騎士団の騎士に、アンリは束の間の安堵を覚えた。

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