異世界は都合よくまわらない!

采火

文字の大きさ
上 下
55 / 101
ファウルダース侯爵家結婚編

王都へ4

しおりを挟む
いざ、社交と意気込んで部屋を出た。
でもやっぱり慣れないことには緊張するわけで。
応接室の扉の前で緊張を解していたら、ベルさんに笑われてしまった。二十五にもなって、恥ずかし……!

ちょっと頬が熱いけど、ベルさんに扉を開けてもらって中へと入る。

「遅くなりました。申し訳ありません」
「いいえ。そんな堅苦しいものではありませんので、お気になさらず」

一礼すれば、ビュスコー子爵は爽やかに笑って二人がけのソファから立ち上がった。こちらに踏み出そうとして、何かに気がついたように踏み止まる。不思議に思いつつも、ベルさんに促されて、ビュスコー子爵の隣に不自然ではないくらいの距離を開けて座った。ビュスコー子爵も私が座ったのを見届けてから座る。
ミリッツァ様とダミエル様も同じテーブルに着いていて、二人がけのソファに座っている。視線だけでティーカップの中身を覗けば、どれも底が見えていた。

「ベル、お茶を」
「かしこまりました」

ベルさんがミリッツァ様の指示で私用の新しいティーカップと他のお三方のお代わりを用意してくれる。ビュスコー子爵のメイドさんも、ベルさんと一緒に用意をしてくれた。

新しいお茶が用意されるのを待つ間、ミリッツァ様が口紅たっぷりの唇をつり上げて、くすりと笑う。

「ユカ、席代わりましょうか?」
「いえ、だ、大丈夫です」

ミリッツァ様の冗談に体が強張った。いや、あの、ちょっと……さすがにダミエル様のお隣に座る勇気はないです。

「そう、ならダミエルと代わりましょうか?」
「お気遣い、ありがとうございます。でも本当に大丈夫ですから」

ミリッツァ様は厳しいところもあるけれど、十分優しい人。今の言葉って、私がビュスコー子爵に対して緊張してるのが分かっているからだと思う。
ミリッツァ様に甘えることだってできるけど、こうみえても私は大人なの。甘えるばかりでは世の中を渡れないことなんてとっくに分かってる。

異世界に来て、私の周りは優しい人ばかりだった。
それに甘えていた部分もあるし、それで救われた事も沢山あるのだって分かってる。

理解した上で、私は自立しなくちゃいけないんだ。
ずっとずっと、私が思っていること。
私のこの世界の目標の一つ。

緊張を必要以上に表に出さないように腹を据える。
大丈夫、ビュスコー子爵は隣にいるだけ。ソファの都合で座ってるだけ。空きスペースに添えてるだけ。
それともビュスコー子爵の顔を、発表会とかでよくやるような感じにカボチャに見立ててみようかな?
ハンサムなカボチャ……え、どんな感じ?

「ユカ?」
「…………」
「ユカ嬢、気分でもすぐれないのですか?」
「…………」

カボチャがハンサムになるには、ジャックオーランタンの顔のパーツの配置によるのかな。それとも色? 緑? オレンジ? オレンジが主流だけど、緑の方がハンサムっぽい色よね?

「本調子に戻ったか」
「そうみたいですわね。心配しておりましたけど、これなら一安心ですわ」
「どういうことです?」
「本来のユカさんは少々ぼんやり……いいえ思慮深いところがありますの。こうやって今のようにちょっと唇を尖らせている時は思考に耽っている時ですわ。……まぁ、その内容は良し悪しなんですけれど。ベル」
「心得ております」

緑色のカボチャをビュスコー子爵に被せてもいまいちハンサムなカボチャにはならない。それならビュスコー子爵の顔を緑にしてカボチャっぽい凹凸をつけてみよう……としたところで、不意に肩をとんとんとつつかれた。

「はい」
「お嬢様。ご歓談中ですよ」
「あっ」

いっけない、また悪い癖が……!

「す、すみません、何を話してましたか!」
「うふふ、ユカが元気になってくれて良かったというお話よ」

えっと……どういう流れでそんな話になったのかよく分からないんですけど。
困ってしまって笑って誤魔化せば、ビュスコー子爵がくすりと笑いつつ「そういえば」と話題を転換してくれる。

「伯爵、先ほどの続きですが、例のジテンシャの普及には後どれくらいかかりますか? ぜひ私にも売ってくださると嬉しいのですが」
「量産できるほどの体制が整っていないからもう少し待て」
「それは残念です」

聞き逃せない単語が話題に上がってる。思わず顔をあげてまじまじとビュスコー子爵の顔を見てしまった。

「自転車が欲しいのですか?」
「ええ。貴女は知っていますか? ジテンシャの利便さ……いいえジテンシャが秘めた素晴らしき可能性を」

ビュスコー子爵がおもちゃを前にした子供のように目を輝かせる。
え、いったい何がビュスコー子爵のツボにはまったの?

「ジテンシャを開発した人はとんでもなく頭が良い人なのでしょう。馬の代替となる移動手段を産み出したのですから。人間が意思を吹き込む鉄の馬、呼吸をしない馬など、この国の人間は存在すら思い付かなかった。だから今までジテンシャなるものは生まれなかった。そうですよね?」
「は、はい」
「馬は飼育に時間がかかる。餌代はもちろん、人件費も嵩張る。それが今後ジテンシャの台頭によって削減できるようになる。そうすればしがない貧乏貴族の私にとって願ったりかなったりです」

び、貧乏貴族……?
流暢に語るビュスコー子爵。いやあの、貧乏とは何が基準なんだろう。このお屋敷、美味しいご飯も出るし、メイドさんも執事さんもきちんといらっしゃる。お屋敷の中も清潔で、伯爵夫妻を招いてもてなすくらいの余裕があるように見えるのに?
貴族の財政事情はよく分からない。

「と、まぁ冗談は置いておき」
「え、冗談だったんですか?」
「ははは」

え? ちょ、どこからが冗談? 貧乏貴族? 貧乏貴族の所だよね?
ちょっと面食らっていれば、ビュスコー子爵が面白そうに笑う。貴族流ジョークはまだ私には早かった……。

「馬の飼育による手間暇投資代、そして最終的な乗り手の絶対数を考えると、ジテンシャは格段に普及をして欲しいものではありますが、それ以上に私はその構造に惹かれますね」

楽しそうにビュスコー子爵は目をすがめると、二杯目の紅茶を飲む。私もせっかく出されたのだからと、今思い出した紅茶に手を伸ばした。

「あの歯車が噛み合い一つの回転で他が連動するあの仕組み、あれは非常に興味深い。あれは色々と応用が効くとは思いませんか? なので伯爵、技術を一部私に売って欲しいのです」
「考えておこう」

そっけない伯爵の態度にビュスコー子爵はやれやれと嘆息した。期待していた返事ではなかったらしい。ちょっと残念そうだ。
私としては自転車以外にも思いつくならどんどん利用していって欲しい。ビュスコー子爵が言っているのはたぶんチェーンの所でしょう? 複雑な滑車みたいなものだから、利用しようと思えば色々と利用できるのは間違いないと思うし。

「まぁジテンシャについてはまた追々……。ところでユカ嬢。これから社交シーズンのために王都へ行くのでしょう? 男性が苦手と聞きました。王都にはとんでもなく不吉な魔物がおりますので、お気をつけください」
「魔物ですか?」

突然の話題転換に目をぱちくりさせる。天降り以外にファンタジーらしい要素のない世界だと思っていたけど、魔物もいるの?

きょとんとしていると、ビュスコー子爵は少し前屈みになって自分の膝に腕をつき、顔だけ私の方へと向けた。

「話には聞いていると思いますが、オージェ伯爵家のご子息の事ですよ。あの人はとことん女性関係が緩いですから。同じ屋根の下、ユカ嬢もお気をつけて」

オージェ伯爵の一人息子、と聞いただけで鳥肌がぶわって立ってしまった。顔がひきつって、じりじりとビュスコー子爵から距離をとる。
ビュスコー子爵が後ずさる私に気がついて、不思議そうに姿勢をただす。

「ユカ嬢?」
「子爵」

声をかけてくれたビュスコー子爵を、ミリッツァ様が遮った。
優雅にティーカップの中身を揺らして香りを嗜みながら、ミリッツァ様がビュスコー子爵をたしなめてくれる。

「愚息の事はユカには鬼門ですわ。わたくしもアレが我が家の一粒種でなければとっくに勘当している頃ですの。アレとユカを一つ屋根の下に置くことはしませんわ」
「……何かあったのでしょうか。そういえば去年、社交の時期に伯爵方と入れ替わるようにロワイエ様が泊まっていかれましたが」
「うふふ、秘密ですわ」

深追いはするなと牽制するミリッツァ様に、訝しげな表情を向けるビュスコー子爵。伯爵家も好んであの変態の醜聞を広めたくないだろうから仕方ないけど、それが返って意味ありげに見せてしまう。

「賊が領内に押し入り、ロワイエ様は次期当主として後始末をされていたと聞いたのですが、実際はどうだったんですか?」
「だから秘密ですの。去年の事を今さら掘り返すなんて無意味ですわ。あれは伯爵家としても度しがたく、苦い出来事でしたから」

ビュスコー子爵の探りに堂々と正面から交わすミリッツァ様。貴族は腹芸で生きてるとミリッツァ様は言っていたけど、この人は割りと直球勝負……いやそうでもない? 変態男の話に触れているようで襲撃事件の事にしか触れていない? あれ逆?
……ケースバイケースという言葉が今以上に相応しい場所もないぁ。私は二人の応酬を聞きながら、未だ鳥肌の消えていない腕をさすった。

擦っているうちに鳥肌は消えてほっとした。良かった。不意打ちで名前聞くだけでも体が拒否反応示すんだもん。きっと今後も名前なんてあちこちで聞くかもしれないし、これはちょっと心構えをしておかないといけないかな。

せっかくのお茶会だ。不穏なものより楽しい話題の方が断然いい。
笑顔で牽制し合うビュスコー子爵とミリッツァ様を遮って、私は話題を振り直すべく、どんな内容を振れば良いのかと思案を巡らせた。



結局その日は一日中雨で、お茶会と称して朝から晩までほぼずっとあれこれ討論みたいになっていた。特に、ビュスコー子爵とミリッツァ様が。

私もあれくらい積極的に喋ったり、ミリッツァ様のようにあれこれ意見できるようになれたら格好いいだろうになぁとちょっと思う。でも私があそこまでの領域になるには難しいよね。マニュアル通りに対応するだけのサービス業のアルバイトが懐かしく感じる。

嵐は一日で過ぎ去った。
これが伯爵家だけなら予定をいくらでもおしても問題なかったけれど、伯爵家の別邸に行く前に私をアンリの実家に送り届けないといけない。嵐で一日遅れてしまったので、アンリが心配しているかも。

翌朝、私は出立前に丁寧な対応をしてくれたビュスコー子爵にきちんと目を向けて感謝の言葉を述べた。
ビュスコー子爵は「また近いうちに」と白い歯を見せて笑ってくれた。


しおりを挟む
ユカとアンリの姫初め小説は こちら
感想 5

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

王宮医務室にお休みはありません。~休日出勤に疲れていたら、結婚前提のお付き合いを希望していたらしい騎士さまとデートをすることになりました。~

石河 翠
恋愛
王宮の医務室に勤める主人公。彼女は、連続する遅番と休日出勤に疲れはてていた。そんなある日、彼女はひそかに片思いをしていた騎士ウィリアムから夕食に誘われる。 食事に向かう途中、彼女は憧れていたお菓子「マリトッツォ」をウィリアムと美味しく食べるのだった。 そして休日出勤の当日。なぜか、彼女は怒り心頭の男になぐりこまれる。なんと、彼女に仕事を押しつけている先輩は、父親には自分が仕事を押しつけられていると話していたらしい。 しかし、そんな先輩にも実は誰にも相談できない事情があったのだ。ピンチに陥る彼女を救ったのは、やはりウィリアム。ふたりの距離は急速に近づいて……。 何事にも真面目で一生懸命な主人公と、誠実な騎士との恋物語。 扉絵は管澤捻さまに描いていただきました。 小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。

聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい

金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。 私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。 勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。 なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。 ※小説家になろうさんにも投稿しています。

処理中です...