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ファウルダース侯爵家結婚編

天降りの姫と香の大家5

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 アンリの元へ行ったその足で、オレリーさんにトビの元へ連れて行ってもらうようにお願いした。
 だけどオレリーさんは申し訳なさそうに首をふる。
 どうしても、とお願いしてもオレリーさんは頷いてくれなかった。

 結局私に許されたのはアンリのいる薫香の間へ行くことだけで、トビとの面会は駄目らしい。
 ここでオレリーさんを振り切って適当に歩きだしても良かったけど、下手なことをしてトビの耳に入って、アンリとの面会も駄目って言われるのは嫌だったから、素直に天落の宮へと帰る。

 オレリーさんがちょこちょこと歩く後ろをついていきながら、じっくりと通る場所を観察した。
 基本は石造りなんだけど、やっぱりどこかアジアンテイストな雰囲気を持つ建物だった。
 屋根の梁とか欄間、壁の下部に掘られた文様とかが、所々そう感じさせるのかも。

 そうして周囲を見渡しながら歩いていると、だんだんと人の多い場所へと出てくる。
 通り過ぎる使用人の人たちが頭を下げていくのを、行きと同様居心地悪く感じながら歩いていれば、ふと出入りの門の傍の生け垣を世話している庭師さんが目に入る。
 緑の中にぽつりと浮いた赤みがかった黒髪はよく目立っていて、自然と目に留まる。
 黙々と作業をしているその人が私に気がつくと笑顔を浮かべ、頭を下げた。

「オレリーさん、ちょっと待ってください」
「いかがしましたか?」
「えっと……生け垣のお花が気になって」
「左様でございますか」
「あの人が手入れしているのでしょうか」

 素朴な疑問を言ってみれば、オレリーさんは頬をほころばせて、私が視線を向けた庭師さんに声をかけてくれた。

「そこの庭師。この生け垣を手入れしているのはお主かい」
「はい。最近入ったばかりなんですが、何か粗相でもございましたか」
「いいえ。とても丁寧な仕事だと思います。よろしければ、私の住む宮の生け垣も手入れしてほしいくらいです」

 庭師さんの言葉に私から返せば、オレリーさんが苦笑した。

「姫様、それではお宮付きの庭師が泣いてしまいますよ」
「ごめんなさい。素人感覚で言うものではないことでした。生まれ持った感性のせいかな。こちらの生け垣の方が目を惹かれるくらい素敵だと思ってしまったので」

 そう言えば、庭師さんが快活に笑った。

「そりゃありがたいことで。ちなみにお嬢様はどちらにお住まいで?」
「あの建物が見えますか? あちらに住まわせてもらってます」

 庭師さんがおどけたように目を丸くする。

「天落の宮じゃあないですか。そりゃすごい。もしや噂の姫君とはお嬢様のことでしたか」
「噂は分かりませんが……」

 こっくりと頷いておく。
 お日様の下、赤く色づく黒髪を揺らして、庭師さんは仰々しく頭を下げた。

「大変ご無礼いたしました。お庭の手入れについては、宮付きの方に進言しておきましょう。まぁ、下っ端の自分では大したことはさせていただけないでしょうが」
「ぜひ。オレリーさんからもお願いします」
「姫様のお心がこの程度で慰められるのであれば、それくらいお安いことです」

 オレリーさんも快諾してくれてほっとする。
 改めて頭を下げた庭師さんに、もう一度お願いしますと言って、私は天落の宮へと戻った。
 ちょっとだけ、希望が見えた気がした。





 夜、ベッドの中でうとうととまどろんでいると、コツコツと何かを叩く音がした。
 私はそっと起き出すと、音が鳴った方へと足を向ける。
 窓へと近づけば、月明かりしかない夜の中に黒い頭を見つける。
 私は窓を開けた。

「よっす。久しぶりだな、ユカちゃん」
「お久しぶりです、ユーグさん」

 窓の向こうには、黒宵騎士団シュロルム支部の騎士・ユーグさんがいた。
 私は窓から離れると、ユーグさんを招き入れる。

「隊長にバレたら殺されそうだな」
「アンリに? そんなことしませんよ」
「はっはっはー、そっかー」

 とってつけたような作り笑い。
 確かにこんな夜中に男女が二人で逢瀬っていうのは外聞悪いけど……アンリに限ってそんな勘違いしないはず。
 それにユーグさんも紳士的で、部屋の中に入っても窓のすぐ側からは離れず、私の方へと歩み寄ろうとはしないし。
 だから何を心配することがあるのかと首をひねってれば、ユーグさんの作り笑いは苦笑いへと変わる。

「信頼してくれてると思えば嬉しいけど、あんまりほいほい男を部屋にあげないほうがいいぞ?」
「平時ならそんなことしません。今日は特別です」

 案の定、ユーグさんは分かりきったことを言ってくる。そんなこと、言われなくても分かってるよ。
 肩をすくめながら、私は窓にほど近い場所にある書き物机の椅子へと座った。

「まさかユーグさんが庭師さんになってるなんて思いませんでした。いつ来たんですか?」
「三日前だなー。もう少し早く潜入したかったんだけど、なかなか手間取っちまって。他にも何人か寄越そうとしたんだが、そいつらが入るにはまだ数日かかりそうだ」
「警備が厳しいんですか?」
「警備よか、これだな」

 ユーグさんが髪を掴む。
 そういえばシュロルムで見た黒に近い髪色は、赤色混じりではあるけど黒髪のユーグさんと、藍色の髪のエリアくらいだった。
 生粋の黒髪ではないけど、ユーグさんはその髪色のおかげで他の人より簡単に雇ってもらえたらしい。
 香の大家の天降りへの意識の高さ、めちゃくちゃ高すぎるでしょ。

「騎士団が動いてくれてるんですね。良かった。状況はどんな感じなんですか?」
「まぁまぁ大事にはなってるなー。なんたって侯爵子息とその婚約者が失踪。その直前にはオルレットの大使館に行ってるとあって、二人で亡命駆け落ちか? って話が出てる」
「駆け落ちですか」

 そうだったらまだマシだったよね。
 思わず微妙な顔になっていれば、ユーグさんは笑った。

「ちなみに駆け落ちじゃないよな?」
「違います。駆け落ちだったらユーグさんに声なんかかけません」
「それを聞いて安心したよ。それじゃ、ここから逃げる方向でいいな?」

 私はこっくり頷く。
 ユーグさんはすっと真面目な顔になった。

「手配はこちらでするから安心してくれ。ただ準備に時間がかかる。さっきも言ったが、今はまだこちらに潜入できてる仲間が少ない。俺一人じゃ、隊長とユカちゃん二人を同時に救出はできねぇからな」

 それはそうだ。
 たから今すぐここから連れ出してとは私も言わない。
 むしろ逃げるなら、私よりアンリの方が先だ。

「逃げるなら、私よりアンリを優先してください。ここでの私の立場はそれなりに高いところにあるようなので、すぐにどうこうはならないと思います」
「そうは言ってもなぁー。それは隊長が許さねぇと思うぞ?」
「それでもです。むしろ今すぐアンリを連れ出してください。アンリが正気を保ってるうちに」

 私の言葉にユーグさんの顔色が変わる。

「どういうことだ? 隊長、どうなってる」
「部屋中に幻覚作用のあるお香を焚かれてるんです。今日は普通に話せましたが、アンリ自身、まずい状況だって言ってました」
「なぁにドジ踏んでんだよあの小僧」

 ユーグさんが舌打ちする。
 それから小声で何か言ったようだけど、うまく聞き取れなかった。
 ユーグさんは深々とため息をつく。

「ユカちゃんのその話しぶりだと、隊長と会った感じ? 居る場所はわかる?」
「母屋の奥まった所に薫香の間っていうところがあります。ちょっと待ってくださいね、地図描きます」

 書き物机の上にある本を一冊手に取った。
 フーミャオの本を翻訳するために渡されている白紙の本。
 その一頁を千切って、特徴的な目印だけを描いた簡易な地図を描く。
 それをユーグさんに渡した。

「へぇ、器用なもんだなー」
「それで分かりますか?」
「十分だ」

 良かった。
 場所が分かるなら大丈夫。

「薫香の間の周囲には廊下が巡らされていて、その廊下にもお香の匂いが充満してました。窓は廊下の天井部分のみで、薫香の間は回廊と接する壁に窓がついてます。外から行くなら、屋根からになると思います」
「そうなると梯子がいるな……うし、分かった」

 地図を見ていたユーグさんはうなずくと、今後の動きを教えてくれる。

「一日待ってくれ。明後日の夜には、逃げられるように手配する」
「お願いします」
「ユカちゃんは隊長と明日も会える感じ?」
「たぶん」
「なら、すきを見てこの件を伝えておいてくれると助かる。あれでも隊長格だしな。知ってるのと知らないのとじゃ、動きが違う」

 ユーグさんの、アンリに対する信頼を垣間見て、私は自然と頬が緩んだ。
 私より年下なのに、こうやって人に認められるくらい頑張ってるアンリはやっぱりすごい。
 自分が褒められたように嬉しくなっていれば、ユーグさんが窓を開けた。

「それじゃ、また明後日に」
「よろしくお願いします」

 さっと窓の外へと出たユーグさんは、闇に紛れて去っていく。
 私は窓を閉じると、書き物机の上に置かれたフーミャオの日記を手に取る。
 異世界への期待と寂しさに満ち溢れたこの本をすべて翻訳することはないだろうなと漠然と思うと、なんだか申し訳ない気持ちにもなる。
 同じ天降り人だったフーミャオさん。
 彼の秘めた思いを解読できるのは私だけだけど……私はフーミャオさんよりも、アンリとの未来の方が大切だった。
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