異世界は都合よくまわらない!

采火

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オージェ伯爵邸襲撃事件編

夢の中のメイド

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ユカのオージェ伯爵邸再就職が決まった翌日も、アンリは普段通り巡回おみまいをした。

いつもと違うのは、診療所の門前でイアンが待ち伏せしていたことだ。

「あれ? イアンじゃないか。どうしたんだ」
「あ、来た来た。待ってたんだよ」

白衣の内側に来ているシャツをパタパタさせて、イアンはアンリを出迎えた。

「先生とエリアさんが待ってる。ユカさんは俺が引き留めておくから、ちょっと話してきて」
「何かあったのか?」
「ユカさんのお屋敷勤めの件だと思うよ。ユカさんが決めたことだけど、エリアさんがちょっと気にしてることがあるらしくて」
「そっか。分かったよ。先にそっちに行く」

イアンは暑そうに白衣をはためかせながら、ユカがいる病室へと向かっていった。アンリは門から見える、ユカの病室の窓を見上げた。すっかり見慣れてしまった彼女のための緑のカーテンが風に揺れている。

イアンが応接室に二人ともいるからと言っていたので、そちらへと足を向けた。

もうすぐ夏至だ。
一年で一番暑く、一番昼が長い日がやって来る。
それを過ぎれば、社交界も一区切りつくので、オージェ伯爵も領地へと帰ってくるだろう。
事件の首謀者が判明していないのが気にかかるが、ユカがこの二ヶ月、健やかに過ごせて良かったと思う。オージェ伯爵帰還後は様子を見ながら、徐々に通常体制に戻っていくだろうから、こうやってアンリが毎日出歩くことも無くなる。
ちょっと寂しいなぁと思いながら、アンリは応接室への扉を開けた。

中にはイアンが言っていた通り、マルスランとエリアがいた。

「すまないね。すこし時間をもらうよ」
「いや、気にしないでください」

マルスランに促され、アンリは彼の向かいのソファに腰かけた。エリアが貴重な氷を浮かべた茶を出してくれた。

礼を言って、一口飲む。
暑さで火照っていた体にスッと染み渡った。爽やかな味わいのそれはミントだろうか。

「それで、どうしたんですか先生。僕に何か話が?」
「あぁ。私からも言いたいことはあるが……ひとまずエリアの話を聞いてほしい。たぶんそれが、今のユカさんの状態を一番示しているからね」
「ユカの?」

物憂げにため息をつくマルスランに、アンリは顔をしかめた。
事件以来、徐々に快復に向かっている彼女だ。それなのにマルスランがこのような表情をするとは、実は何かかんばしくない状態だったということか。

マルスランの隣に、茶を出し終えたエリアが座った。

「昨日ね、ユカが不思議なことを言っていたのよ」
「昨日?」
「ロワイエ様と話しててね。話していることが少し難しかったから説明しがたいんだけど……彼女、現実を現実として認識していないところがあるみたいで」
「どういうこと?」
「夢見心地というか……今の状況を夢だと言っていたの」

エリアの言葉に、アンリは首をかしげた。
今の状況を夢だと思っている?

「例え話とかじゃなくて? もしくは事件の被害者に良くある奴じゃないのか? 恐怖体験の反動で、幸福を素直に受け止めきれないやつ」
「最初は私もそれを疑ったのだけどね、どうやら根本にあるのは例の事件ではなさそうなんだよ」

マルスランが難しい顔になる。アンリが言いたいことくらい、医者であるマルスランはよく分かるだろう。
しかしそのマルスランが、そうではないという可能性を示唆した。

「彼女、時々魘されてるんだ。事件当時の事ばかりかと思っていたんだが、どうも違う時がある」

ユカがこの診療所に来て以来、彼女が眠っているときに魘されていることに気づいてから、昼夜問わず、定期的に彼女が眠っている様子を見ていたらしい。

「事件の時の夢で魘された後は、とにかく白い天井や壁、白衣にすら怯える。魘されているのを起こしても、白衣を着ているとさらに怯える」

診療所で初めて目が覚めた時の状態と全く一緒だ、とマルスランは続けた。アンリも、ユカが最初の頃に白色にひどく怯えていたのを覚えているからよく知っている。

アンリが「もう一つの方は?」と聞くと、エリアが答えた。

「……ご両親と、以前言ってたお友達のアンリさんの名前を呼んで、帰りたいと泣くのよ。 夢から覚めるとね、夢じゃなかったの? っていって、また泣くの。それが、痛々しくて」

アンリは黙った。
それは、アンリが知らないユカの姿だった。

ユカは故郷にあったものの話は沢山してくれるが、こういった「故郷へ帰りたい」といった類いの言葉は決して言わない。
自分が帰れるとは思っていない様子で、故郷の国の名前すら言わない徹底ぶりだ。

アンリは昨日のことを思い出す。

薄々感づいてはいたけれど、やっぱりユカは帰りたがっているんだと改めて知る。
そして、どうしてなのかは知らないが、帰りたいという気持ちを隠しているということも。

ユカが言いたくないことを、自分に打ち明けられるくらいまで信頼してほしいと思った。だから、うっかり告白してしまった自分の気持ちに対する彼女からの返事を保留にした。そういう弱さこそ、自分に吐き出してほしいと思ったから。

マルスランが静かに告げる。

「聞くと彼女は訳ありの身だ。ここへ来る前の生活は特別不自由なく、ご両親との関係は良好だったようだ。そんな彼女が帰りたがってる。望んでここに来たのではないというのは明らかだ」
「ユカは昨日、夢の話をしたときにね、この国へは誰かに連れてこられたのかもしれないって言っていたのよ」

アンリはエリアの言葉に驚いた。
初耳だ。

事件直後、被害者とはいえユカが唯一の生き残りとして襲撃者の手引きをしたのではと疑われていた時期がある。ひとえに彼女の素性が怪しかったからだ。
どこから来たのか、全く不明。
調べても、ある日突然、伯爵邸のメイドになったことしか分からなかった。

「アンリ。彼女はとても不安定だ。もしかしなくとも事件前、伯爵邸にいたときから。体は幼く見えようとも、心は大人だ。本心を理性で抑え込んでしまっているんだろうね。そういった心は限界を迎えると、どこかで一気に崩れてしまうものだ」

優秀な医者はゆっくりと患者の状態を説いていく。

「本当は、そんな彼女に仕事をさせるなんて医者としてはおすすめできない。だけどユカさんが決めたことを無理にやめさせようとも思わない。だからね、君には彼女がこれ以上望まないことを強いられないように、よく目をかけてやってほしいんだよ」
「……どうしてそれを、僕に言うのさ」

そういうことは、雇い主であるロワイエやオージェ伯爵に言うべきではないだろうかとふと思った。

「伯爵が、ユカさんを囲おうとしているからだよ」

マルスランはきっぱりと言い切った。

「彼女の知識、発想、見聞は、どれを取っても価値がある。ロワイエ様も仰っていたのは覚えているだろう? だから伯爵は彼女をなんだかんだと不自然にはならない程度の理由をつけて、屋敷に閉じ込めていたのだろうねぇ」
「……それは、考えすぎじゃ」
「そうかい? 普通ならすぐ側に騎士団があるというのに迷子や誘拐の届けが出ていない事に違和感はなかったのかい?」

アンリは黙った。確かに、そうだ。
彼女を調べたとき、シュロルム支部には彼女の情報は一切なかった。だからわざわざ王都まで早馬を飛ばして伯爵に裏をとった。
そこでは、彼女は一年前から保護している娘で素性は保証するとしか言われなかった。今、エリアに言われるまで、彼女がどうやってこの国に来たのかすらも分からなかったのだ。

伯爵が、ユカについての情報を隠したから。

どうして伯爵がユカについての情報を隠すのか。

彼女が利用できるから?

それとも。

「……先生は、伯爵がユカを誘拐してこの国に連れてきたと思ってる?」

マルスランが明確に言葉にしなかったことを、アンリは口にした。
マルスランは否定はしなかったが、少しだけ疲れたように肩をおとした。

「私もそう思ったんだけどねぇ。そのわりにはユカさんは伯爵を全面的に信頼しているからねぇ」

ユカは自己防衛ができるくらいには警戒心が高い。それはロワイエとの対面時にいかんなく発揮されている。

そんなユカが信頼しているのだ。その上アンリが知っている伯爵像としても、利用できるからと人一人を誘拐してくるなんてことしないように思う。

だが、伯爵がユカを囲おうとしたのは事実だ。
その知識を利用しようとしているのも。

その真意が、分からない。

「……まぁ、とりあえずは、ユカが伯爵邸に行ってもなにかと気にかけておくよ。騎士団でダメなら最悪、家の力使うし」
「そこまでのことにならないといいが……頼むよ。私達も掛かり付け医としてできる限りの事はするけれど、いざとなったら君に協力を頼むかもしれないからね」

そうならないのが一番だけどねぇ、とマルスランは苦笑した。

そしてようやく、重い腰をあげる。

「さて、では私は仕事に戻ろう。長話をしてすまなかったね」
「いや、大丈夫です。聞かなかったら後悔するところだったから」

アンリはそう言うと、小さくなった氷をカラカラと鳴らしてお茶を飲み干した。グラスは冷たくて、水滴がぽつぽつと浮かんでる。

「さて、ユカのところに行くか」

元々、そのためにここに来たのだから、会わずして帰るという選択肢はない。

マルスランの話を聞いた後では、あの小さなお姉さんは明るく見えても、色々と抱え込む性分だったと分かったので、どうにかしてその抱えてるものを分けてほしいと思ってしまう。

結局は、初志貫徹するしかないのだけれど。
アンリは能天気にも、ユカが自分を本当の意味で信頼してくれるのが待ち遠しく思った。
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