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オージェ伯爵邸襲撃事件編
時のうつろい5-夜の季節、月の日-
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冬を越えていく。
ルドランスは雪があまり降らない事からも分かるように、寒さは耐えられないほどじゃない。
年越しを祝う、月の日が来た。
今日は診療所の皆で一緒に過ごす。エリアもイアン君も一人暮らしだから、毎年マルスラン先生と年を越すんだって。
そこに今年は私が混ざる。エリアが嬉しそうに私をこれでもかと飾り立ててくれた。
ルドランスの伝統らしいのだけど、月の日は皆家に籠って静かに年越しを祝うんだって。それで月の日を跨いだら、女の子は晴れ着を来て外に挨拶に行く。逆に男の子は家の中から外にいる女の子に声をかけて挨拶するのが伝統なんだって。そのために月の日前日は掃除とか翌日の料理作りとかに費やす。
大晦日やって、正月はお節食べて、三が日で初詣に行く感覚に近いかな。それをルドランスでは三日あわせて「年越し」にするらしい。因みに月の日は一日中起きてるのが基本らしいので、翌日は寝不足になりがちだ。
さて、その月の日当日。今日は一日が早いんだけど、日の出ない内からエリアとお風呂に入って晴れ着を着させてもらう。
真っ赤なスカートに、刺繍を巡らせたカラフルなエプロンみたいなのをつける。それから頭はリボンを編み込みながら二つのお団子に。なんだかヨーロッパ系の民族衣装みたいでとてもメルヘンだ。
「に、似合うかな……?」
「とっても可愛いわ! アンリったら、ユカの晴れ着が見れないなんて可哀想ねぇ」
むぎゅうー、とこれまたお揃いのメルヘンな衣装に二つのお団子なエリアが私を抱き締める。このままだと頬擦りされそうな勢いなので、わたわたと脱出を図る。
「おや、可愛らしいね」
「お二人とも、よく似合ってますよー」
マルスラン先生とイアンくんが私の部屋を覗いて、晴れ着を誉めてくれる。私は満更でもなくて、頬がゆるゆると緩んだ。
ふと、視界の隅に誰かが映り込む。その誰かは朧気ながらも、ぼんやりと遠い声で私に声をかけてくる。
『よくお似合いですよ』
『ふふん、私の見立て通り寸法通り!』
『おおー、可愛いお嬢さん、これ味見してみるかい?』
『ねぇ、もっとお喋りしましょうよ。ユカはこっち!』
『こりゃー、来年の年越しも楽しみだなぁ。明日になったら俺んとこにもちゃんと挨拶来いよ!』
『何言ってるんですかぁ、ユカさんは女子と一緒に屋台巡りするんですぅ』
『来年もよろしくね!』
視界の端に、ちらりちらりと映る民族衣装の裾。視線で追いかけても、そちらには誰もいない。落ち着かなくて、きょろきょろと忙しなく視線を行ったりきたりさせる。
「ユカ?」
「大丈夫かい?」
「……え?」
ぱちんとシャボン玉が弾けるように顔をあげた。隣のエリアだけじゃなくて、部屋の入り口にいたはずのマルスラン先生まで目の前にいる。
ぱちぱちと瞬きすると、心配そうな二人の面持ちに気がつく。
それからついさっきまで聞こえていたものが何か思い出す。
あれは去年の年越しの時の記憶だ。
来年もまた年越しをしようねと約束した伯爵邸の皆の記憶。
私はゆるりと口角をあげる。今の今まで忘れていたのに……でもあのお屋敷に戻っても私の知っている使用人は誰もいない。だから今年は診療所で年越しをすると決めた。
二度と伯爵邸で私が年を越すこともないと思うと、少しだけ寂しくなる。
「朝が早くて、ちょっと眠かっただけです」
診療所の皆にはそう言って誤魔化す。
エリアもマルスラン先生もまだ気遣わしげだったけど、一応は納得してくれたようで、部屋の移動を始めた。
私はほっと息をつく。
ちょっとだけ、伯爵邸の皆の記憶でよかったなと思う。これが日本での年越しの記憶だったら、きっと私は耐えられなかった。
私がこの世界に来て、二度目の年越し。今年もこの世界にいることを思えば、やっぱり私は日本へ帰れないのかもしれない。
◇◇◇
月の日は家の者で一所に集まって、今年あった色々を話すらしい。
普通なら良い思い出も悪い思い出も話すらしいけど、私がいることで他の三人に気を遣わせてしまったらしい。あまり思い出話に花を咲かせることはなく、せっかく時間があるのだからと元の世界でのあれこれを聞かれた。
例えば、日本の年越しについて。
「ユカさんの国の年越しってどういう風なんですか?」
何気なくイアン君が聞いてくる。皆でソファでくつろいで、お茶を啜りながらの一言。
私はうーんと考えながら、ちょっと渋めの紅茶を口に含む。
「家族で過ごすってのは同じかな。大晦日っていう一年最期の日は家族皆で大掃除とお正月の準備をして、元旦になるとお節食べたり初詣に行ったりお年玉をもらったりするの」
「おしょーがつ? がんたん?」
「色々とやることがあるの? 二日だけで?」
「ううん、大晦日は一日だけ。お正月は基本的に三日間お休みをもらうかなぁ。小正月っていって十五日くらい本当はお正月行事があるんだけど、現代人は忙しくて簡略した行事だけやるの」
例えばどんな行事かとマルスラン先生に聞かれ、私は指折り数えながら説明をして行く。
お節料理、初詣、お年玉、年賀状に七草粥、鏡開きをやって、どんど焼き。
どんど焼きは正月の終わりだから、そこまでやったら一区切りだよね。
話はどんどんと変わっていき、ルドランスの晴れ着って可愛いよねって話になった。去年も、服だけは着せてもらっていたから、メルヘンなエプロンドレスに二つのお団子が伝統衣装だって私も知っている。
エリアに日本には晴れ着がないのかと聞かれたから、振り袖の話をしてあげた。でも上手くイメージができなかったみたいで、エリアもイアン君もマルスラン先生も不思議そうな顔になってしまった。申し訳ない。
「それにしてもニホンという国の年越しは盛大だねぇ。何か由来でもあるのかい?」
マルスラン先生が楽しそうにカップを傾ける。私もつられて渋いお茶を飲む。
因みにこの渋いお茶は、月の日に飲まれる定番の飲み物らしい。なんでも一日中起きていないといけないから、眠気を覚ますために飲まれるのだとか。カフェインが沢山含まれてそう。
その渋いお茶を舌で転がしつつ、私は由来かぁと記憶を漁る。大学の全学部共通の一般教養科目で、私は日本の行事に関する講義をちょっと取っていた。大晦日もお正月も教授が講義をしていたのを聴講した記憶がある。
「日本はただでさえ色んな宗教の行事を適当にお祭りにしちゃうんですよね。神道も仏教も……ええっと、幾つかの宗教がごちゃ混ぜだから、何が実際の由来かは分からなくて」
「宗教がごちゃ混ぜ?」
不思議そうなエリアに私は大きく頷く。
「世界中の宗教のお祭りとかお祝い事を真似しちゃうの。本来の日本の宗教は八百万の神っていうくらい、何にでも神様が宿っているって考え方だけどね」
「何にでも……なんだか精霊信仰みたいですね」
イアン君がお茶請けのクラッカーに手を伸ばす。食事を兼ねているから、スコーンとかクッキーの他にもチーズや薫製とかをのせた濃い味のクラッカーがお茶請けに出てる。これも月の日の風習なんだって。
ひょいっと私もチーズが乗ったクラッカーを食べる。クラッカーのしょっぱさと、チーズの濃厚な甘さがちょうど良い塩梅で美味しい。
「この世界って精霊いるの?」
「神話の一部にだね」
マルスラン先生が答える。
私はその答えに、なんとなく納得はした。
この世界には魔法がない。魔法がないなら、精霊だけいてもどうするんだろうって感じがする。そういう生き物です! って言われたら納得するだろうけど……『精霊』という響きだけで奇跡を起こしてくれるのではと思ってしまったのは否めない。もしかしたら万が一、私を元の世界に戻してくれるかもと。
「それで由来は?」
ついいつもの癖で、思考を明後日の方に飛ばしかけてた私はエリアの言葉でハッとする。そうだった、日本の年越しの由来。
「ええっと、その沢山神様がいるって考え方の一つだと思うんだけど、新年を迎えることに関しては日本のあちこちの地方に『歳神』っていう神様の話が残ってるの。神様が、新年を運んでくるっていうお話。お正月の飾りとかお節料理、後お年玉は、元々そういった神様をお迎えするためのものだったんだって」
現代人はそんなことを忘れて、お節は正月三が日の保存食程度にしか思ってない人が多そうだ。というか、私もあの講義を受けるまではお節料理は私たち人のためじゃなくて、神様の供物とか思ってもなかったもんね。
一番驚いたのはお年玉だよなぁ。子供の頃からの一番のお楽しみイベント。これが実は元々お金じゃなくて、文字通り「歳を取るためのモノ」だったらしくて、中身は餅とか地方によって違ったみたい。しかもあげ方も鬼ごっこやなまはげみたいな感じで個性的な地方が多かったと、教授が言っていた気がする。詳細は忘れた。
「新年の神様か……それは面白いねぇ」
「日本人は本当になんでも神様にしてしまうんです。……逆に聞きますけど、ルドランスの新年のお祝いにも何か由来がありますか?」
私がカップのお茶を注ぎ直しながら聞くと、エリアがクッキーを齧りながら教えてくれる。このクッキーも月の日特製で、眠気覚ましのハーブが練り込まれている。味はミント系でけっこう爽やか。
「月の日といったら、やっぱりリュンよね」
「リュン?」
それは何かと聞く前に、イアン君がにこにこと笑いながら教えてくれる。
「大昔にいたという神と人の間の子の名前です。こちらの大陸で月の日に家に閉じ籠るのはリュンに倣ってのことなんですよ」
それは大陸初と伝わる天降り人にまつわる言い伝え。
昼と夜がちょうど同じになる、月の日の境の時間。
神と人の間の子であるリュンは、天にいる父神に己の花嫁をこいねがって神殿に閉じ籠ったのだという。
すると父神は、リュンに見合う人間の花嫁を異界よりもたらした。その花嫁はリュンを愛してくれたけれど、故郷が恋しくてよく泣いてしまう。
可哀想に思ったリュンは父神に花嫁を故郷へ返してやって欲しいと願うけど、花嫁の故郷への道は一方通行で返してやることはできなかった。
その代わりに、父神は花嫁の故郷のものをリュンへともたらした。
ここでめでたしめでたしとなれば、それは幸せな物語になるんだけれど、このお話にはまだ続きがある。
リュンは神と人の間の子であるから、花嫁とは寿命が違う。やがて先に亡くなった花嫁を想い、リュンは花嫁と出会った月の日の境の時間に神殿に閉じ籠るようになった。
そうして今も、月の日の境の時間はリュンが神殿であの花嫁との幸福な日々を思い返しながら、再び彼女がもたらされるのを祈り続けている。
それはこちらの大陸の天降り起源説話みたいな話らしい。隣の大陸はまた別の話が伝わっているとか。
天降りによって幾つもの国が起こっては消えてきたこの大陸で、天地開闢……とまではいかないけど、共通するのがこの話なんだって。だから暦もそれを基準にしてどの国も作るらしい。だから月の日が年の変わり目。
「大陸中に広まってるお話なんてすごいね」
「そうかしら?」
エリアはぴんとこないのか気のない返事をするものだから、私はすごいよと言い募ろうとして、はたと気づく。
そういえば、年越しの仕方自体は日本独特のものだけど、使っている西暦は元々キリスト教由来のものじゃないか。
リュンの話もそれと同じ類いのもの? そう思えば、世界中に広がってるのもちょっと納得。
「なるほどそういうことか……」
「あのユカ? 私何も言ってないわよね?」
適当に返事したはずなのに私が一人で納得してるのが奇妙なのか、エリアが微妙な顔になってる。
私が一人で頷いている様子を見て、マルスラン先生が面白そうに喉をくつくつと震わせた。イアン君もにこにこと笑っている。
「私は時々ユカの頭を覗いてみたくなるわ……」
「あ、僕も見てみたいですね」
「へ? なんで?」
「ぼんやりしてると思ったら、突拍子のないこと考えてるときあるでしょう」
「え、そんなことないよ」
「嘘は駄目よ、だったら今考えてたこと話してみなさいよ」
むぅ、そんなに突拍子のないことでもないと思うんだけどなぁ。
そう思いつつ、西暦の話をしたら「ほらやっぱり」と笑われた。なんで!?
「リュンさんの話ってどっちかというとキリストとか西暦と同じ類いの話でしょ!?」
「間違ってはいないけど、どうして年越しの過ごし方の話から暦の話にすり変わるのよ」
「あれぇ?」
確かに?
いやでも年越しと暦って切っても切り離せなくない?
脳内でクエスチョンマークを飛ばしながら首を捻っていると、マルスラン先生が不意に窓の外を見た。
「ああ、夜が明けるね」
私たちはつられて窓の外を見る。
墨染めされていた夜空が、東の方からうっすらと紫色に染まる。紫からほんのりと薄紅に染まっていき、それから太陽が昇っていくのだろう。
その光景に、ぽつんとある随筆の一節が浮かんだ。
「……はるはあけぼの、ようようしろくなりゆくたなぎわすこしあかりて、むらさきだちたるくものほそくたなびきたる」
「え、なんですかそれ」
「呪文か何か?」
窓から視線を離したイアン君とエリアが私の方を見る。私はくすくすと笑って『枕草子』を教えてあげる。高校中学と散々暗記させられた古典文学は案外未だに覚えているものなんだね。
『枕草子』を教えていくうちに、太陽が昇ってくる。
年に一度のとても長い一日が始まった。
私は時折、窓の外に視線をやりながら、遠くへと思いを馳せる。
この長い一日に、彼の面影を感じられないのは少し寂しかった。
ルドランスは雪があまり降らない事からも分かるように、寒さは耐えられないほどじゃない。
年越しを祝う、月の日が来た。
今日は診療所の皆で一緒に過ごす。エリアもイアン君も一人暮らしだから、毎年マルスラン先生と年を越すんだって。
そこに今年は私が混ざる。エリアが嬉しそうに私をこれでもかと飾り立ててくれた。
ルドランスの伝統らしいのだけど、月の日は皆家に籠って静かに年越しを祝うんだって。それで月の日を跨いだら、女の子は晴れ着を来て外に挨拶に行く。逆に男の子は家の中から外にいる女の子に声をかけて挨拶するのが伝統なんだって。そのために月の日前日は掃除とか翌日の料理作りとかに費やす。
大晦日やって、正月はお節食べて、三が日で初詣に行く感覚に近いかな。それをルドランスでは三日あわせて「年越し」にするらしい。因みに月の日は一日中起きてるのが基本らしいので、翌日は寝不足になりがちだ。
さて、その月の日当日。今日は一日が早いんだけど、日の出ない内からエリアとお風呂に入って晴れ着を着させてもらう。
真っ赤なスカートに、刺繍を巡らせたカラフルなエプロンみたいなのをつける。それから頭はリボンを編み込みながら二つのお団子に。なんだかヨーロッパ系の民族衣装みたいでとてもメルヘンだ。
「に、似合うかな……?」
「とっても可愛いわ! アンリったら、ユカの晴れ着が見れないなんて可哀想ねぇ」
むぎゅうー、とこれまたお揃いのメルヘンな衣装に二つのお団子なエリアが私を抱き締める。このままだと頬擦りされそうな勢いなので、わたわたと脱出を図る。
「おや、可愛らしいね」
「お二人とも、よく似合ってますよー」
マルスラン先生とイアンくんが私の部屋を覗いて、晴れ着を誉めてくれる。私は満更でもなくて、頬がゆるゆると緩んだ。
ふと、視界の隅に誰かが映り込む。その誰かは朧気ながらも、ぼんやりと遠い声で私に声をかけてくる。
『よくお似合いですよ』
『ふふん、私の見立て通り寸法通り!』
『おおー、可愛いお嬢さん、これ味見してみるかい?』
『ねぇ、もっとお喋りしましょうよ。ユカはこっち!』
『こりゃー、来年の年越しも楽しみだなぁ。明日になったら俺んとこにもちゃんと挨拶来いよ!』
『何言ってるんですかぁ、ユカさんは女子と一緒に屋台巡りするんですぅ』
『来年もよろしくね!』
視界の端に、ちらりちらりと映る民族衣装の裾。視線で追いかけても、そちらには誰もいない。落ち着かなくて、きょろきょろと忙しなく視線を行ったりきたりさせる。
「ユカ?」
「大丈夫かい?」
「……え?」
ぱちんとシャボン玉が弾けるように顔をあげた。隣のエリアだけじゃなくて、部屋の入り口にいたはずのマルスラン先生まで目の前にいる。
ぱちぱちと瞬きすると、心配そうな二人の面持ちに気がつく。
それからついさっきまで聞こえていたものが何か思い出す。
あれは去年の年越しの時の記憶だ。
来年もまた年越しをしようねと約束した伯爵邸の皆の記憶。
私はゆるりと口角をあげる。今の今まで忘れていたのに……でもあのお屋敷に戻っても私の知っている使用人は誰もいない。だから今年は診療所で年越しをすると決めた。
二度と伯爵邸で私が年を越すこともないと思うと、少しだけ寂しくなる。
「朝が早くて、ちょっと眠かっただけです」
診療所の皆にはそう言って誤魔化す。
エリアもマルスラン先生もまだ気遣わしげだったけど、一応は納得してくれたようで、部屋の移動を始めた。
私はほっと息をつく。
ちょっとだけ、伯爵邸の皆の記憶でよかったなと思う。これが日本での年越しの記憶だったら、きっと私は耐えられなかった。
私がこの世界に来て、二度目の年越し。今年もこの世界にいることを思えば、やっぱり私は日本へ帰れないのかもしれない。
◇◇◇
月の日は家の者で一所に集まって、今年あった色々を話すらしい。
普通なら良い思い出も悪い思い出も話すらしいけど、私がいることで他の三人に気を遣わせてしまったらしい。あまり思い出話に花を咲かせることはなく、せっかく時間があるのだからと元の世界でのあれこれを聞かれた。
例えば、日本の年越しについて。
「ユカさんの国の年越しってどういう風なんですか?」
何気なくイアン君が聞いてくる。皆でソファでくつろいで、お茶を啜りながらの一言。
私はうーんと考えながら、ちょっと渋めの紅茶を口に含む。
「家族で過ごすってのは同じかな。大晦日っていう一年最期の日は家族皆で大掃除とお正月の準備をして、元旦になるとお節食べたり初詣に行ったりお年玉をもらったりするの」
「おしょーがつ? がんたん?」
「色々とやることがあるの? 二日だけで?」
「ううん、大晦日は一日だけ。お正月は基本的に三日間お休みをもらうかなぁ。小正月っていって十五日くらい本当はお正月行事があるんだけど、現代人は忙しくて簡略した行事だけやるの」
例えばどんな行事かとマルスラン先生に聞かれ、私は指折り数えながら説明をして行く。
お節料理、初詣、お年玉、年賀状に七草粥、鏡開きをやって、どんど焼き。
どんど焼きは正月の終わりだから、そこまでやったら一区切りだよね。
話はどんどんと変わっていき、ルドランスの晴れ着って可愛いよねって話になった。去年も、服だけは着せてもらっていたから、メルヘンなエプロンドレスに二つのお団子が伝統衣装だって私も知っている。
エリアに日本には晴れ着がないのかと聞かれたから、振り袖の話をしてあげた。でも上手くイメージができなかったみたいで、エリアもイアン君もマルスラン先生も不思議そうな顔になってしまった。申し訳ない。
「それにしてもニホンという国の年越しは盛大だねぇ。何か由来でもあるのかい?」
マルスラン先生が楽しそうにカップを傾ける。私もつられて渋いお茶を飲む。
因みにこの渋いお茶は、月の日に飲まれる定番の飲み物らしい。なんでも一日中起きていないといけないから、眠気を覚ますために飲まれるのだとか。カフェインが沢山含まれてそう。
その渋いお茶を舌で転がしつつ、私は由来かぁと記憶を漁る。大学の全学部共通の一般教養科目で、私は日本の行事に関する講義をちょっと取っていた。大晦日もお正月も教授が講義をしていたのを聴講した記憶がある。
「日本はただでさえ色んな宗教の行事を適当にお祭りにしちゃうんですよね。神道も仏教も……ええっと、幾つかの宗教がごちゃ混ぜだから、何が実際の由来かは分からなくて」
「宗教がごちゃ混ぜ?」
不思議そうなエリアに私は大きく頷く。
「世界中の宗教のお祭りとかお祝い事を真似しちゃうの。本来の日本の宗教は八百万の神っていうくらい、何にでも神様が宿っているって考え方だけどね」
「何にでも……なんだか精霊信仰みたいですね」
イアン君がお茶請けのクラッカーに手を伸ばす。食事を兼ねているから、スコーンとかクッキーの他にもチーズや薫製とかをのせた濃い味のクラッカーがお茶請けに出てる。これも月の日の風習なんだって。
ひょいっと私もチーズが乗ったクラッカーを食べる。クラッカーのしょっぱさと、チーズの濃厚な甘さがちょうど良い塩梅で美味しい。
「この世界って精霊いるの?」
「神話の一部にだね」
マルスラン先生が答える。
私はその答えに、なんとなく納得はした。
この世界には魔法がない。魔法がないなら、精霊だけいてもどうするんだろうって感じがする。そういう生き物です! って言われたら納得するだろうけど……『精霊』という響きだけで奇跡を起こしてくれるのではと思ってしまったのは否めない。もしかしたら万が一、私を元の世界に戻してくれるかもと。
「それで由来は?」
ついいつもの癖で、思考を明後日の方に飛ばしかけてた私はエリアの言葉でハッとする。そうだった、日本の年越しの由来。
「ええっと、その沢山神様がいるって考え方の一つだと思うんだけど、新年を迎えることに関しては日本のあちこちの地方に『歳神』っていう神様の話が残ってるの。神様が、新年を運んでくるっていうお話。お正月の飾りとかお節料理、後お年玉は、元々そういった神様をお迎えするためのものだったんだって」
現代人はそんなことを忘れて、お節は正月三が日の保存食程度にしか思ってない人が多そうだ。というか、私もあの講義を受けるまではお節料理は私たち人のためじゃなくて、神様の供物とか思ってもなかったもんね。
一番驚いたのはお年玉だよなぁ。子供の頃からの一番のお楽しみイベント。これが実は元々お金じゃなくて、文字通り「歳を取るためのモノ」だったらしくて、中身は餅とか地方によって違ったみたい。しかもあげ方も鬼ごっこやなまはげみたいな感じで個性的な地方が多かったと、教授が言っていた気がする。詳細は忘れた。
「新年の神様か……それは面白いねぇ」
「日本人は本当になんでも神様にしてしまうんです。……逆に聞きますけど、ルドランスの新年のお祝いにも何か由来がありますか?」
私がカップのお茶を注ぎ直しながら聞くと、エリアがクッキーを齧りながら教えてくれる。このクッキーも月の日特製で、眠気覚ましのハーブが練り込まれている。味はミント系でけっこう爽やか。
「月の日といったら、やっぱりリュンよね」
「リュン?」
それは何かと聞く前に、イアン君がにこにこと笑いながら教えてくれる。
「大昔にいたという神と人の間の子の名前です。こちらの大陸で月の日に家に閉じ籠るのはリュンに倣ってのことなんですよ」
それは大陸初と伝わる天降り人にまつわる言い伝え。
昼と夜がちょうど同じになる、月の日の境の時間。
神と人の間の子であるリュンは、天にいる父神に己の花嫁をこいねがって神殿に閉じ籠ったのだという。
すると父神は、リュンに見合う人間の花嫁を異界よりもたらした。その花嫁はリュンを愛してくれたけれど、故郷が恋しくてよく泣いてしまう。
可哀想に思ったリュンは父神に花嫁を故郷へ返してやって欲しいと願うけど、花嫁の故郷への道は一方通行で返してやることはできなかった。
その代わりに、父神は花嫁の故郷のものをリュンへともたらした。
ここでめでたしめでたしとなれば、それは幸せな物語になるんだけれど、このお話にはまだ続きがある。
リュンは神と人の間の子であるから、花嫁とは寿命が違う。やがて先に亡くなった花嫁を想い、リュンは花嫁と出会った月の日の境の時間に神殿に閉じ籠るようになった。
そうして今も、月の日の境の時間はリュンが神殿であの花嫁との幸福な日々を思い返しながら、再び彼女がもたらされるのを祈り続けている。
それはこちらの大陸の天降り起源説話みたいな話らしい。隣の大陸はまた別の話が伝わっているとか。
天降りによって幾つもの国が起こっては消えてきたこの大陸で、天地開闢……とまではいかないけど、共通するのがこの話なんだって。だから暦もそれを基準にしてどの国も作るらしい。だから月の日が年の変わり目。
「大陸中に広まってるお話なんてすごいね」
「そうかしら?」
エリアはぴんとこないのか気のない返事をするものだから、私はすごいよと言い募ろうとして、はたと気づく。
そういえば、年越しの仕方自体は日本独特のものだけど、使っている西暦は元々キリスト教由来のものじゃないか。
リュンの話もそれと同じ類いのもの? そう思えば、世界中に広がってるのもちょっと納得。
「なるほどそういうことか……」
「あのユカ? 私何も言ってないわよね?」
適当に返事したはずなのに私が一人で納得してるのが奇妙なのか、エリアが微妙な顔になってる。
私が一人で頷いている様子を見て、マルスラン先生が面白そうに喉をくつくつと震わせた。イアン君もにこにこと笑っている。
「私は時々ユカの頭を覗いてみたくなるわ……」
「あ、僕も見てみたいですね」
「へ? なんで?」
「ぼんやりしてると思ったら、突拍子のないこと考えてるときあるでしょう」
「え、そんなことないよ」
「嘘は駄目よ、だったら今考えてたこと話してみなさいよ」
むぅ、そんなに突拍子のないことでもないと思うんだけどなぁ。
そう思いつつ、西暦の話をしたら「ほらやっぱり」と笑われた。なんで!?
「リュンさんの話ってどっちかというとキリストとか西暦と同じ類いの話でしょ!?」
「間違ってはいないけど、どうして年越しの過ごし方の話から暦の話にすり変わるのよ」
「あれぇ?」
確かに?
いやでも年越しと暦って切っても切り離せなくない?
脳内でクエスチョンマークを飛ばしながら首を捻っていると、マルスラン先生が不意に窓の外を見た。
「ああ、夜が明けるね」
私たちはつられて窓の外を見る。
墨染めされていた夜空が、東の方からうっすらと紫色に染まる。紫からほんのりと薄紅に染まっていき、それから太陽が昇っていくのだろう。
その光景に、ぽつんとある随筆の一節が浮かんだ。
「……はるはあけぼの、ようようしろくなりゆくたなぎわすこしあかりて、むらさきだちたるくものほそくたなびきたる」
「え、なんですかそれ」
「呪文か何か?」
窓から視線を離したイアン君とエリアが私の方を見る。私はくすくすと笑って『枕草子』を教えてあげる。高校中学と散々暗記させられた古典文学は案外未だに覚えているものなんだね。
『枕草子』を教えていくうちに、太陽が昇ってくる。
年に一度のとても長い一日が始まった。
私は時折、窓の外に視線をやりながら、遠くへと思いを馳せる。
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