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オージェ伯爵邸襲撃事件編

ご主人様と天落香2

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いつものメイドお団子はそのままに、アイボリーのワンピースの裾が歩くたびにふんわりと揺れた。

市に来た私はロワイエ様の強制的好意でエスコートされました。具体的に言うと馬車から降りるときに手を差し出されて、そのまま握られてしまった。いやいやいや、ご主人様それはどうよ。

「えっと、ロワイエ様。手を離してくださると嬉しいんですけど……」
「ふふ、メイド服を脱いだ貴女は私のメイドではなく可愛い一人の女の子なんですから、エスコートくらいさせてくださいね」

艶っぽいウィンク付きで拒否されてしまった。困ってサリムさんを見ると、無表情にしらっとしている。これ絶対見捨てられた!

「さて、それではユカ、何か見たいものはありますか?」
「これといった物は……あの、ロワイエ様こそ、お買い物はいいのですか?」
「私は視察できただけですからね。一周すること自体が目的ですから」

馬車は近くに止め、御者がわりの警備さんを置いて、市を歩く。
私はキョロキョロと視線をあちこちにやって、何があるのかと首を伸ばした。

以前エリアさんに連れてきて貰ったときは、南の方からの商人達が多かったらしい。今回は西のオルレット経由の商人が多いらしく、並んでいる品物が随分と違った。

例えば並んでる反物。
前の時は「これぞ先住民族!」というような赤とか黄とかの奇抜な色と派手で大柄な紋様のものがめだっていたんだけど、今回は布の繊維が違う白地のものが目立つ。
光沢があるシルクやサテンのような布から、麻みたいに温かみのある布、さらにビックリしたのは、伸縮性に長けたストレッチ生地があったことだ。

この世界の文明をなめていた。
伯爵に意気揚々と色々話してたけど、私が話さなくても、文明開化の音はすぐ側で鳴っている。
この世界の研究者さんも頑張ってるんだなぁ。

「気に入った布はありましたか?」
「うーん、白色の布ですからね。染めれば何にでもできますから。正直素材から選ぶのは私には難しいです」
「ふふ、なるほど、父上が貴女を庶民だと言い切ったのはこう言うところですかね」

なぜそこで私が庶民云々が出るの?
おかしそうに笑うロワイエ様を不思議に思って見上げれば、笑う主人に代わってサリムさんが教えてくれる。

「布一つ取っても流行や良し悪しがあります。そういう目利きは貴族の能力として重要なものなんです」
「ユカはセンスはいいですが、目利きには慣れていなさそうですからね」

そう言いつつ、ロワイエ様は露店に並んでいた布の一つを手に取った。さっき私が驚いたストレッチ素材の反物だ。

「店主、こちらの布は初めてみるものですが、どういったものですか?」
「目がいいねぇ、旦那。これは最近オルレットで発明されたもんだよ。なんとね、布が延びるんだ。オルレットじゃ、騎士や兵団の制服に使われとるよ」
「なるほど。それはそれは、動きやすそうな衣装になるのでしょうね」

ロワイエ様が店主から店の名前を聞くと、サリムさんが後ろでメモをしていた。なるほど、これが貴族の視察というものですか……。
こうやって目ぼしいものをチェックするためにロワイエ様はいらっしゃったんだなぁ。視察というなのお忍びかと思ってた。

「さてユカ、次に行きましょうか」
「あ、はい」

ぼんやりとしていると、ロワイエ様がお店の人とのお話を終わらせたらしく、再び私の手を取った。

「あの、ロワイエ様。手……」
「ふふ、つれないことを言わないでくださいね。私は嬉しいのですよ、ユカ。初めて会った時は怖がられてしまったのに、今はこうしてエスコートさせてもらえるのですから」

いやいや、ロワイエ様が勝手に私の手をとって強制的にエスコートしてるだけでしょう。
本音を言いそうになって、ぐっとこらえた。言っても結局強制エスコートだろうし。

それに言われてみて、それならしょうがないなと思わないこともない。最初は鳥肌立つレベルで嫌悪してたんだけど、働き始めてそんなに警戒する必要もないと気づいたし。

エリアとかがね、心配してたんだよね。
私の貞操。

住み込みじゃなくて、通いでもいいじゃないって言ってたくらいに。
でもロワイエ様は私が男性を恐れる理由を知っていたし、書斎での出来事もあったから、私に不埒なことはしないと言い切っていた。

それでもエリアは心配して、私に痴漢撃退グッズを幾つかくれた。目に入ると痛い粉とか、付着すると麻痺する塗り薬とか。マルスラン先生もそれに便乗して「局部に塗るとかぶれる薬」とかをくれた。マルスラン先生、ロワイエ様を不能にする勢いだけど、この人一応伯爵家の跡取りだからね?

まぁ、今のところそういった痴漢撃退グッズを使うような事にはなってないので、ロワイエ様の対応に感謝しかない。分別のある女好きで良かったです。

「ぼんやりしていると、ぶつかりますよ」
「すみません」

また思考をどっかに飛ばしてたら、くいっと腕を引かれてたたらを踏んだ。

「さぁ、何か見たいものがあったら遠慮なく言ってくださいね」

人混みに押されながらも、市を歩く。

食べ物は比較的ルドランスと似たようなものが多いなぁ。焼き菓子ばかりだ。
果物も目新しいものはなさげ。
今は布が一番の売り時なのか、やっぱり白の反物が多いイメージだ。

辺りを見ながら歩いていると、ふと声をかけられた。

「よぉ、そこの黒髪のねーちゃん。また会ったなぁ」
「はい?」

声の方を向くと、露店の一つにフードを目深に被った店主がいた。……誰?

「え、と……どちら様ですか?」
「忘れちまったのか? 寂しいなぁ……ほら、あれだ。二ヶ月くらい前の市でぶつかったろ? 覚えてねぇか?」

言われ記憶を探りだす。
そういえば、そういうこともあったような。
あのときと同じように口許を隠してる。見ていて暑そうなんだけど、脱がないのかな。

「……よく覚えてますね」
「そりゃ仕事上、人を覚えなきゃやってらんねーからな。どうよ、また会った記念に何か買ってけ。おまけするぜ」

正直こっちは貴方のこと全然覚えてないんだけど……。
相変わらず男はフードを被ったままだが、トーンを抑えた低い声はニヤついていた。なんか嫌な気分。

「知り合いですか?」
「いえ、通りすがりにぶつかっただけの人です」
「冷てぇなー。ま、俺の事はいいから、商品見てってくれよ」
「おや、香ですか」

私はあんまりこの人と関わりたくないんだけど、ロワイエ様が興味を示してしまった。仕方なく、露店に近づく。

台の上には幾つもの壺が置いてある。色も形も様々だ。台の端っこには一つサンプルを置いてあるようで、蓋が外された壺からほんのりと香りがけぶっていた。なるほど、ロワイエ様はこれを見たのか。

「色々あるぜ。どんなのが欲しい? まぁ、大概は安眠効果や鎮静効果だがな」
「そうですね……何か珍しい調合の物はありますか?」
「それならこれだな。オルレット秘伝の天落香てんらくこう
「ほう?」

男が真っ白でつるりとした壺を前に押し出した。
ロワイエ様の目の色が変わった。なんだろう、そんなに珍しいものなのかな?

「ロワイエ様、てんらくこうって何ですか?」
「おや、知りませんか? 天落香は天降あもりでもたらされたものですよ」
「あもり?」
天降あもりを知らねーのか?」

ロワイエ様の言葉に聞き返していると、店主の男がおどけたポーズできいてくる。その通りだとこっくりと首を縦に振れば、店主の男が教えてくれる。案外優しいね。

「神様の気まぐれな贈り物って意味だ。それは賢者のような人だったり、飢饉を救う作物のような物だったりする。天落香はそうやってもたらされた秘宝でな、この世界に馴染めない天降あもり人ですら、その香りで誘惑しこの世界に落としたという謂れがある」
「え、そんな秘宝がこんなところにあっていいの!?」

びっくりしてすっとんきょうな声をあげると、男はくつくつと笑った。

「香の解読は、そのありがたい天降あもり人の賢者様がやってくれたらしくてな? 代々香の大家っつーオルレットの一部の特権者の間で調合レシピが継承されてんだ」
「実際はただの安眠剤ですし、市場に出回る数は少ないですが、決して手に入らないほどのものではありません。私も一度だけ焚いた事がありますが、極上の匂いでしたよ」
「使ったことあるんですか?」
「とても入手が困難ですから、一度だけですけどね」

くすりと笑うロワイエ様に、そうなんだと頷く。

「それで、どうする? 買うか?」
「……高いんでしょ」

ちょっと伝説レベルの貴重なお香というのは嗅いでみたい気がするけど、私の一週間分のお給料なんてたかが知れている。
案の定、値段を聞いたらお一人様三粒まで、さらに一粒金貨三枚と馬鹿みたいに高かった。

「無理! 絶対無理!」
「なんだ、それは残念」
「それなら私が買いましょう」

私の隣で、ロワイエ様がそうおっしゃった。

「お、旦那が買う?」
「ええ。私ももう一度手に入ることがあればと思っていましたしね。ただし、本物ならば」

ロワイエ様の目が鋭く光った。
男はくつくつと喉の奥で笑う。

「まぁ、天落香は偽物もよく出回るからな。ちょっと待ってな」

そういうと男は新しい香炉を用意し出した。中には程よく灰が入っている。小さな炭の破片みたいなものをマッチで炙ると、灰の中に埋めた。手を灰の上にかざしながら、少し経つと真っ白い壺から丸薬のようなものを取り出してその上に置いた。

「ほら、焚いたことあるならこれで分かるだろ」

ロワイエ様が香炉に顔を近づけて匂いを確かめる。

「確かに、これは以前嗅いだものと同じですね。相変わらず素晴らしい香りです」

私の方にもふんわりと漂ってくる。甘くて、とろとろに熟した果実の臭いだ。何の匂いかなぁ。桃とかアップルとかとはまた違う、嗅いだことのない匂い。

一つ分かるのは、香水とは違って鋭い香りじゃないということ。付けすぎて鼻が曲がるということが無さそうだよね。

「んで? ここまでしたんだ、買ってくれるんだろ?」
「良いでしょう、買いますよ。三粒お願いします」
「まいど!」

男は白い壺から三粒掴むと、別の小さな陶器に入れて、さらに布で包んだ。さすが高級品、包装が厳重だ。

「あ、そうだこれ、ねーちゃんとの再開記念のおまけな」

男は忘れてないよとでも言いたげに声をニヤニヤさせて、さっき試しで焚いていた香を乳鉢みたいなところでごりごりとすりおろして粉末状にした。温まってるからか、匂いは損なわれていない。
それを小さな御守りサイズの袋に直接いれて口を締めた。口を締めた。紐は眺めにとってあって、首から下げられるようになってる。
匂袋かな?

「首からさげておくと、しばらくは香水がわりになる。安眠効果持ってるけど、起きてる時には意味はないからな。良かったらつけてくれ」
「いいの? これめちゃくちゃ高いおまけじゃない?」
「一回使えば商品にはならねぇからな。気にすんな」

そっか、お香って消耗品だから……これ、高級すぎてサンプルには向かないんだね。

私はありがたく匂袋を頂戴して、首から下げる。なんとなく服の内側にいれれば、外に出しているときよりも、あの甘い香りが強く感じられた。うん。これはいいや。

ロワイエ様の代わりに、サリムさんが買ったものを受け取る。

「良い買い物ができましたね」
「はい」

貴重なものが思わぬところで手に入って嬉しいんだなぁ。ロワイエ様が上機嫌で目を細めて微笑んでいる。

私も、はからずしもその貴重品のおこぼれに預かる形になったので、ちょっと得した気分です。
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