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オージェ伯爵邸襲撃事件編

時のうつろい4-ぷりんせすほーるど-

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昼夜の時間が等しくなる境の日が過ぎて、夜の季節になる。昼の季節は太陽が地上を照らす時間が長いせいか、一年で一番昼の時間が長い太陽の日はとても暑い。それとは逆にこれからは月の日に向けて段々と寒くなっていく。



木々はすっかり枯れ果てて、からりと乾いた木枯らしが吹き抜ける。
アンリが私の体が冷えないようにと、より一層その身を自分に押しつけた。

「アンリ」
「どうした? 寒い?」
「外套あるから平気……じゃなくて。下ろして欲しいんだけど」

私は懇願するようにアンリを見上げた。

「駄目。な、お姫様?」
「私は恥ずかしいんだってばっ」

寒いのにぽかぽかと頬が熱くなる。うう、さすがにこれは恥ずかしいの!
抗議の声をあげると、アンリは何を思ったのか私の鼻にちゅっとキスをした。は、鼻!

「な、なにっ」
「両手塞がってたから」
「だ、だからって鼻!」
「あはは」

ああもう何言ってもどこ吹く風!
私が唇を尖らせてみても、アンリは笑いながら意気揚々と町の通りを歩く。その様子はどことなく嬉しそうで、私はゆさゆさと揺さぶられながら、彼の腕の中で遠い目になる。

そう、お気づきでしょうか。
私、絶賛お姫様抱っこ中。

どうしてこうなったかと思い直せば、それはもうものの見事な自爆でした。

そう、それはついさっき、騎士団の詰所へ行ったときの事。
工房の試作品を騎士団に使ってもらえないかと、たまたま詰所に来ていたリオネルさんに打診をしに行ったのです。

工房の試作品とは以前開発した魔法のインク。あれの黒色バージョンが開発できたから、需要調査を兼ねて騎士団にお裾分けしに行ったのです。

今日はアンリが率いる第一部隊が昼の詰所当番だったらしく、アンリがそこにいた。
そう、晴れてお付き合いすることになったアンリがいたのです。
あの告白から幾日幾週幾月経とうと、色褪せずにそこにいるアンリは会うたびに惚れ直すくらい格好いい。ほんと、私には勿体ないくらいに。別に顔で選んだわけじゃないんだけどさ。

で、そのアンリなんだけど、一人じゃなかったの。
その腕にはフリフリのピンクのドレスを着た金髪美少女がいたの。ビスクドールみたいな!

お姫様抱っこされる美少女と美人な騎士様。
まるでお伽噺のワンシーンのよう。
思わずまじまじと見つめて「これぞまさしくお姫様抱っこ……」と呟いてしまった私は悪くないと思う。

アンリがまさかの地獄耳で私のぼそっとした呟きをものの見事に拾い「お姫様抱っこ?」と聞かれたので、横抱きのことを元の世界ではお姫様抱っこと言うことを伝えた。因みに金髪美少女はその時点で別の騎士が引き取った。
なんでもあの美少女、アンリの部下の妹さんらしい。アンリになついてるんだって。

で、私がとても微笑ましい光景だったと重ねて伝えれば、何やらアンリは逡巡して私のお仕事はもう終わりかと聞いてきた。まだだと伝えると、それなら終わったら送ってくから声をかけてと言われた。
その時点でアンリの思惑に気がつければ、私は羞恥心に苛まれることはなかったのかもしれない。

そうして今ここ。
待ち合わせたアンリにさっと膝裏をさらわれて、あっという間にお姫様抱っこされ、帰路を歩いているというわけです。

解せない……なんでアンリ、私をお姫様抱っこするの……。

「悪目立ちするからおろして」
「目立てばいいじゃないか。ユカは僕の恋人だって知らしめないと」
「必要ないでしょ?」
「いいや、必要だね。悪い虫をつけたくない」

私なんかに言い寄る奴なんていない……と思いたいけど、世の中には女ってだけで狙う輩がいるのを身をもって体験してるから、ため息だけにしておく。

「重いでしょ」
「軽いよ」
「嘘だぁ」
「あはは、なんか前にもこのやり取りやったな」
「そう?」

そんなやり取りやったっけ?
私は首を捻るけどパッと思い出せない。アンリがにこにこと嬉しそうに笑って、それから少しだけ立ち止まって私の額に頬を寄せる。

……なんだか犬にすり寄られてる気分になる。
はっ、もしやこれが年下彼氏の甘え?

「……あんりぃ」
「はいよ」

思考をあっちこっちに飛ばしたって私の羞恥心は消えてくれない。懇願するようにもう一度アンリを見上げれば、彼は上機嫌でまた歩きだす。
本当に嬉しそう。アンリが嬉しいなら私の羞恥心くらい抑えて見せたいところだけど、二十歳をとっくに過ぎてる私にリアルロマンティックは刺激が強すぎる。

ゆらゆらと揺られながら、町をいく。すれ違う人たちが微笑ましそうにこちらを見てる。私はそれにさらに頬が赤くなるのを感じた。これ絶対冷たい風のせいじゃない。

心を無にしよう、そうしよう。そうじゃないと私の羞恥心が暴れてしまう。
羊でも数えてみようかと、脳裏に柵をぴょこんと越えていく羊を思い浮かべる。羊がいっぴーき、羊がにひーき。

「なぁ、ユカ」
「ひつじ……ん? あ、はい」

何匹か数えたところでアンリから声がかけられる。何だろう。見上げると前を見据えたまま、微妙な表情のアンリがいた。

「今度僕さ、ちょっと家の用事で王都に行かないといけないんだよね」
「王都に?」
「実家からの呼び出し。兄さんの婚約祝いをするんだってさ」
「婚約? それは素敵だね。おめでとうございます」

アンリってお兄さんいるのか。初めて知ったや。寮に住んでるのは知ってたけど、実家は王都にあるんだ。

お祝いの言葉を述べると、さっきまで上機嫌だったのが転じて、真面目な表情になるアンリ。どうしたの?

「年末近いから、たぶんそのまま実家で年を越すと思う」

ルドランスでは、日本でいう冬至にあたる月の日が年越しの日。感覚としては前日が大晦日で、月の日を挟んだ翌日がお正月。年越しは月の日をはさんだ三日をかけて行うのが伝統らしい。
その三日間をアンリは家族で過ごすことになるという。家族との時間は大事だと思うし、年始年末一家団欒は日本でもよくあること。私はさらりと受け流す。

「そっか。いってらっしゃい」
「……家族にさ、ユカを紹介したいんだけど」

絞り出されるように言われた言葉に、驚く。
まじまじとアンリの顔を見つめてしまう。私を、アンリの家族に?

「気が早くない?」
「こういうのは早い内がいいんだよ」
「恋人として紹介してくれるの?」
「させてくれないと、地獄のお見合い合戦の順番が僕に回ってくる」

遠い目をするアンリに、私は目を瞬いた。

「アンリ、お見合いするの?」
「兄さんが二人とも身を固めたら、次は末っ子の僕に標的が移るのは当たり前だよ。父上は娘も欲しかったらしいから、早く僕らに結婚して可愛い奥さんを迎えて欲しいんだよ」

ほうほう、アンリは三人兄弟なのか。しかも男ばかり。
確かに男ばかりだと女の子欲しくなるよね。私の従兄弟一家が男兄弟で、叔父さんが「やっぱり娘もいいなぁ」と私を可愛がってくれたし。

でもそっかぁ、お見合いかぁ。
アンリって十九歳だよね。お兄さんが今婚約するってことは、この世界の結婚適齢期ってそんなに低くないのかもしれない。

それならまだ、間に合うかな。

「お見合いしてきたらいいよ。もし、私より可愛い子がいたら教えてね」
「は?」

アンリがぴたっと歩くのを止めた。
眉間に皺を寄せているのを見てしまい、私は苦笑してしまう。

「私なんかより若くて可愛い子がいっぱいいるかもよ?」
「僕、ユカ以外と結婚する気ないんだけど」
「えっ、結婚するの?」

びっくりして声が裏返ってしまうと、アンリが不満そうに半眼になる。

「なにその意外そうな反応」
「え……だって結婚だよ? もっと慎重に決めるべきでしょう? 私なんかよりアンリにはもっとふさわしい人がいるかもしれないのに、その人たちに会わないでいいの?」
「『私なんか』じゃない。僕がユカがいいって思ってるんだよ。恋人になってくれたから、ユカもきっとそのつもりだと思ったんだけど?」
「でも恋人と婚約者じゃ意味が違うよ」
「僕言っただろ。お腹に子供がいたって僕はユカと一緒がいいって。丸ごと愛してあげるって」
「いやでも、今はお腹に子供がいないって分かったし。アンリまだ十九歳でしょ。まだまだ素敵な出会いが待ってるかもよ? それに……」

アンリは器用に私の体を少しだけ持ち上げて、噛みつくように唇にキスをしてくる。私は思わず飛び出しがかった言葉をごくんと飲み込んでしまった。

「ユカが向こうの世界に帰ってしまった後なら、お見合いも考えるよ。でも今はユカここにいる。それにもし帰れる方法が見つかったって、僕が誘惑するのに成功するかもしれないじゃないか。それなのにユカは僕にお見合いしろって言うのかい?」
「で、でも」
「僕がユカ以外嫌なんだってば」

言いたいだけ言うと、ここはまだ町の通りだというのに、突然アンリが顔にキスの雨を降らせてくる。額に、目蓋に、頬に、唇に、アンリの唇が降ってくる。

「あああアンリここ町中!」
「分からず屋には分かってもらうまでこうするしかないだろ?」
「分かった、分かったの!」

柔らかくて熱いアンリの唇がへの字に曲がる。お姫様抱っこ以上に私の精神力が削られた。でも、それと同じくらい、私は満たされた気分になる。

アンリは付き合ってからも今までと代わりなくて、頭は撫でてくれるんだけど、あんまりキスはしてくれなかった。だから今までしてくれなかった分のキスの貯金が一気に卸されたような気分になって、ちょっぴり嬉しい。

羞恥と嬉しさがまぜこぜになって、私はアンリの唇から逃れて彼の胸に顔を埋めた。心持ち、アンリの腕に力が入る。

「で、ユカ。家族に紹介させてくれる? 一緒に王都に行こう」

アンリがもう一度私に尋ねる。
私はふるふると頭を振った。

「……ごめん、王都は、まだ無理」
「そっか」
「でも、ご両親にはよろしく伝えてね。なんならお手紙書くよ」
「いいよ、そこまでしなくても」

アンリの言葉と共に、ふんわりと髪に熱い吐息がかかる。

「ユカの両親にもいつか挨拶できたら良いんだけどな」
「それ、挨拶できる状態になったらそのまま私帰っちゃうかもよ?」
「そうなったら僕も着いてくよ。むしろユカの世界で暮らすのもアリ」
「えー、アンリのその見た目だとすごく目立ちそう」
「そんなに?」
「だって私の国は右見ても左見ても黒髪黒目だよ?」
「まじか!」

そこから話はそれていって私の家族の話になる。父母私の三人家族。仲が良くて、新卒でようやく一人暮らしを始めたばかりだったけど、休みの日にはしょっちゅう家に帰っていた。

そんな事を話ながら、私はアンリに対してほんのすこしの罪悪感を持つ。

ごめんね、アンリ。
もし、私が「いつか」の未来を選んだら、その時は改めて、家族に紹介してほしい。

私が王都行きを拒んだのは、まだシュロルムから出る勇気がないから。
どこか遠いところへはまだ行きたくない。
遠いところに行って、帰ってこられなかったらと思ってしまうから。

私はこの世界で生きる覚悟を持ったけれど、それでもまだ前の世界に未練を持っている。

私はアンリに言葉にしては伝えなかったけど、きっとアンリはその事を分かってくれていたと思う。決して食い下がることはしなかったから。もしこれで呆れられたとしても構わなかったけど、アンリはそんな素振り私には見せなくて、やっぱりアンリは優しかった。

それに、もう一つの懸念もある。
この世界で、私はきっとアンリがいないと息も上手くできなくなってしまうだろうけど、アンリはそうじゃないかもしれないということ。だから恋人になった今は、それが怖くて予防線を張ってしまう。
私の心に根づいたそれは、変わらないアンリに安堵する反面、アンリの心変わりをひどく恐れさせる。アンリに見捨てられるのが、とても怖い。

アンリの言葉に偽りはない。その時々の本心を語ってくれる。
だけど、この世の中には絶対がないから。
五つも上のお姉さんなんて、若い子に色々と負けちゃうから、自信がないんだよ。

内心を隠しながらもつらつらと話しているうちに、お姫様抱っこのまま私は診療所にたどり着いた。その頃には私の王都行きの話はなくなっていて、その後二度とアンリがその話題を出すことはなかった。

結局アンリは年末近くに一人で王都へと出掛けて行った。





───因みに余談だけど、この出来事の後暫くして、エリアからアンリに「キス魔」という通り名がついたことを聞いた。

あれだけ町中でちゅっちゅっしてればそうなりますよね!
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