上 下
42 / 101
オージェ伯爵邸襲撃事件編

柳下のどじょう1

しおりを挟む
私はまだ、白い天井を見ることができない。

季節が進んで寒くなってきても、起きる頃には寝汗をかいている。寝苦しくて、私は常に慢性的な寝不足になっていた。

にっちもさっちもいかなくて、無理に寝ることを止めた。長い夜を一人で明かすのは寂しいけれど、悪夢を見るよりはマシだった。

夢の中で私は、伯爵のお屋敷で料理長と話している。

二人で使用人たちが使った食器を洗っている。
私は料理長の話に頷きながら、熱心にお皿を洗う。
そして何の気なしに隣の料理長を見上げれば、彼の首から上がないのだ。

私は持っていたお皿を床に落として割ってしまう。
お皿を片付けなくちゃと下を向けば、膝まで浸かる赤い海に、ぷかぷかと料理長の首が浮かぶ。
料理長は濁った瞳で私を見つめる。
私は料理長の視線から逃れようとすると、背中に何かが当たる。

後ろを振り向けば、顔に霞がかった誰かが剣をもっている。
私はその剣から逃れようとするけれど、赤い海に足をとられて滑ってしまう。
赤い海に腰を落とすと、ぬるりと何かが自分のナカに入ってくる。
ぐちゅぐちゅと私を犯そうとしてくるその感触の気持ち悪さに、慌てて腰をあげようとすると、誰かがその剣で私を突き刺す。
そうして、ロワイエ様の声でこういうのだ。

───淫乱なメイドにはお仕置きが必要ですね、と。

体に力が入らなくて、また赤い海に体が沈む。
ぷかぷかと赤い海に漂う料理長が、赤い液体にナカを犯される私を濁った目で見続ける。

そうして赤い液体に恐怖と快感を散々高められて、意識が弾けるようにして私は目覚めるのだ。

眠るのがこんなにも怖いことだと知らなかった。
それでも悪夢を見ようと見まいと、私の体は睡眠を欲する。どんなに寝たくなくても、私は眠りに落ちる。学生の時でもこんなに徹夜したことはないくらいに夜通し起きていても、結局数日もしない内に眠りに落ちてしまう。
それが苦しくて苦しくてたまらない。

でも最近では、時折悪夢が悪夢じゃなくなることがある。

悪夢のどこかで、優しい誰かが私を救ってくれるのだ。

ある時は濁った目の料理長と目が合う前に、頭を撫でるようにして目隠しがされる。
ある時は、赤い海に溺れかけたのを手を引いて引き上げてくれる。

そしてある時は、アンリが「大丈夫だ」と言って剣を持った誰かから庇うように抱き締めてくれる。

そういう時は、決まって誰かが私の側にいてくれる時だ。

今日もまた、悪夢から掬われるようにして目が覚める───。





ふと意識が浮上すると、ぱちりとアンリと目が合った。アンリが楽しそうに私の髪に指を通している。

「……おはよう?」
「おはよう、ユカ」

はて、と私は周囲を見た。寝る前のことを思い出す。確か睡眠不足から来る頭痛に限界を感じて、ちょっとだけと思って、夜も明けきらない時間帯に眠った気がする。
窓の外を見ると、外はかなり明るくて町の様子からもうお昼ぐらいなのではと当たりをつけた。

私はもう一度、ベッドの脇の椅子に座ったアンリを見つめる。

「……お仕事は?」
「昨日夜勤でさ。たまには朝会いに来てみようかと思って」

夜勤明けとは思えないくらい爽やかに笑うアンリに私はぎょっとした。

「えっ、え、いつからいたの!? 起こしてくれれば良かったのに!」
「よく寝てたから起こすのは悪いよ」
「もう昼じゃないの、アンリも夜勤明けなら眠いでしょ」
「これくらい普通だ」

徹夜明けだというのにけろりとして答えるアンリに私は脱力する。体力お化けか。私学生の時ですら徹夜した後はつらかったのに。これが若さ? いや体育会系の体力?

とにもかくにも、こんなところで油を売ってないで帰りなさいと伝えようとしたところで、アンリがそっと私の頭を撫でて相好を崩す。

「良かった、今日は顔色がいいな」

私は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
……心配かけちゃってたんだ。寝不足で悪かった顔色は、自分でもお化粧で隠せないほどだと分かっていた。

だから私は、殊更主張するようににっこりと微笑む。

「今日は良い夢を見たの。だから長く見たくてぐっすり眠れたわ」
「そっか。それはいいな。どんな夢?」
「アンリちゃんにぎゅーっとしてもらう夢」
「……どっちの?」
「ふふ」
「え、本当にどっちのさ!?」
「うふふー」

私ははぐらかすように笑う。気になるアンリが食い下がるけど、私はベッドから体を起こした。

「ほらほら、私着替えるよ。出てった出てった」
「ゆーかー」
「アンリ、私の着替え見るの? 見たいの?」
「うぐ」

アンリがもごもごと口ごもる。
私は面白くなって、悪戯心がむくりと沸いた。
ベッドの上で膝立ちになって、アンリの肩に手をおいた。
目線を合わせて、彼に問いかける。

「それとも、添い寝してくれる?」

可愛くおねだりするように小首を傾げてじっと見つめれば、アンリの目がみるみるうちに大きくなって、こくりと喉が動いた。

……やり過ぎた?
何の反応もしないアンリに、私は不安になる。
瞬きすら忘れたように動かないアンリ。
私も身動きできなくて、二人でじっと見つめ合う。ついでとばかりに私はアンリの顔を観察してみた。

無造作に束ねられた銀糸の髪は細やかで柔らかくて、所々ぴょこぴょこ跳ねている。菫の瞳はくるりと大きくて、マスカラをつけていないはずなのに睫毛が長い。額がちょっと広いのも愛嬌を感じさせる。
相変わらずの童顔と女顔。それでも私が手を置いている肩の厚みは彼が男の子だってことを否が応でも知らしめる。

アンリが緩慢な動作で私の両腕を掴む。

「……添い寝、して欲しいのかい?」

私はアンリに囚われる。
私が手の力を抜くと、アンリが私の腕を伝って腰と膝裏をさらう。

ぽふん、とベッドの上に逆戻り。
さっきと違うのは、アンリが私の上に覆い被さっていること。

……覆い被さってる?

アンリの唇が降ってくる。
吐息がすぐそこに迫ってくる。

ちょ、ちょ、ちょっと待ってー!

「ユカ、起きてる? 今日工房の日でしょ? 今迎えの子が……」

そのタイミングでエリアが部屋に入ってきた。緑のカーテンは開けられていたから、ばっちり私とアンリの姿を見られた。
エリアはぱちくりと目を瞬くと、状況を理解したのか、一つため息をつく。

「アンリ、後で裏庭集合よ」
「……」

すごく不穏なお言葉ですよエリアさん。
アンリは顔をひきつらせて、すごすごと引き下がる。ぎしっとベッドが軋んだ。

「……ユカ、工房まで送っていこうか?」
「逃がさないわよ、アンリ」
「……」

ベッドから降りたアンリの肩を、がしっとエリアが掴んだ。私は合掌。南無三。

「僕まだ何もしてないじゃないか……せっかくのユカからのお許しなのに……夜勤明けなのにこの仕打ち……」
「さーて、着替えよー」
「ユカぁ」

アンリが情けない声を出してエリアに引っ張られていくけど、私はさようならーと手を振ってぱたりと扉を閉めた。

ずるり、と扉に額を当てたまま座り込む。どくどくと、今更ながらに心臓が脈打つ。……正直、エリアが来てくれて助かった。

私はアンリの恋人になったけど、アンリとそういう体の関係になれるかは分からない。
キスは大丈夫。優しくて甘い蕩けるようなキスは、恐いことが何もない。
でも、それ以上は。
……私はアンリに淫乱と言われたくない。はしたない女だと思われたくない。

さっきだって、本当に夜勤明けで寝不足だろうアンリを気遣って、言った言葉なのにどうしてあんな風に曲解されたのか。いや、悪戯心があったのは否定しないよ? でも、アンリの事だから冗談で済ましてくれると思ったんだ。
あの状態で流されていたら、本当に添い寝だけで済まされるわけがないと本能が告げる。

やっぱり、アンリはそういうことがしたいのかな?
だから私の言葉を曲解したの?

私はぐるぐると考える。
でも、私にはまだアンリと体を繋げる覚悟がない。薬が効かない私は、当然避妊薬も効かないだろうから、そういうことは子供が本当に欲しくなったら……結婚してからするべき。

アンリも二十歳になった。日本の成人に達した。この世界では十六歳が成人だけど、やっぱり今まで築いてきた価値観は拭いされない。
彼も大人の年齢だ。子供じゃない。今までも、これからも、彼は大人。子供扱いして最後の一線を拒んでいるのは私の方。

それでも不安は募るのだ。
彼は本当に私で良いのだろうか。
何度も何度も駆け巡る思考にため息をつく。

以前、アンリに私以外の選択肢があることを教えたけれど、彼は取り合わずに頑なに私だけだと言い募ってくれた。それを、信じても良いのだろうか。一時の気の迷いではないのだろうか。

何かが邪魔をして、私は最後の一歩を踏み出せないでいる。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

明智さんちの旦那さんたちR

明智 颯茄
恋愛
 あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。  奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。  ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。  *BL描写あり  毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈 
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

一日5秒を私にください

蒼緋 玲
恋愛
【第一部】 1.2.3.4.5… 一日5秒だけで良いから この胸の高鳴りと心が満たされる理由を知りたい 長い不遇の扱いを受け、更に不治の病に冒されてしまった少女が、 初めて芽生える感情と人との繋がりを経て、 最期まで前を向いて精一杯生きていこうと邁進する第一弾。 【第二部】 境遇を悲観せず前向きに生きること、 テオルドに人を想う感情を起動させ、 周りとの関わりを経てユフィーラは命を繋いだ。 王国内での内輪揉め問題や国内部の黒い部分。 新しい命との邂逅。 人伝に拡がる保湿剤からの出逢い。 訳アリ使用人達の過去。 楽観主義でも大切な人達の為に時には牙を剥くユフィーラ。 更に拡がった世界で周りを取り込んでいくユフィーラ節第二弾。 その他外部サイトにも投稿しています

クラスでカースト最上位のお嬢様が突然僕の妹になってお兄様と呼ばれた。

新名天生
恋愛
クラスカースト最下位、存在自体録に認識されていない少年真、彼はクラス最上位、学園のアイドル、薬師丸 泉に恋をする。  身分の差、その恋を胸に秘め高校生活を過ごしていた真。  ある日真は父の再婚話しを聞かされる、物心付く前に母が死んで十年あまり、その間父一人で育てられた真は父の再婚を喜んだ。  そして初めて会う新しく出来る家族、そこに現れたのは……  兄が欲しくて欲しくて堪らなかった超ブラコンの義妹、好きで好きで堪らないクラスメイトが義理の妹になってしまった兄の物語 『妹に突然告白されたんだが妹と付き合ってどうするんだ』等、妹物しか書けない自称妹作家(笑)がまた性懲りも無く新作出しました。 『クラスでカースト最上位のお嬢様が突然僕の妹になってお兄様と呼ばれた』  二人は本当の兄妹に家族になるのか、それとも…… (なろう、カクヨムで連載中)

私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】

Lynx🐈‍⬛
恋愛
 ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。  それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。  14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。 皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。 この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。 ※Hシーンは終盤しかありません。 ※この話は4部作で予定しています。 【私が欲しいのはこの皇子】 【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】 【放浪の花嫁】 本編は99話迄です。 番外編1話アリ。 ※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。

旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜

ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉 転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!? のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました…… イケメン山盛りの逆ハーです 前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります 小説家になろう、カクヨムに転載しています

処理中です...