異世界は都合よくまわらない!

采火

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オージェ伯爵邸襲撃事件編

拐われた彼女

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こってりとエリアに絞られたアンリは、ふぁぁと綺麗な顔で大口を開けながら診療所を出た。徹夜くらいどうってこともないが、眠いものは眠い。欲求に忠実にしたがってさっさと砦に帰って寝ようと思いながら通りを歩く。

不意にアンリの耳は、雑踏の中にカツカツと早い馬の蹄の音を捉えた。顔をあげ、視線を巡らせると、騎士が一騎、町中を馬で駆けてくる。
慌てて道を開ける者達のなか、アンリは目立つようにその動線に立った。

「アンリ隊長! まだ町にいたのですね」
「何があった」
「ユカ嬢が拐われました。現在目撃した巡回騎士の一人が誘拐犯を追跡、詰め所では第二部隊長の指示で出動準備中。また、今回は被害者がユカ嬢ということでアンリ隊長も追捕に加わるようにとのことです」

一瞬で眠気が吹き飛んだ。
すぐにその騎士にこの後どうするのかと聞くと、砦に伝令をた答えたので、アンリはすぐさま詰め所に引き返した。

詰め所では第二部隊の隊長が部隊編成をしている。先行部隊から犯人が馬車に乗ったと連絡が来ると同時、先に砦に帰っていたガストンがやって来た。
第二部隊長はここで司令塔をするらしいので、代わりにアンリが第二部隊を率いることになる。普段自分の手足となってくれる部隊とは違うが、臨機応変に騎士たちは対応した。
すぐさま第二部隊とガストンを引き連れ、馬を駆ける。町中で馬を駆ければ何かあったのだと町の人は道を開けてくれる。その道を遠慮なくアンリは駆けた。

先ほど先行部隊が報告した地点まで行くと、先行部隊が残していった「跡」を見つけた。それを視認し、続く「跡」を追って馬を駆けさせる。
暫くすれば、先行部隊を見つけ、その遠く先に馬車を見つけた。シュロルムの町を出て、隣町へと続く街道でだ。

先行部隊を組み込んだアンリは、そのまま馬車の行き先を特定すべきかと思案する。誘拐であったらすぐに殺される心配はない。何かをしようにも、あの程度の馬車ではあまり身動きもできない。捕縛するなら休憩のために止まったときか、目的地に到着してからだ。この街道の先にあるのは別の町だから、馬車は一度そこで止まるかもしれない。そこが捕縛の狙い目だろうか。

冷静に思考し、そうすべきだと結論付けたアンリは、部隊にその旨を指示しようとしたところで、人工的な残り香を嗅ぎとった。

何も五感の訓練は聴覚だけではない。嗅覚もまた、薬物取り締まりの場合に役立つからと、騎士の訓練に組み込まれている。
その訓練で研ぎ澄まされている感覚で、アンリは街道の草木土の香りとは違う「残り香」をかぎ分けた。

「……香水か?」

隣で馬を走らせるガストンも嗅ぎとったらしく眉間に眉を潜めている。

アンリは聞き覚えのあるこの香りが何だったかを、記憶の底から掘り返す。
それほど頻繁に嗅いだことはない。だけど、一度嗅いだら忘れられない極上の香り。だいぶ大気に溶けきってはいるけれど、距離を詰める度に漂うこの香り。もしや、これは。

アンリの全身から血の気が引いていく。

「総員捕縛用意! 犯人が被害者に媚薬を使用した疑いがある! 三班、四班、五班で馬車を囲み停止させろ! 二班は御者を抑えろ! 馬車が止まったら僕が乗り込む!」

行け、と合図を出せば調節して走らせていた馬達が一斉に全力疾走で飛び出した。アンリも先行する三つの班の後ろにピタリとついて、馬車が止まるのを見計らう。

指示通り騎士が馬で馬車を囲うと、御者が慌てたように馬を操る。幅を寄せれば馬が自然と足を遅くし、近くにいた騎士が馬から御者台へと飛び移って御者を気絶させた。騎士が手綱を握り、馬車を止める。

抜き身の剣を片手に、僕は馬車の扉を開けた。

途端にむわっと広がる極上の甘い香り。
まず真っ先に目に入ったのは、今まさに外に出ようとした一人の男。反射的に喉元に剣を突きつける。
馬車の中に視線を巡らせた瞬間、カッと頭に血が上る。
二人の男に押さえつけられ、虚ろな目をした自分の恋人。
殺そう。こいつら全員殺そうと剣を振るおうとしたとき、アンリの耳に、蚊の鳴くような声で彼女が自分の名を呟く声が届いた。

理性がアンリの衝動を抑える。

駄目だ、彼女の前で血を流してはいけない。

怒りにうち震える体を押さえ込んで、彼女を安心させるように笑顔を張り付けた。

「お待たせ、ユカ」

虚ろだった彼女の瞳に、光が点った気がした。





馬車の中に緊張の糸が張り巡らされる中、アンリはこの場の強者が誰かを知らしめるべく、男たちに殺気を放つ。

「まずはその汚い手を彼女から離せ」

ユカを抑えている二人の男が目配せをした。
何をするつもりかと思えば、ユカが悲鳴をあげる。

「いやぁっ」

一瞬、何をしたのか分からなかった。
だが、ユカの正面に座る男の手が動いたのは分かった。
自然と、その動作の意味を脳が理解する。

怒りが脳天から突き抜けて、心が凪いだ。
ユカの目の前で血を見せずに、残酷な場面だと分からないよう眠るように殺すにはどうすればいいのかと、脳内で算盤を弾く。

「ひっ、ジャック馬鹿刺激すんな! 俺を見殺しにする気か!?」
「何言ってんだ。ただの見殺しにはしねぇよ。まぁ最悪、お前が殺されるのと、俺らがこのメイドさんを殺すのはほぼ同時なわけだが」

にやにやと笑うジャックとか言う男。そこで気がついた。茶髪茶目のジャック。もしかしなくとも、オージェ伯爵邸襲撃事件の襲撃者の一人。

殺してやりたいが、殺せなくなった。
その上、向こうはアンリが動くよりも早くユカを殺せる自信があるのか余裕綽々だ。冷えすぎた頭で、アンリは状況を正しく把握する。

「さぁて、取引と行こうか騎士サマ。おおっと動くなよ。今から俺らはお楽しみタイムだ」
「やぁっ!」

またジャックの手が動く。
アンリの殺気が増す。

可哀想に、ジャック以外の二人の男はアンリの殺気に充てられて小刻みに震えている。
そんな中で、ジャックは取引を持ちかけた。

「俺らは知識が欲しいんだ。何か一つこのメイドさんから金になりそうなモン聞いたら返してやるさ」
「……話を聞くだけならその手をすぐにどけろ。彼女に無体を働く必要もないだろう」
「いやー、そうしてやりたいのも山々だけどな。そこの馬鹿が馬鹿やらかして今このメイドさんの体は大変なことになってるんだよ。朦朧とした中で中途半端な知識もらっても困るし、正気づかせるためだから不可抗力な? ほらメイドさん、気持ちよくなろうぜ?」
「いやぁっ!」

またジャックの手が動く。
半狂乱で首を振って抵抗しているユカを見た瞬間、構えていた剣の腹で目の前の男の頭を殴打し気絶させ、スッとジャックの首筋に剣を添える。慈悲など与えない、許さない。

「離せ」

地を這うほど低く、凍てつくほどに冷たい声。

「離せ」

腸が煮えくり返ったようにむかむかとする。全身の血液が沸騰し、今触れたら何物でも燃やし尽くせる気がした。
だからなのかもしれない。怒りで動きが鈍ったのか、ジャックの動きに反応ができず逃がしてしまう。すぐさま外の騎士に指示を飛ばした。

残ったもう一人に向き合う。残った男は特に抵抗らしい抵抗を見せずに縄についた。床の男も縄で縛って置くように指示を出す。騎士達が二人を回収するのを見届けて、アンリはユカの目の前に膝をつく。

ぼんやりと焦点の合わないユカに、アンリの胸が締め付けられる。
今度こそ間に合ったと思った。
今度こそ、彼女の心を守れると。
でもそれはアンリの驕りであり、実際にユカは怖い思いをして今こんな痛ましい姿になってしまっている。

アンリはどうかすると理性が焼ききれて今すぐにユカを、誰の手にも届かない、危険など何処にもない場所に閉じ込めてしまいたくなるのを押し止めて、彼女の衣服を整える。ふと視界の端に香炉が映った。金貨三枚分の高級品が焚かれているが、アンリは躊躇わずに外へと投げ捨てた。かしゃんと陶器の割れる軽い音がした。





その後、ユカに本心を織り混ぜながら優しく言葉をかけて安心させてから彼女をつれて外に出る。香を棄てても、媚香に冒された体はすぐには冷めない。逃走したジャックも捕縛できたとの報告が上がり、アンリは詳しいことを聞くためにユカをガストンに預け、男の元へと向かった。

腕と手首と指を縛られた三人の男は固まることの無いよう、一定の距離を取ってそれぞれ騎士に見張られている。アンリはその内のジャックの元へと目指す。

「ジャックだな。なぜ、ユカを狙った」
「そうだなぁ、良いカラダしてるから?」

素で殴ろうとしたのを止められた。アンリはもどかしく思いながらも、思考の片隅でこいつ絶対第二部隊長に拷問させようと決める。第二部隊長の拷問技術は企業秘密のために限られた者しか知らないが、生き地獄だと噂だ。間違いはない。

「おお、怖い怖い。視線だけで殺されそうだ。お前、あの姉ちゃんのイイヤツだろ? なぁ、あっちの具合ってやっぱ最高? あの姉ちゃんのアソコ、柔らかくていいよな。お前が邪魔しなければ俺がナカに入ってぐちょぐちょに犯してやれたのによ」
「……」
「隊長落ち着け!」

ジャックの胸ぐらを掴んで殴りかかろうとすれば、騎士二人がかりで抑え込まれる。アンリはジャックを睨み付けた。

「おうおう、美人さんのつり目は迫力あるなぁ」
「殺されたいのか」
「はは、んな分けねぇじゃん。捕虜は捕虜としての価値を知っているぞ?」

ジャックが嫌な顔で笑う。これにはアンリだけではなく、他の騎士も渋面だ。この男は自分に価値があると知っているからこんな強気な態度もとれる。自分が殺されたら、騎士団に有益な情報が入らないことを知っているのだ。
だからジャックは簡単にアンリを挑発する。

「普通の女とはどう違うんだろうなぁ。あの夜さっさとぶちこんでおけばなぁ。ま、どこぞのバカ息子に犯されたらしいし、俺なんかみたいなのに目をつけられて、さらにはお綺麗な騎士サマ引っかけて、もしかしかたら男を誘惑する才能があるのかね? そうしたら俺も被害者か。あの姉ちゃんの色香に充てられましたってなぁ!」

衝動のままに三度殴りかかりそうになるが、不意にこの男がここまでアンリを挑発する理由に思い至る。この男は「ユカと特別な関係」であることを知った上で、逆上させてくる。的確に、怒りのツボを抑えて。
理性が帰ってくる。たぶん今殴ったら殺してしまうところだった。

「……言い訳は砦で聞く。連れていけ」

ジャックの顔色が変わる。

「くそ、離せつってんだろ! 離すか殺すかどちらかにしやがれ!」
「離しもしないし殺しもしないよ。捕虜は捕虜としての価値があるのを知っているんだろう?」

この男は、人質を取られたとしても何の障害にも思わない類いの男だ。それは馬車でのやり取りで分かっている。
だから、砦での事情聴取、場合によっては拷問の可能性を考え、その前に逃亡、もしくはアンリを逆上させてでも殺されようとしたのだろう。何か話したら、知られたら不味いことがあるから。騎士団に有益となる情報を持っているから。

「くそ、てめぇ、あの姉ちゃんの秘密をバラされてぇか!」
「ユカは僕の恋人だ。それ以外の何者でもない」
「……へぇ、お熱いこった」

ジャックが目を細める。何か悪知恵でも働いたのか、その様子に余裕が戻ってきた。

「ならその恋人さんよ、あの姉ちゃんどうよ。故郷から遠く離れて寂しがっちゃいねぇか? 俺なら故郷へ返してやる方法を知っているぞ」
「……何?」

ぴくり、とアンリの表情が動く。そのほんのわずかの動きを見たジャックはますます笑った。

「取引しようや、俺ならあの姉ちゃんを故郷に返してやれるぞ?」

アンリは冷たい目でジャックを見る。

「ユカの故郷はこの世界の何処にもない。寝言は寝てから言え」
「今は落ちぶれてこのザマだが、俺は元々、香の大家の末席だ。人一倍、あの姉ちゃんの故郷については詳しいぞ」

アンリは周囲に目配せをする。騎士が何事かと訝しげにやり取りを見守っている。
ここにいる第二部隊の騎士は、ユカが天降り人だと知らない奴らだ。これ以上、ジャックが口を滑らす前に意識を落とすよう指示を出す。

睡眠薬を嗅がせれば、ジャックのよく回る口も閉じられた。アンリは固い表情のまま、砦に連行するように伝える。

それぞれ騎士が動き出すなか、脈打つ心臓をアンリはかきむしった。

ユカが、故郷へ帰る方法。
もしそんな方法が本当にあるのだとしたら。

……ユカはどちらを選ぶのだろう。
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