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ファウルダース侯爵家結婚編
王都へ4
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いざ、社交と意気込んで部屋を出た。
でもやっぱり慣れないことには緊張するわけで。
応接室の扉の前で緊張を解していたら、ベルさんに笑われてしまった。二十五にもなって、恥ずかし……!
ちょっと頬が熱いけど、ベルさんに扉を開けてもらって中へと入る。
「遅くなりました。申し訳ありません」
「いいえ。そんな堅苦しいものではありませんので、お気になさらず」
一礼すれば、ビュスコー子爵は爽やかに笑って二人がけのソファから立ち上がった。こちらに踏み出そうとして、何かに気がついたように踏み止まる。不思議に思いつつも、ベルさんに促されて、ビュスコー子爵の隣に不自然ではないくらいの距離を開けて座った。ビュスコー子爵も私が座ったのを見届けてから座る。
ミリッツァ様とダミエル様も同じテーブルに着いていて、二人がけのソファに座っている。視線だけでティーカップの中身を覗けば、どれも底が見えていた。
「ベル、お茶を」
「かしこまりました」
ベルさんがミリッツァ様の指示で私用の新しいティーカップと他のお三方のお代わりを用意してくれる。ビュスコー子爵のメイドさんも、ベルさんと一緒に用意をしてくれた。
新しいお茶が用意されるのを待つ間、ミリッツァ様が口紅たっぷりの唇をつり上げて、くすりと笑う。
「ユカ、席代わりましょうか?」
「いえ、だ、大丈夫です」
ミリッツァ様の冗談に体が強張った。いや、あの、ちょっと……さすがにダミエル様のお隣に座る勇気はないです。
「そう、ならダミエルと代わりましょうか?」
「お気遣い、ありがとうございます。でも本当に大丈夫ですから」
ミリッツァ様は厳しいところもあるけれど、十分優しい人。今の言葉って、私がビュスコー子爵に対して緊張してるのが分かっているからだと思う。
ミリッツァ様に甘えることだってできるけど、こうみえても私は大人なの。甘えるばかりでは世の中を渡れないことなんてとっくに分かってる。
異世界に来て、私の周りは優しい人ばかりだった。
それに甘えていた部分もあるし、それで救われた事も沢山あるのだって分かってる。
理解した上で、私は自立しなくちゃいけないんだ。
ずっとずっと、私が思っていること。
私のこの世界の目標の一つ。
緊張を必要以上に表に出さないように腹を据える。
大丈夫、ビュスコー子爵は隣にいるだけ。ソファの都合で座ってるだけ。空きスペースに添えてるだけ。
それともビュスコー子爵の顔を、発表会とかでよくやるような感じにカボチャに見立ててみようかな?
ハンサムなカボチャ……え、どんな感じ?
「ユカ?」
「…………」
「ユカ嬢、気分でもすぐれないのですか?」
「…………」
カボチャがハンサムになるには、ジャックオーランタンの顔のパーツの配置によるのかな。それとも色? 緑? オレンジ? オレンジが主流だけど、緑の方がハンサムっぽい色よね?
「本調子に戻ったか」
「そうみたいですわね。心配しておりましたけど、これなら一安心ですわ」
「どういうことです?」
「本来のユカさんは少々ぼんやり……いいえ思慮深いところがありますの。こうやって今のようにちょっと唇を尖らせている時は思考に耽っている時ですわ。……まぁ、その内容は良し悪しなんですけれど。ベル」
「心得ております」
緑色のカボチャをビュスコー子爵に被せてもいまいちハンサムなカボチャにはならない。それならビュスコー子爵の顔を緑にしてカボチャっぽい凹凸をつけてみよう……としたところで、不意に肩をとんとんとつつかれた。
「はい」
「お嬢様。ご歓談中ですよ」
「あっ」
いっけない、また悪い癖が……!
「す、すみません、何を話してましたか!」
「うふふ、ユカが元気になってくれて良かったというお話よ」
えっと……どういう流れでそんな話になったのかよく分からないんですけど。
困ってしまって笑って誤魔化せば、ビュスコー子爵がくすりと笑いつつ「そういえば」と話題を転換してくれる。
「伯爵、先ほどの続きですが、例のジテンシャの普及には後どれくらいかかりますか? ぜひ私にも売ってくださると嬉しいのですが」
「量産できるほどの体制が整っていないからもう少し待て」
「それは残念です」
聞き逃せない単語が話題に上がってる。思わず顔をあげてまじまじとビュスコー子爵の顔を見てしまった。
「自転車が欲しいのですか?」
「ええ。貴女は知っていますか? ジテンシャの利便さ……いいえジテンシャが秘めた素晴らしき可能性を」
ビュスコー子爵がおもちゃを前にした子供のように目を輝かせる。
え、いったい何がビュスコー子爵のツボにはまったの?
「ジテンシャを開発した人はとんでもなく頭が良い人なのでしょう。馬の代替となる移動手段を産み出したのですから。人間が意思を吹き込む鉄の馬、呼吸をしない馬など、この国の人間は存在すら思い付かなかった。だから今までジテンシャなるものは生まれなかった。そうですよね?」
「は、はい」
「馬は飼育に時間がかかる。餌代はもちろん、人件費も嵩張る。それが今後ジテンシャの台頭によって削減できるようになる。そうすればしがない貧乏貴族の私にとって願ったりかなったりです」
び、貧乏貴族……?
流暢に語るビュスコー子爵。いやあの、貧乏とは何が基準なんだろう。このお屋敷、美味しいご飯も出るし、メイドさんも執事さんもきちんといらっしゃる。お屋敷の中も清潔で、伯爵夫妻を招いてもてなすくらいの余裕があるように見えるのに?
貴族の財政事情はよく分からない。
「と、まぁ冗談は置いておき」
「え、冗談だったんですか?」
「ははは」
え? ちょ、どこからが冗談? 貧乏貴族? 貧乏貴族の所だよね?
ちょっと面食らっていれば、ビュスコー子爵が面白そうに笑う。貴族流ジョークはまだ私には早かった……。
「馬の飼育による手間暇投資代、そして最終的な乗り手の絶対数を考えると、ジテンシャは格段に普及をして欲しいものではありますが、それ以上に私はその構造に惹かれますね」
楽しそうにビュスコー子爵は目をすがめると、二杯目の紅茶を飲む。私もせっかく出されたのだからと、今思い出した紅茶に手を伸ばした。
「あの歯車が噛み合い一つの回転で他が連動するあの仕組み、あれは非常に興味深い。あれは色々と応用が効くとは思いませんか? なので伯爵、技術を一部私に売って欲しいのです」
「考えておこう」
そっけない伯爵の態度にビュスコー子爵はやれやれと嘆息した。期待していた返事ではなかったらしい。ちょっと残念そうだ。
私としては自転車以外にも思いつくならどんどん利用していって欲しい。ビュスコー子爵が言っているのはたぶんチェーンの所でしょう? 複雑な滑車みたいなものだから、利用しようと思えば色々と利用できるのは間違いないと思うし。
「まぁジテンシャについてはまた追々……。ところでユカ嬢。これから社交シーズンのために王都へ行くのでしょう? 男性が苦手と聞きました。王都にはとんでもなく不吉な魔物がおりますので、お気をつけください」
「魔物ですか?」
突然の話題転換に目をぱちくりさせる。天降り以外にファンタジーらしい要素のない世界だと思っていたけど、魔物もいるの?
きょとんとしていると、ビュスコー子爵は少し前屈みになって自分の膝に腕をつき、顔だけ私の方へと向けた。
「話には聞いていると思いますが、オージェ伯爵家のご子息の事ですよ。あの人はとことん女性関係が緩いですから。同じ屋根の下、ユカ嬢もお気をつけて」
オージェ伯爵の一人息子、と聞いただけで鳥肌がぶわって立ってしまった。顔がひきつって、じりじりとビュスコー子爵から距離をとる。
ビュスコー子爵が後ずさる私に気がついて、不思議そうに姿勢をただす。
「ユカ嬢?」
「子爵」
声をかけてくれたビュスコー子爵を、ミリッツァ様が遮った。
優雅にティーカップの中身を揺らして香りを嗜みながら、ミリッツァ様がビュスコー子爵をたしなめてくれる。
「愚息の事はユカには鬼門ですわ。わたくしもアレが我が家の一粒種でなければとっくに勘当している頃ですの。アレとユカを一つ屋根の下に置くことはしませんわ」
「……何かあったのでしょうか。そういえば去年、社交の時期に伯爵方と入れ替わるようにロワイエ様が泊まっていかれましたが」
「うふふ、秘密ですわ」
深追いはするなと牽制するミリッツァ様に、訝しげな表情を向けるビュスコー子爵。伯爵家も好んであの変態の醜聞を広めたくないだろうから仕方ないけど、それが返って意味ありげに見せてしまう。
「賊が領内に押し入り、ロワイエ様は次期当主として後始末をされていたと聞いたのですが、実際はどうだったんですか?」
「だから秘密ですの。去年の事を今さら掘り返すなんて無意味ですわ。あれは伯爵家としても度しがたく、苦い出来事でしたから」
ビュスコー子爵の探りに堂々と正面から交わすミリッツァ様。貴族は腹芸で生きてるとミリッツァ様は言っていたけど、この人は割りと直球勝負……いやそうでもない? 変態男の話に触れているようで襲撃事件の事にしか触れていない? あれ逆?
……ケースバイケースという言葉が今以上に相応しい場所もないぁ。私は二人の応酬を聞きながら、未だ鳥肌の消えていない腕をさすった。
擦っているうちに鳥肌は消えてほっとした。良かった。不意打ちで名前聞くだけでも体が拒否反応示すんだもん。きっと今後も名前なんてあちこちで聞くかもしれないし、これはちょっと心構えをしておかないといけないかな。
せっかくのお茶会だ。不穏なものより楽しい話題の方が断然いい。
笑顔で牽制し合うビュスコー子爵とミリッツァ様を遮って、私は話題を振り直すべく、どんな内容を振れば良いのかと思案を巡らせた。
結局その日は一日中雨で、お茶会と称して朝から晩までほぼずっとあれこれ討論みたいになっていた。特に、ビュスコー子爵とミリッツァ様が。
私もあれくらい積極的に喋ったり、ミリッツァ様のようにあれこれ意見できるようになれたら格好いいだろうになぁとちょっと思う。でも私があそこまでの領域になるには難しいよね。マニュアル通りに対応するだけのサービス業のアルバイトが懐かしく感じる。
嵐は一日で過ぎ去った。
これが伯爵家だけなら予定をいくらでもおしても問題なかったけれど、伯爵家の別邸に行く前に私をアンリの実家に送り届けないといけない。嵐で一日遅れてしまったので、アンリが心配しているかも。
翌朝、私は出立前に丁寧な対応をしてくれたビュスコー子爵にきちんと目を向けて感謝の言葉を述べた。
ビュスコー子爵は「また近いうちに」と白い歯を見せて笑ってくれた。
でもやっぱり慣れないことには緊張するわけで。
応接室の扉の前で緊張を解していたら、ベルさんに笑われてしまった。二十五にもなって、恥ずかし……!
ちょっと頬が熱いけど、ベルさんに扉を開けてもらって中へと入る。
「遅くなりました。申し訳ありません」
「いいえ。そんな堅苦しいものではありませんので、お気になさらず」
一礼すれば、ビュスコー子爵は爽やかに笑って二人がけのソファから立ち上がった。こちらに踏み出そうとして、何かに気がついたように踏み止まる。不思議に思いつつも、ベルさんに促されて、ビュスコー子爵の隣に不自然ではないくらいの距離を開けて座った。ビュスコー子爵も私が座ったのを見届けてから座る。
ミリッツァ様とダミエル様も同じテーブルに着いていて、二人がけのソファに座っている。視線だけでティーカップの中身を覗けば、どれも底が見えていた。
「ベル、お茶を」
「かしこまりました」
ベルさんがミリッツァ様の指示で私用の新しいティーカップと他のお三方のお代わりを用意してくれる。ビュスコー子爵のメイドさんも、ベルさんと一緒に用意をしてくれた。
新しいお茶が用意されるのを待つ間、ミリッツァ様が口紅たっぷりの唇をつり上げて、くすりと笑う。
「ユカ、席代わりましょうか?」
「いえ、だ、大丈夫です」
ミリッツァ様の冗談に体が強張った。いや、あの、ちょっと……さすがにダミエル様のお隣に座る勇気はないです。
「そう、ならダミエルと代わりましょうか?」
「お気遣い、ありがとうございます。でも本当に大丈夫ですから」
ミリッツァ様は厳しいところもあるけれど、十分優しい人。今の言葉って、私がビュスコー子爵に対して緊張してるのが分かっているからだと思う。
ミリッツァ様に甘えることだってできるけど、こうみえても私は大人なの。甘えるばかりでは世の中を渡れないことなんてとっくに分かってる。
異世界に来て、私の周りは優しい人ばかりだった。
それに甘えていた部分もあるし、それで救われた事も沢山あるのだって分かってる。
理解した上で、私は自立しなくちゃいけないんだ。
ずっとずっと、私が思っていること。
私のこの世界の目標の一つ。
緊張を必要以上に表に出さないように腹を据える。
大丈夫、ビュスコー子爵は隣にいるだけ。ソファの都合で座ってるだけ。空きスペースに添えてるだけ。
それともビュスコー子爵の顔を、発表会とかでよくやるような感じにカボチャに見立ててみようかな?
ハンサムなカボチャ……え、どんな感じ?
「ユカ?」
「…………」
「ユカ嬢、気分でもすぐれないのですか?」
「…………」
カボチャがハンサムになるには、ジャックオーランタンの顔のパーツの配置によるのかな。それとも色? 緑? オレンジ? オレンジが主流だけど、緑の方がハンサムっぽい色よね?
「本調子に戻ったか」
「そうみたいですわね。心配しておりましたけど、これなら一安心ですわ」
「どういうことです?」
「本来のユカさんは少々ぼんやり……いいえ思慮深いところがありますの。こうやって今のようにちょっと唇を尖らせている時は思考に耽っている時ですわ。……まぁ、その内容は良し悪しなんですけれど。ベル」
「心得ております」
緑色のカボチャをビュスコー子爵に被せてもいまいちハンサムなカボチャにはならない。それならビュスコー子爵の顔を緑にしてカボチャっぽい凹凸をつけてみよう……としたところで、不意に肩をとんとんとつつかれた。
「はい」
「お嬢様。ご歓談中ですよ」
「あっ」
いっけない、また悪い癖が……!
「す、すみません、何を話してましたか!」
「うふふ、ユカが元気になってくれて良かったというお話よ」
えっと……どういう流れでそんな話になったのかよく分からないんですけど。
困ってしまって笑って誤魔化せば、ビュスコー子爵がくすりと笑いつつ「そういえば」と話題を転換してくれる。
「伯爵、先ほどの続きですが、例のジテンシャの普及には後どれくらいかかりますか? ぜひ私にも売ってくださると嬉しいのですが」
「量産できるほどの体制が整っていないからもう少し待て」
「それは残念です」
聞き逃せない単語が話題に上がってる。思わず顔をあげてまじまじとビュスコー子爵の顔を見てしまった。
「自転車が欲しいのですか?」
「ええ。貴女は知っていますか? ジテンシャの利便さ……いいえジテンシャが秘めた素晴らしき可能性を」
ビュスコー子爵がおもちゃを前にした子供のように目を輝かせる。
え、いったい何がビュスコー子爵のツボにはまったの?
「ジテンシャを開発した人はとんでもなく頭が良い人なのでしょう。馬の代替となる移動手段を産み出したのですから。人間が意思を吹き込む鉄の馬、呼吸をしない馬など、この国の人間は存在すら思い付かなかった。だから今までジテンシャなるものは生まれなかった。そうですよね?」
「は、はい」
「馬は飼育に時間がかかる。餌代はもちろん、人件費も嵩張る。それが今後ジテンシャの台頭によって削減できるようになる。そうすればしがない貧乏貴族の私にとって願ったりかなったりです」
び、貧乏貴族……?
流暢に語るビュスコー子爵。いやあの、貧乏とは何が基準なんだろう。このお屋敷、美味しいご飯も出るし、メイドさんも執事さんもきちんといらっしゃる。お屋敷の中も清潔で、伯爵夫妻を招いてもてなすくらいの余裕があるように見えるのに?
貴族の財政事情はよく分からない。
「と、まぁ冗談は置いておき」
「え、冗談だったんですか?」
「ははは」
え? ちょ、どこからが冗談? 貧乏貴族? 貧乏貴族の所だよね?
ちょっと面食らっていれば、ビュスコー子爵が面白そうに笑う。貴族流ジョークはまだ私には早かった……。
「馬の飼育による手間暇投資代、そして最終的な乗り手の絶対数を考えると、ジテンシャは格段に普及をして欲しいものではありますが、それ以上に私はその構造に惹かれますね」
楽しそうにビュスコー子爵は目をすがめると、二杯目の紅茶を飲む。私もせっかく出されたのだからと、今思い出した紅茶に手を伸ばした。
「あの歯車が噛み合い一つの回転で他が連動するあの仕組み、あれは非常に興味深い。あれは色々と応用が効くとは思いませんか? なので伯爵、技術を一部私に売って欲しいのです」
「考えておこう」
そっけない伯爵の態度にビュスコー子爵はやれやれと嘆息した。期待していた返事ではなかったらしい。ちょっと残念そうだ。
私としては自転車以外にも思いつくならどんどん利用していって欲しい。ビュスコー子爵が言っているのはたぶんチェーンの所でしょう? 複雑な滑車みたいなものだから、利用しようと思えば色々と利用できるのは間違いないと思うし。
「まぁジテンシャについてはまた追々……。ところでユカ嬢。これから社交シーズンのために王都へ行くのでしょう? 男性が苦手と聞きました。王都にはとんでもなく不吉な魔物がおりますので、お気をつけください」
「魔物ですか?」
突然の話題転換に目をぱちくりさせる。天降り以外にファンタジーらしい要素のない世界だと思っていたけど、魔物もいるの?
きょとんとしていると、ビュスコー子爵は少し前屈みになって自分の膝に腕をつき、顔だけ私の方へと向けた。
「話には聞いていると思いますが、オージェ伯爵家のご子息の事ですよ。あの人はとことん女性関係が緩いですから。同じ屋根の下、ユカ嬢もお気をつけて」
オージェ伯爵の一人息子、と聞いただけで鳥肌がぶわって立ってしまった。顔がひきつって、じりじりとビュスコー子爵から距離をとる。
ビュスコー子爵が後ずさる私に気がついて、不思議そうに姿勢をただす。
「ユカ嬢?」
「子爵」
声をかけてくれたビュスコー子爵を、ミリッツァ様が遮った。
優雅にティーカップの中身を揺らして香りを嗜みながら、ミリッツァ様がビュスコー子爵をたしなめてくれる。
「愚息の事はユカには鬼門ですわ。わたくしもアレが我が家の一粒種でなければとっくに勘当している頃ですの。アレとユカを一つ屋根の下に置くことはしませんわ」
「……何かあったのでしょうか。そういえば去年、社交の時期に伯爵方と入れ替わるようにロワイエ様が泊まっていかれましたが」
「うふふ、秘密ですわ」
深追いはするなと牽制するミリッツァ様に、訝しげな表情を向けるビュスコー子爵。伯爵家も好んであの変態の醜聞を広めたくないだろうから仕方ないけど、それが返って意味ありげに見せてしまう。
「賊が領内に押し入り、ロワイエ様は次期当主として後始末をされていたと聞いたのですが、実際はどうだったんですか?」
「だから秘密ですの。去年の事を今さら掘り返すなんて無意味ですわ。あれは伯爵家としても度しがたく、苦い出来事でしたから」
ビュスコー子爵の探りに堂々と正面から交わすミリッツァ様。貴族は腹芸で生きてるとミリッツァ様は言っていたけど、この人は割りと直球勝負……いやそうでもない? 変態男の話に触れているようで襲撃事件の事にしか触れていない? あれ逆?
……ケースバイケースという言葉が今以上に相応しい場所もないぁ。私は二人の応酬を聞きながら、未だ鳥肌の消えていない腕をさすった。
擦っているうちに鳥肌は消えてほっとした。良かった。不意打ちで名前聞くだけでも体が拒否反応示すんだもん。きっと今後も名前なんてあちこちで聞くかもしれないし、これはちょっと心構えをしておかないといけないかな。
せっかくのお茶会だ。不穏なものより楽しい話題の方が断然いい。
笑顔で牽制し合うビュスコー子爵とミリッツァ様を遮って、私は話題を振り直すべく、どんな内容を振れば良いのかと思案を巡らせた。
結局その日は一日中雨で、お茶会と称して朝から晩までほぼずっとあれこれ討論みたいになっていた。特に、ビュスコー子爵とミリッツァ様が。
私もあれくらい積極的に喋ったり、ミリッツァ様のようにあれこれ意見できるようになれたら格好いいだろうになぁとちょっと思う。でも私があそこまでの領域になるには難しいよね。マニュアル通りに対応するだけのサービス業のアルバイトが懐かしく感じる。
嵐は一日で過ぎ去った。
これが伯爵家だけなら予定をいくらでもおしても問題なかったけれど、伯爵家の別邸に行く前に私をアンリの実家に送り届けないといけない。嵐で一日遅れてしまったので、アンリが心配しているかも。
翌朝、私は出立前に丁寧な対応をしてくれたビュスコー子爵にきちんと目を向けて感謝の言葉を述べた。
ビュスコー子爵は「また近いうちに」と白い歯を見せて笑ってくれた。
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ユカとアンリの姫初め小説は こちら
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